昼になり、綱吉ら初心者グループは下まで降り、学校で指定されているレストランへ入る。店の手前は一般客で埋め尽くされ、奥の方に並盛中学の生徒達は座っていた。大テーブルの傍らで山本が立ち上がり、大きく手を振る。
「山本! そっか。上級者グループもお昼は一緒なんだ」
「ああ。この柱からこっちが、俺達並盛だってよ。席は決まってないらしいぜ」
 山本は背後にある柱をぱしっと叩いて示す。
「山本達は、どの辺滑ってたの?」
「朝一で頂上まで行ってきた。すっげー景色良かったぜ!」
「頂上!? 凄いな〜」
「お前達も、一回ぐらいは行くんじゃないか? 初心者用の迂回コースだってあるし。晴れてれば、今日の午後にも行ったかも知れないけど……」
「ああ、寒くなってきたよね。日も陰っちゃったし。降るのかな」
 綱吉は誘われるままに、山本の隣の席に腰掛けた。獄寺も、山本に毒づきながらも綱吉の横の椅子を引く。座席に腰掛けようとして、言い知れない悪寒が獄寺を襲った。
「あら。奇遇ね、隼人達もここでお昼なんて――」
「うっ、腹が……!」
 ビアンキの言葉が終わる前に、獄寺は顔を背けて脱兎のごとくその場を逃げ出した。
 出入口横のトイレへ向かって駆け出したものの、ビアンキの傍を離れれば腹痛は治まってきた。自動扉と自動扉との間で、獄寺はちらりとレストランを振り返る。券売機に並ぶ列や席を探す一般客で、綱吉達のいる場所は見えなかった。今戻れば、ビアンキがいる事だろう。もう少し様子を見た方が良さそうだ。
 煙草でも吹かしていようか。スキーウェアのポケットから箱を出したその時、窓の外に妙な一団を見かけた。
 レストランは、コースの分岐点に立っていた。一方は平凡な斜面。もう一方は木々の並ぶ林間コースだ。その林間コースの方だった。よく学校行事なんかに来たものだと疑問に思うほどいかにもな風貌の不良生徒達が、一人をそちらへと連れ込もうとしていた。彼らの中心で引っ張られている生徒を見て取り、獄寺の手からぽろりと煙草が落ちる。
 スキー板を履いたまま、なす術も無く引きずって行かれているのは、雲雀弥生だった。顔は向こうを向いているが、ゼッケン番号、滑っている内にウェアの下から出てしまった長い髪、間違いない。
「あの馬鹿……!」





No.9





 林間コースを滑っていくと、コースを外れて林に入っていく複数人のシュプールがあった。間違い無い、弥生達だ。獄寺は迷わず、その後を追う。林の中は新雪で、気をつけて進まないと雪に板が埋まってしまう。辺りに人気は無い。複数のシュプールの後を追って行って間も無く、木々の間に固まる人影を見つけた。
 彼らが囲むのは、弥生。弥生は雪に尻餅をついて半分埋もれたまま、身動き一つしない。
「今日はやけに威勢が無いな」
 男の一人が、弥生の肩を突き飛ばす。弥生は無様に仰向けにひっくり返った。起き上がろうとついた手が埋まり、まるで溺れるようにして、やっとの事で起き上がる。げらげらと嗤う男達に反撃する様子は無く、ただ膝を抱え青い顔で震えていtた。
「スキー板履いてちゃ、身動き一つできねえってか」
「存分に今までの憂さ晴らしさせてもらうぜ。覚悟しろよ、雲雀」
「恨むなら、誰彼構わず喧嘩吹っかけるてめーの兄貴を恨むんだな!」
 顔を殴りつけられ、弥生はバタンと再び倒れる。弥生に殴りかかった男子生徒は、横から殴り飛ばされた。その場にざわっとどよめきが走る。
 獄寺は弥生に背を向けて立ち、キッと彼らを見回した。
「この女の相手すんのはこの俺だ! こいつに手ぇ出すんじゃねぇ!!」
 やめろと言われて、ハイわかりました、と引き下がるような輩なら、そもそもこんな事はしない。掴みかかって来た彼らを獄寺は蹴散らす。
 ダイナマイトが使えないと言えども、相手は雑魚三人。彼らは形勢不利と見るや、あっさりと撤退して行った。
 去り行く彼らを見送って、獄寺は弥生の元へと寄る。
「おい、大丈夫か」
「お兄……ちゃん……?」
 か細く呟かれた声。獄寺はムッとする。
「また雲雀かよ。このブラコン女め」
 弥生は我に返ったように目を見開き、そしてまた俯いてしまった。
 獄寺はしゃがみ込み、弥生の板を外してやる。
「立てるか?」
 伸ばされた手に、弥生はびくっと肩を震わせた。獄寺は顔を顰め、手を引っ込める。
「ったく、めんどくせぇ女……」
 弥生の傍を離れ、投げ捨てたストックを拾いに行く。再び弥生の前まで戻ると、ストックの端と端をを両手で持って差し出した。
「ほら。真ん中掴まれ。これなら、十代目じゃなくても大丈夫だろ」
「……」
 弥生は俯いたまま、ストックを掴む。何とか起き上がった弥生に、板を履かせる。
 獄寺は先に行くが、弥生はさっぱり後についてこない。振り返ってみれば、雪に板を取られ進めずにいた。
「……ったく」
 獄寺は戻り、ストックの先を弥生に向ける。
 きょとんと見つめる弥生に、「ん」とストックを突きつける。
「引っ張ってやるつってんだよ」
「……」
 一言たりとも喋らず、ムスッとした表情でストックに掴まる。
 コースの下まで降りてリフトで上がる間も、弥生は一言も話さなかった。ただただ不機嫌そうな顔。
 ――可愛げのねー女……。
 レストランまで戻って来て、やっと弥生は口を開いた。
「さっきの……誰にも、言わないで」
 獄寺はきょとんと弥生を振り返る。弥生は口を真一文字に結び、緊張した面持ちで獄寺を見据えていた。
 弱み。いつも喧嘩している相手のそれを握ったとなり、獄寺はにやりと笑う。
「さあな……どうしようか」
「お願い、言わないで! 特にお兄ちゃんには、絶対……!」
 思いの外深刻に頼み込まれ、獄寺は面食らう。いつもなら、叩いて黙らせるとでも言って鉄パイプを振りかざして来そうなものなのに。
 必死で、今にも泣き出しそうな弥生の顔。いつも、兄によく似た無表情や不機嫌顔で。今の弥生は、まるで普通の女の子のよう。
 無言で立ち尽くす獄寺の背後で、自動扉が開いた。出て来たのは、綱吉と山本だ。
「獄寺君!」
「十代目! どうなさったんですか?」
「それはこっちの台詞だよ。戻って来るのが中から見えて……何処行ってたの?」
 弥生は身を固くする。獄寺はちらりと横目で弥生を見て、言った。
「こいつ、また迷子になってたみたいで」
 弥生はカチンとして声を荒げる。
「なっ。誰が――」
「これでいいんだろ?」
「あ……」
 小さく、獄寺は言った。綱吉と山本は何を言ったのか聞き取れず、きょとんとしている。
「二人とも早く食っちまわないと、時間なくなるぜ」
「ああっ、そうだ! 二人とも急いで! もう、グループによっては休憩時間終わり出してるんだ」
 上級者グループは集合が掛かっているらしい。山本はその場で別れ、ゲレンデへと出て行った。
 綱吉と共にレストランへ入って行く獄寺の背中を、弥生はぼんやりと見つめていた。

 午後には、雪が降り出した。弥生も、獄寺も、喧嘩はしなかった。何となく気まずくて、互いに互いを避けてしまう。
 リボーンは、午前中とは異なるコースに綱吉らを連れて行った。雪で山の上の方は煙っていて、視界が悪い。気温も一気に下がる。頂上へは行かず、綱吉らは山を迂回する林の間の細いコースを列になって滑っていた。
 やけに平凡な練習は、ここまでだった。
 コースの途中で、リボーンは立ち止まった。またターンの練習でもするのだろうか。生徒達は、何の疑いも持たずに列になって止まる。グループ全員が並んで、リボーンは言い放った。
「次は、ここを滑るぞ」
 生徒達は辺りを見回す。コースは一本道。次も何も無い。
 きょとんとする生徒達の前で、リボーンは谷側の急斜面を滑って行った。柵は無いとは言え、どう見てもコース外。すいすいと木々を避けて行き、少し行った所でリボーンは振り返ってストックを上げた。唖然としていた生徒達は我に返り、一斉に不平不満の声を上げる。
「ムリムリムリムリ! だってこれ、絶対コースじゃないだろ!」
「どうしてもムリだって奴は、そのままそのコースを滑って行けばいい」
 意外なリボーンの言葉に、綱吉は目を丸くする。
「えっ。いいの?」
「ただしそのコース、俺達のいたゲレンデとは山の反対側に出ちまうから、帰れなくなるけどな」
 冷たい風が谷側から吹き上げる。
 獄寺がいそいそと地図を出し、確認した。
「本当みたいです、十代目……。このコースを降りた先は別のゲレンデで、こちらから向こうへは行けても向こうからこっちに戻って来る手段はありません。バスは、最終が三時だと……」
 現在、二時五十分。弥生達初心者が、後十分でこのコースを降り切れるとは到底思えなかった。
 渋々と、一行はリボーンの後に続いて急斜面に踏み込んで行った。
 獄寺でさえも、すいすいと滑る事は出来ないほどの急斜面だった。全員おっかなびっくり、リボーンの後を追って斜面を滑る。例によって獄寺は最後尾から転倒した生徒を拾う係だ。決して彼の世話にはなるまいと、弥生は慎重に斜面を滑っていく。足は大きく八の字に開いて、スピードが出る前に一回一回、ブレーキをかけながら。
 これほどの斜面となると綱吉以外にも転倒者は多く、獄寺は忙しそうに横向きに滑りながら端から端まで行ったり来たりしていた。
 ふと、止まろうとした弥生の足が大きく滑った。凍った急斜面。ガガガと嫌な音を立てて、足だけ先に滑っていく。体勢を崩すのはあっと言う間だった。尻餅をつき、そのままの状態で二、三メートルほど下まで滑り落ちる。何とか止まって顔を上げると、他の女子生徒を助け起こしている獄寺と目が合った。弥生はふいと顔を背ける。彼の手なんて、借りるものか。
 急いで立ち上がろうとした弥生の足は、再び斜面を滑った。雪面を掴むようにして手を突き、再び尻餅を突く。
 体勢を整え何とか立ち上がり、弥生は再び斜面を滑り出した。もう、獄寺の方はちらとも見ようとしなかった。

 どれほど経っただろうか。やっとの事で、生徒達はなだらかな所まで降りてきた。しかしまだコース外。辺りは木々が立ち、雪も柔らかい。急斜面が終わった安心感と、道の分からぬ不安と。生徒達は複雑な表情だった。
 その時、木々の間から大きな声がした。
「こっちの雪、ふかふかだもんね!!」
 次に聞こえるのは、中国辺りの言葉らしい高い声。
 右手の木の向こうから、牛柄タイツの男の子が現れた。そのずっと後ろから、赤い中華服の赤ん坊が追い駆けて来ている。
「あっちがコースだ!!」
 誰かが叫んだ。その声を皮切りに、生徒達はわっとそちらへ滑って行く。
 やっとゲレンデに帰れる。綱吉も一息吐く。
 不意に、弥生が言った。
「来てたんだ、あなた」
「リボーンさん! いつの間に?」
 リボーンは変装をとき、いつものスーツ姿になっていた。綱吉はおどおどと生徒達の方を振り返る。
「変装といちゃっていいのか!?」
「ああ。俺の役目は、これで終わりだからな」
 きょとんとする綱吉に、リボーンは説明する。
「皆、急斜面を降りて来た事でバランスが取れるようになってるはずだぞ。通常のコースなんて平地も同然だ。これぞ、ボンゴレ式超特訓だぞ」
「またボンゴレかよ! つーか、クラスメイト巻き込むなよ!」
 綱吉の声は、降りしきる雪の中に溶け入って行く。
 近くにいる獄寺、弥生、そしてランボに聞こえるには十分だった。
「リボーン見っけ! ちね!」
「あっ!!」
 ランボは手榴弾を取り出した。
 投げようとして雪に足を取られ、びたんとその場に倒れこむ。手榴弾は、リボーンではなく全く別の方向へと飛んで行った――ランボいる、坂の上側へと。
 上方で爆破する手榴弾。起き上がったランボは、涙目だ。
「が・ま・ん……」
 即座に、弥生が飛び出した。真っ直ぐに、ランボまで滑って行く。
 ごおっと膨らむ雪面。
 若干ふらつきながらも、弥生はランボを拾い下方へと滑る。
「あの馬鹿女……!」
 獄寺が後を追う。
 雪崩はコースがあるであろう方向へも行こうとしていた。死ぬ気弾を打たれた綱吉が、そちらを食い止めに行く。
 弥生に抱えられたランボは、何の危機感も感じずに騒いでいた。
「うひょー! もっと飛ばせーっ。雪が凄い落ちてきてるもんねー!」
 弥生の肩越しに背後を見て、楽しそうに叫ぶ。
 振り返らずとも、直ぐ近くまで雪崩が迫っているのが分かった。――逃げ切れない。
「雲雀妹! こっちだ!」
 獄寺の声。伸ばされた腕。その中へと飛び込んでいく弥生を、獄寺は掴み引き寄せる。
 獄寺は大きな一枚岩を背にしていた。雪崩が到達する。左右や頭上から雪が吹き出していく。つられて滑りそうになる足元。獄寺と弥生は、ランボを間に抱えしっかりと互いにしがみつく。
 轟音がやみ、辺りが静かになる。岩を盾にした三人は雪に埋もれずに済んだが、周りは雪が半円形に堆く積もっていた。何処にも、抜け出す道が無い。
「……おい、雪崩やんだぞ。どけ」
 弥生の返答は無い。自分達の状況を再認識し、どぎまぎしながら再度「おい」と言葉を掛ける。
 肩を揺らすと、ぐらりと弥生の身体が傾いた。咄嗟に獄寺はそれを支える。
 ランボが弥生の顔を覗き込んで言った。
「弥生、気絶してるもんねー!」





 途方も無い寒さに、弥生は目を覚ました。起きるなり、ぶるっと身を震わせる。
「寒っ!」
 顔を上げると、そこには座り込みこちらへ手を伸ばした獄寺。
 弥生はずさっと雪壁まで逃げる。
「な……な……」
「やっと起きたか。雪が積もってたから払おうとしただけだっつーの」
「……」
 獄寺は火炎瓶を出し、徐々に周囲の雪を溶かして行く。この行動を繰り返す事によって、最初のときに比べスペースは広がっていた。盾にした岩の傍らに、獄寺と弥生のスキー板が立てられている。
 雪は、随分と強くなっている。埋もれなかったのは幸いだが、このまま夜を過ごす事になれば三人は凍え死んでしまうだろう。
「助けを呼ばないと……。ここって、どの辺り」
 携帯電話を出しながら、弥生は問う。しかし、本来アンテナが立つはずの場所には地下やトンネルをくぐる時のように「圏外」の文字。
「……」
 弥生は問うように獄寺を見る。
 獄寺は、待ち受け画面を弥生に向けていた。
「俺も同じだ。圏外」
 言って、考え込む。
「砂漠なら、車のタイヤを燃やして黒煙を上げるって手を聞いた事があるんだが……」
「ここにタイヤなんて無いもんね! バーカバーカ」
「うるせぇ、アホ牛! 誰のせいでこうなったと思ってんだ!!」
 怒鳴る獄寺を尻目に、弥生はぽつりと言った。
「ゴーグルって、ゴムとプラスチックだよね」
 獄寺の持っていたライターでゴーグルに火を点ける。最初は溶けながら燻るだけだったが、やがて細い煙を上げ出した。
 白い空へと立ち上る黒煙。それを見て取り、獄寺と弥生はホッと息を吐く。後は、これを誰かが見付けてくれれば。
 しんと静まり返る雪原。妙に思って、獄寺は辺りをきょろきょろと見回す。
「そーいやランボの奴、やけに静かだな……」
 ランボは、少し離れた所で蹲っていた。寒さに震え、その顔色は悪い。
 獄寺と弥生は息を呑む。ランボはまだ小さい。当然、獄寺や弥生よりも体力も劣るだろう。この寒さは、幼児には厳しい。
「そんな格好でいるから」
 弥生はゼッケンを外し、ウェアを脱いだ。一枚脱いだだけで、体感温度がぐっと下がる。下に着ていたインナーのファスナーをぐっと首まで上げる。ウェアは、そっとランボを包み込むようにして被せた。そして、その横に座り込む。
「……お前、子供は好きじゃないつってなかったか?」
 意外そうに尋ねる獄寺を、弥生は横目で見る。
「別に、好きじゃないよ。でも、冷たくする理由も無い。――それに私も、小さい頃はお兄ちゃんにたくさん助けられたから」
 獄寺の返答は無かった。無言のまま、ランボの反対隣へと座った。普段は鬱陶しく思いながらも、やはり心配なのだろう。ランボの顔を覗き込む。
「頑張れよ、アホ牛。きっと直ぐ、助けが来るからな」

 程なくして、上空から声がした。
「目標発見!!」
 この声は。
 弥生は上を見上げる。獄寺が叫んだ。
「十代目!」
 額に炎を灯した綱吉が、パンツ一枚の姿で弥生達の目の前に降りて来る。
 弥生はスキーウェアに包まったランボを抱え、綱吉に差し出した。綱吉のこの状態は、長くは持たない。今第一に優先するべきは、ランボをいち早く暖かい場所へ連れて行く事だ。
「ランボが凍えてる。直ぐに連れて行って」
「分かった! 直ぐに助けをよこす!」
 綱吉はランボを受け取ると、強く地面を蹴り大きく飛び上がる。あっと言う間に雪壁の向こうに姿を消し、見えなくなった。
 これで、一先ずは大丈夫だ。きっと、綱吉はランボを無事に送り届ける。再びここへ戻る時間は無いかも知れないが、弥生達の居場所は分かっているのだ。本人も言っていた通り、誰かに伝えて助けをよこしてくれるだろう。
 ……後、少しの間だけ。
 弥生はそっと、獄寺を盗み見る。獄寺は綱吉の消え去った方向を、きらきらした目で見つめていた。会話する間があれば、「さすが十代目」だの何だのと誉めそやしていた事だろう。
 弥生は再び、その場に座り込む。僅かに俯き加減になって、呟いた。
「……ありがとう」
 獄寺は、きょとんと弥生を見下ろす。弥生は決して、顔を上げようとはしなかった。
「……助けてくれた事。黙っていてくれた事。悔しいけど、助かった。お礼、言えてなかったから」
「……お、おう」
 獄寺はぽりぽりと頬をかく。いつに無く素直な弥生。どう受け答えしてよいか、戸惑ってしまう。
 弥生の言葉は続いた。
「助けてくれた方は、別に頼んでなかったけど」
「一言多いんだよ、てめーは」
 弥生はツンとそっぽを向く。いつもの弥生だった。
 頭や肩に積もった雪は溶け、帽子やウェアを濡らす。弥生の場合は、服を。
 獄寺は自身のウェアを脱ぐと、弥生の肩に掛けた。手が近づいた一瞬、弥生が怯えるように肩を竦めるのが分かった。
 ばさっとぶっきらぼうに頭から被せると、若干の距離を取って座る。弥生には、背を向けて。
「ったく、雪降るのは分かってたんだから、間にもう一枚くらい着とけよ」
 雪が降れば、インナーとウェアの間にフリースを着ていても寒い。インナーだけでは、さぞかし寒かっただろうに。ましてや、ウェアもランボに貸してしまうなんて。
 ぼそっと、弥生は言った。
「……煙草臭い」
「レンタルなのにんな訳ねーだろ!! つーかテメーは、素直にありがとうぐらい言えねーのか!」
「これこそ、頼んでない」
「うるせえ! 黙ってそれ着てろ馬鹿女!」
「人を馬鹿馬鹿言うの、やめてくれる」
「馬鹿だろ。やっと滑れるようになったような奴が後先考えず雪崩ん中突っ込んで行くなんて、馬鹿以外に言いようがねーだろ」
「馬鹿じゃない」
「じゃあ何だ? アホか?」
「叩くよ」
 いつもの調子。いつもの口論。
 これで良い。彼とはいつも喧嘩で、いつも素直になれなくて。今は、それでいいんだ。
 ただ、何となく――本当に根拠なんてないけれど何となく、いつかは彼の事も大丈夫になるのだろうと感じた。


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2011/07/18