「な、何ですか……話って……?」
 沙穂は戸惑いながらも、尋ね返す。
 知らない人とあまり長く話したくない。早く、皆の所に戻りたい。
 思わず後ずさった沙穂の肩を、大石の手がむんずと掴んだ。沙穂はびくりと肩を揺らす。
「そんな怯えないでくださいよぉ。何も、とって食おうって訳じゃないんですから」
 そう言って彼は笑う。
「こんな所で立ち話も何ですし、私の車に行きませんか? クーラーも効いていますよぉ」
「えっと……」
「貴女のおばあさん、捜索届け出されましたよね? その事件とも、関係あるかも知れません」
「事件……?」
「ええ、彼女はただの迷子や失踪ではないでしょう。これは事件だと、私は睨んでいます」
 沙穂は、じっと大石を見つめ返した。





No.5





「昨夜、富竹ジロウさんと鷹野三四さんがお亡くなりになりました」
 車に乗り込むなり、大石は開口一番そう言った。
 沙穂は唖然とした表情で大石を見つめる。
「死因が、とても奇妙でしてね。自分で喉を掻いて亡くなったんですよ。死ぬまでずっと、ガリガリと……ね」
「何、だ……それ……」
 信じられないような話だった。
 彼が自殺をするなど、到底考えられない。ましてや、喉を引っ掻いて亡くなるなど。例え自殺にしたって、そんな苦しい方法を取るとは考えられない。
『この紐が解けないのかい?』
『大工仕事では大活躍だって、聞いているよ』
『きっとそれは、厳しい人だからこそ口下手なんじゃないかな』
 つい昨日まで、彼は笑顔で話していた。沙穂を気にかけてくれて、祖父母と向き合う勇気を与えてくれた。
 どうして彼が、死なねばならない。
 咄嗟に脳裏に浮かんだのは、村にある噂だった。――オヤシロさまの祟り。
「富竹さんの身体には、何者かに襲われた外傷がありましてね。それもどうやら、一人二人どころではないんですよ」
「え……」
「鷹野三四さんの方は、山で焼死体が見つかりました。こちらも、自殺とは考えにくい状況でしてね。富竹さんは、岡藤さん達と別れた直ぐ後に殺されたと思われます。何故喉を掻き毟るなどと言う不可解な行為をとったのかは不明。何か薬物でも投与されたのではないかと見ていますが……。鷹野さんの死亡推定時刻は、現在調査中です。何しろ、人物特定が難しいほどに丸焦げにされていたものですから」
 ――酷い……。
 沙穂は目を伏せる。
 胸糞の悪くなるような話だった。沙穂も、三四については好く思っていなかった。けれど殺そうとまで考えないし、殺意を抱くほど憎む人がいたにせよ、常軌を逸した殺し方だ。
「岡藤さんも、『オヤシロさまの祟り』の話は聞いた事があるでしょう?」
 沙穂はパッと顔を上げる。バックミラー越しに、大石と眼が合う。
「一年目は、ダム工事の現場監督。二年目は、ダム誘致派。三年目は、ダム工事に中立派だった神主。四年目は、誘致派の家族――これらの事件も、今回同様人為的な物だと睨んでいます」
 沙穂はおずおずと切り出す。
「誰かが、祟りに見せかけて殺しを続けているって事ですか……? で、でも……どうして……誰が、そんな事……」
「分かりませんか? どの被害者も、ダム闘争から繋がっています。村ぐるみの犯行である可能性が、極めて高いんですよ」
 大石の言葉に、沙穂は息を呑んだ。
 窓の外には、いつもと変わらず長閑な風景が広がっている。この平和な雛見沢で、毎年村全体による粛清が行われていると言うのか。
「岡藤さんにはお気の毒ですが……貴女のおばあさんも、この所謂『祟り』の犠牲者として選ばれた可能性があります」
 さほど衝撃的ではなかった。沙穂自身、薄々気付いていた事だ。
 ――ああ、やはり。
 ただそう、沙穂は思う。そして、ふと奇妙な事に気付いた。
「あの……大石さん」
「何ですか?」
「えっと……その、『オヤシロさまの祟り』って毎年、一人が死んで一人が消えるんですよね……? そうすると、今年のっておかしくないですか……? 富竹さんと、鷹野さん、二人になってしまうのでは……」
「そこなんですよ、問題は」
 大石は重々しく切り出す。
「今年は、例年と人数が違う。ですから、これで終わりだとは断言出来ないんです。
岡藤さん。貴女も、危険かも知れないんですよ」
 沙穂は目を見開き絶句する。
 大石は続けた。
「被害者に選ばれているのは、先程話した通り。段々と、選ばれる理由が希薄になってきています。今年の富竹さんと鷹野さんに関しては、『よそ者』と言うだけで選ばれた可能性もあります。少々調べさせていただきましたが、貴女、二年前にこの村に越して来ましたね? そして、貴女のおばあさんが失踪しました。今までの例からして、被害者は身内同士である率が高い」
 ――オヤシロさまに嫌われた子。
 祖父は度々、そう言っていた。それは強ち、間違いではなかったのかも知れない。沙穂はよそ者だから、ずっと犠牲者候補に入っていたのだ。

「何かあったら、いつでもご連絡ください。特に、貴女のご友人の園崎魅音さんには、十分ご注意なさるよう」
「……え?」
「園崎家がこの村での筆頭である事は、ご存知ですよね? この事件は、村ぐるみで行われている可能性がある。そうとなれば、その筆頭にいるのは園崎家になるでしょう。ダム闘争の時も、園崎家が筆頭でしたしね」
「で、でも……だからって、魅音はまだ子供ですし……」
「魅音さん自身、ダム闘争の時は村の人々を率いて最前線にいました。いくつかの軽犯罪と公務執行妨害で、補導歴もあります」
「……っ」
 ダム闘争については、聞いた事がある。けれども魅音が最前線にいたなどと言う話は、初耳だった。ダム現場の監督についてもそうだ。鷹野から聞かされるまで、全く聞いた事の無い話だった。どうして皆、隠すのだろうか。
 ……何かやましい事があるから、隠すのだろうか。
「それから、他のご友人についても、こちらで少々調べさせていただきました。……お聞きになりますか?」
 沙穂はバックミラーに映る大石を見据える。その確認は、聞かない方が良い話だという事だろうか。
 ――だけど……。
 ダム闘争や、沙穂が越して来る前の「オヤシロさまの祟り」の存在。色々な物が、隠されていた。まだ何か隠し事をされていると言うのなら、真実を聞きたい。
「……聞かせてください」
 沙穂は静かに言う。
 大石は頷くと、話し出した。
「園崎魅音さんがダム闘争の際、村を率いる立場にいた事は、先程お話しましたね?」
 沙穂は無言で頷く。
「事件の数週間前、彼女は一年目の被害者であるダム工事現場の監督と、何度か取っ組み合いをしています。
それから、二年目の事件の被害者である、ダム誘致派の夫婦。現場にはその夫婦の娘さんも一緒にいましたが……これが、北条沙都子さんなんですよ。
三年目の事件は古手神社の神主と妻。つまりは、古手梨花さんのご両親です。
四年目に亡くなった女性は、沙都子さんの義理の叔母さんです。失踪した北条悟史さんが沙都子さんの兄と言う事は、岡藤さんもご存知でしょう」
 ――偶然だ。
 口には出さずとも、沙穂は咄嗟にそう思う。
 被害者との関係性だけならば、沙穂だって繋がりはある。梨花の両親は、引っ越したばかりの沙穂にとても好くしてくれた。悟史は、沙穂が一番最初に仲良くなった一番の親友だった。
 こんな小さな村だ。被害者と繋がりがあるぐらい、何の不思議でもない。
「……レナと圭一も、私と同じように引っ越してきました……ですから、事件との関係性はゼロと考えられますよね?」
「ええ、被害者との面識は見つかりませんでした。ですが二人共、雛見沢に越して来る前の事で気になる事がありましてね……」
 そう前置きし、大石は話し出す。
 レナは小学校に上がる前まで、雛見沢に住んでいた。そして茨城にいた頃、校舎中のガラスを割って回り、謹慎処分を受けた過去がある事。そしてそれとは別に、男子生徒三人に金属バットで暴行を加えた事件があった事。その後レナは精神科に掛かったが、医師との会話には「オヤシロさま」と言う単語が頻繁に出ていた事。
 咄嗟に思い出したのは、先日の話だった。オヤシロさまの話を出した途端、突然豹変したレナ。
「それから前原圭一さんについても、過去に補導されています」
「圭一も……?」
「ええ。モデルガンを、人に向かって発砲していたんです。それも、何度も何度も、無差別に……一種の通り魔ですね。中には、眼に直撃した被害者もいます。狙われていたのは、ちょうど岡藤さんぐらいの小さな女の子ばかりでした」
「圭一もレナみたいに、精神に異常をきたしていたりしたのでは……」
「いえ、そのような記録はありません」
「……」
 沙穂は口を真一文字に結び、俯く。
 引っ越してきたばかりで、圭一の事は他の仲間に比べてあまり知らない。けれども今や、他の仲間達と同じ大切な仲間だった。
 あまりにも、隠されている事が多すぎる。
 大石は手帳を閉じると、沙穂を振り返った。沙穂の目を、真っ直ぐに見据える。
「昨年、貴女のクラスメイトの北条悟史君が失踪しました。村の人達は、『転校』と言って事件を偽っています。
一刻も早く犯人を捕まえないと、今年は岡藤さん、貴女が『転校』させられる事になるかも知れません」
 沙穂は、何も答える事が出来なかった。





「あっれー? 沙穂、部活は?」
 放課のベルが鳴るなりランドセルを背負う沙穂を見て、魅音が首を傾げ尋ねる。
 沙穂は苦笑いを返す。
「すまない……。今日はちょっと、調子が悪くてな……」
「そっか……。送るよ。家の方向、同じだし――」
「いや、構わない」
 魅音の言葉にかぶさるようにして、沙穂は拒否する。
 皆、驚いたように沙穂を見つめていた。沙穂はしどろもどろに言う。
「いや……その……途中まで、祖父が来てくれているんだ。だから、大丈夫だ……。ありがとう、すまない」
 それで、皆納得したらしい。
 魅音は腰に手を当て、ふっと息を吐く。
「そっか。それなら良かった」
「ゆっくり寝て、早く良くなってね」
 レナが、いつもの笑顔で優しく言う。
「確かに顔色が悪いな。熱とかは――」
 伸びてきた圭一の手を、沙穂は思わず強く払った。
 それから、はっと気がつく。
「あ……ごめん……」
 大石から話を聞いた事を、皆に悟られてはならない。
 沙穂も、大石の話は半信半疑だ。真実ならば、身を守る為にも知られてはならない。
 例え嘘だとしても、そんな話を聞けば気分を害す事だろう。それに、大切な仲間達に心配を掛けたくない。
 圭一は、困惑した表情を浮かべていた。他の仲間達も、唖然としている。
「……沙穂さん?」
 沙都子が、おずおずと名を呼ぶ。
 沙穂は沙都子を振り返る。そのまま梨花、魅音、レナに眼をやり、圭一を再び見上げた。
「えっと……その……見間違えた……」
 苦し紛れの言い訳をし、駆け出す。そのまま、振り返らずに走り続けた。
 ――大石さんの所為だ。
 彼が、余計な話をするからだ。連続化意思事件が、村ぐるみの犯行である可能性。魅音の家が、その主犯である可能性が高い事。梨花や沙都子の、被害者との関係性。レナや圭一の、引っ越して来る前の事件。大石がそんな話をしたから、沙穂はいつも通りに仲間達と接する事が出来ない。上手く笑う事が出来ない。
 そう思う一方、大石の話を信用しているのも確かだった。大石の話の中には、沙穂が知っている内容も含まれていた。園崎家が村の御三家である事や、三年目の被害者が梨花の両親である事など。それに、大石の話は三四から聞いた話とも見事に一致している。沙穂に真実を話してくれたのは、この二人だけ。いつも傍にいる仲間達は、一言も話してくれなかった。
 学校から遠く離れ、沙穂はとぼとぼと歩く。
 何故、話してくれなかったのだろう。大切な仲間だと思っていた。お互いに、かけがえの無い存在なのだと。そう思っていたのは、沙穂だけだったのだろうか。

 いつもレナや圭一と別れる箇所。今日は、手を振って別れる相手などいない。隣で歩く明るい友人もいない。
 やがて、沙穂は家に着いた。
 いつもならば、真っ直ぐに離れへと行くところだ。けれど今日は、本宅の方へと顔を覗かせる。若しかしたら、祖母が帰っているのでは無いかと言う淡い期待を抱いていたのかも知れない。
 当然の事だが、祖母はいなかった。
 しんと静まり返った家の中。土間を通り抜け、突き当たりの台所へ行く。靴を脱ぎ、部屋に上がる。廊下は無く、四つの部屋が繋がっている。それらを一周して再び台所の前の部屋に戻ったが、どの部屋にも誰もいなかった。トイレのスリッパは、トイレへと続く廊下に並んでいた。だから、入っていないだろう。外からの可能性も考えて裏口から出て見るが、一、二メートル先にある板戸の前には、靴など無い。
 大石は、祖母の捜索届けが出されたと言っていた。恐らく、出したのは祖父だろう。そうすると、まだ警察で話でもしているのだろうか。
 そう思い、そのまま離れへ向かう。家の裏から出た時、ちょうど祖父が門から入ってくるのが見えた。やはり、出かけていたらしい。沙穂はホッと息を吐く。内心、祖父も消えてしまったのではないかと不安に思っていたのだ。
 それから、立ち止まりじっと祖父を見つめていた。
『沙穂ちゃんは、まだ子供なんだから。甘えても良いんだよ』
 昨夜の富竹の言葉が、沙穂の脳裏に浮かぶ。未だに、信じられない。昨夜まで笑っていた彼が、殺されてしまったなんて。
 沙穂は一歩、一歩と、祖父の方へと足を踏み出した。
 祖母がいなくなってしまった今こそ、自分と祖父は結束するべきなのではないだろうか。大石は、沙穂も消される可能性があると言った。魅音達に相談する事は出来ない。けれども、祖父ならば。
 俯き加減に歩いていた祖父は、互いの足音が聞こえる程に近付いてから気付き、顔を上げた。
「お、おかえり、おじいちゃん……えっと、おばあちゃんの事、何か分かった……?」
 沙穂は、しどろもどろになりながらも一生懸命に話す。
「――お前がそれを言うんか」
 帰ってきた祖父の言葉は、刺々しかった。
 沙穂は、徐々に怒りが露になる祖父の顔を見つめていた。祖父の手が、沙穂の肩にかかる。祖父は、爪が食い込むほどに強く沙穂の肩を掴んだ。
「い……っ。痛いよ、おじいちゃん……!」
「そうだ、お前がいたからだ。とうとうこの日が来てしまった……! 何故お前じゃなかった!? 何故、あいつが祟りに遭わないといけんかった……!!」
「嫌っ!!」
 沙穂は全力で祖父を振り払い、離れへと駆ける。年寄りの足で沙穂には追いつけまい。
「この疫病神め!! 周りばかり巻き込みおって!
お前こそ、オヤシロさまに祟られるべきだったんじゃ……!!」
 祖父の罵倒を、沙穂は部屋の外に閉め出す。
 普段は掛けない鍵を掛け、窓の施錠を確認し、沙穂はそのまま窓際に崩れ落ちるようにして座り込んだ。
 ぽたり、ぽたりと雫が床に落ちる。
「オヤシロさまなんているもんか……っ」
 沙穂は吐き捨てるように言う。
 祖父はオヤシロさま信仰者だ。そして、沙穂の事は「オヤシロさまに嫌われている」と言って憎んでいる。厄介者だと思っている。
 頼れる者など、誰もいなかった。
 沙穂は、たった一人で戦わねばならないのだ。


Back  Next
「 Why they cry… 」 目次へ

2009/07/26