パアンと、周りの人までもが身をすくめるような音が、森の中に響いた。
 サラは、唇を噛んで俯いた。その目は、涙で潤んでいた。
 茂みの向こうから姿を現わしたのは、ハグリッドだった。
 パニックに陥っているサラを落ち着かせ、ハグリッドはサラを二人の下へと連れて行った。ドラコもネビルも、少し離れた所にいた。あの場所は開けているから、もう少し身の隠せる場所へ移動したと言う。
 そして、ネビルの悲鳴はクィレルによるものではなかった。二人は、クィレルの姿さえ見ていなかった。ネビルの悲鳴は、ドラコによるものだったのだ。ドラコがネビルの後ろにこっそり回り込み、掴みかかったらしい。
 サラのびんたを頬に食らったドラコは、罰が悪そうに俯いた。
 サラの服は枝に引っかかった事で所々がほつれ、髪も先が不揃いで、どんなに必死だったかが一目で分かった。
 泣いているサラにハンカチを差し出そうとしたが、サラはそれを拒否し、ハグリッドの向こう側へと行ってしまった。
 ハグリッドも、カンカンに怒っていた。
「お前達二人が馬鹿騒ぎをしてくれたお陰で、もう捕まるものも捕まらんかもしれん。
よーし、組分けを変えよう……ネビル、俺と来るんだ。ハーマイオニーも。ハリーとサラは、ファングとこの愚かもんと一緒だ」
 そして、ハグリッドはサラとハリーに耳打ちした。二人なら、ドラコも簡単には脅せないだろうとの考えだそうだ。
 それから、ハグリッドはサラだけに話した。
「――サラ、いいか? 本当にスマン。でも、あの二人の仲が悪いのは周知の事実だろう。ハリーはそんな事無いだろうが、あの愚かもんの方が脅す以外に馬鹿な事をする可能性はある。まさかとは思うが、勝手に別々に行動しようとしたりとかな。二人の間を取り持ってくれんか」
「ええ……分かったわ。間を取り持つまでは自信無いけど、監視ぐらいはするわよ」





No.25





 サラ達は、更に森の奥へと向かった。
 三十分程歩いただろうか。木立が生い茂り、最早道を辿る事は不可能となった。ユニコーンへと近付いていっているのか、血の滴りも多く、濃くなっていった。
 ドラコは、予想していたよりも大人しかった。よほど、ハグリッドの怒った様子が怖かったのだろう。
 それに、だんだんと増える血も、事態の深刻さを表している。
 ハリーもドラコも、一言も話さない。
 暫く進むと、先頭を行っていたハリーが、腕を伸ばしてサラとドラコを制止した。
「見て……」
 そこは、開けた平地だった。先ほどの場所よりは、少し小さい。それぐらいの場所だ。
 その中央に、純白に光り輝くものがあった。まさか――
 サラ達は、恐る恐る近付いていった。予想通り、それはユニコーンだった。……死んでいる。それは、儚い姿だった。悲しく、美しい姿だった。
 ハリーが一歩踏み出したその時、ズルズルと滑るような音がした。音と共に、クィレルの気配が近付いてくる。
 サラ達は、その場で硬直した。
 間も無く、暗闇の中からクィレルが現れた。フードをしっかりと被り、顔は見えない。だが、その二人分の気配は間違えようがなかった。
 サラ達は、金縛りにあったように硬直していた。
 クィレルはユニコーンの方へと近づき、その傍らに身をかがめ、傷口に顔を近づけた――血を飲んでいる。
「ぎゃああああアアア!!」
 マルフォイが絶叫し、サラの腕を引っ張った。
 ファングが駆け出す。
 サラは咄嗟に杖を取り出した。ドラコの体が宙に浮き、そして、ハグリッドの小屋の方向へと飛んで行った。「追い払い呪文」だ。
 サラはハリーもこの場から追い払おうとしたが、出来なかった。杖が何処かへ飛んでいってしまったのだ。
 サラの杖は、クィレルが持っていた。
 クィレルは立ち上がり、こちらを向いていた。フードに隠れた顔から、ユニコーンの血が滴り落ちる。彼は、まるで吸魂鬼のようにスルスルと近付いてきた。サラはハリーの腕を引っ張る。
「ハリー! 早く! 足を動かして!! 逃げないと!」
 ハリーは一歩も動かない。クィレルはどんどん近付いてくる。
 不意に、ハリーがよろけた。サラは慌ててハリーの体を支える。
「ハリー! どうしたの!? 逃げないと――」
 クィレルは、もう直ぐそこまで来ていた。
 ハリーは額の傷痕を押さえ、膝を着く。
 もう駄目だ。逃げ出す事は出来ない。
「……っ」
 サラは両手を広げ、ハリーを背に、クィレルの前に立ちはだかった。
 クィレルはもう、至近距離まで来ている。
 杖は手元に無い。膝が震える。
「怪我をしたくなければ、失せなさい! ハリーに何の用!? 貴方の相手は、私がするわ!」
 大丈夫だ。入学前だって、杖が無かった。それでも、意のままに魔法を使っていたではないか。
 ……自分には、出来る。
 サラは、全神経を集中させた。
 どうせ、ハリーはハーマイオニーから話を聞いている。今更、「攻撃」をした所で、何も変わらないだろう。警戒されている事に変わりはないのだから。
 周りの空気が歪んでいる。そう思った。風も無いのに、辺りの木々がざわめく。
 クィレルは、あと数歩の所で立ち止まった。自分自身の杖を上げる。
「ステューピファイ!」
 サラが唱えたのと、クィレルが杖を振り下ろしたのとが同時だった。
 二つの呪文がぶつかり合う。抵抗を感じる。サラは足を踏ん張り、突き出した掌へと更に集中する。
 そして、クィレルが後ろ向きに吹っ飛んだ。ユニコーンの手前に落ち、直ぐに立ち上がる。
 杖無しで魔法を使ったからか、サラは疲れきっていた。足元がふらつく。耳鳴りがする。クィレルは体勢を直し、再び杖を振り上げる。マズイ。もう、駄目だ――
 突然、視界に馬が入ってきた。否、違う。ケンタウルスだ。
 ケンタウルスは前足を上げ、クィレルに襲い掛かった。クィレルは慌てて、スルスルと闇の中に消えていった。

 ケンタウルスは身を屈めて何かを拾い、サラとハリーの方へとやって来た。
「あ……さっきの……」
 彼は、先ほど出会ったケンタウルスだった。
 彼は拾った杖を差し出す。
「大丈夫だったかい? これを、ハグリッドの所へ持っていってくれ」
「あ、それ、私のです」
 サラはお礼を言い、杖を受け取った。クィレルは、どうやら落として行ったらしい。
 それからケンタウルスは、ハリーを覗き込んだ。
「怪我は無いかい?」
 尋ねながら、ケンタウルスはハリーを引っ張り上げて立たせる。
「ええ……、ありがとう……。あれは何だったの?」
 ケンタウルスは答えなかった。ただ無言で、ハリーをじっと眺めている。
 そして、ハリーの額の傷痕に視線を注いだ。
「ポッター家の子だね? 早くハグリッドの所に戻った方がいい。今、森は安全じゃない……特に君達にはね。私に乗れるかな? その方が速いから」
「あの、貴方の名前は?」
 ハリーの後に続けて乗りながら、サラは尋ねた。
「私の名は、フィレンツェだ」
 彼がそう答えた時、平地の反対側から疾走する蹄の音が聞こえてきた。
 やがて、暗闇のなかから二人のケンタウルスが現れた。二人共、怒りがひしひしと伝わってくる。
「フィレンツェ!」
 片方の、髪と胴体が真っ黒なケンタウルスが怒鳴った。
「何という事を……人間を背中に乗せるなど、恥ずかしくないのですか? 君はただのロバなのか?」
 フィレンツェも対抗した。
「君はこの子達が誰だか分かってるのですか? ポッター家と――」
 そこで少し区切り、ちらりとサラを振り返った。
 そして、言い難そうに言った。
「――シャノン家の子です。一刻も早くこの森を離れる方がいい」
 途端に、二人は轟々と猛り狂った。
「シャノン家の子! リサ・シャノンの子か? 孫か? フィレンツェ、今自分が誰を背に乗せているか、貴方こそ分かっているのですか!?」
「君はこの子達に何を話したんですか? フィレンツェ、忘れてはいけない。我々は天に逆らわないと誓った。惑星の動きから、何が起こるか読み取った筈じゃないかね」
 赤い髪と髭、栗毛のケンタウルスが諭すように言った。
「私はフィレンツェが最善と思う事をしているのだと信じている。シャノンのように、惑星の動きを乱したりはしない筈だと」
「最善! それが我々と何の関わりがあるんです? ケンタウルスは、予言された事にだけ関心を持てば良い! 森の中でさ迷う人間を追いかけてロバのように走り回る事が、我々のする事でしょうか!」
 黒髪のケンタウルスは、後ろ足を蹴り上げた。
 フィレンツェも怒り、急に後ろ足で立ち上がった。ハリーはフィレンツェに、サラはハリーに、必死で捕まる。
 フィレンツェは声を荒げた。
「あのユニコーンを見なかったのですか? 何故殺されたのか、君には分からないのですか? それとも、惑星がその秘密を君には教えていないのですか?
ベイン、僕はこの森に忍び寄るものに立ち向かう。そう、必要とあらば人間とも――シャノンの親類とも手を組む」
 二人をその場に残し、フィレンツェは地面を蹴って木立の中に飛び込んだ。

「如何してベインはあんなに怒っていたの? 君は一体、何から僕達を救ってくれたの?」
 ハリーがフィレンツェに尋ねた。
 フィレンツェはスピードを落とし、並足になった。
 長い沈黙が流れた。暫く黙り込んで進み、突然フィレンツェが立ち止まった。
「ハリー・ポッター、サラ・シャノン。ユニコーンの血が何に使われるか知っていますか?」
「ううん。角とか尾の家とかを、魔法薬の時間に使ったきりだよ」
「確か……永遠の命、だったかしら……?」
「永遠、ではないですがね。ユニコーンの血は、例え死の縁にいる時だって、その人の命を長らえさせてくれる。
ただし、その代償は大きい。ユニコーンを殺すなんて、非常極まりない事です。これ以上失う物は何も無い、しかも殺す事で自分の命の利益になる者だけが、そのような罪を犯す。
自らの命を救う為に、純粋で無防備な生物を殺害するのだから、得られる命は完全ではない。その血が唇に触れた瞬間から、その者は呪われた命を生きる。
生きながら、死の命なのです」
 そんなの、永遠の地獄と同じだ。
 そこまでして生きて、何になる? そんな人生、生きる価値があるだろうか。
 ハリーも、同じ考えだった。
「一体、誰がそんなに必死に? 永遠に呪われるんだったら、死んだ方がマシだと思うけど。違う?」
「その通り。然し、他の何かを飲むまでの間だけ生きながらえれば良いとしたら――完全な力と強さを取り戻してくれる何か、決して死ぬ事がなくなる何か。
君達は、今この瞬間に、学校に何が隠されているか知っていますか?」
「『賢者の石』――そうか、命の水だ!
だけど一体誰が……」
 クィレル。
 サラは、彼だけだと思っていた。フィレンツェのその言葉を聞くまでは。
「力を取り戻す為に長い間待っていたのが誰か、思い浮かばないですか? 命にしがみ付いて、チャンスをうかがってきたのは誰か?」
 サラは、さーっと血の気が引くのを感じた。
 ……嘘だ。まさか。
 だが、他に思い当たる者はいない。
 ハリーも、思い当たったようだった。恐怖に慄きながら、ハリーは呟いた。
「それじゃ……、僕達が、今見たのはヴォル――」
「ハリー! サラ! あなた達、大丈夫!?」
 ハーマイオニーが、道の向こうから駆けてきていた。ハグリッドもふぅふぅ言いながら、後から走ってくる。
「マルフォイが、木の陰から突然飛んできて――ハグリッドにぶつかって。何があったか、話してくれたわ。ねぇ、大丈夫?」
「僕は大丈夫だよ」
 ハリーはショックで、ただ一言棒読みでそう言っただけだった。
「ハグリッド、ユニコーンが死んでる。森の奥の開けた所にいたよ」
 やはり、何の感情も無い無機質な声だった。呆然とし、自分が何を話しているかも分かっているか怪しい。
 ハーマイオニーは、ハリーのその様子に尚更心配そうにする。サラは慌ててフォローした。
「私もハリーも平気よ。フィレンツェが助けてくれたの――」
「ここで別れましょう。君達はもう安全だ」
 ハグリッドがユニコーンを確かめに急いで戻っていくのを見ながら、フィレンツェが呟いた。
 サラとハリーは、フィレンツェの背中から滑り降りた。
「幸運を祈りますよ、ハリー・ポッター、サラ・シャノン。ケンタウルスでさえも、惑星の読みを間違えた事がある。今回もそうなりますように」
 そう言い残し、フィレンツェは森の奥へと走り去った。
 クィレルの、二人分の気配。その正体が、ようやく分かった。
 方法は分からないが、彼の傍には、いつもヴォルデモートがいたのだ……。





 ハリー達の帰りを待つ内に眠り込んでいたロンを叩き起こし、ハリーとハーマイオニーは森であった事を話して聞かせた。
 サラは先に部屋へ戻ろうとしたが、ハリーに呼び止められ、気まずい思いをしながらも談話室にいた。
 ハリーは、暖炉の前を言ったり来たりしながら話した。
「スネイプはヴォルデモートの為にもあの石が欲しかったんだ……ヴォルデモートは、森の中で待ってるんだ……僕達、今までずっと、スネイプはお金の為にあの石が欲しいんだと思ってた……」
「その名前を言うのは止めてくれ!」
 ロンは怖々と言ったが、ハリーは聞いていなかった。
「フィレンツェは僕達を助けてくれた。だけど、それはいけない事だったんだ……ベインがもの凄く怒っていた……惑星が起こるべき事を予言しているのに、それに干渉するなって言ってた……サラのおばあさんの事も、嫌ってるみたいだった。きっと、予見者だったからだ……惑星はヴォルデモートが戻ってくると予言しているんだ……ヴォルデモートが僕を殺すなら、それをフィレンツェが止めるのはいけないって、ベインはそう思ったんだ……僕が殺される事も星が予言してたんだ」
「頼むからその名前を言わないで!」
「それじゃ、僕はスネイプが石を盗むのをただ待ってればいいんだ。そしたら、ヴォルデモートがやってきて僕の息の根を止める……そう、それでベインは満足するだろう」
 ハーマイオニーも怖がってはいたが、名前云々よりもハリーを慰める言葉をかけた。
「ハリー、ダンブルドアは『あの人』が唯一恐れている人だって、皆が言ってるじゃない。ダンブルドアが傍にいる限り、『あの人』は貴方に指一本触れる事は出来ないわ。
それに、ケンタウルスが正しいなんて誰が言った? 私には占いみたいなものに思えるわ。マクゴナガル先生が仰ったでしょう。占いは、魔法の中でもとっても不正確な分野だって。
……それよりも、私達、先にサラに言わなきゃいけない事があるわ」
 ハリーはようやく、少し落ち着いたようだった。
 ハーマイオニーとロンも立ち上がり、三人はサラの前に並んだ。サラは如何して良いか分からず、取り合えず立ち上がる。
 三人は目配せし合い、一斉に頭を下げた。
「えっ。な、何――?」
「ごめん、サラ。僕達、サラの事誤解してたんだ」
 ハリーが顔を上げ、言った。二人も顔を上げる。
「ごめん。僕達、サラがスネイプの見方なんだと思ってた。ハリーが見たんだ。サラとスネイプが、クィレルを脅してる所を。いつだったかな――」
「クィディッチ戦で、スネイプが審判をした時よ。
私達、それで、貴女がスネイプの味方で、貴女も『賢者の石』を狙ってたんだと思っちゃって……本当にごめんなさい」
「でも今夜、サラは体を張ってヴォルデモートから守ってくれた。スネイプの味方なら、そんな事する筈無いのに。
でも、そうすると――あの時、如何してサラはスネイプに杖を向けていたんだい?」
 サラはドキリとした。
 本当は、今、この場で本当の事を話すべきなのかもしれない。スネイプは味方だと。クィレルが犯人だと。そして、クィディッチ初戦で、クィレルを攻撃したと。
 だが、サラは言えなかった。
「あれは……スネイプに、脅されてたのよ。ごめんなさい。怖くて、あなた達には相談出来なかった……」
「ああ、もう! やっぱり、そんな事だろうと思ったわ! でも、良かった。話してくれて……」
 ひしひしと罪悪感がこみ上げてきたが、サラは全力でそれを無視した。
 スネイプは、サラに仲直りのチャンスを与えてくれた。それで仲直りが出来たのだ。彼はサラが彼らと仲直りする事を望んでいたのだから、その為の嘘なのだから、良いだろう。それに、スネイプがこちら側だとここで主張すれば、せっかくのチャンスが台無しになる恐れもある。
 そう、自分に言い訳をした。
 本当の事を話して、三人が傍にいてくれる自信が無かった。三人が本当に離れていってしまうのではないかと、怖かった。
 サラは卑怯だ。なんて勇気が無いのだろう。帽子の言う通り、スリザリンに入るべきだったのだ。
 サラは、グリフィンドールにいる資格など無い。
 それでも、一度手に入れた温かい居場所は、決して手放したくなかったのだ。例え、それが偽りの物だと分かっていても。


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2007/03/27