「あ……あああ……」
 わあっと叫び声を上げ、沙穂は駆け出す。
 只管家まで駆け続けた。家に到着すると、ランドセルを投げ出し布の両端を肩に結びつける。布の中身は、昨日調達した電動鋸だ。何十にも布を巻きつけ、見た目では何だか分からないようになっている。その上から隠すように小さなナップザックを背負い、沙穂は自転車に飛び乗った。
 そして、坂道を転げるようにして興宮へと疾走して行った。





No.8





「おんやぁ〜、岡藤さんじゃあないですかぁ〜」
 気の抜けた声に、沙穂はホッと息を吐く。何とか無事、興宮警察署まで辿り着く事が出来た。
 大石は他の刑事達を下がらせ、沙穂の正面の椅子に腰掛けた。
「直接尋ねて来るなんて、何かありましたか?」
「……家の電話は、祖父に聞かれてしまうので」
 家にある電話は、一台のみ。それは、玄関を入った所の土間にある。祖父をも信用出来ない状況では、電話の使用は不可能だ。
 沙穂は、膝の上に置いた手をぎゅっと握り締めた。
「……昨日……梨花とは、何の話を……?」
「ちょっとね、鎌をかけてみました。富竹さんと鷹野さんが殺害された事と、祟りではなく事件だと言う話を。
何か、行動は起こしましたか?」
「いえ、その後梨花からは特に……。
大石さんの方は……? えっと、梨花は、何か……?」
「岡藤さんは、ご存知ですか。古出さんは、予知能力を持っていると言われている事を」
「……オヤシロさまの生まれ変わり、ですか。それなら、うちの祖父母も信仰者です」
「神社の娘が、神様の生まれ変わりと言われて村の皆から可愛がられる。一見、何処の田舎にもありそうな自然な話なんですけれどね。古出梨花は、これまでに幾つもの未来を言い当てているんですよ」
「予言……?」
「そう言う事になりますね。けれどこれがねぇ、連続怪死事件に関する事も多々含まれているんですよ」
「な……っ」
「私は神様や祟りなんで信じちゃいません。予言なんてのも、同じ話です。
予知能力が嘘だとするなら、何故彼女は未来を言い当てる事が出来るのか。――簡単な話です。事件の裏側、次の犠牲者を予め知る事の出来る立場にいれば良い」
「つまり、梨花は連続怪死事件のグルで、今後の予定を『予言』と称して言っているだけ……と?」
 大石は無言で首を縦に振った。
「……確証はありませんがね。鎌をかけたのも、無邪気な笑顔でするりとかわされましたよ。尤も、その笑顔が本当に無邪気なのかは分かったものではありませんが」
「……」
 沙穂は、黙り込んでしまう。

 一拍置いて、沙穂は尋ねた。
「あの……『鬼隠し』って、何だか分かりますか?」
「ええ」
 頷いて、大石は手帳をぱらぱらと捲る。
「――少し、長い話になりますよ」
 そう前置きして、彼は説明を始めた。
 雛見沢は昔、鬼の住む里と呼ばれ恐れられていた。鬼隠しとは、一般的に言う神隠しと同義である。鬼が人をさらい、食ってしまう。そう言った言い伝えが、ここにはあった。
「『ここ』……?」
 沙穂はブラインドの掛かった窓に目をやる。
「……興宮に、ですか?」
「実際伝わっているのは、雛見沢でですがね。――雛見沢は、さらう側なんですよ」
 沙穂は目を見開き、パッと振り返る。
「雛見沢には、人食い鬼が住んでいる。そう言った言い伝えがあるんです。それが園崎家の暗躍の事を言っているのか、それとも単なる昔話なのか、真偽の程は分かりません」
「そ、そんな話……祖父母は一言も……」
「あんまり良い話ではありませんからねぇ。外の者の耳には、入れたくないんでしょう」
 外の者。
 その言葉に、沙穂は視線を落とす。やはり、沙穂は余所者でしかないのか。沙穂が村へ来て、もう三年目だ。本来ならば、とうに村の一員の筈だった。――祖父母との折り合いさえ、悪くなければ。
 雛見沢に住まう人食い鬼。毎年起こる、不可解な連続怪死事件。全ての渦中として度々出る、園崎の名前。オヤシロ様と言う言葉。
 沙穂は、膝の上に置いた拳をぎゅっと握る。
「でも……鬼なんて、そんなの伝承の中の生き物です……。雛見沢に住むのは、人間です。祟りとか鬼とか、そんなの無理に決まってますよね……?」
「ええ……私も、あくまでも比喩として語り継がれているだけだろうと思っていますよ。ただ、人食いについては、強ちただの伝承とは言い切れません」
「は……?」
「岡藤さんは、どうして御三家が園崎、公由、古手なのか疑問に感じた事はありませんか?」
「いえ……特には……」
「古手家は神主、公由家は村長、けれど園崎家には村と関わる肩書きが無い」
 言われてみれば、その通りだ。
 実際、雛見沢の主権は殆ど園崎家が握っている。政治家や金融、不動産、数多くの権力に園崎家は繋がりがある。
「園崎家に実力者がいたりとか、徐々にのし上がって行ったとかじゃないんですか……?」
 言いながらも、違うのではないかという予感はしていた。大石が話に出すからには、園崎家の権力の裏側にも何か後ろ暗い事があるという事なのだろう。
「んっふっふ。確かに、ある意味実力者でしょうねぇ。
戦後の話ですがね。お魎の夫、園崎宗平が食料難に際し、軍の缶詰を横領し闇市で高値で売り捌いたと言う話があるんですよ。その資金で雛見沢は栄え、園崎家は村の救世主となった……とね。一見、他の話に比べればなんて事無い話に思えます。ただ……その缶詰の材料が、人肉だったと言われているんですよ」
「人食い鬼の伝承……?」
「伝承があるからそんな噂が出て来たのか、缶詰の話が事実だったから伝承が出来たのか、正確な所は分かっていません。例え後者だったにせよ、とうの昔にもみ消されていますしねぇ」
「……」
 俯く沙穂の顔は蒼かった。





 ――自分は、一体何処で選択を誤ってしまったのだろう。
 夕暮れの中をふらふらと自転車を漕ぎながら、沙穂はぼんやりと考える。どうしてこうなってしまったのだろう。ただ他所から越してきただけと言うなら、圭一も同じ目に遭わなくてはおかしい。
 雛見沢では、園崎家が「オヤシロさまの祟り」を暗躍している。園崎家次期頭首である魅音は沙穂に警告を発し、レナや圭一とこそこそと密談をしていた。梨花はオヤシロさまの生まれ変わりとして、祖父に沙穂が次の犠牲者となる事を告げた。
 このまま逃げるのは嫌だ。それこそ、奴らの思う壺だ。自ら行方を晦まし「鬼隠し」なんてご免だ。
 オヤシロさまの祟りなんてものは、今年で断ち切らなければならない。
 けれど、どうすれば良いのだろう。祖父は、大人しく沙穂を引き渡すつもりだ。このまま家に帰って、本当に良いのだろうか。
「危ない!」
 ふと声がかかり、沙穂ははっと気がつく。目の前には電柱が迫っていた。気付いた時には既に遅く、真正面から電柱に衝突し、跳ね返ってその場に横倒しになる。
「痛たた……」
 自転車を腕で押し上げ、下敷きになった足を引っ張りだす。膝を擦り剥き、微量の血が滲んでいた。
 服の埃を叩き、自転車を起こす。
 叫んだ声の主が、笑顔で沙穂の方へとやって来た。手には、買い物袋を提げている。
「誰かと思ったら、沙穂じゃーん。あっれー? 今日は体調悪いんじゃなかったのー?」
 いつもの調子でからかう様に言いながら、魅音は手を振りやって来る。
「魅……音……」
 沙穂は警戒しながらも、自転車を起こしたまま立ち止まる。
 ここで逃げ出しても、不自然なだけだ。逃げたところで、園崎家の人員ならば沙穂如きを捕まえる事など、容易な事だろう。なるべく、こちらの動きは読まれない方が良い。
「……まだ、こっちで暮らしていたのか」
 朝あんな事を言っておきながら、魅音はいつもの様子だ。その真意は分からないが、こちらも合わせておいた方が良いだろう。
 魅音は肩を竦めて笑う。
「まあね。そう簡単には帰れないよ。――大丈夫? 凄く顔色が悪いみたいだけど」
「ああ……病院に、行ってきた」
「態々興宮まで? 監督の所があるのに」
「入江診療所の前で、祖父を見かけて」
 なかなか上手い嘘だと思った。沙穂と祖父母の不仲は、魅音も当然知っているのだから。
 不意に、沙穂の腹が鳴った。思い返せば、祖母が失踪してからと言うもの、まともに食べていない。とは言え、こんな時に鳴るなんて。沙穂は顔を真っ赤にして俯く。
 魅音は、軽く笑い、沙穂に背を向け首だけ振り返った。
「何なら、寄って行く? ちょうど、これから晩御飯にする所なんだよ」
 そう言う魅音は、いつもの明るく世話焼きな魅音だった。園崎家次期頭首である彼女を、簡単に信用してはいけない。けれどもその明るい笑顔と、空腹には勝てなかった。

 魅音の手料理は美味かった。
 最初の内は警戒していた沙穂も、次第に緊張が緩んで行った。こうしていると、彼女達が自分を殺そうとしているなんて信じられなくなって来る。
「相変わらず、沙穂はよく食べるね〜。おじさん、作り甲斐があるよ。たくさん食べてくれて良いからね。この間、親戚からお裾分け貰ったんだけど、私じゃ片付けられなくて困ってたんだよ」
「そうか。それじゃ、遠慮無く貰うよ」
 魅音も自身の夕飯を持ってきて席に着く。
 だが食事には手をつけず、じっと沙穂を見つめていた。居心地の悪さを感じ、沙穂は食事の手を止める。
「……何だ?」
「えっと……沙穂ってさ、悟史君と仲良かったよね」
「……うん」
 一気に部屋の温度が下がった気がした。悟史は、昨年のオヤシロ様の祟りの犠牲者。「転校」させられた。
 本題に入るのか。沙穂は固唾を呑んで次の言葉を待つ。
 その時、玄関のチャイムが鳴った。
 魅音は顔を顰める。
「まったく、タイミング良いなあ……。ちょっと出てくるね。食べてて良いから」
 魅音は席を立ち、玄関の方へと出て行った。
 沙穂は肩の力を抜き、大きく溜息を吐く。しかし、直ぐに立ち上がる。沙穂がいる間の来客。あまりにも、タイミングが良過ぎやしないだろうか。
 気づかれぬよう、壁に手をつき忍び足で玄関へと向かう。玄関からは、魅音と男性の話す声が聞こえていた。
「だから、大丈夫ですって。沙穂は元々、私がここに住んでる事を知っていましたし……」
「ですが、万が一にもあの方のお耳に入る事になりましたら――」
 沙穂は角に隠れ、そっと玄関の方を覗く。そして息を呑んだ。魅音と話しているのは、黒いスーツに身を固めサングラスを掛けたいかにもな容貌の男だった。その彼が敬語で魅音に話し、魅音も敬語ではあるがくだけた調子で話している。
 男の言った言葉に、沙穂は思考を巡らせる。あの方――やはり、園崎よりも上に立つ者がいたのだ。村人達から神も同然に崇められ、園崎をも従わせる人物。オヤシロさまの生まれ変わり。
 魅音は肩を竦める。
「そんなヘマしませんよ。あの子には、魅音だと名乗ってありますし――」
 ――「魅音と名乗っている」……?
 沙穂は眉を顰める。一体、どう言う事か。名前さえも、沙穂は真実を教えられていなかったと言う事なのか。
 沙穂が知っている魅音は、偽りの存在だったのだろうか。それでは、沙穂が今まで一緒にいた魅音は、誰だったと言うのか。何だったと言うのか。
 ――鬼。
 雛見沢に住まう鬼。里へ下り、人々を食らう鬼達。その、筆頭。
 頬を汗が伝う。
「それじゃ、そう言う事で」
 魅音は男に背を向けた。沙穂は慌てて身を引く。部屋へと戻りながら、男性が魅音に話すのを聞いていた。
「私は隣の部屋にいます。何か、御入用がありましたら――」
 ――御入用? 何の?
 考えるまでも無かった。

 沙穂が席に着いて間も無く、魅音は戻ってきた。沙穂は、黙々と食事の手を進める。
「ごめんね、沙穂。あれ、思ったより食べてないなー。やっぱ、まだ具合悪い?」
「そうかも……」
 沙穂は短く返す。
 魅音は沙穂の正面の席に座り、自身も食べ始めた。沙穂は、ふと魅音の食事に目を留める。
「――違う物を作ったのか?」
 沙穂の食事と、魅音の食事は違う物だった。態々、別の物を作ったのだろうか。でも、何故?
 魅音は苦笑する。
「うん。ほら、言ったでしょ? 親戚からお裾分け貰って――私、苦手な物でさ。どう? 美味しい? 結構珍しい物らしいんだけど」
「ああ、確かに変わった味だとは思っていたがおいし――」
 沙穂の言葉は途切れた。
 沙穂の様子を伺う魅音の瞳は、いつもの物ではなかった。レナや梨花と同じ、警告した時と同じ、あの瞳。
 沙穂は思わず箸を置く。じわじわと胸焼けがして来た。
「お裾分けって……何の……?」
「缶詰」
 魅音は一言、静かに言う。
 沙穂は机を叩き、立ち上がった。
「何の……何の缶詰だ!」
「何を今更。分かってんでしょ?」
「はぐらかすな。まさか……まさか……」
 声が震える。
 思えば、昨日の祖父の弁当もハンバーグの味が奇妙だった。大石の話が脳裏を過ぎる。
『雛見沢には、人食い鬼が住んでいる』
 魅音は、口を三日月形にして笑っていた。
「言ったでしょ? ――『沙穂とはずっと仲間でいたい』って」
「な……あ……」
「で、沙穂は悟史君と仲が良かったんだよね?」
 沙穂の目が見開かれる。
 皿に盛られた、歪な肉片。まさか――これは――
「あ゛あああぁぁぁぁぁあああ!!」
 悲鳴が迸る。胃に流れ込んでいた物が込み上げて来て、沙穂はその場に嘔吐した。
「良かったね、沙穂! これで沙穂も、私達と仲間だよ。これからも、ずっと、ずぅーっと……」
 沙穂はごほごほとむせ返る。やり場の無い嫌悪感が己を襲う。
 むせ続ける沙穂の顔を、魅音が覗き込む。彼女は、この世のものとは思えないほど凶悪な笑みを浮かべていた。
「何やってんの? ちゃんと食べなきゃ。沙穂も、私達と『仲間』でいたいでしょ?」
「ひ……っ」
「ほらぁ……」
 魅音の手が、沙穂の後頭部へと伸びて来る。沙穂は歯の根が合わないほどに震えている。
 沙穂は、あらん限りに声を張り上げ絶叫した。





 沙穂は、山道を自転車で走りぬけていた。背には、白い布に包まれた愛用の電動鋸を担いでいる。
 電灯の無い夜道。月明かりに木々の影が浮かび上がる様子は、慣れ親しんできた雛見沢の風景とは違って見えた。沙穂は、脇目も振らずに疾走する。誰かの視線を感じてならない。少しでも林の中に視線を送ったら、見てはいけない物を見てしまいそうな気がした。
 田圃の間を抜け、再び木々の間の坂道に入った時だった。脇の林の中から、ガサと物音がした。思わず、沙穂はそちらに視線を向けてしまう。
 ほんの一瞬だった。けれども沙穂は、確かに見た。
 林の中には一人の少女が立っていた。白いワンピースに白いベレー帽、ワンピースには紫色の大きなリボン――レナに相違無い。彼女は、真っ直ぐに沙穂を見つめて佇んでいた。その手に握られた物に、月明かりが反射して光る。
 沙穂は自転車を漕ぐ脚に力を込めた。
 何故、レナはあんな所に立っているのだろう。何故、あんな物を持っていたのだろう。何故、あんな目でこちらを見据えていたのだろう。
 ぞっと血の気が引くのが分かった。
 がさがさと草木が物音を立てる。坂道に出た足音が追ってくる。沙穂の名を呼ぶ声がする。
 振り返る事無く、沙穂は自転車を走らせた。門の前で乗り捨て、離れへと駆ける。中へと飛び込み、鍵を掛けた。そして、部屋の奥の壁まで後退する。
 肩を大きく上下させて、息を整える。だが、まだ安心は出来ない。祖父もあちら側なのだ。奴らも鍵を入手する事は出来る。
 沙穂は背中に縛り付けていた布を解き、電動鋸を抱えた。もう一方の手は、直ぐに布が取り払えるように添える。
 戸を叩く音がする。激しく叩いたり、無理矢理押し入ろうとはしない。ただ静かに、戸は叩かれる。沙穂の頬を、一筋の汗が流れ落ちる。
 やがて、戸を叩く音は止んだ。鍵を開けて来るのかと思ったが、どうにもその気配は無い。外で話している声が、ぼそぼそと聞えて来る。
 電動鋸を構え、沙穂は恐る恐る扉へと歩み寄る。畳まれた布団にぶつかり、枕が落ちたが、気にも留めなかった。窓の前を通り過ぎ、机の前に立つ。そして、目の前の扉をじっと見つめた。耳をそばたてるが、やはり何を話しているかは分からない。戸にそっと耳を押し当てようと、横を向く。
 沙穂の足首を腕が掴んだ。
 沙穂は声にならない悲鳴を上げ、筋張った細い腕を蹴り払う。老婆は、恨みがましい目で沙穂を見上げている。
「ひ……ッ」
 我慢ならなかった。鍵を開け、外へと飛び出す。
 そこには、二人の少女と一人の少年がいた。竜宮レナと前原圭一、そして……園崎魅音。
「嘘、だ……」
 沙穂は、じりと後ずさりする。
 ――何故、魅音がここにいる。
 レナが首を傾げる。その瞳。光が無く、感情の無い人形のような。
「沙穂ちゃん、どうして怯えてるのかな? かな?」
「お、怯えてなど――」
「嘘だろ」
 圭一が遮る。彼もまた、普段の彼では無かった。彼の目は沙穂を睨み据え、放さない。
「お前は、俺達に怯えている。せっかく魅音が何度もチャンスをくれたのに、ふいにしやがって……それは、『拒絶』と取っていいんだよな?」
 彼の言葉に、沙穂は怯む。
 しかし拳を握り締め、きっと彼を睨み返した。
「……当然だ。私は鬼になどなりたくない」
「そっか。残念だよ」
 言ったのは、魅音。
 そこに立っているのは、確かに魅音だった。まるで何事も無かったかのように、平然と沙穂の前に立ち塞がる。
「何故だ……」
 沙穂は震える声で呟く。
「何故、魅音がここにいるんだ……!?」
「……どう言う意味?」
 魅音は口元に笑みを浮かべ、首を傾げる。
 それは、今にも先程の笑みへと変貌しそうであった。沙穂は布に巻かれた電動鋸を握り締める。
「魅音がここにいる筈無い……だって、魅音は……」
 そこで、沙穂は言い留まる。
 魅音は、先を促すように「ん?」と尋ねる。
「おじさん、よく分からないなあ……。なんで、私がここにいる筈無いの? 『魅音は』、何?」
「魅音は……魅音は……」
 大石へ会いに、興宮へ行った。大石と話をした。足音や視線に怯えながら、ここまで帰って来た。
 霧の掛かった記憶の片隅。徐々に晴れ、真実を露にしようとする。
 沙穂は真っ青だった。……何故、魅音がここにいる筈が無い? 電動鋸の上から背負っていたナップザックは、何時から無くなった?
 目の前の魅音が、にたあっと笑う。霧は晴れた。
 沙穂は頭を抱え、その場に座り込む。三人はじりじりと詰め寄ってくる。
 瞼の裏に、血塗れた部屋が浮かび上がる。血の散布した部屋に佇み、肩で息をする沙穂。足元には、緑の長い髪の少女。その首が、ごろりと転がる。虚ろになった瞳が、沙穂を見上げていた。
 そして、笑った。
「……っ」
 慌てて、首と分離した身体に斬りつけた。キーンと言う電動鋸独特の機械音。腹の上に足を掛け、重心を固定する。やがて、腕は落ちた。残った左腕と足がジタバタと動く。起き上がる。そう思った。外さなくては。武器を奪わなくては。
 震える手で鋸に布を巻き、沙穂は園崎魅音のバラバラ死体から去った。
 園崎家時期頭首に手を掛けたから、彼らは沙穂の元へと来たのだ。今直ぐにも、沙穂を消す為に。
「う゛あ゛あああああああああああああッ!!」
 正面に覆いかぶさって来るレナを払いのけるようにして、沙穂は立ち上がった。
 電動鋸に巻かれていた白い布が取り払われ、血に濡れた刃が月明かりに光る。電源が入り、重い音が庭中に響く。
 血飛沫が上がる。肉に引っかかる刃を、沙穂は力を入れてずずっと引き抜く。血塊が共に転げ落ちる。
 世界に色は無い。月は雲に隠れ、闇の中に影が浮かび上がるだけ。黒い液が伝うだけ。何度も何度も、影へと振り下ろす。奇妙な方向に折れ曲がった腕が伸びてくる。横に振り、払った。中途半端に切れた腕は、ぼとりと力無く落ちる。ぶよぶよと柔らかそうな箇所を覗かせながら、影は蠢き沙穂の足首を掴もうとする。首がごろんと転がった。続いて、あと二つの影も首が転がる。本宅の方から、明かりが射した。――全ての、元凶。決して沙穂を村に入れまいとした人物。更にもう一つ首が転がり、身体はその場に崩れ落ちた。
 地面に転がる四つの首を、沙穂はぼんやりと見つめる。
 沙穂は吐き出せなかった。大量に摂取した肉は、沙穂の身体へと吸収されてしまった。昨晩の肉など、言うまでも無い。
「魅音……お前の望み通り、私はお前達の仲間になってしまったようだ……」
 沙穂は人一倍、大食いだ。通常の量では足りない。飢えた鬼は、見境が無くなる。
 ――お腹……空いたな……。





 梨花と沙都子の住まう家の前に、沙穂は立っていた。呼び鈴を鳴らし、出て来たのは沙都子。
「あら、沙穂さん。どうしましたの、こんな時間に」
 やや驚いたように目を丸くし、沙都子は尋ねる。
 奥の部屋では、梨花が夕食の支度をしているようだ。
「うん……少し、話がしたくて……。今、良いか?」
「ええ、構いませんわよ。でしたら、夕飯をご一緒しません事? ちょうどそろそろ、出来る頃なんですのよ」
「ありがとう。お言葉に甘えるよ」
 沙都子は背を向け、家の中へと引っ込む。
 沙穂の顔に笑みが浮かぶ。沙都子の後について家に入り、扉を閉めた。
「今夜は久しぶりに、たらふく食べられそうだ……」
「あらあら。少しは遠慮してくださいましよ? 私達二人では、そんなに沢山は作れ――」
 言いながら振り返り、沙都子は絶句した。そして、目にいっぱい涙を溜め震える。
 沙穂は微笑み、電源を入れた。

 沙都子と共に奥へと進む。
 そこに佇む一人の少女。暗い瞳でじっと沙穂を見据えている。怯みそうになる自分を叱咤し、彼女を正面から見つめ返した。
 沙穂は挫ける訳にはいかない。
 彼女の所為で、次々と沙穂の周りの人々が消されていたのだ。彼女の所為で、魅音は人であって人でない存在となった。レナや圭一をも引き込んだ。魅音達は、沙穂と仲間でいたかっただけなのだ。自分達は戻れないから、沙穂をも引き込もうとした。彼女の所為で、沙穂までも人ならざる者となった。
 年寄りは彼女を妄信している。オヤシロさまと言う神の名を借りた、こんな小娘一人に操られている。
 クスクスと彼女は嗤う。
「馬鹿な子ね……貴女の死は、決まっている事だと言うのに……」
 沙穂はぎり、と歯を食いしばる。
「どうしてだ……」
 呟き、そして顔を上げた。
「どうして……! 私は、皆の事を仲間だと思っていたのに!」
『ずっとここにいたい』
 そう思える、唯一の居場所だった。村に溶け込めない沙穂を、部活だけが受け入れてくれた。大切な居場所。大切な仲間達。
 涙は頬を伝い、床に滴り落ちる。
 梨花は濃い笑みを浮かべていた。
「どうして? 簡単な話よ。――貴女はね、オヤシロさまに嫌われているの」
 そして彼女はポケットから何かを取り出した。
 沙穂は目を見開く。それは、一本の注射器だった。それを掲げ、ゆっくりと歩み寄りながら、彼女は嗤う。
「貴女の動きは掴みにくくて、いつも困るわ……。でもそれも、もう直ぐおしまい」
「……ッ」
 沙穂は持っていた沙都子を床に置き、白い布を取り払う。床に置かれた沙都子――沙都子の、首。動きが止まった梨花目掛けて、突進して行く。
 ふっと梨花の姿が目の前から消え失せた。
 辺りは暗闇。身体を動かす事もままならない。
 ――なん、だ……これは……。
 沙穂は寝台に寝かされていた。四肢は固定され、動かせない。
「おっ、どうやらやっとお目覚めのようだね〜」
 声のした方に、首を動かす。そこに立つ友人の姿に、沙穂は目を見開いた。恐怖に涙が溢れて来る。
 どうしてだ。どうして死なない。何度も殺しているのに。
「あはははははっ。沙穂ちゃんが悪いんだよ!? オヤシロさまを否定したから!」
「馬鹿だよなぁ。そんなもん、信じてる素振りだけでも見せておけば良かったのに」
 暗闇に浮かぶ仲間達の姿。
 彼らは、ゆっくりと沙穂を取り囲むように歩み寄ってくる。彼らの身体はズタズタだった。切り裂かれ、臓物がはみ出し、手足は奇妙な方向に折れ曲がっている。腕が切れ皮一枚でかろうじて繋がっている状態の者もいた。
「疫病神……お前の所為だ……お前がいたから……」
 新たに声が加わる。
 続いて浮かび上がる、六つの影。彼らもまた、同じように全身が切り裂かれていた。
 沙穂は首を振る。
「違う……私じゃない……! 貴方達は私の所為じゃない……!!  不意に、沙穂を拘束していたベルトが取り払われた。沙穂の脇に立つのは、金髪の兄妹。彼らは無言で、沙穂を見つめている。その顔は寂しげだった。
「お前達は……私の所為なのに……」
 二人は何も言わない。
 沙穂は寝台を降りると、駆け出した。彼らの好意を無駄にする訳にはいかない。
 早く、興宮へ行くのだ。大石に会って、保護してもらう。そして、事の顛末を話す。きっと沙穂も捕まる。けれど、こんな訳の分からない所で殺されるよりはずっとマシだ。
 ――祟りなんて嘘だ……! オヤシロさまなんて、いるもんか……ッ!
「いるわよ」
 聞こえて来た声は、梨花のもの。
 沙穂は驚いて立ち止まる。ぺたりと聞こえ、止まるもう一つの足音。
 沙穂は冷たい廊下に横倒しになっていた。
 ――オヤシロさまは、いた……。
 今、沙穂の頭の傍らに立ち、じっと見下ろしている。沙穂はその影に呟いた。
「ごめんなさい……」
 間違っていたのは、沙穂だった。オヤシロさまを否定してはいけなかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
 オヤシロさまが許す気配は無い。
 複数の足音が追いついて来る。涙が頬を伝う。
 ずっと一緒にいたかった。ただ、それだけだったのに。





 全ては、沙穂の所為だった。
 オヤシロさまは『いた』。
 沙穂はオヤシロさまに嫌われていたのだ。だから、皆を巻き込んだ。
 沙穂さえいなければ、彼らは死なずに済んだ。
 沙穂さえいなければ、雛見沢はこれからも長閑だった。
 沙穂が、不幸を村に運び込んできてしまった。そう、疫病神のように。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――

 今も、沙穂はじっと見下ろされている。


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2009/10/12