木製の橋の上にかりんは尻餅を着いていた。上も下も、右も左も、辺りは真っ暗だ。ただ一つの光源は、眼前に聳え立つ魔女の頭部分に点る炎。
少し離れた位置からうめき声が聞こえて、かりんはそちらへ瞬間移動を発動させた。
「まどかちゃん! 大丈夫?」
「かりんさん……はい……大丈夫、です……」
かりんの差し出した手を取り、まどかは身体を起こす。
「あの……杏子ちゃんは……」
かりんは無言のまままどかの正面を退き、その先にいる魔女を見つめた。
「嘘……そんな……杏子ちゃんまで……」
足を踏み出したかりんを、まどかはハッと見上げる。
「かりんさん……まさか、杏子ちゃんを……」
「……彼女をこのままにする訳にもいかない。私達は、魔法少女だから。私達が倒さないと、彼女はこれからたくさんの人を傷つける事になる」
かりんは改めて、目の前の魔女を見上げる。巨大な馬にまたがり、くすんだ虹色の槍を構えた蝋燭のような姿。その身に纏った衣類は、魔法少女の頃の彼女の姿を思わせた。
「……ごめんね、杏子ちゃん」
「かりんさん……」
地を蹴り、飛び上がる。振り下ろした鎌は、これまた巨大な槍で防がれた。拮抗し、弾かれ、かりんは一回転して地面に着地する。
元の魔法少女がパワー型だった事もあってか、流石に重い。まどかを守りながら戦うのは、なかなかに厳しいかもしれない。ここは一度、まどかを結界の外へと移動させた方が良いか。
ちらりとまどかを横目で振り返り、かりんはその先に立つ人影に目を留めた。使い魔ではない。あれは――
「……今更何をしに来たの? 暁美ほむらさん」
「えっ……」
まどかも背後を振り返る。細い橋の先に、暁美ほむらが無言で佇んでいた。
かりんは厳しい口調で話す。
「魔女になったさやかちゃんを私達に倒させて、誰かが魔女になるのを待って、グリーフシードを両取りってわけ? 随分と捻じ曲がった性格をしているのね」
「あなたほどではないわ」
言って、ほむらは髪を払う。そして、かりんを見据えた。
「あなたの思惑通りにはさせない」
「……」
かりんはほむらを睨み返す。
厄介な相手が出て来たものだ。この魔女を彼女に倒されては、何のためにここまで佐倉杏子を「育てて」来たのか分からない。放っておいても魔女になりそうなさやかと近付け、親密にする事でさやかが魔女化した時の動揺を煽って。自分達にもリスクが生じるのを承知で戦いに赴き彼女を疲弊させ、彼女自身にさやかを倒させる事で更なるショックを与えた。
全ては、今度こそ佐倉杏子のグリーフシードを手に入れるために。
ここでまどかを連れて結界を出れば、その隙に魔女を討伐されるだろう。獲物を横取りされてしまう。
無言で睨み合うのもつかの間、炎の息吹がかりん達を襲った。
「まどかっ!」
僅かに反応が遅れ、数メートルほど後ろに飛ばされた所でかりんは横たわっていた。痛みに顔を歪めながらも、起き上がる。
――まどかちゃんは!?
かりんは魔法少女だから命こそ助かったものの、あんなもの生身の身体ではひとたまりも無い。
慌てて跳ね起きて、かりんは目を瞬いた。暁美ほむらが、まどかの前に立ち左腕の丸い盾で魔女の攻撃を防いでいた。
「そうだ……時間操作の魔法……」
魔女と化した美樹さやかの結界から逃げ出す際に、彼女の能力は明らかになった。時間の停止。自分以外の全ての事象を静止させる能力。かりんやキュゥべえの企みを知るという事は……よもやすると、遡行もしているのかも知れない。
「本当に、厄介な子……」
彼女が再び時間を止める前に、一刻も早く魔女に近接し倒さなければ。魔女の眼前へ瞬間移動しようとして、かりんは唖然とした。
魔女が増えていた。
槍を構え、白い馬に跨った魔女が、数体。使い魔? いや、違う。ソウルジェムの反応は魔女のものだ。魔女そのものが、分身したのだ。
「皮肉なものね……否定し捨てた能力を、魔女になってから取り戻すなんて」
複数の魔女は、三々五々散って行く。一体一体を探して本物を見つけ出すなど普段であれば面倒な事この上ないが、時間停止を使える暁美ほむらと必然的に競争になるこの状況ではありがたい。
かりんはまどかの傍へと瞬間移動する。
「かりんさん! 大丈夫ですか!?」
「これくらいどうって事ないよ。まどかちゃんは、柱の陰に隠れていて。その内、使い魔も現れるかも知れないし。私は魔女を追うから」
かりんは嘲るような笑みを浮かべて、ほむらに視線を移す。
「残念だったね、暁美さん。魔女が一体ならあなたの能力があれば私を出し抜く事もできたかもしれないけど、そうはいかない」
「……」
ほむらはただ無言で、かりんを睨めつける。
かりんは踵を返すと、その場を立ち去った。ほむらも直ぐ後に続こうとする。
「ほむらちゃん……」
「由井かりんの話を聞いたでしょう? あなたは来るべきじゃない。あの魔女は分身して、その分身も攻撃してくる。正面の敵を相手取っている間に背後に分身が現れれば、あなたを守りきる事はできない」
「……杏子ちゃんを、倒すの?」
「あなたもその目で見たはずよ。美樹さやかは、どうあっても元になど戻らなかった。だったら、もう殺してしまうしかない。そうでなければ、私達や他の人が死ぬ事になる。あなたはそれがお望み? それとも、佐倉杏子のように魔力を使い切って魔女になれとでも?」
「そんな……そんな事……」
まどかは目いっぱいに涙を浮かべ、俯いてしまう。
「ほむらちゃん、どうしてそんな冷たい事を言うの……? ほむらちゃんが守ってくれた事、凄く感謝してる……でも、どうして私だけなの……? かりんさんは、飛ばされちゃって……どうしてかりんさんは守ってくれなかったの……? どうしてかりんさんを撃ったりしたの……? わからないよ……私、ほむらちゃんがわからない……」
ぽろぽろと止め処なく溢れる涙。
ほむらは返す言葉も無く視線を外すと、結界の奥へと去って行った。
人型の頭に乗った三角帽が外れ、鋭利な刃物へとなって振り回される。かりんは背後から、その使い魔を斬りつけた。
「遅い、遅い。武器は常に構えてなきゃ」
他方から襲い来る火炎を跳んで避け、そのまま落下の勢いを重ねて魔女に大鎌を振り下ろす。魔女は呻き声を上げ消え去ったが、結界は崩れる様子が無かった。
「またハズレか……」
これで、三体目。いい加減本体を見付けなければ、ほむらに先を越されてしまうかもしれない。かりん自身としても、あまり無為に労力を割きたくない。
――味方であれば頼りになるけど、敵に回すと厄介な能力ね……。
顔をしかめ、かりんは細い橋をひたすら先へと進む。時折、交差する上や下の端に魔女の姿を見つけ、跳び移りながら。
「ろっそふぁんたずま?」
大きな釣り目をパチクリさせて、杏子は尋ね返した。
マミは得意げな顔で頷く。
「……何、それ」
「『赤い幽霊』って意味よ。あなたの幻惑の魔法に合うんじゃないかと思って」
「いやいやいや、そっちじゃなくて! 何……? 魔法の、名前……?」
「必殺技名よ。決めてないんでしょう?」
おろおろとかりんに助けを求めるようにマミと交互に見る杏子。かりんは苦笑した。
「気にしないでいいよ。ただの、マミちゃんの趣味だから」
「あら。技の発声は、魔力を発動させるための集中やイメージを固めるのに役立つのよ。それに、かっこいいじゃない?」
「ほら、やっぱり趣味だ」
言って、かりんは少し笑う。
マミはちょっとムッとして、取り成すようにすました表情で少し胸を張った。
「佐倉さんだって、もう私達の仲間なのよ。私達と同じように技の名前が必要でしょう」
「え……『私達』って、かりんさんも?」
「ええ。かりんの移動魔法はね、『ルミナ・アンティヴェニーレ』って……」
「わああっ。マミちゃんー!」
咎めるように声を上げるが、マミはツンとそっぽを向く。
「かりんったら、一回だけでそれ以来全然言ってくれないんだもの」
「だ、だって、私の魔法って先に技言っちゃったら意味無いしさ……!」
慌てて言い訳するかりん。
「マミさんとかりんさんって、本当に仲が良いんだね」
そう言って、杏子は笑っていた。
「ロッソ・ファンタズマ!」
杏子がそう叫んだのは、次の魔女との戦いでの事。幾人にも増えた分身に魔女は翻弄され、幻覚の方へとその鞭を叩き付ける。マミの援護射撃の中、かりんの鎌がその首を狩った。
崩れ落ちる結界。かりんはグリーフシードを拾い上げる。マミは、杏子へと駆け寄った。
「佐倉さん、やったわ! それから、さっき……」
「あー……うん、せっかく付けてくれたんだし……確かにまあ、気合は入るかなって……」
「ありがとう」
マミは杏子に微笑みかける。杏子は照れくさそうに頬を掻いていた。
「それじゃあ、他にも名前付けましょうか。最近使えるようになったあの、結界にも……」
「え、いいよ、もう! ほら、一つだけの方が必殺技っぽいし!」
慌てて杏子は断る。
マミはやや不満げながらも、嬉しそうだった。
使い魔を蹴散らし、その向こうで槍を構える魔女の背後へと瞬間移動する。振り下ろされた鎌を、魔女は寸での所で槍で防いだ。
鎌を押し返す強い力。続けざまに突き出された槍を、かりんは掻い潜る。横に振った鎌は、魔女の片足を切り落とした。
叫ぶような魔女の呻き声が響く――そして、その魔女は尚も槍を構えかりんに突進して来た。
正面からの攻撃をまざまざと受けるかりんではない。移動魔法を発動し、少し上に渡された橋へと一度距離を取る。
「……やっと、見つけた」
これまでの魔女はどれも、一度でも攻撃を浴びたら消滅していた。足を斬られた魔女は怒り狂い、消えたかりんを探すように首を巡らせている。恐らく、この魔女が本体。
暁美ほむらよりも先に、かりんが本体に辿り着けたのだ。
かりんは、橋の欄干に立ち大声で呼ばわる。
「私はここだよ、杏子ちゃん!」
魔女が上を見上げ、そしてかりんをその視界に捉えた。手綱を引き、白馬を高く跳ばせる。
「あれだけマミちゃんにも、考え無しに正面から突っ込むなって言われてたのに。まだ直ってないのね。
いいよ、あなたは私が狩ってあげる! 私があなたをグリーフシードに育て上げたんだもの! 他の誰にも渡さない! ましてや、得たいの知れない魔法少女になんて渡すもんですか!」
魔女の動きに目を凝らす。ぐんぐんと白馬が近付いてくる。魔女は左手で手綱を握り、右手を引いて――
――今だ!
かりんの姿がふっと掻き消える。
現れたのは、突き出された槍を持つその手の上。振り上げた鎌は、濃紺の闇を纏っている。
「さようなら、杏子ちゃん」
にっこりと笑って、かりんは大鎌を振り下ろした。
崩れ行く結界。建設中のビルが、その様相を再び露わにする。落下して来たグリーフシードを、かりんは見事キャッチする。そこへ、声が掛かった。
「かりんさん……?」
声のしたほうを見下ろせば、そこには後輩の姿。結界によって作り出されていた障害物は無くなり、少し下の足場もはっきりと見て取る事が出来る。まどかはそこに立ち、愕然とした表情でかりんを見上げていた。
かりんは僅かに眉を動かす。
――隠れててって言ったのに。
暁美ほむらがようやく姿を現す。彼女は少し離れた場所で立ち止まり、まどか、そしてかりんへと視線を移す。彼女がまどかを連れて来た訳ではないようだった。
まどかは、信じられないものを見たかのような顔をしていた。怯えた瞳で、かりんを見つめる。
「かりんさん、どういう事なの……?」
確実だった。
まどかは、かりんが魔女と対峙するところを見たのだ。かりんが喜び勇んで、かつて佐倉杏子だった魔女を倒すところを。
被り続けたきれいな仮面は、砕け散った。かりんの嘘は、暴かれてしまったのだ。
2012/11/10