薄暗い校庭の上空に、ぽつんと人影があった。地上にも、同じように人影がある。
 上空にある人影は、その場をぐるぐると飛びまわっている。
 地上の人影が声を上げた。
「エリ! 今、また飛び出したわ!」
 エリは軽く舌打ちをする。クィディッチ競技場を想定し、魔法で線を引いているが、スピードを出しすぎるとどうもその範囲を飛び出してしまう。
 エリは端から端までジグザグに飛び、旋回して一直線に地上へと向かう。エリが突進してくるかと思いハンナは怯んだが、彼女はピタリとハンナの隣に着陸した。
「そろそろ夕食の時間だから、行こうぜ」
「ええ」
 ハンナは頷き、二人は連れ立って城へと向かう。
「ほんと、ありがとな。練習、付き合ってくれて。ハリーとかフレッド、ジョージに教わった方がいいのかもしれないけど、あいつら他寮だしよ……」
「いいわよ、これぐらい。私も、エリの飛ぶ所が見れて楽しいもの。エリ、私が退屈しないように、時折パフォーマンスを見せてくれるじゃない?」
「あれは、ハンナの為って言うより、ただ冗談でやってるだけなんだけど……」
「面白いからいいの。私も退屈しないわ。
でも、エリ、昨日よりまたずっと上手くなったんじゃない?」
「相変わらず、範囲を超えそうになるけどなー……」
 エリは溜め息を吐く。
 セドリックに聞いた所、最近の箒は選手がゴールを飛び越えたり場外へ飛び出すのを防いでくれるらしい。コメット商事が特許を取っていて、ホートン・キーチ制御術と言うそうだ。エリの箒は、相当古いらしい。
「大丈夫! 心配ないわよ! この調子なら、土曜の予選は楽々合格よ。
場外に飛び出しちゃうのは、選手になってから解決したって遅くないわ。チームでの練習なら、競技場が使えるでしょう?」
「――ああ。そうだな。
よーし! 今日もいい汗掻いた! 晩飯食うぞーっ。肉だーっ、飯だーっ」
 右手で拳を作って振り上げ、気合を入れる。

 だが不意に、ピタリとその体勢で固まった。
 ハンナも一泊遅れて足を止める。
「ん? どうしたの、エリ?」
 エリは拳を開き、そのまま大きく手を振った。
「ジニー! おーい!」
 ハグリッドの小屋の傍、鶏小屋の前にジニーが立ち尽くしていた。
 ジニーはエリの声が聞こえないのか、こちらに背を向けたままだ。エリはジニーの方へと駆け寄り、ハンナも後に続いた。
 ジニーとの間にある茂みを迂回し、横から駆け寄る。ジニーまで数メートルの所で、エリはピタリと立ち止まった。
 声を掛けるのが躊躇われた。ジニーの様子は、いつもと違った。感情の無い冷たい目で、小屋の中の雄鶏を眺めている。その様子は、サラが報復する相手を見定める表情によく似ていた。
 ハンナがエリに追いつく前に、明るい声が掛かった。
「よう、お前さん! まだ帰ってなかったんかい?」
 ハグリッドが、鶏の餌を持ってこちらへやって来た。ジニーはびくりと反応し、ハグリッドを振り返る。
 ハグリッドはジニーの背後にいるエリにも気づき、手を振った。
「エリもいるじゃねぇか。こんな時間に、何しちょる? そろそろ夕食じゃろう」
 ジニーはぎくりと大きく肩を震わせ、エリを振り返った。
 エリは愛想良く笑う。
「よっ、ジニー。向こうから呼んだのに、全然気づかねぇんだもん。
久しぶりだな。入学してから、話す機会があんま無いからな〜」
 やっとハンナもエリに追いつき、肩で息をする。
「エリ、速いわよー……。――こんばんは、ハグリッド。それと、えーと、ジニー? ロン・ウィーズリーの妹かしら」
「そ。ウィーズリー家のた〜いせつな、末娘」
 エリはおどけた調子で、語尾にハートマークを付けて言う。ジニーはスタスタとエリ達の横を通り過ぎ、城へと戻っていってしまった。
 エリはオドオドとジニーの去った方を見、ハンナやハグリッドを振り返る。
「お、俺、何か悪い事言ったか?」
 ハンナもハグリッドも、首を傾げるばかりだった。





No.41





 彼女が廊下を通ると、誰もがさっと脇へ避けた。
 ミセス・ノリスは毎晩、サラの夢に出てきた。寝付いては、夢を見て飛び起きる。今週中、毎晩それを繰り返していた。今日も例外ではない。
 無表情の割には不機嫌なオーラは禍々しく纏っていて、出来る事なら関わりたくない様子だった。こんなサラにそれでも関わってくるのは、ハリー達三人以外だと、ドラコ、コリン、ロックハートの三人ぐらいだった。
「今日も眠れなかったんだね、サラ……」
 声を掛ければサラに睨まれ、ネビルは「ひっ」と小さく悲鳴を上げ、そそくさと立ち去った。
 まさに、触らぬ神に祟りなし。それを噛みしめるかの様に、皆、遠巻きにしてサラの様子を伺っている。
 休み時間の度に、そんなサラの様子を全く気にしていない某一年生が声を掛けて来た。
「おはよう、ハリー! サラ! 調子はどう?」
「ウン、まぁ、いいよ」
 どんなにハリーが迷惑そうな声を出そうと、コリンは気づかなかった。或いは、気づかないふりをした。
 コリンは離れた位置から、サラの方へも笑顔を向ける。
「おはよう、サラ! 今日もいい天気だね」
 サラは、コリンの言葉など聞こえぬかのように、フラフラと歩を進める。実際、コリンの話を聞いていなかった。
 結局コリンに返事をする事は無く、廊下を曲がって互いが見えなくなってしまった。ロンがサラを振り返る。
「サラ、あんまり無視ばかりしてると、他の皆から『感じが悪い』とか思われるぜ?」
「んー……? 何の話?」
 サラは不機嫌そうな顔を上げる。
 ハーマイオニーは心配げにサラの顔を覗きこんだ。
「無視って言うより、本当に気づいてなかったんじゃない? 顔色が悪いわ。保健室で寝てた方がいいんじゃ……」
「寝たくないわ」
 即答だった。眠れば、またあの夢を見る。闇の中。ぼんやりと見える人影。逆さ吊りにされ、硬直したミセス・ノリス。繰り返し、夢を見る。
 ふと、サラは立ち止まった。
「……待って。この先――階段から、ロックハートが上ってくるわ。引き返しましょう」
「でも、これから別の階段を通ったら、魔法薬の授業に間に合わないんじゃないかしら……?」
「何言ってるんだよ、ハーマイオニー。さっき少し前に階段があったじゃないか」
 不服そうなハーマイオニーを引きずり、四人は元来た道を引き返していった。

「――大丈夫かい、サラ?」
 魔法薬学の授業では、今日もサラはドラコと組んでいた。
 相変わらず、サラは作業の要領が悪い。
「大丈夫よ……でも、何が悪くて切れないのかしら。他の所はもう、終わってるのに……」
「そっちじゃなくて。最近、ちゃんと寝てるのか? 何かあったのか? 顔色が悪いぞ」
「そう? 光の加減でそう見えるだけじゃない? 何も無いし、バッチリ健康よ」
 そう言ってサラは表情に笑顔を貼り付けた。
 相談なんかしない。サラは偽りの笑顔で誤魔化す。それは、ドラコと出会ったばかりの頃へと逆戻りしたかのようだった。





 サラは、暗闇の中に立っていた。真っ暗な闇の中、前方に人影がある。
――ああ……また、あの夢か。
 起きたい。起きなくては。
 どんなに念じようと、自分の意思では起きる事が出来なかった。足も、サラの意思に反して人影の方へと進んでいく。
――嫌だ。見たくない。そっちへは行きたくない。
 願いは通じた。
 サラは暗がりの中、誰かに揺すり起こされた。

 突然ぱちっと目を覚ましたサラに驚きつつ、声を掛けたのはアンジェリーナだった。
「妙な起き方しないでよ。ビックリするじゃない。――おはよ、サラ」
「おはよう……」
 寝ぼけた声で返しながら、サラは窓の外に目をやる。外はまだ薄暗い。
「今、何時? 今日って、土曜日よね」
「まだ陽もまともに上ってないな。でも、クィディッチの練習だよ。十五分後に、競技場に集合だって。ケイティも、もう行ったよ。
じゃあ、私も先に言ってるね」
 アンジェリーナは軽く手を振って、サラ達の寝室を出て行った。
 眠気は抜けないが、あの場面で起こされたのは幸いだった。クィディッチで空を飛んでいれば、その間だけでも悪夢の事は忘れられるだろう。

 ウトウトしながらユニフォームに着替え、その上にマントを羽織り、サラはニンバス2000を持って競技場へと向かった。
 芝生は朝露に濡れている。霧も漂っていて、こんな時間から練習など本当に出来るのだろうかという気がする。
 競技場まで来ると、霧の中からコリン・クリービーが飛び出してきた。
「おはよう、サラ! サラもハリーと同じで、グリフィンドールの選手なんだよね? 百年間で最年少の選手だって――凄いなぁ。僕、空を飛んだ事って無いんだ。ね、飛ぶのってどんな感じ? それが君の箒? ハリーと一緒なの? 一番いい奴なの?」
 コリンはサラに口を挟む隙を与えず、次から次へと話をする。
「えーと……ごめんね。私、練習だから……」
 コリンの話に声が被るのも構わずそう言って彼の横を通り過ぎようとしたが、叶わなかった。コリンは構わず後をついて来て話し、サラも再び立ち止まらざるを得ない。
 苦笑しながら話を聞く事、何分だろうか。痺れを切らしたウッドが、様子を見にハリーを遣した。コリンの表情は更に生き生きとする。
「やあ、ハリー! どうしたの?」
「サラが遅いから、様子を見に来たんだ。サラも練習があるから。
行こう、サラ」
 ようやく解放された事にサラはホッと息を吐き、ハリーの後について更衣室へと入った。
 更衣室では、朝早い事にも関わらずやけに元気なウッドと、眠そうなチームメイト、それから、睡魔を呼ぶ作戦説明が待っていた。





 あの夢を見るのは絶対に嫌だ。その一心で、サラは無理にもウッドの話に集中しようと頑張った。
 もう朝食の時間だろうという頃にウッドはやっと説明を終え、選手達を見回した。
「諸君、分かったか? 質問は?」
「質問、オリバー」
 説明の終了を告げる言葉で急に目を覚ましたジョージが、真っ先に手を挙げた。
「今まで言った事、どうして昨日、俺達が起きてる内に言ってくれなかったんだい?」
「いいか。諸君、よく聞けよ」
 ウッドは皆を睨み付けながら言った。
「我々は去年、クィディッチ杯に勝つ筈だったんだ。間違いなく、最強のチームだった。残念ながら、我々の力ではどうにもならない事態が起きて……」
 ウッドは平静を取り戻そうと、そこで一度言葉を切った。
 チェイサー戦では優勢だった。とは言え、それは僅かにでしかない。昨日、一昨日にクィレルと対峙し、サラは試合に臨んだのだ。まともに集中出来ず、ミスの連発だった。
 それ以前に、それまでの練習でグリフィンドールは決裂していた。ハリーの信用が回復したと思えば、シーカーであるハリーが欠場だ。チームの士気は下がる一方だった。
 当然、グリフィンドール・チームがスニッチを取れる筈も無い。グリフィンドールは昨年度、この三百年来最悪の大敗北となった。
「――だから、今年は今までより厳しく練習したい……。
よーし、行こうか。新しい戦術を実践するんだ!」
 ウッドは大声で言い、一人張り切って更衣室から出て行った。他の選手達は、欠伸をし、足を引きずりながら後に続いた。

 霧はまだ僅かに残っていたが、太陽ははっきりと分かる位置に昇っていた。
 グラウンドを歩いていると、ハリーがサラの肩を叩いてスタンドを指差した。そこには、ハーマイオニーとロンが座っていた。
「まだ終わってないのかい?」
 ロンは信じられないという表情だ。
「まだ始まってもいないんだよ。ウッドが新しい動きを教えてくれてたんだ」
 ロンとハーマイオニーが持ってきたマーマレード・トーストをサラはぼんやりと見つめていたが、ウッドに呼ばれてハッと気づき戻っていった。
 サラは箒に跨り、強く地面を蹴って空中に舞い上がった。朝の空気は冷たく顔を打ち、予想通り良い目覚ましとなった。
 準備運動でそれぞれに競技場を飛び回る。サラはふと、カメラのシャッターを切る音に気がついた。人気の無い競技場でその音は異常に大きく響き、選手達の気を散らす。
 音の主は、やはりコリン・クリービーだった。
「こっちを向いて、ハリー! こっちだよ! サラ! もっとハリーの傍に行って!」
 もう、我慢がならない。
 サラはくるりとその場で回転し、真っ直ぐコリンの下へと飛んで行った。コリンはサラの怒りに気づかず、黄色い悲鳴を上げる。
 サラはコリンの正面へと着地した。
 間近でサラの冷ややかで鋭い視線を浴び、流石のコリンも怯える。
「貴方、いい加減――」
 サラの言葉はそこで途切れた。数人の気配がここ、競技場へと近付いてくる。――スリザリン・チームだ。
 そして、何故かそこにはドラコの気配も紛れている。
 何故、ドラコがここに? スリザリン・チーム自体、何故、ここに?
 サラは訝りながら、箒に跨ってそちらへと飛んで行った。

 男子達が先についていて、どうやらもめているようだった。スリザリン・チームが、これからここで練習を行うと言い出しているらしい。
 スリザリンの選手達は、サラとは較ぶべくも無く、ウッドよりも更に大きい男子ばかりだ。六人の選手が肩と肩をくっつけて立ちはだかっている。ドラコは、その向こうに隠れているようだ。
 当然、ウッドがスリザリンの使用に黙っている筈が無かった。
「ここは僕が予約したんだ! 僕が予約したんだぞ!!」
 しかし、フリントは鼻で笑う。
「こっちには、スネイプ先生が特別にサインしてくれたメモがあるぞ。
『私、スネイプ教授は、本日クィディッチ競技場において、新人シーカーを教育する必要がある為、スリザリン・チームが練習する事を許可する』」
「新しいシーカーだって? 何処に?」
 ウッドの言葉に、六人の大きな選手の後ろから七人目が現れた。ドラコだ。ドラコはサラより背は高い筈だが、他の六人と並ぶと、随分と小さく見えた。
 ドラコは得意げな笑みを浮かべている。フレッドが嫌悪感をむき出しにし、吐き捨てるように言った。
「ルシウス・マルフォイの息子じゃないか」
「ドラコの父親を持ち出すとは、偶然の一致だな。
その方がスリザリン・チームにくださった、ありがたい贈物を見せてやろうじゃないか」
 七人全員が、一斉に自分の箒を突き出した。
 七本とも新品だ。綺麗に磨き上げられた柄に、美しい金文字で銘が書かれている――「ニンバス2001」、と。
「最新型だ。先月、出たばかりさ。旧型2000シリーズに対して、相当水をあける筈だ。旧型のクリーンスイープに対しては」
 フリントは、クリーンスイープ5号を握り締めているフレッドとジョージを鼻先で笑った。
「2001がクリーンに圧勝」

 グリフィンドール・チームは、誰も言葉が出なかった。ドラコの得意げな笑みが癪に障る。
「おい、見ろよ。競技場乱入だ」
 フリントの言葉に、サラはスタンドの方を振り返った。
 ロンとハーマイオニーが、何事かと芝生を横切ってこちらへ向かってくる。
「どうしたんだい? どうして練習しないんだよ。
それに、あいつ、こんな所で何してるんだい?」
 ロンは、スリザリンのユニフォームを着ているドラコを顎で示して言った。
「ウィーズリー、僕はスリザリンの新しいシーカーだ。
僕の父上がチーム全員に買ってあげた箒を、皆で賞賛していた所だよ」
 スリザリンの選手達は再び箒を掲げる。
 ロンは七本の最高級の箒を見て、唖然とした。
「いいだろう?」
 ドラコは事も無げに言った。
「だけど、グリフィンドール・チームも資金集めをして新しい箒を買えばいい。クリーンスイープ5号を慈善事業の競売にかければ、博物館が買いを入れるだろうよ」
「少なくとも、グリフィンドールの選手は、誰一人としてお金で選ばれたりしてないわ。こっちは、純粋に才能で選手になったのよ」
 ハーマイオニーの言葉に、ドラコの自慢げな表情が一瞬強張った。そして、吐き捨てるように言い返した。
「誰もお前の意見なんか求めてない。
生まれそこないの『穢れた血』め」
 途端に轟々と声が上がった。ドラコは余程酷い悪態をついたらしい。フレッドとジョージはドラコに飛びかかろうとし、フリントは急いでドラコとの間に立ちはだかった。
 ロンはローブに手を突っ込み、スペロテープで継ぎ接ぎされた杖を取り出した。嫌な予感がした。
「マルフォイ、思い知れ!」
 叫び、ロンはフリントの脇の下からドラコの顔に向かって杖を突きつけた。サラは止めようとしたが、遅かった。
 大きな音が競技場中に木霊し、緑の閃光が、ロンの杖先ではなく反対側から飛び出し、ロンの胃の辺りに当たった。ロンはよろめき、尻餅を着いた。
「ロン! ロン! 大丈夫!?」
 ハーマイオニーが悲鳴を上げた。ロンは口を開くが、言葉が出ない。代わりに、とてつもないゲップと数匹のナメクジがロンの口から出てきた。
 スリザリン・チームは笑い転げる。サラはそちらを見ないようにしながら、ロンの方へと駆け寄った。他のグリフィンドールの仲間もロンの周りに集まったが、誰もナメクジを次々と吐き出すロンに触れようとはしない。
「ハグリッドの所に連れて行こう。一番近いし」
 ハリーの言葉に、サラとハーマイオニーは頷いた。ハリーとハーマイオニーとで、ロンの腕を両側から掴んで助け起こす。二人より背丈の低いサラは、どうロンを支えようかと右往左往していた。

 グラウンドから出ようとした所で、コリンがスタンドから駆け下りてきた。手の空いているサラに、引っ切り無しに話しかける。
「サラ、どうしたの? ねえ、どうしたの? 病気なの? でも、君とハリーなら治せるよね?」
 ロンがまたナメクジを吐き出す。コリンは感心するような声を上げた。そして、あろう事かカメラを構える。
「ハリー、動かないように押さえててくれる?」
「コリン、そこを――」
「ペトリフィカストルタス」
 ハリーの叱咤する声を、冷たい声が遮った。コリンはバチンと手を両脇に貼り付け、足を閉じて後ろへ倒れる。
「サラ!?」
「貴方が動かないでいてくれる?」
 コリンは、目に怯えた色を浮かべてサラ達を見上げている。
「サラ、いくら何でもやりすぎよ……」
 ロンの口から、またしてもナメクジが吐き出された。
「誰かが助けるわよ。それより、早くロンを連れて行かなきゃ」
 ハリーとハーマイオニーは心配そうにコリンを見下ろしたが、ロンがナメクジを吐き出すと慌てて足を動かした。
 コリンは諦めて帰るグリフィンドール・チームが通りかかるまで、ずっとその場で硬直し倒れたままだった。





 ハグリッドの所へ来ていたロックハートをやり過ごし、四人はハグリッドの小屋へと駆け込んだ。ロンには大きな洗面器が差し出された。
 少々ロックハートについての雑談をし、ハグリッドはロンに目をやった。
「――それで? 奴さん、誰に呪いをかけるつもりだったんかい?」
「マルフォイが、ハーマイオニーの事を何とかって呼んだんだ。もの凄く酷い悪口なんだと思う。だって、皆カンカンだったもの」
「ほんとに酷い悪口さ」
 テーブルの下から、ロンの汗ばんだ青い顔が現れ、しゃがれ声で言った。
「マルフォイの奴、彼女の事『穢れた血』って言ったんだよ、ハグリッド――」
 ロンの顔は再びテーブルの下に消えた。ナメクジが押し寄せてきたのだ。
 ハグリッドは大憤慨していた。
「そんな事、本当に言うたのか!!」
 ハグリッドはハーマイオニーの方を見て唸り声を上げる。
「言ったわよ。でも、如何いう意味だか私は知らない。もちろん、もの凄く失礼な言葉だって事は分かったけど……」
「あいつの思いつく限り、最悪の侮辱の言葉だ。
『穢れた血』って、マグルから生まれたっていう意味の――つまり、両親とも魔法使いじゃない者を指す、最低の汚らわしい呼び方なんだ。魔法使いの中には、例えばマルフォイ一族みたいに、皆が『純血』って呼ぶものだから、自分達が誰よりも偉いって勘違いしている連中がいるんだ」
 ロンは小さなゲップをした。ナメクジが一匹だけ飛び出し、ロンの伸ばした手の中に落ちた。ロンはそれを洗面器に投げ込み、話を続ける。
「もちろん、そういう連中以外は、そんな事全く関係無いって分かってるよ。ネビル・ロングボトムを見てみろよ――あいつは純血だけど、鍋を逆さまに火にかけたりしかねないぜ」
「それに、俺達のハーマイオニーが使えねぇ呪文は、今までにひとっつも無かったぞ」
 ハグリッドが誇らしげに言い、ハーマイオニーは頬を紅潮させた。
 ロンは震える手で額の汗を拭いながら話し続ける。
「他人の事をそんな風に罵るなんて、ムカつくよ。『穢れた血』だなんて、まったく。卑しい血だなんて。狂ってるよ。どうせ今時、魔法使いは殆ど混血なんだぜ。もしマグルと結婚してなかったら、僕達とっくに絶滅しちゃってたよ」
 そしてロンの顔は、またテーブルの下へと消えた。
 ハグリッドは「うーむ」と唸る。
「そりゃ、ロン、奴に呪いをかけたくなるのも無理はねぇ。
だけんど、お前さんの杖が逆噴射したのは、かえって良かったかもしれん。ルシウス・マルフォイが学校に乗り込んできおったかもしれんぞ、お前さんが奴の息子に呪いをかけちまってたら。少なくともお前さんは面倒に巻き込まれずに済んだっちゅうもんだ」

 サラは、一言も口を挟まなかった。
 ハリーのように、糖蜜ヌガーで顎が接着されてしまった訳ではない。ずっと俯いていて、糖蜜ヌガーには全く手をつけていないのだから。
 段々、ドラコを嫌いになってしまいそうだった。
 そして、それが悲しかった。
 「嫌いになってしまいそう」という事は、まだ嫌ってはいないという事だ。サラを嫌っている、追い出そうとしている、と分かっているのに、まだサラはドラコを心の何処かで信用している。
 また、嫌いになりたくないと思っているのだ。だから、ドラコが嫌な奴に思えてしまう事が悲しい。
 いつの間に、自分はこんなにも甘い人間になってしまったのだろう。弱くなってしまったのだろう。
 既にサラは、ドラコに嫌われ彼から離れる事を、恐れるようになってしまっていた。


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2007/07/22