昼食を終えると、四人は中庭に出た。
ハーマイオニーは石段に腰掛け、今朝も読んでいたロックハートの本を読み出す。ハリーとロンは、立ったままクィディッチの話をしている。
サラは、ハーマイオニーの隣に腰掛けた。
「あの……ハーマイオニー、ちょっといいかしら?」
本に夢中になっているハーマイオニーに、サラはおずおずと切り出す。
「ええ、いいわよ。何?」
ハーマイオニーは本に目を落としたまま返す。
「……今朝、嫌な夢を見たの」
ハーマイオニーは本から顔を上げ、隣に座るサラを見つめた。ただの怖い夢の話をするのには、サラの口調は真剣過ぎる。
「私は、暗闇の中にいたわ。何処かへ向かっていた。誰か、人がいて――誰だかは分からなかったんだけど――それで、死骸があったわ。ミセス・ノリスの。
ただの夢だろうと思うんだけど……それにしては、何だか変な感じだったのよ。妙にリアルって言うか……」
「ただの夢でも、リアルな事ってあるじゃない。夢は夢でしょう?」
「ええ……。そうね。そうよね」
サラは自分を納得させようと頷いた。そして、その事は忘れてしまおうとした。
まさか、この夢を繰り返し見る事になるとは思っていなかったのだ。
No.40
聞きなれた声に名を呼ばれ、サラは振り返った。アリスが手を振りながらこちらへやって来る。
サラは立ち上がる。アリスはサラ達の所まで駆け寄ってくると、座り込んだハーマイオニーに軽く会釈した。
「こんにちは、ハーマイオニー」
「こんにちは」
ハーマイオニーも笑顔を返し、再び本に没頭する。
アリスは屈託の無い笑顔をサラに向けた。
「サラ、昨日はどうしたの? 噂じゃ、日刊予言者新聞に載ってた車に、サラ達が乗ってきたって言われてるけど……まさか、本当に?」
「あー……ええ、まあ……」
サラはちらりとハーマイオニーに目をやりながら答える。ハーマイオニーは聞こえぬふりをしている。
アリスは、それだけで如何いう事かを察し、それ以上その話には触れなかった。
「それよりアリス、スリザリンに入ったんですって?」
「ええ。――やっぱり、スリザリン生は嫌い? グリフィンドールとスリザリンが敵対してる事は、分かってるもの……」
「違うの、そういう事じゃないわ」
サラは慌てて首を左右に振る。
「例えスリザリンでも、アリスは私の妹よ。ただ……ねぇ、嫌じゃないの? スリザリンに入る事が。だって、スリザリンは多くの闇の魔法使いを輩出しているわ……。おばあちゃんは死喰人に殺された。死喰人の多くは、スリザリン出身なのよ?」
「サラは、そう思うのかもね。おばあちゃんっ子だったから。
でも、あたし、シャノンのおばあさんの記憶は殆ど無いのよ。お母さん達には、『シャノンのおばあさん』って呼ばされてて、自分のおばあちゃんって感覚が凄く薄いし。寮に拘るほどじゃないわ」
「……」
「君が、サラやエリの妹のアリス?」
ハリーとロンがこちらへやって来た。
アリスは人当たりの良い笑みを浮かべる。
「初めまして。アリス・モリイよ。スリザリンだけど……あたし、グリフィンドール生とも仲良くしたいの。よろしくね」
「スリザリン? 君が?」
ロンは目を丸くして言った。目の前で無邪気に笑う女の子は、どう見てもロンの持つスリザリン生のイメージとは遥かにかけ離れていた。サラに届いていた手紙の文面からしても、アリスがスリザリンに入るだなんて予想外だ。
「アリス!」
振り返れば、薄茶色の髪をした小さな男の子が、目を輝かせてこちらへ来る所だった。マグルのカメラの様な物をしっかりと掴んでいる。
男の子はこちらまで来ると、アリスに急かすような視線を向けた。アリスはハリー達に向き、男の子を手で示す。
「コリン・クリービーよ。昨日、組分けを待っている時に親しくなったの」
コリンは興奮して頬を紅潮させていた。
「ハリー、サラ、元気? 僕――僕も、グリフィンドール生です。あの――もし、構わなかったら――写真を撮ってもいいですか?」
「写真?」
「僕、貴方達に会った事を照明したいんです」
コリンは一歩前に出ながら、熱っぽく言った。
「僕、貴方達の事なら何でも知ってます。皆に聞きました。『例のあの人』が貴方達を殺そうとしたのに、生き残ったとか、『あの人』が消えてしまったとか、ハリーは、今でも額に稲妻形の傷があるとか。
同じ部屋の友達が、写真をちゃんとした薬で現像したら、写真が動くって教えてくれたんです」
コリンはそこで言葉を切り、興奮で震えながら大きく息を吸い込み、一気に言葉を続けた。
「この学校って凄い。ねっ? 僕、色々変な事が出来たんだけど、ホグワーツから手紙が来るまでは、それが魔法だって事を知らなかったんです。僕のパパは牛乳配達をしてて、やっぱり信じられなかった。だから、僕、写真をたくさん撮って、パパに送ってあげるんです。もし、貴方達のが撮れたら、ほんとに嬉しいんだけど……」
コリンは懇願するような目でハリーとサラを交互に見る。
それから、アリスを振り返った。
「ねぇ、アリスが写真を撮ってくれる?
それで、僕が貴方達と並んで立ってもいいですか? それから、写真にサインをしてくれますか?」
「サイン入り写真? ポッター、君はサイン入り写真を配っているのかい?」
ドラコ・マルフォイの声が中庭に大きく響き渡った。
ドラコはいつもの如く、ビンセントとグレゴリーを両脇に従えてこちらへ来て、コリンとアリスの直ぐ後ろで立ち止まった。
そして、コリンとサラを交互に見る。
「……サラもなのか?」
「サイン入り写真を配ってるかって言うなら、否ね」
サラは冷たく返す。
「僕、ハリーとサラにお願いしてるんだ。一緒に写真を撮ってくれないかって――」
コリンは口を挟みながら、ハリーとサラの手を引いた。突然手を引かれ、前につんのめって二人の肩が触れ合う。
「サラは駄目だ」
ドラコは、サラをハリーから離すようにして肩を引き寄せた。
突然の事に、サラは真っ赤になって硬直する。
ドラコはそんなサラの様子にも気づかず、周りに群がっている生徒達に大声で呼びかけた。
「皆、並べよ! ハリー・ポッターがサイン入り写真を配るそうだ!」
「僕はそんな事してないぞ。マルフォイ、黙れ!」
「君、やきもち妬いてるんだ」
コリンまでもが、小さいながらもドラコに言い返した。
「妬いてる? 何を? 僕は、ありがたい事に、額の真ん中に見にくい傷なんか必要ないね。頭をかち割られる事で特別な人間になるなんて、僕はそう思わないのでね」
ビンセントとグレゴリーはドラコに合わせ、クスクスと笑う。
「ナメクジでも食らえ、マルフォイ」
ロンの言葉に、ビンセントが笑うのを止め、拳を握って腕を摩り出した。ドラコはせせら笑う。
「言葉に気をつけるんだね、ウィーズリー。これ以上いざこざを起こしたら、君のママがお迎えに来て、学校から連れて帰るよ。『今度、ちょっとでも規則を破ってごらん』――」
ドラコの甲高い声真似に、傍にいたスリザリンの五年生の一段が声を上げて笑った。
ドラコはニヤニヤと笑い、猶も続ける。
「ポッター、ウィーズリーが君のサイン入り写真が欲しいってさ。彼の家一件分より、もっと価値があるかもしれないな」
ロンはスペロテープでつぎはぎした杖を取り出し、ドラコに向けた。
ハーマイオニーは本を閉じ、声を上げた。
「気をつけて! サラもいるのよ」
「あ」とでも言うようにその場が固まった。
サラはドラコを強く突き飛ばし、石段に置いた鞄を引っつかむと駆け去っていった。
サラは、大股で「闇の魔術に対する防衛術」の教室へと向かっていた。
恥ずかしさのあまり、腹が立って仕方が無かった。
信じられない。去年の、「禁じられた森」での騒動の翌朝ならば、心配していたからだろうと許せる。だが、今回は何もそういう訳ではない。なのに、大衆の面前で、あんな……。
嫌っているくせに。
ホグワーツから追い出そうとしているくせに。
それとも、だからこそあんな事をしたのだろうか。恥ずかしいあまり、サラがホグワーツにいづらくなるように。
その考えに思い至り、サラは唇を噛む。熱いものがこみ上げてきた。
どうして。そればかりが、頭の中で繰り返される。
友達だと思っていたのに。様々な場面で救ってくれたドラコを、信じていたのに。
もう、自分は何を信じれば良いのだろう。どうして、自分ばかりがこんな目に遭わなくてはいけないのだろう。
教室の前に着いた。まだ、鍵は開いていない。
サラは膝を抱え、その場に座り込み、顔を腕に埋めた。
一足先にハリーを連れて来たロックハートを隠れてかわし、サラは一番後ろのハリーの席の隣へ座り、ハリーと同じようにロックハートの本を積み上げた。ハリーが何か話しかけようとしたが、拒否するように机に突っ伏す。
間も無く、他の生徒達が教室に入ってきた。ハーマイオニーはサラの隣に、ロンはハリーの隣に座った。
「顔で目玉焼きが出来そうだったよ」
ロンは、席に着くなり言った。
「クリービーとジニーがどうぞ出会いませんように、だね。じゃないと、二人でハリー・ポッター・アンド・サラ・シャノン・ファンクラブを始めちゃうよ」
「やめてくれよ」
ハリーは遮るように言った。ロックハートに聞かれれば、また妙な解釈をする事だろう。
ロックハートが話し始めても、サラは暫く伏せたままだった。ハーマイオニーがこっそり突くが、それでも起き上がらない。顔が火照って、目玉焼きでも焦げてしまいそうだ。幸い、積みあがった本でサラが伏せている事はロックハートには分からない。
ロックハートがテストを始めると言い、サラはようやく顔を上げた。ロックハートはしっかりと帽子を被り、サラが禿を作った位置を隠していた。どうやら、消す事は出来なかったようだ。
「三十分です。
よーい、はじめ!」
ロックハートの合図で、サラはテストペーパーを見下ろした。……馬鹿馬鹿しい設問が、延々五十四問も続いている。
サラは、確かに本を読んだ。記憶力も良い。勉強に関しては殊更だ。だが、不要な事は殆ど覚えないようにしている。ロックハートの好きな色や誕生日は、もちろん「覚える必要の無い事」に分類されていた。
三十分後、ロックハートは答案を回収し、クラス全員の前でパラパラとそれを捲った。
「チッチッチ――私の好きな色はライラック色だという事を、殆ど誰も覚えていないようだね。『雪男とゆっくり一年』の中でそう言っているのに。『狼男との大いなる山歩き』をもう少ししっかり読まなければならない子も何人かいるようだ――第十二章ではっきり書いているように、私の誕生日の理想的な贈物は、魔法界と非魔法界のハーモニーですね――尤も、オグデンのオールド・ファイア・ウィスキーの大瓶でもお断りは致しませんよ!」
ロックハートは生徒達に悪戯っぽくウィンクをした。
サラは白い目でロックハートを眺めていた。ハリーは無表情だ。ロンは呆れた表情でロックハートを見つめている。目の前にいるシェーマス・フィネガンとディーン・トーマスは声を押し殺して笑っている。
そんな中、ハーマイオニーはうっとりとロックハートの言葉に聞き入っていて、自分の名前を呼ばれるとびくっと反応した。
「――ところが、ミス・ハーマイオニー・グレンジャーは、私の密かな大望を知ってましたね。この世界から悪を追い払い、ロックハート・ブランドの整髪剤を売り出すことだとね――よく出来ました!」
「整髪剤じゃなく、育毛剤じゃないのかしら?」
サラは隣にいるハーマイオニーに聞こえぬように、小さく呟いた。ハリーは噴き出しそうになるのを必死で堪える。ハーマイオニーが一緒なので、ロンにはロックハートの後頭部にかけた呪いの事を話していなかった。
当然ロックハートに聞こえる筈も無く、彼は帽子がずれていないか確認しながら、答案用紙を裏返す。
「それに、満点です! ミス・ハーマイオニー・グレンジャーは何処にいますか?」
ハーマイオニーは、震える手を高く挙げた。
「素晴らしい! まったく素晴らしい! グリフィンドールに十点あげましょう!
では、授業ですが――」
ロックハートは机の後ろにかがみ込み、覆いの掛かった大きな籠を持ち上げて机の上に置いた。
「さあ、ご注意を! 魔法界の中でも最も穢れた生物と戦う術を授けるのが、私の役目なのです! この教室で君達は、これまでに無い恐ろしい目に遭う事になるでしょう。ただし、私がここにいる限り、何物も君達に危害を加える事は無いと思いたまえ。落ち着いているよう、それだけをお願いしておきましょう」
サラは頬杖を突き、白けた様子で眺めていた。
ロックハートが覆いに手をかけた。
「どうか、叫ばないようお願いしたい。連中を挑発してしまうかもしれないのでね」
ロックハートは低い声で脅かすように言った。
クラス全員が息を殺した。ロックハートはさっと覆いを取り払った。
「さあ、どうだ」
ロックハートは寒々しい芝居じみた声を出した。
「捉えたばかりの、コーンウォール地方のピクシー小妖精」
シェーマスは堪えきれずに噴き出した。
流石のロックハートでさえ、これを恐怖の叫びとは認識しなかった。ロックハートはシェーマスに笑いかける。
「どうかしたかね?」
「あの、こいつらが――えっと、そんなに――『危険』なんですか?」
シェーマスは笑いを噛み殺そうとして、むせ返った。
「思い込みはいけません! 連中は厄介で危険な小悪魔になりえますぞ!」
ピクシーの体長は、二十センチほど。群青色をしていて、顔は尖がっている。甲高くキーキーと喚き、籠の中を飛びまわり、籠をガタガタ言わせたり、近くにいる生徒にアッカンベーをしたりしていた。
「さあ、それでは」
ロックハートが声を張り上げた。
「君達がピクシーをどう扱うかやってみましょう!」
そう言って、ロックハートは籠の戸を開けた。
ピクシーは四方八方に飛び散った。ネビルの両耳を二匹で引っ張って吊り上げたり、数匹が窓ガラスを突き破って外へ飛び出し、後ろの席の生徒にガラスの破片を浴びせたりと、上を下への大騒ぎだ。インク瓶を掴んで持っていっては、教室中に振り撒く。本やノートは引き裂く。壁から写真を引き剥がす。ゴミ箱をひっくり返す。
サラは自分に危害を加えようとしたものは全て失神させ、相変わらず頬杖を突いたまま教室の様子を眺めていた。
「さあ、さあ。捕まえなさい。たかがピクシーでしょう……」
ロックハートが声を張り上げた。
「そうですね。手本が必要でしょう。よく見ているのですよ――」
ロックハートは腕まくりして杖を振り上げた。
「ペスキピクシペステルノミ!」
何の効果も無い。
ピクシーが一匹、ロックハートの杖を奪い、窓の外へ放り投げた。ロックハートは息を呑み、自分の机の下に潜り込んだ。
「アレスト・モメンタム!」
サラは杖を振り、シャンデリアと共に落ちてきたネビルを救った。
「サラ! 君には出来るんだろ? 何とかしてよ!」
平然とピクシーの相手をするサラに、ロンが机の下から言った。
サラは溜め息を吐き、立ち上がる。
「イモビラス」
ピタリとピクシー達の動きが一斉に止まった。気味悪く、その場に浮かんでいる。
生徒達は、そろそろと机の下から出てくる。ロックハートはピクシーに引っ張られていた帽子を再度しっかりと被り、にっこりと笑った。
「よく出来ました、ミス・サラ・シャノン! 私もやろうと思えば造作の無い事でしたがね、やはり生徒にさせた方が教育的に良いと思いまして――」
「そうですか」
サラは冷ややかに答える。
そこで終業のベルが鳴った。まだ言葉を続けようとするロックハートに、サラはそっと杖を振った。途端に、固まっていたピクシー達が復活し、一直線にロックハートへと向かう。
ロックハートの悲鳴を尻目に、彼を心配するハーマイオニーを引っ張ってサラ達はクラスメイトと共に教室を後にした。
「大丈夫かしら、ロックハート先生……」
「知るもんか」
心配して呟くハーマイオニーとは対照的に、ロンは明るい声を出す。
「私、教室に戻って先生を手伝おうかしら――」
「ハーマイオニー。貴女、正気? あんなの、自業自得よ」
軽く言ってのけるサラに、ハーマイオニーは疑わしげな視線を送る。
「サラ……まさかとは思うけど、貴女が何かしたんじゃないでしょうね?」
「まさか。いくら何でも、そんな事しないわ」
「そうだよ、ハーマイオニー。サラが前科犯だからって疑うのは良くないさ」
ハリーもサラを庇い、そして二人は意味ありげに視線を交わす。
ロンが、大きく溜め息を吐いた。
「あんな事してくれて、まったく何を考えてるんだか」
「私達に体験学習をさせたかっただけよ」
「体験だって?」
ハリーはあからさまに顔を顰めて見せる。
「ハーマイオニー、ロックハートなんて、自分のやっている事が自分で全然分かってなかったんだよ」
「頭の可哀想な人って事よね」
「違うわ。彼の本、読んだでしょ――彼って、あんなに目の覚めるような事をやってるじゃない……」
「ご本人はやったとおっしゃいますがね」
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希望求めし少女たちは
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2007/07/16