ハリーとサラは、頭の天辺から足の先までずぶ濡れで、グリフィンドール塔へと帰っていた。二人の歩いた後には、泥水が尾を引いている。
あまりに酷い天気の為普段よりずっと早くに練習は終わったが、それでも二人の表情が明るくなる事は無かった。スリザリン・チームの偵察をしてきたフレッドとジョージによると、スリザリンの選手達は空中を縦横に突っ切る七つの影にしか見えなかったそうだ。
例えどんなに良い箒であろうとも、使いこなせなければ意味が無い。サラはそう高を括っていたが、どうやらスリザリン・チームはきちんとその速さを使いこなしているらしい。
二人の歩く水音の中、サラは猫の鳴き声が小さく聞こえた気がして辺りを見回した。見れば、黒い子猫がサラの背後にちょこんと座っている。アリスのペット、リアだった。
「どうしたの? ――なんで、リアがここにいるんだい?」
サラが足を止めた事でハリーも気づき、サラの足元にいる猫を見る。
リアは、サラがユニフォームの上に着ているマントの裾を小さな口でくわえて軽く引っ張る。それから、そのくりっとした目でサラを上目遣いに見上げた。
「ついて来い、って言ってるのかな……?」
リアはマントから口を離すと、前方へ少し歩いて進み、サラを振り返る。
どう考えても、ついて来るように急かしているとしか思えなかった。
「ハリー、先に寮へ帰っててちょうだい。私、ちょっと行って来るわ」
「僕も一緒に行こうか?」
「私だけで平気だと思うわ。それより、私の箒もお願いしていい?」
「いいよ。それじゃ、ロンとハーマイオニーにも言っておくね」
サラは「よろしく」と微笑み、リアの後を追ってその場を駆け去った。
No.43
「こいつ……馬鹿にしてんじゃないわよ!!」
アリスの笑みに腹を立て、女子生徒の一人がアリスの頬を強く叩いた。あまりの強さに、アリスはよろける。
紅くなった頬を押さえたりはせず、目の前の女子達を睨み付けた。
兎に角、時間を稼がねばならない。彼女達をただで帰したりするものか。少なくとも、今後このような事が無いように脅してもらわねば。
「何よ? 何か言いたげじゃない」
「随分反抗的ねぇ。自分の立場が本当に分かってないようね」
「何だって言うのよ?」
「別に。ただ、何の策も無しに馬鹿な人達、と思ってるだけよ」
挑発するようなアリスの言葉に、今度は蹴りが入った。避けきれず、アリスは床に転がる。
もう少し。もう直ぐ、来る筈だ。
反撃すれば、いざという時不利になる。教師に訴えても、下手すれば喧嘩扱いとなってしまうかもしれない。
それに、自分の手を汚す事はしたくなかった。どうせ自分が反撃した所で、魔法も大して知らなければ、取っ組み合いも大して強くない。寧ろ、取っ組み合いなんてした事がない。暴力を複数から連発され、怪我をするのは嫌だ。
……遅い。何故来ない。
まさか、二人共クィディッチの練習中なのだろうか。
立ち上がろうと床に着いた手を、女子生徒の一人に踏みつけられた。その痛みに、アリスは悲鳴を上げる。
女子生徒達は可笑しそうに笑う。
「そのまま手を着いて土下座すれば、許してあげない事も無いわよ〜」
「ポッターやシャノンに、あんなに媚を売ってるんですもの。それぐらい、慣れっこよねぇ?」
「貴女達みたいな下流階級の者達に媚びたって、何のメリットも無いわ」
痛みに顔を歪めながらも、アリスは彼女達を睨み付けて言った。
アリスの手を踏んでいた生徒は、その足に体重をかけてぐりぐりと踏みにじる。アリスは再び悲鳴を上げた。確実に、今ので骨が折れただろう。
リーダー格の女子が、懐から杖を取り出した。
ゆっくりとした動作で、ピタリとアリスのこめかみに杖を突きつける。
その時、アリスはある人物の気配が近付いてくるのを感じた。
「貴女、確かマグルの中で暮らしてたのよねぇ? 母親は魔女だって、貴女は言ってたけど。でも、シャノンとエリ・モリイに入学許可証が来るまで魔法の存在も知らなかった、ってドラコに話してたわよねぇ。
でも、私達は違うのよ。まだ授業で魔法の実践を習っていなくても、いくつもの魔法を既に使えるわ。
貴女、私達を下流って言ったけれど、マグルの方がずっと下よ? 分かってる? ――何が可笑しいのよ?」
アリスの肩が震えている原因が笑っているからだと気づき、彼女は不快気に尋ねた。
アリスは顔を上げ、小馬鹿にしたような笑みを見せる。
「ええ。分かってるわよ。マグルよりも魔法使いの方が上って事ぐらい。だから、サラもエリも特別に秀でているんだもの」
「何が可笑しいのか言いなさいよ」
「貴女達の愚かさ加減よ」
かぁーっと女子生徒達の顔が怒りで赤くなった。杖を大きく振り上げる。
「貴女、いい加減にしなさい!! デンソージオ!!」
しかし、振り下ろした彼女の手には何も無かった。当然、アリスには何の変化も現れない。
「貴女達……何をやっているのかしら?」
何処までも冷たい声に、アリスを取り囲む女子生徒達は恐る恐る振り返った。扉の所に、杖を二本持った女子生徒が立っていた。
アリスは一瞬の内に泣き顔になり、突然の助けにホッとしたかのように叫んだ。
「サラ!」
サラは、アリスや他の女子生徒達よりも背丈が低い。その筈なのに、やけに威高気で大きく見えた。
サラは怒っていた。救出される側であるアリスでさえも、その鋭い視線に怯んでしまう。
アリスの手を踏みつけていた女子生徒がたじろぎ、手の甲が軽くなる。その隙を逃さず、アリスは正面を塞ぐ女子生徒達を押しのけて、サラの所まで駆け寄った。サラの腕に飛びつくようにして、怯えているかのようにサラの背後に隠れる。
――やっぱり、エリの方が良かったかしら。サラの背後に隠れるようにするのって、難しいわ。
サラはアリスを自らも引き寄せ、声をかけた。
「……もう、大丈夫よ」
意外と優しい声にアリスは驚き、一瞬ぽかんとしてしまった。サラがこんな話し方をする所など、見た事も聞いた事も無い。俯いていたのが幸いし、サラに演技がばれる事は無かった。
サラはじろりと女子生徒達を睨みつける。
「許さないわよ、貴女達……。下級生だからと言って、容赦しないわ」
アリスは、サラにとってかけがえの無い味方だった。アリスがサラを敵視しないと宣言した手紙を送ってきた時、どんなに嬉しかった事か。夏休みにモリイ家へ帰り、「お帰り」と言ってくれたのはアリスだけだった。サラの味方は、家庭内にはアリスだけだった。
当然、サラは、それにつけ込まれているなどとは夢にも思っていない。
大切な妹が攻撃された。報復はもうしないと誓った筈だったが、許す事は出来なかった。仕返しせねば、痛い目に遭わせねば、気が済まない。
サラは杖を振った。アリスの手を踏みつけていた女子が、首を押さえて呻き声を上げる。彼女は見えない縄に吊るされるかのように、足を宙に浮かせた。何も無い首を引っ掻き喘ぐ。他の女子生徒達は、恐怖で声が出ず動く事も出来ない。
アリスが、サラの腕を引っ張った。
「サラ、駄目よ!」
善良そうに言うアリスに、女子生徒達は目を見開く。先ほどまでとは、明らかに様子が違った。
「駄目よ、サラ。殺しちゃ駄目」
その言葉に、さっと皆の顔が青くなる。締め上げられている仲間を見る事も出来なかった。
サラはアリスの方を見ずに冷ややかな声で言ってのけた。
「別に、殺すつもりなんて無いわ。でも、ある程度は痛い目見ないと、分からないでしょう……?」
「それでも駄目よ! だって、可哀想だもの! お願い。放してあげて!」
女子生徒達はアリスの豹変っぷりに声を上げようとしたが、留まった。アリスがサラの背後で、あからさまにサラを視線で示したのだ。その動作が意味するところぐらいは容易に分かる。
スリザリン生である自分達よりも、妹であるアリスの方が、サラからの信用がある。サラがどちらの言葉を信じるかなど、目に見えている。
サラは、首を絞めていた女子生徒を床に落とした。冷ややかな視線で女子生徒達を眺める。
「感謝するのね。アリスは貴女達に苛められたってのに、それでも貴女達を庇うのだから。次は無いわよ。分かってるわね?」
彼女達はガクガクと頷く。
「行きなさい。その醜い面を二度と見せないで」
女子生徒達は、一斉に教室を出て行った。床に落とされ座り込んでいた生徒も立ち上がり、一泊遅れ、慌てて皆の後をついて行った。
サラは軽蔑の眼差しでそちらを眺めていた。そして彼女達が見えなくなると、アリスに向き直った。もう、怒りに満ちた鋭い視線ではなかった。
「大丈夫? アリス。本当に最低な人達だわ……。
リアがつれて来てくれたのよ。賢い猫よね」
「リアが? わぁっ。リア、ありがとう!」
アリスはサラの足元にいたリアを抱え上げ、抱きしめて褒め称えた――作戦成功だ。
サラはアリスを心配そうに見つめる。
「手を踏まれていたけど、大丈夫?」
「あー……若しかしたら、折れたかもしれないわ……」
「そんな! 大変、医務室に――」
サラは扉の方へと方向転換し、そこでピタリと静止した。
そこに立っているのは、鬼の形相で目をギラギラと血走らせたフィルチだった。サラの垂らした泥水を追って現れたのだ。
ミセス・ノリスも現れ、リアが全身の毛を逆立たせて攻撃態勢に入る。ミセス・ノリスも同じようにし、二匹は互いを威嚇し合う。
「汚い! 貴様もか! ええい、どいつもこいつも!! 一体、どれだけ仕事を増やすつもりだ!!」
喚き散らしながら、教室の中へ入ってくる。
サラがフィルチとすれ違って扉の方へ行こうとすると、がしっと肩を掴まれた。
「逃がさんぞ!!」
「誰も逃げようとなんてしていませんよ。――スコージファイ」
サラは杖を振って唱えた。
一瞬で、廊下に滴り落ちていた泥は全て消えて無くなった。サラは、にっこりと微笑んでフィルチを見上げる。
「これで文句無いでしょう?」
そうはいかなかった。フィルチは、生徒を処罰する事が生きがいなのだ。
「貴様は廊下で魔法を使った! これも校則違反だ!! シャノン、来い!」
「あの〜……いいですか?」
アリスが、おずおずと口を挟んだ。フィルチは邪険にアリスを振り返る。
「あの、あたし思うんですけど、サラ、廊下で魔法なんて『使って』はいませんよね? 廊下に魔法を『かけました』けど。使ったのは、教室では?」
サラはアリスの意見に同調するように、こくこくと頷いた。
フィルチはサラの立っている位置を何度も見る。どんなに穴の開くほど見つめても、サラは教室から出ていなかった。
「また一滴でも泥を落とせば、貴様に重い罰を与えてやる」
フィルチは苦々しげに言うと、ミセス・ノリスと共に教室を出て行った。
サラはふーっと深く息を吐き、アリスを振り返る。
「ありがとう、アリス。助かったわ」
「助けてもらったんだもの。そうでなくても、当然の事だわ」
アリスは笑顔で答える。
サラは、アリスのような素直な妹がいる事を心底嬉しく思っていた。
サラが寮へ帰ったのは、何故かハリーと同時だった。
「ハリー、貴方、まだ帰ってなかったの? 随分前に別れたのに、どうして」
サラは医務室へアリスを送り届けて来た。ハリーはサラに彼女のニンバス2000を渡し、肩を竦める。
「この有様だから、フィルチに捕まっちゃって。サラは、どうして綺麗になってるの?」
「空き教室で、呪文を唱えて綺麗にしたのよ。私の所にも来たのよね、フィルチ。話の様子からして、貴方を捕まえた後かしら。アリスが庇ってくれて、何とか逃れられたけど。でも、再び雫を落としたら処罰だって言われたから」
「ミミダレミツスイ。
じゃあ、やっぱりリアはアリスの所へ案内したんだ。一体、何だったんだい?」
太った婦人の肖像画が、ぱかっと開いた。
「ちょっとしたゴタゴタに巻き込まれていて。もう、解決したわ。もう二度と無いと思う」
「――スリザリン生に囲まれていたりでもしたの? それでサラが脅して鎮めといたって事?」
サラは濡れた箒の柄をタオルで拭いていたが、ピタリと固まった。
「……どうして、そんな風に思うの?」
「アリスはあれでもスリザリン生だもの。なのに、グリフィンドール生である僕達に懐いているんだ。同じ寮の生徒が快く思う筈が無いよ」
「だからって、どうして私が」
「サラはそういう性格じゃないか。リアがサラを呼ぶなんて、アリスがよっぽどピンチだったって事だろう? サラが、そんなアリスを目の当たりにして黙ってる筈がないしね」
サラは驚きを通り越して呆れ返ったように溜め息を吐いた。
「ハリーって、何でもお見通しね。――酷い奴だとは思わないの?」
「アリスを苛めた人?」
「私をよ。
私、自分でも、いくら何でもやり過ぎたと反省してるわ。あんな雑魚達なら、睨みを効かせる程度で良かったかもしれない」
「別に。立派な理由があるじゃないか。それに、そんな事を言ったら、マルフォイに呪いを掛けようとしたロンだって同じだ。僕も、あの言葉の意味を知っていれば同じようにしただろうしね。
――サラは? あの時、ハーマイオニーに吐いた暴言の意味を知っていたら、マルフォイに呪いを掛けた?」
「そんなの……」
当たり前だ、と言おうとしたが、言葉の先が出てこなかった。
あの時、「穢れた血」という言葉の意味を知っていたら、サラはどういった反応をしていたのだろう。ハーマイオニーは親友だ。親友が、最悪の言葉で貶されたのだ。普通なら、真っ先に反撃している。得意技の首吊りは確実だ。
だが……サラは、それをしただろうか。
当たり前だ。しない筈が無い。ハーマイオニーは親友なのだ。あの発言は、百パーセント、ドラコが悪い。頭では分かっているが、言葉は出てこなかった。
「私、は……」
「ごめん。今の質問は意地悪だったよ。
――サラ、自分の気持ちを押し殺そうとなんてしなくていいと思うよ。もし僕達に遠慮してるなら、そんな必要も無い」
「何の話?」
「最近になって、やっとそう思うようになったんだ。前は、親友があんな奴を好き合うなんて嫌で仕方が無かったけど。でもやっぱり、そんなのサラの自由で僕達が決めるような事じゃないし――」
「妙な誤解をしないで!」
――やめて。そんなの、認めない。認めたくない。掻き乱さないで。
「……自分に敵意を向ける人を愛するなんて、私には出来ないわ」
サラは静かに言った。その場がしんと静まりかえる。談話室の話し声が聞こえていた。
沈黙を破ったのは、苛立った甲高い声だった。
「さあ、話が済んだなら、さっさとお入り! いつまで私を開きっぱなしにするつもり?」
「ごめんなさい」
ハリーは誤り、先に談話室へとよじ登る。
サラが後に続いて穴をよじ登っていると、婦人の声が掛けられた。
「私の経験から言わせてもらいますとね、素直になった方がいいわよ。意地を張っていても、何も前には進まないわよ」
「ほっといてちょうだい!」
サラは、バタンと強く入り口を閉じた。
所詮絵でしかない婦人に、何が分かるというのか。どんな経験があるというのか。
サラは腹が立つのを抑え付けながら、着がえて談話室に戻った。ハリーは既に来ていて、何やらロンとハーマイオニーと話している。ロンは渋い顔をしていて、ハーマイオニーは興味深げにハリーに色々と問いかけている。一体、何の話をしているのだろう。
「サラも来たみたいだよ。サラの意見も聞こうぜ」
ロンが自分達の方へと来るサラに気づき、言った。
サラはハリーに視線を移す。
「何の話をしていたの?」
答えたのはハリーではなく、ハーマイオニーだった。
「ハロウィーンの日の話よ。ニックが、絶命日パーティーに誘ってくれたんですって! 生きている内に招かれた人って、そんなに多くない筈だわ。ねぇ、面白そうだと思わない?」
サラは曖昧に肩を竦めただけだった。
「自分の死んだ日を祝うなんて、普通じゃないよな」
「さあ? 私、魔法界では何が普通に値するかイマイチまだ分からなかったりするもの。新しい人生の始まった日として考えれば、祝うのもいいんじゃない?
ねぇ、ハリー。それって、私達も行っていいの?」
ロンはただでさえ宿題が終わらず機嫌が悪い上、自分の意見に賛同が得られなかった。そのとばっちりは、サラへと来た。
「そう言えば確か、サラもまだ終わってなかったよね? 魔法薬の宿題。調合の仕方や注意点についてだから、昼休みずっと取り掛かっていても真っ白だった気が……」
「そうなの、サラ? だったら、ちゃんとやらなきゃ!」
「明日やるわよ。だって、スネイプにしては珍しく、提出までまだ三日もあるじゃない」
「三日なんてあっと言う間よ! ほら、早く教科書をレポートを持ってきて!」
サラは気の抜けた返事をし、再び寝室へと向かった。
談話室へ戻ってくると、ハリーがアリスの事を二人に話した所だった。
「サラ、本当に? 本当に、アリスが苛められてたの?」
「ええ。スリザリンの一年生、五人にね。顔もインプットしたわ。あとでドラコに名前も聞くつもりよ」
彼女達は、サラの中のブラックリスト入りを果たした。次は無い。
そうだ。ドラコにも根回ししておかねば。彼の事は信用出来ないが、まさかアリスまで追い出そうとしたりはしないだろう。……そうである事を願う。
サラがドラコの名前を出した事に、ロンがニヤッと笑った。
「それで? サラ、マルフォイとは何処まで進んでるんだい?」
サラはドスンと教科書や参考書の山を机に置き、ロンを睨み据えた。
「彼とは何の関係もありません!」
不愉快そうに宿題を広げるサラに、それ以上その話をしようと思う者はいなかった。
暫く黙々と宿題を進めていたが、ふと、ハリーが口を開いた。
「そう言えば、フィルチの所に手紙が――」
ハリーの言葉は、連続した破裂音に遮られた。
フレッドとジョージは、魔法生物飼育学のクラスから「助け出した」という火トカゲに、フィリスターの長々花火を食べさせて遊んでいた。その火トカゲが暴走しだしたのだ。
火花を派手に散らしながら、大きな音を立てて部屋中を猛烈な勢いでぐるぐると回る。サラ達は慌てて机の上へと避難した。
ハリーが何を言おうとしたのか、結局この時、聞く事は無かった。
ハリー、ロン、ハーマイオニー、サラの四人は、薄暗い廊下を足早に歩いていた。
ニックの絶命日パーティーは、決して愉快なものとは言えなかった。食事も生きた者が食べられる物は無く、ニックのお願いであるパトリック卿への推薦も成功しなかった。
それより何より、寒くて堪らなかった。ニックの話が始まると、四人はこっそりとパーティー会場を後にした。
「デザートぐらいなら、まだ残ってるかも」
玄関ホールへ出る階段への道を、ロンは先頭を切って歩きながら祈るように言った。
その時だった。
「……引き裂いてやる……八つ裂きにしてやる……殺してやる……」
サラはその場に立ち止まった。聞き間違う筈も無い、近頃、毎晩夢の中に聞こえる声だった。身も凍るような冷たい声。
ハリーも同じく立ち止まっていた。耳に全神経を集中させようと、石に縋っている。それは何も知らぬ者が見れば奇妙な体勢だった。
「ハリー、一体何を――」
「またあの声なんだ。ちょっと黙ってて……」
「……腹が減った……こんなに長い時間……」
「ほら、聞こえる!」
ハリーが急き込んで言った。ロンとハーマイオニーもその場に凍りついた。
何故だろうか。サラは、嫌な予感がしてならなかった。それは、恐怖よりも強かった。
「……殺してやる……殺す時が来た……」
シューシューという音のような声は、段々幽かになっていく。まるで、段々遠くへ離れて行くかのようだ。
声は、上へと進んでいた。石の天井など何も関係ないかのように。
駄目だ。胸騒ぎが止まらない。サラは、声のする方へと駆け出した。ハリーも続いて駆け出し、慌ててロンとハーマイオニーも後からついてくる。やがて、ハリーがサラを抜いて先頭に立った。
明るい話し声が漏れる大広間の扉にさえ目もくれず、大理石の階段を全速力で駆け上がる。二階へ来て、一端足を止めた。
「ハリー、サラ、一体僕達、何を――」
ハリーは「しーっ」とロンを黙らせ、耳をそばだてた。
サラも同じようにする。声は「血の臭いがする」と言っている。上の階だ。
「誰かを殺すつもりだ!」
ハリーはそう叫ぶなり、三階へと駆け上がる。サラも直ぐに後へ続いた。ロンとハーマイオニーも、当惑しながらも一泊遅れて後に続く。
三階の廊下をいくつも駆け抜け、角を曲がり、誰もいない薄暗い廊下に出て、ハリーはようやく足を止めた。サラも同様だった。もう声は聞こえない。
「二人共、説明してくれないか?」
ロンは額の汗を拭いながら言った。
「僕には何も聞こえなかった……」
サラは鼓動が速くなるのを感じた。走ったからではない。冷たい汗がどっと噴き出る。
この廊下には、妙に見覚えがあった。何度も通った事があるなどという話ではない。この廊下は、あの夢の場所と酷似していた。
ハーマイオニーがハッと息を呑んで前方を指差した。
「見て!」
壁にある何かが、松明の光を受けて明滅している。四人は慎重に近付いていく。サラの鼓動は更に速く脈打つ。
窓と窓の間の壁、高さ三十センチほどの位置に文字が何かで塗り付けられていた。
秘密の部屋は開かれたり
継承者の敵よ、気をつけよ
「何だろう――下にぶら下がっているのは?」
ロンの声は微かに震えていた。
サラはそれ以上近付いて見たくなかった。はっきり見えずとも、その影が何の物なのか分かる気がした。
しかし、三人はじりじりとそちらへ近付いていく。床に出来た大きな水溜りに足を滑らせ、ハリーがこけそうになった。
ある程度近付いた所で、三人はハッと息を呑んで立ち止まった。ハーマイオニーが、恐る恐るサラを振り返る。サラは、三人より数メートル後ろで硬直していた。
「……ミセス・ノリスよ」
さぁーっとサラの顔から血の気が無くなった。
「やっべぇ! もう間に合わねぇよ!!」
「大丈夫! デザートならきっと間に合うさ! ……多分」
「あんな時間にマクゴナガルが来なけりゃ、直ぐに帰れたのにな。ハグリッドなら、見つかっても見逃してくれるだろうし」
「まさか。ハグリッドと言えども、そんな生易しくないさ。何せ、森へ侵入する際は、第一の難関が奴だからな」
フレッド、ジョージ、リー、エリの四人は、口々に言いながら坂を上り切り、校門を駆け抜けた。校庭を横切り、ただひたすら城へ向かう。
今日は、三年生以上はホグズミード休暇だったのだ。エリはいつもの如く、隠し通路を利用して学校を抜け出し、ホグズミードを四人と一緒に見て回っていた。しかし帰ろうと三本の箒で席を立った時、店内にマクゴナガルとハグリッドが入ってきたのだ。どうやら二人は、また三姉妹の祖母の墓参りをしていたらしい。
エリは出るに出られず、ようやくマダム・ロスメルタが手を貸してくれて帰る事が出来た時には、とうに夕食の時間になっていた。
やっと広い校庭を横切って正面階段の下につき、二段飛ばしに駆け上がる。扉を大きく開けて四人は玄関ホールへと転がり込み、真っ直ぐ大広間の方へと駆け抜けた。
ちょうど、ハリー達が一階の階段から消えた所だった。
「良かった。まだ終わってないみたいだぜ」
扉の向こうの喧騒を耳にし、フレッドが安堵の息を吐く。
ジョージが扉に手を掛けたその時、エリは妙な声を耳にした。冷たい残忍な声――否、音だった。だが、その音が何を言っているのかエリには声を聞くかのように分かったのだ。
「……殺してやる……殺す時が来た……」
「おい、おい、おい……何かヤバくねぇか?」
「え?」
きょとんとする三人に構わず、エリは大理石の階段へと駆けて行く。三人も慌てて後に続いた。
声は猶も聞こえる。誰かを殺す気だ。危険だ。
三階まで上ったところで、声は聞こえなくなってしまった。しかし、何も案じる事は無かった。三階には、サラの気配があった。一緒に、ハリー、ロン、ハーマイオニーもいるのが分かる。
エリは迷わずそちらへと駆けて行った。
サラ達のいる廊下の端に出て、エリは立ち止まった。
松明に照らされた血文字らしき物。その下に吊らされたミセス・ノリス。サラは三人よりも少し背後で、猫を凝視し硬直していた。
猫は吊るされ動かなかった。
ハリーがこちらへ気づく。
「エリ――フレッド達も――」
その声で、他の三人もこちらを一斉に振り返った。フレッド、ジョージ、リーはただ呆然としている。
エリは掌に爪が食い込むほど、拳を強く握った。
「サラ……お前、何をした……!?」
サラが口を開く前に、ざわめきが廊下に押し寄せた。廊下の両側から、声が聞こえる。
間も無く、たくさんの生徒達が廊下に現れた。
エリ達の立つ所まで来た先頭の者達は、壁を見てピタリと立ち止まる。向こう側の生徒達も、途中で立ち止まっていた。痛いほどの沈黙が廊下に満ちる。ハリー、サラ、ロン、ハーマイオニーの四人は廊下の真ん中にぽつんと取り残されていた。
突如、エリ達とは反対側の団体から一人の男子生徒が飛び出して叫んだ。
「継承者の敵よ、気をつけよ! 次はお前達の番だぞ、『穢れた血』め!」
ドラコ・マルフォイは、妙に愉快気な様子だった。
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The Blood
第1部
希望求めし少女たちは
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2007/07/31