お金を金庫から出し、サラはハリー、ハーマイオニー、ロンと、エリはフレッド、ジョージ、それからグリンゴッツを出た所で会ったリー・ジョーダンと共にそれぞれ行動した。
アイスクリームを買い、クィディッチ用具店の前で動かなくなったロンを引き剥がし、文房具を買い、悪戯専門店でエリ達四人に会い、雑貨屋へ行き、一時間後にはフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店へ向かった。ここで、皆と落ち合う予定だ。
フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店は、異常なまでに込み合っていた。
その原因は、店に掛かった横断幕に、無駄に大きく書かれていた。
『サイン会 ギルデロイ・ロックハート
自伝「私はマジックだ」 本日午後十二時〜四時半』
No.36
「本物の彼に会えるわ!」
ハーマイオニーは黄色い声を上げた。
「何? ハーマイオニーも、彼のファンなの?」
サラが呆れたように尋ねると、ハーマイオニーは言い訳するかのように言った。
「だって、彼、リストにある教科書を殆ど全部書いてるじゃない」
人だかりの殆どは、ナミより少々年齢が上の層の魔女ばかりだった。店の扉の所に当惑顔の魔法使いが一人立ち、列の整理を行っているが、全く持って意味をなさない。
四人は人垣を押し分けて中に入った。
店の奥まで列は長く続いていて、その先ではギルデロイ・ロックハートがサインをしている。四人は教科書指定の一冊を平積みにされた所から取り、ウィーズリー一家とグレンジャー夫妻の所にこっそりと割り込んだ。
「まあ、良かった。来たのね」
ウィーズリー夫人は息を弾ませながら、髪を手櫛で念入りに整える。
「もうすぐ彼に会えるわ……」
段々と、ギルデロイ・ロックハートの姿が近付いてくる。
彼の座る机の周りには、自分自身の写真がぐるりと貼られている。写真の中のロックハートは人垣に向かって、歯磨き粉のCMのような白い歯を輝かせ、ウィンクをしていた。実物は瞳の色と同じ勿忘草色のローブを着て、波打つ髪に三角帽子を斜めに被っている。よくも落ちないものだ。
「うわぁ……ナルシストっぽい奴だな……」
エリは、ウィーズリー夫人に聞こえぬように呟いた。
いかにも短気そうな小男が周囲を踊り回り、体にそぐわぬ大きな黒いカメラで写真を撮っている。思わず目を閉じるような眩しいフラッシュを焚く度に、紫の煙がポッポッと上がる。
「そこ、どいて。日刊予言者新聞の写真だから」
カメラマンはアングルを良くしようと後ずさり、ロンに向かって唸るように言った。
ロンはカメラマンに踏まれた足を摩りながら、顔を顰める。
「それがどうしたって言うんだ」
ロンの声に反応して、ロックハートが顔を上げた。ロンにやった視線は、そのままハリー、サラへと移される。
ロックハートは二人を交互にじっと見つめ、それから勢い良く立ち上がって叫んだ。
「もしや、ハリー・ポッターとサラ・シャノンでは!?」
興奮した囁き声が満ち、人垣が割れ道を開けた。ロックハートが列に飛び込み、ハリーの腕を掴む。サラはウィーズリー夫人とエリの背後に隠れようとしたが、エリに態と動かれ、逃げる間も無く、ハリーと共に正面に引き出された。
「シャイな子ですね。さあ、二人共にっこり笑って!」
人垣は拍手し、カメラマンはシャッターを切りまくる。ハリーは真っ赤になり、サラは能面のような表情だった。
「一緒に写れば、君達と私とで一面大見出し記事ですよ」
「そりゃあ、平和でよろしい事」
サラの皮肉は、ロックハートの耳には聞こえなかった。
やっとロックハートが手を放してくれたのは、サラの呪文でカメラマンが後ろに大きく転倒した時だった。これだけ人が多い所では、魔法を使った者の特定は不可能だろう。そもそも、カメラマンのこけ方に不審な点は無かった。エリ以外の誰もが、カメラが大きすぎてこけたのだと思った。
二人はそそくさとウィーズリー一家の所へ戻ろうとしたが、ロックハートは二人の肩に腕を回し、自分の傍に締め付けた。投げようにも、そんな事をすれば大混乱だし、ハリーまで巻き込んでしまう。
「皆さん。なんと記念すべき瞬間でしょう! 私がここ暫く伏せていた事を発表するのに、これほど相応しい瞬間はまたとないでしょう!
ハリー君とサラ嬢は本日、私の自伝を買う事だけを欲し、フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店に足を踏み入れたのであります――」
「読書用に他の本だって買うつもりだったわ」
サラは、観衆には聞こえぬ程度の声で低く吐き捨てた。
ロックハートには聞こえただろうが、全くそのような素振りは見せずに続ける。
「それを今、喜んで彼らにプレゼント致します。無料で――」
人垣の、鬱陶しい拍手。
「――もちろん、彼らは思いもしなかった事ではあります――」
教科書はエリに渡そうと思った。それなら、現金の貸し借りは無しで済む。
ロックハートの演説はまだまだ続く。
「間も無く彼らは、私の本『私はマジックだ』ばかりではなく、更に良い物をもらえるでしょう。彼らもそのクラスメートも、実は、『私はマジックだ』の実物を手にする事になるのです。
皆さん、ここに、多いなる喜びと、誇りを持って発表致します。
この九月から、私はホグワーツ魔法魔術学校にて、『闇の魔術に対する防衛術』担当教授職をお引き受けする事になりました!」
「そんな!」
エリの叫んだ声は、その他の人々の歓声と拍手に掻き消された。エリはそれまで、前に引き出されたサラを意地悪く笑いながら眺めていた。
サラとハリーはロックハートの全著書を押し付けられ、帰ってきた。ハリーは、部屋の隅へと逃げる。そこにはジニーが、買ったばかりの大鍋の傍に立っていた。
サラはエリの方へとやって来た。そして、渡された本をエリに押し付ける。
「何のつもりだよ」
「あげるわ。これで、現金の貸し借りは無しで済むでしょう」
「教科書以外はいらねぇよ」
「セットよ。私、ロックハートの書物は興味ないのよね。つまらないんだもの。なんだか、やたらと自分を美化してて」
エリは舌打ちしながらも、その本を受け取った。一つに積み上げた本をサラが持つと、彼女の頭を越えていた。
「ほっといてよ。ハリーが望んだ事じゃないわ!」
ジニーの叫ぶ声がして、サラとエリは振り返った。
ドラコがハリーに絡んでいる所だった。
「ポッター、ガールフレンドが出来たじゃないか!」
既に、エリはサラの隣にはいなかった。背後から、ドラコの肩をがしっと掴んでいる。
「おい。お前、喧嘩なら俺が買ってやろうか」
「エリ!」
叱咤する声は、サラのものではなかった。
本棚の陰から、ナミが現れた。アリスの学用品を、アリスと手分けして持っている。
「ちょっとこっちへ来てくれる? しっかり説明してもらわなくちゃ」
ナミは微笑み、穏やかな口調で言った。そして、その背筋が凍るような笑顔をサラの方へ向ける。
「サラもだよ。特にサラは、素晴らしい書置きだったものねぇ……」
「あれは私じゃない」
そう言いたかったが、どちらにせよ、今のナミには何の効果も無い。
サラとエリは顔を見合わせ、観念してナミの後について行く。
「あれ。サラとエリ、何処へ行くんだい?」
その場を離れる際、教科書を抱えたロンとハーマイオニーとすれ違った。エリが、魂の抜けた声で答えた。
「母さんのお呼び出しデス……」
「何の説明も無しに、突然いなくなって……伝言を残した? ふぅん。つまり、何処行くかだけ言っておけば、未成年が無断外泊して良いと? 例え危急の用件でも、落ち着いてから連絡する事ぐらいは出来たよねぇ……?」
ナミは怒鳴る事もなく、穏やかな笑みを浮かべてただ淡々と話す。
アリスはその傍らで、我関せずといった様子で買ってもらった黒猫と戯れている。
「元々、貴女が冷たい性格だから、嫌われて屋敷僕妖精なんて仕掛けられるんじゃないの? サラ? 原因はあんただよ。他人に仕掛けられた? 普通にしていれば、仕掛けられる事もないじゃない。
分かってる? 私は好きであんたを引き取った訳じゃないの。サラなんか我が子とも思ってないし、実際、あんたを捨てると同時に私は親権を放棄した。赤の他人のあんたに、如何してこんなに迷惑をかけられなきゃいけないんだか……」
「……」
いつもと同じ台詞だった。今更何を言われようと、何とも思わない。
それよりも、前半の言葉の方が応えた。
「で、エリ? あんたは一体どういうつもりなの。アリスに『危険だ』って言って止めたらしいけど、エリだって同じでしょう。多少力があるからって、自惚れてるの? 魔法は使えないし、大人の男には力も敵わないと思うんだけどねぇ……何も無かったから良かったものの、変な人にでも会ってたら、どうするつもりだったの。不良にでも絡まれたら、どうするつもりだったの。ハリーの為に行った? ハリーの事は気遣っても、家族の事は何にも考えなかったんだね?」
そしてナミはふっと溜め息を吐いた。
「まったく……。兎に角、これ以上ウィーズリーさんの所に迷惑をかける訳にはいかない。荷物は隠れ穴にあるんだよね? イギリス時間での今日中に、荷物をまとめて帰ってくる事。陰山寺で待ってるから」
「はい……」
二人が同時に頷いた時だった。
本棚の向こうで、大きな金属音が響いた。続いて、本がバサバサと落下する音。
四人は顔を見合わせると、そちらへ駆けて行った。
ウィーズリー氏とマルフォイ氏が取っ組み合っていた。ウィーズリー夫人は「やめて」と悲鳴を上げている。
「何があったの?」
サラは、近くにいたドラコに尋ねた。
ドラコはちらりとサラに目をやり、再び大人二人の喧嘩へと視線を戻す。
「……意見が食い違っただけだ」
ドラコはぶっきらぼうに答えた。
何故、あからさまに冷たいのか。今日初めに話した時は、普段と変わりなかったのに。嫌われているとドビーの事で分かっていても、それでも胸が痛かった。
「……さっきから……何を、怒ってるの?」
サラは、恐る恐る尋ねた。
ドラコは不意を突かれた様子で、気まずそうに口を噤む。
「言ってくれなきゃ分からないわよ。私、何かした?」
暗に、ドビーの事も含んでいた。何故、嫌うのか。退学にしようとするのか。なまじ仲良くしていただけあって、納得がいかない。
「……僕にも知らせて欲しかった」
「え?」
「ウィーズリー家にいるという話の事だ! 如何して、僕には知らせてくれなかったんだ? それに、夏休みの最初からあいつらの家にいた訳じゃないだろ!? なんで手紙の返事をくれなかったんだ!」
「私、誰にも知らせられない状況だったのよ。エフィーが帰ってこなくて。途中で事故があったの。それがハリーも同じ条件下にあるものだったのよ。それで、ハリーの所に行って……ハリーが閉じ込められてるのを救出して、そのままハリーやエリ、ロンとロンの兄弟と一緒に隠れ穴へ行って……ハーマイオニーにだって、私から居場所を知らせた訳じゃないわ。ロンから『ハリーを救出する予定だ』って連絡を貰ってたみたいで。ただそれだけよ」
それでも、ドラコはまだ機嫌を直さなかった。
「まだあるの? それとも、この話も信じない?」
「別に。それについては、信じるし、もういい……。僕だって、こんな小さい子が駄々を捏ねているみたいな事、言いたくないんだ」
「でもまだ納得してないみたいじゃない。後は何の話?」
「まさか、君がギルデロイ・ロックハートのファンだとは思わなかった」
ドラコの言葉に、サラは唖然とする。
さっきの様子の何処を如何見れば、サラが彼のファンだと思うのだろう。
「ちょっと待って、ドラコ。誰が誰のファンですって?」
「違うなら、如何して抱きつかれて抵抗もしなかったんだ。サラなら、あいつを投げ飛ばすぐらい簡単だっただろ。魔法で何とかする事も出来た筈だ」
サラは目をパチクリさせる。
「だって、そんな事したら大混乱になるじゃない。ドラコだって分かるでしょう?」
「分かってる。だから、言いたくなかったんだ。ただ、嫌だったんだ」
「え……」
ドラコはそっぽを向く。
サラは、顔が火照ってくるのを感じた。つまり、それは……? 虫の良い解釈をしても良いのだろうか。
否、駄目だ。サラは何とか浮き足立つ気持ちを抑える。
ありえない。ドラコは、自分を退学にしようとしているではないか。嫌っているに違いない。だから、ドラコの一見やきもちとも取れるような話は、別の理由からだ。
無駄に期待し信じれば、後で痛い目に遭う。
「行くぞ、ドラコ」
大人二人の喧嘩は、終わったようだった。ドラコは返事をし、マルフォイ氏の後に従って出て行った。
その姿が見えなくなるまで、サラはドラコの背を目で追っていた。
ただの表面上の友達。それ以外の気持ちなんか無い。
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The Blood
第1部
希望求めし少女たちは
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2007/05/31