――最悪だ……。
 目を覚ましたリドルは、昨晩の事を思い出し頭を抱えていた。
 トム・リドルともあろう者が、こんなマグルごときに弱音を吐くなんて。
 リドルは康穂のベッドに寝かされていた。康穂はベッドの横に座り、毛布に包まって眠っている。恐らく、一晩中ついていてくれたのだろう。
 まったく、余計な事を。
 リドルはそっと布団を抜け出すと、静かに部屋を出て行った。





No.7





 着替え、部屋を出る。一つ一つ部屋を見て回る。
 リドルは、居間にいた。父が朝食をとっていて居間にいないのを良い事に、ソファにふんぞり返って新聞を読んでいる。
 康穂は安堵の息を吐く。
「……また出て行ったのかと思った」
「おはよう、康穂。君にしては早いじゃないか」
「もう大丈夫なの?」
「この通りだよ。一応礼を言っておくよ。頼んだ覚えも無いけどね」
 相変わらずの態度に、思わず笑みが漏れる。
 昨日の話だと、恐らく体調は万全とはいかないだろう。この世界にいる限り、彼は衰弱していく一方だ。それでも、強がりを言えるほどには元気なのだから心配無い。
「よく言うよ……。寒いからって抱きついて来たりしたくせに」
「何の話だい?」
「覚えてないの?」
「覚えてないも何も、僕がそんな事する訳無いだろう。夢でも見たんじゃないかい?」
 康穂はムッとして答える。
「夢じゃないよ。確かに――」
「僕はそんな事しない。それとも、そんなに抱きしめて欲しいのかい?」
「だっ、誰もそんな事言って無いでしょ!」
 康穂は真っ赤になって否定する。
 意識の朧だった時の話なのに、あまりにも断定的過ぎる。恐らく覚えてはいるのだろう。だが、断固として認めたくないらしい。
 これ以上話しても、逆手に取ってからかわれるだけだ。からかってみたい気持ちもあるが、康穂ではしっぺ返しを喰らうのがオチだろう。
「……あのさ、リドル」
「うん?」
 康穂の真剣な声に、リドルは新聞から顔を上げる。
 康穂は扉の前に立ち、真っ直ぐな瞳でリドルを見つめていた。
「私、手伝うよ。あんたが元の世界に戻る方法探すの」
「……君は、戻って欲しくないんじゃなかったのかい?」
「うん。でも、ここにいられないんじゃ仕方ないじゃない。昨日みたいな状態のリドルなんて、もう見たくないよ……」
「……」
 リドルは、ただ黙って康穂の話を聞いている。
「マグルの私に何が出来るのか分からないけど……でも、こっちでの移動とか、道案内とかぐらいは出来ると思うの。移動も、魔法使えないなら姿現しも無理なんでしょ?」
「使えない訳じゃないよ。体力の消費が激しいだけだ」
「それにしたって、自転車や電車に乗れれば楽になる事に変わり無いでしょ。あと、人に話聞いたりとか、ネット使ったりとか。私まだ子供だから、それでも範囲限られちゃうけど……」
 康穂の小遣いでは、あまり遠出は出来ないだろう。
 マグルの康穂には、原作に書かれている程度の知識しか無い。
 それでも、何か役に立ちたかった。何か出来る事があるならば、手を貸したい。
 リドルは驚いたように押し黙っていたが、やがてふっと笑みを零した。仄かに感じる胸の高鳴りは、気のせいではないだろう。
「それじゃあ、お望み通り利用させてもらうとするよ」
「……相っ変わらず捻くれてるんだね。感謝しろとは言わないけど、『頼むよ』ぐらい言えばいいのに」
「頼んではいないからね。嘘は吐かない性分なんだ」
「その言葉自体が既に嘘だと思うんだけど?」
「嘘じゃない」
「だって、人を騙すのは得意でしょ?」
「人聞きが悪いなあ。僕は嘘は吐かないよ。周りが勝手に勘違いするんだ。そうなるように持って行く」
「尚更性質が悪いわ」
 言って、康穂は笑う。彼も微笑っていた。

 ふと、彼が呟いた。
「お節介な事ばかりしてくるけど、君と出会えて良かったとは思っているよ」
「何、突然」
 リドルは窓の外を見つめていた。
 外では、しんしんと雪が降り積もっている。
「君と出会っていなかったら、僕は寒空の下今も凍えていたかも知れない。平凡な生活なんて、退屈だと思っていた。でも……君といると、少し楽しい。本当に、運命の出会いだったのかも知れないね……」
 康穂は目を瞬く。
「え、何? 告白……?」
「何でそうなるんだよ……」
 振り返ったリドルの頬は、心成しか紅い。康穂に指摘され、自分が言った言葉が含む意味に気付いたようだ。
 リドルは立ち上がり、康穂の横をすり抜け居間の戸を開ける。
「そろそろ君のご両親も食べ終わる頃だろう。行くよ」
 誤魔化すように言う姿が愛おしくて、康穂はふっと微笑んだ。





 朝食を終えると、康穂はリドルを自室へと引っ張って行った。
 康穂の方から彼を呼ぶのは、珍しい事だった。いつも、放って置いてもリドルの方から康穂に絡んで来ていた。
 きょとんとしているリドルに、康穂は机の下から出した袋を差し出す。デパートでプレゼント用にラッピングされた物だった。
 リドルは目を瞬く。
「今日、誕生日でしょ。おめでとう」
「どうして知って……」
「本に書いてあったから」
「覚えが無いよ。何処に?」
「ダンブルドアの記憶で、孤児院の先生の話の所。大晦日の夜に、メローピーが孤児院来たって」
 康穂はすらすらと答える。
 リドルは呆れたような表情だった。
「よくそんな細かい所覚えてるね……」
「だって、リドル好きだもの。――す、好きって言ってもそう言う意味じゃなくて、オタク的な意味で!」
「それも別の意味で堂々と言える事じゃないと思うけど……」
 慌てて付け足した康穂の言葉に、リドルは呆れたように言う。
「開けていいかい?」
「どうぞ」
 リドルはリボンを解き、袋を開ける。中から出て来たのは、シンプルな黒い手袋だった。
「昨日買ったの。そんないい物ではないけどさ。あんた、いつも手袋してなかったから。冬場にそれじゃ、寒いでしょ?」
「相変わらず、頼んでもいない事ばかりするね」
「なっ、あんたねえ――」
「ありがとう」
 リドルは微笑む。
 康穂はふいとそっぽを向いた。
「……どうもいたしまして」
 横目でリドルを見上げ、呟くように言う。照れる康穂を見て、リドルは楽しんでいるようだった。

 いつかは、別れる日がやって来る。
 共にいられるのは、ほんのつかの間。けれどそれでも、その間は一緒にいたい。
 尊大な態度に呆れて溜息を吐いたり、からかわれて膨れっ面になったり、腹を立てて言い返してみたり。時折、ふとした時に見せる表情に微笑んだり。
 何気無い時間が、彼にとってつかの間の休息になれば良い。一緒に笑っていたい。
 そう思うのはやはり、特別な感情なのだろうか。
「……『そう言う意味』の方も、これからはどうなるか分からないかも」
「え?」
 小さく呟いた康穂の言葉に、リドルは首を傾げる。
 康穂は笑って誤魔化す。
「別に、何でも」
 明らかに隠すような言い方に、リドルは少しムッとした表情だった。
 雪は止み、窓の外には一面の銀世界が広がっていた。何の飾り気も無いいつもの場所は、太陽に照らされ輝いていた。


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2009/12/31