「かりんさん! 行ったよ!」
「オーケー、任せて!」
 大きく振り下ろされた鎌が、使い魔達を薙ぎ払う。もう一度、今度は横に振るって、遠心力に引かれるままに半回転。そのまま素早く下がったかりんの背中に、長いポニーテールの先が触れた。
 互いに背中を預け、目の前の敵に集中する。
「かりんさん、そろそろ?」
「うん、そうだね。よろしく」
 かりんの返答に、彼女はニッと笑った。小さな八重歯が覗く。
「ロッソ・ファンタズマ!」
 使い魔の群集の中に、赤い服の魔法少女が複数出現する。混乱し、本物のかりん達への攻撃が途切れた。その隙を突いて、かりんは彼女の腕を掴んだ。瞬間移動で、使い魔の群れを抜ける。そこには、後方支援のマミがいた。
「良かった、二人とも無事だったのね!」
「今日はやけに使い魔の数が多いもんね。杏子ちゃんもいなかったら、どうなってた事か」
「へへ……。マミさん、使い魔は一箇所に集めたよ」
 マミは頷く。黄色い光が彼女の腕の中に集まり、大砲のように大きな銃大きなを作り出した。
 銃の照準が、使い魔の群集を捕らえる。
「ティロ・フィナーレ!」
 使い魔は散らされ胡散霧散し、結界は消え去った。
 辺りをきょろきょろと見回し、杏子は軽く口を尖らせる。
「グリーフシード、落とさなかったね。最近、はずれが多いなあ……」
「当たりもはずれもないわ。魔女も使い魔も人を襲う事には変わりないんだから」
「わ、解ってるよ! 父さんも頑張ってるんだ。こっちは、あたし達が頑張らないとな」
 杏子は小さな八重歯を覗かせて微笑う。
 彼女がかりん達と一緒に見滝原で戦うようになってから、一週間。願いによって生み出された幻惑の魔法に、マミの提案による結界も加わり、彼女は着実に力をつけていた。
 魔女を探し繁華街を歩く中、ふとマミの視線が一所に留まった。視線の先にあったのは、くまの人形が敷き詰められたUFOキャッチャー。
「わあ……可愛い人形だね」
「あ、ごめんなさい。ちょっといいなって思っちゃって。行きましょう。どうせ取れる気しないし……」
「あたし、取ってやろうか?」
 言うなり、杏子がゲームセンターへと駆けて行った。マミとかりんは顔を見合わせ、慌てて後を追う。
 店頭に置かれた筐体に小銭を入れると、杏子はあっさりとくまの人形を二個同時に獲得した。
「はい、どーぞ!」
「まあ……! 待って、お金……」
「いいよ。いつもマミさんにはお世話になってるんだし」
「ありがとう」
 マミは嬉しそうな笑顔で、杏子から貰ったくまの人形を抱きしめていた。
 じんわりと、かりんの胸中にわだかまりのようなものが生じる。
「かりんさんも、良かったらどうぞ」
 同時に取れた人形を、杏子はかりんへと差し出していた。
 かりんはくまの人形を見下ろす。マミとお揃いの人形。しかし、杏子の獲ったもの。
「……ううん、私はいいよ。ありがとう。気持ちだけで嬉しいな」
 醜い感情を押し殺して、かりんは微笑んだ。
「妹さんにあげたら? モモちゃん、最近あまり遊んでやれてないんでしょ?」
「あ……うん!」
 杏子ははにかむように笑う。かりんが抱く、どす黒い感情なんて気付かずに。
 かりんが風見野の教会を訪れたのは、それから数日後の事だった。
「まだ早いんじゃないかな。もっと感情を高ぶらせてからの方が、もっと良い魔女になれるはずだよ」
「キュゥべえは黙ってて。それでタイミングを逃してしまう可能性だってあるでしょう。それに、これ以上マミちゃんと親しくなっちゃったらいなくなった時に勘付かれる」
「それはもう、手遅れだと思うけどね。君はただ、彼女を一刻も早くマミの傍から排除したいだけじゃないのかい?」
「黙れ!!」
 グサリと、白い身体に銀の刃が刺さった。
 何処からともなく直ぐに現れる、もう一体の白い姿。それは、ぐちゃりと潰れた他方の身体を腹に収めていく。
「やれやれ。君達の感情と言うものは、本当に不便極まりない代物だね」
 かりんは構わず、教会へと足を踏み入れた。
 そして、キュゥべえが忠告していた通り、かりんは失敗したのだ。





「……かりんさん……かりんさんってば!」
 ハッとかりんは我に返った。
 辺りはゲームセンターでも教会でもなく、きれいに整頓された室内。本日の魔女退治を終え、マミの家でお茶会にしているところだ。新たに魔法少女となった後輩が、かりんの顔を心配げに覗き込んでいた。
「大丈夫ですか? 心ここにあらずって感じでしたけど……」
「平気、平気。ごめんね、ちょっとぼんやりしちゃって」
「本当に大丈夫? もしかして、この間の傷がまだ痛むんじゃ……」
「傷? かりんさん、怪我したんですか?」
「そっか……さやかちゃんはいなかったんだっけ」
 かりんはマミと目配せする。マミは頷いた。
「美樹さんにも仕掛けて来る可能性はあるわ……警戒のためにも、話しておいた方がいいかもしれない」
「……そうだね」
 かりんは頷くと、先日のほむらの銃撃事件について一部始終を話した。呼び出しに応じたら、突然撃たれた事。まどかが駆けつけたおかげで、助かった事。マミの魔法で、もう傷は完治している事。
 話を聞き終えたさやかは、案の定激怒していた。
「あの転校生! 絶対に許さない! コスプレで通り魔で、キュゥべえの次はかりんさん!? 完っ全っに殺人未遂じゃないか!!」
「私のために怒ってくれるのは嬉しいんだけど……一人で彼女に挑んだりは、絶対にしないでね」
 さやかはぎくりと肩を震わせる。
「彼女の力は未知数だわ。キュゥべえも、彼女の事はよく分からないみたいなの」
「でも……だからって、マミさんとかりんさんはこのままでいいんですか!? 銃で撃たれて、泣き寝入りなんて!」
「もちろん、このまま野放しにしておく訳にはいかないわ。もしかしたら彼女も、佐倉さんと同じように次はあなたを狙うかも知れないし……」
 一瞬、さやかの表情が強張った。しかし直ぐに、強気な表情になる。
「望むところですよ! 返り討ちにして、かりんさんの仇を取ってやります!」
「彼女の能力が分からない事には、それも無理だって事。本当に私と同じ移動の魔法かどうかも分からないしね……」
「どう言う事?」
「うーん……上手く言葉に出来ないんだけど……なんか、違和感を感じたんだよね。
 移動する時って、こう、行くぞって動きがあるんだ。走り出す時に、グッと地面を踏んで蹴るような感じ。それが彼女の場合、無かったんだよね……。
 どちらかと言うと、マミちゃんの魔法に近いかも。動こうとするんじゃなくて、何か大きな力を発動させようとするような……」
 マミとさやかは顔を見合わせる。
「それじゃ……転校生は、瞬間移動じゃなく別の魔法であの場から消えたって事ですか?」
「あくまでも、私の予想だけどね」
 マミがハッと目を見開いた。それから顎に手を当て、考え込む。
「どうしたの? マミちゃん」
「あ……ちょっと、思ったの。同じような現象なら、佐倉さんにも可能だなって……」
「杏子ちゃん? 彼女、移動や消失系統の魔法なんて……」
「元々、その場にいなかったとしたら?」
「あっ」とかりんは声を上げる。さやかは話が分からず、首を捻っていた。
「あの暁美ほむらが、幻覚だった場合、ね。でも彼女、幻覚の魔法は――」
「ええ。佐倉さんじゃないわ。私達との会話内容からしても、あれは暁美さんの方よ。もっとも、魔法の解除じゃなく魔法の発動を感じたと言うなら、幻覚って訳でもないかもしれない。でも、瞬間移動以外の魔法でも同じ事が可能だって例にはなるわ」
 暁美ほむら。彼女と契約したはずのキュゥべえでさえ、彼女の能力は知らない。そして彼女の方は、キュゥべえやかりんの思惑を知っていた。彼女は一体、どうやって魔法少女になったのだろうか。一体、どこでキュゥべえやかりんの目的を知ったのだろうか。
「教室での様子はどう? 彼女、やけに鹿目さんを気にしていたでしょう」
「今の所、学校で何か仕掛けて来るつもりはなさそうです。――ああ、そうか。それでだったんだ。まどか、転校生にガンつけられたりして怯えながらも、何かとかばっていたんですよね。それが最近だと、何も言わなくなって。前以上に怯えてる様子でしたし……」
 マミは、神妙な面持ちで相槌を打つ。
「くれぐれも気をつけて。何かあったら、直ぐに私達を呼ぶのよ」

 やがてお茶会はお開きとなり、寄りたい所があると言うさやかとも別れてかりんは一人、帰路に着いた。とは言え真っ直ぐに帰る気も起きず、街中をふらふらとうろつく。
 遅い帰宅を心配する家族など、かりんにはいやしない。交通事故でかりんを見捨て、逃げ出した両親と幼い妹。彼らは重なる車の中を脱する最中、爆発に巻き込まれて亡くなっていた。
 マミはその事を知らない。マミに命を救われたかりんは、家族と共に幸せに暮らしている。そう、マミは思っている事だろう。それが彼女の誇りや自信に繋がっている事を、かりんは知っている。ならば、敢えて事実を告げる必要もあるまい。
 気がつくとかりんは、見滝原総合病院の前まで来ていた。危うくマミが死んでしまうところだった、あの戦いの場。今はもう魔女の気配など微塵も無く、ひっそりとしている。大きな病院だけあって受付時間も長いらしく、ロビーには煌々と灯りが点りまだ人が出入りしていた。
 ――あれ?
 かりんは足を止める。病院の方から、見知った人影がこちらに向かって来ていた。俯き加減に歩いていた彼女は、ふと顔を上げかりんに目を留めた。
「こんばんは、志筑さん」
「由井さん」
「どうしたの? あ、もしかしてこの前の件の検査?」
「いえ、検査は機能で終わりましたわ……。今日はちょっと、ある人のお見舞いに……」
 そう話す仁美は、どこか浮かない表情だった。
「お見舞いに、と思ったのですが……その方は、退院していたみたいで……」
「それってもしかして、『上条くん』?」
 仁美はハッとかりんを見つめ返す。かりんの予想が当たっている事は、明らかだった。
「志筑さんも彼と親しいのね。そっか、退院してたんだ……それでさやかちゃん、今日は直ぐに病院を引き上げて来たのね。彼も、心配してくれる人達にぐらい一報入れればいいのに」
「仕方ありませんわ。さやかさんも知らされていなかったなら、それだけ急な退院だったのでしょうし……。ただのクラスメイトでしかない、結局一度もお見舞いにも行っていない私が、知らされるわけが……」
「え?」
「そう言えば、由井さんって最近さやかさんとお親しいですわよね。部活や委員会と言う訳でもなさそうですけど……」
「あ、えっと、それは――」
 はぐらかすように切り出された質問に、かりんは戸惑う。まさか、魔法少女の話をする訳にはいくまい。
 その時突如頭の中に響いたのは、キュゥべえの切羽詰った声だった。
『かりん! マミ! 聞こえるかい!?』
『聞こえるよ。どうしたの、キュゥべえ?』
『さやかの所に佐倉杏子が来たんだ! 二人は陸橋の方に向かってる。マミは声が届かないところにいるみたいだ。一緒に来てくれ! 僕は、まどかと一緒に先に向かってる』
『了解』
 小さく頷き、かりんは目の前の仁美に笑いかけた。
「ごめん、志筑さん。私、ちょっと急用が……。またね」
 言うなり踵を返し、かりんは駆け出した。

 マミと合流し向かった陸橋の上には、四つの人影があった。
「暁美さん……!? 佐倉さん、彼女と手を組んだって言うの……?」
「杏子ちゃんは、変わっちゃったんだよ。――急ごう!」
 駆けながら、マミとかりんはソウルジェムを取り出し変身する。
 杏子とほむらは揉めているようだった。ほむらは、魔法少女同士の争いを好まない様子だった。その目的は定かではないが、杏子を止めているのかも知れない。
 かと思えば、ほむらの方が前へと進み出た。さやかが変身しようとソウルジェムをかざす。
「待ちなさい!!」
 マミとかりんは階段を駆け上がる。
 上りきったそこでは、さやかがぐったりとまどかに倒れ掛かっていた。
「美樹さん! 大丈夫!?」
 階段を上るほんの数秒の間に、何があったと言うのか。ほむらの姿も、辺りに見えない。
 さやかは目を開いたまま、身動き一つしない。――まさか。
 杏子が乱暴に、さやかの首を掴む。
「やめて! 乱暴にしないで!」
「佐倉さん、放しなさい!」
 杏子はさやかの首を絞める訳でもなく、ただ驚愕に目を見開いた。
「どう言う事だオイ……こいつ、死んでるじゃねえか……!」
 かりんは両手で顔を覆った。魔法少女に、死と言う概念は無い。あるとすれば、それは――ソウルジェムが砕けた時。
 地面に横たわるさやかを、まどかは強く揺すっていた。
「さやかちゃん……! ねえ、嘘でしょ……さやかちゃんってば!」
「まどか、そっちはさやかじゃないよ。さやかなら、さっき君が投げ捨てちゃったじゃないか」
「何言ってるのよ、キュゥべえ! さやかちゃんを元に戻して!」
「一体、何があったって言うの……!? 美樹さん、どうしてこんな……っ」
 どうやら、まどかが喧嘩を止めようとしてさやかのソウルジェムを道路へと投げ捨てたらしい。こうなっては、致し方ない。魔法少女の本体がソウルジェムである事実を、キュゥべえは告げざるを得なかった。
「そんな……私達はもう死んでいて、この身体は戦うための道具に過ぎないって言うの……!?」
「おい、キュゥべえ!! そんなの聞いてねーぞ!」
「知らなれば、何も問題無いからね。現に今まで、何も不自由は無かっただろう? 流石に今回みたいにソウルジェムと身体が離れたりしたら、手の打ちようがないけれど」
「酷いよ……こんなの、あんまりだよ」
 まどかがさやかの隣に崩れ落ちる。キュゥべえは首を捻っていた。
「うーん……どうして君達は、魂なんて目に見えないもののありかにこだわるんだい? わけが分からないよ」
 マミは愕然としていた。さやかに縋る事も、キュゥべえを責め立てる事も出来ずに、ただ驚愕に見開かれた瞳でキュゥべえを見つめている。
 マミの前で、さやかを死なせる訳にはいかない。
「まどかちゃん、杏子ちゃん、遠くに行ったって事は……ソウルジェムは、砕けた訳ではないんだよね? 何処へ行ったか……どちらの方へ行ったか、分かる?」
「かりんさん……?」
「かりん、あなたまさか……」
 かりんはこくりと頷く。
「諦めるのはまだ早いよ。この道、しばらくは直線だし、今ならまだ間に合うかも知れない」
「無理だ」
 毅然と言い放ったかりんに、杏子が言った。
「あたし達、落とした時点でこうなるなんて思いもしなかったし、さやかに気を取られて車の方なんて見てない……。まどか……だっけ、あんたは分かるか?」
「あ……」
 一瞬希望の色を見せたまどかの表情はみるみると曇り、俯いてしまう。
 不意に、暁美ほむらがさやかの傍らに姿を現した。その手に握られているのは、青いソウルジェム。それを彼女の手の平に乗せると、髪を払いふうっと小さく息を吐く。
 ハッと呼吸音を立て、さやかが息を吹き返した。
「さやかちゃん!!」
「美樹さん!」
 まどかがさやかに抱きつく。さやかはきょとんとしていた。
「何……何なの?」
 皆、一様に押し黙る。さやかが無事だったのは良かったが、手放しに喜べる状況でもなかった。
「さやかちゃん、あなた……まどかちゃんにソウルジェムを投げられた後、ずっと意識も無く倒れてたんだよ」
「え……どうして……」
「それは……」
 かりんはちらりと、キュゥべえを見る。キュゥべえはマミ達にした説明を再度、さやかのために繰り返した。
「そんな……嘘でしょ……嘘だよね……!? だって、それじゃ……あたし達、ゾンビみたいなもんじゃない!!」
「そういう考え方もあるね。でもソウルジェムがある限り、君達の身体は腐ったりしない。健康体のままだ。頑丈である他は、他の人間と何ら変わりないよ」
 まるで悪びれる様子もなく、キュゥべえは事実を淡々と告げる。かりんが真実を知らされたあの夜と、同じように。
 ソウルジェムの状態が限界に追い詰められてマミにテリトリー争いを仕掛けに訪れ、かりんの目の前で魔女へと化した名前も知らぬ魔法少女。その時にかりんは、ソウルジェムの真実をキュゥべえから聞かされた。……かりんも初めは、彼女達と同じような反応だったと思う。
 さやかはショックに打ちひしがれ、駆け去ってしまった。喧嘩を続ける気など残っているはずもなく、杏子も、そしてほむらも帰って行く。
 まどかは大きな瞳いっぱいに涙を溜めていた。
「さやかちゃん……マミさんも、かりんさんも、皆……私、どうすればいいの……?」
 マミはただ、無言で俯く。
 かりんは沈んだ声を出して、言った。
「……どうする事も出来ないよ。奇跡でも願わない限り、魔法少女が元の生活に戻るなんて出来ない。私達が選んだのはそういう道。……さやかちゃんも、ね」
 どんなに嘆こうと、泣こうと、キュゥべえを責めようと、事実が覆される事はなかった。だから、かりんは決めたのだ。
 マミだけは、何があってもどんな手を使っても、そんな末路は辿らせまいと。


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2012/10/13