「隠れ穴」へ来て、一週間ほど経った水曜日の朝。
ウィーズリー夫人は子供達を早い時間に起こした。ダイアゴン横丁へ行くのだ。
ウィーズリー夫人は暖炉の上にある植木鉢を手に取り、中を覗く。
「アーサー、大分少なくなってるわ。今日、買い足しておかないとね……。
さーて、お客様からどうぞ! ハリー、エリ、サラ、誰から行く?」
ハリーが一人、困惑して尋ねる。
「何をするのか、僕分からないんだけど……」
「そっか。ハリーは煙突飛行粉を使った事がないんだ。それじゃ、サラかエリが先に行った方がいいんじゃないかな」
「一度も使った事がないのかね?」
ウィーズリー氏の言葉に、ハリーは頷く。
「それじゃ、去年はどうやってダイアゴン横丁まで学用品を買いに行ったのかね?」
「地下鉄に乗りました」
ウィーズリー氏は感嘆し、身を乗り出す。
「エスカペーターとかがあるのかね? それは、どうやって――」
「アーサー、その話は後にして。
ハリー、煙突飛行って、それよりずっと速いのよ。だけど、一度も使った事がないとはねぇ」
「それじゃあ、私が先に行きます」
サラが名乗り出た。そして、ちらりとエリを見る。
「――エリだと、また失敗する可能性もあって、手本にならないでしょうし」
「お前はいつも一言多いんだよ。そんなんだから、嫌われるんじゃねーの」
サラの表情は変わらない。僅かに眉を顰めただけだった。
ウィーズリー一家とハリーは、一触即発の雰囲気にただおろおろとするばかりだ。
「……何の話? 入学前ほど回りに嫌われてはいないって自負してるけど」
「どうだかな。結局、素は変えられるもんじゃないだろ。実際、サラだってハリーと同じように濡れ衣着させられる所だったんだし?」
サラは答えず、鉢から粉を取り、暖炉へ撒いた。火の色が変わったと見るや、直ぐにその中に飛び込む。
「ダイアゴン横丁」
嫌われる心当たりは、あり過ぎるぐらいだった。
――元々、表面上の友達でしかない。傷ついてなんかいない。
そう、自分自身を誤魔化すしかなかった。
No.35
エリは、今回は迷う事無く漏れ鍋へと到着した。だがしかし、ハリーが他所へ行ってしまったらしい。ウィーズリー夫人の心配ぶりと言ったら、半端ではなかった。
そして今、サラ達は手分けしてハリーを探し回っている。
サラがグリンゴッツの所まで来ると、声がした。
「やあ。サラじゃないか!」
サラは一瞬、表情を凍らせる。まだ、心の整理はついてない。
気づかなかったふりをして人混みに消えようとしたが、直ぐに紛れられるほど込み合ってはおらず、ドラコはこちらへ来てしまった。
「偶然だね。サラも今日、教科書を買いに来てたんだ」
「ええ、まあ……」
「サラの所へ何度か手紙を送ったんだ。どうして返してくれなかったんだ? 今日も、一緒に行こうと誘っていたのに」
何を白々しい。
あくまでも、味方を装うつもりなのだろうか。小学校の教師達のように。
そう思っても、問い詰めるのには気が引けた。ドラコがドビーを仕向けたという疑念が、真実となるのを恐れたのかもしれない。
「私、家にいなかったから。今、ウィーズリー家でお世話になってるのよ」
サラの話に、ドラコは嫌そうな顔をした。
ロン達ウィーズリー家を貶したい衝動に駆られるが、そんな事をしてもサラが嫌な思いをするだけだ。だが、それでも面白くない事は確かだ。
「それじゃ、今度また家にも来るといい。今年は無理そうだけど……でも、来年にでも」
「ありがとう」
サラは微笑んだが、心からの笑みではなかった。
ドビーを使った作戦は失敗した。だが、これで引くとは限らないのだ。来年までには、サラとハリーを退学させるという事だろうか。
「せっかくだから、サラ、一緒に回らないか? 父上に頼んでみるよ――」
「ごめんなさい。私、他の人と来てるから」
「ウィーズリーか?」
ドラコの反応は早かった。
サラは頷く。
「ええ。あと、ハリーとエリも。ハーマイオニーと落ち合う約束をしてるわ」
ドラコの気に食わないメンバーのオンパレードだった。サラがウィーズリー家に泊まっているという事さえ腹立たしいというのに。
「……そうか。ポッターやグレンジャーは、サラがウィーズリーの所にいる事を知ってたんだな」
「だって、ハリーは一緒に行ったんだもの。ハーマイオニーは知ってた訳じゃなくて――ドラコ? ちょっと。如何したのよ!」
ドラコはサラの話も聞かず、父親の下へと戻っていった。
何故、こんなにも腹立たしいのか、苛々するのか、分からない。だが、それ以上サラからハリー達の話を聞くのは我慢がならなかった。
だが、サラにはそんな事、分かる筈も無かった。
何なのよ、まったく……。
ドラコがいなくなり、サラはグリンゴッツの階段の日陰に腰掛けていた。ハリーが他所へ行ってしまったのならば、それはダイアゴン横丁とは限らない。こんな所で探し回るよりも、一刻も早く帰り、煙突飛行ネットワークの使用履歴を調べた方が早いのではないだろうかと思う。ましてや、ウィーズリー氏は魔法省に勤めているのだから。
暫くその場で涼んでいると、サラは見覚えのある栗色の髪を発見した。
「ハーイ、ハーマイオニー!」
「サラ!」
ハーマイオニーはサラの方へと駆け寄った。サラは、ハーマイオニーと一緒にいる両親に軽く頭を下げる。
ハーマイオニーはサラを示し、両親に紹介した。
「サラ・シャノンよ。ほら、話したでしょう? 友達の」
「こんにちは」
二言、三言交わすと、グレンジャー夫妻はハーマイオニーに「先に両替をしてくる」と言い、グリンゴッツへと入っていった。
ハーマイオニーはキョロキョロと辺りを見回している。
「皆は? 一緒じゃないの?」
「ええ。ハリーを捜索中よ。煙突飛行粉で別の所に行っちゃったみたい」
「まあ……! 何処にいるか、見当はついてるの?」
「全く。私は、ハリーがどんな間違え方をしたのかも聞いてないし……」
「そんな! 貴女、それで如何してそんなに落ち着いてるのよ!? 煙突飛行の先には、本当に色々な所があるって、貴女も知ってるでしょう? 危険な目に遭ってるかも知れないのよ! 『煙突の危険』や『冒険と化したショッピング』、読んだ事ない? 『煙突の危険』に出た失敗の一つじゃ、人が圧力に耐えられないような深海に行っちゃって――」
「でもあれは、小説でしょう?」
「その二冊はエッセイよ! 実話だわ。
ああ、大丈夫かしら、ハリー……。サラ、私も捜すわ!」
そう言って、上がってきた階段を駆け下りようとするハーマイオニーを、慌てて引き止める。
「待って。それじゃ、その前にハーマイオニーのご両親に一言言わなきゃ――」
サラの言葉が途切れた。ハーマイオニーの肩越しに、探していた人物を発見したのだ。
ハーマイオニーは怪訝気にする。
「どうしたの? サラ」
「あれ――ハリーじゃない? ほら、ハグリッドと一緒にいる」
言われ、ハーマイオニーは振り返る。
ハグリッドは見間違えようがない。そして、その巨体に見え隠れしながら、くしゃくしゃの黒髪の少年がついて来ていた。
ハーマイオニーの表情がみるみると輝く。
「間違いないわ。ハリーよ!
ハリー! ハリー! ここよ!!」
ハーマイオニーはそう叫ぶと、そちらへ向かって階段を駆け下りて行った。サラも後へと続く。
ハリーは煤だらけで、眼鏡も割れていた。
「眼鏡を如何しちゃったの? ハグリッド、こんにちは……ああ、また二人に会えて、私とっても嬉しい……」
グリンゴッツ前は、先程よりも人が増えていた。
人混みの中から、ロン、エリ、フレッド、ジョージ、パーシー、ウィーズリー氏が駆けて来た。
「ハリー」
ウィーズリー氏は喘ぎながら話しかけた。
「せいぜい、一つ向こうの火格子まで過ぎたくらいであればと願っていたんだよ……」
話しながら、額の汗を拭う。
「モリーは半狂乱だったよ――今、こっちへ来るがね」
「何処から出たんだい?」
ロンの質問に答えたのは、暗い顔をしたハグリッドだった。ハグリッドはただ一言、答えた。
「夜の闇横丁」
「すっげぇ!」
フレッドとジョージが同時に叫んだ。ロンも羨ましそうにする。
「僕達、そこに行くのを許してもらった事ないよ」
「そりゃあ、その方がずーっとええ」
「ノクターン横丁って?」
エリは目を輝かせて、フレッドとジョージに尋ねる。双子は意気揚々と説明しようとしたが、ウィーズリー氏に遮られた。
「闇の魔術に関する物が数多く売ってる商店街だよ。あんな所へは行かない方がいいに決まっている」
サラはハリー達が来た方向を眺めた。確か、ドラコとマルフォイ氏もこちらから来はしなかったか……。
ウィーズリー夫人が、片手にハンドバッグ、片手にジニーをぶら下げて走ってきた。
「『ボージン・アンド・バークス』の店で誰に会ったと思う?」
ハリーの煤も払われ、眼鏡も直され、ハグリッドと別れた。
そしてグリンゴッツの階段を上りながら、ハリーはロン、サラ、ハーマイオニーの三人に問いかけた。少し先では、エリが双子と何やら話しこんでいる。
「ドラコとそのお父さん? さっきハーマイオニーと会う前、ハリー達が来た方から二人が出てきたわ」
ハリーは頷く。
ウィーズリー氏が耳ざとく聞きつけ、厳しい声を上げた。
「ルシウス・マルフォイは、何か買ったのかね?」
「いいえ、売ってました」
「それじゃ、心配になった訳か。ああ、ルシウス・マルフォイの尻尾を掴みたいものだ……」
「アーサー、気をつけないと」
ウィーズリー夫人は警告するように言った。
小鬼がお辞儀をし、一行を銀行内に招き入れる。
「あの家族は厄介よ。無理してやけどしないように」
「何かね。私がルシウス・マルフォイに敵わないとでも?」
サラは複雑な気持ちだった。確かに、闇の魔術に属する製品を所持しているのは問題だし、かつて死喰人だったというのが本当なら、決して許される事ではない。
だが、ルシウス・マルフォイはドラコの父親だ。ウィーズリー氏の仕事での活躍は喜ばしい事でも、マルフォイ氏が捕まってしまうのはドラコの為にも嫌だった。
ウィーズリー氏はムッとした調子で言ったが、グレンジャー夫妻に気づくとすっかり気を良くし、嬉しそうに呼びかけた。
「なんと、マグルのお二人がここに! 一緒に一杯如何ですか! そこに持っていらっしゃるのは何ですか? ああ、マグルのお金を換えていらっしゃるのですか。モリー、見てごらん!」
そこでエリはハッと気がついた。
「どうしよう……。俺、金庫の鍵、母さんが持ってる」
「お小遣いとかは持って来てないのかい?」
フレッドの質問に、エリは首を振る。
「持ってきてるけど、駄目だ。日本円だよ。先にマグルの所でこっちの国の金に換えなきゃ……」
言いながら、サラの方を見る。
サラに借りを作るのは何としても避けたいが――こればかりは、仕方が無い。
「サラ〜。サラお姉ちゃーん」
エリはへらっと笑い、サラに近付く。サラは鳥肌が立つのを感じ、後ずさりする。
「な、何よ。君が悪いわね」
「……サラお姉ちゃんは金庫の鍵、自分で持ってるよね?」
「いい加減、普通の話し方にしてくれる? って言うか、たかるつもり?」
「お願〜い。シャノンのお婆さんの金庫だったら、一人分ぐらい増えても余裕でしょぉ〜? もちろん後で返すからさ〜」
「気持ち悪いって言ってるでしょう! いい加減にしないと貸さないわよ!!」
「じゃ、貸してくれるんだな? サンキュー、サラ――!!」
サラは、深い溜め息を吐いた。
お金を金庫から出し、サラはハリー、ハーマイオニー、ロンと、エリはフレッド、ジョージ、それからグリンゴッツを出た所で会ったリー・ジョーダンと共にそれぞれ行動した。
アイスクリームを買い、クィディッチ用具店の前で動かなくなったロンを引き剥がし、文房具を買い、悪戯専門店でエリ達四人に会い、雑貨屋へ行き、一時間後にはフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店へ向かった。ここで、皆と落ち合う予定だ。
フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店は、異常なまでに込み合っていた。
その原因は、店に掛かった横断幕に、無駄に大きく書かれていた。
『サイン会 ギルデロイ・ロックハート
自伝「私はマジックだ」 本日午後十二時〜四時半』
「本物の彼に会えるわ!」
ハーマイオニーは黄色い声を上げた。
「何? ハーマイオニーも、彼のファンなの?」
サラが呆れたように尋ねると、ハーマイオニーは言い訳するかのように言った。
「だって、彼、リストにある教科書を殆ど全部書いてるじゃない」
人だかりの殆どは、ナミより少々年齢が上の層の魔女ばかりだった。店の扉の所に当惑顔の魔法使いが一人立ち、列の整理を行っているが、全く持って意味をなさない。
四人は人垣を押し分けて中に入った。
店の奥まで列は長く続いていて、その先ではギルデロイ・ロックハートがサインをしている。四人は教科書指定の一冊を平積みにされた所から取り、ウィーズリー一家とグレンジャー夫妻の所にこっそりと割り込んだ。
「まあ、良かった。来たのね」
ウィーズリー夫人は息を弾ませながら、髪を手櫛で念入りに整える。
「もうすぐ彼に会えるわ……」
段々と、ギルデロイ・ロックハートの姿が近付いてくる。
彼の座る机の周りには、自分自身の写真がぐるりと貼られている。写真の中のロックハートは人垣に向かって、歯磨き粉のCMのような白い歯を輝かせ、ウィンクをしていた。実物は瞳の色と同じ勿忘草色のローブを着て、波打つ髪に三角帽子を斜めに被っている。よくも落ちないものだ。
「うわぁ……ナルシストっぽい奴だな……」
エリは、ウィーズリー夫人に聞こえぬように呟いた。
いかにも短気そうな小男が周囲を踊り回り、体にそぐわぬ大きな黒いカメラで写真を撮っている。思わず目を閉じるような眩しいフラッシュを焚く度に、紫の煙がポッポッと上がる。
「そこ、どいて。日刊予言者新聞の写真だから」
カメラマンはアングルを良くしようと後ずさり、ロンに向かって唸るように言った。
ロンはカメラマンに踏まれた足を摩りながら、顔を顰める。
「それがどうしたって言うんだ」
ロンの声に反応して、ロックハートが顔を上げた。ロンにやった視線は、そのままハリー、サラへと移される。
ロックハートは二人を交互にじっと見つめ、それから勢い良く立ち上がって叫んだ。
「もしや、ハリー・ポッターとサラ・シャノンでは!?」
興奮した囁き声が満ち、人垣が割れ道を開けた。ロックハートが列に飛び込み、ハリーの腕を掴む。サラはウィーズリー夫人とエリの背後に隠れようとしたが、エリに態と動かれ、逃げる間も無く、ハリーと共に正面に引き出された。
「シャイな子ですね。さあ、二人共にっこり笑って!」
人垣は拍手し、カメラマンはシャッターを切りまくる。ハリーは真っ赤になり、サラは能面のような表情だった。
「一緒に写れば、君達と私とで一面大見出し記事ですよ」
「そりゃあ、平和でよろしい事」
サラの皮肉は、ロックハートの耳には聞こえなかった。
やっとロックハートが手を放してくれたのは、サラの呪文でカメラマンが後ろに大きく転倒した時だった。これだけ人が多い所では、魔法を使った者の特定は不可能だろう。そもそも、カメラマンのこけ方に不審な点は無かった。エリ以外の誰もが、カメラが大きすぎてこけたのだと思った。
二人はそそくさとウィーズリー一家の所へ戻ろうとしたが、ロックハートは二人の肩に腕を回し、自分の傍に締め付けた。投げようにも、そんな事をすれば大混乱だし、ハリーまで巻き込んでしまう。
「皆さん。なんと記念すべき瞬間でしょう! 私がここ暫く伏せていた事を発表するのに、これほど相応しい瞬間はまたとないでしょう!
ハリー君とサラ嬢は本日、私の自伝を買う事だけを欲し、フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店に足を踏み入れたのであります――」
「読書用に他の本だって買うつもりだったわ」
サラは、観衆には聞こえぬ程度の声で低く吐き捨てた。
ロックハートには聞こえただろうが、全くそのような素振りは見せずに続ける。
「それを今、喜んで彼らにプレゼント致します。無料で――」
人垣の、鬱陶しい拍手。
「――もちろん、彼らは思いもしなかった事ではあります――」
教科書はエリに渡そうと思った。それなら、現金の貸し借りは無しで済む。
ロックハートの演説はまだまだ続く。
「間も無く彼らは、私の本『私はマジックだ』ばかりではなく、更に良い物をもらえるでしょう。彼らもそのクラスメートも、実は、『私はマジックだ』の実物を手にする事になるのです。
皆さん、ここに、多いなる喜びと、誇りを持って発表致します。
この九月から、私はホグワーツ魔法魔術学校にて、『闇の魔術に対する防衛術』担当教授職をお引き受けする事になりました!」
「そんな!」
エリの叫んだ声は、その他の人々の歓声と拍手に掻き消された。エリはそれまで、前に引き出されたサラを意地悪く笑いながら眺めていた。
サラとハリーはロックハートの全著書を押し付けられ、帰ってきた。ハリーは、部屋の隅へと逃げる。そこにはジニーが、買ったばかりの大鍋の傍に立っていた。
サラはエリの方へとやって来た。そして、渡された本をエリに押し付ける。
「何のつもりだよ」
「あげるわ。これで、現金の貸し借りは無しで済むでしょう」
「教科書以外はいらねぇよ」
「セットよ。私、ロックハートの書物は興味ないのよね。つまらないんだもの。なんだか、やたらと自分を美化してて」
エリは舌打ちしながらも、その本を受け取った。一つに積み上げた本をサラが持つと、彼女の頭を越えていた。
「ほっといてよ。ハリーが望んだ事じゃないわ!」
ジニーの叫ぶ声がして、サラとエリは振り返った。
ドラコがハリーに絡んでいる所だった。
「ポッター、ガールフレンドが出来たじゃないか!」
既に、エリはサラの隣にはいなかった。背後から、ドラコの肩をがしっと掴んでいる。
「おい。お前、喧嘩なら俺が買ってやろうか」
「エリ!」
叱咤する声は、サラのものではなかった。
本棚の陰から、ナミが現れた。アリスの学用品を、アリスと手分けして持っている。
「ちょっとこっちへ来てくれる? しっかり説明してもらわなくちゃ」
ナミは微笑み、穏やかな口調で言った。そして、その背筋が凍るような笑顔をサラの方へ向ける。
「サラもだよ。特にサラは、素晴らしい書置きだったものねぇ……」
「あれは私じゃない」
そう言いたかったが、どちらにせよ、今のナミには何の効果も無い。
サラとエリは顔を見合わせ、観念してナミの後について行く。
「あれ。サラとエリ、何処へ行くんだい?」
その場を離れる際、教科書を抱えたロンとハーマイオニーとすれ違った。エリが、魂の抜けた声で答えた。
「母さんのお呼び出しデス……」
「何の説明も無しに、突然いなくなって……伝言を残した? ふぅん。つまり、何処行くかだけ言っておけば、未成年が無断外泊して良いと? 例え危急の用件でも、落ち着いてから連絡する事ぐらいは出来たよねぇ……?」
ナミは怒鳴る事もなく、穏やかな笑みを浮かべてただ淡々と話す。
アリスはその傍らで、我関せずといった様子で買ってもらった黒猫と戯れている。
「元々、貴女が冷たい性格だから、嫌われて屋敷僕妖精なんて仕掛けられるんじゃないの? サラ? 原因はあんただよ。他人に仕掛けられた? 普通にしていれば、仕掛けられる事もないじゃない。
分かってる? 私は好きであんたを引き取った訳じゃないの。サラなんか我が子とも思ってないし、実際、あんたを捨てると同時に私は親権を放棄した。赤の他人のあんたに、如何してこんなに迷惑をかけられなきゃいけないんだか……」
「……」
いつもと同じ台詞だった。今更何を言われようと、何とも思わない。
それよりも、前半の言葉の方が応えた。
「で、エリ? あんたは一体どういうつもりなの。アリスに『危険だ』って言って止めたらしいけど、エリだって同じでしょう。多少力があるからって、自惚れてるの? 魔法は使えないし、大人の男には力も敵わないと思うんだけどねぇ……何も無かったから良かったものの、変な人にでも会ってたら、どうするつもりだったの。不良にでも絡まれたら、どうするつもりだったの。ハリーの為に行った? ハリーの事は気遣っても、家族の事は何にも考えなかったんだね?」
そしてナミはふっと溜め息を吐いた。
「まったく……。兎に角、これ以上ウィーズリーさんの所に迷惑をかける訳にはいかない。荷物は隠れ穴にあるんだよね? イギリス時間での今日中に、荷物をまとめて帰ってくる事。陰山寺で待ってるから」
「はい……」
二人が同時に頷いた時だった。
本棚の向こうで、大きな金属音が響いた。続いて、本がバサバサと落下する音。
四人は顔を見合わせると、そちらへ駆けて行った。
ウィーズリー氏とマルフォイ氏が取っ組み合っていた。ウィーズリー夫人は「やめて」と悲鳴を上げている。
「何があったの?」
サラは、近くにいたドラコに尋ねた。
ドラコはちらりとサラに目をやり、再び大人二人の喧嘩へと視線を戻す。
「……意見が食い違っただけだ」
ドラコはぶっきらぼうに答えた。
何故、あからさまに冷たいのか。今日初めに話した時は、普段と変わりなかったのに。嫌われているとドビーの事で分かっていても、それでも胸が痛かった。
「……さっきから……何を、怒ってるの?」
サラは、恐る恐る尋ねた。
ドラコは不意を突かれた様子で、気まずそうに口を噤む。
「言ってくれなきゃ分からないわよ。私、何かした?」
暗に、ドビーの事も含んでいた。何故、嫌うのか。退学にしようとするのか。なまじ仲良くしていただけあって、納得がいかない。
「……僕にも知らせて欲しかった」
「え?」
「ウィーズリー家にいるという話の事だ! 如何して、僕には知らせてくれなかったんだ? それに、夏休みの最初からあいつらの家にいた訳じゃないだろ!? なんで手紙の返事をくれなかったんだ!」
「私、誰にも知らせられない状況だったのよ。エフィーが帰ってこなくて。途中で事故があったの。それがハリーも同じ条件下にあるものだったのよ。それで、ハリーの所に行って……ハリーが閉じ込められてるのを救出して、そのままハリーやエリ、ロンとロンの兄弟と一緒に隠れ穴へ行って……ハーマイオニーにだって、私から居場所を知らせた訳じゃないわ。ロンから『ハリーを救出する予定だ』って連絡を貰ってたみたいで。ただそれだけよ」
それでも、ドラコはまだ機嫌を直さなかった。
「まだあるの? それとも、この話も信じない?」
「別に。それについては、信じるし、もういい……。僕だって、こんな小さい子が駄々を捏ねているみたいな事、言いたくないんだ」
「でもまだ納得してないみたいじゃない。後は何の話?」
「まさか、君がギルデロイ・ロックハートのファンだとは思わなかった」
ドラコの言葉に、サラは唖然とする。
さっきの様子の何処を如何見れば、サラが彼のファンだと思うのだろう。
「ちょっと待って、ドラコ。誰が誰のファンですって?」
「違うなら、如何して抱きつかれて抵抗もしなかったんだ。サラなら、あいつを投げ飛ばすぐらい簡単だっただろ。魔法で何とかする事も出来た筈だ」
サラは目をパチクリさせる。
「だって、そんな事したら大混乱になるじゃない。ドラコだって分かるでしょう?」
「分かってる。だから、言いたくなかったんだ。ただ、嫌だったんだ」
「え……」
ドラコはそっぽを向く。
サラは、顔が火照ってくるのを感じた。つまり、それは……? 虫の良い解釈をしても良いのだろうか。
否、駄目だ。サラは何とか浮き足立つ気持ちを抑える。
ありえない。ドラコは、自分を退学にしようとしているではないか。嫌っているに違いない。だから、ドラコの一見やきもちとも取れるような話は、別の理由からだ。
無駄に期待し信じれば、後で痛い目に遭う。
「行くぞ、ドラコ」
大人二人の喧嘩は、終わったようだった。ドラコは返事をし、マルフォイ氏の後に従って出て行った。
その姿が見えなくなるまで、サラはドラコの背を目で追っていた。
ただの表面上の友達。それ以外の気持ちなんか無い。
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希望求めし少女たちは
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2007/05/30