エリは目を覚ました。
 ベッドに仰向けに寝転がったまま、瞬きを数回繰り返す。
「起きた? エリ」
 声がした方に顔を向ければ、ハリーが上体を起こして向かいのベッドにいた。
 どうして、ハリーがここにいるのだろう。そんな事をぼんやりと考えつつ、今までの出来事を思い起こす。
 初めて漏れ鍋に行き、出会った人々。グリンゴッツ侵入の記事。ハロウィーンの日の事。テストが終わった後。気絶する前の、スネイプの言葉。
 そして、エリはがばっと起き上がった。
「ハリー! スネイプは? 急いでクィレルの所へ行かなきゃって言ってた……あいつ、一人で行ったのか!?」
 エリは、今にもベッドを飛び出さんばかりだ。
「落ち着いて、エリ! クィレルはもういないよ。スネイプは、今日も普段通り授業をしたと思う。スネイプは、クィレルの所には来なかった」
 ハリーの言い方に、エリは引っかかりを覚える。
「『来なかった』……?」
「僕達がクィレルの所に行ったんだ。エリ、知ってたの? クィレルのやってた事……」
 エリは力無く首を振った。
「――やっと気づいたんだ。もっと早く気づいてたら、スネイプを攻撃したりなんてせずに済んだのに……。
ハリーこそ、知ってたのか? 七一三番金庫にあった何かと、四階の廊下の事だろ?」
「うん。
僕達は、それが何なのかも分かったんだ。『賢者の石』だったんだよ、エリ。永遠の命やたくさんの金が手に入る石だ。
それより、『スネイプを攻撃』ってどういう事だい? マダム・ポンフリーは過労だって言ってたけど……一体、何があったの? 過労で三日も寝てるなんて、皆心配してたみたいだよ」
「ハリーの方こそ何があったんだよ? クィレルの所に行った、って……。ロンやハーマイオニー、サラも一緒に?」
 ハリーがエリの問いに答える前に、ロン、ハーマイオニー、サラの三人が医務室に入ってきた。





No.29





「エリ!」
 入ってきた者達は、皆揃って目を丸くし叫んだ。
 そして、それぞれの顔に安心の色が浮かんだのが分かった。
 マダム・ポンフリーは何故かせかせかと三人を追い出そうとする。
「ダンブルドアに報告しなくては。呼んできますから、それまで貴方達は外で待っていて下さい」
「そんな! せっかく、エリも目を覚ましたんですよ!?」
「僕達、エリも心配だったんだ!」
「彼女には休息が必要です」
「俺、大丈夫だ! 休息なんていらねぇよ」
 恐らく、三人は入ってくる為によほど頼み込んだのだろう。そしてやっと許可を得たのだろう。それを、自分の所為でまた待たせる事になるのは嫌だ。
 エリ達は口々に抗議するが、マダム・ポンフリーは一歩も譲らない。
「でも、先生? 例えエリが眠ったままだったとしても、まだ治っていないのに私達が入っては、休息になりませんでしたよね? ですから、つまり、先ほど許可してくれたのは、エリが目を覚ましても変わらないのでは? もちろん、ダンブルドア先生が何か話があるようでしたら、私達、もちろん直ぐに出ますから」
 ハーマイオニーの言葉に、マダム・ポンフリーはとうとう折れた。

 四人がそれぞれに「賢者の石」を突き止めた所まで聞いて、今度はエリの番となった。エリは、何があったかを話した。
 ハロウィーンの日、クィレルを追っていったら四階の廊下へ行ってしまった事。
 テスト終了後、クィレルに呼び出されて魔法を掛けられ、操られていた事。その話をすると、ハーマイオニーが息を呑んだ。
「それ、『服従の呪文』だわ! 闇の魔術の中でも闇、禁じられている呪文よ……!」
「ああ、確かスネイプが言ってたのも、そんな名前だったかな。よく覚えてねぇけど」
 サラが身を乗り出した。
「でも、これでクィレルが言ってた話の一部は分かったわ。『エリがいなければ、スネイプまでもを助けるような真似はしなかった』って……何かに呼び止められたように立ち止まった、っていうのは多分ヴォルデモートだと思う。奴は、理由は分からないけど、貴女を殺したくなかったんだわ……。
でも、貴女が操られている時の会話に出てきた血筋って、何の話? スネイプは私達の父親を知ってるわ。ナミ・モリイが実母って事も知ってる。父親の事と関係があるの?」
 エリは肩をすくめるしかない。
「さあな。操られている間に言ってた事なんて、俺の口を借りてるだけで俺が言ってる事じゃねぇから。何の事だか、さっぱり」
「……」
 サラは眉間に皺を寄せ、黙り込む。
 ロンが、大きく溜め息を吐いた。
「エリと、この件について話し合っていたらなあ! そしたら、もっと簡単にクィレルだって事が分かったのに。もしかしたら、危険な目にさえ遭わなかったかもしれないよ」
「――でも、良かった。エリが無事に目を覚まして。過労で三日も寝込むなんて、まったく……」
 一瞬、部屋の空気が固まる。
 エリは、穴が開くほどサラを見つめていた。ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人も、ぽかんとしてサラを見つめている。
「……兎に角! それじゃ、私達の方の話をしましょう。あの部屋で、一体何があったのか。私、貴方達三人がどうやってあそこまで辿り着いたのかも聞きたいし」
「あ、ああ。うん」
 サラは相変わらずの無表情だったが、一瞬、穏やかな笑みを浮かべたのをエリは見た。

 日本には事実は小説よりも奇なりという言葉があるが、エリは今までその実例を、見た事も聞いた事も無かった。大概が、噂には尾ひれが付き、事実よりも突飛な話だった。
 だが、この話は確実に噂でも全ては伝わってないだろうと思った。
 まさかヴォルデモートが関わっていたとは、思いもしなかった。その話になった時には、ハーマイオニーが大きな悲鳴を上げた。
「それじゃ、『石』は無くなってしまったの? フラメルは……死んじゃうの?」
 ロンが尋ねると、ハリーも同意を示すように頷いた。
「僕もそう言ったんだ。でも、ダンブルドア先生は……ええと、何て言ったっけかな……『整理された心を持つ者にとっては、死は大いなる冒険に過ぎない』と」
「だからいつも言ってるだろう。ダンブルドアは狂ってる、って」
 ロンは、その調子っぱずれっぷりに大いに感心したように言った。
「……犯人はクィレルだったのよね?」
 ハーマイオニーは、ハリーに再度確認した。
 ハリーは頷く。
「うん。クィレルだよ。スネイプじゃなかったんだ。――ねぇ、サラ」
 ハリーはサラに目を向けた。サラは、気まずそうに目を逸らす。
「サラ、如何いう事なのか説明してくれないか? 犯人がクィレルなら、如何してサラはスネイプに脅されたんだい?」
「は!? 『脅された』? スネイプに!?」
 エリは思わず聞き返した。
 ――スネイプに脅された、だって? 今回の件で?
 いくらスネイプとは馬が合わないからと、いくら何でもそんな事言うものだろうか。
「それに、もう一つあるわよ。クィレルが犯人だったら、説明が出来ない事があるのよ」
 ハーマイオニーが口を挟んだ。
「サラが『犯人はクィレルじゃないか』って言った時にも聞いたんだけど、クィレルが犯人なら、どうしてクィディッチ戦の時ハリーは助かったの? 私、スネイプ先生には火を付けたけど、クィレルには何もしてないもの」
「……」
 サラは答えない。
 灰色の目は視点が定まらず、泳いでいる。医務室の何処かに言い訳のネタが転がってないか、とでも探すように。
 沈黙に耐えかね、エリは口を開いた。
「それじゃ、お前はハリーの箒に呪いをかけてる真犯人が分かってたのか。それでか? だったらあの時、そう言えば良かったのに。
俺、知ってるよ。クィレルの妨害をした奴。サラが――」
「やめて!!」
 サラは遮った。
 俯き、表情は見えない。
「自分で言うから……」
 サラは顔を上げ、ハーマイオニー、ハリー、ロンの顔を順番に見回した。
 その目には何故か怯えの色が浮かんでいる。一体、何に怯えているのだろう?
「……ハリーとロンには、まだ話してなかったわね……。私、小学校の頃は『報復』を繰り返す子として問題児だったの」
 サラの話が分からず、ハリーとロンはきょとんとした顔を見合わせる。
 エリは口を挟まなかった。
 この場で自分が口を挟むべきではないと思ったし、サラ自身の立場からの話を聞いてみたかった。
 言い訳かもしれない。だが、そんなもの誰だってする事だ。
 エリだって、サラを嫌っている。悪口を言い、憎しみをぶつけている。どんな理由があったとしても、エリが実際行っている事は決して良い事ではない。分かっている。理由なんてものは、言い方を変えれば要は「言い訳」だ。
 逆に言えば、言い訳は理由でもある。
 どうしてあのような事をしていたのか。サラには良心とか、罪悪感とか、そういった物は無いのか。それが知りたかった。
 サラは話した。去年までの自分を。今まで隠していた、闇の姿を。
 何故この流れでその話になるのか、エリには全く分からなかったが。

 サラは話を終え、医務室には何とも言えない気まずい空気が漂っていた。
『味方はいなくて。家庭にも居場所は無くて――』
 あんなサラに誰が味方をするだろう、とエリは思う。祖母に依存して、ナミや圭太に迷惑をかけてばかりだったから、二人共サラを守る事は無かったのではないか。自分で居場所を壊していたのではないか。
 どれ程反対意見が沸いてきても、エリはぐっと堪えた。
 一体、何がいけなかったのだろう。如何して、あんな事になってしまったのだろう。如何して、サラはあんな事をしてしまったのだろう。
 エリ達家族が、サラの味方に付かなかったから? 祖母が死んでしまったから? ナミが、サラだけを捨てたから?
 どれも合っているような気もするが、どれも違うような気もしてならない。
 結局、サラがこんな奴になる事は、何処かで何かが変わった時、決まってしまったのだ。
 ――馬鹿馬鹿しい。
 こんな事を考えて、一体何になる? それよりも、今の事、これからの事だ。
 如何してサラは、クィレルからハリーを守った事を隠したのだろうか。スネイプに濡れ衣を着せてまで。
「んで、サラ? そんな話、もうどうでもいいよ。サラが反省してないってのは分かったけどさ」
「反省? だって、クラスメイト達が先に――」
「だから、もうそれはいいって。俺は別に喧嘩を売ってる訳じゃねぇんだよ。
今話してるのは、如何してお前がスネイプに罪をなすりつけたか、だ。その所為で、三人は真犯人に思い当たらなかったんだろ。お前が事実を隠したりしたから」
 サラは目を見開いた。
 そして、何故かくすくすと笑い出す。
「ごめんなさい……思わず、ね。ドラコが言っていたのは、そういう事だったのね。まさか、エリがドラコと同じ事を言うなんて」
「あ゛ぁ? あんな奴と一緒にされても嬉しくねぇんだけど」
 エリが不機嫌に言うのを無視し、サラは続ける。
「一昨日、ドラコが言ってたわ。クィレルが私をさらったのは、私が一人で何とかしようとしてたからだろ、って……誰かに相談していれば、そんな事にはならなかった筈だ、って……。
言われた時は、訳が分からなかったの。ただのコジツケだ、って思ってた。
でも、確かにエリの言う通りね。私が黙ってたから、真犯人は最後まで分からなかった……。
頭が良くない人が言う事は、その人自身が理解できる程度にまとめるから分かりやすいわ」
「……一言多いよ」
 こいつは、一々癪に障るような事を言わなくては気が済まないのだろうか。
 サラはピタリと笑うのをやめ、無表情になった。
「クィレルを妨害したのは、私よ……。
ハーマイオニーには話したけど、あの時、クィレルもハリーから目を逸らしてなかった。いつもなら、卒倒している筈なのに……。
反対呪文の可能性だって、もちろんあるわ。でも、あれで卒倒しないなら、いつものは演技って事でしょ? どうしてそんな事をする必要があるの? だから……」
 サラは、首にかけているネックレスをギュッと握る。
「私、怖かったの……。だって、ハーマイオニーを裏切ってしまったんだもの」
「え?」
 ハーマイオニーは、きょとんとして首を傾げる。
 エリも首を捻る。意味が分からない。
「私、ホグワーツに来てからはそれまで誰も攻撃してなかったのに……。ハーマイオニーに、そう言ったのに……。
『殺そうとはしてない』なんて、『報復』を責められた時と同じ事を言って。私は、小学校の時と同じ事をしたのよ……」
 エリはぽかんとした顔でサラを見つめていた。
 若しかして、エリがあんな事言ったからだろうか。クィディッチ戦の後に――
『殺すつもりは無くても、攻撃したのは確かだろ。お前は、小学校の時と同じ事を繰り返したんだ』
 ――それで……?
 あれは、クィレルがした事を知らなかったから、言った事なのに。
「……サラ、まさかそんな事で悩んでたの?」
 ロンが、あんぐりと口を開けて言った。
 サラは少し不愉快そうにロンを見上げる。
「『そんな事』って……だって、私、もうしないって言ったのに……」
「それ、別に『報復』でも何でもないんじゃない?」
 ハーマイオニーが、エリ達を代表して言った。
「だってサラは、ハリーを守ろうとしてやった事でしょう? 日本での事とは全く違うわよ」
 ハーマイオニーがそこまで言っても、サラはまだ理解していない。
 ハリーが後を継いだ。
「サラが日本でやってた『報復』は、自分の為だろう? 自分の身を守る為だけに人を傷つけていたんだ。
でも、クィレルを攻撃したのは違う。自分の為なんかじゃないじゃないか。人の為になる事をしたんだ。――ありがとう」
 サラは目を見開いていた。
 まさか、お礼を言われるとは思っていなかったのだろう。
「ったく。サラもなかなか馬鹿だよな。そんな事で考え込んでたなんてさ」
「エリ、言ってたものね。入学当初は、サラが変わるなんて絶対無理だと思ったけど、最近は変われてるみたいだ、良かった、って」
「言うなよ、ハーマイオニー!」
 エリは咄嗟に叫ぶ。他の者に、ましてやサラには知られたくなかった。
 ハリー、ロン、そしてサラも笑っている。笑いながら、サラはポツリと言った。
「……ありがと」

「それで、君達二人の方はどうしたんだい?」
「ええ、私、ちゃんと戻れたわ。私、ロンの意識を回復させて……ちょっと手間が掛かったけど……そしてダンブルドアに連絡する為に、二人でふくろう小屋に行ったら、玄関ホールで本人に会ったの……。ダンブルドアはもう知っていたわ……。『ハリーはもう追いかけて行ってしまったんだね』とそれだけ言うと、矢の様に駆けて行ったわ」
「でも、妙よね……」
「え? 何が?」
 サラの呟きに、エリは首を傾げる。
 でもサラの言いたい事は、ロンも分かったらしい。
「だよな。ダンブルドアはまるでハリーがこんな事をするように仕向けたみたいじゃないか。だって、君のお父さんのマントを送ったりして」
「もしも……」
 ハーマイオニーがキッと顔を上げ、言った。
「もしも、そんな事をしたんだったら……言わせてもらうわ……酷いじゃない。ハリーは殺されてたかもしれないのよ」
「ううん、そうじゃないさ」
 ハリーが考え考え、慎重に答えた。
「ダンブルドアって、おかしな人なんだ。
多分、僕にチャンスを与えたいって気持ちがあったんだと思う。あの人はここで何が起きているか、殆ど全て知っているんだと思う。僕達がやろうとしていた事を、相当知っていたんじゃないのかな。
それでも僕達を止めないで、寧ろ僕達の役に立つよう必要な事だけを教えてくれたんだ。鏡の仕組みが分かるように仕向けてくれたのも偶然じゃなかったんだ。
僕にそのつもりがあるのなら、ヴォルデモートと対決する権利があるって、あの人はそう考えていたような気がする……」
「ああ、ダンブルドアってホントに変わってるよな」
 ロンは何故か誇らしげに言った。
 その時、医務室の扉が大きく開いた。
「エリ! エリ!!」
 叫びながら、ハンナが入ってくる。
 ハンナはロンとサラを押しのけ、エリに抱きついてきた。
「ああ、良かった! スプラウト先生から聞いたの。エリが、目を覚ましたって……。私、本当に怖かったわ。エリ、別人みたいだったんだもの……。
色んな噂が飛び通ってるけど、何処まで本当なの? ハリー、四階の廊下に隠されていた物を貴方がクィレルから守ったって、本当? 貴方達四人で、闇の魔法使いだったクィレルと戦ったって……」
 ハンナはエリから離れながら、ハリーの方を向いて尋ねた。
「あー、うん。君が何処まで聞いたのか分からないけど……」
「ハンナ、皆は?」
「聞くなり、走ってきたから……エリと一緒にフィルチから逃げた事があったでしょう? あの時に教えてもらった隠し通路をいくつも使ったから、かなり早く来れたみたい。その内来ると思うわ」
 ロンが立ち上がりながら話した。
「明日は学年末パーティーがあるから、二人共、元気になって起きてこなくちゃ。
得点は全部計算が済んで、もちろんスリザリンが勝ったんだ。ハリーが最後のクィディッチ試合に出られなかったから、レイブンクローにこてんぱんにやられちゃったよ――否、もちろんチェイサー戦ではいい勝負どころか優勢だったんだけど……でも、臨時のシーカーだから、やっぱり正規の選手には敵わなくってさ。
でも、ご馳走はあるよ」
 サラに睨まれ、ロンは慌ててフォローした。
 廊下の方から、足音がバタバタと聞こえてきた。どうやら、アーニー達もやってきたらしい。
 だが、三人が着くよりもマダム・ポンフリーが戻ってくる方が先だった。
「もう十五分は経っています。さあ、出なさい」
 その後扉の外でもめている様子だったが、結局、アーニー、ジャスティン、スーザンとはその日会えなかった。





 夕方頃になると、スネイプが医務室にやってきた。
 スネイプは入ってくるなり、ハリーをじろりと睨んだ。ハリーは口を固く結んで、じっとスネイプを睨み返す。
「おいおい、スネイプ。仮にも教師が、生徒をそんな風に睨むなよ。ただでさえ、お前は普段から眉間に皺が寄ってるってのによ」
 エリが苦笑して話しかけると、ハリーは顎が外れそうなぐらいに口をぱっかりと開けた。
 スネイプはハリーからゆっくりと視線を外し、エリの方までいつもながら音を立てずに歩いてきた。
 そして、何やらゴブレットを差し出した。中には、得体の知れない奇妙な色の液体が入っている。
「えーっと……これは、若しかしなくても……?」
「飲め」
「やっぱ、そういう事……つーか、何の薬ダヨ……」
 エリは、渋々ゴブレットを受け取った。
 つんときつい臭いが嗅覚を襲う。
 ハリーをちらりと見れば、「飲むな!」と必死に目で訴えていた。まさか、毒なんて事はない筈だ。
「なあ。これ、どうしても飲まなきゃ駄目か?」
 エリは、傍らに立つスネイプを見上げた。
「ダンブルドアから調合を頼まれた」
 上から見下ろすスネイプのその様子は、有無を言わせない迫力があった。普段は、見下ろされるほどの身長差なんて無いのに……。
 エリはゴブレットに注がれた液体を睨み付ける。
「バイバイ、皆! 俺は、短い人生だったけど、楽しかったヨ……」
「馬鹿な事を言っとらんで、さっさと飲まんか」
「ハイ。分カリマシタ。今直グ飲ミマス」
 エリは鼻をつまみ、一気に薬を流し込んだ。
 ……地獄を見た。

「苦いーっ。死ぬーっ」
「それぐらいで死にはせん」
 エリは、ハリーが注いでくれた水を一気に飲む。それでもまだ、口の中の苦さは消えない。
 ベッドの横の棚にある、見舞いで貰ったお菓子の一つを口に放り込んだが、かえって口の中に酷い味が充満した。
「おえ〜っ。吐くー!」
「大げさな。吐くならトイレにでも行きたまえ」
「なんでそんな冷たいんだよーっ。あ゛ーっ、苦い、苦いーっ!」
「それだけ元気なら、大丈夫だろう。あとはゆっくり寝ていなさい」
 スネイプは、苦い苦いと喚くエリに構わず、扉へ手をかける。
 ふと気づいたように、ハリーがスネイプに声をかけた。
「エリに、一体何の薬を飲ませたんだ?」
 スネイプはぴたりと立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「口調に気をつけろ、ポッター。無関係の奴が、余計な詮索はするな。その詮索好きな性格によって危うく死ぬ所であったろうに、全く懲りないのだな。――否、危うくではなく幸運の間違いか」
「でも、ホント何の薬だ? ハリーは何も飲んでねぇだろ?」
 ハリーはスネイプから目を逸らさず、こくりと頷く。
「モリイは、『服従の呪い』をかけられた。同じく倒れたとしても、原因が違うのだから処置が違うのも当然だろう。貴様らは、この一年何を学んでいたんだ? それぐらい、簡単に分かる事だと思うが」
「結局、質問には答えねぇのな。それとも、何か口止めでもされてんのか?」
 スネイプは答えなかった。
 表情も変えない。相変わらず、眉間に皺を寄せたままだ。
 暫くの沈黙の後、スネイプは答えた。
「精神安定剤のような物だ」
 短く一言だけ言うと、スネイプは今度こそ医務室を出て行った。
 ハリーは首を捻る。
「何だろう、あれ。絶対、何か隠してるよね」
 エリは、ハリーの問いかけには答えなかった。
 それよりも早急な用事があったのだ。
「苦い! 水――――――!!」


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2007/04/08