昼休みの購買。弥生は商品棚を見渡し、僅かに首を傾げた。
「……今日、新商品入るって聞いたんだけど」
「ああ、それねぇ。届くの、今日の午後なのよ。お昼に食べたいなら、明日からね」
購買のおばさんは、答えながら次々とパンやカップ麺を売りさばいていく。
弥生はカツサンドを手に取り、小銭を支払った。
「ん? ソーメンパンは売り切れたのか?」
ひょい、と弥生の横から銀髪の男子生徒が覗き込む。同時に漂う、煙草の臭い。
弥生は振り返りもせずに言った。
「入るの、今日の午後だって」
「げっ、雲雀妹!」
獄寺は顔をしかめる。
購買のおばさんは苦笑を彼に向けた。
「ごめんねぇ。時間までは判ってなかったもんだから。多分、放課後には入ってると思うわよ」
「放課後……」
弥生と獄寺の呟きが重なった。
二人はキッと互いを見る。
――こいつも、初日狙いなのか。
No.5
弥生は苛々と時計に目を走らせる。今日に限って、ホームルームが長い。教室の外からは喧騒が聞こえ始め、それは徐々に大きくなっていく。他のクラスが、次々と掃除に取り掛かっているのだ。
幸い、弥生は今週掃除当番ではない。しかし、ホームルーム自体が終わらないのでは購買へ行けない。
散々長い話をして、更に担任は先日のテストを返すと言い出した。教室の端々から呻き声が上がる。
弥生は決して、テストの結果に悲嘆するような必要は無い。それでも、ホームルームが延びているこの状況ではあまり歓迎とは言えなかった。
順々に名前が呼ばれ、生徒達はテストを取りに行く。落ち込む者、安堵する者、友達と見せ合う者。
「雲雀」
名前を呼ばれ、弥生も席を立つ。担任は機嫌の良い表情だった。
「よく頑張ったな」
弥生は無言で受け取る。九十七点。まずまずといったところだ。
席に戻ると、綱吉と目が合った。
綱吉はぎょっと身を竦ませ、しどろもどろに言った。
「す、すごいね、弥生ちゃん。頭いいんだ」
「別に。普通」
短く言って、席に着く。
「いいなあ。俺なんて、全然ダメダメだよ……。まあ、いつもの事なんだけどさ」
「そうやって、勉強する前から諦めてるからじゃない」
弥生は不快気に綱吉を横目で見る。
綱吉は言葉に詰まる。身を竦ませているようにも見えた。
「おい、暴力女。十代目にケチつけるなら俺が相手になるぞ」
割って入って来たのは獄寺だった。弥生が綱吉と会話していれば、いつも何処からとも無く現れる。
弥生は冷たい視線を彼に向ける。
「まあ、無理も無いか。馬鹿同士で群れて、いつも騒ぎ起こしてるようじゃ」
「何だと!? 俺はともかく、十代目の悪口は許さねぇ! そう言うからには、てめーはそれなりに出来るんだろうな?」
「少なくとも、授業をまともに聞いてない君よりはマシだと思うよ」
獄寺と弥生は睨み合う。綱吉は間でおろおろするばかりだ。
「百歩譲って同点はあっても、てめーが俺より上なんて有り得ねえ」
「へぇ。随分な自信だね。何なら、点数見せ合ってもいいけど」
「てめーのテストなんか見るまでもねぇよ」
「拒むんだ?」
弥生は挑発的に微笑う。
プツンと獄寺の頭の中で何かが切れる音がした。
「上等だ! そんなに言うなら、見せてハッキリさせてやるぜ」
「せーの」の掛け声で弥生と獄寺は自分のテスト用紙を相手に見せる。
弥生の表情が強張った。
「凄いや。獄寺君、また百点なんだ」
「これくらい、ちょろいっすよ!」
綱吉に褒められ、獄寺は満更でも無さそうに頭を掻く。「また」と言う事は、満点は毎度の事らしい。確かに、同点はあっても上は有り得ない。
弥生はムスッと黙り込み、テストを鞄の中にしまう。
獄寺は得意気に弥生を見下ろした。
「これに懲りたら、そのムカつく態度を改めるんだな」
「は? 調子に乗らないでよ。君達が弱い群れには変わりない。ムカつく奴らの群れは、叩き潰す」
弥生はふらあっと立ち上がる。
獄寺はダイナマイトを両手に、構える。
「やっぱりてめーとは、これで決着をつけるしかないみてえだな……」
「そうだね。叩き潰してあげるよ」
「ごっ、獄寺君! 弥生ちゃん!」
弥生は鉄パイプを振りかぶる。しかし、それ以上振る事は出来なかった。
弥生は鉄パイプを掴む彼を睨みつける。
「邪魔しないでくれる、山本」
「まあまあ、落ち着けって。もうテスト配るの終わったぜ」
「獄寺君も、ダイナマイトはしまって……」
綱吉に言われ、獄寺はしぶしぶと引き下がる。
弥生も鉄パイプを下ろした。不本意だが、自分達のせいでホームルームが延びてはならない。
弥生も引き下がったのを見て、山本は席へと戻って行った。テストを受け取った帰りだったらしい。彼の片手には、返されたテスト用紙があった。
弥生は、席へと戻る獄寺の背中を睨む。
――ムカつく奴。
ホームルームが終わるなり、弥生は教室を飛び出した。一直線に購買へ。
購買は既に人が疎らになっていた。一人が買って行けば、もうそこに生徒の姿は無い。放課後の購買なんてそんなものだ。夕方まで部活のある生徒が、時折飲み物を買っていくのみ。今日は新商品入荷とあって、初日に買おうとする生徒達も押し寄せただろうが、もうその波は無い。
商品棚には、新商品の札。その前に置かれたパンは三つ。
弥生は握っていた小銭を余白の出来た棚の上に置く。おつり無し、ぴったりの金額だ。
「ソーメンパン二つ」
弥生の発した声は、二重奏になった。
弥生はキッと隣を見る。
「また、君なの」
「それはこっちの台詞だ、暴力女」
残っているソーメンパンは三つ。
弥生と獄寺は、素早く両手にパンを掴む。真ん中にある一つのパンの両端を、二人の手が潰れない程度の力で強く掴んでいた。
「放してよ。一つ買えれば十分でしょ。お金も支払った。これは私のだよ」
「俺も払い終わってんだよ。てめーが放せ。てめーこそ、そっちのだけで十分だろうが」
「これはお兄ちゃんの分だよ」
「俺だって、十代目の分だ」
二人の間に火花が散る。どちらも譲る気は無い。
「また沢田? 十代目十代目って、君は沢田の犬か何か?」
「てめーこそ、また雲雀かよ。ブラコン女め」
早くも膠着状態だ。手を放せば、パンを取られる。下手に引っ張っても、パンが潰れてしまう。
弥生も獄寺も、正直なところ雲雀又は綱吉に献上出来れば自分の分は無くても構わなかった。ホームルームの終了が遅かったのだ。仕方が無い。それでも二人とも、同じ事を思っていた。
――こいつに譲るのだけは、気に食わない。
ふっと弥生がもう一方のパンを後方に投げた。一瞬、獄寺の気がそれる。その隙を突くように、鉄パイプが薙ぐ。獄寺は飛び退く。弥生は獄寺の手から離れたパンを手に、踵を返す。自らが投げたパンもキャッチし、応接室へと駆け出した。
「あっ! コラ待ちやがれ!!」
獄寺は慌てて後を追う。
弥生は廊下を駆ける。後から、獄寺が怒鳴り散らしながら駆けて来る。追いつかれる気配は無い。――行ける。
弥生は窓から外へと飛び出す。渡り廊下の屋根に着地し、向かいの校舎の窓へと駆ける。
向かいの校舎の窓へと飛び上がろうとした弥生の目の前に、ダイナマイトが飛んで来る。直後、それらは爆発した。
弥生は後ろ飛びになって爆風の中から飛び出し、宙返りして着地する。同時に襲い来た影を、鉄パイプで咄嗟に払う。獄寺は叩きつけられ、間一髪屋根の端で踏み止まる。その手には、ソーメンパンが二つ。
「へっ。外に飛び出してくれりゃこっちのもんだぜ」
「よく言うよ。体育祭の時は、室内にも関わらずダイナマイトをぶっ放したくせに」
言って、地を蹴る。
獄寺も立ち上がり、飛び出していた。弥生の鉄パイプを掻い潜り、屋根の下の渡り廊下へと飛び込む。後を追い、弥生も渡り廊下を走る。校舎への出入口や廊下の曲がり角、獄寺や弥生が生徒とぶつかりそうになる度悲鳴が上がる。二人は上手い事それらを避け、階を上がって行く。
弥生は徐々に距離を縮めていた。後、一息。弥生は鉄パイプを振りかぶり、獄寺の後姿へと飛ぶ。殺気を感じ取り、獄寺は振り返った。途端、爆発。他の生徒がいるのも、お構い無しだ。弥生は引かざるを得ない。悲鳴を上げた男子生徒二人を、中華服を着た赤ん坊が抱えて救っていた。
弥生は舌打ちし、距離の開いた獄寺の背中を追い駆ける。正面から行っては駄目だ。追い付いても、ダイナマイトを投げられればまた距離を開けられる。弥生は傍の教室へと駆け込んだ。
「撒いたか……?」
背後を振り返り、獄寺はややスピードを落とす。弥生はもう、後を追って来なかった。
「ったく、ムカつく女だぜ」
弥生への悪態を吐きながら、歩調を緩める。
一年A組の教室まで戻ると、もう掃除は終わっているようだった。ガラリと勢い良く教室の扉を開ける。
「十代目!」
教室に綱吉の姿は無かった。
扉の傍にある掃除用具入れに箒をしまっていた京子が振り返る。
「ツナ君なら、小さい子に呼ばれて屋上に行ったよ」
「屋上?」
小さい子とは、リボーンの事だろうか。
京子は屈託無く笑う。
「その子が落し物して行ったから、私もこれから行く所なの。一緒に行く?」
「一緒には行かねーよ」
答えながら、獄寺は教室を出る。
同時に、強い衝撃が獄寺の後頭部を襲った。取り落としたソーメンパンの片方を、弥生が掠め取って行く。
「正解。やっぱり教室だったね」
「……っ、てめぇ! 何処から……!」
弥生は教室を指差す。
「窓。外上って来たの」
「猿みてーな女だぜ……」
「じゃあね。これは貰ってくよ」
言って、弥生は二つのソーメンパンを手に駆け出す。獄寺も後を追い、元来た道を駆け出した。
「させるか!!」
後を追ってくる爆発を避けつつ、弥生は廊下を駆ける。二階の窓から飛び降り、目先の校舎へ。
階段を駆け上がる。目の前に飛んで来たダイナマイトに、弥生は鉄パイプを横から叩き付けた。ダイナマイトは弥生の後方へと飛ばされる。
「げ……っ」
「そう、何度も同じ手に乗らないよ」
後方での爆発音。巻き込まれるのは、獄寺だけ。
階段を上りきり、廊下を駆ける。ガラリと扉を開け――弥生は、固まった。
室内に並ぶのは、印刷機。現在使用している教師はおらず、無人だ。
「え……」
一歩下がり、教室の札を確認する。そこにあるのは、「印刷室」の文字。
――あれ?
きょろきょろと辺りを見回す。応接室の札は見付からない。階は、ここで良い筈。
「てめーが方向音痴で助かったぜ」
動揺していたためか、反応が遅れた。
ダイナマイトの爆発を受け、弥生は廊下の端へと吹っ飛ぶ。目の辺りに流れてきた血を拭いながら起きると、獄寺がソーメンパンを手に駆け去るところだった。
「あっ。待て!」
叫んだところで、待つ筈も無い。弥生は鉄パイプを拾い、彼の後を追う。
ダイナマイトが後方へ投げられる。爆発を避ける。ダイナマイト自体を打ち返す。獄寺も、爆発を避ける。弥生は爆発のダメージを受け、息も上がりつつあった。だがそれは、獄寺も同じ事。
決して見失う事は無い。しかし、追い付く事も無い。
そして遂に、獄寺がソーメンパン二つを持った状態で屋上へと辿り着いた。
「十代目! 購買の新製品ソーメンパン、一緒にどースか?」
「獄寺君!?」
綱吉は獄寺のボロボロな様子に目を丸くする。
「させない」
弥生は鉄パイプを振り上げ殴り掛かったが、避けられてしまう。そのまま弥生は屋上へと飛び出た。
「弥生ちゃん!?」
弥生もボロボロなのを見て、綱吉は二人が喧嘩していたのだと思い当たったようだった。
弥生の襲撃を避けた獄寺の腕に、中華服を着た赤ん坊が降って来る。弥生も獄寺も動きを止め、きょとんとその赤ん坊を見つめる。
綱吉が青い顔で叫んだ。
「獄寺君、危ない! 早くその子投げて!!」
「はい」
獄寺は楽しそうな笑顔で綱吉に赤ん坊を投げ返す。一方、綱吉の表情は楽しいとは程遠かった。
「俺じゃなくてーっ!! あと三箇!?」
赤ん坊をキャッチし、綱吉は悲鳴を上げて屋上の外側へと投げる。
フェンス沿いにいた体操服の女子生徒がトスをする。
「パース」
「戻すなーっ!!」
戻って来た赤ん坊は、鉄パイプを握る弥生の方へと飛んで来た。額には、何やら丸が二つ。
「弥生ちゃん!! 打ち飛ばしてー!!」
きらりと弥生の目が光る。
「了解」
弥生は鉄パイプを赤ん坊へと叩きつける。赤ん坊は豪速で獄寺の方へと飛んで行った。
間一髪、獄寺はそれを避ける。
「おいコラ暴力女!!」
「ちっ」
屋上への出入口へと豪速で飛んで行った赤ん坊を、次に来た人物が軽々とキャッチした。
「よー、ツナ。また俺とお前、補習だってよ」
「山本ぉ!!」
「で、何だこりゃ?」
「いいから山本!! 思いっきり投げてー!!」
綱吉が叫ぶ。
瞬時、山本の目つきが変わった。掛け声と共に、弥生が打った以上の豪速球で赤ん坊は空高く飛んで行く。
赤ん坊が校舎から十分に離れた所で、大爆発が起こった。その規模は、獄寺のダイナマイトを遥かに超える。
弥生達は呆然と、その花火のような爆発を眺めていた。
何処からとも無く現れたリボーンから赤ん坊が綱吉を狙って来たと聞いた獄寺は、爆発しグラウンドに落ちた赤ん坊を追って去って行った。
屋上には、綱吉、京子、リボーン、山本。彼らとつるむ気の無い弥生は、無言で屋上を後にした。
廊下を歩いていて、ふと気が付く。
――あっ。ソーメンパン!
突然の大爆発により、すっかり忘れてしまっていた。ソーメンパンは激しい攻防の末、獄寺の手中に納まったままだった。
「……」
弥生はムスッとした表情で、応接室へと向かう。
手元にあるソーメンパンは一つ。一緒に食べる事は叶わないが、せめてこれだけでも雲雀にあげよう。雲雀は並盛中学が好きだ。並盛の購買の新商品。きっと、喜んでくれる筈。
応接室前には、見張りの風紀委員が一人。弥生は顔パスで彼の横を抜ける。
ノックをすれば、草壁が顔を出す。
「委員長、弥生さんです」
「いいよ」
「どうぞ」
弥生は招かれるままに、応接室へ入る。奥の大きな机の前に、雲雀は座っていた。
彼の手にある物を見て、弥生は足を止める。
「弥生さん?」
草壁が怪訝気に尋ねる。
弥生の視線は、雲雀の手元に釘付けだった。
「お兄ちゃん、それ――」
「購買の新製品だよ。草壁が買って来てくれた」
雲雀の手にあるのは、ソーメンパン。既に半分以上が、雲雀の腹に収まっていた。
一緒に食べる事も叶わなければ、弥生があげる事も叶わなかった。
肩を落とし応接室を出た弥生を、草壁が追って来た。
「いかがなさったんですか、弥生さん? 委員長に御用があったのでは――」
弥生はキッと彼を睨む。
「草壁、嫌い」
「弥生さん?」
「お兄ちゃんは、私のものなんだからね」
弥生はプイッとそっぽを向き、教室へ帰って行く。
訳もわからず敵視され、草壁は戸惑うばかりだった。
2011/04/10