獄寺と弥生は教室で睨み合っていた。二人の喧嘩は最早、並盛中学一年A組の名物風景となっている。
「何だ? ガン飛ばして来やがって。文句あるならはっきり言ったらどうだ?」
「それは君でしょ。私が君なんかに用があるとでも? ――まあ、喧嘩だってなら、叩き潰してあげるけど。場所を変えてからね」
 弥生は鉄パイプを取り出さなかった。ダイナマイトを出そうとしていた獄寺の手は、手持ち無沙汰に空中で留まる。
「はあ? 何だ、びびってんのか?」
「誰が。校舎内で暴れたら、お兄ちゃんに怒られるから。それだけだよ」
 つい先日、獄寺との喧嘩現場に雲雀が通りかかり、二人揃って制裁を受けたばかりだった。また同じ過ちを繰り返す訳にはいかない。
「また雲雀かよ。ブラコン女め」
「悪い?」
「ひ、開き直りやがった……」
 弥生はくいっと顎で外を示す。
「表。――まあ、尻尾巻いて逃げるって言うなら止めないけど。いくらでも回避する幅のある外じゃ、君にとっては不利だろうしね」
「誰が逃げるか! てめー、舐めてんじゃねーぞ……」
 二人の間に火花が散る。
 険悪な空気の渦巻く二人に、生徒達は近寄ろうともしない。遠巻きに見守り、あるいは目を合わすまいと視線を逸らし、あるいは迷惑そうに忌むように剣呑な視線を向ける。
 そんな不穏な空気をものともせず、割って入るのほほんとした声。
「おーい。獄寺、弥生! 次の授業、理科室に変更だってよ!」
「うるせー、野球馬鹿! てめーはすっこんでろ!」
「皆もう移動しちゃってるよ。俺達も急がないと」
「はい! そうですね、十代目!」
「弥生ちゃんも行こう」
 弥生はうなずかないが、彼らは気にしない。
 返事は無いが、大人しくついて来る。もうお馴染みの流れだった。





No.7





 ある朝の事。山本は一人で、教室に入って来た。学期の頭に席替えが行われ、彼は弥生の前の席だ。肩から提げたスポーツバッグを、どさりと机に置く。
「よっ、弥生。相変わらず、はえーのな」
「山本こそ、珍しいね。こんなに早いなんて。一人?」
 早いと言えども、既に殆どの生徒達は教室内だ。チャイムが鳴れば、あるいは教師が入ってくれば、席に着くのみ。それでも、彼は綱吉や獄寺と共に遅刻ギリギリに駆け込んで来る事の方が遥かに多い。
「朝練があったんだ。あいつらはまだ来てないのか?」
「見ての通り」
 チャイムが鳴り、生徒達は席に着く。
 担任が入って来てホームルームが始まり、ざわめきは無くなった。綱吉と獄寺は、間に合わなかったようだ。

 間に合わないどころか、授業が始まり、終わり、そして昼休みになっても、綱吉と獄寺は来なかった。どうやら今日は、欠席らしい。
 何も珍しい事ではない。特に獄寺は、登校時間さえ気にする様子も無く好き勝手だ。無断欠席する事も稀にある。綱吉曰く、その殆どはダイナマイトの材料調達らしい。どうやら彼は、綱吉に欠席報告すれば無断ではないと思っているようだ。
 ここ最近は、二人のサボりは無かった。ぽっかりと空いた二つの席。静かな――話し声はあれども、何処の学校でもある程度の騒がしさしかない教室。
「やっぱり、あいつらがいないと寂しいよなー」
「……っ」
 弥生は弾かれたように振り返る。
 山本だった。彼はいつものニコニコ笑顔で、でも少し物足りなげに隣の列と廊下側の席を見やる。
「ツナと獄寺。あいつらの事だから、またあの坊主とでも遊んでんのかな。帰り寄ってみようと思うんだけど、弥生も来るか?」
「……行かない。せっかく沢田やムカつく奴がいなくて静かなのに、なんで態々会いに行かなきゃいけないの」
 山本は笑うだけ。
 教室の戸口から、声が掛かった。
「おーい、山本ー! 食堂行こうぜ!」
 見かけない顔。野球部の仲間だろうか。
「おう!」
 山本は明るく答えると、友達の方へ向かう。
「お前、最近ちっとも一緒に飯食わないよな〜」
「そんな事無いだろ。先週だって……」
「それは昼練あったからだろー」
 教室を出て行く山本を見て、一部の女子が動きを見せる。
「山本君、今日は食堂だって」
「私達も食堂で食べましょう」
 中には鉢巻を巻いた生徒もいるような一団が、後を追うようにして教室を出て行った。
 弥生は一人、屋上へ向かう。
 屋上はがらんとしていた。そうそう、ここに上がって来る生徒はいない。弥生は出て来た扉の横にある梯子を上り、そこに座ってパンの袋を開ける。四人では上がって来られない、小さなスペース。一人でいる場合もまた、彼らが屋上にいるので上がって来る事はない。
 フェンスより一段高い位置になるそこからは、隣の校舎で寝そべる人影がはっきりと見えた。
 本当に静かな一日だ。山本は他のクラスメイトに比べ随分と友好的だが、綱吉ほど何かと関わる事はない。綱吉と獄寺がいなければ、他に声を掛けてくる友達がいる。
 並盛中学風紀委員長の妹、雲雀弥生に喧嘩を吹っかけてくるような輩も、今となっては殆どいなかった。皆、関わり合いになるのを避けて、弥生を遠巻きにする。――獄寺隼人、彼一人を除いては。
 獄寺が弥生に絡んでくるのは、兄の事とは何も関係が無い。弥生個人に対してだ。顔を合わせれば、喧嘩ばかり。それでも、いないのは少し寂しい。
 そこまで考え、弥生はハッと我に返る。
 ――なんであいつなんか。
 寂しくなんかない。群れたりなんて、するものか。
 弥生は梯子を降り、屋上の端まで寄る。フェンス越しに見える隣の校舎。その屋上にある人影。梯子を降りた高さでは、寝そべった人影は目視し難かった。
「群れたりなんてしない……」
 弥生は口に出し、小さくしかしはっきりと呟いた。





 夕暮れの道を、弥生は一人で歩いていた。帰り際、再び綱吉の家に行かないかと山本に誘われたが、もちろん断った。真っ直ぐ家に帰ればまだ四時前。喧嘩をする事無く帰れば、これ程にも早いのだ。夕飯に出かけている今も、まだ冬の日も落ち切らぬ時間。
 カップ麺とパンの入った買い物袋を提げ、通りを歩く。通りかかった公園のベンチに、弥生は見知った姿を見つけた。ブランコに座り、背中を丸めてうなだれた姿。前に垂れる銀髪で、その表情は判らない。
 弥生は静かに公園へと足を踏み入れ、彼の目の前で歩みを止めた。止まった足音に、獄寺は顔を上げる。
「学校サボって、こんな所で油売ってたんだ。珍しいね。沢田は一緒じゃないの?」
「うるせえ」
 いつもながらの喧嘩腰な返答。しかし、その声色にいつもの覇気は無かった。
 獄寺はそれ以上何を言うでもなく、再び俯いてしまう。
 弥生はぽかんとその場に棒立ちになる。当然いつもの喧嘩になるものと思っていた。ここは屋外で、時間も遅く他に人もいない。彼がダイナマイトを取り出しても直ぐに応戦出来るよう、握っていたビニル袋を腕に通してもいた。しかし、彼は全くそんな気配を見せない。
「……何か用かよ」
「……別に」
 お互いに無言。消え失せろ、とさえ言って来ない。
 いつもと違う獄寺の様子に、弥生はどうして良いのか判らない。沈みきった彼の背中は、西日に紅く染まっている。弥生は、彼の目の前を離れる。ブランコの柵をぐるりと回り込んで、柱に背を預けた。
 ややあって、獄寺が口を開いた。
「……そう言やお前も、兄貴に相手にされてねーよな」
 弥生はムッとして、柱から身を起こす。
「何――」
「空しくならねえか?」
 そう尋ねた獄寺の声は、からかう様子でも馬鹿にする様子でもなかった。
 弥生は無言で、その場に佇む。
「……やっぱ俺、一人が向いてんのかな」
 誰に問いかけるでもなく、獄寺はひとりごちる。
 普段の獄寺からは、考えようもない言葉だった。十代目、十代目、と綱吉に引っ付き回っているあの獄寺が。
 ……若しかしたら、それさえも自分達は同じなのかも知れない。
「お兄ちゃんが私を必要としていないのなんて、分かってるよ。態々教えてくれるまでもない。――でも、だからって私は諦めない」
 獄寺は顔を上げ、弥生を振り返る。驚いたように見開かれた瞳を、弥生は真っ直ぐに見つめ返した。
「お兄ちゃんが私を相手にしてくれないなら、それは私の力量が足りないから。私がまだ、弱いから。
 だったら私は、強くなる。五年間、ずっと追って来たんだから。今更、たった四ヶ月上手くいかないくらいで、諦めたりなんてしない」
 獄寺はぼうっと、弥生を見つめていた。

「やーっぱり、獄寺君だ」
 公園の外から、明るい声が掛かった。獄寺がハッとそちらを振り返る。
「お母様」
 獄寺が敬語を使う相手は限られている。それに彼女を見れば、誰の母親なのか一目瞭然だった。綱吉は、母親似なのだろう。瞳の大きな、可愛らしい雰囲気の女性。
 彼女は、弥生に目を留める。
「獄寺君のお友達? こんにちは」
「こんにちは……」
 それから彼女は辺りを見回し、獄寺に尋ねる。
「ツナ達は一緒じゃないの?」
「いや……自分はそろそろ帰ろうかと……」
「あら。そのブレスレットじゃない? 高校生の不良の方達が上納品として持って来たって言うのは」
 綱吉の母親は、獄寺の腕を指差す。校則もお構い無しに複数付けられた、黒い腕輪。
「何故それを……?」
「獄寺君の事は、ツナがよく話すもの」
 その一言で獄寺の表情が明らかに一転したのが、弥生には判った。
「十代目が俺の話を?」
「ええ。ツナの口から獄寺君の名前が出ない日は無いわ」
 ――ああ、やっぱり。自分と彼とは違う。
 呆然とする獄寺の背中に、弥生は声を掛ける。
「良かったね。落ち込んでるなんて、君らしくないよ」
 淡々と言って、弥生はその場を去る。公園から出たところで、獄寺が追って来た。いきなり正面に回り込まれ、弥生は身を竦ませる。
「な、何。まだ用――」
「ありがとな!」
「へっ!?」
 獄寺は、いつもの睨みつける表情ではなく笑顔だった。いつも綱吉のみに向けている、人懐っこいあの表情。
 ただ一言だけ言って、獄寺は弥生の横を通り抜け、叫びながら嵐のように駆け去って行く。
「すいません十代目!! 俺、間違ってました!!」
 ――な……え……!?
 向けられた事の無い笑顔。彼が弥生に向けるのは、苦々しげな視線ばかり。かける言葉は、暴言ばかり。彼に対する弥生も同様。それが、当然なのだと思っていた。いつの間にか、日常になっていた。
 向けられたのは、心から嬉しそうな笑顔。かけられたのは、感謝の言葉。
「何アイツ……馬鹿じゃないの……!」
 ただ、綱吉が毎日獄寺の話をしていると知っただけで。滅多に見せる事の無い笑顔は、弥生の目に焼きついて離れない。
 ただそれだけで、こんなにも動揺している自分自信が不可解で仕方が無い。
 ――多分、私は嫉妬しているだけ。
 彼は、弥生と同じではなかった。想いが一方通行なのはやはり弥生だけで、彼の場合は形は違えど綱吉の方も大切な存在として見てくれている。
 こんなに落ち着かない気持ちになるのは、きっとそのため。
「若しかして、弥生ちゃん?」
 綱吉の母親は、公園の前で立ち止まったままの弥生に問うた。弥生は、こくりと頷く。
「ツナから話は聞いているわ。いつもお世話になってるみたいで……」
「……別に」
「ツナと、獄寺君と、山本君と、弥生ちゃんと。四人でよく一緒にいるのよね?」
 弥生はふと口を噤む。
 ――四人で、よく一緒に。
 弥生は軽く、頭を下げた。
「……失礼します」
 足早にその場を去る。
 彼女の言う通りだった。気が付けば、学校では殆ど彼らと一緒にいる。群れる気は無い。そう言って一人単独で行動する事も多いが、やはり頻繁に彼らのペースに巻き込まれていた。
 獄寺と喧嘩して、山本になだめられて、綱吉に誘われて。そんな毎日。鬱陶しいだけの筈のにぎやかなその場所が、いつの間にか日常になっていた。誰かが休むと、気になるほどに。
 ――私は、群れたりしない……。
 強くなるのだ。群れなんて要らない。必要ない。――群れては、いけない。
 雲雀に、認めてもらうためにも。


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2011/04/30