十一月になった。ホグワーツの十一月は、日本よりも遥かに肌寒い。校庭には霜が降り、外へ出るにはコートやマフラーなどは必須だった。
十一月の最初の週末が、ホグズミード行きの日だった。エリは双子と共に、隠し通路を通ってホグズミードへと行ったが、ものの五分で退却する事となった。先生達に見つかりそうになったのだ。
そして、次の土曜日はとうとうクィディッチの初試合だ。対戦相手はスリザリン。グリフィンドールが勝てば、寮対抗総合の二位に浮上する。
ハリーやサラの事はウッド曰く「極秘」との事だったが、最早学校中が知っていた。一応、二人が練習している所を見た者は選手以外にいないのだが。
トロールとの戦い以来、サラ、ハーマイオニー、ハリー、ロンは共に行動するようになった。サラはあの日以来、優等生を演じるのはやめ、遠慮なく自分の感情を表に出すようになった。心からの笑顔も増えた。ハーマイオニーもそれ以来、随分と寛大になり、ピリピリしている事は少なくなった。
クィディッチ初戦の前日、四人が中庭で、魔法で出した火で温まっていると、スネイプがやってきた。あの日の夜と同じく、片足を引きずっている。火は禁止されているのかもしれない、と思い、四人はぴったりとくっついて背中で火を隠した。然し、その挙動不審な様子がスネイプの目に留まってしまった。
スネイプは火を見つけられなかったが、何か小言を言う口実を探していた。
「ポッター、そこに持っているのは何かね?」
ハリーが、ハーマイオニーから借りた「クィディッチ今昔」を差し出した。スネイプは意地悪く笑った。
「図書館の本は校外に持ち出してはならん。よこしなさい。グリフィンドール五点減点」
そう言うと、ハリーの手から「クィディッチ今昔」をひったくるようにして取り、片足を引きずりながら去っていった。
「何だよ、あれ。絶対、規則をでっち上げたんだ。――だけど、あの足は如何したんだろう?」
「トロールが侵入した日も引きずってたわ。まさか、本当にもう一匹トロールが入ってたのかしら?」
「知るもんか。でも、もの凄く痛いといいよな」
No.16
「……また、君か」
職員室へやって来たスネイプは、うんざりした調子で言った。だけど、エリがスネイプについて職員室へ入っても、追い返しはしない。
「だって、俺を庇って怪我しちまったんだしさ。あんただけだと、ちゃんと治療しなさそうだし。傷、どう?」
「完治した」
「嘘吐け。今、片足引きずってたじゃんか。そろそろ包帯替えた方がいいだろ。そこ座って」
エリはスネイプを突き飛ばすようにして半強制的に椅子に座らせ、棚を漁る。
「包帯って何処だ? ――ああ、見つかった。座ってろって」
立ち上がりかけたスネイプを再度座らせる。スネイプは渋々とガウンをたくし上げ、包帯を外した。
……ズタズタだ。
「何をしている。早く貸さんか」
「あ、ああ」
エリはスネイプに包帯を手渡したが、まだその傷から目が離せなかった。
「……ごめん」
スネイプは包帯を巻く手を止め、疑問符を浮かべてエリを見上げる。エリは唇を噛んで俯いた。
「だってさ、俺の所為だろ? 俺があの場にいたから……」
「エリの所為ではない。我輩の足を噛んだのはあの怪物だ。忌々しい奴め。三つの頭に同時に注意するなんて出来るか?」
そう言って顔を上げ――スネイプは固まった。かと思えば怒りに顔を歪め、急いでガウンを下ろして足を隠しながら叫んだ。
「ポッター!!」
ハリーが、職員室の入り口の所にいた。ドアを少し開けて、中を覗いていたらしい。スネイプの様子に、ハリーはうろたえる。
「その……本を、返してもらえたらと、思って……」
「出て行け、失せろ!!」
その短い台詞を言い終える前に、ハリーは既に職員室の入り口からいなくなっていた。
「……今の話、聞かれたかな」
スネイプは答えなかった。
翌日。十一時になると、エリはハンナ、スーザン、アーニー、ジャスティンと共に競技場へ向かった。今年のクィディッチの初戦、それもハリーやサラが選手として参加と言う事もあり、大勢の生徒が詰め掛けている。エリ達がやっと席を見つけたのは、スリザリン側のゴールの傍で、ゴールポストで多少見えにくい席だった。
エリ達とは打って変わって試合が見安そうな席の最上段に、どうもシーツで作られたらしい旗がはためいている。風ではためいているので何と書いてあるのかよく見えないが、ちらりと「ポッター」という字が見えた。赤毛の長身がいるから、ロンやハーマイオニー達かもしれない。
「選手が出てくるわ」
スーザンが言った直後、競技場はわぁーっと歓声に包まれた。グリフィンドールは真紅のローブ、スリザリンは深緑色のローブを着ている。
「あれ! あそこにいるのがハリーよね? その隣の子がサラじゃない?」
ハンナがきゃあきゃあとはしゃぐ。
サラもハリーも簡単に分かった。サラは相変わらずラベンダー色のカチューシャを付けているし、ハリーは頭の後ろがつんつんと跳ねている。
選手達が箒に跨る。
マダム・フーチの笛の音を合図に、十人の選手達は一斉に飛び上がった。
「さて、クァッフルはたちまちグリフィンドールのアンジェリーナ・ジョンソンが取りました――」
聞き覚えのある声だ。そう思い、エリは首を傾げる。
「――何て素晴らしいチェイサーでしょう。その上、かなり魅力的であります」
「ジョーダン!」
「やっぱり、リーだ! あいつ、放送席なんかに座ってんのかよ!!」
「エリ! 身を乗り出したら危ないわよ!」
放送席は当然、試合が見やすい席に違いない。どうせなら、誘ってくれれば良かったのに。
リーはマクゴナガルに厳しく監視されながら、試合の実況を行う。ボールは競技場を速いペースで行き来する。遠くへ行ってしまうと、試合の様子が分からない。先取点は、サラが入れた。
グリフィンドールから大歓声が上がる。スリザリンは溜め息だけでなく、野次を飛ばす連中までいた。
「――さて、今度はスリザリンの攻撃です。チェイサーのピュシーはブラッジャーを二つかわし、双子のウィーズリーをかわし、チェイサーのベルをかわして、もの凄い勢いでゴ……ちょっと待って下さい――あれはスニッチか?」
ピュシーは自分の真横を通った金色の閃光に気を取られ、ボールを取り落とした。すかさず、サラがそれを取ってゴールへと突っ走る。然し、それに気を留める者はいなかった。皆、選手までもが、ハリーとヒッグズがスニッチを追う姿に気を取られている。サラはシュートを入れ、その流れに唖然として宙に浮いていた。
ハリーの方が速い。あと少しだ。サラは応援したくないが、スリザリンが勝つよりはグリフィンドールの方がいい。頑張れ、ハリー――突如、グリフィンドールの席から怒りの声が沸きあがった。スリザリンのマーカス・フリントが、態とハリーに体当たりして邪魔をしたのだ。ハリーは観客席ギリギリまではじき出され、スニッチは再び姿を消した。
「この卑怯者っ!! もう少しで観客席に衝突する所だったぞ!!?」
フリントの反則には、グリフィンドールだけでなく、ハッフルパフやレイブンクローもぶつぶつと言っていた。
フーチはグリフィンドールにフリー・シュートを与えた。ただそれだけだった。
「何だぁ? なんであいつ、退場にならねぇんだよ?」
「クィディッチには『退場』が無いんだ。マグルの競技にはあるんだって? ジャスティンから聞いたんだけど」
「えー、誰が見てもはっきりと、胸糞の悪くなるようなインチキの後――」
「ジョーダン!!」
マクゴナガルが凄みをきかせるけど、エリはリーの言い方に頷いていた。
「えーと。おおっぴらで不快なファールの後――」
「ジョーダン、いい加減にしないと――」
「はい、はい。了解。フリントはグリフィンドールのシーカーを殺しそうになりました。誰にでもあり得るようなミスですね、きっと。そこでグリフィンドールのペナルティー・シュートです。ベルが投げました。入りました。さあ、ゲーム続行。クァッフルはグリフィンドールが持ったままです」
再びボールの行き来が始まり、そしてまた、グリフィンドールがペナルティー・シュートを与えられた。サラがフリントに弾き飛ばされたのだ。
「……ねぇ。ハリーの様子、おかしくありません?」
高そうな双眼鏡で試合の様子を見ていたジャスティンが、試合の少し上を指差して言った。見れば、ハリーの箒は上下左右にジグザグと飛び、乗り手を振り落とそうとしている。
「ジャスティン、貸して!」
エリはジャスティンの双眼鏡をひったくると、それでハリーを見た。隣でハンナとスーザンが悲鳴を上げた。ハリーは、片手で箒にぶら下がっている。
エリはそのまま、サラの方を双眼鏡で見た。特に理由は無かった。疑っていた訳でもない。サラはハリーと仲が良いから、サラが犯人の筈がない。でも、サラの様子を見れば何か分かる気がした。
サラは、観客席の一点を、じっと見つめていた。張り詰めた表情だ。
サラの視線の先までは分からなかった。教員席や放送席の所だという事は分かる。でも、誰を見ているのかまでは分からない。再びサラに双眼鏡を向ければ、サラはまだじっとそちらを見つめている。――そして、口を開いて何やらブツブツと呟いた。
途端に、教員席から二人分の悲鳴が上がった。
スネイプとクィレルだった。エリが見たときには、クィレルは床に手を着き、喉を押さえて喘いでいた。スネイプは、ローブに付いた火を慌てて踏み消している。
スネイプの方の犯人は分かった。栗色のふさふさの髪の女の子が、小瓶を手に教員席を離れていくのが見えた。
すると、クィレルを攻撃したのは――
再びサラに双眼鏡を向ければ、もうクィレルの方は見ていなかった。視線の先はハリーだ。ハリーは、地面へと急降下していく。そして、片手でパチンと口を押さえた。
気分が悪くなってしまったのだろうか。そう思った。然し、着地したハリーが口から出したのは、金色の物体だった。
「スニッチを取ったぞ!」
ハリーがスニッチを振りかざして叫んだ。
――如何しよう……。
ハリーの箒が暴走を始めた。ニンバスに何か手出しが出来るのは、闇の魔術を扱う者ぐらいだ。サラは真っ先に、教員席を見渡した。ハリーを瞬きせずに見つめ呪文を唱えている者は、二人いた。
スネイプと、クィレル。
スネイプだって、充分に怪しい。でも、クィレルはそれ以上に怪しかった。
何故、この状況で卒倒しない? 彼は二人分の魔力を纏っている。それも、一つは非常に強力だ。それは一体、何を示す? クィレルが反対呪文を唱えているとしたら、何故、それだけの力があるという事を普段隠す? 導き出した答えは、『クィレルがハリーを殺そうとしている。』
サラは如何すれば良いのだろう。クィレルを止めなければ。でも、攻撃をしてしまう事になる。小学校でやっていた事と同じだ。だけど、このままだとハリーが。
学校中が見ている。誰かに気づかれるかもしれない。エリはきっと気がつく。それよりも、ハーマイオニー達に気づかれたらどうしよう。特に、ハーマイオニーに気づかれたら。サラは、ハロウィーンの日、嘘を吐いてしまった事になる。信用を失ってしまう。
でも、ハリーが振り落とされるのは時間の問題だ。このままだと、落ちて――
「……っ」
嫌だ。
もう、誰も死なせたくない。大切な人が落ちて行くのは、怖い。
サラは、クィレルをキッと睨み付け、短い呪文を唱えた。
クィレルは悲鳴を上げた。それだけで、成功したのだと分かった。サラはハリーの方を見る。ハリーの箒はコントロール可能な状態に戻っていた。
ハリーは急降下し、途中でスニッチを飲み込み、着地した。
「グリフィンドール、百九十対六十で勝ちました!」
試合終了後、サラは騒ぎの渦中にもいなければ、ハリー達と一緒にハグリッドの小屋へ行ってもいなかった。
サラの前には、エリ。
「それじゃ、お前は騒ぎに乗じて、久々に誰かに呪いを仕掛けてみようと思った訳だ?」
サラは口を真一文字に結ぶ。
予想通り。エリは、サラが何をしたのか気付いていた。
「友達が今にも箒から振り落とされそうだってのに、それなのに、今の内にちょっと、誰かを痛めつけておこうって!?」
エリはずい、とサラに顔を近づけた。
「頭が悪いと、そんな考えに辿り着くのね。驚きを通り越して、呆れるわ」
「てめ……っ! 自分が何をしたか、分かってんのか!? まさか、先生相手にまでやるなんてな! 如何いうつもりだよ!!?」
顔の横に拳が飛んできた。サラはそれを掌で受け止める。強い衝撃が、掌に加わった。
「……へぇ。夏よりも力強くなってんじゃない? 未だにトレーニングなんてしてる訳? それは一体、何のため? こうして、人を殴る為なのかしら?」
エリは一歩下がり、手を下ろした。エリの脇で握られた拳はふるふると震えている。
「お前に何が分かるってんだ!! 人を攻撃して、巻き込んで……お前、本当に人間か!? 心あるのかよ!?」
「ばっかみたい。恥ずかしくない訳? そんな臭い事言って」
「何だと!? さっきの事、ダンブルドアに言うからな!! 『試合中、サラがクィレルを殺そうとしてた』って!!」
「殺そうとなんてしてないわ!!」
「気づいてないのか? その台詞、小学校での『報復』をした言い訳と同じだって事によ!」
「……っ」
「殺すつもりは無くても、攻撃したのは確かだろ。お前は、小学校の時と同じ事を繰り返したんだ」
言い返す言葉が無い。
例え理由が何にせよ、小学校の時と同じだ。こちらが攻撃されたから、攻撃し返す――要するに、「報復」。
サラは、同じ事を繰り返した……。
「――俺は、お前が大嫌いだ」
エリはサラを睨み付け、言った。
……何を、今更。
「お前が変わる筈が無い。場所が変わったからってだけで、変わる筈が無い。攻撃したら、攻撃し返す。しかも今回は、何も危害を加えてない教師ときた。何の為にクィレルに呪いをかけたんだ? 何処まで最低なんだよ、お前」
「妙な言いがかりをつける君こそ、最低だ!」
言い返したのはサラではなかった。
……ドラコ。
「こんな所で何をしてるのかと思ったら。ハッフルパフは『正しく忠実』なんじゃなかったのかい?」
如何して、ドラコがここに。――否、そんな事よりも。
「何処から、聞いてたの……?」
何とか、声は震えずに済んだ。その代わり、問い詰めるかのような冷たい声になってしまったが。
そんな様子のサラに、ドラコは目を見開く。
「何処からって……モリイが、『お前が大嫌いだ』とか言った所からだけど……口を挟まない方が良かったって言うのか?」
「違うわ!」
少し不機嫌そうな様子になったドラコに、サラは慌てて言った。
「ごめんなさい。別に、そういうつもりじゃ……え、ちょっと!」
ドラコはサラの手をぐいぐいと引っ張り、歩き出していた。あまりの強さに、サラも歩き出すしかない。
その場から立ち去るサラ達の背中に、エリの声が覆いかぶさってきた。
「お前に忠告しといてあげるけどな。表のそいつが本物だと思うなよ! 今年の夏に知り合ったお前より、俺の方がサラの事は知ってるんだからな!」
ドラコはちらりとサラを見下ろしたが、そのまま構わずにエリが見えなくなる所まで歩き続けた。
「あの、えっと、ドラコ……私、ハグリッドの所に行かなきゃいけないの……」
玄関ホールまで歩いてきて、サラはおずおずと切り出した。
「ああ、うん、そっか」
そう言って、ドラコは繋いでいた手を離した。
「つくづく、君の妹って酷い性格してるよな。まさか、あそこまで酷いとは思わなかった。クィレルが試合中に倒れたのは、サラの所為だなんて。あのクィレルの事だ、あれまで耐えていられた方が凄いって事に気づかないのかな」
「ええ……そう、ね……」
本当の事なのに。
僅かに感じるもやもやとした気持ち――罪悪感。
ドラコはサラの様子を取り違えたらしく、慰めるようにサラの頭に手を乗せた。
「あんな奴が言う事、気にするな。また何か言われるようだったら、直ぐ僕に言ってくれ。僕は、サラを信じてるから」
「……ええ、ありがとう……。じゃあ、私、もう行くわね」
早口にそう言って、サラは階段を駆け下り、ハグリッドの小屋まで小走りに駆けて行った。
違うのに。
エリは、本当の事を言っているのに。
サラは確かに、クィレルを攻撃したのに。
――私に優しくしないで。
ドラコの優しさが痛い。サラは優しくされるのに相応しい子ではない。
校庭を半分通り過ぎた所でサラは立ち止まり、城の方を振り返った。
ドラコは既に城の中に入ったらしく、もうそこにはいなかった。
ドラコが引っ張った手の温もりはもう、消えてしまった。日本よりも寒い十一月。手袋をしていないサラの手は、冷え切っていた。
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希望求めし少女たちは
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2007/01/22