夕食の時間になっても、サラは戻ってこなかった。
ハリー達は、食事も殆ど喉を通らない状況だ。
スネイプが、フラッフィーのなだめ方を知ってしまった。ダンブルドアはいない。
そして、サラが帰ってこない。
「サラはきっと、何か情報を掴んでたんだ。だから脅されてた……。それが僕達の側について。もちろん、今夜行動を起こすのに、サラが邪魔になる。だからサラをさらったんだ!」
「サラ、大丈夫かな……。ねぇ、探しに行った方がいいんじゃないか?」
ロンの意見に、ハーマイオニーが首を振った。
「何処にいるかも分からないもの。あの扉の向こうの可能性が高いわ……。どちらにせよ、サラがそんなに簡単に殺られる筈がないもの。今夜スネイプの所まで行ったら、問い詰めましょう」
そう言いながらも、ハーマイオニーも落ち着かない気持ちだった。
サラは今、何処にいるのだろう? 無事だろうか――
No.27
夜中、ハンナは物音で目を覚ました。
寝ぼけ眼でカーテンの隙間から寝室を見渡せば、エリが出て行く所だった。時計を見れば、まだ二時頃。こんな時間に、一体何の用だろう?
ハンナはそっと起き上がり、上着を羽織ると、エリの後を追って寝室を出て行った。
談話室には、もう誰もいなかった。
エリは真っ直ぐ、外への扉へ向かっていく。
「――エリ?」
ハンナは思わず呼び止めた。
エリは、背を向けたまま立ち止まる。何だか、様子がおかしい。
「どうしたの、エリ? こんな時間に、何処へ行くの?」
「森に行かなきゃいけないんだ」
「森? 如何してそんな所に――」
「いいからお前は部屋に戻れ」
エリは振り返った。鋭い視線で、ハンナを見下ろす。
明らかに様子がおかしい。こんなエリの表情、見た事がない。
「お前には関係ない。首を突っ込むな。俺は森に行かなきゃいけないんだ」
そう言い捨てると、エリは踵を返して談話室を出て行った。
ハンナは呆気に取られ、瞬きを数回繰り返す。一体、どうしたと言うのだろう。
――こんな所で、驚いて立ちすくんでいる場合じゃない。
ハンナは、急いでエリの後を追って談話室を出た。
然し、談話室を出た所の廊下に、エリの姿は無かった。恐らく、何処かの隠し通路でも通って行ってしまったのだろう。
廊下の端から端まで、左右に目を走らせ、ハンナは駆け出した。
職員室へと向かう階段を上っていき、角を曲がった所で誰かにぶつかった。
それが誰なのかを確認し、ハンナは真っ青になる。よりにもよって……。
スネイプは、意地悪く笑った。
「ほぅ。こんな時間に一体何をしているのかね? ハッフルパフ、三十点――」
「エリが大変なんです!」
ハンナは我に返り、慌ててスネイプの言葉を遮って言った。
「エリが、おかしいんです。突然起き出して、森に行かなきゃって聞かなくて……寮を出て行っちゃったんです!」
言いながら、エリの様子を思い出して恐怖に襲われ、目頭が熱くなってくる。
「ひ、昼間から何だかおかしかったんです。何だか、ぼんやりしてて……暑さでバテてるのかと思ってたんだけど……」
「どうしました?」
キーキー声と共に、フリットウィックが少し先の職員室から出てきた。
話し声が聞こえていたらしい。扉からは、他の先生も顔を覗かせている。どうやら、職員室で採点を行っている先生が何人か残っているようだ。
「森に行ったのだな?」
スネイプの言葉に、ハンナは頷く。
それを確認すると、スネイプはマントを翻して駆け出した。
「フリットウィック先生、ミス・アボットをお願いします」
そう言いながら、階段を駆け下りて行った。
目が覚めると、そこは何処かの部屋だった。
ぼんやりした頭で今までの事を思い起こし――サラは、慌てて飛び起きようとした。然し、それは叶わなかった。縄で縛られている。
首だけ起こして巡らせれば、黒い炎の燃えた部屋の戸が目に入った。そして、反対側には「みぞの鏡」。そして、その前に――クィレル。
「目を覚ましたようだね」
クィレルは、サラの杖を弄びながら口の端で笑った。
「無様な姿だな、サラ・シャノン。君は囚われの身となり、君のお友達が今ここへ向かっている――」
サラは、手に持ったネックレスを握り締めた。これだけは、手放さずに済んだようだ。
クィレルをキッと睨み付ける。
「……一体、私に何の用? 貴方のご主人様の命令かしら?」
「そこまで気づいていたとはね。――その通り。あの方は、君を評価なさっている。君と、君の祖母を。君達は、こちら側に付くべきなのだ。
――君達二人は一体、何処に住んでいる?」
サラは眉根を寄せた。
こいつは、一体何を言っているのだろう?
「おばあちゃんは五年前、死喰人に殺されたじゃない」
「そんな筈は無い」
聞こえてきたのは、クィレルの声ではなかった。
冷たい、高い声だった。その声は、クィレルから聞こえていた。
「そんな筈は無い……十年前、貴様と彼女は逃げ延びた――殺したと思ったのに、生きていた……。もう、同じ手は通用せんぞ!」
「本当よ! 私は見たわ」
サラは、妙に落ち着いている自分に気がついた。
祖母が死んだ事に触れられるのは、あまり好きじゃない。それは今も変わらない。だが、今まではその話に触れられるだけでも辛かったのに。
「私は見たわ……おばあちゃんが殺された時、私はその場にいた。貴方――何処に隠れてるのか知らないけど、ヴォルデモート?
おばあちゃんは、貴方の手下に殺されたのよ」
「まさか。彼女が、そんな簡単に殺られる筈がない――」
「その場に私がいたからよ」
私は、ネックレスを握る手に力を入れた。
あの場に私がいなければ。そうしたら、おばあちゃんは今でも生きていたかもしれない。
「おばあちゃんは、その場にいた私を『追い払い呪文』で家に帰した――それと同時に、『死の呪い』をかけられたのよ。おばあちゃんは、防ぐ事が出来なかった」
部屋は、しんと静まり返っていた。その沈黙が、ショックを受けているという事を表していた。
サラは嘲笑を浮かべた。
「まったく。自分の手下の管理も出来ないなんて――」
「貴方が!」
私の言葉を遮ったのは、ハリーだった。
今しがた、ハリーが黒い炎を通り抜けてこの部屋に入ってきたのだ。そしてハリーは、縛られて横たわっているサラに気がついた。
「サラ!」
ハリーはこちらに駆け寄って来ようとしたが、その目の前を赤い閃光が通り過ぎ、立ち止まった。
「私だ」
クィレルは、杖を下ろしながら落ち着き払った声で言った。
「ポッター、君にここで会えるかもしれないと思っていたよ」
「でも、僕は……スネイプだとばかり……」
ハリーは、サラをちらりと見ながら言った。
サラは、罰が悪くて目を逸らす。――そうだ。ハリーが真犯人を知ってしまったら、サラは本当の事を言わなくてはいけない。
クィレルは笑い、ハリーの言葉を否定していた。スネイプが唱えていたのは反対呪文だ、と。
ハリーはサラに、如何して嘘を吐いたのか聞きたそうだったが、クィレルの話でそのタイミングを掴めずにいた。
突然クィレルはパチッと指を鳴らし、縄が現れてハリーに巻きついた。
「ポッター、君は色んな所に首を突っ込みすぎる。生かしてはおけない。ハロウィーンの時も、あんな風に学校中をウロチョロしおって。『賢者の石』を守っているのが何なのかを見に私が戻ってきた時も、君は私を見てしまったかもしれない」
「貴方が、トロールを入れたのですか?」
「左様。私はトロールについては特別な才能がある……ここに来る前の部屋で、私が倒したトロールを見たね? 残念な事に、あの時、皆がトロールを探して走り回っていたのに、私を疑っていたスネイプだけが、真っ直ぐに四階に来て私の前に立ちはだかった……」
そこでクィレルは言葉を区切り、サラを見た。
「――あの場で君の妹が邪魔をしなければ、私はスネイプに追いつかれる事も無かったかもしれない。あの日、私のトロールが君達を殺し損ねたばかりか、三頭犬はスネイプの足を噛み切り損ねた」
「……エリ?」
「そうだ。まあ、彼女が賢くないのは運が良かった。彼女は、私がしようとした事には気づいていない様子だったからね。だが、彼女さえいなければ、私はあの時スネイプまでもを助けるような真似はしなかった。だから、迷惑な事には変わりない……。
さあ、ポッター、シャノン。大人しく待っておれ。このなかなか面白い鏡を調べなくてはならないからな」
クィレルは、自分の後ろにある鏡の枠をコツコツと叩いた。
「この鏡が『石』を見つける鍵なのだ。
ダンブルドアなら、こういう物を考え付くだろうと思った……然し、彼は今ロンドンだ……帰ってくる頃には、私はとっくに遠くに行ってしまう……」
「僕、貴方が森の中でスネイプと一緒にいる所を見た……」
「ああ」
ハリーの言葉に、クィレルは鏡の裏側に回りこみながら、いい加減な返事をした。
「スネイプは私に目をつけていて、私が何処まで知っているかを確かめようとしていた。私がシャノンにそうしたようにね。初めからずーっと、私の事を疑っていた。私を脅そうとしたんだ。私にはヴォルデモート卿がついているというのに……それでも脅せると思っていたのだろうかね」
クィレルが鏡に集中している内に、サラは身を捩り、芋虫のようにハリーの傍へと行った。
サラがハリーの横まで行くと、ハリーは小声で話しかけてきた。
「……サラ、大丈夫?」
「ええ。――ハーマイオニーとロンは?」
「前の部屋にいるよ。ふくろう小屋へ行って、ダンブルドアに連絡してる筈だ。
でも、どうしよう。このままだと、クィレルが『石』を手に入れちゃう……」
「大丈夫。彼が『石』を手に入れるのは不可能だわ。今の所は、ね」
ハリーは首を傾げる。
「如何いう事?」
「だって、あれが映すのは『心の望み』でしょう? クィレルの望みは、『石』を手に入れる事じゃないわ。『石』をヴォルデモートに差し出して、誉めてもらう事よ」
実際、クィレルは「石」を手に入れられずにいる。
「何とかここから抜け出せないかしら……。クィレルが必死になれば、考え方も変わってくるわ。手に入れた先の事ではなく、手に入れる事を欲す……こっちに気を引かなきゃ」
「よし、任せて」
そう言うと、ハリーは声を張り上げてクィレルの注意を引こうとした。
「――本当にスネイプじゃないなんて……スネイプは、僕達をずっと憎んでいた」
「ああ、そうだ」
やはり、クィレルは如何でも良さそうに返事をした。
「全くその通りだ。お前の父親と彼は、ホグワーツの同窓だった。知らなかったか? 互いに毛嫌いしていた。だが、お前を殺そうなんて思わないさ」
「でも二、三日前、貴方が泣いているのを聞きました……スネイプが脅しているんだと思った」
それまで余裕綽々としていたクィレルの顔に、初めて恐怖が過ぎった。
「時には、ご主人様の命令に従うのが難しい事もある……あの方は偉大な魔法使いだし、私は弱い……」
「それじゃ、あの教室で、貴方は『あの人』と一緒にいたんですか?」
ハリーは息を呑んだ。
サラは、じろじろとクィレルを眺める。
「ハリーが言ってるのがいつだか知らないけど、こいつ、いつも『あの人』といるわ……。彼からは、二人分の気配がするの。きっとそれ、片方は『あの人』なんだわ」
「その通り。私の行く所、何処にでもあの方がいらっしゃる」
クィレルは静かに話した。
ヴォルデモートと出会った話、そして彼の僕となった事、だが、何度も失望させてしまった、と。
話しながら、クィレルは震えだした。
「過ちは簡単に許しては頂けない。グリンゴッツから『石』を盗み出すのにしくじった時は、とてもご立腹だった。私を罰した……そして、私をもっと間近で見張らないといけないと決心なさった……」
クィレルの声は、次第に小さくなっていった。
そして、再び鏡に集中し始めた。
「一体どうなってるんだ……『石』は、鏡の中に埋まっているのか? 鏡を割ってみるか?」
「それは素晴らしい考えね。是非ともそうして頂きたいものだわ」
サラは小声で呟いた。だが、クィレルがそんな賭けに出る筈がない。
兎に角、今は何としても「石」を手に入れなくては。ハリーか私か、どちらかがこっそり鏡を覗けないだろうか。
サラは鏡を見られる位置ににじり寄ろうとしたが、ただでさえ動きにくいのに、同じように動こうとしたハリーとぶつかり、つまずいて倒れてしまった。
クィレルはそんな私達の様子にも気づかず、ブツブツと独り言を言い続けている。
「この鏡は如何いう仕掛けなんだ? どういう使い方をするんだろう?
ご主人様、助けて下さい!」
再び、あの声がした。
「その子を使うんだ……どちらかを使え……」
クィレルは、こちらを振り返った。
「分かりました……ポッター、ここへ来い」
サラは軽く舌打ちをした。自分が呼ばれれば、隙を見て杖を奪い返せたかもしれないのに。
クィレルがパンと手を打つと、ハリーの縄が解けた。
「ここへ来るんだ。鏡を見て、何が見えるかを言え」
ハリーは、クィレルの方へと歩いて行く。ゆっくりと歩いていき、鏡の前に立った。
「どうだ? 何が見える?」
「僕がダンブルドアと握手しているのが見える。僕……僕のお陰で、グリフィンドール寮杯を獲得したんだ」
「そこをどけ」
クィレルに罵られ、ハリーはこちらに歩いてきた。
然し直ぐに、あのヴォルデモートと思われる声がした。
「こいつは嘘を吐いている……嘘を吐いているぞ……」
「ポッター、ここに戻れ! 本当の事を言うんだ。今、何が見えたんだ!?」
クィレルが叫んだ。再び、ヴォルデモートが話した。
「わしが話す……直に話す……」
「ご主人様、貴方様はまだ充分に力がついていません!」
「この為なら……使う力がある……」
クィレルがターバンを解いていく。
サラはハッと我に返った。小声で、少し先にいるハリーに呼びかける。
「ハリー。ねぇ、ハリー!」
ハリーも我に返り、サラを振り返った。
「今の内に、これ、解いてくれない?」
サラを縛っている縄と、クィレルのターバンが解けたのは、ほぼ同時だった。
クィレルは、その場でゆっくりと体を後ろ向きにした。
サラは息を呑み、思わずハリーの腕を掴んだ。
クィレルの後ろには、もう一つの顔があった。こんな物、人の顔ではない。蝋のように白い顔、ギラギラと血走った目、鼻孔は蛇のような裂け目になっている。
「ハリー・ポッター……サラ・シャノン……」
その顔が囁いた。
サラもハリーも、足がその場に根付いたかのように動かなかった。
「このありさまを見ろ。ただの影と霞に過ぎない……誰かの体を借りて、初めて形になる事が出来る……然し、常に誰かが、喜んでわしをその心に入り込ませてくれる……この数週間は、ユニコーンの血がわしを強くしてくれた……忠実なクィレルが、森の中で私の為に血を飲んでいる所を見ただろう……命の水さえあれば、わしは自身の体を創造する事が出来るのだ……。
さて……ポケットにある『石』を頂こうか」
ハリーは、よろめきながら後ずさりした。
「馬鹿な真似はよせ」
ヴォルデモートは、低く唸った。
「命を粗末にするな。わしの側につけ……さもないと、お前もお前の両親と同じ目に遭うぞ……二人共、命乞いをしながら死んでいった……」
「嘘だ!」
ハリーの叫び声を無視し、ヴォルデモートはサラに目を向けた。
「シャノン……お前もだ……君の祖母の様に死んでしまっては、勿体無い……お前は、貴重な存在なのだから……」
「私が貴方と手を組むなんて事、私が生きている限り、あり得ないわ。この命は、おばあちゃんが自分の命を賭して守ってくれたもの……闇の陣営に屈するなんて、そんな命を粗末にするような事は絶対にしない!」
クィレルは、後ろ向きで近付いてきた。
ヴォルデモートはサラ達を眺めながら、ニヤリと笑った。
「胸を打たれるねぇ……。わしはいつも、勇気を称える……そうだ、小僧、お前の両親は勇敢だった……。
わしはまず、サラ・シャノン、お前を殺そうとした……然し、お前はわしの呪いに対抗し、祖母に連れられてその場を逃げ出した……力を弱められたわしは、お前達を追うのを断念した。
そして、ポッター、お前の父親を殺した。勇敢に戦ったがね……然しお前の母親は、死ぬ必要は無かった……母親はお前を守ろうとしたんだ……。
母親の死を無駄にしたくなかったら、さあ『石』をよこせ」
「やるもんか!」
ハリーはサラの手を取り、炎の燃え盛る扉へと駆け出した。
サラの手を掴んだハリーの手には、「石」が握られている。ハリーは「石」をサラの手の中に握らせると、違う方向へ走っていった。
「捕まえろ!」
ヴォルデモートが叫び、クィレルがハリーの首を掴んだ
「ハリー!!」
「サラ……逃げるんだ……!」
サラは少し躊躇したが、「石」をポケットにしっかりと入れると、駆け出した。
クィレルの悲鳴が聞こえる。
「ご主人様、奴を押さえていられません……手が……私の手が!!」
「小僧は持っていない……小僧は『石』を持っていないぞ! 小娘の方だ!!」
クィレルがハリーから離れた。然し、ハリーはクィレルに飛び掛った。
「あああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁああ!!!!」
クィレルはみるみると焼け爛れていった。
ハリーから逃れようとするが、何せ呪いをかけられている箒にずっとしがみついていられたハリーだ。これしきで振り落とされる筈が無い。
「邪魔をするなら殺せ! 始末してしまえ!!」
サラは不意に立ち止まり、ハリー達の方を振り返った。
……駄目だ。ハリーを置いていく訳にはいかない。
掌を突き出し、全神経を集中させる。杖がなくったって、魔法は使える。
「ステューピファイ 麻痺せよ!」
赤い閃光がクィレルを襲った。
クィレルは壁へと吹っ飛び……そして、溶けるようにして消滅していった。
――え……!?
サラは、目を見開いてその場に立ち尽くした。ハリーがその場に倒れても、霞のような姿のヴォルデモートがその場を去って行っても、一歩も動けなかった。
嘘だ。そんな、まさか。今のは、失神させる呪文だ。殺そうとなんてしていない。
なのに。どうして。
「嘘、でしょう……?」
自分は大変な事をしてしまった。
人を、殺してしまった。
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2007/03/29