教師の気配に気をつけながら、昼食も取らずに空き教室を覗いて城中を駆け回った。寮の部屋へも戻ってみたりした。
 でも、ハーマイオニーは何処にもいない。
 サラは肩で息をして、廊下の壁に寄りかかった。心当たりも無く探し回るのには、この学校は広すぎる。
 不意に廊下の向こうから魔力の気配がし、サラは身を起こした。反対側へと逃げようとしたが、そちらからも人がやってくる。
 ……まずい。見つかれば、何と言えば良いだろう。
 サラは、咄嗟に近くの女子トイレへと隠れた。
 入ってから、サラはそれを後悔した。
 ここは三階だ。三階の女子トイレの事は、ケイティやアンジェリーナが言っていた。
 「嘆きのマートル」は、突然の、それも授業中の来訪者に目を丸くしていた。
「こ、こんにちは……」
 相手を刺激しないように、サラは恐る恐る愛想笑いをする。
 マートルは泣き出したりはせず、じっとサラを見つめている。サラは居心地が悪く、マートルの視線から逃れようと、自分で視線を逸らしてみた。
 マートルはようやく、何か呟いた。
「――……?」
「え?」
 サラは首を傾げつつ、折角なのでハーマイオニーの居場所を知らないか聞いてみる。
 マートルはハッとした様子で、頷いた。
「ええ、知っているわ。一階の女子トイレで泣いていたわよ。あの子も私と一緒なのね……皆が彼女を苛めるんだわ……でも、彼女の場合、仕方の無いことだわ。私が声を掛けたら、『出て行って』って言ったのよ! 人が声を掛けたのに……。あの子も他の子と一緒なんだわ! 貴女達が私の事を何て言っているか知ってるわよ! そうでしょうよ! 皆――」
「ハーマイオニーは貴女が嫌いだから、出て行って、って言ったんじゃないわ」
 マートルが今にも泣き出しそうになったので、サラは慌ててマートルの言葉を遮った。
「一階の女子トイレにいたのね? ありがとう、マートル! じゃあ――」
 外に誰の気配も無い事を確認し、サラはそそくさとその場を立ち去った。

 玄関ホールまで降りてくれば、朝の甘ったるい匂いは最高潮に達していた。もう夕食の時間のようで、大広間からは明るい話し声が漏れてくる。
 サラは匂いにげっそりとしながら、薄暗い廊下を駆けていった。






No.15





 夕食中も俺は大広間を見渡したが、ハーマイオニーは何処にもいなかった。サラもいない。
 ハンナ達同寮生がお喋りをしている横で、エリは黙々と食べ物を口に運んでいた。ハロウィーンの夕食はいつもより少し特別な献立になっていて、どれもこれも食べてみたい。
 カボチャパイを山盛り皿によそった時、大広間の扉がバーンと開いた。
 皆、何事かと停止して、駆け込んできたクィレルに注目する。仕方が無いから、エリもカボチャパイにかじりつきながらそちらに目を向けた。クィレルの顔は恐怖で歪み、ターバンも崩れかかっている。
 クィレルは皆が見つめる中をダンブルドアの席まで行き、テーブルにもたれかかり、喘ぎ喘ぎ言った。
「トロールが……地下室に……お知らせしなくてはと思って……」
 そう言って、その場に卒倒した。
 それが合図になったかのように、何箇所かで悲鳴が上がった。大広間は大混乱になる。
 よくわからないが、トロールと言う物は招かれざる客らしい。という事は、このまま寮へ帰らせられる可能性、大だ。エリは急いで皿に取ったカボチャパイを口に詰め込む。
 突然、大きな爆竹の音がし、エリはパイを喉に詰まらせた。クィレルとは別の原因でエリが喘いでいると、ジャスティンが気づいて水を渡してくれた。エリが水でパイを流し込んでいる間に、もう数回の爆竹で大広間は静かになった。爆竹の犯人はダンブルドアのようだ。
「監督生よ。すぐさま自分の寮の生徒を引率して、寮に帰るように」
 やはり、そうなるか。
 皆、ガタガタと席を立ち上がる。
 まだ皿にはパイがたくさん残っている。エリは誰も見ていない隙をついて、皿を持ってテーブルの下に潜り込んだ。
 皆、バタバタと大広間を駆け出ていく。
 ふと思ったが、地下室と言っても何処の地下なのだろう。場所によっては、俺達ハッフルパフ生は寮へ向かうと危険なのではないだろうか。
 皿のパイを平らげた時には、もう殆ど人がいなくなっていた。先生達も出払ってしまった。
 そんな中、ずっと倒れていたクィレルが起き上がったのが分かった。
 クィレルの気配は変わっている。二人分の気配がするのだ。クィレルは男性だから、身篭っている訳でもないだろうに。
 クィレルはそのまま、大広間を出て行った。
 違和感。
 今度の違和感は、その原因が直ぐに分かった。――クィレルは、怯えていなかった。
 エリはテーブルの下から這い出ると、まだ完全には閉じかかっていない扉の間をするりと抜け、クィレルの後をつけて階段を上って行った。

 クィレルが向かった先は、四階の廊下だった。立ち入り禁止の廊下だ。そんな所に、一体何の用があると言うのだろう。
 クィレルは扉を開け、中へ入っていった。エリは、杖を引っ張り出しながら、迷わず後を追って中に入った。見つかったら、迷子になったとでも言えばいい。
 入った途端、でかい獰猛な顔が襲ってきた。
 エリは目の前のクィレルを突き飛ばしながら、横っ飛びにそれをかわした。
「モリイ!? 何故、ここに――」
 クィレルが目を見開く間にも、再び三頭犬は襲い来る。エリは再び横っ飛びにそれを避けた。
 クィレルもそれを上手く避けた。いつもみたいに怯えていない。エリは、それを訝る。
「おま……っ、後ろ!!」
 クィレルの背後から、別の頭が襲ってきていた。クィレルは咄嗟にそれを避けるが、それによって体勢を崩す。エリももう一つの頭を避け、クィレルに更に襲い掛かる頭との間に入った。
 ――噛み殺される……!
 何の衝撃も無かった。目の前は黒で視界を遮られていた。
 「なんでここに?」と聞く暇も無く、三頭犬は更に襲ってくる。クィレルが杖を振り、何の呪文か知らないがそれで三頭犬は少し怯んだ。
「スネイプ!? なんでお前までここにいるんだよ!? こんな所で職員会議か!?」
「貴様こそ何故ここに――」
「うぉっ!? 先生、怪我してんじゃんか!」
 一瞬怯んだ頭が、再び襲い掛かってきた。クィレルが再び杖を振るが、他の頭が飛んでくる。
 エリは、スネイプの脚に目を向ける。この脚では、飛んで避けるなど無理な話だろう。
 エリは脚から血をだらだら流しているスネイプを抱え上げると、頭を飛びのけながら、出入り口へと駆け出した。
「降ろさんか!!」
「アホか!! 死ぬぞ!?」
 クィレルはエリ達を放って、先に扉から出ようとしている。然し、出る直前でまるで誰かに呼び止められたかのように立ち止まり、杖を振り上げた。呪いは三頭犬の頭の一つに直撃する。
 スネイプは喚き続けていたが、暴れはしなかった。そんな事をすればエリ達二人共お陀仏だ。
 何とか扉まで辿り着き、エリ達三人は扉を出ると急いで閉め、その場に座り込んだ。冷や汗と走り回ったのとで汗だくだ。
 エリはよろよろと立ち上がり、肩を少し回した。
「……まさか、女なのに姫様抱っこを『する』日が来るとは思わなかったよ」
「される日を夢見ていたのか? それは無謀な妄想だな」
「う、うわっ。酷っ! ……で、スネイプ、足、大丈夫?」
 エリは様子を見ようとスネイプに一歩近付いたが、スネイプはすっくと立ち上がった。
「クィレル。やはり、貴様か――」
「な、何の事でしょう? わた、私は何も――」
 怯えるクィレルに、スネイプはずいと顔を近づけた。
「この状況で誤魔化せるとでも思っているのかね? 愚かな。貴様は現行犯だ」
「ほ、本当に、何のこ、事だか……。わ、私は、と、トロールを誰かがこ、故意に入れたのではないかと――そ、そちらはおとりなのではないかと――あ、貴方こそ、ど、如何してこんな所に?」
「奇遇だな。我輩も同じ理由だ。すると、あなた方がこの廊下にいた。――エリは如何してこんな所にいるんだ?」
 スネイプは、冷たい視線を今度はエリに向けた。
「えー……。なんか、クィレルが起きて、それからいつもと違った様子で大広間を出て行ったから――若しかして、クィレルってあれ? 土壇場で力量発揮、ってタイプ? さっきの先生、格好良かったぜ!」
 クィレルはかぁーっと赤くなった。
 スネイプはまだ、クィレルを睨み付けている。
「そんな、睨みなさんなって。クィレルせんせが可哀想だろーが」
「スネイプ先生! クィレル先生!」
 キーキー声がして振り返れば、フリットウィックがこちらへちょこまかと駆けて来ている。
「トロールが、一階の女子トイレに! 生徒もいるようなんです! 来て下さい!!」





 一階の女子トイレに入れば、くすんくすんと泣き声がしていた。
「……ハーマイオニー?」
 扉が閉まり、サラが声を掛けると、泣き声はピタリと止まった。
「……出て行って! 一人にして頂戴!」
「嫌よ」
 サラは、閉じている個室の前まで歩いていく。扉の真正面に立ち、話し出した。
「ごめんなさい……」
「如何してサラが謝るのよ。同情なんて必要ないわ。貴女も、私にはウンザリしていたんでしょう?」
「そうね。そうかもしれないわ」
 サラがあっさりと認めると、ハーマイオニーは反応に困って黙り込んだ。
「――でも……だからって、ハーマイオニーを嫌うのとは違うわ。私は、ハーマイオニーが言い方きつかったり、色々と厳しい事には少し、そうね、ウンザリしていたわ。でも、ハーマイオニーの言っている事は確かに正論だし、それだけでハーマイオニーを嫌いだったりなんてしない。私は……私は、こんな事言ったら、若しかしたら迷惑かもって思うんだけど……私は、ハーマイオニーと友達になりたい。親友になりたい」
「別に、そんな、迷惑だなんて――」
「私はっ!」
 ハーマイオニーの言葉を遮り、サラは言った。
「私は……今まで、ハーマイオニーを、友達だって思ってなかった……」
「……」
「誰にも嫌われたくなかったの……。一人になるのが怖かった……ここでも、異端者として扱われるのが……。だから、兎に角誰かと一緒にいよう、って。それがハーマイオニーだったの……。ごめんなさい。私、ハーマイオニーを利用してた……」
 声が震える。
 でも、言わなくてはいけない。
 嫌われてしまうかも知れない。他の人に広められるかも知れない。ここにも、サラの居場所は無くなるかも知れない。
 でも、自分自身が人を信じないのに、自分の事は信じてくれなんて、それは卑怯だ。
 深く知らない人を嫌う事なんて無い。でも、好く事も無い。
「私……日本で、『報復』をしていたの……」
「報復……?」
「ちょうど、おばあちゃんが死んだ頃からだった。私の周りで、妙な事が起こり始めたの。最初が何だったか、もう覚えてないわ……。それはどんどんエスカレートして、例えば、そうね――私はその現象の所為で苛めに遭っていたわ。それである日の休み時間、いつもみたいにからかわれて……おばあちゃんの事も言われて、私、大泣きしたの。――教室の窓が全て割れたわ。
それから暫くして、私はその力を自分でコントロール出来る様になった。その時には既に、ハブだったわ。私は、その力――魔法を使って、自分を苛める人に仕返しをするようになった――」
「た……例えば?」
 ハーマイオニーの声も震えている。
「下校時、クラスメイトを尾行して、車をその子達の所まで動かしたわ」
 ハーマイオニーはハッと息を呑んだ。
「もちろん、殺さないように加減してたし、誰も死んではいない。私は、苛めの所為で自分が不登校になるなんて、嫌だったの。だって、家にも私の居場所はないんだもの」
「養女だから……?」
「世間一般に知られているのは、嘘だわ。――捨てられたのよ、私」
「え……」
「本にも書いてある通り、私はおばあちゃん――シャノンの孫であり、養女だわ。シャノンが私の養父、圭太の継母だって事も、事実。
そして、シャノンは圭太の妻であるナミの実母。……ナミは私の養母じゃないの。実母なのよ」
「それじゃ……エリとサラは……」
「そう、同じ腹から同時に生まれた、正真正銘の双子よ。――お母さんは、私だけを孤児院に預けた……。
そして、私はおばあちゃんに引き取られ、イギリスで暮らしていた。『例のあの人』に襲われるまでは。私は呪いを跳ね返し、おばあちゃんは私をつれて日本へ逃げた。それから、今の家で暮らし始めたそうよ。
あの家では、私とおばあちゃんは除け者だった。お母さんはシャノンを嫌っていたし、お父さんも彼女を母親として認めなかった。そして、七歳の誕生日、おばあちゃんは死喰人に殺された……!」
 サラはぎり、と歯軋りする。
「それから私は独りになった。日本で、誰も友達なんていなかった。小三の時、やっと友達が出来た、と思ったら、その時の苛めの首謀者は彼女だった……! 私は『報復』をしていたわ。私自身はただの仕返しのつもりだったけれど、でも、私には力があるから、その程度の比じゃなかった……。
ねぇ、ハーマイオニー。そんな私でも、友達になってくれる? 迷惑にならないって言える?」
 ここでハーマイオニーが「ノー」と言うのなら、それは、もうサラがやり直すなんて不可能という事だ。
 力のある者は、他の者とは相容れないという事。

「……『イエス』なんて言えないわ」
 サラは、自嘲の笑みを漏らす。
 ――嗚呼、やっぱり。
「――でも、『ノー』とも言えない」
 ――……え?
「だって、分からないもの。今までサラが何をしていたか、が友達になる条件じゃないと思うの。それに、サラはホグワーツへ来て、一度もそんな事してない。……してない、でしょう?」
「ええ。でもそれは、ダンブルドアが目を光らせていたし、誰も害を与えないから――そうならないようにしていたからに過ぎないわ」
「元々皆に好かれる人だっているかもしれない。それも素敵だと思うわ。でも、意識して皆に好かれて、自分をコントロールできる人だって素敵だと思うの。サラはそれが出来る人だわ」
 サラの返答は無い。
「――私もね。マグルの学校で、厄介者扱いだったのよ」
 一瞬、ハーマイオニーが何と言ったか分からなかった。
 瞬きを数回繰り返した後、サラはようやく叫んだ。
「えぇぇっ!? ……ほ、本当に?」
「ええ。流石に、サラほどじゃないけれどね。私も、周囲でおかしな事が色々と起こったわ……。髪の事でからかわれたら、そのからかった子が翌日、丸坊主になってたり。ほら、私ってマグル出身でしょ? 両親もそれが何なのか分からないし、如何していいのか、って感じで。教会に行って祓ってもらったりした事もあったわ」
 何という無意味な事を。否、魔法を知らなかったのだから、そうしても不思議ではないかも知れない。
「だから、ホグワーツからの手紙が来て、自分が魔女だったんだって知って、それなら、今度こそ見返してやろうって。両親には迷惑ばかりかけてたから、魔法界では自慢できるような子供になろうって。一生懸命勉強して。規則もちゃんと覚えて、守って。……『駄目な子』って言われたくなかったのよ……人に自分の知ってる事を話す事で、自分は出来るんだ、って確認しないと怖くって。
――私の場合、家にはちゃんと居場所があったし、妙な出来事もそこまでじゃなかったから、サラよりはずっとマシよね」
「……」
「私は日本でのサラの話を聞いても、それがどんなものだかよく分からないし、それで友達になるか否かを決めるのは、何だか違うと思うわ。それで迷惑がかかったとしても、友達だったら、それってお互い様なんじゃない? だから、『イエス』か『ノー』かなんて分からない。でも、一つだけ、はっきりと分かるの。……私は、サラを嫌いなんかじゃない。友達になりたい、って言われて、純粋に嬉しかったし、その話を聞いても、嬉しいと思う」
 カチャリ、と音がして、ハーマイオニーが出てきた。
 そして、少し照れくさそうに笑った。
「ありがとう、サラ。私、サラに会えて本当に良かったわ」
「私も……ありがとう。私、自分の過去に怯えすぎてたのかもしれない……。人はそれだけで嫌って、去っていってしまうなんて、悪者扱いしていたんだわ。
大広間へ行きましょう。もう夕食の時間よ」
 サラがそう言うと、ハーマイオニーは突然「あーっ!」と叫んだ。
「如何しよう、サラ! 私、今日の授業、殆ど休んじゃったわ!!」
「私もよ。『薬草学』までは出たけど、結局それも途中で抜けたしね」
 ハーマイオニーは何か言おうとしたが、口を閉じ、そして少し眉を顰めながら再び口を開いた。
「――ねぇ、何か変な臭いがしない?」
「そう……? 朝から甘い臭いで鼻がやられてるから分から――」
 そこで言葉を区切り、サラはうっと顔を顰めた。酷い臭いが廊下の方から流れてくる。
「何の――」
 そう言いかけた時、開け放していた扉から、月明かりに照らされて巨大なモノが入ってきた。
 灰色の肌、ごつごつした巨体に、禿げた頭。太く短い足に、異常に長い腕が棍棒を引きずっている。これは――
「トロール……!?」
 サラは咄嗟に杖を取り出し、ハーマイオニーを庇うようにして立ちながら後ずさりした。
 如何してトロールがここに? トロールが一人でホグワーツに侵入出来る筈が無い。
 それよりも、どうやってこの場を切り抜けよう。
 出口は一つ。トロールの数メートル後ろだ。トロールは、横を通っても気づかないくらい鈍いだろうか?

 その出口が、何の前触れも無く、ぴしゃりと閉まった。
 更に、がちゃりと音がして鍵が閉まる。
 トロールに気を取られていたが、気配で誰だか分かった。ハリーとロンだ。
 ――……覚えてろよ。
「きゃあぁぁああぁぁぁあぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁああっ!!」
 逃げ道を失いパニックに陥ったハーマイオニーが、けたたましい悲鳴を上げた。
 ハーマイオニーはトイレの奥まで駆けて行き、それ以上逃げられなくなると、その場に座り込んでしまった。今にも気を失わんばかりだ。
 ハーマイオニーの悲鳴に触発されたトロールは、棍棒を目茶目茶に振り回し、洗面台を次々となぎ倒しながらこちらへ近付いてくる。
 サラはハーマイオニーの所まで駆け寄り、腕を引っ張った。
「立って! 逃げないと!!」
 そう言いながらトイレを見回し、舌打ちする。サラが行っていた小学校なら、今ハーマイオニーが張り付いている壁の所に窓があったのに。
 トロールが棍棒を振り上げた。
 ハーマイオニーを床に押し付ける。危機一髪、私の頭の数センチ上を棍棒が通り過ぎた。
 扉が一気に開かれた。
 ハリーとロンが戻ってきたのだ。
「こっちに引き付けろ!」
 ハリーはロンに指示しながら、破壊された蛇口をトロールに投げつけた。
 トロールは振り回す腕を止め、ゆっくりとハリー達を振り返った。それから、棍棒を振り上げてドシンドシンと遠ざかる。
 今度は金属パイプがトロールの肩に当たった。
「やーい、ウスノロ!」
 ロンの声に、トロールはまた立ち止まった。その隙に、ハリーがトロールの背後に回りこみ、こちらへ駆け寄ってきた。
「走れ! 走るんだ!」
 ハリーもハーマイオニーの腕を引くが、ハーマイオニーは恐怖で硬直したままだ。
 その間に、トロールはロンへと近付いていく。
 サラが杖を振り上げる前に、ハリーがトロールへと駆け出した。そして、何を血迷ったのか、トロールの首に飛びついた。
 トロールは唸り声を上げながら、棍棒を滅茶苦茶に振り回してハリーを払い落とそうとする。ハリーの持っていた杖がトロールの鼻に突き刺さっているのだ。
 ハリーに棍棒が当たるのも時間の問題だ。
「ステューピファイ!」
 人相手ならば気絶するのだが、トロールは少し大人しくなっただけだった。
「ウィンガーディアム レビオーサ!」
 ロンの呪文で、トロールの手にあった棍棒が空中高く飛び上がり、ゆっくりと一回転し、鈍い音を立てて持ち主の頭に落下した。トロールはフラフラと揺れ、どさっとその場にうつ伏せに倒れた。若しも仰向けだったら、ハリーは押しつぶされていただろう。
 サラは杖を構えたまま、ゆっくりとトロールに近付いていった。ハリーは立ち上がり、ロンは杖を振り上げたまま固まっている。
 トロールの傍まで行き、サラは腕を降ろした。それを見て、ハーマイオニーが恐る恐る言った。
「それ……死んだの?」
「いいえ。気絶しただけみたいね」
 ハリーはトロールの鼻から自分の杖を引っ張り出し、顔を顰めるとトロールのズボンで杖先に付着した灰色の物体を拭き取った。
 サラはハッと廊下の方を振り返った。ハリーが怪訝そうに私を見上げる。
「何? まさか、もう一体いるんじゃないよね?」
「違うわ。先生方よ」
 そう言い終えたのと同時に、バタンと扉が開き、バタバタと三人の先生方がトイレに入ってきた。
 クィレルはトロールを見た途端、ヒーヒーと弱々しい声をあげ、胸を押さえてその場に座り込んでしまった。
 スネイプは私の反対側から、トロールを覗き込んだ。その時サラは、スネイプが片足を僅かに引きずっている事に気がついた。
 マクゴナガルはサラ達を見据えた。唇が蒼白だ。こんなに怒っている先生を初めて見た。
「一体全体、あなた方は如何いうつもりなんですか。殺されなかったのは運が良かった。寮にいるべきあなた方が、如何してここにいるんですか?」
 スネイプはサラとハリーを疑るような目つきでジロジロと見た。サラはその視線を睨み返した。
「私、寮に行くように指示があったなんて、知りませんでした。夕食の席にはいなかったので――」
「それはまた、如何して?」
 サラはうっと言葉に詰まった。
 ちらりとハリーとロンを見る。ハリーは俯いていて、ロンはまだ杖を振り上げた状態で固まっている。
 その時、トイレの奥の暗がりから声がした。
「マクゴナガル先生、聞いてください――三人とも、私を探しに来たんです」
「ミス・グレンジャー!」
 ハーマイオニーはようやく立ち上がった。
「私がトロールを探しに来たんです。私……私一人でやっつけられると思いました――あの、本で読んでトロールについては色んな事を知ってたので」
 ロンが杖を取り落とした。ハリーはポカンと口を開ける。
 サラは必死できょとんとした表情にならぬように取り繕う。
「もし三人が私を見つけてくれなかったら、私、今頃死んでいました。危機一髪の所でサラが私を庇ってくれて、ハリーは杖をトロールの鼻に刺し込んでくれ、ロンはトロールの棍棒でノックアウトしてくれました。三人とも誰かを呼びに行く時間が無かったんです。二人が来てくれた時は、私、もう殺される寸前で……」
「まあ、そういう事でしたら……」
 マクゴナガル先生は渋々といった様子で頷き、サラ達四人をじっと見つめた。
「ミス・グレンジャー、なんと愚かしい事を。たった一人で野生のトロールを捕まえようとするなんて、そんな事を如何して考えたのですか?」
 ハーマイオニーはうなだれた。
 「嘘だ。違う」と言いたかった。ハーマイオニーは規則を破ったりなんて、絶対にしない。さっきの話を聞いた後だと、尚更そう思った。
 だけど、ここでハーマイオニーの話を否定すれば、彼女の気持ちを無駄にする事になってしまう。それに、ロンが言った言葉の事や、ハーマイオニーがそれ以降の今日の授業に出なかった事を全て話さなくてはいけなくなる。
「ミス・グレンジャー、グリフィンドールから五点減点です。貴女には失望しました。怪我が無いならグリフィンドール塔に帰った方が良いでしょう。生徒達が、さっき中断したパーティーの続きをやっています」
 ハーマイオニーは俯き加減にトイレを出て行った。
 それからマクゴナガルは、サラ達に向き直った。
「先ほども言いましたが、あなた達は運が良かった。でも大人の野生トロールと対決出来る一年生はそうざらにはいません。一人五点ずつあげましょう。ダンブルドア先生にご報告します。帰ってよろしい」

 急いでトイレを出て、二つ上の階まで上がってから、ロンがやっと口を開いた。
「三人で十五点は少ないよな」
「三人で十点だろ。ハーマイオニーの五点を引くと」
「ああやって彼女が僕達を助けてくれたのは確かにありがたかったよな。だけど、僕達があいつを助けたのも確かなんだぜ」
「貴方達がトイレに鍵を掛けなければ、助けは要らなかったかもしれないけどね」
 サラが冷たく言えば、ロンはうっと言葉に詰まった。
 それから、恐る恐る、サラの様子を伺うようにして言った。
「――サラ、何か怒ってるの? それとも、体調が悪いから?」
「体調?」
「だって、『薬草学』の授業を途中で抜け出したじゃないか。医務室へ行く、って」
 サラとハリーは顔を見合わせた。
 当然、ハリーはサラが如何して授業を抜けたのか分かっているようだった。サラ達は、クスクスと笑いあった。ロン一人が、きょとんとしていた。


Back  Next
「 The Blood  第1部 希望求めし少女たちは 」 目次へ

2007/01/14