マルフォイ家の暖炉が使われた形跡は無かった。
 すると――窓か。サラは、箒を持っている。荷物を箒に括り付け屋敷を出るぐらい、クィディッチ選手のサラには造作もないだろう。
 ドラコは苛々とサラ発見の報告を待っていたが、夜になっても、サラの行方は分からなかった。
 サラがいなくなった事で、パンジーは嬉々としてドラコに言い寄った。
「大丈夫よ。休暇が明ければ、ホグワーツで会えるじゃない」
 全く心配する素振りを見せないパンジーに、ドラコは苛立ちを更に募らせる。
「きっと、家に帰ったんじゃないかしら。彼女も、何の挨拶も無しに帰るのはちょっと非常識よね……。彼女の家には連絡してみた?」
「ふくろうを飛ばしたけど、何日かかるか分からない。直接遣いをやろうにも、場所が分からないんだ」
「きっと、『家にいます』って返事が来るわよ。だって夏休み以来、両親に会っていないのでしょう? 血の繋がりは無いとは言え、ずっと一緒に暮らしてきた親だもの。会いたくなったんじゃないかしら」
「サラが日本に帰る筈が無い!」
 思わず、ドラコは怒鳴りつけていた。パンジーは驚いて口を噤む。
 そうなのだ。サラが日本に帰る事はありえない。
 では、それならば一体何処へ行ってしまったのだろう? 彼女に行く宛てがあるとすれば――
 ドラコはハッと顔を上げた。
「――それでねドラコ、私――ちょっと、ドラコ!? 何処行くのよ、ねぇってば!」
 パンジーの静止も構わず、ドラコは部屋を飛び出した。





No.20





 サラは談話室の隅に荷物をどさっと放り投げるように置くと、その場に膝を抱えて座り込んだ。
 夜中の内に書庫から地図を探し出し、箒で「漏れ鍋」まで行き、やってきたのはホグワーツのグリフィンドール談話室だった。
 時間が時間なだけあって、談話室には誰もいない。サラが煙突飛行した後の僅かな炎だけが、唯一の光源だった。
 日本の家に戻る事は出来なかった。
 あの家には、サラの居場所は無いから。サラは嫌われ者だから。
 明日の朝、マクゴナガルに会いに行こう。やっぱり学校に戻ってきた、と言えばここに残らせてもらえるだろうか。それから、マルフォイ氏にも無事を連絡しなくてはいけない。
 でも今夜は、誰とも話さず、ここでじっとしていたかった。
 然し、そういう訳にはいかなかった。
 男子寮の方から、ハリーがやってくる気配がしたのだ。
 サラはパンと頬を叩き、立ち上がった。然し、どうだろう。ハリーの姿が見えない。
 気配は確かにしているし、足音も確かに聞こえているのに、ハリーの姿は全く見えなかった。
 何か、魔法をかけているるのだろうか。それとも、何らかの道具だろうか。
 足音が立ち止まり、太った婦人の肖像画が独りでに開く。サラは、抜き足差し足でその後をついて行った。

 ハリーは無用心にスタスタと歩いていて、足音を立てずに後をつけるのは至難の業だった。
 随分と音を立てていた割には誰にも会わず、目的地と思われる教室へと到着した。
 開け放したままの扉からひょい、と頭だけ覗かせて巡らし、心臓が飛び上がった。目の前にある机の上に、ダンブルドアの姿があったのだ。
 教室は、今では使われていないようだった。机や椅子は壁際に積み上げられ、ゴミ箱も逆さにして置いてある。
 教室の奥の壁には金の装飾の鏡が立てかけられていて、ハリーはその前に座り込んでいた。今度はちゃんと見える。
 サラは教室に入り、ハリーからダンブルドアへと視線を移した。
「先生――あれは――? ハリーは……」
 サラはヒソヒソと問いかけたが、ダンブルドアは答えなかった。微笑んでいたが、その目には悲しげな色を浮かべていた。
「ハリー、また来たのかい?」
 ハリーはぴくっと反応し、恐る恐る振り返った。
 サラを見て一瞬、「どうしてここにサラが?」という顔をしたが、その顔は直ぐに真っ青になった。否、暗がりで顔色は分からないが、恐らく真っ青だろう。クィレルのようなどもりが、それを表していた。
「ぼ、僕、気がつきませんでした」
「透明になると、不思議に随分近眼になるんじゃのう」
 ダンブルドアは机を降り、サラに「来なさい」と言うと、ハリーの方へと歩いていった。
 サラは大人しくついていき、ダンブルドアが座った傍に立っていた。
 ハリーはダンブルドアが怒っていない事にホッとしたのか、サラへの疑問を解く事にしたらしい。
「サラは如何してここにいるの? マルフォイの家に行ったんじゃ――」
「ハリーこそ、如何してこんな所にいるの?」
 サラが聞き返すと、ハリーは黙り込んだ。
「君だけじゃない。何百人も君と同じように、『みぞの鏡』の虜になった」
「先生、僕、そういう名の鏡だとは知りませんでした」
「この鏡が何をしてくれるのかは、もう気がついたじゃろう」
 二人が何の話をしているのかが分からない。
 サラは首を傾げつつ鏡を見て――そして、目を見開いた。そこに映っているのは、サラ達三人ではなかった。
 ハリーとダンブルドアの会話は続いていた。
「鏡は……僕の家族を見せてくれました……」
「そして君の友達のロンには、首席になった姿をだね」
 ハリーは目を見開き、ダンブルドアを振り返った。
「如何してそれを……」
「わしはマントが無くても透明になれるのでな」
 ダンブルドアは穏やかに言った。
「それで、この『みぞの鏡』は、わしらに何を見せてくれると思うかね?」
 ハリーは左右に首を振った。
 サラは思い当たる事があったが、それを認めたくなかった。鏡にも、はっきりと書かれている。それでも認めたくなかった。
「じゃあ、ヒントをあげよう。この世で一番幸せな人には、この鏡は普通の鏡になる。その人が鏡を見ると、そのまんまの姿が映るのじゃ。これで何か分かったかね」
 ならば――やはり。
 ハリーは少し考え、そして慎重に答えた。
「何か欲しいものを見せてくれる……何でも、自分の欲しいものを……」
「少し、違うと思うわ。『望み』……じゃないかしら。心の奥にある、その人の望み……」
「サラの答えの方が近いの。ハリーの答えも、決して外れではない。その通り、鏡が見せてくれるのは、心の一番奥底にある一番強い『望み』じゃ。それ以上でもそれ以下でもない。
君は家族を知らないから、家族に囲まれた自分を見る。ロナルド・ウィーズリーはいつも兄弟の陰で霞んでいるから、兄弟の誰よりも素晴らしい自分が一人で堂々と立っているのが見える。
然し、この鏡は真実を示してくれるものではない。鏡が映すものが現実のものか、果たして可能なものかさえ判断できず、皆鏡の前でヘトヘトになったり、鏡に映る自分に魅入られてしまったり、発狂したりしたんじゃよ。
この鏡は、明日他所に移す。もうこの鏡を探してはいけないよ。例え再びこの鏡に出会う事があっても、もう大丈夫じゃろう。夢に耽ったり、生きる事を忘れてしまうのは良くない。それをよく覚えておきなさい。
さて、その素晴らしいマントを着て、ベッドに戻っては如何かな」
 ハリーは立ち上がった。そして、おずおずと尋ねた。
「あの……ダンブルドア先生、質問してよろしいですか?」
「いいとも。今のも既に質問だったの。でも、もう一つだけ質問を許そう」
「先生なら、この鏡で何が見えるんですか」
「わしかね? 厚手のウールの靴下を一足、手に持っておるのが見えるよ」
 サラもハリーもきょとんとして、目を瞬いた。
 ダンブルドアは穏やかに微笑む。
「靴下はいくつあってもいいものじゃ。なのに、今年のクリスマスにも靴下は一足も貰えなかった。わしにプレゼントしてくれる人は、本ばっかり贈りたがるんじゃ」
 ハリーは、今度はサラに聞いてきた。
「サラは? 何が見える?」
 サラは再び、鏡に目をやった。
 そこに立っているのは、サラだけではなかった。エリ、アリス、ナミ、圭太、そして祖母――それから、見知らぬ男性がサラを取り囲んでいた。皆、笑顔で手を振っている。鏡の中のサラ自身も笑顔だった。
「ハリーと似たようなものかしら。――でも私、この鏡、嫌いだわ。これが望みだなんて、認めたくない」
 サラは鏡から目を逸らし、ハリーを振り返った。ハリーはきょとんとしている。
「……だって、絶対にありえない事なんだもの」

 ハリーの気配が遠ざかると、ダンブルドアは立ち上がった。
「さて……サラも、そろそろ帰らねばの」
「それは――えっと……私、残りの休暇をホグワーツで過ごしたいのですが――?」
「そうかね? ――おいで。それから、その事について決めよう」
 ダンブルドアは微笑み、先に立って歩き出した。
 サラは俯き加減に、後について教室を出た。
 薄暗い廊下を歩きながら、ふとダンブルドアが言った。
「あの鏡が嫌い、か――昔、君と同じ事を言った者がおったよ。同じように、『認めたくない』とね」
「祖母ですか?」
 ダンブルドアは首を振った。だが、それが誰だかは言わなかった。
 サラは、他の話をする事にした。
「あの――何処へ行くのでしょう? 校長室ですか?」
 これにも、ダンブルドアは首を振った。
「スネイプ先生の研究室じゃよ。そこに、サラに会いたいという人が来ているのでな」
「私に会いたい人……?」

 地下牢の教室はやはり、緊張する。ダンブルドアの目の前でスネイプが意地悪をする事はないだろうが、それでもやはり構えてしまう。
 教室の戸を開け、ダンブルドアが先に入った。サラは恐る恐る、後に続けて入る。
 教室にいたのは、スネイプと――ドラコ。
 サラは逃げ出したかったが、出来なかった。
 ドラコは立ち上ると、真っ直ぐこっちへ歩いてきた。
 そして、一定の距離を保った所で立ち止まった。
「……皆、サラを探してる」
 サラは顔を上げる事が出来ず、自分のつま先を見つめていた。
「何も言わなくってごめんなさい。でも、私、残りの休暇はホグワーツで過ごすわ。ドラコのご両親にも、手紙を書いて――」
「嫌だ」
 サラの言葉はドラコに遮られた。
 思ってもみない言葉に、サラは思わず顔を上げる。
「サラがいないなんて、僕が嫌なんだよ。サラが嫌だからホグワーツに戻る、って言うなら引き止めない。でも、違う気がするから……」
「……」
 答えられなかった。
 ダンブルドアは、スネイプをつれて教室を出て行った。
「だって……これ以上、ドラコやドラコの両親に甘える訳にいかないもの……」
「じゃあ、無理をしてたという訳じゃないんだな?」
「それは絶対に無いわ! でも――本当にいいの? 私はグリフィンドールだし、ドラコの家と親同士の付き合いがある訳でも無いし……」
「言っただろう。僕が、サラに来てほしいんだ。だから、帰ろう。荷物は、スネイプ先生がうちに送ってくれるって言ってた」
 そう言うと、ドラコは少し強引にサラの手を引っ張った。
 サラは何だか嬉しくなって、そっとドラコの手を握り返した。

 ホグワーツから直接マルフォイ家の屋敷へは行かなかった。一度「漏れ鍋」に寄り、そこから向かう事にした。
 ドラコはそれが如何してだか言わなかったが、若しかしたらサラを気遣ってくれたのかもしれない。
 サラはまだ、今直ぐ屋敷に戻るのは気まずかった。
 ダイアゴン横丁のグリンゴッツに寄って所持金のいくらかをマグルの物に換金し、電車を使用して屋敷へと向かった。
 ドラコの家へと向かう電車は、利用客が少なく空いていた。
「でも、よく分かったわね。私がホグワーツにいるって」
「日本の家族とはあまり仲が良くないって言ってたからな。そうすると、ホグワーツかなと思ったんだ。それでホグワーツに言ってみたら、エフィーがいた。スリザリンの寮への入り口の前にいてね。スネイプ先生の研究室まで案内してくれたんだ」
「エフィーが?」
 ドラコは頷いた。
「ああ。随分と賢いふくろうだな。――それにしても、珍しい種類だよな。何の種類だ?」
「シマフクロウと森ふくろうの雑種らしいわ。……エフィーは、私と同じなのよ」
 付け加えた一言は、独り言だった。ドラコはその言葉の意味が分からず、きょとんとする。
 少し仲間と違ったというだけで、サラもエフィーも仲間の中に溶け込めない。それで、厄介払い同然に他所へ行く事になった。サラとエフィーは、本来あるべき場所に居場所が無い……。
 ドラコが迎えに来てくれたのは、本当に嬉しかった。
 でも、またパンジーに何か言われるのではないか、私は邪魔者なのではないかと思うと、憂鬱になってくる。
 早く、休暇が終わってしまえば良いのに。早くホグワーツに戻りたい。せめて、休暇中の一日だけでもハーマイオニーと会う約束をしておけば良かった。
 ドラコの家の扉の前で、サラは立ち止まった。
 迷惑をかけてしまって……それでも、ドラコのご両親は受け入れてくれるだろうか。
 その場に立ったまま動けないでいると、ぎゅ、と手を握られた。
「大丈夫だから」
 そう一言だけ言って、ドラコは微笑んだ。
 サラは、手を引かれて家へと入っていった。

「ご心配お掛けして、本当に申し訳ありませんでした」
 マルフォイ夫妻を前に、サラは深々と頭を下げた。
「頭を上げなさい」
 マルフォイ氏に言われ、サラは恐る恐る頭を上げた。マルフォイ氏は無表情だが、怒りは伝わってこなかった。
「兎に角、無事で良かった。荷物は、部屋に運ばせておいた」
「ありがとうございます」
 もう一度深く頭を下げ、サラはドラコと共に居間を後にした。
「……今日は、ありがとう。本当に」
 広い階段を上りながら、サラは呟くように言った。そして、はにかむように微笑んだ。





 翌日、サラが帰ってきた事を知ったパーキンソンは、その晩もまた部屋に突撃してきた。
「一体如何いうつもり? あれだけ迷惑をかけておきながら、図々しく戻ってくるなんて。そのままホグワーツにいれば良かったのよ。そうやって、ドラコの気を引いてるつもり? 言っとくけど、ドラコは貴女の事なんて何とも思っちゃいないんだから!! ドラコの優しさに付けこんで気を引くような真似はやめて頂戴!!」
「素晴らしい妄想ね。貴女、作家の才能あるわよ」
 勝手に侵入してきたパーキンソンの方も見ずに、皮肉たっぷりに言う。
 その言葉は、パーキンソンの神経を逆撫でしたらしい。パーキンソンは猶もキーキーと喚きたてる。
 サラは彼女を放置し、そのまま読書を続けようとしたが、不可能だった。パーキンソンの喚き声が耳障りな事この上ない。
「喧しいわね。出て行ってくれる? 貴女がどんなに喚こうと、私は今年の休暇はここで過ごすわよ」
「あら。それじゃあ、若しかしてホグワーツからも追い出されたの? ここにいるしか、ないって事なのねぇ……」
「ドラコが探しに来てくれたのよ。『帰ろう』って。私に家に来てほしい、って」
 サラが手に持っていた本は、床に落ちた。
 パーキンソンがサラに殴りかかったのだが、一瞬の内に形勢逆転。腕を掴み、足を掛け、払った。
 床に倒された彼女は、怒り喚き散らしながら、退散していった。
 サラは本を拾い、ふーっと大きく溜め息を吐いた。
 ――少し、きつかったかな。
 彼女は、ドラコを好きだから。だからサラが言った言葉はそれだけ癪に障っただろうし、悔しかっただろう。
 だけど、一々妙な言いがかりをつけて絡んでくるのは止めてほしい。
 今日も相変わらず、サラとドラコが話していれば彼女は間に割って入った。ドラコは昨日の事を気にしているらしく、サラが話の外野にならぬように気を遣ってくれた。
 サラは、首にかけたネックレスをぎゅっと握った。
 パーキンソンが来るのは予想外だったが、マルフォイ家へ来て良かったかもしれない。


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2007/03/02