「……っ!?」
サラは弾かれ、数メートル後ろにあった木に突っ込んだ。
そのまま、枝をガサガサ言わせながら落下する。地面に到達し、サラはゆっくりと体を起こした。落下する時に擦ってしまったらしく、膝から血が出ている。
目の前には陰山寺。箒で真っ直ぐ入っていこうとしたら、弾かれてしまったのだ。
「若しかして、何か一定の条件が揃わないと入れない……?」
サラはあちこちに吹っ飛んだ荷物を抱え、門へと近付いていった。
恐る恐る手を伸ばして観音開きの扉に触れる。先ほどのように弾かれる事は無かった。そっと押せば、軋む音を立てながら扉は開いた。どうやら、門以外からは入れなくなっているらしい。
No.32
サラは誰かに捕まる前に、と足早に「漏れ鍋」を出た。去年のように囲まれてしまっては、間に合わなくなってしまう。
夜のロンドンは、昨年のクリスマス休暇を思い出させる。昨年はここまで箒で飛んできて、漏れ鍋からホグワーツへ向かった。
あの時も、一人だった。一人でホグワーツへ向かったサラを、ドラコが迎えに来てくれたのだ。
本当に、ドビーは誰の命令も受けずにやって来たの?
ドビーはホグワーツへ行くなと言った。それは本当に、ドビーが勝手に「忠告」に来ただけ? それとも……。
沸いてくる疑念を、サラは首を振って追い払う。
今はそんな事を考えている場合ではない。一刻も早く、ハリーの家へと行かなければ。
中庭を横切り、煉瓦を叩いて入り口を開く。そしてダイアゴン横丁に一歩入ると、箒に飛び乗って上昇していった。
プリベット通り四番地。
「――ここね」
サラは、開いた窓からダーズリー家へと滑り込んだ。
床に着陸し、大きく深呼吸する。箒で飛ぶのは同じ距離を走るほど疲れはしないが、ずっとスピードを出して飛んでいると息が苦しい。
昨夜寝床に就いたのは遅く、夜中の十二時を回っていた。今朝目を覚ましたのは、四時ごろ。三時間ちょっとしか眠っていない。その上この重労働では、クタクタだ。眠くならない筈が無い。
入った部屋には、殆ど何も無かった。ベッドが一つ、洋服箪笥が一つ。壁際には南京錠を掛けられた鳥籠があり、ヘドウィグが神経質に嘴を鳴らしている。恐らく、ずっと閉じ込められているのだろう。
時計を見れば、夜の九時半。日本時間では、六時半だ。たった一時間しかかかっていない。とは言え、ドビーは「姿くらまし」のようなものをした。ドビーがあの場を離れてから、二時間も経っているのだ。もう手遅れかもしれない。
その時、階下から狂ったような笑い声が聞こえきた。
笑い声の響き具合からして、階段を上がってきている。ハリーも一緒だ。――間違いなく、この部屋に近付いてきている。
サラは、咄嗟に洋服箪笥の中へと隠れた。
――眠い。
少しして、部屋の扉が勢い良く開かれた。
バーノン・ダーズリーはハリーを部屋の中に投げ込むと、勢い良く扉を閉めて階段を降りていった。ハリーは絶望に打ちのめされながら、そのままベッドに倒れこんだ。
皆と連絡を取る方法も無い。魔法を使えば、退学になる。八方ふさがりだ。
サラは、ハリーの薄いコートの隣でぐっすりと眠っていた。
大きな物音で、サラは目を覚ました。
何をしているのか、ガンガンと釘でも打っているかのような音が響いている。
そっと箪笥の戸を開き、部屋の様子を伺う。ハリーはベッドで、こちらに背を向けて眠っている。窓を見れば鉄格子が嵌っていて、音は部屋の扉から聞こえてきていた。
ハリーが、五月蝿そうに寝返りを打った。
どうやら起きていたらしい。とろんとした目と視線が合う。ハリーは何もアクションを起こさない。
ハリーが瞬きをした。ゆっくりと腕を顔の方に持ってきて、目を擦る。それから再び見詰め合い、ハリーはベッドの上の棚に手を伸ばした。手探りで眼鏡を取って、寝転がったままかける。それから目をパチクリさせ、飛び起きた。
「サラ!!?」
それから、ハッとして扉の向こうの様子を伺う。
扉の向こうの音はピタリと止まっていた。
ハリーは何かを察知したらしい。サラにジェスチャーで戸を閉めるように言い、自分は再び布団に潜り込んだ。
サラが箪笥の戸を閉めたのと同時に、部屋の扉が開く音がした。サラは息を殺す。ハリーは狸寝入りを続ける。扉は閉まり、カチャリと音がして、足音が遠ざかっていった。
サラは、そろそろと戸を開いた。ハリーは起き上がり、ベッドに腰掛けていた。
「……それじゃ、改めて……おはよう、ハリー」
「おは――じゃなくて!」
ハリーは声を潜める。
「どうして、サラがそんな所にいるの? 一体、いつの間に?」
「あら。外、明るいわねぇ……」
サラは箪笥から出て、窓を眺めながらハリーの横まで行く。
「――昨晩からよ。ちょっと、寝すぎちゃったわね」
「昨晩、って……」
「昨日、ドビーが来なかった?」
先程までの暢気な様子から一転して、真剣な表情でサラは尋ねた。
ハリーは「うん」と頷く。
「それで閉じ込められちゃったんだもの。――でも、どうして知ってるの?」
サラはふっと溜め息を吐き、ベッドに腰掛ける。
「私の所にも来たからよ。『サラ・シャノンは今年、ホグワーツへ行ってはいけません!』って。部屋を半壊していったわ。
私の所は、お母さんが魔法使いだから良かったけど……ハリーは如何だった? 大丈夫――では、ないのよね。『閉じ込められた』って今、言って――え!?」
サラは、ハリーを振り返った。
「閉じ込められた、って……まさか……」
「ドビーが昨日、叔父さんの商談を目茶目茶にしたんだよ。当然、僕がやったって思ってる。
叔父さん、僕の事閉じ込めるって言ってた。本当だったみたい。ほら、窓に鉄格子が嵌ってるだろう? 部屋の扉にも鍵を付けていったみたいだし」
サラは弾かれたように立ち上がり、部屋の扉まで駆け寄った。
確かに、ハリーの言う通り、鍵が掛かっている。先程聞こえたカチャリという音は、鍵が掛けられる音だったのだ。
「嘘……それじゃ、私も一緒に閉じ込められたって事……?」
「うん」
「……何?」
アリスは、眠い目を擦りながら起き上がった。外はまだ暗い。残業帰りの圭太が、ようやく寝ただろうという時間だ。
エリはそんな時間だというのに眠たげな様子は無く、はきはきと話す。
「俺、これからジニーん家行くから。母さんや父さんに言っといてくれるか?」
「は?」
「昨日の夜、やっと手紙の返事が来たんだ。俺、ハリー救出に行くから」
「ちょ、ちょっと待ってよ。何? 如何いう事なの? あたし、何も説明されてないもの。突然そんな事言われたって、分からないわよ」
「あ、そっか」
エリはポンと手を打つと、背負っていた荷物を降ろした。
「三日前の朝、サラが出て行っただろ? 部屋半壊しててさ。あれやったの、ドビーって屋敷僕妖精なんだって」
「ドビー? 屋敷僕妖精?」
アリスは首を傾げる。聞いた事も無い名前だ。
「ああ。なんか、魔法使いの世話をする魔法界の生物らしい。
そのドビーって奴がやって来てさ、サラに言ったんだ。『今年はホグワーツへ行くな』って。
この夏、サラがいる間ずっと手紙が来なかったのも、シロ達が帰ってこなかったのも、その所為だったんだ。ドビーが手紙を止めてたんだよ。サラに友達からの手紙が届かなければ、ホグワーツへ行きたくなくなるだろうって考えたんだ」
「じゃあ、あたしの入学案内が遅れたり、エリにも手紙が来なかったのは、全部その所為って事? 巻き添え?」
「そうなるな。でも、この際そんな事は如何でもいいんだ。
問題は、ドビーがハリーの手紙も持っていたって事なんだよ。ハリーの話はしたよな?」
アリスは頷いた。
ハリー・ポッター。魔法界の有名人だけど、普通の男の子。昨年、サラや他の友達と一緒に、ヴォルデモートと対決したらしい。エリもサラも、彼と仲が良いとか。
「ドビーが部屋を半壊したのも、サラをホグワーツに行かせない為だったんだ。あんな目立つ魔法を使えば、問題になるだろ? 実際、母さん、問い詰められてたし。
うちは母さんが魔女だったからいいけど、ハリーが住んでるのはマグルの家だ。そんな所で魔法を使ったら、ハリーが使ったんじゃないかって事になる」
「魔法を使っちゃ駄目なの?」
アリスが尋ねれば、エリは肩を竦めた。
「帰ってくるなり、母さんが出せっつった手紙があるだろ。あれに書いてんだよ。夏休み中、家で魔法を使っちゃいけませんって。本当の話か脅しか分からないけど、母さん、未成年が魔法を使ったら違法だ、退学になる、って言ってたし」
「それじゃ、ドビーがハリーの所で魔法を使ったりしたら、ヤバイじゃない!」
「そ。だから、サラは何とか食い止めに行ったんだ。でも、どうなったのか……。
俺はロンに手紙を書いてたんだ。ロンの家は家族みんな魔法使いだからさ。何か、助けになってもらえるかなって。
昨日の七時頃に来たのが、その手紙。今日一日中図書館行ってたのは、地図とか路線とか調べてたんだよ。隠れ穴に行くには、まず陰山寺に行かなきゃなんねぇからな。飛行機なんか使おうものなら、一日じゃ着かねぇし」
「サラは今、何処にいるの?」
「今はもう、隠れ穴じゃないかな。それか、泊まってるのはハリーん家に近い所のホテルか。
大変だったみたいだぜ〜。ハリーと一緒に、部屋に閉じ込められちまったらしいし。ま、シャノンの婆さんにピンで鍵を開ける方法教えてもらってたから、なんとか抜け出したらしいけどな。
ダーズリーの奴、ハリーにひもじい思いさせてるらしくてさ、サラが差し入れしてるんだって。でも、残りの夏休みずっとって訳にはいかないだろ? だから、俺達でハリーを救出しようって事になったんだ」
エリは自慢げに言うと、パンパンに膨れたリュックサックを背負い、鍋やシロの籠を抱え込んだ。
「そういう訳で、母さん達が起きたらよろしくな」
「待って!」
アリスは咄嗟に、駆け出そうとするエリのリュックサックを掴んだ。
「あたしも行くわ!」
もう、置いてけぼりは嫌だ。自分も参加したい。
エリは困ったように笑う。
「んー……。でも、アリスが行ったら、母さん達心配するだろ?」
「エリの事だって心配するわよ。あたしが伝言の為に残らなくても、書置きして行けばいいじゃない。
お願い! あたしも、エリ達と一緒にいたいの。あたしだって、今年からホグワーツ生なのよ? 一人だけ置いてかれるなんて嫌だわ」
「でも、外薄暗いしさ。山道だって歩くし、危ないぜ」
「エリだって一緒じゃない。魔法は使っちゃいけないんでしょ?」
「兎に角、駄目なもんは駄目! アリスを危険な事に巻き込みたくないしよ。ごめんな。ここで伝言頼まれてくれよ。な?」
アリスはムッと口を尖らせた。
これでは、まるで駄々をこねる小さい子みたいだ。
「……分かったわ。でも、今回だけよ」
「ああ。ホント、ごめんな」
エリは苦笑すると、気を取り直し、部屋を飛び出していった。
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The Blood
第1部
希望求めし少女たちは
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2007/05/06