「きゃっ!」
 小さな悲鳴に振り返れば、ネグリジェ姿の小さな赤毛の女の子が台所を飛び出していく所だった。
 エリはきょとんとし、誰にともなく尋ねる。
「どうしたんだ? ジニーの奴」
「ジニー?」
「妹だよ」
 首を傾げるハリーとサラに、ロンが説明する。
 ああ、そういえば、とサラは思う。確か、夏休み前、キングズ・クロス駅でエリと話していた子ではないだろうか。
「夏休み中ずっと、君達の事ばかり話してたよ。特にハリーにはお熱だったな」
「ああ、ハリー、君のサインを欲しがるぜ」
 フレッドはニヤッと笑ったが、ウィーズリー夫人と目が合うと俯き、朝食を食べる事だけに集中した。
 ウィーズリー夫人の怒りは凄まじく、ハリー達客人のパンにバターを塗りだすまで、ずっと鬼の形相で怒鳴っていた。
 その後は全員黙々と朝食を食べていた。誰一人――お喋りなエリでさえも――喋る者は、いなかった。





No.34





「なんか、疲れたな」
 食事を終えたフレッドは、欠伸をしながら言った。
「僕、ベッドに――」
「行きませんよ」
 ジョージの言葉は、ウィーズリー夫人に遮られた。
「夜中起きていたのは、自分が悪いんです。庭に出て、庭小人を駆除しなさい。また、手に負えないぐらいに増えてるわ」
「ママ、そんな――」
「お前達二人もです」
 彼女はロンとフレッドを睨み付け、それからハリー達に向かって微笑んだ。
「ハリー、サラ、エリ。貴方達は上に行って、お休みなさいな。あのしょうも無い車を飛ばせてくれって、貴方達が頼んだ訳じゃないもの」
「エリはそうでもなさそうだけどね」
 サラは、ぼそっと呟いた。エリは聞こえなかったふりをする。

「僕、ロンの手伝いをします。庭小人駆除って、見た事がありませんし……」
「私も手伝います。睡眠なら、車の中で充分に取りましたから」
「俺も! 特にする事もねぇし、寝ててもつまんないし」
「まあ、優しい子達ね。でも、つまらない仕事なのよ。
さて、と。ロックハートが駆除の方法をどう書いてるのか、見てみましょう」
 暖炉の上には、本を積み重ねた山が三つある。ウィーズリー夫人はその中から、一冊の分厚い本を引っ張り出した。
 「ギルデロイ・ロックハートのガイドブック――一般家庭の害虫」。無駄に装飾された金文字で、でかでかと書かれている。表紙では、一人の魔法使いがウィンクを連発していた。
「ママ、僕達、庭小人の駆除のやり方ぐらい、知ってるよ」
 ジョージの文句も耳に入らぬ様子で、ウィーズリー夫人は表紙の写真に笑いかける。
「ああ、彼って素晴らしいわ。家庭の害虫について、本当によくご存知。この本、とてもいい本だわ……」
「ママったら、彼にお熱なんだよ」
「フレッド、馬鹿な事を言うんじゃありません」
 フレッドの聞こえよがしな囁き声に言い返したが、彼女の頬はほんのりと紅かった。
「いいでしょう。ロックハートよりよく知っているというのなら、庭に出て、お手並みを見せて頂きましょうか。あとで私が点検に行った時、庭小人が一匹でも残っていたら、その時後悔しても知りませんよ」





 欠伸を噛み殺し、文句を垂れながら、ウィーズリー三兄弟はだらだらと外に出た。ハリー、サラ、エリは、その後に従った。
 庭は、陰山寺の中庭並みに広かった。陰山寺の場合、砂利が波のような模様を描いて敷き詰められ、木々は整えられ、走り回る事が躊躇われる。サラやエリの庭のイメージには、ここ、隠れ穴の庭の方がぴったりだった。雑草が生い茂り、芝生は伸び放題。塀の周りは曲がりくねった木でぐるりと囲まれ、花壇という花壇には見た事もないような植物が溢れんばかりに茂っていたし、緑色の大きな池は蛙でいっぱいだった。

「マグルの庭にも、飾り用の小人が置いてあるんだけど……知ってるよね?」
 芝生を横切っている最中、ハリーがロンに話しかけた。
「ああ。マグルが庭小人だと思ってる奴は見た事があるよ」
 ロンは腰を曲げボタンに似た花の茂みに首を突っ込みながら、答えた。
「太ったサンタクロースの小さいのが、釣竿を持ってるような感じだったな」
 突然、ドタバタと荒っぽい音がして、茂みが震えた。
 体を起こしたロンは、手にゴワゴワしたものを掴んでいた。
「これぞ、本当の庭小人なのだ」
 ロンは、重々しく言った。
「放せ! 放しやがれ!」
 小人はキーキーと喚きたてる。どう間違っても、サンタクロースに似ているとは言えない。小さく、ゴワゴワしていて、ジャガイモによく似た凸凹の大きな頭は禿げている。
 硬い小さな足でロンを蹴飛ばそうと暴れるからか、ロンは腕を伸ばして小人を掴んでいた。

 ロンが小人の足首を掴んで逆さまにぶら下げ、ハリーもエリもぎょっとする。
「こうやらないといけないんだ」
 ロンは、小人が喚くのも構わず頭上に持ち上げ、投げ縄を投げるように大きく円を描いて小人を振り回し始めた。流石に、サラも唖然とする。
 ショックを受けている三人に、ロンが説明した。
「小人を傷つける訳じゃないんだ。ただ、完全に目を回させて、巣穴に戻る道が分からなくなるようにするんだ」
 ロンが小人の踵から手を放すと、小人は宙を飛び、五、六メートル先にある垣根の外側の草むらにドサッと落ちた。
「それっぽっちか!」
 フレッドだ。
「俺なんか、あの木の切り株まで飛ばしてみせるぜ」
「よしっ。俺もそれぐらい飛ばしてやる!」
 負けず嫌いなエリは競争心が沸いて来たらしく、早速茂みに首を突っ込んだ。
 どのような所に庭小人は多いのだろう? サラは、少し皆の様子を眺めてみる。

 エリはガサガサと無駄に音を立てる所為か、なかなか一つ目が捕まらない。ハリーの方が先に、一つ目の庭小人を捕獲した。
 ハリーはやはり小人を投げる事に抵抗があるのか、その小人を垣根の方までもって行く。そして垣根の向こうにそっと落とそうとした途端、ハリーの短い悲鳴が上がった。庭小人がハリーに噛み付いたらしい。
 ハリーは振り払おうと腕を振り回す。だが、小人はなかなか離れない。散々てこずった末、小人は力尽きて飛んで行った。ロンがそれを見て、感嘆の声を上げる。
「ひゃー。ハリー、十五、六メートルは飛んだぜ……」
 その時、少し離れた所でエリの歓喜の声がした。
「やった! なあ、今、見たか? フレッドが飛ばしたの、あの木の切り株だろ? それを越えたぜ!」
 残念ながら、エリの新記録を見た者はいなかった。








「アリスちゃん?」
 突然名を呼ばれ、アリスは振り返った。
 今日は、学校で水泳のある日だ。プールバッグを抱え、玄関の戸に鍵を掛けている時の事だった。
 門の前に立っているのは、エリの彼氏の俊哉だ。
「あら。久しぶり、俊哉君。エリに用?」
「ああ、まぁ……。でも、いないのかな」
 真夏だと言うのに窓は全て締め切り、アリスは鍵を掛けている。誰か家にいるとは到底思えなかった。
 アリスは頷く。
「うん。ちょっと、出かけてて……。でも、仕方ないの。イギリスの友達が、親戚に監禁されてるんだって。エリもサラも、彼を助けに行ったわ」
 俊哉の眉がピクリと動いたので、アリスは「しまった」と思った。だが、もう遅い。
「『彼』? 助けに行った友達って――男なの?」
 変に隠せば、後々ばれた時に厄介な事になるだけだ。
 マグルの下へふくろう便を送るわけにはいかない。その為、結局昨年度、エリは一通も俊哉に手紙をよこさなかった。クリスマス休暇には帰ってきたものの、俊哉の家の都合で入れ違いになってしまった。夏休み中、エリは毎日のように遊びに出かけていた。だがその日数は、俊哉、留美、その他の友達で分割される。一年中顔も合わさず、手紙のやり取りさえしなかったのだから、これは少ないぐらいだ。
 別に執念深かったり束縛するような男でなくとも、その上彼女が他の男を助けに行ったとなれば、面白くないだろう。

 まだ、その「彼女」を想っているのなら。

 既に、二人の関係は崩壊しつつある。俊哉はまだエリに言えずにいるらしく、未だ二人は付き合っている。とは言え、破局は目に見えている。
 問題は、俊哉がこの事まで分かれる言い訳にしてしまわないかだ。エリは責められれば、それを鵜呑みにするだろう。自分を責めるだろう。いっそ、俊哉がはっきりと「もう好きじゃない」とでも言ってくれた方がずっといい。俊哉に言い訳が増えるだけ、エリは自分を責め、傷つく事になる。
「うん。男の子だよ。でも、ただの友達でしかないから心配ないってば! それに、サラも一緒だもの」
 俊哉は黙り込む。
 帰る素振りも見せない事に、アリスは少し焦りだす。あまり長引くと、クラスメイトとの約束の時間に遅れてしまう。
「あの……そろそろ、いい? あたし、今日、プールなの。友達と約束してるから……」
「ああ、そっか。ごめんね」
 アリスは会釈をし、その場を離れようと背を向けた。

 数歩進んだ所で、背後から声がかかった。
「一つだけ、聞きたいんだけど……。
留美が言ってたんだ。アリスちゃんってさ、何ていうか……本当は、結構しっかりした所があるんだって? 別に、普段しっかりしてないって訳じゃないけど……何て言ったらいいのかな……」
 アリスは振り返り、にっこりと笑う。
「本人に伝えにくい言い方だったの? いいよ、別に。そのままの言葉で言っても。ただ、例え方が難しかったってだけでしょ?」
 アリスの笑顔にホッとし、俊哉は尋ねた。
「うん、じゃあ……。あ、でも別に、留美がアリスちゃんを嫌いって訳じゃないからな?」
「分かってるよ」
 頷き、続きを促す。
「アリスちゃん、普段は猫かぶってるって……本当のアリスちゃんは、言い返す言葉も見つからなくて、怖いって」
 アリスは、「ふーん」と言っただけだった。特に傷つく様子も、怒る様子も見えない。

「でも、なんでそれをあたし本人に確認しようと思ったの? なんで留美ちゃんはそんな事を言ったの?」

 アリスは、無邪気な笑顔だった。
「あたし、お姉ちゃんの妹なのに。俊哉君の彼女の妹だよ? 自分の親友の妹だよ? それなのにさ……。
俊哉君も、普通ならこういうのってお姉ちゃんに聞くよね。
二人で、こそこそ陰で話して。お姉ちゃんを交えないで、あたしに聞いてさ……」
 アリスの表情から、笑顔が消えた。
「二人共、エリを如何しようとしてるの?」
 喧しく鳴いていた蝉の声が途切れる。
 少し離れた所にある大通りを車が往来する音が、微かに聞こえてくる。

「じゃあね。あたし、ほんとに遅れちゃう」
 アリスは今度こそ俊哉に背を向け、角を曲がって見えなくなった。








「……」
「……」
 庭小人の駆除をしている最中、アーサー・ウィーズリーが帰ってきた。
 ウィーズリー氏について、子供達は家の中へ戻った。そこでウィーズリー氏と夫人の喧嘩になり――正確には、ウィーズリー夫人の怒りの矛先が夫に向いたのだが――ハリーはロンの部屋へ、サラとエリはジニーの部屋へと避難したのだった。
 扉の所にはジニーが立っていて、部屋の外の様子を伺っていた。ハリーと目が合って扉を閉めたのだが、直ぐにエリがサラと共に部屋へやってきた。
 エリが互いを紹介したのだが、ジニーは真っ赤になって俯いたままだ。サラは居心地の悪さを感じ、恐る恐る声をかける。
「えーっと……よろしくね、ジニー」
 ジニーはこくりと頷く。それから、やっと彼女は口を利いた。
「初めまして。その……えっと……私……」
「いいわよ。そんな、気負いしなくったって」
 サラは微笑み、荷物の整理を始める。
「なあ、ジニーってさ、ハリーの事好きなのか?」
 何の脈絡も無く、単刀直入に尋ねるエリに、サラは冷たい視線を送る。エリは兎も角、サラは大してジニーと仲が良いという訳ではない。そういう話は、二人だけの時にすればいいのに。
 ジニーはと言うと、耳まで真っ赤にして俯いている。
 サラは呆れたように溜め息を付いた。
「エリ。唐突過ぎるわよ。部屋には、ジニーとまだ会って二回目の私だっているのに」
「でも、どちらにせよ、ジニーの態度見りゃ誰だって分かるじゃんか。今更隠す事もねぇだろ」
「エリは、好きな人っていないの?」
 ジニーが、自分の事を誤魔化すかのように聞いた。
 一瞬、奇妙な間が空く。
「……いるよ。つき合ってるし。そういや、ジニーには言った事無かったかな」
 今の間は何だったのだろう?
 サラは内心首を傾げたが、エリの次の言葉でそんな事はどうでも良くなった。
「サラもいるよなー。かなり趣味悪いけど」
「如何いう意味よ。私が誰を好きだって言うの?」
 サラが噛み付くように言えば、エリはニヤッと笑って言った。
「ドラコ・マルフォイ。でも、ま、性格の悪い者同士、お似合いかもな――」
「別に、好きじゃないわ」
「ドラコ・マルフォイ? ルシウス・マルフォイの息子の?」
 ジニーはこれ以上は無いというほど目を大きく見開き、サラとエリを交互に見る。
「多分な。なんで、あんな奴がいいんだか……」
「違うと言っているでしょう」
 再度否定したサラの声は、何処までも冷たかった。
 ドビーを仕掛けたのは誰なのか。
 ルシウス・マルフォイが元死喰人だったと聞いて、疑惑は確信となった。闇の陣営であったような者が、こんなしょうも無い仕打ちをする筈が無い。
 そうなると――仕掛けたのは、ドラコ。
「私にとって誰かが特別になるなんて、あり得ないわ。当然ドラコも、ただの友達でしかない」
 サラは荷物の整理もそこそこに、部屋を出て行った。
 ジニーは目をパチクリさせる。
「――如何したの? 何かあったの?」
 エリは、サラが出て行った扉を一瞥した。
「……やっぱり、ドビーの主人に心当たりがあるみたいだな」

 部屋を出たもののする事もない。サラは、ハリーとロンの所へ向かう事にした。
 ロンの部屋へと階段を上がりながら、サラは物思いに耽る。
 何故、ドラコがサラまでもを学校へ来させまいとしたのかは、分からない。だが、善意でないことは確かだ。ハリーへの応対と同じく……。
 好きではない。決して、誰かを特別に想ったりなんてしない。
 まただ。依存しないと、何度も自分に言い聞かせているのに、どうしても油断してしまう。
 傷ついたりなんかしない。サラはドラコを敵視とまでは言わずとも、信用もしない。信用しなければ、ドラコも裏切りようが無い。
 自分は、ハリーと同じように、ドラコに嫌われていた? それが何だと言うのだ。元々、単なる表面上の友人でしかない。その程度の仲なのだから、嫌われようと気にしない。
 辛くなどない。


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2007/05/25