「さあっ、今年も行くよ! 綿流し名物六凶爆闘!!」
魅音の威勢の良い掛け声で、沙穂達にとっての綿流し祭はスタートする。
数ある露店を回り、その度に勝負をする。それが、沙穂達部活メンバーの綿流しの楽しみ方だった。
「へーっ。沙穂は浴衣かぁ」
レナと一緒にやって来た圭一は、沙穂の服装に目を留めて言った。
「何だか意外だな。話し方とかは一番ぶっきら棒なのに」
「う、五月蝿い。これはただ、お婆ちゃんが無理矢理……私は、普段の格好で良いと……」
「ま。その辺、沙穂ん家はかったいトコあるからねー。村の因習とか、結構気にするよね」
「照れてる沙穂ちゃん、かぁいいんだよ、だよ」
沙穂は戸惑いながらも、照れ隠しに強い語調で話す。注目されるのは、得意でない。祖母は沙穂の髪型まで結おうとするものだから、それは嫌だと主張して阻止した。祖母は仕方なく、沙穂に挿そうとしていた黒塗りの髪飾りを、いつも通り自分で使って出かけていった。
「それに、浴衣なんて誰だって着ているだろう。もう着崩れてしまったし……。梨花の方がよっぽど見応えがある。――噂をすれば、だ」
沙穂は視線で梨花の来る方を示す。
一同が、そちらを振り返った。梨花は巫女の衣装を見に纏っている。
「おおっ。流石、よく似合ってるなぁ」
圭一が感心した声を上げる。
魅音が誇らしげに胸を張った。
「うちのばっちゃのお手製だよ。本格的でしょ?」
「はぅ〜、梨花ちゃんかぁいい……」
「梨花はお仕事があるから、その衣装なんですのよ」
沙都子は得意気に圭一に話す。沙穂も割って入った。
「着付けは私のお婆ちゃんがしているんだ。練習も見ていて、いつも褒めている」
そして、梨花に顔を向ける。
「頑張れ。楽しみにしているぞ」
「ありがとうなのです。
お仕事までまだまだ時間があるのです。それまで、遊べるのですよ」
「ようし! 早速遊ぼうぜ!」
「それじゃ、まずは手始めにたこ焼き早食い対決なんてどう?」
そう言って、魅音は傍にあるたこ焼きの屋台を指差す。
「臨むところですわーっ」
沙穂はフッと笑みを浮かべる。
「大食い対決で私に勝てると思うなよ」
No.4
楽しい時間は、あっと言う間に過ぎ去って行ってしまう。梨花の奉納演舞も終わり、沙穂達は川原にいた。
布団から出し小さく丸めた綿をこの川に流して、綿流しの祭りは終了する。
……楽しいひと時が、もう直ぐ終わりを告げようとしている。
「まだ、帰りたくないな……」
思わず呟いた沙穂の言葉に、魅音が頷いた。
「このまま遊び続けたいよね。でも、明日からはまた部活が出来るんだしさ。また来年を楽しみにしよう」
「来年かぁ……。綿流しの前は、私は準備で部活が出来なくなるからな。それはそれで、嫌だな」
何より、綿流しの準備は祖父母が一緒だ。
不意に、眩いフラッシュが浴びせられた。沙穂は、光源を振り返る。富竹が、いつものカメラを掲げて立っていた。
「あ、富竹さん」
「何だ。圭一、知っているのか」
「私達が雛見沢を案内してた時に会ったの」
沙都子が、腰に手を当てて富竹の前に仁王立ちした。
「こんな暗い所で突然撮ったりしたら、驚きますわ」
「あっはっは、ごめんごめん。驚かせるつもりは無かったんだ」
「高くつくよ〜?」
魅音がニヤリと笑う。
「はっはっ。現像した写真で勘弁してくれないかな。
準備の写真もあるから、写っているのがあったらあげるよ」
富竹は沙穂と梨花を見下ろし、言った。
「二人が頑張っただけあって、今年の綿流しはいつもにも増して盛り上がったね」
「メインの巫女をやる梨花は兎も角、私は大した事なんてしていません……」
「いやいや、そんな事無いさ。あの櫓を組んだの、沙穂ちゃんなんだろう? 大工仕事では大活躍だって、聞いているよ」
「そうなのか!? あれを? 沙穂が?」
圭一は目を丸くし、沙穂を振り返る。
沙穂は照れたように俯いた。
「別に、私一人で作った訳では無いし……私はただ、手伝った程度だから……。メンバーは大人の男が多くて、殆ど彼らがやってくれたしな……」
「それでも、その方々と一緒になって力仕事を任されるなんて、凄い事ですわ」
「年の割りにゃあタフだとは思っていたけど、まっさか大工仕事をやってのけてたなんてねぇ〜」
「本当に大した事無い。私より幼い梨花だって、重要な役割を担っているんだ。それに比べれば……」
「沙穂がしてくれた補強のお陰で、ボクは何も心配する事無く、お仕事に集中出来たのです。裏方も、とっても大切な役割なのですよ」
「うん、そうだよ」
レナは頷き、首を傾げた。
「どうして沙穂ちゃんは、そんなに自分の事を卑下するのかな? かな? 沙穂ちゃんが任された仕事、すっごく大切で、すっごく大変な事だと思うよ」
「本当……だろうか……」
「うん、本当」
そう言って、レナは微笑む。
けれども沙穂は、やはり自信が持てなかった。
『これくらい、当たり前の事だ』
『村の一員として、これくらいしなくてはいけない』
『人に迷惑をかけるばかりでなく、少しは人の役に立つ事ぐらいしろ』
『梨花ちゃまは沙穂より年下だけど、あんなにしっかりしているのに』
『使えない奴』
……そんな言葉しか、かけられて来なかった。役に立たなくてはいけない。これ以上、迷惑をかけてはいけない。ただそればかりを気にして、祖父母の顔色ばかりを伺っていた。
そして沙穂が見る限り、彼らの沙穂に向ける表情が変わる事は無かった。いつまで経っても、どれ程頑張っても、沙穂は「厄介者」の枠を抜け出せなかった。
「……誰も、沙穂ちゃんを厄介者なんて、思ってないよ」
まるで沙穂の胸中を見透かしたかのように、レナが言った。思えば、レナには祖父母の事を話した事があった。
「沙穂ちゃんのお爺ちゃんとお婆ちゃん、厳しい人なんだってね。魅ぃちゃんから聞いた。でも、沙穂ちゃんはこんなに頑張ってるんだもん。きっと、認めてくれてるよ」
「だが……二人が素っ気無いのは、相変わらずだ……。あの人達が私を褒めた事なんて、一度も無い……」
「きっとそれは、厳しい人だからこそ口下手なんじゃないかな」
口を挟んだのは、富竹だった。
他のメンバーも、レナと沙穂とのやりとりで大体把握したらしい。富竹は続ける。
「沙穂ちゃんの祖父母も、威厳を保とうと頑張っているんじゃないかな。だから、きっと褒めたくても意地を張ってしまうんだよ」
「そう言う気持ち、何だか分かる気がしますわ。近しい人が相手だと、本当に心から感謝していても『ありがとう』と言い難かったりしますもの。照れ臭いんですわ」
沙都子は言いながら、隣に立つ梨花の横顔を見つめていた。
魅音も頷く。
「そうだね。沙穂のお爺さんお婆さんは村の会合とかでよく知っているけど、二人共決して悪い人じゃないもん」
「それに、沙穂ちゃん自身からももっと気持ちを伝えても良いと思うよ。沙穂ちゃんは、まだ子供なんだから。甘えても良いんだよ」
富竹の言葉に圭一は頷き、沙穂の頭をぐりぐりと強く撫でた。
「その通りだ! 一番冷静なようにも見えるけど、沙穂だってまだ子供だもんな。今の内に十分甘えとけ!」
「や、やめろ圭一。髪が乱れる……」
「でも沙穂、いつもの調子が戻って来たように見えるのです」
そう言って、梨花はいつもの笑顔を見せる。
沙穂は微笑い返し、頷いた。
「ああ。……ありがとう、皆。
富竹さんも、ありがとうございます。えと……頑張って、お爺ちゃんとお婆ちゃんと、話してみます」
「また何かあったら、いつでも相談してよ。レナだけじゃなくてさ」
「ああ。ありがとう、魅音。まずは、皆に甘えてみる事にする」
「おう! じゃんじゃん甘えろ。俺達、仲間なんだからな」
「圭一が言うと、何か妙な萌狙いみたいだ」
沙穂はそう言って腕を組み、肌を擦る。
「なっ。幾らなんでも、それは酷いんじゃねーか?」
「日頃の行いの所為だね、圭ちゃん?」
沙穂はクスクスと笑う。他の皆も、圭一さえも笑っていた。
沙穂は本宅に寄らず、真っ直ぐ離れへと帰った。そしてそのまま、畳まれている布団の上に突っ伏す。
のそのそと起き上がると、浴衣を乱雑に脱ぎ、畳み方も分からないので椅子にかけて置く。本宅に明かりは点いていない。と言う事は、祖父もまだ帰宅していないようだ。村の老人達との宴会だろうか。少なくとも祖母は、奉納演舞の片付けで遅いと分かっている。
――何か話すにしても、明日だな……。
そう考え、沙穂は風呂の準備に取り掛かる。夕食は、祭の屋台で十分に食べている。祖父母を待って夜更かしをする理由も無い。
こうして綿流しの晩は、更けて行こうとしているのだった。
鳴き疲れた蜩の死骸と、黒塗りの髪飾りを、暗い夜道に残して……。
翌朝、朝食を取りに本宅へ行くと、ただ祖父が居間で眠っているだけだった。
沙穂が来たのに気付き、祖父は上体を起こす。
「お婆さんはまだ帰ってきとらん。その辺にある食パンとバナナでも、持って行きなさい」
「うん……」
沙穂は小さく頷くと、台所へ向かう。
――話さなくては。
そう頭では思うのに、どうにも声を掛け辛かった。祖父の声は重々しく単調で、沙穂を冷たく突き放す。まるで説教でもされているかのようで、沙穂は萎縮してしまい自分の意見を上手く言葉に出来なくなってしまうのだ。
沙穂は食パンの袋を二つ掴み、いつも弁当を入れている手提げ袋に放り込む。いつも果物を入れている小さな籠を見たが、バナナは無かった。代わりに、冷凍庫からみかんを三つばかり出してビニル袋に入れ、食パンの袋の上から入れる。これだけで足りるだろうか。やや心配だが、これから作る時間も無い。仕方が無い。今日は、皆に恵んでもらう事になりそうだ。
台所を出て、玄関までの間で再び居間を覗き込む。祖父は起き上がった所だった。顔を覗かせている沙穂に気付き、祖父は問う。
「沙穂。お婆さん、昨日何か言っとったかい? 泊まる予定があるとか……」
「いや……何も聞いてない。えっと……」
「何ね?」
寝起きと言う事もあってか、煩わしそうな祖父の返答。
彼の意識は、沙穂なんかよりも祖母の方へと向いている。
沙穂は首を振った。
「……何でも無い」
いってきます。
ただ、それだけを言おうとした。けれど、言えなかった。
いつもと同じ。ただ用件のみの為に、本宅へ寄る。いつもと同じ。必要事項以外に、祖父母と沙穂との間に会話は無い。
――帰ったら……帰ったら、今度こそちゃんと話そう。
沙穂は門の所で立ち止まり、家を振り返る。昔ながらの、広い家。沙穂にとってはとても広いが、村の他の家と比べれば平均かやや広目の部類に入る程度。庭は広く、立派な木製の門が構えている。それは、岡藤家がこの村でそこそこの家柄である事を表していた。
御三家のような、立派な家柄ではない。特筆すべき歴史も、名誉も無い。けれどこの家は昔からここにあり、ずっと村の人々と関わってきた。中心部となる事は決して無いが、雛見沢の会合に参加する程度には村の者達の信頼がある。親戚関係も広く、沙穂も全ては把握仕切れていない。盆や彼岸に回る墓も複数個所に散らばっていて、まだ沙穂は覚えきれていなかった。立派な墓地にある物もあれば、山の小道を登った草木の鬱蒼と茂った中にある物もある。
祖母の方も岡藤と同じような立ち位置で、確か園崎とは姻戚関係に当たる筈だ。
祖母は一体、どうしたのだろう。何故、帰っていないのだろう。
祖母は昨夜、遅くなるとは言っていた。奉納演舞の片付けがあるからだ。若しかすると、その後に宴会にでも参加したのだろうか。魅音の家では、綿流しの晩は宴会が行われていると言う。祖母ならば、それに参加していてもおかしくは無いだろう。若しかしたら酔いつぶれたりでもしたのかも知れない。
「あれっ。沙穂、それだけ? どうしたの、今日は」
尋ねる機会も無いまま、昼休みになってしまった。
いつものように机をあわせ、各々弁当を取り出す。沙穂が食パンの袋と自然解凍されたみかんを見て、素っ頓狂な声を上げた。
「お婆ちゃんが帰ってなくて、弁当が無かったんだ。作る時間も無かったから……。
うちのお婆ちゃん、魅音の所に行ってないか?」
ようやく沙穂は魅音に祖母が家に行っていないかを尋ねてみた。
「沙穂のお婆ちゃん? 帰ってないの?」
魅音は、やや驚いたように目をパチクリさせている。沙穂は頷いた。
「ああ、昨晩から……。魅音の家の宴会にでも、お邪魔になったのかと思ったのだが……」
「うん。確かに、宴会には来てた。でも、十一時頃には帰ったよ。あんまり遅くなると、心配するからって……」
しんと部活メンバー達は静まり返る。
皆の脳裏に過ぎっている物は、同じだった。綿流しの翌日の、行方不明。毎年起こっている事件。
圭一が、恐る恐る口を開く。
「え……それって――」
「岡藤さん」
圭一の言葉は、沙穂を呼ぶ声に遮られた。
教室の戸口の所に、知恵が立っていた。圭一はきょとんとした表情で、沙穂と知恵とを交互に見る。
「珍しいな。沙穂が呼び出しか? この間もじゃなかったか?」
「……」
沙穂は食べかけの食パンを置き、席を立つ。そして、知恵の待つ方へと歩いていった。訝しげに、知恵を見上げる。
「何でしょうか……? 母の事でしたら、先日お話した通り――」
「いえ、その話ではありません。昇降口に、お客さんがいらしていますよ」
沙穂は安堵しつつも、内心首を傾げた。誰だろうか。
沙穂は廊下を昇降口の方へと歩いて行く。
祖母は、魅音の家に泊まってはいなかった。宴会には参加した。けれども、その日の内に帰ったと言う。
だが、家には帰っていない。
では、何処に行ったのだろうか。祖母の交友関係は把握していない。……それとも、何処の家にも行っていないのか。
『今年は誰が死んで、誰が消えるのかしら……』
鷹野の言葉が、エンドレステープのように繰り返される。
毎年起こっている、連続怪死事件。通称、オヤシロさまの祟り。その犠牲者に、祖母が選ばれたと言うのか。
「……」
沙穂は立ち止まり、頭をふるふると振った。
馬鹿馬鹿しい。あれは、ただの宗教に過ぎない。祟りなんて、迷信だ。オヤシロさまなんて非現実的な物、存在する筈が無い。――存在していてはならない。
沙穂は再び歩き出す。間も無く、昇降口に着いた。前に通っていた学校よりもずっと狭く、普通の扉が一つあるのみの昇降口。
そのたった一つの扉を遮るようにして、恰幅の良い中年の男性が立っていた。
彼は手に抱えた上着から、何やら四角い物を取り出す。――警察手帳だ。
「私、興宮署の大石と申します。少々あなたとお話したい事がありましてねぇ、岡藤沙穂さん。んっふっふ」
彼の鼻につくような笑い方は、沙穂の不安を増徴させるには十分だった。
そしてその不安は、これから始まる惨劇の幕開けを示していたのかも知れない。
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Why they cry…
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2009/07/12