全てを片付け、僕は学校へと帰ってきた。途中で見つかるなんてヘマはしない。
……嗚呼。
まさか、そんな事。
僕を襲う、この感情。
絶望。
No.5
孤児院に来たのは女性一人だと聞いたから、父さんは死んだのかと思っていた。母さんだって、きちんとした生活をしていなさそうだったらしいから。だから、そんな状況でマグルである父さんが生き残れる筈が無い、と。母さんは自分は死ぬつもりでも、せめて僕を産もうとしたのだと。
まさか、父さんは母さんを捨てていただなんて。その後も、父さんだけ、のうのうと幸せな暮らしを続けていただなんて。
そして――何て皮肉だ、僕はその父さんに瓜二つ。
父さんと同じ名前。こんな名前、嫌だ。母さんを捨てた奴と同じなんて。
母方の血縁さえ、まともな奴じゃなかった。
何だよ、あいつは。
モーフィンと言ったか。父さんは死んだと思っていたから、唯一の血縁だと思って行った。
そして、歓迎されなかった。
嫌悪と失望。
それが、僕が奴に感じたもの。
そして、襲ってくるは絶望。
僕は独りだ。血縁に出会えば、何かが変わるなんて事は無かった。
寧ろ――とうとう、僕はこの手で人の命を奪った。もう、後戻り出来ない。
「高貴」
合言葉を言い、寮へと入る。
談話室には、一人の女子生徒が残っていた。
なんて事だ。こんな時でも演技をしなくてはいけないのか。
「遅いのね。監督生がこんな時間に何処へ行っていたのかしら?」
聞こえてきた声。それは、演技をする必要の無い相手だった。
ルイスは、くすぶっている暖炉の傍の椅子を立ち上がった。
「また、何か悪巧みでもしているのかしら? 今度は何をするつもり?」
何で、こいつが。
演技をする必要が無いのは良かったが、こいつと会話をするのは同じぐらいに鬱陶しい。
「君こそ、一体こんな時間まで談話室で何をしているんだい? 事によっては、監督生として報告しないとね」
「別に、報告の必要は無いわよ。ただ、ここで物思いに耽ってただけだから」
「本当に、君は変な奴だな」
突然「ありがとう」とか叫んでみたり、こんな時間に、こんな所で物思いに耽ったり。あまり普通の子がする事じゃない。
「そうね。でも、貴方に言われるほどじゃないと思うわよ。仮面を被って人を殺す十六歳の少年なんて、なかなかいないと思うわ」
「人殺しを殺して、何が悪い!!」
顔は見えないが、ルイスが目を丸くしているであろう事は容易に分かる。ルイスは、今夜の事は知らないのだから。
「母さんは、奴の所為で死んだんだ! その仇をとって、一体何が悪いんだ!?
如何して人を殺しちゃいけない! マグルの間では、国を挙げて人間同士の殺し合いをしているじゃないか!!」
「リドル、貴方まさか――また、殺したの?」
一歩、一歩とルイスは僕に歩み寄る。
普通、こんな事を知ったら、退かないか? 本当に、変な奴だ。
「ああ、殺したとも!! 仇をとってやった! 母さんが死んだのは、奴の所為だからな! その所為で、僕は孤児院で暮らす事になったんだ! 汚らわしいマグルの間で! 独りで!!」
大きな音と共に、頬に衝撃を受けた。ルイスに平手打ちをされたのだと気づくのに、数秒かかった。
「貴様……っ、この僕に!!」
「本当に貴方は馬鹿だわ!! 貴方、それを後悔してるんじゃない。
如何して殺しちゃいけないって? 貴方、そうやって理由を探したがっているんじゃない。自分がしてしまった事が悪いとわかっているから、正当化したいのでしょう?」
「……っ」
「如何して人を殺しちゃいけないかなんて、貴方なら分かっているでしょう?
その人は死にたくないからよ。その人の死を悲しむ人がいるからよ。その人の死によって、辛い人生を送る事になる人がいるからよ。……貴方みたいに」
ルイスが僕を名前で呼ばず、「貴方」と言うのは偶然だろう。偶然だと分かっていても。
「人は皆、独りなのよ……自分自身を最も分かる事が出来るのは、自分自身だけなのよ……私だって、独りだわ。
ずっと聞きたかったの。去年、一度に六人を襲った時、医務室で貴方何処から聞いたの?」
「……君が『捨てられた』という言葉に怒鳴った所から」
「全部ね。
そうなのよ――私は、捨てられたわ。私、今まで、それを認めまいとしてた。家族に、何かあったんだって。
でもね。そんな筈無いの。戦争が始まったはその後だし、家に皆の荷物は無かったわ。その上、私一人で生活できるよう、グリンゴッツに私の口座まで作られてた」
如何してだろう。
大嫌いな奴なのに。相手は「穢れた血」なのに。
僕は、彼女と今ここに一緒にいる事に、今までのような不快感を感じない。
「人を殺してはいけないわ。貴方は殺しをして、何を得られたの? 絶望感……でしょう?」
「お前に何が分かる」
「そうね……私には、貴方の本心は分からない。だって私は、貴方じゃないもの。
言ったでしょう? 自分自身を最も分かる事が出来るのは、自分自身だけだって。他人には分からないから、言葉があるの。だから貴方みたいに仮面なんてかぶったら、分かる人なんている筈がないんだわ」
聞こえるのは、暖炉のくすぶる音だけ。
「それでも、相手の気持ちを考える事は出来ると思うの。表情もね、言葉と同じくらい、その人を知る鍵になるわ。貴方の表情からして、後に残ったのは絶望感だけ……違う?」
僕は答えなかった。
如何してこんな奴に諭されなきゃいけない。「穢れた血」なんかに。
でも……彼女みたいな奴は初めてだ。自分は他人を分かる事が出来ないと、断言する。それは当然の事だ。でも誰もが、それを認めまいとする。僕に告白してくる奴ら。彼女達は、自分なら僕を分かる事が出来ると言う。僕の本性さえ知らずに。
彼女は僕の本性を知っている。知った上で、僕の気持ちを考えると言う。「優しさ」なんて物とは無縁だろうと思っていたこいつが。
「ごめんね。こんなに長く話しちゃって。『穢れた血』との長話なんて、嫌よね。おやすみ」
何なんだ。
何なんだ、こいつは。
今までのルイスと同じとはとても思えない。彼女はこんな子だったか?
呆然としている内に、ルイスは女子寮の階段を上っていく。
僕は、慌てて言った。
「ありがとう!」
生まれて初めて、心から言ったかもしれない。
ルイスはちょっと、足を止めた。ふわりと彼女が笑った気がした。暗くなければ、この距離でも見えたのに。
ルイスが女子寮へ引っ込んで、気がついた。
僕は、あの時の、ルイスと全く同じ事をしたんじゃないか。突然、「ありがとう」と叫ぶなんて。
でも。
言わずにはいれなかったんだ。初めて、彼女の優しさに触れて。
彼女も、同じような気持ちだったのだろうか。あの時の僕は、優しさじゃなく、優等生を演じ続ける為に、ルイスを看ていたのに。
――そうか。
違う。違うんだ。
彼女が言った「ありがとう」。あの言葉は、僕が横にいた事についてか。ルイスはうなされていた。きっと、家族に捨てられたという時の夢でも見ていたのだろう。
ルイスが、自分の利益の為に僕があの場にいた事に礼を言う筈が無い。自分の利益だけだと分かっている筈だから。
でも。
うなされているルイスが気になって、傍に行った。それは、自分の利益の為じゃない。ルイスは、その事に礼を言ったんだ。
ルイスは、今夜、誰を殺したのかは聞かなかった。
ただ、言葉は少しきついけど、優しく諭してくれて。
なんて強く、優しい子なのだろう。
如何して彼女がスリザリンなんだ?
改めて、疑問に思う。
僕がリドル一家を殺した記事は、翌朝の「日刊予言者新聞」に小さく載っていた。
犯人は僕の目論見どおり、モーフィンという事になった。これで、僕は完全に独りになった訳だ。
自嘲する僕に、図々しくも横に座ってきた女子生徒が聞いてくる。
「おはよう。ねぇ、リドル。見た? 一面!」
「え?」
一面は見ていなかった。
一体、何の記事があるっていうんだ?
『グリンデルバルドとマグル界との関連』
見出しは、そうあった。
マグル界の戦争は、グリンデルバルドが関与していたという内容だ。彼女が言っているのはこの事だろう。
だが、僕はその記事の中に含まれる名前に気を引かれた。グリンデルバルドと、イギリスのマグル界での上の者達を繋いでいる人物の姓。
ルイス。
まさか!
まさか……!?
載っているのは姓と年齢だけ。年齢からして、ルイスの親でもおかしくない。その上、マグルだという。繋がりを持った原因は、ダイアゴン横丁へ行った時。マグルがダイアゴンへ行くなんて、子供が魔法使いだからでしかないだろう。
全てが、共通する。
テーブルを見回せば、ちょうど、端に座っているルイスがふくろうから新聞を受け取り、お金を払った所だった。ふくろうはお金を受け取り、飛び去っていく。ルイスは細長く折りたたまれた新聞を広げようとする。
「ルイス! 見るな!!」
周りにいた人達が、驚いて僕を振り返った。
でも、そんな事に構っている場合じゃない。
「何、命令してる訳?」
ルイスは怪訝そうに言うと、僕の静止も構わず読み出した。
「やめろ!」
席を立ち、ルイスの方へと走る。でも、ルイスの読むスピードには間に合わなかった。
僕が辿り着く前に、ルイスは新聞を取り落とした。目は驚愕に見開かれている。
「ルイス……」
そっと、ルイスの肩に手を乗せる。
ルイスはびくりと震え、僕を見上げると、駆け出し、大広間を出て行った。
僕は後を追う。呆然とする生徒達を押しのける。
ルイスを見失ってしまう。今彼女を見失ったら、彼女が消えてしまう気がする。
人気の無い廊下まで来て、ようやくルイスを捕まえた。
「ルイス!」
「……」
僕が、驚きで目を見開く番だった。
ルイスは、泣いていた。
「……ルイス……?」
「放っといてよ……! 私は、独りでいいの!! こんなの、直ぐに終わるんだから……っ」
あぁ、そうか。
彼女は、強い訳じゃない。己の闇を隠せない愚か者だった訳じゃない。
それは、仮面だったんだ。
彼女は、闇の仮面をかぶる事で、自分の弱さを隠そうとしていたんだ。僕が、光の仮面によって闇を隠すのと同じように。
本当は、弱く、優しい女の子なんだ。
「放して! 私は――っ」
ルイスの様子が急変した。
僕が掴んだ手を残し、がくりとその場に崩れ落ちる。
「ルイス!?」
「発作……だわ……大丈夫……こん、なの……も、少し、我慢すれば……ほん、と……お父、様には……失望した、わ……」
「マーガレット……」
僕はそう声をかけて、彼女を抱きしめた。
親と同じ名前。それは、姓だって一緒だから。
2006/12/20