昼間に言っていた通り、その晩遅い時間になっても杏子は帰って来なかった。
私は膝を抱え、玄関先に座り込む。何もする事が無い。材料が無ければご飯を作る事も出来ないし、水道が通っていなければ風呂を沸かす事もできないし。
悪いかなと思いつつも、ちょっと家の中を歩いて回ってみた。そして私は、一つの事に気が付いた。
――何も、物が無い。
見滝原へは、来たばかり。それを考慮したって、彼女の荷物は少なすぎた。少ないなんてもんじゃない。本当に無いのだ。
ここへ来たのは、一時のしのぎであるかのように。
「……本当に、しのぎなのかも」
ここは、杏子が家族と住んでいた家。杏子にとって懐かしいであろうと同時に、辛い思い出も詰まった家。そう、長く留まる場所ではないのかも。
それにここには、アニメで見たような部屋は無かった。どこも薄っすらと誇りが被っていて。さやかの死体が寝かされていたような部屋は、どこにも無い。
私はすっくと立ち上がった。玄関扉を押し開けば、そこにあるのは夜の闇。生活感を感じさせない、静寂の町。
このまま毎日家にいて杏子の帰りを待っていれば、生活には困らない。何も余計な事をしなくても、ワルプルギスの夜が来れば私は帰る手段を得られる。自ら危険に巻き込まれる必要も無い。――でも。
でも、それで本当にいいの?
私は夜闇に足を踏み入れた。
――今思えば、この一歩が迷路への入口だったのだ。
しかし、この選択は決められていたことだったのだろう。だから、私はこの世界へやって来た。だから、私は――
No.4
私は今、自分の運の強さに感動している。
何となく明るく人気のある道を選んで歩いていたら、駅に到着。そしてそこで、一人の女性を発見。ビシッとスーツを着た、綺麗な女性。
間違うものか。
鹿目詢子――まどかの母親だ。そして私は、恐らく帰宅途中なのであろう彼女の後を尾行けている。
まさか、こうも連続で主要人物と会えるなんて、私自身もびっくり。まあ、まだ主人公のまどっちとか大本命のほむほむとかとは出会えていないんだけどさ。
――しかしそれも、直ぐに叶う事となる。
鹿目詢子は一軒の家に入っていった。それは、アニメでも見慣れたあの大きな家。
家の位置を確認して、私は踵を返す。まさか、ついて入る訳にはいかない。明日の朝ここでスタンバイして、パンでもくわえてまどかとぶつかるか。あの子なら、それで何とかなりそうな気がする。
見滝原の制服、手に入らないかなあ。実際の転入はできなくても、制服さえあればそれとなく紛れ込むこともできる。紛れ込んだところで、何をするって計画も立ってないんだけどさ。
ふと、私は足を止めた。
何だろう。何か違和感。そして、この違和感は一度感じた事があるもの。……そう、明海につれて来られた時に。
振り返った視界に飛び込んできたのは、明美の姿ではなかった。あけみはあけみでも、字が違う。
紫を基調とした制服のようなコスチューム。黒いカチューシャ、黒いタイツ。左腕には銀盤を付け、長い黒髪を背中まで伸ばしている。
彼女は当たり前のように塀を乗り越え、鹿目家の庭に入って行った。
「……」
ほむほむキタアアアアアアッ!!
口にこそ出さないものの、私の脳内はお祭り騒ぎ! だって、これが興奮しないでいられようか! ほむほむだよ、ほむほむ! ほむほむまじほむほむ!
突っ込みどころ満載の行動を見せてくれたおかげで、話しかける理由には事欠かない。
私は鹿目家の門前へと駆け寄った。……いた、いた。ほむほむは暗い窓を見つめ、そして踵を返す。目が合い、私は会釈をする。もっとも、既に私の顔はへらへらと締りの無いものになっているのだろうけど。
違和感再び。それが何だか分からずに、私はへらっと笑って佇んだまま。
ほむほむは平然とこちらへ歩いて来た。塀を越えて、外へ出て来る。すぐ横に門があるのに、どうしてわざわざ塀を越えるのやら。
地面に降り立ったほむほむは髪を払い、私に背を向ける。無視すんなよーぅ。
「人ん家入って、何やってたの〜?」
あんまり責める口調にならないように、笑って、ちょっとおどけるような感じで私は問う。
ほむほむは振り返った。初めて反応してくれたのだけど、何だその驚いたような顔。
「……あなたには関係の無いことよ」
冷たく淡々とした口調。クールほむおいしいです。
「まどかがキュゥべえと契約しないように監視?」
「……!」
ほむほむの表情が強張る。クールな子が動揺する姿っていいよねぇ……。
でも別に、私は不審に思われたい訳じゃない。むしろ、逆。仲良くなりたいんだ。だから、敵意は無いんですよって笑いかける。
「大丈夫、大丈夫。私、別に邪魔する気は無いから。むしろ、私にも手伝える事があれば手伝いたいぐらいだもの」
「……信用に値すると思う?」
……うぅ。もっともです。
だよなあ。流石に、直ぐ本題入るのは急ぎすぎた。もっとゆっくり、仲良くなってじゃないと駄目だったか。
ほむほむに出会えて、興奮しちゃったんです。テンション上がっちゃったんです。調子乗り過ぎました。
ほむほむは動かない。じっと、私を見つめたまま。
見……てる? 表紙絵じゃない、目の前のほむほむちゃんが僕を見てる? 目の前のほむほむちゃんが――なんて、もう例のコピペよろしく舞い上がっちゃってますねー! 私!
「ま……まどかだったら、友達の所じゃないかな……?」
「家にいないなら美樹さやかと一緒だろうって事ぐらいは、検討が付いているわ」
「あ、そう……」
まあ、そうですよね。……これは、何も力になれそうに無い。
「来る?」
「へっ?」
い、今何と仰いました?
私の耳がおかしくなったのかな。都合良く聞き取れる耳、幸せ者ですねー。
「一緒に来るかって聞いたのよ。ただしもちろん、邪魔をしない事を条件にね」
「い……行く! 行きます! 行かせてください!」
うわーあ! やった!
信じられない。ほむほむに誘ってもらえるなんて!
「で、でも、なんで……それじゃ、信じ――」
「あなたを信じる訳じゃないわ」
あう。
「目を離して厄介な事をされても困るから――ただ、それだけよ」
ん、んんー?
確かに私、ほむほむの目的を何故か知っている不審人物だろうけどさ。一人で何かやらかすような能力は無いぞー? そんなに私、怪しかったかな。
ほむほむは再び背を向けた。私は慌ててその後に続く。
ほむほむの隣……! ほむほむと歩いてる……! さっきからもう、感動し通しだ。
ちょっと帰りが遅くなっても、いいよね? 今夜は、杏子も遅いみたいだし。ほむほむが魔女倒したり何なりするなら、私は一晩中付き合うつもりだ。朝帰りになったって構わない。
「……ついて来られるのね」
「へ?」
私は目をパチクリさせる。
綺麗な横顔だなあ。
「――あっ」
私は唐突に声を上げた。自己紹介がまだだという事に気が付いたのだ。
どさくさに紛れて手を握っちゃったりなんかもして。きゃーっ。
今、二周目で転入したときのほむほむの気持ちがすごくわかる。まどかに真っ直ぐに駆け寄った、あの気持ち。
「私、上月加奈って言うんだ。よろしくね、ほむらさん!」
ほむほむはやはり驚いた顔で、目を瞬いていた。
2011/05/02