自分達の親の事。
 七一三番金庫の事。
 どんなに疑問が重なっていても、エリは毎日の宿題に追われ、いつしか忘れていった。
 サラの方も宿題だけならば何とも無いが、それに加えて週三回のクィディッチの練習となると、忙しさを感じざるを得なかった。
 廊下ですれ違う時はもちろん、グリフィンドールとハッフルパフの合同の薬草学でも互いに口を聞く事も無く、ホグワーツに来てから二ヶ月が経った。
 最初は多少慣れなかったホグワーツでの生活にも慣れ、適度に愛想を振り撒く事にも慣れてきた。
 エリも明らかに小学校よりも、若しかすると中学校よりも多い宿題には閉口したが、慣れてくるとやはり魔法というものは面白かった。

 そして、ハロウィーンの日がやってきた。





No.14





「――何これ……」
 十月末日、サラは目が覚めて頭を抱えた。甘ったるい匂いが辺りに立ち込めている。
 サラは起き上がり、窓へ直行して少し開けた。本当は全開にしたい所だが、それでは寒いだろう。
 窓枠に肘を突き、外を眺めていると、視界に大柄な少女が入ってきた。それに気づき、少し身を引く。彼女は気づかずに、そのまま遥か下の地上を走っていった。
 それを見送り、再び窓枠から身を乗り出すようにして外を眺めた。
 ――ここへ来ても、まだ続けていたのね……。
 森は、薄っすらした赤から、徐々に緑へと変わっていく。サラは、ぼんやりとそれを眺めていた。

 いつもと同じく談話室でハリーとロンと待ち、その時にやっと今日はハロウィーンなのだという事に気がついた。すると、この甘ったるい匂いは南瓜のようだ。
 呪文学の授業では、先生は「そろそろ物を飛ばす練習をしましょう」と言った。
 わっと場が沸く。殆どの生徒が、最初の授業でのフリットウィックの魔法を見てから、この魔法を楽しみにしていたらしい。
「では、二人で組になって下さい」
 当然、ハリーはロンと組むだろう。
 という事は……。サラはハーマイオニーの方へ行きかけたが、ネビルに引き止められてしまった。
「あの……サラ、一緒に組んでくれる……?」
 ネビルの真後ろにいたハリーは、既にシェーマス・フィネガンと組んでいた。それで、その隣のサラに声をかけてきたらしい。
 サラはちらりとハーマイオニーの方を見たが、にっこりと笑い返した。
「ええ。もちろん、いいわよ」
 答えてから、ふと気がついた。ハリーは咄嗟にシェーマスと組んだ。すると、ロンは――
 ロンとハーマイオニーが組む事になってしまった。
 二人共、見るからに不機嫌そうに互いにそっぽを向いている。箒が送られてきたあの日から、サラ達は一度もハーマイオニーと口を利いていなかった。
「さあ、今まで練習してきたしなやかな手首の動かし方を思い出して」
 二人の様子になんて気付く様子も無く、フリットウィックはいつものように積み重ねた本の上からキーキー声で言った。
「ビューン、ヒョイ、ですよ。いいですか。ビューン、ヒョイ。呪文を正確に、これもまた大切ですよ。覚えてますね、あの魔法使いバルッフィオは、『f』ではなく『s』の発音をした為に、気がついたら、自分が床に寝転んでバッファローが自分の胸に乗っかっていましたね」
 ネビルがいくら杖を振っても、羽はピクリともしなかった。だが、これはネビルだけではなかった。辺りを見回しても、如何やらまだ誰も成功していないらしい。
「ねぇ、サラ。どうやったらいいのかなぁ……」
 ネビルが情けない声を出してサラを見た。サラは苦笑するしかない。
「私に聞かれても……。何を教えればいいのか……」
「じゃあ、手本を見せてくれる?」
 ネビルはおずおずとそう切り出した。サラは承諾し、杖を動かす。
「ウィンガーディアム レヴィオーサ」
 サラの魔法によって浮いた羽は、危機一髪で隣の炎から逃れた。
「ちょ、何やってんのよ!?」
 ハリーが慌てて帽子を取り出し、火を消そうと試みる。サラは目の高さ辺りに浮いている羽をキャッチし、杖を火に向けると呪文を唱えた。
 杖から水が噴射し、火は消される。
「ワァオ! サラ、ありがとう!」
 そして再び、練習に戻る。
 ネビルは隣の発火で怖気ついてしまったらしく、呪文を唱える声も震え、これは無理だろうと悟った。
 ハーマイオニーは、久しぶりにロンに説教をしている。
「言い方が間違ってるわ。ウィン・ガー・ディアム レヴィ・オー・サ。『ガー』と長く綺麗に言わなくちゃ」
 人の欠点を見つけ出して教えられる事に感心したが、でも言い方は少しきつい。当然、ロンが黙っている筈が無かった。
「そんなによくご存知なら、君がやってみろよ!」
 ハーマイオニーはガウンの袖を捲り上げ、杖を勢い良く振った。
「ウィンガーディアム レヴィオーサ!」
 羽は机を離れ、頭上一、二メートルぐらいまで高く浮いた。
「オーッ、よく出来ました!」
 先生は拍手をして叫んだ。
「皆さん、見て下さい。グレンジャーさんがやりました!」
「サラだって出来てたさ」
 どうもハーマイオニーが気に食わないらしく、ハリーがぼそっと言ったが聞こえなかった事にしておいた。
 授業が終わった時、ロンの機嫌は最悪だった。
 教室を出ながらも、鞄を乱暴に机や椅子に何度も当てた。
「だから、誰だってあいつには我慢出来ないって言うんだ! まったく、悪夢みたいな奴さ!!」
 その時、誰かがハリーにぶつかって追い越して行った。
 ハーマイオニーだった。それに、見間違い出なければ、泣いていた気がする。
「今の、聞こえたのかも……」
「それが如何した?」
 ロンは、ハーマイオニーが去った方を少し気にしながら言った。
「どちらにせよ、誰も友達がいないって事は、とっくに気がついているだろうよ」

 次の授業へと温室に行っても、ハーマイオニーはいなかった。
「あのハーマイオニーが授業に出ないなんて……まずいよ。どうしよう」
「……別に、僕達の所為だけじゃないだろ」
 ロンはハーマイオニーが何処からかひょっこりと現れないかと言うように、温室を見回している。
 サラは黙々と作業をしていた。
 ハーマイオニーだって悪かったのだ。確かにハーマイオニーは正論だが、きつい言い方ばかりするから。
 それは、サラ達が規則を破ろうとしたからではないのか。ハーマイオニーは、サラ達に巻き込まれて危険な目に遭った。
 確かにあの場に三頭犬がいたのはサラ達の所為ではないく、ハーマイオニーが勝手について来た事。
 けれど、サラ達が夜中に寮を抜け出そうなんて考えなければ、彼女があの場にいる事は無かっただろう。
 ハリーとロンは、ハーマイオニーに冷たい事を言いすぎだ。
 そして――そうだ。サラは、それでハーマイオニーに一度でも味方をしただろうか。角を立てない事ばかり考えて。小学校の二の舞は演じたくないから。
 当たり障りの無い笑みを向けて。自分の感情を無理に押し殺して。
 サラは、何も言わなかった。先程も、そのまま追いかけて行けばいいのに、ハリーとロンに嫌われたくないからとハーマイオニーをそのまま独りにした。
 あの頃のクラスメイト達と同じ事をしているのは、ドラコでもなく、ましてやロンでもなく――サラだ。
 波風立てるのが嫌だから。嫌われるのが嫌だから。
 標的が自分になるのが嫌だから、それを見て見ぬふりをする。
 ――私、最低だ……。
「おい」
 ふと顔を上げれば、エリが正面に来ていた。エリはサラが見えないかのように振舞い、ハリーとロンにだけ聞く。
「ハーマイオニーの姿が見えないみてぇなんだけど……? ハーマイオニー、風邪か? でも今朝、朝食の席にはいたよな?」
 ハリーとロンは罰の悪そうな顔をした。
 それで、エリは悟ったようだった。そう言えば、エリは低学年の頃、授業中に度々行方不明になっていた。
「お前ら……っ、やっぱり、ハーマイオニーと喧嘩してたのか? おい、サラ!?」
 エリは机を飛び越えんばかりにこちらへ身を乗り出す。
 他の生徒はぴたりと押し黙り、驚いてこちらを振り返った。スプラウトは慌ててこちらへ来る。
「ミス・モリイ――」
「お前、ハーマイオニーと大抵一緒にいたじゃんかよ! それが最近は一緒にいないみたいだから、おかしいと思ってたんだ! 如何いうつもりだよ!? またここでも、人を傷つけるつもりか!!?」
 サラがじょうろを置く音がコトンとやけに大きく響いた。
 先生さえも立ち止まり、皆しんとしてサラとエリの様子を伺っている。
 サラはいつもの愛想笑いさえ浮かべず、くるりとエリに背を向けた。
「おいっ! サラ!!」
「先生。私、体調が悪いので医務室へ行かせて頂きます」
 言いながら、返事も聞かず、温室の出入り口へと足早に歩く。
 扉を開け、外へ出る前にピタリと立ち止まってエリを振り返った。
「――小学校での事は、何度も愚かな事を繰り返すあの人達が悪いのよ」
 日本語で言い、外へ出てぱたりと扉を閉じた。

 ハーマイオニーを傷つけるつもりなど無い。
 もう、こんな事は止めにする。こんな事をしていても、何も楽しくないんのだから。
 サラは、城へ向かって駆け出した。




「あら、珍しい。今日は寝ないのね、エリ」
「ん……」
 昼食の時も、ハーマイオニーを見かける事は無かった。心配になって図書室へも行ってみたけど、やはりそこにもハーマイオニーはいなかった。
 サラの口実は仮病だと、誰だって見れば分かりそうなものだ。なのに、如何してスプラウトは止めなかったのだろう。あの後、そのまま何事も無かったかのように授業を再開したりなんかして。
 サラは最低だ。結局ハーマイオニーの事は、自分が愛想を振り撒く為に利用していたに過ぎないのだ。
 サラは本当の友達なんていないだろう。作ろうともしない。人を利用する事、仕返しする事しか考えていないから。
 ハーマイオニーと何故喧嘩したのかは知らないが、多分、ハリーとロンも関わっている。
 ハリーはサラ自身と同じく、有名人。皆の英雄だ。ロンだって、決して悪い奴じゃない。兄さんだっていて、魔法界について色々と知っている。
 それに対して、ハーマイオニーは一人。それに少し言い方がきついから敬遠している人だっている。
 その二組が喧嘩をすれば、あのサラがどちらに付くかなんて容易に分かる事だ。
 人を利用して、傷つけて。そして、それを指摘したら逃げ出すなんて。仮病を使うだなんて。
 ……でも、この違和感は何だろう。
 薬草学の授業中のあの事で、何かが妙に引っかかっている。
「ねぇ、エリ」
 ノートを取り終え、ビンズが普段なら眠気を誘う話に戻り、ハンナがヒソヒソと聞いてきた。
「さっきの――薬草学の授業の時、貴女達、何て言ってたの?」
 サラに話しかける所から、エリは日本語で怒鳴っていた。当然、周りはエリが何て言ったか分かっていない。
「ああ、うん――サラ、ハーマイオニーと喧嘩してたみたいなんだよな。それで、あの授業にいなかったんだと思う。ったくよー……。サラってやっぱり最低な奴だよ。ハーマイオニーの事傷つけておいて、それを指摘したら逃げるなんてよ」
「あぁ……。最近、ハーマイオニー・グレンジャーって一人でいたものね。サラは? 出て行くとき、何か言ってたじゃない?」
「あれは、昔、自分が起こした事件に対する言い訳。自分を正当化するばっかなんだよな、あいつ」
「そう……なの?」
「そう、そう! 自分が悪い、って事、絶対に認めないんだ。いっつも人の所為にしやがって。だから俺はあいつが嫌いなんだよ」
「確かにそれは酷いな」
 ハンナの向こう側から、アーニーも口を挟んできた。
「でもさ、欠点なんて、誰にでもあるもんじゃないか? そんな事言ってたら、きりがないよ」
 サラのは、欠点なんてどころではない。
 「報復」をしていたのだ。例え本人に意図は無いと言っても、人を殺しかねないような事をしていたのだ。
 でも、皆はそれを知らない。
「それにしても、驚いたわよね」
 うとうとしていたスーザンまでもがいつの間にか目を覚まし、話に加わってきた。
「さっきのサラ、何だか少し怖かったわ……いつもにこにこ笑ってるのに。何て言うのかしら……怖い、って言うより……う〜ん……」
「『恐れ』? 何だか、誰も近寄らせない、みたいな雰囲気だろ?」
「そう! それよ。いつもは逆に、凄く人を惹きつける感じなのに……」
 違和感の正体が分かった。
 サラは、あの薄気味悪い愛想笑いをしていなかったのだ。
 家や小学校の時みたいな、無表情――否、感情を押さえつけているような表情。寂しさ、悲しさ、そういった物を。
 エリは、ぼんやりと窓の外に目を向ける。
 サラは、本当に変われるのだろうか。愛想笑いをしなくても、無意識に自分の感情を押さえつけてるというのに……。


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2007/01/13