真っ暗な部屋。帰宅を迎える者はいない。電気もつけずに、マミは呆然とリビングに立ち尽くす。
あの事故の日から、マミはずっと独りだった。
自分の命と引換えに、戦いの運命を受け入れて。人々のために戦う魔法少女に――なったのだと、思っていた。
その実態は、いずれ魔女となり人々に災厄をもたらす存在の候補。
物理的な痛みなどないのに、まるで痛みを抑えるかのようにマミは胸を押さえ俯く。
さやかを助ける事ができれば、元の魔法少女に戻す事ができれば、自分達の結末も救われるかも知れないと思った。魔法少女は魔女にならずとも、希望を抱き皆のため、正義の味方のままでいられるかもしれないと。
現実はそう易しくはなく、魔女になった魔法少女が元に戻る事は無かった。
いずれ魔女となるならば、いっその事自分達は皆死んでしまった方が良いのではないだろうか。さやかのように魔女となって、他の人達を傷つける存在になってしまう前に。どの道、この身はもう死んでいるのだ。さやかの言葉を借りれば、ゾンビのようなもの。ならば、何を今更恐れる事がある?
マミは手の平を上にし、ソウルジェムを指輪から原型へと変形させる。黄色い宝石は、魔女と化したさやかとの戦いによって酷く濁っていた。
この濁りが更に進行すると、マミも魔女になってしまうのだ。美樹さやかが、そうなったように。
「嫌……嫌よ……そんなの嫌……っ!」
かぶりを振って駄々をこねたところで、事実が変わる事は無い。
事の元凶となったキュゥべえは、ソウルジェムの一件以来姿を見せない。例え現れたところで、今まで自分達を騙していた彼にどうして頼る事ができようか。
『例え心臓が破れても、ありったけの血を抜かれても、ソウルジェムを砕かれない限り、君たちは無敵だよ』
……魔法少女のまま死を迎えるには、ソウルジェムを砕くだけ。
マミは、ふらりと部屋を出て行った。
向かった先は、公園だった。かつて、助けられなかった子供がいた場所。
これであの子が生き返る訳ではない。自己満足でしかないけれども、どうせ死ぬのであれば、あの子の亡くなったこの場所で……。
『あなたがいてくれたから、私は救われたの』
ソウルジェムを手の平に乗せたまま、ぴたりとマミは動きを止める。
ほんの二日前。マミが過去に囚われていたこの場所で、ただ一人の親友がくれた言葉。
『どんなに辛い戦いでも、マミちゃんは『皆のため』って事を忘れない。この力は、魔法少女は正義の味方なんだって誇りを持って戦える。マミちゃんは、皆の希望の光なんだよ』
ソウルジェムの事実を知っても、その魔法少女に引き込んだのがマミであろうとも、なお、彼女はマミを助けてくれた。希望だと言ってくれた。マミがいなくなったら、あの子はどうなってしまうのだろう?
あの事故の日から、マミはずっと独りだった。魔法少女の使命のためにクラスメイトといる時間も減り、次第に住む世界がずれて行った。いつ、魔女との戦いで死んでしまうかも分からない。極稀に他の魔法少女に出会ってもグリーフシードだけを目的とする彼女らとは相容れず、仲間になどなれない。いつか誰にも知られず、結界の中で死んでしまうのかもしれない。それが途方も無く怖かった。寂しかった。
かりんが現れて、マミは独りではなくなった。
まどかやさやかと同じように、かりんもまた魔法少女体験コースとしてマミの魔女退治に付き添って。そして、キュゥべえと契約して。
『マミちゃんと一緒に戦えて、私は魔法少女になって良かったって思ってる。楽しいと思う事だってあるよ。――マミちゃんは、違うの?』
「……ううん。違わない」
声に出して、マミは呟く。
かりんと一緒に魔法少女として戦って、どんなに心強かったか。楽しいとさえ思う事もあった。
……その魔女も、かつてはマミ達と同じ魔法少女。
これからマミ達は、どうすれば良いのだろう。グリーフシードが無ければ、ソウルジェムを浄化できず魔女になってしまう。しかし、そのグリーフシードを孕む魔女は、元々は魔法少女だった子達。何も知らなかった今までのように狩る事など出来ない。
「マミさーん!」
大声で呼ばう声がして、マミは振り返った。
まどかが、階段を駆け下りてくる。その後ろからは、暁美ほむらも小走りでついて来ていた。目を瞬くマミの元へと、まどかは駆け寄る。
「良かった……! マミさん、無事だったんですね……!」
「か、鹿目さん? どうしたの? それに……」
マミは、まどかの後ろで静かに佇む少女へと視線を移す。
何故、彼女がここにいるのか。何故、まどかと一緒に現れたのか。
ほむらは涼しい瞳でマミを見据え、単刀直入に言い放った。
「あなたが自殺するのではないかと思ったからよ、巴マミ」
「……自殺? 私が?」
「そ、その、自殺までは言い過ぎかもしれないですけど、マミさんだけ先に帰ってしまったから心配で……!」
慌ててほむらの言葉をフォローするまどか。マミは、ふっと微笑んだ。
「ありがとう、鹿目さん。でも、大丈夫よ。――あなたも、心配してくれたって言うのかしら? 暁美さん。それなら、心配無用よ」
「そう。それは良かったわ。あなたに今死なれては、困るから」
本当に心配していたのかどうだか、淡々とほむらは言う。
未だ心配げな表情のまどかに、マミは言った。
「この前、かりんに言われたの。私は希望なんだって。私がいる事で救われたんだって。私にとってのあの子も同じ。かりんがいてくれて、どんなに救われているか……かりんを置いて、私だけ逃げる訳にはいかないものね」
「あ……」
まどかは浮かない顔つきになり、ほむらと視線を交わす。ざわり、と胸が騒ぐ動作だった。
「……まさか、かりんに何かあったの……? 鹿目さん、どうして暁美さんと一緒にいるの? かりんは? 佐倉さんは?」
まどかは言葉に迷うばかり。答えたのは、ほむらだった。
「もう一度言うわ、巴マミ。由井かりんを信用しては駄目」
「またその話? 相変わらずなのね。今は、そうして魔法少女同士でいがみ合っている場合ではないと思うのだけど。魔女の事や美樹さんの事……あなたは知っていたのでしょうけど、私やかりんや佐倉さんは、どんなにショックだった事か……」
「由井かりんは、魔法少女が魔女になる事を知っていたわ」
間髪入れずに告げられた言葉に、一瞬、マミは言葉を詰まらせる。
「……何を言っているの? かりんが知っていたなら、私に黙っているはずがないじゃない。仮にかりんが知っていたとしても、それをどうしてあなたが知り得ると言うの?」
「本当の事よ。巴マミ、あなたは一度でも疑問に思った事はなかったの? あなたと共に使い魔も倒している由井かりんが、何故必要時にいつでも使えるほどのグリーフシードを持っていたのか」
「……何、を……」
「あなたには、運が良いだの何だのと言って誤魔化していたのかもね。答えは単純明快。彼女が魔法少女を見つけては絶望させて、魔女にしていたからよ。魔女になる前から標的の居場所を掴んでいれば、魔女が産まれるなり他の魔法少女に邪魔される事もなく倒す事が出来る」
「変な事を言わないで! かりんは私の友達なのよ!? それ以上言うようなら、容赦しないわ」
マミは声を荒げるが、ほむらは至って無表情なままだった。
「やめておきなさい。あなたのソウルジェムも、限界に近いはずよ。由井かりんによるグリーフシードの供給がなければ、捜索時の無茶も相まってあなたも美樹さやかとの戦いで力尽きていた」
まるでそれが断定的でもあるかのように、ほむらは話す。
ほむらは頑として、かりんを悪者に仕立て上げたいようだ。これ以上彼女と話していても、拉致が明かない。マミはそう判断し、まどかに話しかけた。
「行きましょう、鹿目さん。かりんは何処? 佐倉さんは? 二人にも心配掛けちゃったかしら」
「……」
まどかは青い顔で俯いたまま、一歩も動き出そうとしない。
「……鹿目さん?」
「……杏子ちゃんは……魔女になって、かりんさんに倒されました……」
「え……?」
マミはぽかんとまどかを見つめる。何を言ったのか解らなかった。理解したくなかった。
佐倉杏子が魔女になった? 杏子まで?
そして、まどかは何と言った? かりんが? 杏子を?
「ほむらちゃんの言ってる事、嘘じゃないんです……さやかちゃんも、杏子ちゃんも、かりんさんが仕組んでいたんです……ただ、グリーフシードを集めるために……!」
マミは愕然とした表情でまどかを見つめていたが、やがてふっと口角を上げた。
「……なるほどね。そういう事……」
キッと、ほむらを睨みつける。
「鹿目さんに何を吹き込んだのかしら。ショックを受けているところにつけ込むなんて、手口が汚いんじゃなくて?」
「マミさん! そういう事じゃ――」
「……憐れな人ね」
諦めと憐憫の色を滲ませて、ほむらは呟いた。
「キュゥべえに騙されて、それでもなお同じように由井かりんを信じて疑おうとしない……あなたはいつもそうだった」
「あなたが何を言っているのか、よく解らないわ。用件はそれだけ? それなら、私は行かせてもらうわ」
強気な姿勢で言い放ち、マミはほむらに二人に背を向ける。
足早に公園を去り、角を曲がってまどからの姿が見えなくなると、駆け出した。
――かりん……!
早くかりんに会いたい。この不安を拭い去って欲しい。きっと、かりんは笑って言うだろう。そんなのはまやかしだと、ほむらの策略でしかないと。
それに、かりん自身も心配だ。結果的にマミ達三人がさやかを殺してしまったとは言え、その事でまどかがほむらの側に寝返って嘘を吐くとは思えない。かりんの意志や企て云々はほむらに吹き込まれたにせよ、事象の部分――魔女となった杏子を手にかけたと言う点は、事実である可能性が高い。どんなに心を痛めている事だろう。マミが逃げ出したばっかりに、かりん一人にその重荷を負わせる事になるなんて。
かりんは大切な友達なのだ。マミが魔法少女になって最初に救った、女の子。マミが彼女の希望だと言うならば、彼女はマミの魔法少女としての誇り。
ショッピングモールの近くの大きなマンション。エレベーターを待つ間も惜しく、七階まで上がる。一つ一つ部屋の表札を見て行くも、「由井」の文字が見当たらない。
――別の階だったかしら……。
連絡を取ろうとして、携帯電話を家に置いて来た事に気付く。持っているのは、じんわりと濁ったソウルジェムだけ。
チンと軽い音がしてエレベーターの扉が開いた。降りて来たのは、子供連れの女性。
「あの、すみません」
マミは、その女性に呼びかける。女性はきょとんとした様子で立ち止まった。
「あの……この階に、由井さん家ってありませんか? もしかしたら、階が少しずれているかも知れないんですけど……」
「あら? 娘さんのお友達? 由井さんなら、そこの三つ目の――」
「ありがとうございます」
「あっ、待って!」
マミは、指し示された扉の前に立つ。しかしそこに掛かった表札は、「由井」の文字ではなかった。
慌てて追って来た女性が、続きを告げる。
「由井さんね、引っ越したのよ。数年前、交通事故でご両親と下の子が亡くなっちゃって……可哀想にね、上の子だけが一人助かっちゃって」
「え……?」
「こう言うのもなんだけど、家族皆失って独りぼっちになるぐらいなら一緒に逝った方が本人には幸せだったかもしれないわね……」
「あ、マミちゃん!」
扉の横で膝を抱えて座り込んでいたかりんは、家主の帰宅に手を振り立ち上がる。
「おかえり。良かった……帰って来なかったらどうしようかと……」
「……あなたが佐倉さんを手に掛けたから?」
静かに紡がれた声。かりんは、表情を凍らせる。
逡巡の後、かりんは俯き、声を震わせた。
「聞いた、んだね……。
さやかちゃんの事が、相当ショックだったみたい。杏子ちゃんも、魔女になっちゃって……そうだよね……私……私……杏子ちゃんを、この手で……やっと、仲直り出来たと思ってのに……! また、昔みたいに戻れるかもって……!」
悲壮感を漂わせ、かりんは嘆く。
マミは暗い表情で、ぽつりと言った。
「遅い時間だわ……。かりん、二日連続で外泊なんてご両親も心配するわ。もう、帰った方がいいんじゃないかしら」
「そんなの……! 前から言ってるじゃない。うちの親は放任主義だから、そんなの気にしないって。マミちゃんを一人になんて出来ないよ……!」
「そうやって……ずっと、私達を騙して来たのね」
「え?」
マミの表情がくしゃりと歪む。今にも泣き出しそうな顔だった。
「あなたのご両親、生きてなんかいないじゃない……あなたの家に言ったわ。前にあなたが言っていたマンションに。近所の人から聞いたの。ご家族皆、あの事故で亡くなったって……私、あなたの事を救えてなんかいなかった……! 駄目だった事もあるけれど、魔法少女になった事でたくさんの人を救う事が出来て――あなたを救う事が出来て、友達になれて……それだけが、せめてもの救いだったのに……」
マミは、両手で包み隠すように握っていたソウルジェムをかざす。黄色く輝いていた宝石は、今や真っ黒だった。
「マミちゃん……ソウルジェムが!」
かりんは慌ててグリーフシードを取り出す。伸ばした手は、強く払われた。
「……マミちゃん」
「それは、佐倉さんの? 美樹さんの? それとも、また別の誰かを絶望させたものかしら」
「……暁美さんに何か言われたの?」
「鹿目さんも言っていたわ。あなたが、美樹さんや佐倉さんを誘導したんだって。おかしいとは思っていたのよ。いくら運が良くて、魔女の探知に優れていたとしても、あなたはグリーフシードを持ち過ぎている。私と一緒に使い魔を倒して、たまにいないと思ったらいつも『魔女と遭遇した』ってグリーフシードを手に入れていて……あれは、他の魔法少女のところへ行っていたのかしら? 魔女にするために」
「そんな……やだ、マミちゃん……私より暁美さんを信じるって言うの……? まどかちゃんだって、さやかちゃんや杏子ちゃんの事でショックを受けていたところを、彼女につけ込まれて……」
「嘘ばかりついていたあなたの、何を信じろって言うの!?」
マミは激昂し叫ぶ。ぽろりと、その瞳から雫がこぼれた。
「今だってそう。あなた、それを何の躊躇いもなく使うのね。それは、元々は私達と同じ魔法少女だったのよ!? 美樹さんも佐倉さんも殺して……他に何人の魔法少女を同じ目に遭わせて来たの? 彼女達の犠牲の上に胡坐をかくなんて、出来る訳ないじゃない! あなた、自分が何をしたか解っているの!?」
「だって……そうでもしないと、マミちゃん魔女になっちゃうんだよ!」
限界だ。もう、隠し通すなんて事は出来ない。
ただ、ただ、解って欲しい。これは仕方のない事なのだと。マミのためなのだと。
「ソウルジェムを浄化し続ける限り、その心配は無くなる。そのためには、グリーフシードが必要なの! 魔女を倒さないといけないの!」
「私のため……私のせいで、美樹さんや佐倉さんは……」
「マミちゃ――」
「こんなに犠牲を出すくらいなら、あの事故で死ぬべきだったんだわ……あなたも、私も」
ヒビ割れるような音。強い風。
何度も、何度も、巡り合った場面だった。幾人も、故意に仕向けてきた場面だった。
彼女は――彼女だけは、こうならないようにするために。
「マミちゃん――!」
叫ぶ声はもう、彼女には届かない。
「嘘だよ……こんな事って……」
――ただ、あなただけのために、私は生きていたのに。
2012/11/17