七月三十一日の朝、日も高く昇った頃。サラとエリの下に、ダンブルドアからの手紙が届いた。
やっと、ハリーを捕まえる事が出来たらしい。手紙によると、ダイアゴン横丁へはハグリッドだけでなく、ハリーも一緒だとの事だった。
この数日の内に、エリは留美と俊哉にイギリスへ留学する事になった、と話してきた。休みには絶対帰ってくると約束して。
留美とは、中学校へ行ったら一緒の部活に入ろうと約束していたけれど、それは叶わない。でも、留美は「エリがやりたい事があるなら、仕方が無い」と言ってくれた。俊哉も、笑顔で「行って来い」と言ってくれた。
大切な人達、その通りだ。
エリは手紙を読みながら、ふとそう思った。
No.3
サラ達がナミの運転する車で家を出たのは、午後六時だった。
圭太は仕事だ。サラ達はナミの父親の家に向かっている。
「いいのか? こんな遅い時間でよ。だって、今から行ったら帰ってくるの夜中になるんじゃね?」
「イギリスとは時差があるからね。仕方ないよ。今夜は、お母さんとアリスもあの家に泊まるつもりだから」
三時間ほど車に揺られ、到着したのは山の中だった。
電灯も無い山の中。車のヘッドライトが唯一の灯りだ。
ナミはハンドバッグから木の棒を取り出し、唱えた。
「ルーモス」
ぽうっと柔らかな光が、棒の先に灯る。エリが歓声を上げた。
「すっげーっ! それ、魔法!? それが魔法の杖って奴か?」
「そうだよ。――行こうか」
舗装されていない道を二十分ほど歩き、一行は開けた場所に出た。
そこには、有名な寺か何かかってぐらい大きな家があった。屋根は全て瓦、塀は高く、昔の金持ちの家って感じだ。人の気配は無く、ずっと放っとかれた様子なのに、何処も崩れたりしていない。何かの魔法だろうか。
「ここが、あなた達のおじいちゃん――そして、私の実家だよ」
「こんな所に住んでたの!? お母さんが!? じゃあ、お金持ちなんだ!」
アリスが目を見開き、叫ぶように言った。
「確かにお金だけはあったし、不自由は無かったけどね。でも、学校や店が傍に無いから、何も贅沢なんて出来なかったよ」
言って、ナミは門へと歩いていった。姉妹は、慌ててその後について行く。
「エリとサラは、煙突飛行粉で『漏れ鍋』へ行くんだよ。ああ、そうだ。エリ――」
ナミはハンドバッグから、小さな金の鍵を取り出した。それと一緒に、何故か頑丈そうな巾着袋もエリの手に押し付ける。
「グリンゴッツの金庫の鍵だよ。絶対に無くさないようにね。スペアキーなんて無いんだから。心配だったら、ハグリッドに預かってもらいなさい」
「オッケー。大丈夫だって。無くしたりなんかしねぇよ」
「そんな事言って、この間だって家の鍵を無くしたじゃない。その前には財布を無くしてるし。
……やっぱ、ハグリッドに預かってもらった方がいいかもね。いい? 絶対だよ」
「わかった、わかったって。でも、家の鍵は別にその内見つかると思うぜ? 無くしたの、家の中だし」
「……私の鍵は?」
それまでずっと黙っていたサラが、突然口を開いた。
ナミは、サラの方を見ずに言う。
「さあね。私は遺産を放棄したから持ってない。ハグリッドが預かってるんじゃないの? あいつ、ハグリッドと親しいみたいだったし」
「そう」
ナミの声もサラの声も、何処までも冷たい。
サラがもう話す事は無いのを確認すると、ナミは居間の中心にあるいろりへと歩いていった。
「煙突飛行、っていうけど、この家には見ての通り煙突なんて無いの。いろりから行く事になるよ。大丈夫。何の問題も無いから。あなた達のおじいちゃんも、ここから仕事に行ってたし……。ここに粉があるから、これを囲炉裏に撒いて、『ダイアゴン横丁』って言えばいいの。じゃあ、どっちから――?」
「私が先に行くわ」
言うなり、サラはひったくるようにして粉を受け取り、手に取って入れ物を押し返した。
「これぐらいでいいのよね?」
「そうだね」
サラは灰のような粉を、囲炉裏に撒く。
エメラルド色の炎が上がり、サラは一瞬戸惑ったが、直ぐに炎の中へ入っていった。
「ダイアゴン横丁!」
掻き消すようにして、サラの姿が見えなくなった。
エリは短く口笛を吹く。
「よっし! じゃあ、次は俺な。母さん、粉!」
受け取った粉を、サラと同じようにして囲炉裏に撒く。
エリは迷う事無くその中に入った。
火の中に入ったのに、熱くない。まるで暖かい風が吹いているかのようだ。
「はっきり発音しなきゃ駄目だよ!」
ナミが心配そうに言う。
サラみたいにほっとかれるのは嫌だが、あまりしつこいのも鬱陶しい。
「ダイアゴン横丁!」
サラとエリがいなくなると、ナミは奥の部屋へと歩いていった。
「奥に、部屋を増築してあるんだよ。そこの方が泊まるには楽だと思うからね」
ナミの言う通りだった。奥に増築された部屋は、アリス達の家や友達の家と何ら変わりなく、床も畳ではない。
「勝手にこの家から出ない事。それさえ守れば、迷子にならない程度に好きにしていいから。夕食は少し遅くなるけど、いいね? お母さんはちょっと出てくるから」
そう言い残して、ナミは玄関の方へと戻っていった。
一体、何処へ行くのだろうか。晩御飯の材料は途中で買ってきたし、そもそも、この近くには学校もお店も無いと言っていた。
家から出るなと言われたが……。
アリスは、去っていくナミの後姿をじっと見つめる。
好奇心には勝てない。アリスは、こっそりお母さんの後をついていく事にした。
ナミの後をついて行った先は、小さな広場だった。広場の中央には墓石が立っている。
――お墓……?
ナミは傍の井戸から水を汲み、墓石にかけた。一体、誰のお墓だろう。
「そんな所に隠れてないで、出てきなさい」
アリスは、ぎょっとして肩を揺らす。
そして、そろそろと木の陰から出た。
ナミは、怒ってはいないようだ。それが分かってホッとし、アリスはナミの所に駆け寄った。灯りはナミの杖先だけだ。周りは闇に包まれていて怖い。
「ここ、誰のお墓なの?」
「あなた達のおじいちゃんのだよ。本当は、他にもその更にお父さんやお母さんの墓があったんだけどね。お母さんが十六になった誕生日、全て破壊されてしまった。残ったのは、その後に新しく出来たこれだけだよ」
「お母さんの誕生日に――?」
「『例のあの人』に襲われたんだ」
「えっ……」
それは確か、サラやハリー・ポッターと言う人物を殺そうとした人では無かったか。
「それで、お母さんの方の親戚はいなくなってしまったのね? じゃあ、それからお母さんはシャノンのおばあさんと暮らしてたの?」
「あんな奴、母親じゃない!!」
怒鳴るように言ったナミの声に、思わずびくりと肩を震わす。
ナミは目を伏せた。
「……お母さんは、それからホグワーツに編入したんだよ。夏休みは寮監の家に預けられた。
それから、私の親戚は生まれた時から両親だけだったよ。シャノンは孤児だったし、父親の家族は父が学生の頃、戦争で亡くなったらしい。
……さあ、帰ろうか」
アリスは、無言でお母さんの横を歩いて帰った。
何と言って良いか分からなかった。ナミの親戚の事よりも、祖母の方が気にかかった。ナミが怒鳴るなんて、今までにあっただろうか。叱るのではなく、感情で怒鳴るなんて。
如何して祖母は、ナミと暮らさなかったのだろう。どうして祖母は、教師の家なんかに預けたのだろう。
だから、ナミはサラに冷たいのだろうか……。
妙な感覚だった。
ぐるぐると回りながら、何処かへ吸い込まれていくみたいだ。轟音で耳が痛い。緑の炎で視界も悪く、気持ち悪い。ちらちらと、何処かの家の風景が見えた。晩御飯がまだで良かった――
そして、エリは何か硬い所に嫌と言うほど頭をぶつけた。
「っつ!!」
「一体どうやったら、横向きに到着する訳?」
憎たらしい言い方に見上げれば、サラが呆れた顔で見下ろしていた。
エリは、何処かの暖炉に横向きに倒れていた。サラの向こうは薄暗いパブで、そこにいる客達は皆、エリやサラと同種の気配がする。多分、魔法使い独特のものなのだろう。
「ここ? 『漏れ鍋』?」
エリは暖炉から這い出しながら聞いた。サラはエリが出る為にのけて、パブを見回す。
「でしょうね。ここにいる人達、皆魔法使いみたいだし」
「で、如何するんだ? ハグリッドって奴は何処だ?」
「さあ……」
パブを見回しても、それらしき人はいない。
考えてみれば、エリ達はハグリッドがどんな奴かも聞いていない。向こうが分かると言う事だろうか。
「取りあえず、座って何か飲んでようぜ。その内来るだろ」
「駄目よ! 私達、お金をまだ持ってないわ。何も注文できないわよ。それとも、そのハグリッドって人にたかるつもり?」
「そりゃ、そうだろ」
「あのねぇ……」
その時、パブに大きな男が入ってきた。
本当に大きい。エリも一応背の高い方だが、それでも人並みだ。その男は、身長は普通の人の二倍、横幅は五倍はありそうだ。ボウボウとした黒い髪と髭が、長くもじゃもじゃと絡まって顔が殆ど見えない。真っ黒な黄金虫みたいな目がキラキラと輝いている。
そして、その後ろから小柄な男の子がついてきていた。
バーテンが、その男に話しかける。そして、わらわらと人が集まりだした。どうやら皆、大男ではなく男の子の方に興味があるらしい。
「何だ、あれ。すっげぇなぁ。あいつ、有名人なのかな?」
「さあ……」
ふと、大男がこちらを見た。そして、ぱっと顔を輝かせ、男の子と彼に集まった人々を引き連れてやってきた。
「サラ! サラで間違いねぇよな? 一発で分かったぞ。おばあさんにそっくりだ! っちゅう事は、お前さんがエリだな?」
男の子に握手を求めていた人達が、一斉にこちらを振り向いた。
「サラ? サラ・シャノン? ハグリッド、こちらが――?」
「『ハグリッド』? それじゃあ、貴方が?」
「ああ。俺が、おまえさん達の買い物を案内する事になっとる。ルビウス・ハグリッドだ。ホグワーツで森番をしとる。皆にはハグリッドって呼ばれとる。よろしくな、サラ、エリ」
「よろしく! じゃあ、そっちの子があれか。ハリー・ポッターって奴?」
「そうだ。ハリーの事はダンブルドア先生から聞いとるな? ハリー、彼女達はサラ・シャノンとエリ・モリイ。ほれ、サラの事は話しただろう? エリはサラの双子の妹だ」
ハリーが何か言う前に、他の客達が一気にこちらへ押し寄せてきた。正確に言えば、エリの隣にいるサラにだ。
「貴女が……! 気がつきませんでした――」
「お会いできて光栄です、サラ・シャノン」
「今日ここへ来て、本当に良かったです。まさか、ポッターさんにもシャノンさんにも一度に会えるなんて……」
サラは次から次へと握手を求められる。エリは、生暖かい気持ちでそれを眺めていた。ここにいる者達は、サラがどんな奴だか知らないのだ。
ハリーとサラが握手を求められている所へ、青白い顔の男が神経質そうに進み出てきた。片方の目を痙攣させてまでいる。
「クィレル教授!」
ハグリッドが言った。そして、エリ達三人に言う。
「クィレル教授はホグワーツの先生だよ」
エリは、驚いて目を丸くする。
こんな奴が? 如何見ても、人を教えられるようには見えない……。
クィレルはハリーの手を取り、どもりながら言った。
「ポ、ポ、ポッター君。お会いできて、ど、どんなにう、嬉しいか。そ、それに、シャノンさんにも、あ、会えるなんて。こ、光栄です」
サラもエリと同じ感想を持ったらしく、クィレルに聞いた。
「先生は、何の教科を教えていらっしゃるのですか?」
「や、や、闇の魔術に対するぼ、防衛です」
その事は考えたくも無いかのようにボソボソと言った。
こんな様子で、本当に教えられるのだろうか。
「君達にそれがひ、必要だという訳ではな、無いがね。
学用品をそ、揃えに来たんだね? わ、私も、吸血鬼の新しいほ、本をか、買いに行く、ひ、必要がある」
どもりの多い話し方に、嫌悪感さえ感じる。ホグワーツと言う学校に、初めて不安を感じた。
それから十分ほどかかって、ようやくサラとハリーは解放された。ハグリッドの声がやっと皆に聞こえたのだ。
「もう行かんと……買い物がごまんとあるぞ。三人とも、おいで」
エリ達はハグリッドについてパブを通り抜け、壁に囲まれた中庭に出た。こちらの外は明るい。
中庭にあるのは、二、三本の雑草とゴミ箱だけ。
ハグリッドはハリーに笑いかけながら言った。
「ほら、言った通りだろ? お前さん達は有名だって。クィレル先生まで、お前さん達に会った時は震えてたじゃないか……尤も、あの人はいつも震えてるがな」
「あの人、いつもあんなに神経質なの?」
「ああ、そうだ。哀れなものよ。秀才なんだが、本を読んで研究しとった時は良かったんだが、一年間実地に経験を積むっちゅう事で休暇を取ってな……如何やら黒い森で吸血鬼に出会ったらしい。その上に鬼婆といやーな事があったらしい……それ以来じゃ、人が変わってしもた。生徒を怖がるわ、自分の教えてる教科にもビクつくわ……さてと、俺の傘は何処かな?」
吸血鬼や鬼婆なんてものもいるのか。
改めて、自分達は今までと全く違った世界に来たのだと実感する。
ハグリッドは、ゴミ箱の上の煉瓦を数えてブツブツ言っている。
「三つ上がって……横に二つ……よしと。三人とも、下がってろよ」
ハグリッドは傘の先で壁を三回叩いた。
すると叩いた煉瓦が震え、そしてくねくねと揺れた。真ん中に小さな穴が現れ、みるみるうちに広がり、気がつけば、目の前にはハグリッドでも充分に通れるような大きなアーチ型の入り口が出来ていた。
その向こうに石畳の通りが、曲がりくねって先が見えなくなるまで続いている。
「すっげーっ!! ほんと凄ぇな! これ、魔法だろ? ほんと、色んな事が出来るんだな!」
エリが目を輝かせて叫べば、ハグリッドはにっこりと笑い、「ダイアゴン横丁にようこそ」と言った。
驚いて立ちすくんでいるサラとハリーをつれ、エリ達はアーチを潜り抜けた。振り返った時には、アーチはどんどん縮み、元の煉瓦の壁に戻る所だった。
近くにある店の外に積み上げられた大鍋が、陽の光を反射してきらきらと輝いている。看板を見れば、鍋屋らしい。
「一つ買わにゃならんが、まずは金を取って来んとな」
ハグリッドはそう言い、三人を先導して歩き出した。
エリは必要以外で買い物を楽しんだりとかしない方だが、ダイアゴン横丁は別だった。
どれ程きょろきょろと見回したって、見たい物はいくらでもあって追いつかない。薬問屋、ふくろう百貨店、箒、マント、望遠鏡、見た事の無い銀の道具の店……これは絶対に飽きないと断言できる。
「グリンゴッツだ」
四方八方を見回していたエリは、急に立ち止まったハグリッドの背にぶつかった。
正面に、真っ白な建物が高く聳え立っていた。同じ観音開きだが、ナミの実家と違ってピカピカのブロンズの扉の両脇に、深紅と金色の制服を着て「何か」が立っている。人じゃない。
「あれが小鬼だ」
そちらに向かって白い階段を上りながら、ハグリッドがヒソヒソ声で言った。
小鬼はサラよりも小さい。浅黒い賢そうな顔に、先の尖った顎鬚、長い手の指と足の先。エリ達が入り口へ来ると、小鬼はお辞儀した。中には二つ目の、今度は銀の扉があって、言葉が刻まれている。
「『潜むもの』って?」
刻まれた言葉を読んだサラが、ハグリッドに聞いた。
「詳しくは分からん。でも、ここから何か盗もうなんて、狂気の沙汰だわい。グリンゴッツが、何かを安全に仕舞っておくには、グリンゴッツが一番安全な場所だ。ホグワーツ以外ではな」
ここにもいた左右の小鬼が、扉を入る四人にお辞儀をした。
扉の向こうは、広々とした大理石のホールだった。軽く百人は超えているだろう小鬼が、細長いカウンターの向こうで脚の高い丸椅子に座り、それぞれの仕事をしている。ホールに通じている扉は無数にあり、それに対応する無数の小鬼が、出入りする人々を案内している。何処も彼処も小鬼だらけだ。
エリ達は窓口に近付いた。
「おはよう」
ハグリッドが、手の空いている小鬼に声をかけた。
「ハリー・ポッター、サラ・シャノン、ナミ・モリイの金庫から金を取りに来たんだが」
変換間違えれば犯罪予告だな、とふと思う。
「鍵はお持ちでいらっしゃいますか?」
「どっかにある筈だが」
ハグリッドはポケットをひっくり返し、中身をカウンターに出し始めた。
エリもポケットから出そうとし、硬直した。鍵が、無い。
――如何しよう!? 何処で落とした!!? これじゃ何も変えないじゃんか! いや、金はサラが貸してくれるかもしれない。でも……母さんに殺される!!
エリが真っ青になっていると、サラが俺の脇腹をつつき、手を差し出した。その手に握られているのは――エリが母さんから預かった鍵だ。
「エリ、煙突飛行の後、暖炉に落としてたわよ。そのまま気づかないで行こうとして――パブを出る時に私が気づいたから良かったけど、そうじゃなかったらお母さんに殺されてたわよ?」
「サラーっ!! ありがと――――――っ!!!」
エリはサラに飛びついたが、あっさりと避けられた。
ハグリッドもハリーとサラの鍵を見つけたようだ。ナミの言う通り、祖母の鍵はハグリッドが預かっていたらしい。
エリ達が渡した鍵を、小鬼は一つ一つ慎重に調べてから、「承知しました」と言った。
「それから、ダンブルドア教授からの手紙を預かってきとる」
ハグリッドは胸を張って重々しく言った。
「七一三番金庫にある、例の物についてだが」
小鬼は手紙を丁寧に読み、「了解しました」と言った。
「誰かにこれらの金庫へ案内させましょう。――グリップフック!」
奥から別の小鬼がやってきた。
ハグリッドがポケットから出して広げていた犬用ビスケットを全てポケットに詰め込み終えてから、一行はグリップフックについて行った。如何やら、ホールから続く無数の扉の一つへと向かうらしい。
ハリーがハグリッドに聞いた。
「『七一三番金庫の例の物』って、何?」
「それは言えん。極秘だ。ホグワーツの仕事でな。ダンブルドアは俺を信頼して下さる。お前さんに喋ったりしたら、俺がクビになるだけでは済まんよ」
グリップフックが扉を開けた向こうは、松明に照らされた細い石造りの通路だった。ナミの実家に向かう途中に通った坂よりも急な坂が下の方へ続き、床には小さな線路が付いている。
グリップフックが口笛を吹くと、小さなトロッコが線路を上がってきた。
エリ達はトロッコに乗り込む。ハグリッドも何とか納まって、トロッコは発車した。
今までに乗ったどんな絶叫系アトラクションよりも、最高にスリルがあった。
誰も舵取りをしていないけど、トロッコは勝手にビュンビュンと風を切って走る。
不意に、行く手に火が噴出した気がしたが、見ようと思った時には遅かった。
「なぁ、今のってドラゴンとかじゃね!? 今、火が噴いたの見ただろ!?」
「うん。でも、確認できなかった――」
「エリ! あまり身を乗り出してると危ないわよ!」
トロッコは更に深く地下へと潜っていった。
鍾乳石と石筍がせり出した地下湖の傍を通っている時、ハリーがハグリッドに呼びかけた。
「僕、いつも分からなくなるんだけど鍾乳石と石筍って、如何違うの?」
「三文字と二文字の違いだろ。頼む、今は何にも聞いてくれるな。吐きそうだ」
確かに、ハグリッドは真っ青だ。
代わりにサラが答えた。
「鍾乳石は所謂つららの事よ。石筍は、鍾乳石の先端から落ちる水滴が直下の床面によって多くの方解石を集積して、最終的にドーム型や円錐形の突起物を形作ったものの事。出来方の違いよ」
小さな扉の前でトロッコはやっと止まった。
ハグリッドは真っ先に降りて、膝の震えが止まるまで通路の壁にもたれかかっていた。
グリップフックが扉の鍵を開けた。
緑色の煙がもくもくと吹き出して来て、それが無くなると、そこには金貨や銀貨、銅貨の山が連なっていた。
「こちらは、ナミ・モリイ様の金庫です」
「マジ!?」
ナミが袋を持たせた意味が分かった。袋いっぱいにお金を詰め込んでも、金庫には沢山残る。
ハグリッドは、エリがお金を詰め込むのを手伝ってくれた。
「サラとハリーもよーく聞け。金貨はガリオンだ。銀貨がシックルで、十七シックルが一ガリオンになる。銅貨はクヌート、二十九クヌートが一シックルだ。簡単だろうが」
「何処がだよ! なんでそんな中途半端なんだ!?」
「そうか? ――よーしと。これで、二、三学期分は大丈夫だろう。残りはここにちゃーんとしまっといてやるからな」
次に行ったハリーの金庫は、更に凄かった。エリの家の金庫の、倍はあるだろう金額だ。
だが、それも序の口だった。
トロッコは更に深く潜り、祖母からサラが相続した金庫に到着した。それはもう、異常だった。
エリの家やハリーの金庫の五倍はある部屋に、金銀銅の通貨が大量だ。グリンゴッツで最も広い金庫らしい。
「そりゃあ、彼女は偉大な魔女だったからな。闇祓いとしても、予見者としても、あれほどまでに優秀なもんはいなかっただろう。彼女はホグワーツも首席で卒業した。不当な扱いを受けながらも、だ。あれほどまでに優秀な子は他におらんだろう……」
「不当な扱いって?」
「まぁ、色々あったっちゅう事だ」
そう答えて、ハグリッドはグリップフックに向き直った。
「次は七一三番金庫を頼む。ところで、もうちーっとゆっくり行けんか?」
しかし、グリップフックは平然と言った。
「速度は一定となっております」
トロッコは更に深く、更にスピードを増して潜っていった。ハグリッドは気絶寸前だ。
トロッコは地下渓谷の上をビュンビュン走る。
ハリーが身を乗り出して暗い谷底を覗いた。エリも気になって覗こうとしたが、サラに止められた。ハリーは、ハグリッドが呻き声を上げながら引き戻していた。
七一三番金庫には、俺達の金庫みたいな鍵穴が無かった。
一体どうやって開けるのだろうと訝っていると、グリップフックがもったいぶった様子で「下がってください」と言った。俺達が下がると、グリップフックは長い指の一本でそっと扉をなで、扉は溶けるように消え去った。
「すっげ……」
「グリンゴッツの小鬼以外の者がこれをやりますと、扉に吸い込まれて、中に閉じ込められてしまいます」
「中に誰か閉じ込められていないか如何か、時々調べるの?」
「十年に一度ぐらいでございます」
小鬼はニヤリと笑った。
なるほど、確かにグリンゴッツは随分と厳重だ。
これ程にも厳重に警護されているとは、一体何なのだろうか。サラの金庫でも、エリ達と同じ警護だったと言うのに。
身を乗り出して覗いてみたが、中には茶色の紙で包まれた薄汚れた小さな包みが床に転がっているだけだった。
これが、極秘で運び出す物なのだろうか。
他に何かあるのではないか、床や壁の色と同化しているだけじゃないかと部屋を見回したが、ハグリッドが拾ったのはその小包だった。
それが何なのか聞いても――やはり、答えてはくれないだろう。
「行くぞ。地獄のトロッコへ。帰り道は話しかけんでくれよ。危ない事もせんでくれ。俺は口を閉じているのが一番良さそうだからな」
今度はトロッコで地上へと上り、サラ達は沢山のお金を持ってグリンゴッツを出た。
今まで、これ程お金を持った事があるだろうか。
あの家に、お小遣い制度は無かった。遊びに行く時、必要な分だけ、ナミが持たせて管理していた。当然、サラは何処かへ一緒に遊びに行くような友達などいなかったから、お金を持つのは近所の文房具屋へ行く時ぐらいだった。文房具でさえも、ノートは一度使いきったら消しゴムで消して再利用。たまに、鉛筆や消しゴムを買う程度だった。
「制服を買った方がいいな」
ハグリッドは、「マダムマルキンの洋装店――普段着から制服まで」と書かれた看板を顎で指して言った。
「なあ。『漏れ鍋』でちょっとだけ元気薬をひっかけて来てもいいか? グリンゴッツのトロッコには参った」
ハグリッドの顔はまだ青ざめている。
サラ達は一端、その場でハグリッドと別れ、マダム・マルキンの店に入っていった。
マダム・マルキンは、藤色ずくめの服を着た、愛想の良いすんぐりした魔女だった。
「坊ちゃんに、お嬢ちゃん。ホグワーツなの? 全部ここで揃いますよ――もう一人お若い方が丈を合わせている所よ」
店の奥で、青白い、顎の尖った男の子が舞台の上に立ち、もう一人の魔女が長い黒いローブをピンで留めていた。
マダム・マルキンはその隣の舞台にハリー、その隣にサラ、そしてエリを立たせ、頭から長いローブを着せかけ、ハリーから丈を合わせてピンで留め始めた。
男の子は私達の方を振り返った。
「やあ、君達もホグワーツかい?」
「うん」
「そうだぜ。じゃあ、お前もなんだな?」
「ああ。僕の父は隣で教科書を買ってるし、母は何処かその先で杖を見てる。これから、二人を引っ張って競技用の箒を見に行くんだ。一年生が自分の箒を持っちゃいけないなんて、理由が分からないね。父を脅して一本買わせて、こっそり持ち込んでやる」
サラは、何の感動も無く冷めた表情で彼の話を聞いていた。
エリがちらりとサラを見た。
考えた事は容易に想像がつく。けれど、サラは別に脅したつもりはないし、そんな馬鹿馬鹿しい事しようとも思っていない。
「君達は自分の箒を持ってるのかい?」
「ううん」
「クィディッチはやるの?」
「ううん」
クィディッチ、という単語にサラは僅かに反応を示す。
ずっと幼い頃、祖母がまだ生きてた頃に聞いた事があるような気もする。……でも、分からない。確か、何か競技の名前だった気がするが……。
「僕はやるよ――父は僕が寮の代表選手に選ばれなかったらそれこそ犯罪だって言うんだ」
期待をかけられているとは、大変そうだ。
「僕もそう思うね」
続いた彼の言葉を聞き、サラは胸中で前言撤回した。
「君達はどの寮に入るかもう知ってるの?」
「ううん」
「まあ、ほんとの所は、行ってみないとわからないけど。そうだろう? だけど僕はスリザリンに決まってるよ。僕の家族は皆そうだったんだから……ハッフルパフなんかに入れられてみろよ。僕なら退学するな。そうだろう?」
「うーん……」
「分かんない。俺、寮の事自体、分からねぇんだけど。寮って普通、男子寮と女子寮だけじゃねぇのか?」
「ホグワーツは違う。四つあって――」
そこで、男の子は言葉を区切った。
「――君達の両親、僕らと同族じゃないのか?」
「どっちもホグワーツ出身だったみたいよ。でも、その話はしないわ」
「ふぅん? ――ほら、あの男を見てごらん!」
男の子は窓の方を顎でしゃくった。
ハグリッドが店の外に立ち、手に持った四本の大きなアイスクリームを指差している。それがあるから入れないという事だろう。
「あれ、ハグリッドだよ」
ハリーが答えられる事を嬉しそうに言った。
「ホグワーツで働いてるんだ」
「ああ、聞いたことがある。一種の召し使いだろ?」
「森の番人だよ」
ハリーは顔を顰めて訂正した。
エリは最早、男の子を睨み付けていて、今にも飛び掛りそうだ。エリが男の子と最も離れているのは本当に良かった。
そんな二人の様子には気づかず、男の子は続ける。
「そう、それだ。言うなれば『野蛮人』だって聞いたよ……学校の敷地内の掘っ立て小屋に住んでいて、しょっちゅう酔っ払って、魔法を使おうとして、自分のベッドに火をつけるんだそうだ」
「彼って最高だと思うよ」
ハリーの声は冷たい。
男の子は「へえ?」と言って鼻先でせせら笑った。
「如何して君達と一緒なの? 君達の両親は如何したの?」
「死んだよ」
「おや、ごめんなさい」
男の子は反省の欠片もない口ぶりで言い、身を乗り出して、こちらを見た。
「君達もなのかい?」
「さあ? お母さんは生きてるけど、ここへは来たがらないわ。お父さんは知らない。教えてくれないもの――」
「その向こうの子は?」
「俺達、双子だよ」
「そうなのかい? 似てないから分からなかったよ――」
そして、今度はハリーを見た。
「君の両親も、僕らと同族なんだろう?」
「魔法使いと魔女だよ。そういう意味で聞いてるんなら」
「他の連中は入学させるべきじゃないと思うよ。そう思わないか? 連中は僕らと同じじゃないんだ。僕らのやり方が分かるような育ち方をしてないんだ。手紙を貰うまではホグワーツの事だって聞いた事も無かった、なんて奴もいるんだ。考えられないような事だよ。入学は昔ながらの魔法使い名門家族に限るべきだと思うよ。君達、家族の姓は何て言うの?」
「さあ、終わりましたよ、坊ちゃん」
ハリーは男の子の質問に答える事無く、踏み台からピョンと飛び降りた。
「じゃ、ホグワーツでまた会おう。多分ね」
男の子の言葉に、ハリーは答えなかった。
ハリーが出て行き、エリが突然大声で言った。
「俺は、お前の考えに反対だなぁ。俺達だって、親は魔法使いでもホグワーツの事は手紙が来るまで知らなかったし」
男の子はピクリと眉を動かす。
「それ、疑問に思うんだけど、一体如何してだい? 親がホグワーツの出身なのに、その話はしなかったなんて――」
「知るかよ。そんなの、母さんに聞いてくれ。何かあったんじゃねーの。まぁ、兎に角ホグワーツとの関わりを絶とうとしたらしいぜ。だから、俺達にも何も教えてくれなかった。しかも、ホグワーツの勧誘も断ろうとした。それで、ダンボードアって髭爺さんが事の説明に来たんだ」
「ダンブルドア、よ」
「ダンブルドアが? マグルびいきの校長か。奴がいるから、ホグワーツはマグル出身者も受け入れてるんだ――」
「マグル?」
「僕達とは違う、魔法を使えない人々の事さ。まぁ、スリザリンに入ればそんな奴らと関わる事も少なくて済むけど……。君達の両親は、何処の寮だったか分かるかい? まあ、レイブンクローならまだいいだろうけど、ハッフルパフなんかだったら――」
「あのさあ、お前、いい加減にしろよ」
危ない。
サラは警戒してエリを見た。エリは柄の悪い態度で、男の子を睨みつけている。
「さっきから聞いてりゃ、何なんだよ。マグルだって嫌な奴ばかりじゃねーんだよ。俺の親友はマグルだ。俺の彼氏もマグルだ。マグル出身じゃない、マグルそのものなんだ。お前、それを見下してるって事だよなぁ、おい?」
「マグルを親友だと言うのかい? 分かってるのか? 奴らは僕らとは違う――」
言葉が途切れた。
エリは男の子に殴りかかろうとし、間にいたサラによって止められ、取っ組み合っていた。
男の子は突然のエリの行動に腰を抜かしていた。
「放せよ! こいつ、黙って聞いてりゃウゼェんだよ!! 偉っそーに……」
マダム・マルキンも止めようとするが、エリに叶う筈が無い。
……仕方が無いか。
サラは魔法で、エリの足を元の踏み台の所にくっつける。
「なっ……! 何すんだよ!!」
エリはめちゃくちゃに腕を振り回すが、到底男の子までは届かない。無駄に暴れるほどエリも馬鹿ではなく、睨むだけになった。
マダム・マルキンは私を後回しにし、素早くエリの採寸を終えた。
店から追い出されるようにしてエリは出て行った。
「失礼かもしれないけど、君の姉妹、随分と野蛮な性格だね」
「ええ。私も同感よ。でも、エリの行動は良くないと思うけど、考え方はエリに賛成だわ」
「君も、親友や彼氏にマグルがいるのかい?」
「いいえ」
いない。
確かに彼の言うとおり、サラは周囲と違った。マグルとは一緒じゃない。
でも――
「……違うのは、マグルだけじゃないわ」
サラは、感情の無い声でぽつりと言った。
エリやアリス、ナミはマグルではないのに、サラと同じ「力」を持つのに、サラを嫌っていたのだ。
マグルか魔法使いかなんて、関係無く……。
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「
The Blood
第1部
希望求めし少女たちは
」
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2007/01/02