魔法使いしか住まない村――ホグズミード。
その外れに、一つの小さな家があった。小さい、然し生活に不自由は無いであろう家。
その家の住人は、もう十年も前から帰ってきていなかった。住人を失ったその家はまだ朽ちる事も無く、静かにそこに佇んでいた。
本来ならば誰もいない筈のその家に、一人の少女がいた。
彼女は輝くような金髪を左右に揺らし、部屋の奥へと歩いていく。辿り着いた部屋の窓は暗幕が引かれ、昼だというのに室内は薄暗かった。
少女は、部屋の奥にある机まで真っ直ぐ歩いていった。
そして、その薄紫色の瞳で、机の上に置かれた水晶玉を覗き込む。
「――時が近付いている……」
彼女の声を聞く者は誰もいなかった。
No.18
行きと同じく、「漏れ鍋」から煙突飛行でナミの実家へ。着いた時には、日本時間では夜中の三時を回っていた。
「ただいまー!」
大声で言ったが、注意はされなかった。皆起きていたし、この辺りに他の家は無い。
囲炉裏の前ではアリスが、眠い目を擦りながら今か今かと待ち構えていた。
「お帰り! お母さーん! エリ、帰ってきたわ!!」
台所の方へ向かって叫ぶと、荷物を置いたエリの手を引っ張る。
「イギリスの方の時間では、夕食ぐらいでしょ? お腹空いてるだろうから、ご飯作って待ってたのよ! あたしも手伝ったんだから」
「マジ? 実は、昼食もまともに食べられなかったんだよな〜」
エリの言葉に、アリスは小さく首を傾げる。
「え? どうして?」
「……色々ありまして」
まさか、あのメンバーで同じコンパートメントに座る事になろうとは思いもしなかった。
エリ達ハッフルパフの五人に加え、ハーマイオニーは別に構わない。
問題は、サラ、マルフォイとその腰巾着二人。
駅への坂道を下っていっている途中、ハンナが忘れ物に気がついて城へダッシュで戻っていった。エリ達は早めに駅へ向かっているから、ハンナも走れば充分に間に合う時間だった。
そしてハンナが戻ってきた時、何故か、ハーマイオニーとその他四人が一緒だった――五人とも遅かったので、空いているコンパートメントが見つからなかったらしい。
ハーマイオニーがいるのにマルフォイ達が一緒だった理由は不明だ。
エリもサラも、お互いを無視していた。それぞれが、普段の仲間とバラバラに会話していた。
だが当然、このメンバーでずっと平穏とはいかなかった。
最初に喧嘩を仕掛けてきたのはマルフォイだ。出発して間も無くは、特に何ともない話をサラとしていた。然しいつの間にかハリーの悪口がしばしば聞こえるようになり、サラがそれを無視し始めると逆にエスカレートし、その場にいるハーマイオニーやエリの事まで何だかんだと言い出した。
喧嘩勃発。マルフォイの方にはクラッブとゴイル、エリの方にはアーニーとジャスティンがついた。
互いに罵り合い、一時休戦となったのは車内販売のおばさんが来た時だった。
だけど、マルフォイはゆっくりと昼食を取らせてはくれなかった。ジャスティンがマグル出身だと知り、ジャスティンを罵倒。結果、サラとハーマイオニーの魔法で、エリ達は到着まで固まっている事になった。
アリスは「手伝った」と言ったが、実の所、半分はアリスが作ったらしかった。エリ達がホグワーツに入ってから、アリスは毎日家の手伝いをしているらしい。
「何だ? アリス、花嫁修業かぁ?」
「別にそんなつもりないわよ。ただ、色々出来た方がこれから便利かな、って思って」
からかうように言った言葉を、アリスはあっさりと返した。実際、ナミも正社員で働いているから、最近はアリスが晩御飯を作る事が多いらしい。
ナミの実家には、今回は圭太も来て待っていた。今日は仕事が休みだそうだ。
皆起きて待っていてくれて、エリは本当に幸せ者だと思った。
到着したその日はナミの実家で過ごし、次の日、家へと帰った。
家に着くと、荷物の整理も中途半端に、エリは俊哉の家へと出かけていった。
然し、家には車が無かった。一応呼び鈴を押してみるが、誰かが出てくる気配も無い。
外出中だろうか。
「あれ。俊哉君のお友達?」
誰もいないのかと様子を伺っていると、背後から声をかけられた。隣の家の人だ。エリはこくりと頷く。
彼女は、俊哉の家の門を勝手に開け、ポストの中の新聞紙や広告を取り出した。
「俊哉君はね、家族と田舎へ帰ってるよ。学校が始まる前日辺りに帰ってくるって。何でも、おじいさんが亡くなったそうでね」
「はぁ……」
気の無い返事をして、今度は留美の家へと向かった。
留美はもちろん、家にいた。エリを見ると目を丸くし、家へ上がらせた。
留美の両親は仕事に行っていて、兄も部活で学校らしい。エリが通されたのはリビングだった。
「あれ? 留美の部屋じゃないんだ?」
確か留美の家では、友達を呼ぶ時は自分の部屋という決まりになっていた筈だ。
「大丈夫、大丈夫。ばれやしないよ。皆、帰ってくるの夕方だし。今あたしの部屋、大掃除中で足の踏み場もない状況だからさ」
留美は軽い調子でそう言って、その辺にあったポテトチップスの袋を開けた。
「そう言えば、俊哉のじいちゃん、死んだんだってな」
「ああ、うん。大変だよねぇ……俊哉のおじいさんって、何か大きな会社の社長か何かでしょ? 親戚もそれなりにいて、相続やら何やら大変らしいよ」
「じゃあ、母親の方なんだ。あっちの親戚、あんま好きじゃないっつってたよな」
「うん。堅苦しい雰囲気で、息が詰まりそうだってさ……」
留美の言い方に、エリは何か引っかかりを覚えた。でも、それが何かは分からなかった。
エリは内心首を傾げながらも、再びポテトチップスに手を伸ばす。
「相続ってやっぱりさ、ドラマみたいな感じなのかな。だって、親戚同士で敬語使うような家だろ? どうもイメージがさ――」
「エリ。それ、不謹慎だよ」
途中で遮られ、エリは一瞬固まった。
「あ――ごめん」
嫌な空気に耐えかねて謝ったが、果たして謝るほどの事だろうかとも思っていた。別に、からかうつもりとかで言った訳ではないのに。それに、俊哉はサラみたいにその人に懐いていた訳ではないのだから、ショックもそこまで大きくはない筈だ。
無言でポテトチップスを食べていたら、ふと、留美が呟くように聞いてきた。
「エリさ……俊哉の、何処が好きなの? 本当に好きなの?」
「――え……?」
唐突な質問に、エリは目を瞬く。
一瞬からかっているのかと思ったが、留美の表情は真剣そのものだ。どう見ても、からかっているようには見えない。
「えーと……なんで?」
「……純粋に、疑問に思って。エリ、サラの事でハブられてたじゃん? でも、あたしと俊哉はエリの味方についた――そして、その片方、俊哉は男子だった。だから、『好き=恋』ってなっただけで、本当は、ただ単に友達としか思ってないんじゃない?」
どうして、留美が突然こんな事を言い出すのか分からなかった。
違う、と言おうとした。自分は確かに、俊哉を好きだ、と。
しかし、その言葉は喉の奥に張り付いて出てくる事はなかった。代わりに出たのは、「なんで?」
「……」
留美は黙り込んだ。気まずい沈黙が流れる。
どれくらい、黙って固まっていただろう。時計を見て計っていないが、恐らくほんの数分だろう。だけど、何時間も経ったような気がした。
突然、ガチャガチャと鍵を開ける音がして、留美の兄が入ってきた。
「あー! 留美、リビングの方に友達入れてる!」
留美は慌てて立ち上がり、自分の兄に駆け寄る。
「いいじゃん、別に! お願い! お母さん達には黙っといて!」
「どうしよっかな〜」
「今度、ガムでも買ったげるから!」
「言ったぞ? 忘れんなよ? 二つな」
「えーっ!」
エリは、心の中で留美の兄に感謝した。
あの妙な空気には、耐えられそうになかったから。
扉を開けた留美は、アリスを見て目を丸くした。
もちろん、アリスの事を知らない訳ではない。だが、妹であるアリスが何故自分に用があるのか分からない、といった表情だ。
アリスは人当たりの良い笑顔をにっこりと浮かべた。
「こんにちは! 覚えてる? 低学年の頃、エリについて一緒に遊んだ事が何度もあったけど……。久しぶりに、留美ちゃんと遊びたくて!」
「もちろん覚えてるよ。アリスちゃんだよね? どうぞ、あがって」
今日は雨だ。もちろん、外でなんて遊べない。彼女も、それでも家に入れないほど冷たくはないだろう。そう思って、今日にした。
『なんで、あんな事聞いたんだろうな』
エリは分かっていないようだった。
エリの会話の中に、少しどんな話をしたかが出てきて、アリスはさり気なくその会話内容へと話の流れを持っていった。
エリは違和感を覚えただけのようだが、恐らく……。
アリスは留美の部屋に通された。今日は彼女の兄が家にいるらしい。
留美の部屋は、きちんと片付いていた。
「留美ちゃん、もう大掃除終わったの? 綺麗な部屋だねぇ……」
何も知らずに感心しているかのように言ってみた。
「これからだよ。物が少ないだけだって。うちのお母さん、勝手に色々と捨てちゃうからさ。――じゃあ、飲み物でも持ってくるよ。炭酸飲める?」
「うん。ありがとう」
留美は「礼儀がいいね」と笑い、階下へ降りていった。
留美が部屋から出ると直ぐ、アリスは彼女のランドセルを探った。一番手前のポケットに、カードケースが入っていた。そこに入れられた写真。
何も知らないエリが不憫で仕方が無かった。
用意してもらった部屋に戻り、サラは深い溜め息を吐いた。
エフィーの籠に指を入れてくすぐるように撫でれば、気持ち良さそうにホーと鳴く。
ドラコの両親は、確かにサラに興味を持っているようだった。特に母親は、サラを最初に見た時、奇特な人を見るような目つきだった。サラが変人なのでは、と疑っているかのような。それも、その日一日で「まとも」と判断してもらえたようだが。
父親は厳しい人だった。それでも、ドラコの両親はドラコを愛している。厳しくするのと嫌うのは違うのだ。
ドラコの家は華やかで、広さも途方も無かった。家の中で移動する際は、ドラコと一緒でないと迷子になってしまいそうなぐらいだ。初日は、家の案内で一日が終わった。
ドラコの家は楽しい。
だけれどその分、一人になった時に寂しさが、引いた波が帰ってくるように戻ってきた。ホグワーツは子供同士で生活するから、あまり感じなかった。朝食の時、他の子達に家からの手紙が来るのを見た時ぐらいだ。しかし、それもただ生徒数が多いからふくろうが多いだけであって、皆が皆毎日貰っている訳ではないから大して気にならなかった。
――今もおばあちゃんが生きていれば、独りにはならなかったのに。
行き着く先は、いつも同じ。どうしようもない事なのに。
「……貴方は、仲間がいなくて寂しくないの?」
エフィーはうとうとと眠り始めていて、甘噛みもしなければ「ホー」とも鳴かない。
コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。――ドラコだ。
「開いてるわよ」
サラは出来る限り明るい声を出して言った。
扉が開き、ドラコが顔を覗かせる。
「ダイアゴン横丁にでも行かないかと思って」
「――ええ。待って。今、準備するわ」
留美は目を見開き、硬直した。然しそれも一瞬の事、アリスが突きつけたカードケースをひったくるようにして取り、隠すように机の上に伏せた。
アリスはあくまでも、笑顔を崩さない。
「その写真、俊哉君と留美ちゃんだよね? 俊哉君って、お姉ちゃんの彼氏だと思ってたんだけどなぁ……。それとも、別れたのかな? 留美ちゃん、俊哉君の事好きだったんだぁ。その写真の日付、先月だもんね? そんな写真持ち歩いてるって事は、そういう事だよね? 知らなかったなぁ〜」
「……」
「あ。でも、この間、お姉ちゃんをこの部屋に入れなかったんだっけ? そっか。それを見られたくなかったんだ〜。あれ? でも、変だなぁ……お姉ちゃんと俊哉君が別れてるなら、別に隠す必要ないよね?」
「……アリスちゃん。人の物を勝手に漁っちゃいけないんだよ」
「ああ、それね。六年生ってどんな事習うのかな、って思って教科書見せてもらいたかったの。勉強先取り、みたいな。そしたら、一番手前のポケットに何か入ってるみたいだったからさぁ……ごめん。でも、さ。話逸らさないでほしいなぁ」
留美は俯いたまま、黙り込んでいる。
アリスは苛立ちを感じる。自分が責められている被害者のつもりにでもなっているのだろうか。
サラの事で、エリは苛めにあっていたらしい。アリスも、何とかすり抜けていただけで、快く思っていない人は多かった。エリは要領が悪いから、どのような目に遭っていた事か。
それでもエリは、それを直ぐにサラの所為にはしなかった。それどころか、アリスの心配までしていた。そんな時、留美や俊哉が現れた。二人も風当たりが強かったのにエリを庇ってくれたらしい。もちろん、エリは二人を信じた。一生の親友だとまで言っていた事もある。――なのに。
「いい加減、何とか言ったらどう? この写真は、どういうつもり?」
突然変わったアリスの口調に、留美は顔を上げる。目は再び見開かれている。
「貴女、こうやって責められて当然なのよ? それとも、あたしの方が酷いとでも? 自分は被害者だっていうの?」
自分で言いながら、口調がサラにそっくりだな、と思った。やはり、一緒に暮らしていたのだから影響は受けているようだ。
アリスは留美が何か言うのを待ったが、彼女は謝罪の言葉はもちろん、言い訳さえしやしない。
沈黙を破ったのは、ノックの音だった。
留美が答える前に、扉が開く。顔を覗かせたのは、多分留美の兄だ。
「話し声がすると思ったらやっぱり、友達が来てたんだ。あまり見ない顔だな。塾の子?」
「こんにちは。エリの妹です。アリスっていいます。お邪魔してます」
にっこりと笑顔で言えば、留美の兄は僅かに顔を赤らめた。
留美はそれを見て不快そうな表情をし、アリスの手を引いた。
「場所変えよう。雨も上がったみたいだから」
家族には聞かれたくない。そういう事だろう。
「アリスちゃんって、思ってたほど可愛げのある子じゃないんだね」
遊具から水の滴る公園で、留美はアリスに向き直ると、睨みつけて言った。
「猫かぶるのがほんと上手いよね。まさか、今まで騙されてたなんて思わなかった!」
「逆ギレ? 騙していたのは貴方達じゃないの? エリは貴方達を信じていたのに」
アリスが言い返せば、留美はうっと言葉に詰まった。
それから、聞き取りづらい小さな声で何か言った。
「だって……き……だも……」
「何?」
「……あたしだって、俊哉を好きだったんだもの!!」
今度は叫ぶようにして言った。
一度言い出すと、留美は止まらなかった。
「貴女は知らないよね? あたしと俊哉は幼馴染なの。あたしの方が、エリなんかよりも俊哉の事ずっとずっと知ってるの! 小さい頃は、大きくなったら結婚しようねなんて約束を交わしたりもした。確かにそれは所詮小さい子の口約束だよ。でも、あたしだって、ずっと俊哉の事好きだったんだから!! エリの方こそ、何なの!? 本当に俊哉の事好きな訳!? 不謹慎な事は言うし、それに、九月に別れてから、一度も俊哉に電話をしなければ手紙さえ送ってないじゃん! 俊哉も、エリとはもう別れたつもりでいるんだから! エリがそれでも自分は俊哉の彼女だって主張するなら、そんなの自分勝手だよ!!」
「自分勝手はどっちよ!」
留美より更に大きく、鋭い口調で、アリスは言い放つ。
「それなら如何して、隠したりするの? はっきりとエリに言えばいいじゃない! 黙ってこそこそと付き合うなんて、だから騙してる、って言ってるんじゃない。あたしよりも年上の癖に、そんな事も分からないの?」
「言える筈がないでしょ! ――若しかしてアリスちゃんって、友達いないんじゃない? いるなら、そんなの普通は言えないって事くらい、分かるよね?」
「サラと同類にしないでくれる? 貴女が言う『友達』って何かしらね? 何でも話せる相手? 違うわよね。だったら、エリに話せる筈だもの」
「……あた、しは――」
留美は反論しようとしたが、途中でやめた。
軽やかに駆ける足音と共に、エリがその場に現れたのだ。
「よぉ! 留美の家に言ったんだけど、留美の兄ちゃんに『公園へ行った』って言われてさぁ……。アリスも一緒だったんだな。珍しいなー」
先程までの話は聞いていなかったようだ。
安心したのだか、悔しいのだか。自分の気持ちが分からない。
それから、エリと留美はそれぞれの近況報告をし合っていた。もちろんエリは、ホグワーツが魔法魔術学校だという事を伏せて。
寮の事、学校の事、クラスメイトの事、サラの事――
「なあに。それじゃあ、サラが日本でやってた事、誰も知らないの!?」
サラがイギリスで大人しくやっていると聞くと、留美は目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。アリスは既に手紙で聞いていたから、大して驚きはしない。
「そ。それどころか、向こうではシャノンのばあさんが有名人だったんだ。それもあって、あと、サラ自身小さい頃向こうでちょっと凄い事してて、ホグワーツじゃ人気者」
「うっそ、何それーっ」
「寮対抗の球技大会みたいなもんもあるんだけど、サラの奴、それの選手にも選ばれたんだぜ」
「うわーっ。何かムカつくね、それ。こっちの学校、散々引っ掻き回しといてさ」
エリの話に一々、白々しい反応をする留美の方に、アリスは苛立ちを募らせる。
「サラ、人気者なの? 有名なだけじゃなく?」
アリスは確認するかのようにエリに聞き返した。
エリは大きく頷いた。
「ああ。皆、日本でのサラなんて知らないからさ。一学期の間だけで二度、報復っぽい事してるんだけどな。でも、普段の様子とか見たところ、新しい友達の影響でちょっとずつ変わってきてるみたいだぜ」
「ふぅん」
それならば、ホグワーツでは日本と逆に、サラの妹という立場を大いに利用するべきかもしれない……。
Back
Next
「
The Blood
第1部
希望求めし少女たちは
」
目次へ
2007/02/06