翌日の学校に、さやかの姿は無かった。
「あっ。マミさん! かりんさん!」
 ガラス越しにかりん達の姿に気付き、まどかが教室を出て来る。その表情は、暗く沈んでいた。
 ガラス張りの壁越しに、マミはまどからの教室を見渡す。何度見ても、やはりそこに新人魔法少女の姿は無い。
 黒板前に座る暁美ほむらがまどかを視線で追い、かりんを睨みつけた。マミとかりんはキッとそれを見つめ返し、まどかを迎える。
「美樹さんは……お休み?」
「はい……」
 しょんぼりとまどかは項垂れる。
「私……昨日の夜、追いかけるべきだったのに……」
「昨日……まどかちゃんも、さやかちゃんと一緒にいたの?」
「あ……っ」
 驚いて尋ねたのだが、まどかはそれを咎める意と捉えたらしい。気まずげな様子で、恐る恐る頷いた。
「ごめんなさい……でもどうしても、さやかちゃんの事が心配で……!」
「そうね……私がもっと早く立ち直っていれば、美樹さんを一人になんてさせずに済んだのに……」
「そんな! マミさんのせいじゃないです!」
「そうそう。それに……多分、マミちゃんがいても彼女、あの様子だと私を避けて一緒に魔女退治行ってくれなかったんじゃないかな……」
「かりんさん、さやかちゃんと何かあったんですか?」
「うん……話しちゃっていいのかな……まどかちゃん、志筑さんの話は聞いてる?」
 まどかはこくりと頷いた。ならば、隠す意味もあるまい。
「私、志筑さんから相談を受けたんだよね……でもまさか、さやかちゃんは今ちょっと大変だから、あなたは身を引いててなんて言えないでしょう? 結果的に、彼女の背中を押す形になっちゃって……志筑さんも志筑さんで、相当悩んでいたみたいだったから……」
 決してさやかを陥れようとした訳ではなく、仕方の無い判断。後輩の相談に誠意を持って応える先輩。己の判断を後悔し思い悩む一人の少女を、かりんは演じる。
 マミもまどかも、かりんを責められようはずが無かった。
「誰も悪くなんかない……かりんさんだって、仁美ちゃんの事を一生懸命考えてくれたんだと思います。でも……」
 まどかは涙ぐむ。
「だけど、さやかちゃんの事ももう少し考えて欲しかったなって……」
「難しい問題よね……」
 しんと三人は黙りこくる。
 その時、周囲のざわめきが耳に入った。
「誰だろう? あの子……」
「同じぐらいの年だよね? 他の学校の子かな……」
 何と無しに、会話する生徒達の視線の先を辿る。彼らは、窓の外を見下ろしていた。
 窓から見えるのは、どこか西洋の国を思わせる佇まいの白い正門。そしてその柱から見え隠れするようにして、校内の様子を伺っている女の子の姿があった。
 マミとまどかも、それに目を留める。
「え……あれって……」
「佐倉さん……!?」
 まどかには教室に残るように言い置いて、マミとかりんは彼女の元へと向かった。かりんと仲直りしたと話には聞いても、マミはやや警戒した面持ちだ。
 近くまで来てたたらを踏むマミを残し、かりんは杏子の前へと姿を現した。
「そんな所で何やってるの? 杏子ちゃん。校舎からは丸見えだよ」
「あ……えと、さやか、学校に来てる……?」
 かりんは静かに、首を振る。
「そうか……」
「……美樹さんの事、気に掛けてくれるのね」
 マミが、木陰から姿を現す。杏子は罰が悪そうに、そっぽを向いた。
「別に……ただあいつ、放っといたらあたしと同じ間違いをしそうだし……。昨日は、様子がおかしかったしさ。ったく、二人とも肝心な時にいやしないんだから。昨日の晩、新人一人放置して一体どこ行ってたのさ?」
「私達も、別の場所で魔女と戦ってたんだよ。昨日、さやかちゃん何かあったの?」
 杏子の話によると、昨晩工場地帯の魔女を倒したのはやはりさやかだったらしい。自暴自棄になって、痛覚を消して、酷く痛々しい戦い方をしたようだ。
「下手に助太刀に入ったもんだから、グリーフシードもあたしに寄越して行っちまって……あんな戦い方じゃ、ソウルジェムも限界だろうってのに……。やっぱり、あたしは信用されないのかな……当然か、あんな会い方をしたんじゃ」
「そんな事ないよ。一昨日だって、さやかちゃん、行ってたじゃない。もし杏子ちゃんの気さえ変われば、一緒に戦おうって。あなたが連れ出してくれたおかげで、さやかちゃんも立ち直る事が出来た。初めて会った時よりもずっと、心は通じ合っていると思うよ」
「そ、そうかな……」
「そうね。美樹さんとあなた、良い友達になれると思うわよ」
「バッ……友達とかそんなもの別に……そ、そんな事より今は美樹さやかの事だ! 昨日の夜、あたしとほむらの所にキュゥべえが来てさ。『美樹さやかが呪いを生み出した。早く何とかしないと厄介な事になる』って……。ほむらに聞いてもあいつ、ソウルジェムを浄化しないといけないって、それしか教えてくれないし……マミ達なら、何か分かるかなって……」
「ソウルジェムが穢れてきたら、万全な状態で戦う事は出来なくなるけど……そういう事ではなくて?」
「さあ……。
 とにかく、学校にいないなら家に行ってみるよ。何か分かったら、また知らせに来る」
「それなら、私達も……」
 立ち去りかけた杏子は、マミの言葉に足を止めた。振り返った彼女の表情は、どこか寂しげな笑顔だった。
「……あんた達は、学校があるだろ。もしかしたら、あいつが遅刻して来るかも知れない。家族からの欠席なり何なり、連絡が入るかも知れない。こっちは、あたしに任せてよ」
「でも……」
「マミちゃん、杏子ちゃんに任せよう。
 杏子ちゃん、よろしくね」
 杏子は神妙に頷くと、今度こそ駆け去って行った。

 結局学校には何の報せもなく、杏子からの連絡も入らなかった。放課後になり、まどかと共にさやかの家を訪れて、かりんらはさやかが昨晩から家に帰っていない事を知った。
 杏子もそれを知って、町中を探し回っているのだろう。かりん達も、手分けしてさやかを探し始める。
 かりんが彼女を見付けたのは、繁華街から一本裏道に入った所だった。夕暮れの中、崩れ行く使い魔の結界。マミもその気配を察知したのだろう。手分けして探していた彼女も、その場に現れる。
「かりん! この結界、もしかして……」
 かりんは無言で頷く。
 予想通り、消え去った結界の中から現れたのは、青い服に白いマントが印象的な魔法少女、さやかだった。
「美樹さん……!」
「あ……マミさん……かりんさん……」
 駆け出すさやかの行く手をふさぐようにして、かりんは移動魔法を発動させる。たたらを踏んださやかの腕を、マミが掴んだ。
「放してください!」
「どこへ行くつもりなの、美樹さん!? あなたのソウルジェムはもう、限界のはずよ!」
「さやかちゃん、ごめんね。私、もっとちゃんと考えるべきだった。私のせいで、上条くん……」
「やめてください、かりんさん。マミさんも、放してください。
 かりんさんは何も悪くないんです。仁美だって、恭介だって、何も悪くない。かりんさんも仁美も、あたしの事も一生懸命考えてくれたんだって、あたし、解ってます。解ってるのに……なのにあたし、あの時仁美を助けた事を後悔しちゃって。かりんさんを責めるような事しちゃって。あたし、かりんさん達に合わせる顔なんてない……!」
 マミの腕を強く振り払う。勢い余って倒れかけたマミを、咄嗟にかりんは支えた。
「ごめんなさい……!!」
 叫ぶように言い捨て、さやかは駆け去ってしまう。かりんに追い駆ける気などなく、マミも拒絶する彼女を追う事は出来なかった。

 その後どんなに探しても、再びさやかを見つけ出す事は出来なかった。会社帰りの人々の姿も次第に減り、遂には日付も変わってしまった。
 夕方に会った時の様子からして、さやかが魔女や使い魔を倒して回っているのは明らかだった。ならば結界を辿れば彼女に会えるのではないかとかりんらもソウルジェムの輝きを頼りに魔女や使い魔を探して回るが、一向にさやかは見つからない。何度か使い魔と戦ったが、そこにさやかの姿は無かった。
 かりんはストックしているグリーフシードを、マミに差し出す。度重なる使い魔戦で濁って来たソウルジェムは、再び黄色く煌いた。
「ねえ、マミちゃん……さやかちゃんは心配だけど、そろそろ休んだ方がいいんじゃないかな……。あんまり無理してミイラ取りがミイラになっちゃ元も子もないし……」
 マミはブロック塀に座り込んだまま、答えない。
 マミも限界を感じているのだ。さやかは見つからない。魔力の消費で、ソウルジェムを濁らせるばかり。
 そして、例えさやかを見付けたとしても掛ける言葉が見付からないと言う事。
 今さやかを見付けたところで、マミやかりんではまた同じように拒絶されるだけだろう。
「……それなら、かりんだけでも帰ったらいいわ。こんなに遅くまで出歩いて、ご両親も心配しているだろうし……」
「それは大丈夫。うち、放任主義だって言ったでしょう?」
 少し苦笑して、かりんはさらりと嘘を返す。
「せめて、美樹さんにグリーフシードを渡せたら良かったんだけど……」
「……うん」
 頷きながら、通学鞄を握る手にぎゅっと力を入れる。
 このグリーフシードはマミのためのもの。マミと、かりんのソウルジェムを浄化するための。誰にも――ましてや、今順調に「育てて」いる魔法少女になんて、渡すものか。もっとも、今の彼女にかりんが差し出したところで受け取りはしないだろうが。そう、仕向けたのだから。
 かりんはちらりと腕時計に目を走らせる。
 さやかは自らも戦いを続けて、ソウルジェムを濁らせていた。そのペースは想定していたよりもずっと早い。もしかしたら、今夜中にも完成するかも知れない。このままさやかの捜索を続けて、マミをその場に直面させる訳にはいかない。
 マミがあきらめた様子で立ち上がったその時、二人のソウルジェムが淡く光った。
 マミとかりんは顔を見合わせる。かりんは、肩を竦めて笑った。
「最後にしよう。見逃す訳にはいかないからね」
「ええ」
 ソウルジェムの光を頼りに、より光が強くなる方へとじわじわと近づいて行く。そうして辿り着いたのは、終電時間が過ぎシャッターの降りた駅舎だった。
「これは、魔女の気配ね……。美樹さん……いるかしら」
「さあ……」
 ソウルジェムをかざし、結界の入口を開く。
 白い光は、僅かにたわんだ。
「誰かいる……」
 かりんは緊張した面持ちで呟く。さやかか、それとも他の魔法少女か。
「美樹さん!!」
 止める間も無く、マミは結界へと飛び込んで行った。かりんは慌ててその後を追う。
 結界で戦うのは、佐倉杏子だった。そしてその肩には、美樹さやかの身体。
 さやかはぐったりと抱えられたまま、微動だにしない。何が起こったのか、かりんは一瞬で理解した。
 ――これだけは、避けたかったのに。
「佐倉さん! 美樹さんは一体……!?」
「分からねぇ! 突然倒れちまって、そしたらこの魔女が現れて……てめえ、一体何なんだよ!? さやかに何をしやがった!!」
 さやかを抱えたままでは槍を扱う事が出来ず、杏子は防戦一方だ。上半身は鎧に包まれ、下半身は人魚のような尾のある魔女。彼女の振りかざす剣の合図で、車輪が杏子へと襲い掛かる。マミの銃弾が、それを破壊した。
 そのままマミは、杏子より前へと出る。
「美樹さんのソウルジェムは!?」
「そうだ……ソウルジェム……こいつのソウルジェム、もう真っ黒で……まるで……」
「結界内に落としたのかも知れない。さっさとこの魔女を倒して、手分けして探そう」
 かりんも鎌を抱え、マミの隣に並んだ。
 マミは力強く頷く。いける。やり過ごせる。いつものように、グリーフシードを回収するのだ。
 ――そう、思ったのに。
「本当にいいの? 巴マミ。その魔女を倒してしまって」
 ハッと三人は辺りを見回す。
 一体いつの間に現れたのか、暁美ほむらが杏子の横に佇んでいた。差し出される両手。
「捕まって」
 かりん達は戸惑うように、顔を見合わせる。汽笛のような音に重なり、ほむらが叫んだ。
「早く!」
 杏子とマミがほむらの手を取り、かりんはマミのもう一方の手を握った。途端、辺りの音が静止する。見回せば、魔女も、車輪も、身動き一つせずその場で固まっていた。
「これって……」
「私から手を離したら、あなた達の時間も止まってしまう。気をつけて」
 言って、宙に浮かぶ線路の上を駆け出す。
「どうなってるんだよ!? あの魔女は何なんだよ!」
「かつて美樹さやかだったものよ。佐倉杏子、あなた、見届けたんでしょう?」
「何……? どう言う事……!?」
 マミが驚愕の表情で杏子を見つめる。
 杏子は答えず、忌々しげに俯いた。もう、誤魔化しようがなかった。彼女は、見たのだ。ソウルジェムがグリーフシードになる、その瞬間を。





 暗がりの中、時計の音だけがカチコチと響く。古びた畳に敷かれた布団ではなく、柔らかなベッドでかりんは布団に包まっていた。少し手を伸ばせば届く所に、柔らかそうな金色の髪が広がっている。
 結界を出た後まどかとも遭遇し、暁美ほむらの口からソウルジェムの最後の真実が告げられた。
 さやかの身体は杏子が持ち帰り、かりんはマミの家へ泊まる事にした。彼女を、独りにはしたくなかった。
「……ねえ、かりん」
 背を向けたまま、ぽつりとマミが呟いた。やはり、眠ってはいなかったらしい。
「……なあに?」
「私達……これから、どうしたらいいのかしら……最後はああして、魔女になるしかないの……? 美樹さん、みた、い、に……」
 マミの肩が震える。
 かりんはそっと腕を伸ばし、彼女を抱きしめた。
「大丈夫……マミちゃんは、魔女になんてならないよ……私が、絶対にさせないから……」
 マミはただ、すすり泣く。
 さやかの事、魔法少女の背負う運命の事。今夜一度に襲い来た真実は、あまりにも残酷だった。
 静寂の中、インターホンが鳴った。かりんもマミも、身を起こす。
「誰かしら、こんな時間に……」
 パジャマの上にカーティガンを羽織り、マミは玄関へと出る。かりんも後から顔を覗かせる。
 開いた扉の先にいたのは、佐倉杏子だった。
 真っ暗な窓が並ぶアパートで、一室だけ煌々と明かりが点る。小さな三角テーブルには紅茶が並べられていた。
「悪い、起こしちゃった?」
「いいわ。どちらにせよ、眠れなかったから。ね?」
 マミの言葉に、かりんも頷く。
「だよな……あんな事があった後だもんな……。……あのさ、マミ、かりん。手を貸して欲しいんだ」
 二人は、きょとんと杏子を見つめ返す。
「ほむらはあれが魔法少女の最後の姿だって言ってたけどさ……もしかしたら、助ける方法だってあるかもしれないだろ? あの魔女を真っ二つにしたら、中からさやかのソウルジェムがぽろっと出て来たりとかさ、呼び続ければ正気を取り戻したりとかさ。まだ、魔女になってあんまり経ってないんだ。今なら間に合う、とかあるかも知れない」
「それは……キュゥべえが、出来るって言ったの?」
 かりんは厳しい表情で尋ねる。迷いも無く倒すならともかく、攻撃してくるだろう魔女に耐え続けるだなんて、倒すにしても相手はさやかだなんて、そんな戦いにマミを赴かせたくない。
 手を汚すのは、かりん一人で十分。
 杏子は、首を左右に振った。
「あいつは、前例は無いって……でも、あいつにも分からない事はあるんだ。ただ、今まで誰も挑戦しなかった。それだけの事かも知れないだろ? チャンスがあるなら、あたしはあきらめたくない。
 まどかも誘ってみようと思うんだ。さやかの親友みたいだから。あたし達の言葉が届かなくても、あいつの言葉ならもしかしたら届くかなって……。あたし一人じゃ、絶対に守ってやれるなんて自信ない。だから……」
 杏子はスッと机から下がり、姿勢を正す。そして、深々と頭を下げた。
「頼む! 今更こんな事言えた義理じゃないって分かってる……でも、あたしと一緒に戦って欲しいんだ!」
 マミとかりんは顔を見合わせる。そして、ふっと微笑んだ。
「顔を上げて。佐倉さん」
 恐々と、様子を伺うように杏子は頭を上げる。
「まさか、あなたからそんな風に持ちかけられるなんてね……。私達だって、美樹さんの事はあきらめたくないわ」
「また一緒に戦おう、杏子ちゃん。皆で力を合わせれば、きっと声は届くはずだよ」
 ぱあっと杏子の顔が輝いた。
『――君は、無駄だって知ってるよね?』
 声がしてちらりとかりんは窓に目をやる。半分陰に隠れるようにして、キュゥべえがベランダの手すりの上に座っていた。赤い瞳が、じっとかりんを見据えている。
『知ってる。でも、それを彼女に知らせる必要はないでしょう? 杏子ちゃんに尋ねられて否定しなかったって事は、あなたもこの展開を望んでいるんじゃないの?』
『いや、解っているならいいんだ。まどかが魔法少女にならないままに死んじゃったりしたら、とてつもない痛手だからね』
 ゆっくりと尾を振り、闇に解け入るようにキュゥべえは去って行った。
「なあ、マミ。ケーキ無いの?」
「あら。もう朝とも言えるような時間よ?」
「腹ごしらえだよ、腹ごしらえ。作戦会議には、エネルギーだって必要だろ」
 さやかを助けられるかもしれない。
 一抹の希望と、まるで昔に戻ったかのような錯覚に、マミと杏子はどこか楽しげだった。

作戦会議は日が昇るまで続き、登校時間になると通学中のまどかを拾って一行はさやかの捜索を開始した。
 昨日の駅にはもう魔女の気配は残っておらず、人が多く負の感情が溜まりやすい所や、逆に人気の少ない自殺に向きそうな所、病院やCDショップと言ったさやかに纏わる場所など、マミの分析を足掛かりにして魔法少女三人の経験とまどかの知識を頼りに結界を探していく。
 日の暮れる頃になってやっと、四人はさやかの結界を発見した。
「さやかちゃん……私だよ! まどかだよ! ねえ、聞こえる? 私の声がわかる!?」
 まどかの呼びかけにも構わず、魔女は低い唸り声を上げる。魔女のかざした剣に呼応するように、宙に複数の大きな車輪が現れた。
「怯むな! 呼び続けろ!」
 杏子が叫び、まるで祈るように手を組む。まどかの前に、赤い格子状の結界が現れた。
 結界を背にして、かりん、杏子、マミの三人は魔女に対峙する。
 オーケストラの演奏を背景に、次々と襲い来る車輪。それらを裁きながら、杏子らもさやかに語りかけていた。
「美樹さん! お願い、正気を取り戻して……元に戻って……!」
 かりんら――せめてまどかの言葉に動揺でも見られれば可能性もありそうなものだが、当の彼女には全く言葉は通じていない様子だ。ただただ、演奏を邪魔し叫び続けるかりんらを恨み攻撃する。
「こんな事、さやかちゃんだって嫌だったはずだよ! さやかちゃん、正義の味方になるんでしょ!? ねえ、お願い! 元のさやかちゃんに戻ってぇ!!」
 魔女は唸り声を上げる。車輪の数が一段と増え、かりん達を襲った。
「――マミちゃん!!」
 咄嗟にマミの所へと瞬間移動し、彼女を連れてまた移動し車輪を回避する。
「杏子ちゃん!?」
「佐倉さん!!」
 逃げ遅れた杏子は、その身に車輪を食らっていた。杏子の張っていた結界は消え、彼女自身の腹からもどばっと血液が噴出す。
「大丈夫……この程度……屁でもねえ……」
 マミは、杏子の方へと駆け寄って行く。
「かりん! 美樹さんをお願い!」
 駆けながら、マミはまどかの方へと手をかざす。黄色いリボンがまどかを取り巻き、宙に消え、そしてまどかの足元が白く光った。杏子へと辿り着いたマミは、彼女の治癒に取り掛かる。
 かりんは彼女達と魔女の間に入り、襲い来る車輪を鎌で弾き返す。
 ――無駄な戦いだ。
 杏子とマミも、そろそろ理解しただろう。こうなってしまったさやかは――魔女は、狩り取るしかないのだと。
 問題は、いかにしてより効率的に狩るか。
「きゃあっ!」
 車輪の集中砲火に、かりんは弾き飛ばされた。
「かりん!!」
 マミの声がする。盾となっていたかりんを失い、まだ治癒作業の最中だったマミと杏子も攻撃を受ける。マミの結界が薄れ消え去った。
「マミさん! 杏子ちゃん!
 やめて! もうやめて! さやかちゃん、私達に気付いて!」
 倒れるマミと杏子へと、魔女が腕を振りかざす。
 まどかが飛び出し、二人を庇うように手を広げた。なす術も無く、まどかは魔女の手に囚われる。掴んだまどかを、魔女は握りつぶそうとしていた。苦しみ呻きながらも、まどかは尚もさやかに呼びかけていた。……そして、その声が途絶えた。
「鹿目さん……!」
「さやか!!」
 杏子が槍を構え、飛び上がった。――今だ。
 かりんは彼女達の背後でそっと移動魔法を発動させる。魔女の大きな体躯の陰に移り、分厚いうろこを両手で掴む。そして魔女を道連れに、僅かに左へと移動した。即座にまた、元の結界の隅へと戻る。この間、僅か一秒足らず。
 腕を狙った斬撃は、魔女を頭から貫く。
「え……」
 魔女の断末魔が響き渡る。呆然と佇む杏子の前で、彼女はもがき、手当たり次第に剣を振り回し、けれども何も破壊出来ぬままに消滅した。
 辺りが歪み、結界が消え去る。魔女が消え去り、その腕に囚われていたまどかが落下する。マミのリボンが、その身体をすくい取った。ゆっくりと地面に下ろし、脈を確認する。
 後に残されたのは、静寂に満ちた駅と、そのホームに転がるグリーフシード。
 掠れた声で、杏子が呟く。
「どうして……こんな……」
「……どうしてって聞きたいのは、こっちの方だわ」
 気絶したまどかを膝に抱いたまま、押し殺したような静かな声でマミが言った。
「佐倉さん、あなた、言ってたじゃない……美樹さんを救いたいって。可能性がある限り、あきらめたくないって……なのに、美樹さんを殺してしまうなんて……!」
「あ……違……」
 かりんは立ち上がり、彼女達の横を通り過ぎて行く。そして、音符のような模様のグリーフシードを拾い上げた。
「……あのまま戦い続ければ、確かにさやかちゃんを救える可能性もあったかもしれない。でも、何も変わらなかったかもしれない。……杏子ちゃんを責める事は出来ないよ」
「……そうね……私も、解っていたわ。限界だって。でも……頭では理解しても、そう簡単に割り切る事なんて出来なくて……ごめんなさい、佐倉さん」
「や……」
 杏子は戸惑うばかりだ。
 まどかが小さく、うめき声を上げた。目を覚まし、途端に弾かれたように起き上がってきょろきょろと辺りを見回す。
「さやかちゃん……さやかちゃんは!?」
「……」
 マミも、杏子も、かりんも、誰も返す言葉など無かった。
「嘘……嘘でしょ……? そんな……そんな事って……」
「ごめんなさい……鹿目さん、ごめんなさい……!」
 マミはふらりと立ち上がり、駅を去って行った。誰も、呼び止める事など出来なかった。
 マミが去るのを見送り、かりんは拾い上げたグリーフシードを杏子に差し出した。
「ほら、どうぞ」
 杏子は、驚いたようにかりんを見る。
 かりんは、微笑んだ。
「彼女を狩ったのは、杏子ちゃんだもの。これを使う権利は、杏子ちゃんにあるよ」
 ハッと杏子の顔色が変わった。歪む表情。
「そうだ……あたしが、あいつを……。あいつの事、助けてやるって……絶対こんな終わりにさせたりしないって、そう思ってたのに……友達になれると思ったのに……! ちくしょう……ちくしょう……」
「杏子……ちゃん……?」
 まどかが涙声で呟く。
 杏子は片手で顔を覆い、ふらりと傍の柱にもたれかかった。
「結局あたし達魔法少女なんて、こんなもんだったんだ……自分勝手な幸せを人に押し付けて、かえって周りを不幸にしちまう……この力で、他人を幸せに出来るなんて、そんなのまやかしでしかない……。
 もう、何もかもたくさんだ……! こんな世界、いっそ全部ぶち壊してやるさ……呪ってやる……何もかも、呪ってやる……!!」
「杏子ちゃん!?」
 赤と黒の交じり合った光が弾けた。


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2012/11/03