……まずい。
お母さんは未だ、帰ってこない。親戚の話なんて聞いた事が無いし。
私のバイトだけじゃあ……。
そう、家計は火の車。
No.6
授業中。俺は机に突っ伏し、夢の世界へと行こうとしていた。でも、そう簡単には行かせてもらえない。後ろから無言でしつこく突いてくる手があるからだ。
今は自習中。他にお喋りをしている子達だっている。別に課題のプリントは提出じゃないんだからいいじゃんかよー。
授業終了のチャイムが鳴った。俺は起き上がり、ぱっと立ち上がる。
「よっしゃ、終わった!」
あ、ちょっと早かった。
「起立ー」
バラバラに立ち上がって、礼をして、授業終了。
英一が、俺とリドルの所にやってきた。
「日曜日の事、許可貰えた?」
「え? ああ! そっか、もう今週だぁ」
今週の日曜日、皆と一緒に遊園地へ行く。もちろん、トムも一緒だ。
夕紀に聞くの忘れてた……。
「その様子だと、忘れてたみたいだな。――トムは?」
英一は、俺の後ろの席のトムに視線を向ける。
「問題ないよ」
今日、帰ったら夕紀に聞こーっと。
「今度の日曜日さ、皆で遊園地行こうって話になってるんだけど、いい? 英一の姉さんが連れて行ってくれるんだって」
「……うん。いいよ」
家に帰って、ランドセルも置かずに夕紀に日曜日の事を聞いたんだけど。
何だろう? 何か、おかしい。
「如何したの? まだトムの事、心配してるの?」
「そうじゃないの。……取りあえず、夕食にしよう。荷物、部屋に置いてきなさい」
「……」
「……」
カチャカチャとスプーンを動かす音だけが部屋に響く。
うぅ……何なんだよ、この妙な空気は。
夕紀、如何したんだろう。俺、何かしたかな?
「ごちそうさま」
手を合わせて言うと、夕紀は食事をする手を止めた。
「忠行。話さなくちゃいけない事があるの」
その目は何時になく、真剣で。
俺は頷くと、上げかけた腰を下ろした。夕紀は、言いにくそうに目を伏せる。
「……何だよ」
「あのね……貯金が、もう無くなってきてるの」
「へ?」
トムの事とかかと思っていたから、随分とリアルな話に拍子抜けする。
「忠行、私立に通ってるでしょ? でも、お母さんがいなくなっちゃって……私のバイト代だけだと、これ以上通わせる事は到底出来ない」
「え……じゃあ俺、転校するの!?」
「うん……。ほんと、ごめんね。友達と離れるのは辛いだろうけど、お母さんが帰ってこない限り……。私が高校止めた所で、就職なんて直ぐに出来るもんじゃないし……」
「夕紀が謝る必要なんて無いよ! 夕紀の所為じゃないんだからさ」
「……」
お母さんは今、何処にいるのだろう。
名前も知らないお父さんだっていい。
帰ってきてよ。俺達をここに残さないでよ。
日曜日。空は真っ青、絶好の遊園地日和だ。
それで……。
俺はこっそり、英一を突いた。
「ん?」
「英一達の姉さんって……あの人?」
「……うん」
英一も言いにくそうに言う。
英一の姉さんは、何ていうか……凄い格好だ。
派手とか、そういう問題じゃない。目深に帽子を被って、サングラスをかけて。そう、一言で言えば「不審者」。
「姉貴、またそんな訳分かんねぇ変装して来やがって……!!」
英一の双子の弟、英次が引きつった表情で言う。
姉さんはにっこりと笑った。
笑った……と、思う。目は見えないけど、口が三日月形になったから。
「だぁって〜。私、これでも女優なのよ? ファンに囲まれちゃったりしたら、大変じゃない〜」
「女優なの? 誰?」
「高松椎奈です♪ よろしくね、皆」
誰だろう……。名前を聞いたものの、それが誰だか分からない。
トムは呆れたように一瞥して、冷たく言った。
「女優だか何だか知らないけど、君、結構自意識過剰みたいだね」
ジイシ……?
早口で言ったから、何て言ったかよく分からなかった。
この場で分かったらしいのは英一と椎奈のみ。英一は驚いている。椎奈はトムの目線に合わせてしゃがみ込んだ。
「坊やは、知らないのねー。月9なんて、もう寝てるかしら」
その子ども扱いに、トムが切れたのが分かった。俺は慌てて、ポケットに入れられたトムの手を押さえる。
「駄目だよ、トム!」
「僕は好きでこんな年になったんじゃない!」
ヒソヒソと話す俺達に、回りはクエスチョンークを浮かべている。
椎奈は立ち上がると、帽子とサングラスを外した。
「そんな風に言われるぐらいだったら、やめるけど。私だって、好んでこんな事してる訳じゃないもの。事務所に言われたから仕方なく……」
あ!!
この顔は、知っていた。題名が思い出せないけど、中学校のドラマに出てる人だ。
あれは、夕紀が毎週見ている。俺は見たり見なかったりだけど。
そして。
彼女の言うとおり、確かにたくさんの人に声を掛けられた。これじゃあ、全然楽しくないよ。
椎奈は笑顔でファンに対応している。俺達はその後ろで一列に並んで、解放してもらえるのを待っている。
つん、と左肩を突かれた。英次だ。
「置いていこう、って回して」
俺は頷き、同じようにトムの肩を叩いた。
「置いていこう、だって。回して」
伝言はあっと言う間に回り、俺達はそろそろとその場を離れていった。
「でも、良かったのかな?」
「大丈夫だよ。俺と英次、携帯持ってるから」
英一と英次は携帯電話を持っていた。でも、俺とトムは持っていない。
そう。
日曜日の遊園地。自分達より背の高い人々が沢山いる中。
俺とトムは、皆とはぐれてしまった。
「如何する?」
「如何するも何も」
「皆、いないね」
「そうだね」
「皆、探してるかな」
「僕達がいなくなった事に気づいていればね」
「ここ、何処だか分かる?」
俺がそう聞くと、トムはポケットから杖を取り出した。掌の上に乗せ、唱える。
「ポイント・ミー!」
杖はくるりと回り、俺達の背後を指した。
「向こうが北だ」
「うん。それで?」
「それで、って……君、パンフレットを持っていただろう?」
「邪魔だからさっきご飯食べた時に捨てたよ」
「……何の為のパンフレットだよ……」
どんまいサ。
だって、邪魔なんだもん。
「適当に色々な所行ってれば、その内会えるって! 皆も乗りそうなアトラクションとか行けばさ」
「会えるかな……?」
会えなかった。
もう、日は沈みつつある。
「こうなると、職員の人に言うしかないのかな」
「……」
トムは何も言わない。でも、その顔には「迷子センターだけは避けたい!」と書かれている。そりゃあ、俺だって十歳にもなって迷子なんて嫌だ。トムは俺より年上だし、もっと嫌なんだろうなぁ……。
でも、他に方法が無いからさ。
「ちょうど、そこに掃除の人がいるしさ。行こう」
俺はそちらへ歩き出すけど、トムは立ち止まったまま動かない。
プライド高いんだなぁ。
「トムー。このままじゃ、閉館時間まで会えないよ」
「その前に、一つ聞きたい事がある」
「聞きたい事?」
俺は首を傾げながら、トムの所へと戻る。
「一体、何があったんだい?」
……え?
「君、何か変だ。変なのはいつもだけど、今日は空元気、って言うのかな……何かあったのかい?」
やっぱり、ばれてたか。あんまりしんみりするのは好きじゃないから、ばれないように気をつけてたんだけど。
俺は笑顔のまま、言った。
「俺さ……これ、最後なんだ」
「え?」
「やっぱさ、子供だけじゃ生活苦しいんだよ。ましてや、今通っているのは私立だからね。今学期中に、俺、近所の公立に転校するんだ」
「……親戚は、いないのかい?」
「聞いた事ない。なんかお母さん、特別な人なんでしょ? 若しかしたら、トリップ前もこの世界じゃ無かったのかもしれないじゃん」
「そうだね……」
うわー。だから、そんなしんみりと言うなよー。
「よしっ。話は終わったよね? 迷子センターへ、レッツゴー!」
「……」
寂しい、なんて言わないよ。
夕紀がいるから。
夕紀がいなかったら、俺、どうしていたんだろう。あれかな、孤児院とか?
夕紀はしっかりしているようで、結構寂しがりやだから。
俺は、笑ってなきゃ。子供だから力は無いけど、出来る限りで守ってやるんだ。
終業式の日を最後に、俺は転校した。
25日の朝。全国では、クリスマス。うちにサンタさんなんて来ない。忠行には一応買った事は買ったけど、クリスマスらしい大きなプレゼントは無理で。今年は家の外の飾りは玄関扉のリースだけにして。
なんか、寂しいクリスマス。
溜め息を吐き……妙な事に気がついた。耳を澄ましてみると、リビングの方から話し声が聞こえる……?
忠行はもう起きたのだろう。テレビかな? でも、この嫌な予感はなんだろう……。
「「おはよう、夕紀」」
着がえてリビングに行けば、幼さの残る爽やか過ぎて怖いほどの笑顔が二つ。
取りあえず、挨拶を返す。
「……おはよ」
二人はテレビの前に仲良く並んで、子供向けの情報バラエティ番組を見ている。尤も、リドルは手に本を持っているけれど。
そう。
リドルが、ここにいる。
私のもの言いたげな様子に気づき、忠行が笑顔で説明してくれた。
「トム、今日からここに住むんだって。だからここにいるんだ」
何の説明にもなってないから!
「ここに住むって……なんで!?」
「言っただろう? 僕は元の世界に戻る為に、有紗が戻ってきた時分かるように君達の傍にいるんだ、って。それなのに忠行が転校してしまったら、君達との接点が無くなるじゃないか。忠行と一緒に転校したら、周囲で誰も気づかない筈がないしね。今年度は、あの学校で過ごすよ。だから、それまではここに住まわせてもらうよ。あ、教育費とか生活費は心配ないからね。部屋も、忠行の部屋に荷物を置かせてもらったよ」
嗚呼。
私の平和な日々は、一体何処へ行ってしまったのだろう。
2006/12/18