前後左右に闇が迫る中、スネイプはただひたすら走っていた。
クィレルは一体、何を企んでいるのだろう。罠の可能性が高い。だが、だからといって放っておく訳にはいかない。
どれぐらい走っていただろうか。やがて、スネイプは開けた場所に出た。
そして。
その広場の中心に立つ人影があった。
「エリ――」
声をかけ一歩踏み出したが、スネイプはそこで立ち止まった。
いつもと違って髪は結んでおらず、表情さえも違う。そこにいるのは、まるで別人のようだった。
間違いない。服従の呪文にかかっている。
エリは嘲笑を浮かべた。そしてスネイプが抵抗する間も無く、杖を突き出した。
スネイプはぐるぐると回転しながら後ろ向きに吹っ飛び、茂みの上にどさりと落ちる。
「どうした? 対抗しないのか? お前、こいつの血筋知ってるんだろ? やられっぱなしだと、死ぬのも時間の問題だぜ」
「……」
スネイプは無言で自分の杖を取り出した。
エリはニヤリと笑い、再び杖を振る。
スネイプは反対呪文を使用したが、無駄だった。危機一髪、飛びのく。
「おい、おい。そんなんじゃ防ぎきれねぇぞ? 攻撃しないとな」
スネイプはギリ、と歯軋りした。
エリを攻撃する訳にはいかない。だが、このままでは確かに自分の身がもたない。
スネイプが考え悩む間も、エリは容赦なく攻撃する。一度当たってよろめけば、もう避け続ける事は出来なかった。
No.28
「さて、と……。そろそろ終わりにしようか」
辺りは、エリの魔法に当たって滅茶苦茶だった。木々は傷つき、枝が落ち、中には倒れているものもある。
スネイプは傍の木にすがり、かろうじて立っていた。
「感謝しろよ。闇の帝王は、もうじき復活する。あの方はお怒りだ。お前があの方を裏切った事にな。でも、ここで死ねば楽に終わる。どうだ、良かっただろう?」
「まさか、クィレルは――」
「そうだ。あの扉の向こうにいる」
スネイプは舌打ちした。
やはり、罠だったのだ。自分をあの場所から遠ざける為の。
そして自分はまんまと嵌ってしまった。今夜はダンブルドアがいない。だからこそ、尚更見張っていなければいけなかったのに。
エリは杖を振り上げたが、呪文を唱えるその途中で腕を降ろした。
きょとんとした表情で辺りを見回し、周囲の様子にぎょっとしている。
「……やっと正気に戻ったかね?」
スネイプは呟いた。
エリはスネイプに気づき、目を丸くして駆け寄ってきた。
「どうしたんだ? 大丈夫か? ここは――?」
「『禁じられた森』だ。自分が何をしてたか、覚えてないか?」
エリはフルフルと首を振った。
一体何故、自分はこんな所にいるのだろう。
今までの事を思い起こしてみるが、クィレルに呼び出され何やら魔法を掛けられた所から覚えていない。
「えーと。試験が終わって、皆で教室を出て行ってたらクィレルに呼び出されて――クィレルの奴、いつもと違った――そうだ。どもってなかった。それで、こっちに杖を向けて、何か呪文を唱えて――後は覚えてない」
そう言い終えたのと同時に、その間の記憶がまざまざと蘇ってきた。
始終何かに命令されていて……そして、自分は――
「――否、思い出した。俺……。
ごめん! 俺、何言ってたんだろう……なんであんな事したんだろう……」
「『服従の呪い』だ。気にするな。エリの所為ではない。――走れるか? 一刻も早く、クィレルを止めに行かねばならん」
走る事は不可能だった。
エリは突然の疲労感に襲われ、その場に崩れ落ちた。
サラはクィレルが消えた一点を見つめ、ガクガクと震えていた。
どうしよう。殺してしまった。そんなつもり、無かったのに。
「ハリー! サラ!」
振り返れば、ダンブルドアがこちらへ駆けてきていた。
……もう、おしまいだ。ダンブルドアは、サラを信じてくれたのに。手放しで信じた訳ではないが、チャンスを与えてくれた。サラは、それを裏切ってしまったのだ。
「せ、先生……私……」
何とか搾り出した声は、しわがれていた。
ダンブルドアはサラを通り過ぎ、ハリーの下へと駆け寄る。ハリーを杖で突きながら何やら唱え、抱え上げると、サラの方へ来た。
「サラ。怪我は無いかね?」
「わた、私……こ、こんなつもりでは……」
ダンブルドアは、その何でも見透かしそうな目でじっとサラを見つめていた。
そして、驚いた事に微笑んだ。
「大丈夫じゃ。サラは誰も殺してなぞおらん」
「でも、じゃあ、クィレルはまだ――?」
「否、クィレルは死んでしまった。じゃがそれは、サラの魔法によるものではない。クィレルはヴォルデモートに体を貸した。クィレルを死なせてしまったのは、ヴォルデモートじゃ。――ヴォルデモートは、やはり逃げてしまたかの?」
「あ……えっと、はい。クィレルが消えた所から、何かが出て行ったような気がします……」
そこでサラは思い出し、右手に握っている「石」を差し出した。
「『賢者の石』です。クィレルが狙ってました。私達、その、偶然この事を知って……それで、その……」
「よい。守り通してくれてありがとう、サラ。ハリーやロン、ハーマイオニーにも後でお礼を言わんとな」
「いえ……。あの、質問してもよろしいでしょうか?」
「答えられる限り、答えよう。じゃが、今は急がねばならん。校長室で話をしよう。三階のガーゴイル像の所で待ってなさい」
そう言うと、ダンブルドアは小瓶を差出した。サラは恐々それを受け取る。
「この中の薬を一口飲めば、あの炎を通れる」
言うなり、ダンブルドアはハリーを抱えて黒い炎を潜り抜けていった。
サラは中の薬を少し飲んだ。冷たい氷が体の中を流れていくような感覚にぶるっと身震いし、ダンブルドアの後を追って炎を通り抜けて行った。
校長室で、サラはダンブルドアと向き合って座っていた。
「先生、ハリーは大丈夫なんですか……? まさかとは思いますが……」
「ハリーは大丈夫じゃ。取りあえずはの。後は、目を覚ますのを待てば良い」
サラはホッと息を吐いた。
「それで、聞きたい事があったのじゃな?」
「はい」
サラは頷いたものの、何から聞いて良いか分からなかった。
あまりにも、分からない事が多過ぎる。何から聞けば良いのだろう――
少しの間考え込み、サラは口を開いた。
「……スネイプは、私やハリーを憎んでいます」
「サラ、スネイプ『先生』じゃ」
「でも……ええ、分かりました。スネイプ先生は、生徒全般を嫌っていますが、特に私とハリーを憎んでいるんです。理由は知ってます。
私が疑問に思ったのは、それなのに彼がハリーの命を救ったり、私にハリー達との仲直りのチャンスを与えてくれたりした事なんです」
「その質問には、二つの答えがある。ハリーを救った事と、君に手を貸した事は、それぞれ理由が違うからじゃ。
ハリーの方じゃがの、確かにハリーの父親とスネイプは互いに嫌っておった。じゃが、一度だけハリーの父親がスネイプの命を救った事があったのじゃよ。スネイプは、借りを作ってしまった事が許せなかった。今回の事で、借りを返そうとしたのじゃろう。
そして、サラの方じゃが。スネイプは君達の父親とは仲が悪かったが、母親とは仲が良かった」
――ああ、そういう事か……。
ハリーの方の話は予想外だったが、自分の親との話は納得できた。それならば、尚更サラの事が憎い事だろう。自分の友人が貶されたから、あの時あんなに怒ったのか。
「それから、『あの人』は――」
「サラ。ヴォルデモートと呼びなさい。ものには必ず適切な名前を使うのじゃ。名前を恐れていると、その者に対する恐れも大きくなってしまう」
「はい。――ヴォルデモートは、最初に私を殺そうとしたと言っていました。何故ですか? まだ二歳になる前の赤ん坊なんて……。それに、クィレルは私と祖母は闇の陣営に付くべきだと言ったんです。祖母だけでなく、私も。それに、ただの言い回しに過ぎないのかもしれませんが、『べき』というのが気になって……。私を殺そうとした事と何か関係があるのでしょうか? 何故、祖母ではなく私を殺そうとしたのでしょう?」
ダンブルドアは深い溜め息を吐いた。
「残念ながら、その質問には答える事が出来ん。時が来れば、知る事になるじゃろう……どちらもじゃ」
談話室に戻れば、ハーマイオニーとロンが真っ直ぐ駆け寄ってきた。
ハーマイオニーは、サラに勢い良く抱きついた。
「サラ! 良かったわ……無事だったのね。サラに何かあったら、どうしようかと……」
ハーマイオニーはすすり泣き、震える声で言った。
「泣くなよ、ハーマイオニー。君が言ってたんじゃないか。サラがそう簡単に殺られる筈ない、って」
「だからって心配しなかった訳ないじゃない! ああ、もう、サラ……良かった……」
私にすがり、泣きじゃくるハーマイオニーにロンはオドオドし、軽く溜め息を吐いた。
「――でも良かったよ、本当に。サラが無事で……。ハリーは?」
「大丈夫ですって。あとは、目を覚ますのを待つだけだって。――ありがとう、二人共」
サラの事を心配してくれていたのは、二人だけではなかった。
「……何?」
昼食を取りに、大広間へ向かっている時だった。
サラは、突然自分の腕を掴んだその人物を見上げる。
「何じゃないだろう。一体、如何いう事なんだ? 学校中に広がっている『秘密』だとかいう噂は」
「駄目よ、ドラコ。『秘密』なんだから、そんな大声でこんな所で話しちゃ」
昨夜の事は、既に学校中に知れ渡っていた。「この事は秘密らしいが……」と。
サラは大広間へ入ろうとしたが、ドラコは手を放さない。
「サラを放せよ、マルフォイ」
「黙れ、ウィーズリー。ポッターの奴と一緒に、英雄気分か? 調子に乗るな。……サラもだ!」
「へ?」
サラは思わず、間抜けな声を上げてしまった。まさか、ドラコが自分に絡んでくるとは思わなかったのだ。
だがやはり、ロンへの言葉とは違った。
「一体、何度心配かければ気が済むんだ!? クリスマス休暇に、こいつらとの仲違いに、ドラゴン騒動――この半年で、もう四回目だ!」
ドラコの剣幕に、サラは唖然としていた。
何はともあれ、ドラゴン騒動はあまり大声では言わないで欲しい。ハーマイオニーとロンも、どきりとした様子で辺りを気にしている。
「えーっと……ドラコ、怒ってるの?」
「当たり前だ! 僕は、昨日君達が話している事も聞いた」
ドラコは、ロンとハーマイオニーの方に目をやって言った。
「サラが帰ってこない、さらわれたって……殺されてたら、とかそんな話も聞こえた」
ドラコはキッと再びサラを振り返った。
サラは如何して良いか分からず、取り合えず苦笑いを浮かべてみる。然し、無意味なようなので即座に止めた。
「もう、これ以上心配をかけないでくれ……」
ドラコは、懇願するように言った。
「以前にも言っただろう。サラは、一人で抱え込みすぎだ。昨夜の事だって、それまで一人で何とかしようとしていたからだろう? 誰かに相談していれば、クィレルの奴がサラだけをさらうなんて事は無かった筈だ。
確かに僕は、サラよりも劣るかもしれない。だけど、頼って欲しいんだ……自分の無力さを思い知らされるんだ……」
「……ドラコは無力なんかじゃないわ。充分、支えになってくれた」
サラは空いている方の手で、制服の襟の下に隠れたネックレスを取り出した。
「――クリスマスに、ドラコがくれたネックレス。私、ずっとこれを握ってたの。私、ドラコの優しさに何度も救われてるわ。
ありがとう……」
何だか照れくさくなって、サラは微笑んだ。
サラはムッとして、ロンはにやにやと笑い、ハーマイオニーは「分かっているわよ」とでも言いたそうな表情で、医務室へと向かっていた。
先程から、昼食の間も始終こうだった。
いい加減腹が立ち、サラはくるりと二人を振り返った。
「一体何なのよ、さっきから! 気持ち悪いったらないわ!」
怒鳴っても全く効果は無く、ロンは更に面白そうにする。
「良かったじゃないか、サラ。多分両想いだぜ」
「好きなんでしょう? マルフォイの事」
「ええ、好きよ。友達としてね。何よ、貴方達までエリと同類になっちゃったって訳?」
サラは二人に冷ややかな視線を送る。
やっと、二人の表情が僅かに引きつった。
「ハリー、退屈してるでしょうね。何か本を持って来てあげた方が良かったかしら……」
「本なんて喜ぶの、君とハーマイオニーぐらいだよ」
ハリーはもう目が覚めている。きっと、マダム・ポンフリーが許さないから午前中の授業には現れなかったのだろう。
サラ達は勝手にそう思い込んでいた。
だが、医務室に行けば面会を拒否された。――まだ、目が覚めていないらしい。
「そんな……! だって、ダンブルドア先生が『もう大丈夫だ』とおっしゃったって――」
ハーマイオニーは悲痛な声をあげ、サラを振り返った。
ロンが戸口から、中に身を乗り出す。だが当然、ハリーがいるだろうベッドにはカーテンがかかっている。
「それじゃあ、まだ目が覚めないからハリーは授業に出てこなかったの!? まだ、危険な状態って事……?」
サラ達の背後から、ぬっとダンブルドアが現れた。
いつもの穏やかな表情ではなく、真剣な顔つきだ。
「ポピー。ハリーの様子はどうかの?」
「まだ目を覚ましません。前例が無いので、これ以上はどうとも……」
マダム・ポンフリーは私達を押さえながら、ダンブルドアだけを中に入れる。
サラは室内を見渡す。カーテンが掛かっているベッドは、二つ。
そしてサラは、その魔力に気づいた。
「エリ……!?」
「え?」
ロンが、きょとんとしてサラを見下ろす。
「エリよ! そっちのベッドにいるの、エリでしょう!? 如何して? エリに何があったの?」
「彼女は過労ですよ。今はただ、眠っているだけです。過労で倒れるなんて、一体何をしたんだか……。ダンブルドア先生、こちらへ」
医務室の扉はサラ達の目の前で閉められ、鍵を掛けられた。
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第1部
希望求めし少女たちは
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2007/04/03