ホテルへ帰ると、杏子は壁を向いてベッドに横たわっていた。
「……よお。遅かったじゃん。いつの間にかいなくなってさ」
「ほむほむ追って行ったんだけど……置いてかれちゃって」
「……そっか」
 いつもなら、「バッカだなあ」って言って笑う。でも杏子は笑うどころか、思わずそのまま言ってしまったほむほむ呼びへの突っ込みも無かった。
「加奈、あいつの友達と同時に、走り出してたよな。――知ってたのかい?」
「……」
「本当、侮れないなあ。魔法少女ファンって奴の情報網は」
 言って、杏子は笑う。いつもみたいな笑顔じゃなくて、どこか自嘲するような笑み。
 ……嫌だよ、そんな笑い方。
「馬鹿みたいだよな、あたし。散々人間食い物にして、力を使って好き勝手やってきたんだ。――なのに、ショック受けるなんて」
「杏子は、杏子だよ」
 杏子は首だけ上げて、こちらを横目で見る。
「何にも出来ない、魔法少女でも何でも無い私が言ってもアレかもしれないけど、でも、杏子は杏子だよ。どんな姿だろうと、どこに魂があろうと、杏子は私の大切な恩人で、大切な友達だよ。それは変わらない」
 杏子はそのままじっとしていたが、やがて、よっと勢いをつけ起き上がった。
「――ありがとう、加奈。そうだよな、くよくよしてたって始まらない」
「た……立ち直り早いね……」
「元々うじうじしてるなんて、性分じゃねーんだよ。これはあたしが自分で選んだ事なんだ。ちょっと予想外ではあったけど、それで何が不自由するって訳じゃないし。自分で決めたもののツケぐらい、ちゃんと背負ってやるさ」
 思えば、原作の杏子は一人で立ち直ったんだ。翌朝には、さやかを心配して気にかける事もできるぐらいに。
「杏子、かっこいい……」
「な、何だよ急にっ。気持ち悪いなあ」
 杏子は照れて、頬をぽりぽりと掻く。
「ほむほむの言ってた通りだ。杏子になら、この町任せられるって思うわ」
「加奈がいてくれたおかげだよ」
 え。
 杏子が向けるのは、いつもの笑顔。嬉しそうな、満面の笑み。
「加奈は、最初から知ってたのに普通に接してくれてたんだもんな。石っころのあたしでも、友達だって言ってくれた。それだけで十分だ。
 あたしの戦い方とか、ソウルジェムのこととか、知ってても平然と受け入れてくれて、本当感謝してる。あんたと出会えた私は、本当にラッキーだった」
「言ったでしょ。私は大らかで、心が広ーい人間なんだって」
「自分で言うかよ」
 杏子は、私の頭を軽く小突く。私も、杏子も、笑っていた。
 魔法少女の背負うものは、願いの代価としてはあまりにも大きい。それでも杏子はそれを一人で背負って、しっかり前を向いて立っている。それだけでも大変だろうに、私の面倒まで見てくれて。感謝しているのは、私の方。
「吹っ切れたら、なんか腹減ってきたな。よし、何か食べに行くか!」
「おおーっ。何? 肉?」
「うん。ハンバーガー」
「またファーストフードじゃんー」
 笑っていた。暗い顔をしたって、どうしようもないから。これは、私の問題だから。誰も巻き込むわけにはいかないから。
 ……ねえ。どうしよう、杏子。私、帰れないかもしれない。





No.9





 朝、眼が覚めると、部屋に杏子の姿は無かった。
 ……さやかの所に、行ったんだ。
 カーテンを開けると、そこには明るい見滝原の町が広がっている。何だか慣れない、まるで突然外国にでも降り立ったかのような風景。
 振り返ると、テーブルの上に封筒。中には、五千円札が入っていた。『食事代』と杏子の文字。私はそれを持って、外へと出掛ける。
 ここでの生活も、悪くない。杏子は好くしてくれるし、何て言ったってほむほむに会える。せっかく来られたんだ。こんな経験、滅多に無い。だから思いっきり楽しもうって、そう思ってた。
 でも、帰れないとなると話は変わる。
 私がこの世界を暢気に楽しんでいられたのも、いつかは帰れる、そう思っていたからだ。けれども帰るには時空の歪みが必要で。時空が歪むと言う事は、ほむほむが巻き戻しを行うと言う事。――このループでもまた、ほむほむはまどかの契約阻止に失敗しなければならないと言う事になる。そんなの、嫌だ。だけど、それだと私は帰れない。
 一人じゃゲームセンターに行く気にもなれなくて、そもそもそんな無駄遣いできるようなお金も無くて、私はふらふらと見滝原の町を歩く。どこに行くでもなく。公園のベンチに座ってぼんやりしたり。
 五時を過ぎて、そろそろお惣菜が安くなってるかなって、夕飯の買出しに商店街を歩いている時だった。私は、正面から歩いて来る女の子にふと眼を留めた。あちらもこちらに気付き、あっと小さく声を上げる。
 私達はお互い、立ち止まった。
「あなた、昨日あの子といた……」
「上月加奈。あんたの事は知ってるよ。鹿目まどか、美樹さやかの友達だよね」
「――うん」
 私達は、公園へと場所を変えた。QBも後をついてきた。あんな事があった翌日なのに、よくもまだまどっちの傍にいられんな、こいつ。
「あのね、さやかちゃん知らない? 昨日あんな事があった後だから……。学校も休んじゃってて、でもお家に行ってみたら出掛けてて」
「あー、多分それ、杏子と一緒だわ」
「そんな……っ」
 私はぽん、とまどっちの頭に手をやる。
「大丈夫。杏子は喧嘩吹っかけたりなんてしてないよ。あの子は、そんなに悪い奴じゃない」
「加奈ちゃんは……あの子の事、よく知ってるの?」
「んー。どうなのかなあ。知ってるっちゃあ知ってるし友達だとも思ってるけど、私達、まだ会って一週間も経ってないし」
「えっ。そうなの?」
「あの日がちょうど、杏子がこの町に来た日だったのかな? 行く宛も無くて野垂れ死にそうだった私を、あの子が拾ってくれてさ。好くしてもらってる」
「そうなんだ……」
 まどかは少し意外そう。
 QBも、言った。
「あの杏子が人の面倒を見るなんて、珍しいね。どういう心境の変化だろう」
「さあ。でも、私も最初は意外だったけど、一緒に暮らしてみたらいい子だよ。結構優しいし、面白いし。一緒にいて楽しい」
 QBは表情が変わらないのでリアクションが読み取れない。まどかは、浮かない顔をしていた。
「……さやかの事、心配?」
「うん。――ねえ、加奈ちゃんも魔法少女なの?」
「え? 私は違うよ。昨日だって、ほむほむ追っ駆けたのに結局置いてかれちゃったし」
「ほむ……ほむ……?」
「ほむらちゃん」
「ああ……。ね、一緒にいるのに何もできないのって、辛くない?」
 ああ、そうか。それで、この子は浮かない顔をしているんだ。さやかがあんな事になって、でも自分は安全圏で何もしてやれなくて。
「――まあ、どうしようもないよ。こういうと冷たい言い方みたいだけどさ、私、魔法少女になんてなれないもん。私と彼女達は、世界が違う。でも、私は彼女達を友達だと思ってる。それでいいんじゃないかなって」
 ――逃げてるだけかも知れないけど。
「そんな事無いよ。君にも、魔法少女になる素質は十分にあるみたいだ」
 QBお前、空気読めよ。
 マスコットぶって白い尻尾をゆっくりと振り、くりっとした紅い目で私を見上げる。
「君達が魔法少女になると言うなら、僕は何だって願いを一つ叶えてあげられる。君達はいつだってさやかや杏子の隣に並ぶ事ができる。その素質があるんだ」
「何でも?」
「そうだよ、上月加奈。君には、その身を差し出しても叶えたい願いはあるかい?」
「願いは……あるよ。あんたと契約すれば、きっとそれを叶えてもらえるんだろうね。
 ――だが断る」
 私はベンチを立つ。
「リスクを知って、それでも尚魔法少女になろうなんて、とても思えないよ。私の願いは、そこまでして叶えるものじゃない」
「そうか。僕の立場で強制するわけにもいかないしね。その気になったら、いつでも言ってよ。僕は待ってるからさ」
 誰がその気になんかなるもんか。相変わらずの、営業マン。
「まどか。君――も、その様子だとやっぱり無理みたいだね」
「うん……」
 まどかは俯き、膝の上で拳を握っていた。

 まどかやQBと別れ、私は一人、ホテルへの帰路を辿る。辺りはすっかり夕闇に包まれて、そこかしこで電灯が光る。
 ――私、最低だ。
 QBがまどかに営業の矛先を向けた時、私は止めようとしなかった。このまままどかが契約すればいいって、心の片隅で思っていたんだ。まどかが契約すれば、ほむほむは時間の巻き戻しを行うから。そうすれば、私は帰る事ができるから。
 ほむほむがまたループを繰り替えればいいって、そう思ってしまったのだ。
 まるで私の心象風景を写したかのように、辺りが暗くなる。
 どうして私は、この世界に来てしまったのだろう。この世界において、私は異端。私の存在は、邪魔でしかない。私なんて、いなければ――
 カラカラと何かが転がるような音に、ハッとして顔を上げた。
 暗い闇の中。私の足元は円盤状に取り残された舞台のようになっていて、その周りの地面は無かった。丸い物体が、闇の中を下から上へと次々昇っていく。混ざり合ったような奇抜な色合い。異質な存在感。
 ――魔女だ。
 私は踵を返す。しかし、地面は円盤状。どこへも逃げる道などない。それどころか、地面はじりじりと狭くなっていた。端がじわじわと迫ってくる。
「う、そ……」
 逃げられない。絶体絶命。
 地面からも、球体が出始めた。地面を透き通るようにして上がって来たそれは、私の周りを通って上へと上がっていく。球体の下には、糸のような白い尾。赤、青、緑、黄、黒、白、様々な色の球体が上昇していく。
 ふと、私を丸く囲むようにして壁が下から出て来た。私を頭のてっぺんまで取り囲んだそれは、頭上で閉じる。視界は闇。そして、浮遊感。――ああ、これは、あの球体の中だ。もう出る事は出来ない。
 きっとこれば罰なんだ。私、まどかの契約を止めようとしなかったから。ほむほむの失敗を願ってしまったから。だから――
 パアンと大きな音がして、視界が開けた。四方を囲っていた壁が消え、身体が宙に投げ出される。
 跳んで来た人物の小脇に抱えられ、私は球体の一つに下ろされた。そして彼女は、宙を漂う別の球体の上に乗り、下へと降りていく。
 私が最初に地面だと思っていた円盤は、大きな球体の一つだった。少し上に漂っている。
 小型のナイフが、球体を次々と割る。彼女は、乗っていた球体から飛び降りる。もう、その下に球体は無いのに。下にあるのは闇。不意に闇の一点から、球体が次々と吹き出てきた。それらはものすごいスピードで、彼女に襲い掛かる。
「危ない!」
 私の叫んだ声と、連続して破裂するような音が重なった。
「そこか」
 言って、大量のナイフが闇に投じられる。
 一瞬の沈黙。
 そして、ドオンと轟音が響いた。犬カレーの世界が明滅し、やがて、周囲は元の住宅地へと戻った。
 私は呆然と、目の前の彼女を見つめる。制服のようなコスプレ服。テーマカラーは、小豆色。
「あけ、み……?」
 明海は相変わらずの涼しい顔で、私を振り返る。その手には、獲得したグリーフシード。あ、髪を払う仕草、ちょっとほむほむに似てるかも。
「あんたも、魔法少女だったの……?」
「……まあ、ね。ワルプルギスの夜に対抗するには、数が多い方がいいかと思って。――君も、ほむらを一人で戦わせたくはないでしょ?」
 当然。
 でも、私はうなずけなかった。だって私、魔法少女になろうなんて思えない。ほむほむが一人ぼっちなままなんて嫌だ。孤独な戦いは終わって欲しい。そう思うけど、じゃあ私が一緒に戦えるかと言うとうなずく事はできなくて。自分の事ばかり、元の世界に帰る事ばかり、考えていた。
「別に、君を急かしてる訳じゃないよ」
 明海は言った。今度は笑顔。初めて会った、あの時のような。
 ほむほむ撤回。この人どっちかって言うとQBだよ、うん。
「でもね、そう。ほら、さやかも言ってたじゃない? どうせなるなら、さっさとなっておけば救える人もいたのにって」
 ……その台詞も、知ってるんだ。
「……私、いずれ魔法少女になるの?」
「どうして?」
「あんた、未来を知ってるみたいな口ぶりだからさ。知ってるんじゃないの? ワルプルギスの夜の事とか、まどっちと二人で話していたはずのさやかの台詞も知ってるんだから」
 彼女はアニメの存在を知っている。だけど、それはどうして? 彼女は魔法少女だった。魔法少女は、この世界の存在。なのに何故、彼女だけがメタポジションにいる? まるで、何でも知っているかのよう。
 一瞬、固まる表情。
 そしてやっぱり、明海は笑った。
「さーね。君の未来は知らないよ。
 ただ、私はほむらを一人にしたくなかった。孤独な戦いに、終止符を打ちたい。ただ、それだけ」
「それじゃ、最初からあんたは私を帰す気は無かったんだ……」
「ごめんね。君が必要だったから、つれて来た。君しか、判らなかったから。
 ――君はまだ、帰りたい?」
 私は、答えられなかった。
 解らなかった。
 ほむほむを一人にしたくない。はっきりと言い切った彼女を見て、対抗心でも芽生えたかのようにその願いは強くなってしまったから。
 帰りたい。
 ほむほむを救いたい。
 ――私の願いは、どちらなのだろう。


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2011/05/21