季節は冬。デパートや大型商店は早くも前の月からクリスマスの様相を呈し、人々も浮き足立って来る。
期末テストも終え後は冬休みを待つばかりのある日、弥生の元に一本の電話が入った。
雲雀から貰った並盛校歌の着うたに、弥生は洗い物を放り投げ携帯電話に飛び付く。発信元は、草壁哲矢。
――なんだ……。
面倒臭く思いながらも、弥生は携帯電話を開き通話ボタンを押す。
「何?」
ふてぶてしい声で問う。
次の瞬間、弥生の顔色が真っ青になった。
「え……? お兄ちゃんが入院!?」
No.6
雲雀は風邪をこじらせただけだった。医師から聞いた草壁の話によると、安静にしていれば直ぐ退院出来るらしい。高い熱があると言う訳でもないらしく、弥生が病室を訪れた時雲雀はベッドの上で上体を起こし本を読んでいた。
にも関わらず、弥生は雲雀に飛び付く勢いだった。咬み殺された患者の屍を跨ぎ、ひとっ飛びに雲雀のベッドの横へ駆け寄る。
「お兄ちゃん! 大丈夫!? 風邪で入院したって聞いて……!」
「大丈夫だよ。この通り、熱も無い」
「でも、入院なんだよね!? それって、よっぽど酷いんじゃ……!?」
「……『入院じゃないと、学校に行くから』だって」
漸く、弥生は納得した。
安静にしろと言われて大人しく家で寝ているような雲雀ではない。入院でもなければ、いつも通り学校へ通うだろう。群れを見付ければ、咬み殺しにかかるだろう。
弥生はホッと胸を撫で下ろす。
「……そっか。
あのね、お兄ちゃん。本当は花束持って来たんだけど、花屋から時間かかったから萎れちゃって……今、草壁が水をやりに行ってる」
「草壁が迎えに行くのを、待たなかったんだね」
「だって待ってられないよ! ……ごめんなさい」
弥生はしゅんと項垂れる。草壁の迎えを待っていれば、少なくとも三時間は早く病院へ来られた筈だ。
雲雀は軽く溜息を吐く。
「まあ、いいや。見舞いに来てくれたのは、ありがとう。退屈だったところだしね。ゲームをしていたんだけど、皆弱くて。次の相部屋の人を頼んだところだったんだ」
部屋の外で、足音が止まる音がした。幽かに聞こえるのは、看護婦の声だろうか。
「来たみたいだね」
弥生は戸口を振り返る。
雲雀はベッドから足を下ろして身体ごと向き直り、彼を迎えた。
「やあ」
「雲雀さん!?」
入って来た綱吉は、驚きに声を上げる。
綱吉は雲雀が入院と言う事実そのものが信じられないようだった。嘘だのなんでだのと叫ぶ綱吉に、雲雀は風邪をこじらせたと短く説明する。
それでも綱吉の絶叫は止まらない。床に倒れる雲雀の同室者三人を見て、悲鳴を上げる。
「相部屋になった人にはゲームに参加してもらってるんだよ。ルールは簡単だ。僕が寝ている間に物音を立てたら、咬み殺す」
「一方的ーっ!? ってか、病院じゃあり得ない状況だー!!」
綱吉は藁にもすがるような様子で、弥生を見た。
「弥生さんも、何か言ってよ!」
「せいぜい頑張ってね」
「んなー!? この人も共犯だーっ!!
あ、あの僕、もうすっかり好くなったんで。たっ……退院します!」
「駄目だよ。医師の許可がなくちゃ」
そう口を挟んできたのは、この病院の院長だった。
院長は雲雀に深々と頭を下げる。
「こうして安心して病院を運営出来るのも、雲雀君のおかげ。生贄でも何でも、何なりとお申し付けください」
絶望に満ちた表情の綱吉に、弥生が更に追い討ちをかける。
「諦めなよ。『雲雀』の権力がどんなに大きいかは、沢田も知ってるでしょ。この前、露出狂で捕まってた君を釈放してやったんだから」
「あっ、あれはそんなんじゃなくてスリが……!」
雲雀はベッドに入り、大きく欠伸をする。
「じゃあ、そろそろ寝るよ。因みに僕は、葉が落ちる音でも目を覚ますから」
「なっ」
「では、失礼します」
「じゃあ私、草壁に預けた薔薇見てくるよ」
「えっ、うそ――」
うろたえる綱吉の声は、扉の向こうに閉じ込められ聞こえなくなった。
草壁を探して廊下を歩き回るが、一向に見付からない。
こんな事ならば院長に近くの水道まで案内して貰うのだったと後悔し始めた頃、見知った顔を見付けた。
「山本!」
弥生は彼の名を呼び、駆け寄った。
山本は立ち止まり、振り返る。
「――ああ、弥生か。今日は髪おろしてるのな」
相変わらずの人懐こい笑顔で、彼は弥生を迎えた。
「並盛は、髪の長い女子は結べって校則あったから。一応書かれているだけで、あまり気にされてないみたいだけど」
「ふーん、なるほどな。弥生もツナの見舞いに来たのか?」
「ああ……沢田も入院したみたいだね。私は違う。お兄ちゃん」
「へえっ。雲雀も入院してんのか。珍しいなー」
山本は何処までも暢気な返事だ。
弥生は兄同様、短く説明する。
「風邪だって。ねえ、山本。草壁は知らない?」
「見てねーな……。どうしたんだ?」
「お見舞いの花束預けたから、様子を見て来ようと思って」
「見舞いに花束? へーっ、じゃあ、獄寺と一緒だな!」
山本の言葉に、弥生の機嫌が一気に最底辺まで落ち込む。
「……は?」
綱吉が入院しているのだ。少し考えれば、当然の話だった。あの獄寺が、見舞いに来ていない訳が無い。
それはまだ良い。彼と一緒とは、どう言う事か。
「獄寺も、ツナの見舞いに花束を買って来てたんだぜ。白い薔薇が、来る時急ぎ過ぎて車に轢かれたとかで真っ赤になってたけどな。
弥生は何の花にしたんだ?」
「……薔薇……白い奴……」
「ははっ。すっげー! お前ら、気が合うんだな!」
何の悪気も無い素振りで言って、山本は笑う。弥生は彼をキッと睨み上げる。
「沢田の犬なんかと一緒にしないでくれる。叩くよ」
「犬じゃなくて右腕だ」
声と共に、角を曲がって人影が現れる。
服はボロボロ、あちこちに傷を作った獄寺だった。獄寺は、そこら中に血痕を残しながら歩いて来る。
二人の険悪な空気を他所に、山本は獄寺に話し掛けた。
「なあ、聞けよ獄寺! 弥生も雲雀の見舞いに白い薔薇の花束持って来たんだってよ。全く一緒になるなんて、おもしれーな!」
「んなあ!?」
獄寺は声を上げ、キッと弥生を睨む。
「真似してんじゃねーぞ、ブラコン女!!」
「真似は君でしょ。何それ、死にぞこない?」
飛んで来たダイナマイトを、弥生は窓の外に打つ。振り払った鉄パイプを、獄寺は後ろ飛びになって避けた。
「お、おい。ここ、病院だぞ!」
山本の制止も聞かず、二人は戦闘を開始する。怪我のためか、獄寺の動きはいつもより鈍い。
ダイナマイトの先端部分を叩き潰し、点火出来なくする。点火し投げられたダイナマイトも、容易に窓の外へ。獄寺の動きが一瞬止まる。鉄パイプがクリーンヒットし、獄寺は人気の無い階段の方へと叩きつけられた。
ふらつきながらも、獄寺は立ち上がる。
――これで、とどめ。
弥生は鉄パイプを振りかぶり、飛び上がる。
獄寺自身と近い距離にも関わらず、爆発が弥生を襲った。
「……っ」
爆発の中、弥生は後ろへと下がる。爆風が晴れると、獄寺が階段へと駆け込んで行っていた。
弥生はその後を追い駆ける。
「逃げる気」
階段に駆け込み、弥生は足を止める。
床に置かれた、大量のダイナマイト。
「誰が逃げるかよ」
階段の下の獄寺が言うと同時に、ダイナマイトは一気に爆発した。
「てめーのパターンは読めてんだ。お前の武器は、上から振り下ろすのが一番威力がある。対してこっちは、下から待ち構えた方が攻撃しやすいんだぜ。飛び上がる奴なんて、恰好の的だ」
爆風を突っ切り、弥生の姿が現れる。
獄寺は手に持っていたダイナマイトを弥生に向かって投げた。
「果てろ!」
爆発。
獄寺は更に下の踊り場へと降り、構える。弥生は平然と、その爆発の中から姿を現した。
「君の動きだって、遅くて先が読めてるよ」
弥生は鉄パイプを構え直す。
「の割には、完全に避け切れてるとも言えねぇけどな」
獄寺もダイナマイトを構えた。
二人の口元には笑み。同時に、二人は地を蹴る。
不意に、獄寺の身体が傾いた。攻撃を避ける動きではない。思わず、弥生は足を緩める。
獄寺はその場に倒れこみ、動かなくなった。
弥生は歩み寄り、鉄パイプでつんつんと小突いてみる。獄寺は微動だにしない。息は、している様子。
――気絶してる……。
弥生が喧嘩に勝った訳ではない。原因は恐らく、山本が言っていた交通事故。
本当なら、事故現場からそのまま救急車で運ばれるような容態だ。それを綱吉の入院ばかり心配して、自力で病院まで来ていた。
綱吉の入院を聞いて、いても立ってもいられなかったのだろう。
「……」
ただ喧嘩で叩き潰した相手なら、この場に放置するところ。
弥生は鉄パイプを握る手に力を入れた。
「獄寺! 弥生!」
叫びながら、山本が階段を駆け下りて来た。二人の喧嘩を止めようと後を追って来たらしい。
踊り場の上に現れた彼を、弥生は見やる。
「山本。ちょうど良かった。こいつ、気絶しちゃって。運んでくれる」
「やっぱりか。いいぜ、お安いごよ――うわっ!? どういう運び方だよそれ!?」
流石の山本も、驚きの声を上げる。弥生が突き出した鉄パイプの先には、獄寺はぶらんとぶらさがるようにして乗せられていた。
しゃがみ込んだ山本の背中に獄寺を移し、獄寺は医師の所へと運ばれて行った。
気絶した獄寺は、重傷患者の病室に入れられた。
「お前、腕の力あるのな。惜しいなー。男なら、野球部に勧誘出来たのに」
「野球の群れに興味なんて無い」
「あははっ。やっぱそう来るか」
山本と別れ、弥生は再び草壁を探しにかかる。
暫くぐるぐる歩いていると、再び獄寺と遭遇する事になった。歩けど歩けど雲雀の病室にさえ戻れず、道を聞こうと入った病室が獄寺の所だったのだ。
図らずも、弥生は彼の入院する部屋まで来てしまったらしい。風邪で入院する雲雀の部屋とは程遠いだろうし、草壁もその近くの水道に行っている筈だ。
ここは、何処だろう。獄寺が入院しているのだから、重傷患者の部屋だ。それは判る。だがそれが病院のどの辺りなのか、ここからどう行けばせめて雲雀の部屋に戻れるのか、さっぱり検討が付かない。
弥生を見るなり、獄寺は不愉快気な表情を向ける。
「まだいたのかよ」
「君には関係無いでしょ」
「じゃあ、なんで入って来たんだ?」
「……君には関係ないよ」
弥生はふてぶてしく言い捨て、背を向ける。獄寺に道を教えてくれと頼むなんて、絶対にごめんだ。
しかし、獄寺は勘付いた。
「また迷子か」
弥生はキッと獄寺を振り返る。獄寺はにやりと笑った。
「図星みてーだな」
弥生は鉄パイプを取り出す。しかし、獄寺は言った。
「地図書いてやるから待ってろ」
「上等。叩き――え?」
弥生は耳を疑う。
獄寺はふいと目をそらし、自分の荷物を引き寄せる。
「お前と山本とで、俺の事運んだんだってな。別に頼んだ訳じゃねぇけど……てめーに借り作ったままなんて、ごめんだからな」
弥生はきょとんと獄寺を見つめていた。獄寺は包帯でぐるぐる巻きの左手で紙を押さえ、大まかな地図を描いていく。
「でも、お人好しな野球野郎は兎も角、お前も手を貸すなんてどう言う風の吹き回しだ?」
立ち尽くしたままの弥生に、獄寺は描き上がった地図を差し出す。
「ん」
受け取れ、と言う事らしい。
弥生はその手を見つめ、やはり警戒した表情で立ち尽くしたままだった。
「早く受け取れ。そんで、さっさと去りやがれ」
苛立ちが募り、段々と普段の調子になってきた。
弥生は淡々と呟いた。
「……君も、馬鹿だよね」
「んなっ!?」
「入院って聞いて慌てちゃって、かえって後々面倒な事になっちゃってさ。いっつも十代目十代目って」
「てめぇ――」
獄寺は身を乗り出しかけたが、弥生は鉄パイプを出そうとはしなかった。
「でも、そう言うの解るから」
今度は、獄寺がぽかんと弥生を見つめる。
認めたくは無いが、弥生も獄寺と同じだ。雲雀の入院を聞いて、慌てて飛び出して。冷静であれば草壁を待って直ぐに病院へ来られたものを、何時間も町内を走り回る事になって。
弥生は引っ手繰るようにして紙切れを受け取った。病院の簡略図が描かれた紙。丁寧な事に、現在地も矢印で書き込まれている。雲雀がいるであろう内科は、全くの逆方向だった。
「……ありがとう」
つっけんどんに言って、弥生はぷいとそっぽを向く。
出て行こうと背を向ける前に、病室の扉が開いた。
「隼人!」
駆け込んで来たのは、艶やかな女性だった。外国の人だろうか。美しい容姿が、人目を引き付ける。
「ぎゃあああああああっ!!」
悲鳴が上がる。驚いて振り返ると、獄寺は泡を吹いて気絶していた。
女性は気絶した獄寺の肩を強く揺する。獄寺の顔色が更に悪くなっているのは、気のせいでは無い筈だ。しかし、彼女は気付かないらしい。
「事故に遭ったって言うから来てみれば、こんな大怪我で、気絶までして……」
「いや。あなたが来る前までは、ピンピンしてたよ」
弥生が言って、初めて彼女は弥生を振り返った。
「あら、綺麗な子ね。――あなた、隼人の何?」
険のある目つき。
弥生の方も、その誤解は不愉快だった。
「道を聞いただけ」
証拠に地図を掲げて見せ、弥生は戸口へと向かう。ちらりと背後を見ると、もう女性はこちらを向いていなかった。
綺麗な亜麻色の髪の女性。隼人、隼人、と獄寺の容態を心配している。
――彼女、いたんだ。
それも、あんな美人なひと。獄寺は感じの悪い奴なのに。しかし、逆にそれが良いとかで女子に人気があるのも確かだ。
弥生はそっと口元を押さえる。驚きと冷やかしの気持ちがせめぎ合っていた。同年代のカップルを見るのは初めてだ。中学生ともなれば、不思議でもないのかも知れない。
そこまで考え、ハッと弥生は気付く。
――お兄ちゃんは、どうなんだろ。
群れるのを嫌う雲雀の事だ。今はいないだろう。……多分。
今がどうであれ、何れその日がやってくる可能性がある事には変わりない。そして、弥生にそれを止めるような権利は無い。当然の事だ。当然の事だが、それは今までとは違った寂しさがあった。
去り際、女性が獄寺に話しかけているのが聞こえた。
「隼人。これ、お見舞いの果物よ」
弥生は病室の扉を閉じると、獄寺の書いた地図を手に雲雀の病室へと向かった。――辿り着いたのは、それから二時間後の事。
2011/04/17