薄暗い部屋だった。並々ならぬ魔力が充満し、じめじめとしていて、居心地が悪い。
サラは、ぐったりと壁にもたれていた。立ち上がる気力も無い。
目の前には、一人の男子生徒が立っていた。視界は霞み、顔がよく見えない。だけど、薄ら笑いを浮かべているのは分かった。
部屋には、サラとその生徒の他に、三人の人物――今では遺体となった者達。
くしゃくしゃの髪に眼鏡の少年。長い髪を二つに縛った少女。赤い髪の、サラより少し背が高いぐらいの少女。
目の前の男子生徒は、段々と実体化してくる。
ああ、どうしよう。
蘇ってしまった。
No.31
サラはがばっと起き上がった。噴き出る汗は、暑さによるものだけではない。
「夢、か……」
サラはふっと息を吐き、再びベッドに倒れた。
夢にしては、随分と生々しかった。一体、何だったのだろう。あの男子生徒は、何処かで見た気がする。
サラは起き上がり、窓へと歩いていった。
エフィーの籠は空っぽ。ハーマイオニーへ手紙を出したきり、帰ってこない。サラもエリもこの夏、まだ誰からも手紙が来ていなかった。
一体、どうしてなのだろう? ふくろうが海を越えられなかったのだろうか。それとも、まさか愛想をつかされて……? まさか。それなら、どうしてエリも来ない。
時計を見れば、まだ四時。サラは窓を開け放した。夜風が気持ちいい。
暫く夜風に当たって振り返れば、そこには何かの影があった。
杖はその影の向こう側にある引き出しの中だ。
「何――?」
「ドビーめなのです、サラ・シャノン!」
その声を聞き、サラはホッと息を吐いた。
部屋の扉の所まで行き、パッと電気をつける。そこにいるのは、確かに昨年の冬に出会った屋敷僕妖精だった。
「こんばんは、ドビー。こんな時間に、何の用? ほんと、貴方っていつもこんな時間に来るわね……」
「申し訳ないのです! でも、ドビーめは警告しにいらっしゃったのです。サラ・シャノンは、今年ホグワーツへ行ってはいけません!」
「……は?」
サラは、ドビーが何を言っているのか分からなかった。
ホグワーツへ行ってはいけない? この家にいろと? 如何して?
「何、それ……ドラコが何か言ってたの? それとも、ドラコのお父さん?」
「いいえ! ご主人様は関係無いのです。ドビーめは、勝手にここへいらっしゃったのです。ですから、ドビーめは後で自分の耳をオーブンでバッチンしなくてはいけないのです」
「そんな事しなくていい」という言葉を飲み込み、サラは尋ねた。
余計な事を言えば、ドビーは騒ぎかねないのだから。その苦労は、冬に充分味わっている。
サラは部屋の外に耳を澄ました。大丈夫、皆ぐっすりと寝入っている。
「じゃあ、如何いう事? ホグワーツへ行っちゃいけないなんて……。理由が分からないと、そんな警告聞く訳にはいかないわ。何への警告かも分からないし。
ここの家に、私の居場所は無いのよ。私は、ホグワーツへ行くしかないの。あの場所へ帰らなきゃ」
「駄目です。罠です、サラ・シャノン!」
ドビーは必死で説得しようとしていた。
今年、ホグワーツで恐ろしい事が起こる。サラ・シャノンは危険だ。だから、ホグワーツへ行ってはいけない、と。
「――私の身を案じてくれるのは嬉しいけど、やっぱり駄目よ。ここには誰もいないけど、ホグワーツには大切な友達がいるんだもの」
「手紙もくれない友達ですか?」
ドビーの言葉に、サラの目が細く鋭くなった。
「……如何して、貴方がその事を知ってるの?」
サラのその様子に、ドビーはびくりと肩を震わせる。
「お、怒ってはいけないのでございます。サラ・シャノンは、怒ってはいけないのでございます。ドビーめは、良かれと思ってなさったのでございます」
サラの視線から逃れようと目をあちこちに泳がせながら、ドビーは震える声で言った。
後退しようとしたドビーの肩を、サラはがしっと掴んだ。
「如何いう事? 貴方が私やエリへの手紙を止めていたの? 私達がホグワーツへ行かないように?」
「サラ・シャノンの妹様は大丈夫だと思うのです。でも、サラ・シャノンは今年、ホグワーツへ行ってはならないのです! 危険なのです! 罠です、サラ・シャノン。今年、ホグワーツで恐ろしい歴史が繰り返されようとしているのです
ドビーめは止めねばなりませんでした……。サラ・シャノンに手紙が届かなければ、ご友人から忘れられたと思えば、ホグワーツへ戻るのを諦めるだろうと、ドビーめは考えたのです……。妹様宛の封筒にサラ・シャノン宛が入っている可能性もある為、全ての手紙を捕まえるしかありませんでした」
「じゃあ、エリにも手紙が無かったのは、私が巻き込んだ所為って訳ね」
サラは、苛々した調子で吐き捨てるように言った。
そして、その封筒の中にイギリス宛の物を見つける。プリベット通り12番地――
「ちょっと、それ――まさか、ハリーのも止めていたの!?」
「ハリー・ポッターも罠を仕掛けられているのです。二人共、危険なのです」
サラはドビーに手を差し出す。
「――手紙を返しなさい」
「ホグワーツへ行かないと約束して下さいますか?」
「手紙を返して!」
「約束して下さい、サラ・シャノン!」
サラは右手にある机の引き出しに手をかけ、杖を取り出し先端をドビーに向けた。
「手紙を返しなさいと言ってるのよ。怪我をしたくなければ、直ぐに渡す事ね……」
「ドビーめは、そのような脅しには慣れっこでございます」
「脅しじゃないわ。本気よ。さあ、手紙を返して」
「ホグワーツへ行かないと約束して下さい」
「出来ないわ!」
「では、ドビーめはこうするしかありません」
眩い光が部屋に溢れた。
サラは恐る恐る目を開けた。
サラの部屋は、家の西の駐車場に面している。その壁が、丸ごと無くなっていた。壁だけではない。部屋の半分が、消え去っていた。序でに、ドビーも消え去っている。
まずい、とサラは思った。圭太やナミが起きてくれば、これをサラの仕業だと思わない理由が無い。一体、どんな仕打ちが待っているだろうか。
ナミが魔女であるお陰で、この家で魔法が使われても、ナミだろうと認識される。だから、退学などの心配は無い。
魔法省の認識のみに任せれば。
若しかしたら、これ幸いとサラが魔法を使用したと公にされてしまうかもしれない。ましてや、こんなに大きな被害の出る魔法。大人でも、こんなマグルの住宅街の真っ只中で使用するなんて大問題だ。退学では済まないかもしれない。若しも何処かへ隔離されるような事になれば、彼らは嬉々としてサラが魔法を使用したと話す事だろう。
「……」
サラは口を真一文字に結び、かつては壁があった所をじっと見つめていた。
そして、不意に動き出した。トランクを引っ張り出し、服やら生活必需品やらを詰めていく。足音を立てずに身支度をし、カチューシャとネックレスを身に付ける。
最後に箒を用意しているところへ、声がかかった。
「……何やってんだ、お前?」
エリが起き出したのだった。
時刻は五時半。ドビーが去って、一時間が経った。空は既に明けている。
「何処行くんだよ?」
エリはサラの大荷物を眺め、部屋の奥の壁を見て、目を丸くした。
サラのその様子は、まるで家出でもするのかというような状況だ。大体、何故部屋が半壊しているのだろう?
エリの言い方に喧嘩を買っているような場合ではなかった。サラは、一時間前にあった事を手っ取り早く説明した。
自分達に手紙が来なかったのは、ドビーの所為だという事。ドビーは何かを警告に来たそうで、ホグワーツへ戻らぬようにしたがっている事。
「――ドビーが持っていた手紙は、私達のだけじゃなかったわ。ハリーのが混じってた。ハリーの事も、ホグワーツへ行かせまいとしているのよ……。まずいわ。ハリーの住んでいる家は、マグルの家よ。これ、ドビーがやったの。ダーズリー家で同じ事をすれば、ハリーが魔法を使ったと思われちゃう……退学になってしまうかも。私、止めに行くわ」
「……分かった。俺は何をすればいい?」
サラは、思わず目をパチクリさせた。
エリはムッと口を尖らせる。
「ハリーが退学になるなんて、俺も嫌だからな。でも、俺は箒なんて持ってないし――何が出来るだろう?」
「そうねぇ……それじゃ、ロンの所に手紙を送ってみて。私がここを離れれば、ドビーもここへ届く手紙の横取りはしないかもしれないから。ロンのご両親は魔法使いだわ。何かまずい事になった時に、助けてくれるかもしれない」
エリが力強く頷いたのを確認すると、サラは自分自身に目くらまし術をかけ、箒に跨って飛び出した。
エフィーもシロも帰ってきていない。まずは、それを待たねばならない。
壁、床、天井が半分消えた部屋には、真夏の太陽の光が燦々と降り注いでいる。アリスは風通しの良い廊下から、開け放された室内を眺めていた。
今朝は、ナミ、圭太、エリの騒がしい様子に目を覚ましたのだ。
サラはいなかった。イギリスへ行ってしまったらしい。半壊した部屋を置き土産に残して。
朝食を食べ終わった頃には魔法省の役人がやって来て、部屋を少し調べた。午後に、何人かの作業員で直すそうだ。
エリはサラと何やら話し合ったらしく、帰ってきたふくろう達を世話し、忙しく誰かに手紙を書いている。アリスも何かを手伝おうと申し出たが、何もする事はないと言われてしまった。
虚無感。自分だけ、置いてけぼり。
どうして、自分は置いていかれるばかりなのだろう。サラとエリは、一年生から早速大きな事件に巻き込まれたそうだ。その差は大きい。
入学したら、決して置いていかれるものか。二人はずるい。元々、それぞれに才能があるのだから。
絶対、サラ達になんて負けない。
でも、あの二人は特別だ。
「比べたって、あの二人に勝てる訳がないじゃない……。いつも、前を行っちゃうんだもの……」
喧しく鳴いている筈の蝉の鳴き声は、遠くに聞こえていた。
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The Blood
第1部
希望求めし少女たちは
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2007/04/22