ドラコは一人、広く冷たい廊下を歩いていた。外は雨だが、廊下は無音の空間だった。ここには、窓が無いのだ。
 ドラコはゆっくりと歩を進めていた。特に何処へ行くという訳でもない。ただ、スリザリン寮へ帰りたくなかった。寮へ帰れば、ドラコを待っているのは仲間の野次だ。罵声だ。
 スニッチは自分の顔の横にあった。ハリーは、何のフェイントも無く真っ直ぐ飛んできた。それなのに、ドラコは気がつかなかったのだ。
 チェイサー戦は優勢だった。箒も、申し分無かった。明らかに、ドラコが敗因だ。
「悩んでいるね? 少年」
 壁に掛けられた肖像画の紳士だった。
 ドラコは顔を顰め、舌打ちをすると、足早にその場を立ち去った。

「あー、やっと見つけた! ドラコ!」
 どれくらい歩いただろうか。冷たい石の廊下に明るい声が響き渡り、ドラコはハッと顔を上げた。
 その声は、ある女の子によく似ていたのだ。
 正面から近付いてくるのは、黒髪の小柄な少女。しかし、ネクタイは緑だった。
「皆、探してたわよ。パンジーなんて、凄く心配していて……。
肖像画の紳士が、貴方が何処にいるか教えてくれて――」
「君達って、血の繋がりは無いよな?」
「え?」
 アリスはきょとんとした表情でドラコを見る。
「君とサラ。声が随分似ている気がしたから」
 アリスは目をパチクリさせた。
「別に、おかしくないんじゃない? サラもあたしも、変わった声って訳じゃないんだし。
兎に角、寮へ帰りましょう。――あ。でもあたし、スネイプ先生にお聞きしたい事があったんだったわ。悪いけど、先に帰っててくれるかしら」
 一息にそう言ってのけると、アリスはくるりと背を向けた。
 立ち去りかけたアリスの背に、ドラコは呼びかけた。
「アリス……君、僕の事避けてないか?」
 アリスはその場に立ち止まった。背は向けたままだ。
「……如何いう事?」
「君が入学して来た時から、何となく感じてたんだ。
避けてるってほどでもないけど……必要外では、僕と話さないようにしているような……。サラの話は特に避けようとしているだろう」
「別に。そんなつもり無いわよ」
 アリスは目を泳がせて言った。
 やはり、勘付かれていたか。気づかれてはいけないのに。どんなにパンジーに気を遣っていても、それをドラコに気づかれてしまっては、パンジーへの印象を悪くしてしまうだけだ。

 一刻も早くその場を立ち去ろうとしたが、再び背後からドラコの声が掛かった。
「――パンジーか?」
「……」
「気づいてない訳無いだろう。一年以上、寮生活だから毎日一日の殆どを一緒に過ごしてるんだ。
それに、パンジーのアピールは強いからな。女子の多くがパンジーに気を遣っている事も知ってる」
 その割りに、パンジーの前でもサラの話を出してしまうのは、ただ女心に鈍感という事だろうか。
「何も、そこまで気を遣う必要は無いんじゃないか? 女子同士の事はよく分からないけど、でも若し何かあったら僕が何とかしてやるよ」
 アリスは顔だけ振り返り、横目でドラコを見た。
「……そういう言葉って、好きな子だけに言った方がいいわよ」
 ドラコはただ呆然と、去っていくアリスの背を眺めていた。





No.47





「君達に面会に行くべきだったんだけど、先にポリジュース薬に取り掛かろうって決めたんだ。
ここが、薬を隠すのに一番安全だと思って」
 三階の女子トイレの個室に、四人はぎゅうぎゅう詰めで入っていた。便器の上に大鍋が置かれ、煮られている。
 ハリーがコリンの事を二人に話しだしたが、ハーマイオニーが遮った。
「もう知ってるわ。マクゴナガル先生が今朝、フリットウィック先生に話してるのを聞いちゃったの。だから私達、直ぐに始めなきゃって思ったのよ――」
「マルフォイに吐かせるのが、早ければ早いほどいい」
 サラが睨むのに気づき、ロンは言った。
「だって、そうだろ? 動機だって充分にある。
マルフォイの奴、クィディッチ試合の後、気分最低で、腹いせにコリンをやったんだと思うな」
「いくら何でも、そこまで酷い人じゃないわ。彼が腹いせをするとしたら、ハリーにちゃちな呪いをかけようとする程度よ。
昨夜、ダンブルドアとマクゴナガルがコリンを運んできたの。二人共、深刻な様子だった。
いい? ロックハートの部屋で、ダンブルドアも言ってたじゃない。こんな事、二年生に出来る筈ないんだわ。強力な闇の魔術を持ってして初めて出来る事なのよ。
言っとくけど、実行犯は怪物なんだからスリザリンの継承者の能力は関係無い、なんて事は無いと思うわよ。継承者にもそれ相応の能力が備わっていなきゃ、怪物が暴走するだけだわ。継承者自身、危険に晒される。そんな事になっていれば、もう部屋は閉ざしている筈だもの」
「自分の危険に気づかないぐらい馬鹿だ、ってのも有りだな」
「ご自分の事?」
「僕が何の危険に晒されてるって言うんだ?」
「その部分じゃないわよ」
「もう一つ話があるんだ」
 ロンとサラの口論を遮り、ハリーが言った。
 ロンとサラは押し黙る。サラはハーマイオニーがニワヤナギをちぎっているので手伝おうと手を伸ばしたが、余計な事はするなというように払われてしまった。
「夜中にドビーが僕の所に来たんだ」
 ロンとハーマイオニーは、驚いたように顔を上げた。
 サラはニワヤナギの束を手に取り、ハーマイオニーがやっていたようにちぎっていく。量が分からないので、鍋に入れずに束の横に積んでいった。
 ハリーはドビーの話した事を、二人に話して聞かせた。
 サラは自分でも驚くほどにドビーの話を聞いていなかったらしく、ニワヤナギを山積みにしながらハリーの話しに耳を傾けていた。

「『秘密の部屋』は、以前にも開けられた事があるの?」
「これで決まったな」
 サラの方を見ながら、ロンは意気揚々と言った。
「ルシウス・マルフォイが学生だった時に『部屋』を開けたに違いない。
今度は親愛なるドラコに開け方を教えたんだ。間違いない。
それにしても、ドビーがそこにどんな怪物がいるか、教えてくれたら良かったのに。そんな怪物がウロウロしてるのに、どうして今まで誰も気づかなかったのか、それが知りたいよ」
「まだ憶測の域を出てないわ。決め付けるのは早いわよ。
周囲から身を隠す方法なんて、いくらでもあるわね。本当に色々。魔法だけでもいくつもの方法があるし、多分、魔法薬でも何かあるんじゃないかしら」
「それ、きっと透明になれるのよ」
 ハーマイオニーは、蛭を突いて大鍋の底に沈める。
 サラは目をパチクリさせ、手元のニワヤナギの山とハーマイオニーが作業する大鍋を交互に見た。どうやら、ニワヤナギはもう必要無かったようだ。
「でなきゃ、何かに変装してるわね――鎧とか何かに。『カメレオンお化け』の話、読んだ事あるわ……」
「隠遁の能力がある生物って可能性は? マグルの実話ホラーとかに登場する魔法生物とかいるじゃない」
「君達、本の読み過ぎだよ」
 ロンが死んだクサカゲロウを袋ごと鍋に空けながら言った。空になった袋を丸めながら、ハリーを振り返った。
「それじゃ、ドビーが僕達の邪魔をして汽車に乗れなくしたり、君達の腕をへし折ったりしたのか……。
ねえ、ハリー、分かるかい? ドビーが君達の命を救おうとするのをやめないと、結局、君達を死なせてしまうよ」
 サラは大きく頷いた。
「あの場で、私にドビーの首を絞めさせてくれれば良かったんだわ。ドビーって、私達の意見に耳も貸そうとしないんだもの。私達はここにいたい、って言ってるのに。
あの家、あの場所で暮らすなんて嫌だわ。どんなに危険でも、ホグワーツの方がずっとマシよ」

 午前中いっぱいを、四人は女子トイレで過ごした。昼頃になってやっと陰気なトイレを出て、昼食を取りに大広間へと向かった。
 サラは、斜め後ろにいるハーマイオニーを振り返った。
「ねぇ、午後もずっと薬の調合?」
「そうね……だって、出来る限り早く完成させた方がいいでしょう? 今日出来る所までは進めたいの」
「サラ、何か予定あるの?」
 ハリーが尋ねた。
 サラは前に顔を戻し、言いよどむ。
「ええ……まあ……」
「それじゃあ、行ってきて大丈夫よ。そんなに人数いなきゃ作れないって訳じゃないもの」
 ハーマイオニーは何とも無しに言い、それからサラの横へやって来て声を潜めた。
「……マルフォイでしょう?」
 サラはどきりとする。何となく居心地悪くて、ハーマイオニーが来たのとは反対側へと目を逸らした。
「まあ、いいんじゃない?」
 サラは目を瞬き、隣を歩くハーマイオニーを見上げた。
「だって、昨日はずっと眠っていて、会えなかったでしょうし。
――何があったのかまでは分からないけれど……気持ちの整理は、もうついたって事?」
 サラは小さく頷いた。
「……そもそも、私の誤解だったのよね。
兎に角、昨日のお礼言って、謝らなきゃ。ドラコには今年になってから、ずっと余所余所しい態度取っちゃったから……」
「それじゃ、昨日の落下する前の事、覚えてるのね」
「ええ。その直後には気絶したから、ちらりとしか見てないけれど。
……ドラコだったのよね?」
「そうね。ほんと、あの時は普段の様子を忘れて、カッコイイと思っちゃったわ。サラがあんな純血主義者であろうとも惹かれるのが、分かった気がするわ。
好きなんでしょう? マルフォイの事」
 一年生の学期末に言われたのと、全く同じ言葉だった。あの時、サラは冷たく返した。自分が特定の人物を愛するなど有り得ないと思っていたから。自分自身を否定していた。
 だが、今、返す言葉は一年生の頃とは違った。





 中庭で、ようやくサラはドラコを見つけた。
 いつものようにビンセントとグレゴリーを引きつれ、パンジー・パーキンソンが寄り添っている。二年生になってから、パンジーは以前にも増してドラコと一緒にいるようになっていた。
 サラは深呼吸をし、真っ直ぐそちらへと歩いていった。
 当然、中庭へ出てきたサラに、こちらを向いていたパンジーが気がついた。サラの方をちらりと睨み、何も見なかったかのように話を続ける。
 サラは、ドラコの背後まで来て立ち止まった。人の気配に気づき、ドラコが振り返った。
「やあ、サラ」
「……ドラコ、ちょっといいかしら? 話があるの」
「今、ドラコは私達と話しているのよ」
 パンジーが微笑みながら言い、腕時計を見る。
「それに、この後は図書室で宿題を片付ける予定でしょう?」
「それじゃあ、先に行っててくれるかい? 僕は後から追いつくから」
 パンジーの顔からは笑みが消え、呆然としていた。
 ドラコはサラの手を引き、城へと入っていく。去り際に、サラは振り返った。パンジーは憤然とした表情で、こちらをギラギラと睨み付けている。サラは、いつもパンジーがするように、挑発的な笑みを残して立ち去った。

 生徒で溢れかえった廊下で話をするのは、いくら何でも無理がある。人気を避けると、本当に誰もいない廊下まで来てしまった。
 向かい合い、サラは深々と頭を下げた。
「昨日は、ありがとう……」
 かろうじて箒に掴まっていた左手を、ブラッジャーが強く打った。選手も観客もハリーに気を取られていた、一瞬の出来事だった。気を失う直前、こちらへと飛んでくる緑色が目に映った。
 緑は、スリザリンのユニフォームだった。
「あの高さから落下してたら、ブラッジャーによる骨折どころじゃなかったと思う。ドラコが助けてくれてなかったら、私……」
「ああ、うん……無事で良かったよ」
「それと、私、ドラコに謝らなきゃいけないの」
「え?」
 サラは俯き、視線を逸らした。
「気づいていたでしょう? 私……今年になってから、ドラコの事を避けてた。余所余所しい態度取っちゃって……」
 ドラコはただ、無言で相槌を打つ。
「夏休み、私、途中で事故があって、エフィーが帰ってこなかったって言ったでしょう? 意図的に止められていたのよ。
他にも、新学期の朝にはホームへの入り口が閉じちゃったり。ブラッジャーも同一犯だった。私とハリーを、ホグワーツへ来させまいとしていたのよ」
「何だって? 一体、誰が」
「それは言えないわ。
それで……ハリーと敵対してるって事で、ドラコに疑惑が浮上して。疑ってしまったの。
本当にごめんなさい……」
 ドラコは何も言わない。
 サラは気まずい思いでじっと足元を見つめていた。やはり、怒っているのだろうか。
――お願い。何か言って。
「……そっか」
 ドラコは溜め息と共に言った。
 サラは、恐る恐る顔を上げる。ドラコは苦笑していた。
「正直、ショックだよ。去年色々あって、今ではもうサラは信じてくれてるんじゃないかと思っていたから。
でも、サラが疑ったなんて、それなりの理由があったんだろう? 犯人を指し示す根拠が、僕にも当てはまったとか」
「ええ……。あの、でも、もう疑ってなんかいないわ。
その……本当に勝手だって分かってるけど……これからも、今までみたいに友達でいてくれるかしら……」
 今度は寂しそうな苦笑ではなく、普段の笑顔だった。
「当たり前じゃないか。
ああ、そうだ。今年のクリスマス休暇なんだけど、どうも家へは帰れそうにないんだ。改装工事があって。
我が家のパーティーに呼ぶ事は出来ないけど、今年はホグワーツで一緒に過ごせるよ」
「ドラコがハリー達と仲が良ければ、居残り組の皆で遊べるんだけど」
「それは絶対に無いな」





「……何をやっとるんだ?」
 クリスマス休暇まで、残り一週間も無くなった。暴風雨の時期はとうに過ぎ、エリのクィディッチ初戦であるレイブンクロー戦も無事終えた。何とか頼み込んで五年生の男子生徒がビーターになったが、体格の割には使い物にならなかった。まず、ブラッジャーに追いつかない。真面目に練習は行ってきたが、それはレイブンクローも同じ事。何とか二十点差で終えるので精一杯だった。当然、二十点差で敗北だ。
 いつもの如く、エリは地下牢教室へ来ていた。エリが調合用の器材をいじりだしても、スネイプは見てみぬふりをし、自分から話しかけようとはせず放置していた。エリは試験管を数本と、大き目のビーカーを用意する。珍しい事にスネイプへは話しかけず、次に鞄から一冊の本を取り出した。表紙のタイトルは日本語だ。エリが勉強とは、珍しい事もあるものだ。
 しかし、続いて鞄から出てきた物を見て、スネイプは尋ねざるを得なかった。
 エリが鞄から取り出したのは、オレンジジュースやりんごジュース、果物の缶詰など。崩れたタイプのゼリーなんてのもある。
「君はその器材で勉強をするつもりではないのかね?」
 スネイプの問いは至極真っ当な筈だが、エリは何をおかしな事を言ってるんだという風に笑った。
「俺が自首学習なんかする訳ねーだろ。
アイス作ろうと思って。この本さ、夏休みに友達と一緒に図書館へ行って見つけたんだ。アイスを層にする方法とか書いてるんだぜ」
 スネイプは頭痛がし、こめかみを押さえた。
「日本の友達って言うと、ほら、マグルでさ。日本のマグルの小学校って、夏休みに自由研究ってのがあるんだ。それで調べるのに、ついて行って」
「ほう。宿題が間に合わなかったのは、友人の学習の傍らで遊びほうけていたからか」
「別に間に合ったじゃんよー!」
「授業開始直前まで、我輩の目の前で取り組んでだがな」
「教師に出すまでが夏休みです」
「すると君は、前の授業を夏休み中に行ったのかね」
「ウン」
 ああ言えばこう言う。
 スネイプは溜め息を吐き、椅子に腰掛けた。エリは鼻歌を歌いながら、アイスに取り掛かる。

 暫く他愛も無い会話をしていると、エリによって開け放された教室の扉から、ふくろうがすいーっと入って来た。
 ふくろうはガチャガチャとエリがジュースを注いだ試験管をなぎ倒し、スネイプの下へと飛んで行った。
「あーっ!! 馬鹿ーっ。せっかく混ぜたりしたのに、台無しじゃんかよー!!」
 エリは大げさに嘆き、鞄から杖を出す。
「スコー……あー、駄目だ! やっぱり勿体無い!」
「勝手にやっているがいい」
「ス、スコージファイ……」
 固める前の段階だったアイスは、全て消え去った。
 エリはがっくりと肩を落とし、しかし直ぐに立ち直り、スネイプの方へ歩み寄った。
「誰からの手紙だ? 彼女?」
「注文していた、魔法薬の材料だ」
「なーんだ……」
 エリはつまらなそうに戻っていき、机の上の器材を片付ける。
 スネイプは忌々しげに言った。
「先日、二角獣の角と毒ツルヘビの皮が盗まれた。犯人は分かっている。ポッターやシャノンとその友人だ」
「んな、決め付けんなって……」
「グリフィンドールの授業中だった。グレゴリー・ゴイルの鍋に花火が投げ込まれ、大混乱になったのだ」
「証拠が出てきたのか? 若しそうなら、なんで何もしないんだ?」
「残念ながら、決定的な証拠が掴めていない。だが、花火を投げ込んだのはポッターだ。これは確実だ。
奴ら、また禄でもない事を考えているに違いない」
 エリは片付ける手を止めた。
「ああ……そうだな」
 サラは、一体今年何をしでかす気なのだろうか。

 その時、大きく扉が開いた。入ってきたのは、ギルデロイ・ロックハート。
 スネイプは、この来訪者を明らかに歓迎していない様子だった。ロックハートはスネイプの様子にも気がつかず、笑顔を振り撒く。光源の少ない薄暗い教室だというのに、白い歯はいつもとおなじぐらい輝いていた。
「スネイプ先生! 例の件については、考えてくださりましたか?」
「はっきりとお断り申し上げた筈だが」
 スネイプはロックハートの方は一切見ずに、届いた材料を片付けようと席を立つ。
「例の件って?」
 エリは試験管を試験管立てに一つ一つ立てながら、スネイプに尋ねた。
 ロックハートは驚いたようにエリの方を振り返る。普段から自分の目的しか眼中に無いのに、教室が薄暗い事も加え、気づいていなかったらしい。
「おやおや、エリじゃありませんか。私がここへ来ると、どうして分かったのかな?」
「相変わらず幸せな脳みそだな。追っかけされてるとエスパーかよ」
 エリが呆れたように言ったのをどう取ったのか、ロックハートはエリの方へ歩み寄ると、肩に腕を回してきた。
「分かってます。分かっていますよ。君は、お姉さんに嫉妬しているのでしょう。嫉妬の余り、素直になれずにつっけんどんな態度を取ってしまう。授業で目立とうとするのも、実は私の気を引く為なのでしょう? 直ぐに気づく事が出来なくて、本当に悪かったと思っています」
「俺は時々、お前がどんな思考回路をしてんだか知りたくなるよ」
「私の事が知りたいならば、本を読むと良いでしょう。私のファンを名乗るには、エリは少ーし本の読み込みが甘いよ」
 エリに話させまいと、ロックハートは延々と話し続ける。
 一体、どれぐらいこの状態が続くのだろう。エリがげっそりとそう考えた時、ロックハートの腕がエリを解放した。
 見れば、スネイプがロックハートをエリから引き剥がすようにしていた。
「ミス・モリイは、我輩の補習授業を受けに来ているのでな。そろそろ解放してもらわねば困る。こちらも、こんな馬鹿者に時間を割けるほど暇では無いのだ」
「決闘クラブ助教授の件は?」
「……引き受けよう」
 そう答えねば、何度も来る恐れがあった。
 スネイプは踵を返し、机の上の材料を持って教室の扉へ向かう。
「ミス・モリイ。ついて来たまえ。材料から教える」
「はい、はーい」
 エリは本を鞄にしまい、そそくさとロックハートから離れてスネイプの後に従った。

 ぴしゃりと扉を閉め、エリは大きく息を吐く。
「大丈夫かね? エリ」
「ああ。あの野郎、最近、段々とレベルアップしてきてるんだよな。流石に一人じゃ太刀打ち出来ない。助かったよ。
それで、決闘クラブ助教授って、何だ?」
 スネイプは不愉快そうに、眉間に皺を寄せた。
「明日にも貼り紙が出されるだろう。魔法使いの決闘の練習だ。決闘と言っても、実践的な攻撃魔法を学ぶだけだろうと思うが」
 エリは「ふーん」と相槌を打ち、ちらりと教室の扉を振り返った。
「……公開処刑、よろしくな」
「当然だ」





 決闘クラブは、大広間で行われた。普段食事をしている長いテーブルは取り払われ、一方の壁に沿って、長い舞台が出現している。何千本もの蝋燭に照らされ、舞台は金色に輝いていた。
 大広間は興奮した話し声でひしめき合う。どうやら、殆ど学校中の生徒が来ているようだ。
「一体、誰が教えるのかしら?」
 ハーマイオニーが言った。
「誰かが言ってたけど、フリットウィック先生って、若い頃、決闘チャンピオンだったんですって。多分、彼だわ」
「誰だっていいよ。あいつでなければ――」
 ハリーの言葉は、途中で呻き声に変わった。サラは深く溜め息を吐く。
「『あいつ』だったみたいね……」
 煌びやかな深紫のローブを纏った金髪が、舞台上に登場した。全身真っ黒、土気色の顔のオマケ付きだ。
 ロックハートは生徒達に手を振り、「静粛に」と呼びかける。
 ロックハートがだらだらと説明をする間、サラは今日の授業内容を頭の中で暗唱していた。
「――スネイプ先生が仰るには、決闘についてごく僅かご存知らしい。訓練を始めるにあたり、短い模範演技をするのに、勇敢にも、手伝ってくださるというご了承を頂きました。
さてさて、お若い皆さんにご心配をお掛けしたくはありません――私が彼と手合わせした後でも、皆さんの魔法薬の先生は、ちゃんと存在します。心配無用!」
「誰も心配なんかしてないわよ」
「相打ちで、両方やられちまえばいいと思わないか?」
 ロンが呟いた言葉に、サラは同意するように頷いた。隣に立つハーマイオニーは、ロックハートをうっとりと見つめている。
 スネイプは冷たい嘲笑を浮かべていた。だが、ロックハートは身の危険をこれっぽちも感じていないようだ。

 案の定、模範演技はスネイプによる瞬殺だった。ロックハートは防ぎきれず、後ろ向きに吹っ飛び、壁へ激突した。
 スリザリン生の間から歓声が上がった。エリも、同じように歓声を上げた。ハーマイオニーは爪先立ちになり、人垣の向こうを眺めようと跳ねる。そうしながらも顔を覆い、「大丈夫かしら?」と悲痛な声を上げた。
「知るもんか!」
「知ったことじゃないわ」
 ハリー、ロン、サラの声が重なった。
 ロックハートはふらふらと立ち上がった。帽子は何処かへ吹っ飛び、カールした髪は逆立っている。サラは笑みを浮かべずにはいられなかった。
「さあ、皆さん、分かったでしょう! あれが、『武装解除の術』です――ご覧の通り、私は杖を失った訳です――ああ、ミス・ブラウン、ありがとう。
スネイプ先生、確かに、生徒にあの術を見せようとしたのは、素晴らしいお考えです。しかし、遠慮なく一言申し上げれば、先生が何をなさろうとしたかが、あまりにも見え透いていましたね。それを止めようとすれば、いとも簡単だったでしょう。しかし、生徒に見せた方が、教育的に良いと思いましてね……」
 ここでようやく、ロックハートはスネイプの殺気に気がつき、慌てて言った。
「模範演技はこれで十分! これから皆さんの所へ降りていって、二人ずつ組にします。スネイプ先生、お手伝い願えますか……」
 この次に更なる攻撃を期待していたエリは、がっかりして肩を落とした。
「私達、奇数だけどどうする?」
 ハンナがエリ、スーザン、アーニー、ジャスティンを見回して言った。
 エリは、少し離れた所にジニーが一人でいるのを見つけた。
「それじゃ、四人でそれぞれ組んでいいよ。俺、ジニーと組むから」
 四人にそう言って別れ、高い背丈を活用して人垣を掻き分け、ジニーの方へ向かった。
「ジニー! 一緒に組もうぜ!」
 ジニーは近付いてくるエリに気づくと、顔を輝かせた。
 今日は、いつもより幾分かは顔色が良い。
「久しぶりね、エリ。
いいの? 友達は?」
「俺達、奇数グループだからさ。
ジニー、一人で来たのか?」
「こっちも同じ。奇数なのよ。それじゃ、お手合わせ願いましょうか」
「……杖を取るだけだぞ?」
「分かってるわよ」
 ジニーはそう言って笑った。

 一方、サラはハーマイオニーと組もうとしたが、スネイプによってそれは叶わなかった。ハリーとドラコ、ロンとシェーマス、ハーマイオニーとミリセント・ブルスロードという組み合わせだ。ロンが恨めしかった。
 サラの組ませられた相手は、パンジー・パーキンソンだ。
「決着をつけましょう、サラ・シャノン」
「あら。これで決着がつくなら、もう勝負は見えているけどいいのかしら?」
 パンジーはどきりとし、考え込む。
 サラの実力は、認めたくは無いが周知の事実だった。
「……ドラコが傍にいるわよ」
 パンジーは振り絞るように言い、サラの表情から笑みが消えたのを見てほくそ笑む。
「彼の目の前で私を痛めつけるって言うの? いびる方といびられる方、どちらが選ばれるかなんて分かりきった事だわ」
「真面目に課題に取り組む方と、可愛い子ぶって手を抜く方、どちらが選ばれるのかしら」
「女の子はおしとやかにするべきよ」
「それじゃあ精々、死なない程度に反対呪文を頑張るのね」
 パンジーは言い返そうとしたが、ロックハートに遮られた。
「相手と向き合って! そして礼!」
 サラとパンジーは素早く礼をし、互いに睨み合った。
「杖を構えて! 私が三つ数えたら、相手の武器を取り上げる術をかけなさい――武器を取り上げるだけですよ――皆さんが事故を起こすのは嫌ですからね。
いち――に――さん――」
「エクスペリアームズ!」
 サラの方が断然早かった。クィディッチで鍛えている事もあり、腕の動きは素早い。
 赤い閃光が真っ直ぐパンジーへと直撃し、パンジーは後ろへ吹っ飛んだ。
 予想以上に威力が出た。サラは急いでパンジーの消え去った方へ駆け寄る。パンジーは壁に激突し、その下に伸びていた。
「あらあら、大変。大丈夫?」
 サラは駆け寄り、床に手を着いてパンジーの顔を覗きこむ。
 パンジーは苦しそうに顔を歪め、腕を押さえた。
「痛い……酷いわ、サラ……杖を取り上げるだけだって言ったじゃない! 私に何の恨みがあるのよ……!」
「迫真の演技をしているところ悪いけれど、誰も気づいてないわよ」
 パンジーの呻き声はピタリと止まった。
 サラの言う通りだった。呪文が成功した所は少なく、辺りには様々な呪文による煙が立ち込めている。皆、他所を気にしている場合ではなかった。
 パンジーはフンと鼻を鳴らし、立ち上がろうとした。そして、悲鳴を上げる。
「痛たたたた! シャノン、手をどけて! 髪を踏んでるわ!!」
「あら。ごめんなさい」
 サラはけろりとした様子で言い、手をのけて立ち上がった。手をのける際、序でに髪を二、三本引き抜いた。
 パンジーは当然、騒ぎ立てる。
「痛いっ!! 髪を抜いたでしょう!」
「事故よ。
そんな事より、元の場所へ戻りましょう」
 サラは軽く言ってのけ、スタスタと元の場所へと戻っていく。
 何処も、悲惨な状況だった。ロンは蒼白な顔をしたシェーマスを抱きかかえ、折れた杖のしでかした何かを謝っている。ドラコは息を切らして座り込んでいた。傍にハリーはいない。何処にいるのかと辺りを見渡し、発見した。ミリセントがハーマイオニーにヘッドロックをかけ、ハリーは必死で引き剥がそうとしている。サラは慌ててそちらへ駆け寄った。
 ミリセント・ブルスロードはサラはもちろん、ハリーよりも図体が大きい。止めようと腕を掴んだ途端、勢い良く降り飛ばされた。直ぐに立ち直り、振り回される腕を避けながら、何とか取り押さえようとする。一瞬の隙を突いてハリーがハーマイオニーの手を引き、サラは離れたミリセントの足を払い、首の後ろ襟と袖を掴み彼女の上体に体重をかけて床に押さえ付けた。
 パンジーは当然、真っ先にドラコの下へと駆け寄っていた。下手に割り込むのもわざとらしい気がして、サラはそちらを見ないようにするしかなかった。

「むしろ、非友好的な術の防ぎ方をお教えする方がいいようですね」
 生徒達を見て回り、大広間の真ん中に棒立ちになってロックハートは言った。
 ロックハートはスネイプをちらりと見たが、スネイプは目に危険な光を湛え、ふいと顔を背けた。
「……。
さて、誰か進んでモデルになる組はありますか? ――ロングボトムとフィンチ‐フレッチリー、どうですか?」
「ロックハート先生、それは不味い」
 スネイプは底意地の悪い笑みを浮かべ、前へ進み出た。
「ロングボトムは、簡単極まりない呪文でさえ惨事を引き起こす。フィンチ‐フレッチリーの残骸を、マッチ箱に入れて医務室に運び込むのがオチでしょうな」
 スネイプは口元を歪め、笑みを濃くした。
「マルフォイとポッターはどうかね?」
「それは名案!」
 ロックハートは、ハリーとドラコに手招きした。他の生徒達は下がり、大広間の真ん中に空間が出来た。
 ハリーとドラコは、それぞれにそちらへゆっくりと進み出た。ハリーにはロックハートが、ドラコにはスネイプがアドバイスしている。
 サラは、喉を摩っているハーマイオニーの横へ歩いていった。
「あまり酷い呪文の掛け合いなんて、させないわよね?」
「大丈夫よ。若し、何かあったとしても、ロックハート先生が防いでくれるわ」
「あー、そうね」
 サラの言葉は棒読みだった。
 どう考えても、ハリーの方がふりだった。ロックハートが為になる呪文を教えてくれるとは思えない。そうサラが思った途端、ロックハートは杖を取り落とした。
「……」
「いざという時は、僕達が乱入するしかないな」
 ロンが、サラにぼそりと囁いた。
 ハリーとドラコは、互いに火花を散らしている。パンジーが、パグ顔に笑みを浮かべてサラの方へやってきた。
「サラ・シャノンは、どちらを応援するのかしら?」
「五月蝿いわね。ただの模範演技に、応援も何も無いわ」
 サラは噛み付くように言った。

 ロックハートがハリーの肩をポンと叩き、励ましの言葉をかけた。どうやら、そろそろ始まりそうだ。
「いち――に――さん――それ!」
 ハリーが何をすべきか迷っている内に、ドラコが先に杖を振り上げた。
「サーペンソーティア!」
 ドラコの杖の先から、にょろにょろと長く黒いものが出てきた。蛇だ。
 蛇は床にドスンと落ち、ハリーに向かって鎌首を上げた。サラはいつでも対応出来るよう、杖を握り締める。
 周りの生徒は悲鳴を上げ、後ずさりする。中央の空間が大きく広がった。
「動くな、ポッター。我輩が追い払ってやろう……」
 ハリーの様子を楽しむように悠々と前に進み出たスネイプを、ロックハートが遮った。
「私にお任せあれ!」
 ロックハートは蛇に向かって杖を振り回した。大きな音がして、蛇は二、三メートル宙を飛び、大きな音と共に反動で弾むような勢いで床に落下した。
 当然、蛇が怒らない筈が無い。
 蛇は怒り狂い、最早向かう相手も定まらぬ様子だった。ハリーの方へは向かわず、するすると観客の方へ近づいていく。ジャスティン・フィンチ‐フレッチリーの前まで来ると、鎌首をもたげて攻撃態勢に入った。
「手を出すな。去れ!」
 ハリーが叫んだ。ハリーの口から出てきたのは、シューシューという音だった。だが、サラにはその言葉が何を言っているのか分かった。
 サラは、同じ言葉を小学生の頃に話した事がある。夏休み、圭太の実家へ行き、蛇と遭遇した時だった。山に迷い込み、蛇に道を教えてもらったのだ。その言葉は、蛇と話す時の言葉だった。
 そして、いくつかの書物で読んだ内容を思い出す。これは不味い、と思った。サラザール・スリザリンもパーセルマウスだった。ただでさえ、ミセス・ノリスの時に現場にいた事で疑う者は何人かいる。その状況でハリーがパーセルマウスだと皆が知れば、どんな噂が立つかは容易に想像出来た。
 ジャスティンに襲い掛かろうとしていた蛇は、途端に大人しくなった。とぐろを巻き、従順にハリーを見上げる。
「一体、如何いうつもりだ!?」
 ジャスティンはハリーを責めるように叫んだ。ハリーが目をパチクリさせている間に、ジャスティンは踵を返し、肩を怒らせて大広間から出て行った。
 スネイプが進み出て杖を振り、蛇は黒い煙を上げて消えた。スネイプも、鋭く探るような目つきをハリーに向けている。
 隣に立っていたロンが、前へと進み出た。呆然としているハリーに声を掛け、大広間の外へと連れ出す。サラとハーマイオニーも、急いで二人について行った。

 ハリー達四人が大広間を出て行く間、エリはポカンと様子を見守っていた。
 蛇が落ち着き、エリはホッと胸を撫で下ろした。しかし、周囲の様子は違ったのだ。
「なあ、ジニー。一体、何なんだ? ハリーが止めなきゃ、あの蛇、ジャスティンの首を噛み切ってたぜ。なのに……。ジニー?」
 エリは、後ろにいるジニーを振り返った。
 ジニーは真っ青な顔で俯き、ガクガクと震えていた。





 三人は、ハリーを連れ、無言でグリフィンドール塔へと足早に向かっていた。
 四階まで上がってきた所で、階段の上に人影を発見した。生徒の殆どが大広間に集まっている中、こんな人気の無い所へ来ているなんて。四人は息を呑み、その場に立ち止まる。
 しかし、サラは真っ先にそれが誰であるかに気づいた。
「……アリス?」
 それは、アリスだった。
 アリスの方も気づき、笑顔で階段を降りてくる。
「どうしたの、サラ。決闘クラブは?」
「……具合が悪くなって、途中で抜けてきたの。アリスこそ、参加してないの?」
「ええ。リアが怪我をして、ケトルバーン先生に預けて来たの」
「怪我? まさかアリス、またあいつらに苛められてるんじゃ……」
 そしてハッと気づき、再び歩を進める。
「ごめん。今、急いでるの。
また何かあったら、直ぐ私に知らせるのよ。絶対自分一人で何とかしようとするんじゃないわよ」
 サラは再度念を押し、三人を促して階段を上がっていった。
 アリスは笑顔で頷き、それを見送る。四人が踊り場を曲がって見えなくなり、表情は無になった。
「恥をかかずに済むようなら、あたしだって決闘クラブに行ってるわよ……」
 アリスは未だに、魔法が使えなかった。
 オリバンダーの所で買った、梅とドラゴンの髭の杖は、何の反応も示さなかった。


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2007/08/26