帰るんだ、って思ってた。
 必ず、元の世界に帰るんだって。この世界はちょっとした旅行のようなもので、ずっと居座るつもりなんてさらさら無かった。
 二週間後に訪れる、ワルプルギスの夜。その時に時空が歪めば、私はこの世界との繋がりを断ち切って帰る事ができる。
 ――そう。時空が歪めば。





No.8





 買出し帰りに、病院へ向かうさやかを見つけて。使い魔狩ったりしないか見張るためだとか何とか言って、後をつけて。
 上条の家の前まで来た所で、杏子は我慢できなくなりさやかの前に姿を現した。さやかを挑発するような事を言って、原作通りの展開。
 場所を変えようと言って歩き出した杏子に、私は慌ててついて行く。
「杏子ー……ほむらちゃんに、手を出すなって言われてたじゃん」
「仕方無いじゃん。あっちが吹っかけてきたんだからさ」
「その子……あんたの仲間?」
 さやかが、杏子に問いかける。
 杏子はちょっと決まり悪そうに、私を見た。
「心配しなくても、こいつは手を出さないよ。魔法少女でもないからな」
「上月加奈です。よろしくね〜」
「あんた、誰にでも愛想振りまくんだな……」
 杏子は呆れたように言う。
「だって、何も喧嘩腰になる事もないでしょ? 私は大らかで心の広ーい人間ですからね、誰とでも仲良くしたいのよ」
「自分で言うかよ」
 杏子はちょっと笑う。
 私はさやかを振り返った。
「そう言う訳だから、よろしくね。さやかちゃん」
「あのさあ……前にも疑問に思ったんだけど、なんであんたはそんなに人の名前知ってるわけ?」
「ふふん。魔法少女ファンの情報網を甘く見てはいけない」
 アニメで見ましたなんて言えないもんなー。
「……でもあんた、そいつの味方するんでしょ?」
 ずっと黙り込んでいたさやかが、口を開いた。私は目をパチクリさせる。
 味方も何も。戦う事無いのにって思ってますよ。
「さやかが怒るのも、尤もだと思うよ。守りたいのに、使い魔だってその人達を襲うかも知れないのに、グリーフシードのために魔女以外狩るななんて言ったらそりゃ怒るよねぇ」
「おい、加奈――」
「でも、杏子の話も尤も。グリーフシードが無いと、困るのはあなた達魔法少女なんだよ? キュゥべえに言われなかった? ソウルジェムはきれいな状態に保たなきゃいけないって。それが出来ないんじゃ、魔法少女を続ける事なんて出来ないよ」
「な……っ。――あんた、やっぱりそいつの仲間だね。魔法少女でもない子に、そんな事言われる筋合いは無い」
「え……」
 ど、どうして怒るの? 私は救いを求めて、杏子を見る。
「まあ、今のは『戦う資格なんて無い』みたいにも取れるかもな」
「私、そんなつもりで言ったんじゃないのに」
「はいはい、解ってるって。でもこいつは、頭がかったいから」
 杏子はよしよしと私の頭を撫でて、ちろっとさやかに眼をやる。
 慰めてくれるのは嬉しいけど、さやかを余計に刺激しないでーっ。駄目だ……さやかとの仲良しフラグは立てられそうにない……。
 人気の無い歩道橋の上で、杏子は立ち止まった。
「ここなら遠慮はいらないね」
 言って、杏子は変身する。
「えー……本当にやんの……?」
「当然。加奈は下がってな。――いっちょ、派手にやろうじゃん」
 私に答えて、それから杏子はさやかを急かす。さやかもSGを取り出した。
「――待って! さやかちゃん!」
 声が、割って入った。QBと共に、まどかがこちらへ駆けて来る。
「駄目だよ! こんなの絶対おかしいよ!」
 止めようとするまどかに、さやかは辛辣だ。
 戦いが始まる雰囲気でも無いので、私は杏子の傍まで寄る。まあ、そもそもこの先戦いにならないって知ってるもんね。
「あらら……なんか、揉めちゃったね」
「うざい奴にはうざい仲間もいるもんだねえ」
「じゃあ、あなたの仲間はどうなのかしら」
 ぎょっと杏子は振り返る。
 ほむほむは、冷たい視線を杏子に向けていた。
「話が違うわ。美樹さやかには手を出すなと言ったはずよ」
 私は慌てて言った。
「わたっ、私は止めたからね! ほむらちゃんに言われたでしょって言ったからね!」
「あっ。加奈てめえ!
 大体、あたしじゃなくてあっちから吹っかけてきたんだぜ?」
「同じよ。私が相手する」
 杏子は不機嫌な顔で、持っていたチェロスをがぶっとかじる。そして、残り一口になったそれを高く掲げた。
「じゃあ、こいつを食い終わるまで待ってやる」
「十分よ」
「マジかよ!」
「な……、なめんじゃないわよ……!」
 さらりと答えるほむほむを、さやかは睨みつける。そして、青いソウルジェムを高く掲げた。
 同時に駆け出す二人。
「さやかちゃん、ごめん!」
 背後で、まどかの声が聞こえた。
 私は歩道橋を駆け下りる。階段を降り切ると、車の動きが停止していた。車と車との間に、ほむほむが飛び降りて来る。
 トラックは――階段を下りる間に、ずっと先まで進んでしまっている。が、頑張るよーっ。長距離走は好きじゃないけど、ほむほむ手伝えるなら頑張るよーっ。
 車はまた動き出し、そしてまた動きを止める。ほむほむが時間を止めるから私も行けるかなと思ったんだけど、突然動いたり止まったりってなかなか怖い。
「何のつもり?」
 私の横に並んで走りながら、ほむほむが言った。
「私も、時間停止影響しないじゃない? だから、何か手伝えるかなって……」
「手伝うって、何をかしら。一つしかないトラックを二人で追ったところで、何の意味も無いと思うのだけど」
 い、言われてみれば……。
「急ぐから、先行くわよ。危ないから歩道に行きなさい」
 そう言うなり、ほむほむはスピードアップ。どんどん引き離されていく。こ、これは本当に意味が無い……。
 自動車は止まっては動いて、動いては止まって、の繰り返し。……止まった。その直後に、車の前を通って車線の端へ。立ち止まる。また車が動く。直ぐに止まる。また間を横切って、道路の端へ。そうして私は助言通り、歩道まで辿り着いた。
 後ろを振り返る。
 歩道橋からはそれなりに走って来た。今から戻っても、ねえ。SGを追おうって決めたのに、途中で放り投げるのも癪だ。
「……よし」
 私は歩道橋に背を向け、駆け出した。

 駆け出してから、私はこちらを選んだ事に後悔した。駄目だ。私の体力では、もたない。足が痛い。息が苦しい。どれぐらい走っただろう。後、どれくらいだろう。……既に辿り着いた場合、ほむほむとすれ違うよね? 気付かない内に戻って行っちゃったなんて事は無いよね?
 脇道も無い大きな通り。50キロって標識を見かけた。制限速度通りで走っていたとしても、一秒に……えーと……15メートル近く? ほむほむが「まずい」って言って、時間を止めるまでに、100メートルは進んでそうだ。周囲にパトカーの影無し、夜、直線道路って事を考慮すると、下手すりゃ倍も無きにしも非ず。時間が再び動き出す、ほむほむが認識する、再び止める、って所のタイムラグと、追いかける速度と。何メートルずつ縮まっているのだろう。どっかのサイトで、2キロは走った事になるって考察を見かけた覚えもあるような……。気が遠くなりそう。
 頑張ってるんだけど、やっぱり無理で。どんどん足は重くなって行って、もう歩いちゃおうかと思った頃、漸く前方に人影を見つけた。……あれ? トラックじゃなくて、歩道寄り?
 そして近付き、人影が二つあることに気付く。
 一人は、ほむほむ。そして、もう一人は。
「なん、で……あんたが、ここにいんの……?」
 息も絶え絶えになりながら追いついて、私は言った。
 つ……疲れたあっ。
「たまたま通りがかっただけ。そしたら、ソウルジェムが歩道橋から落ちるのが見えたから」
 明海は涼しい顔で言って、手中の物をほむほむに差し出す。それは、青いソウルジェム。
 ほむほむはそれを受け取り、無表情で明海を見る。
「それじゃ、あなたもあの場からここまで追って来たのね」
「あ」
 私は声を上げる。
 そうだ。歩道橋で見て、そのSGを明海が取り戻したって事は、彼女もあそこからここまで追いかけて来た事になる。――時間停止が行われていたのに。
 明海は頷いた。
「私も、そこにいる上月加奈と同じ。君の時間停止魔法の影響を受ける事無く動く事が出来る」
 私は特に、驚きはしなかった。予想はしていた事だ。私がトリップする元凶となった、この少女。何の力も持たない私でさえ、時間停止に抗えるんだ。だったら、こいつが同じでも何も不思議ではない。
「あなた、一体――」
「ソウルジェム、早く持って行ってあげた方がいいんじゃない? まどか、泣いてるんじゃないかな」
 ほむほむの問いを遮って、明海は言う。
 答える気は無い、ってわけね。それをほむほむも理解して、無駄な時間を過ごす事も無いと明海に背を向ける。
「また助けられたわね。礼を言うわ」
 そして、歩道橋へ駆け戻って行った。
 私は、明海に問う。
「……あんた、ほむほむと面識あったの? 『また』って?」
「一度だけ……ね。まあ、彼女の事は知っているよ。君と同じで」
 そう言えば。初めて会った時、彼女は私に『魔法少女まどか☆マギカ』を知っているか、と尋ねて来た。そのタイトルを知っているなら、当然アニメも知っているのだろう。
「――上月加奈。君に、一つ忠告したい」
「へ?」
 突然声のトーンを低くして、明海は言った。
 真っ直ぐに、真剣な瞳で私を見つめる。まるで、鏡と見詰め合っているような、何だかむずがゆい感覚。
「暁美ほむらを好きならば――彼女を大切に思うなら、巴マミを助けようなんて考えてはいけない」
 私は目を瞬く。
 え? マミさん、生きてるの?
「彼女の死は、定められた運命。どんなに未来を変えようとしたって、彼女の死は免れられない。だからあんたは、余計な行動を起こそうとしないで、ほむほむを助けるならその事だけに専念して。
 私は忠告を聞き入れる事が出来なかったけど――あんたは、今度こそは、聞き入れてくれる事を祈りたい」
「な……何を言ってるのか、解んないよ。マミさん、生きてるの?」
 明海は、我に返ったように押し黙る。そして、言った。
「この時間軸における巴マミは、既に亡くなっている。お菓子の魔女との戦いに敗れてね」
「じゃあ、助けようとするも何もないじゃん」
「そう……だね」
 今日の明海は、何だかいつもと違う感じ。一体、どうしたというのだろう。
「明海も……ほむほむ、好きなの?」
 明海は驚いたように眼を見張る。
「あ、いや、『彼女を大切に思うなら』とか何とか言うから、あんたもなのかなって……。でも、うん、解るよ。私もだもん。あの子にはやっぱり、救われて欲しいよね。他の魔法少女達もだけど、ほむほむは尚更。ワルプルギスの夜を倒して、それで平和な世界でまどかと一緒にいられたらいいのにって。
 ……昨日さ、ほむほむが杏子に会いに来たんだ。多分、あんたも知ってんじゃない? ゲーセンで、手を組もうみたいに話しかけるシーン。その時ほむほむ、『ワルプルギスの夜を倒したらこの町を出て行く』って言ってさ……まどかが契約しないで済めば、それでいいんだって。でも、私、ほむほむが一人っきりで戦い続けるなんて嫌だよ」
「……君はまだ、帰りたいと思ってる?」
 ……う。このタイミングでそれを聞く? なんだか、私が薄情者みたいじゃないかー。
「ねえ、気付いてる?
 私、言ったよね。ワルプルギスの夜に時間の巻き戻しが行われれば、その時に帰れるって」
「うん。一体……?」
「巻き戻しが行われなきゃ、いけないんだよ」
 私は息を呑む。
 ワルプルギスの夜に、巻き戻しが行われなきゃいけない。つまり、それは。
「君は、帰りたい? 暁美ほむらの孤独な戦いが終結を迎えて欲しい?」
「わた、し……」
「私は強制はしないし、誰かにその事を伝える事もしない。だから、どう思われるかなんて気にしないでいい。
 急かすつもりは無いよ。――ワルプルギスの夜まで、二週間。じっくり考えればいい」
 帰るんだ、って思ってた。必ず、元の世界に帰るんだって。
 回避について行くだけなら、利用にもならないだろうって杏子も言ってくれた。――だけど。
 それは、立派な利用だった。
 私はほむほむの幸せを望みながら、全く矛盾する事を求めていたんだ。


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2011/05/18