簡素な部屋の片隅に、一人の女性が立ち尽くしていた。母親譲りの金髪が、西日に照らされている。
 現在、この家には彼女以外は誰もいなかった。夫は仕事、娘達はホグワーツにいる。

 ……いつも、一人だ。

 幼少時から、変わらない。父親はイギリスまで仕事に行っていた為、生活時間帯がナミとは大幅にずれていた。
 母親は死んだと聞かされていた。
 父親が殺されたあの日、ナミはそれが嘘であった事を知った。ナミの母親は、ナミと父を捨てていたのだ。
 許せなかった。酷いと思った。しかし、そう思いつつも、僅かな期待を捨てきれずにいた。自分が親だと明かした今、彼女はナミを大切にしようと思うのではないだろうか。何せ、夫の忘れ形見だ。唯一の家族だ。きっと、傍にいてくれる。
 期待は打ち砕かれた。
 彼女は、ナミと一緒に暮らそうとはしなかった。ナミを避けた。クリスマス休暇は当然のようにホグワーツで過ごし、夏休みはマクゴナガルの所に預けられた。

 ナミはそっと壁際を離れ、対角線上にある箪笥へと歩み寄った。
 上半分は洋服箪笥、下半分が引き出しになっている。ナミは、その一番上の段の右の引き出しを開けた。中には、通帳や判子等が入っている。
 そして、共に入っている一本の杖。
 ナミはその杖を取り出すと、呪文を唱えた。
「ルーモス」
 やはり、杖先には何の変化も現れない。
 ナミは唇を噛み、大きく杖を振り上げた。

「スクイブが私の子である筈がないだろう?」

 暫し、ナミは杖を振り上げたまま留まっていたが、やがて、そろそろと腕を下ろした。杖を叩きつける事は出来なかった。
 ナミの杖が生み出したのは、絶望だけだった。それでも、ナミは杖を捨てる事が出来なかった。
 十一年前、身のを隠すべくやって来たサラと己の母親を追い出せなかったように。





No.48





 翌日、グリフィンドールと合同である、薬草学の授業は中止になった。昨夜降りだした雪が強まり、スプラウトがマンドレイク薬の世話で忙しくなってしまったのだ。
 エリはハンナやスーザン、他の同寮の女子と共に、図書室へ来ていた。図書室内には、同学年のハッフルパフの男子生徒、同じく休講になったグリフィンドール生、それからこの時間に授業の入っていない上級生がいた。
「エリってば、なあに、その本」
 エリが部屋から持ってきた本を見て、ハンナが顔を顰めて言った。表紙には一体のグロテスクな生物が蠢き、その手前ではコウモリが飛び通っている。
 スーザンが本を六、七冊持ってきて、エリの隣にどさりと置いた。
「ホグズミードに行った時、買ってきた本?」
「そ。これ、悪戯の本なんだ。表紙のは、食べ物に何か仕込んだりして、人の姿を変えちまう悪戯。ま、流石に俺達は、こんな気味悪い姿には変えないけどな。せいぜい、カナリアとかその程度だろうよ。
つーか、何、その本の量。まるで、ハーマイオニーだな」
 エリは感嘆しながら、積み上げられた本を眺める。
 スーザンは、あっけらかんと言った。
「あら。エリも使うのよ。ギリギリになって切羽詰った状態でやるより、今一緒にやっておいた方が早いでしょう?」
「えーっ!」
「良かったじゃない、エリ。自分じゃ、どの参考書を使うかも分からないでしょ?」
 ハンナまでもが追い討ちを掛ける。
 エリは本から逃げるように、ガタ、と席を立つ。
 その時、図書室の扉が開き、冷たい空気が流れ込んできた。ハッフルパフの男子達だ。これ幸いと、エリはスーザンやハンナの言葉も聞こえぬかのように、男子の団体に手を振る。
 男子達はこちらへやって来たが、どうも一人見当たらない。エリは首を傾げた。
「ジャスティンはどうしたんだ? いないみたいだけど……」
 アーニーがシッと言う風に人差し指を立て、油断無く辺りを見回した。
「こんな所で大っぴらに話す訳にもいかない。皆、こっちへ来てくれ」
 アーニーは仰々しく言うと、図書室の奥の方を指差した。
 エリ達は互いに顔を見合わせ、席を立つ。三人だけでなく、他の女子生徒達も奥へ向かう団体に吸収されていった。皆、ハッフルパフの二年生だ。

 高い本棚が立ち並ぶ間で、団体は立ち止まった。
 アーニーが進み出て、前屈みになり、ひそひそと話した。
「皆、昨日の決闘クラブに参加しただろう?」
 一同、こくりと頷く。アーニーにつられ皆が前屈みになり、額を寄せ合うような形になっていた。
「それなら、見た筈だ。ポッターが何をしたのか……」
「ジャスティンを助けたんだろ?」
「ポッターは、皆が目撃した通り、ジャスティンに蛇をけしかけようとした」
 アーニーはエリの言葉を無視して続けた。
「ハロウィーンの日の事件、まさか忘れてる奴はいないよね? ミセス・ノリスが石になった。その現場に、あいつがいた。ミセス・ノリスは当然、生徒達から嫌われてるし、ポッターも例外じゃない筈だ。
それから、次にはコリン・クリービーだ。あの子はポッターに付き纏って、鬱陶しがられていた。この時も、ポッターは医務室にいた訳だから、アリバイが無い。
『秘密の部屋』が開かれたんだ。全ては、スリザリンの継承者によるものだ。同一犯なんだ。そして、今までの被害者の延長線上には、全てポッターがいる。
だから、僕、ジャスティンに言ったんだ。自分の部屋に隠れてろって。つまりさ、若しポッターがあいつを次の餌食に狙ってるんだったら、暫くは目立たないようにしてるのが一番いいんだよ。
もちろん、あいつ、うっかり自分がマグル出身だなんてポッターに漏らしちゃったから、いつかはこうなるんじゃないかって思ってたさ。ジャスティンの奴、イートン校に入る予定だったなんて、ポッターに喋っちまったんだ。
そんな事、スリザリンの継承者がうろついてる時に、言いふらすべき事じゃないよな?」
「じゃ、アーニー。貴方、絶対にポッターだって思ってるの?」
 ハンナが疑わしげに尋ねた。
「ハンナ。彼はパーセルマウスだ。それは闇の魔法使いの印だって、皆が知ってる。蛇と話が出来るまともな魔法使いなんて、聞いた事があるかい? スリザリン自身の事を、皆が『蛇舌』って呼んでたぐらいなんだ」
 ざわざわと周囲が重苦しく囁く中、エリは居心地の悪さを感じていた。
 昨夜、スーザンからパーセルマウスについては教えてもらった。蛇の言葉が分かる魔法使いは、そうそういないのだと。
 だが、それならばエリはどうなのだろう? エリはハリーの言葉が分かった。ハリーの話した言葉が蛇語だと言うのなら、エリもパーセルマウスという事になるのではないだろうか。
「壁に書かれた言葉を覚えてるか? 『継承者の敵よ、気をつけよ』
ポッターはフィルチと何かゴタゴタがあったんだ。そして気がつくと、フィルチの猫が襲われていた。
あの一年坊主のクリービーは、クィディッチ試合でポッターが泥の中に倒れてる時写真を撮りまくって、ポッターに嫌がられていた。そして気がつくと、クリービーがやられていた」
「でも、ポッターって、いい人に見えるけど」
「ハリーじゃない」
 ハンナの言葉に続き、エリは声を低くして言った。
 最早、これは自分だけに留めておく事が出来る問題ではなかった。このような事件が起こっている以上、皆も知っておく必要がある。
「ハリーじゃない。ハリーはそんな事をする奴じゃない、俺には分かる。
それに、ハリーよりもずっと怪しい奴がいるんだ」
 アーニーはピクリと眉を動かした。
「誰だい? それは」

「……サラ・シャノン」





 薬草学が休講になり、ハリー、ロン、ハーマイオニー、サラの四人は、グリフィンドールの談話室にいた。ロンとハーマイオニーはチェスをしていて、ハリーは暖炉の傍に腰掛けていた。
 サラはチェスをする二人の傍で、本を読んでいた。しかし、目は活字を追っておらず、適当にページを捲っても、日本の本と間違え、前のページに戻ったりしていた。
 三人には、自分もパーセルマウスだという事を話さなかった。ロンとハーマイオニーはパーセルマウスだと知ってもハリーを信じているし、そんな事で友達をやめたりはしない。分かっていても、どうにも言い出せずにいた。
 サラの場合、ただパーセルマウスだという訳ではない。帽子は、サラを頑なにスリザリン寮へ入れようとしていたのだ。サラは、ハリーも同じようにスリザリンを進められたという事を当然、知らない。
 帽子はサラをスリザリンに入れたがっていた。サラは、父親の事は全く分からない。母親の方でさえ、分かるのは母親と祖母のみだ。祖父や、祖父の家系、祖母の家系はさっぱり分からない。魔法使いだったのか、マグルだったのか。ホグワーツ出身だったのか。若しホグワーツに通っていたとしたら、代々何処の寮だったのか――

「ハリー、お願いよ」
 ハーマイオニーの声に、サラはふと顔を上げた。
 ハリーはこの上なく苛立っている様子だった。機嫌が悪いからか、ハーマイオニーは何も悪くは無いのに睨まれている。
 ハーマイオニーも分かっているらしく、気にしない様子で言った。
「そんなに気になるんだったら、こっちからジャスティンを探しに行けばいいじゃない」
 ハリーは無言で立ち上がり、肖像画の穴へと歩いていった。
 サラも本をパタンと閉じ、すっくと立ち上がった。
「私も一緒に行って来るわ」
 ロンとハーマイオニーに言い残し、サラは小走りでハリーの後について行った。





 エリの言葉に、その場はシーンとなった。
 スーザンが目をパチクリさせ、唖然としたように言った。
「エリ。そんな、嫌ってるからって、いくら何でも……血の繋がりは無いとは言え、姉妹なんだし……」
「根拠なら、もちろんある」
 スーザンは黙り込んだ。エリは同級生達を見回した。
 ふと、ハッフルパフ生達の気配に紛れ、ハリーの気配が近くにある事に気がついた。
 いい機会だ。スネイプの個人用研究棚の物を盗んだのも、サラによる謀だろう。ハリー達はきっと、サラに利用されている。彼らは気づく必要がある。
「詳しく話す事は出来ないけど、あいつには前科があるんだ。だから、日本では嫌われていた。俺達家族があいつを嫌うのも、理由があるんだ。俺達だって、意味も無くあいつを嫌ったりしない」
「でも、アリスはサラにも懐いてるじゃないか」
「アリスは甘いんだよ。ホグワーツではサラは有名で、皆から親しまれているもんだから、サラ本人が変わったと思い込んでるんだ。
実際のところ、変わったのは周囲の環境だけだ。あいつは日本での事を微塵も反省する気は無いし、何も変わってなかったんだ。
あいつには前科がある。その事を話すとき、あいつは自分を擁護する話し方をしていた。あいつは自分の行いを、自分の中で正当化しているんだ。それを忘れちゃいけない」
 目の前にいる同寮生達に向けてと言うより、傍に隠れているであろうハリーに向けての言葉だった。
 アーニー達は、互いの意見を尋ねるように、戸惑うような視線を交わしていた。

 そんな中、ハンナが口を開いた。
「日本での事、私は分からないけど……でも、ポッターもシャノンも、私は疑いたくないわ。
だって、ほら、彼らが『例のあの人』を消したのよ。そんなに悪人である筈がないわ。どう?」
「サラは自分の身を守る為に対抗しただけで、消してなんかないぜ。消したのは、ハリー」
 エリの言葉に、ハンナは詰まる。
 アーニーも、訳ありげに声を落として言った。
「確かに……そんなに言うなら、シャノンも怪しいのかもしれない。これで、シャノンもパーセルマウスだったら更にね。
ポッターやシャノンが『例のあの人』に襲われてもどうやって生き残ったのか、誰も知らないんだ。つまり、事が起こった時、二人共ほんの赤ん坊だった。木っ端微塵に吹き飛ばされて当然さ。
それ程の呪いを受けても生き残る事が出来るのは、本当に強力な『闇の魔法使い』だけだよ。
だからこそ、『例のあの人』が初めから彼らを殺したかったんだ。闇の帝王が何人もいて、競争になるのが嫌だったんだ。
そう言えば、ポッターよりシャノンが先に狙われたんだよな? ますます、シャノンもパーセルマウスである可能性が高くなった。何より、彼女は素性が分からないからな。本当にスリザリンの血を引いていてもおかしくないよ。
ポッターにシャノン。あいつら、他に一体どんな力を隠してるんだろう?」
 そう言った所で、正面にいるアーニーの表情が硬直した。
 それを見て、エリの両脇にいるハンナやスーザンが恐る恐る振り返る。エリは分かっていたので、特に怯えもせず振り返った。
 そして、アーニーと同じように硬直した。
 そこにはハリーだけではなく、サラも冷たい光を灰色の目に湛えて立っていた。

「やあ」
 ハリーは愛想笑いを浮かべたが、目は笑っていなかった。
「僕、ジャスティン・フィンチ‐フレッチリーを探してるんだけど……」
 皆、怖々とアーニーを振り返った。
 エリは、サラにちらりと視線をやり、言った。
「さっきの話、聞いてただろ。ここじゃあ、教えられない」
「あいつに何の用だ?」
 エリが先に口を利いたことで勇気が出たのか、アーニーは震え声で尋ねた。
 ハリーはエリの方は見ずに言った。
「決闘クラブでの蛇の事だけど、本当は何が起こったのか、彼に話したいんだよ」
「僕達、皆あの場にいたんだ。皆、何が起こったのか見てた」
「それじゃ、僕が話しかけた後で、蛇が退いたのに気づいただろう?」
「僕が見たのは、君が蛇語を話した事、そして蛇をジャスティンの方に追い立てた事だ」
「恥を知りなさい、マクミラン」
 ハリーが否定する前に、サラがアーニーを睨み付けて言った。
 静かな口調だが、怒りに満ちているのがその場の誰にも分かった。
「ハリーは、蛇を追い立てたりなんかしてないわ。蛇を止めたのよ。ハリーが言った言葉は『手を出すな。去れ』だわ。英語ならば分かるわよね?」
 その場の誰よりも驚いているのは、ハリーだった。サラの言った言葉は、ハリーが言った言葉そのままだった。意味合いではなく、まるで本当にハリーの話した言葉が分かったかのように。
 アーニーがフンと鼻を鳴らした。
「どうせ、庇ってるだけだろう。本当にパーセルマウスだって言うなら、証拠を見せてくれよ」
 サラは黙ってアーニーを睨み据えていた。
 エリは、サラが自らパーセルマウスだと宣言した事に唖然としていた。自分の立場を危うくする事になる。サラだって、十分に分かっている筈だ。なのに。
 不意に、サラは杖を振り上げた。咄嗟にエリは杖を出し、サラに最も近い位置にいるスーザンの前に立ち、構えた。
「サーペンソーティア」
 サラの杖先から出てきたのは何の呪いでもなく、蛇だった。黒い、大きな蛇だ。昨日、ドラコが使用した呪文と同じものだった。
 蛇はぼとりと床に落ちると、こちらへ鎌首を上げた。
「この蛇をまず貴方の足元へ行かせ、外へ出すわ」
 サラは無機質な声で言い、言語を蛇語に切り替えた。
「そこのふくよかな男子生徒の足元へ行きなさい。決して襲っては駄目よ」
 蛇はスルスルとアーニーの方へと向かう。アーニーの顔は引きつり、後ずさろうとしたが、足に根が生えたように動かせない様子だった。
 エリは若しもの場合の為に、杖で蛇を追う。
 蛇は言いつけ通り、アーニーの足元まで大人しく這って行った。
「外へ出なさい」
 この命令には、素直に従わなかった。
「嫌だよ。凍え死ぬじゃないか」
 蛇の言葉を聞き、サラは窓の方を見る。
 外の吹雪は、止むどころか強くなっていた。
「それもそうね……。
それじゃ、マクミランの肩までに変更するわ」
 この言葉を聞き、アーニーの顔が蒼白になった。
 慌てて叫ぶように言った。
「いい! もう十分だ!! 君がパーセルマウスだって事は分かった! でも、君達が共犯だって可能性もあるんだ!」
「勝手に喚いてるがいいわ。
エバネスコ」
 サラは呪文を唱え、蛇はポッと煙を上げてその場から消え去った。
「パーセルマウスだから、何だって言うのかしらね」
 サラは冷たく言い放つと、踵を返し、その場を立ち去った。

 サラが立ち去り、アーニーは慌ててハリーに言った。
「君達が何か勘ぐってるんだったら言っとくけど、僕の家系は九代前まで遡れる魔女と魔法使いの家系で、僕の血は誰にも負けないぐらい純血で、だから――」
「君がどんな血だろうと構うもんか!」
 サラの事で忘れていた怒りが、沸々と煮えたぎるのをハリーは感じた。
「なんで僕がマグル生まれの者を襲う必要がある?」
「君が一緒に暮らしてるマグルの事を憎んでるって聞いたよ」
「ダーズリー達と一緒に暮らしていたら、憎まないでいられるもんか。出来るものなら、君がやってみればいいんだ!」
 ハリーは踵を返し、サラと同じようにその場を立ち去った。

 サラもハリーもいなくなった途端、アーニーは元気を取り戻し、威勢良く言った。
「こりゃあ、ますます怪しくなってきたな。二人共、パーセルマウスだなんて。本当に、共犯なのかもしれない」
「パーセルマウスって事で犯人扱いなら、俺もだな」
 エリが軽い調子で言った。
 アーニーは「え」と固まり、エリの方を見る。暫しの沈黙が流れ、そして何故かその場の誰もが噴き出した。
「なんでだよ! どうして笑うんだよ!!」
「エリがパーセルマウス? これほどにも似合わない組み合わせって、またと無いわよ」
 腹を抱えて笑いながら、ハンナが言った。
 エリはムッとした表情になる。
「似合う、似合わないも無いだろ。パーセルマウスだから何なんだよ。そんなの、マグル出身だからって差別するのと同じ事じゃんか。
そんなだから、パーセルマウスって事は何も関係無いんだよ! 大体、ハリーはグリフィンドールだろ!? それに、ハリーは前科があるのか?」
「だから、決闘クラブので十分じゃないか。エリも見ただろう。ポッターがジャスティンに蛇をけしかけるのを」
「ハリーはけしかけてなんかいないんだって。サラの言う通りなんだ。詳しい言葉までは覚えてないけど、蛇を引きとめたんだ。
何なら、俺もこの場でパーセルマウスだって証拠を見せてやるよ。
えーっと……サーペーソテイ?」
 エリは勢い良く杖を振ったが、当然、何も起きなかった。
 エリは何度も何度も呪文を唱え、杖を滅茶苦茶に振り回す。唱えるごとに、呪文は段々と変化し、元の物からかけ離れていった。
 見るに見かねて、ハンナがようやく苦笑しながら止めた。
「いいわよ、エリがポッターを庇いたい気持ちは分かったわ」
「庇うも何も、本当にハリーはジャスティンを守ってたんだって!」
 何度主張しようとも、エリの言葉はハッフルパフ生達にとって説得力に欠けていた。





 図書館を出て直ぐ、ハリーはサラに追いついた。
 お互い、何も話さず、怒りのままに兎に角図書館から離れようと廊下を突き進んでいた。何処をどう歩いているのかさえ分からずに進んでいると、突如前に出てきた大きく硬いものにぶつかり、ハリーとサラは仰向けに床に転がった。
「あ、やあ、ハグリッド」
 ハリーが、見上げながら挨拶した。
 サラもポケットの中の鍵が落ちていない事を確認し、目の前に立つ、廊下を殆ど塞いでいる人物を見上げた。
 ハグリッドは強盗のような顔マスクを付け、厚手木綿のオーバーを着ていた。手袋をした巨大な手には、鶏の死骸をぶら下げている。
「ハリー、サラ、大丈夫か?」
 ハグリッドは顔マスクを引き下げ、話しかけた。顔マスクに抑え付けられていた為か、髪は妙な形に型が付いていた。
「お前さん達、なんで授業に行かんのかい?」
「休講になったんだ」
「ハグリッドこそ、何をしてるの?」
 サラはハリーに続いて立ち上がり、ハグリッドの手に下げられた鶏を見て言った。
「殺られたのは、今学期になって二羽目だ。狐の仕業か、『吸血お化け』か。そんで、校長先生から鶏小屋の周りに魔法をかけるお許しをもらわにゃ」
 ハグリッドは、ハリーとサラを交互に見た。
「お前さん達、ほんとに大丈夫か? 二人共、怒っとるようだが。何かあったんか」
 ハリーはカッカしていたし、サラはいつもに増して無表情だった。サラは、鶏に向けていた感情の無い目を上に上げた。
「別に。何でもないわ」
「ハグリッド、僕達、もう行かなくちゃ。次は変身術だし、教科書取りに帰らなきゃ」
 二人は連れ立って、その場を離れていった。

 サラは、アーニーの言葉を反芻していた。

「何より、彼女は素性が分からないからな。スリザリンの血を引いていてもおかしくないよ」

 そうなのだ。そこが厄介だ。
 ハリーは両親が分かっている。いつだったか、ハグリッドから二人共グリフィンドールだと聞いた事がある。話の様子からして、ハリーの父親は代々グリフィンドールのようだった。
 ところが、サラはどうだろう。ナミの寮は聞いた事が無い。父親は不明。ハグリッドはどちらもグリフィンドールだったと言うが、サラには確かめる術が無い。ナミは、どういう訳か卒業生には載っていないのだ。父親は名前が分からぬのだから、当然、探しようが無かった。
 母方の家系も、父方の家系も、さっぱり分からない。アーニーの言う通り、スリザリンの末裔であってもおかしくないのだ。
 それに、組分け帽子の言った言葉。サラほどスリザリン向きの生徒は、今までに一人しかいなかったと言う。
 サラは本当は、スリザリンに入るべきだったのだ。サラがグリフィンドールに入ったのは、サラがスリザリンに入る事を拒んだからに過ぎない。
 祖母が死喰人に殺されていなければ、サラは今頃スリザリンに入っていたのだ。

「ねぇ……サラ。サラって――」
 ふとハリーがサラに話しかけたが、言葉は途中で詰まってしまった。
 階段を上り、廊下の角を曲がった所だった。
 サラは息を呑み、立ち竦んでいた。ハリーも同様だった。二人共、恐ろしさのあまり足が動かなかった。
 目の前に、ジャスティン・フィンチ‐フレッチリーが転がっている。その隣には、黒く煤けてしまった「殆ど首無しニック」が、空中に横倒しになって浮いていた。硬直した二人に共通するのは、表情に浮かべている恐怖だった。
 サラは、二人と同じように硬直してしまった。不味い。この場にいては、再び疑念が掛けられる。頭では分かっているのに、体が動こうとしなかった。
 一方、ハリーの方も同じようにして突っ立っていた。逃げようと思えば逃げられる。だが、助けを呼ばなくてはいけない。このまま放置しておく事は出来ない。でも、自分が無関係だと信用してもらえるのだろうか……。
 そうしている内に、直ぐ傍の扉が大きな音を立てて開き、ポルターガイストのピーブズが飛び出してきた。
 ピーブズはハリーとサラにちょっかいを出しながら通り過ぎようとし、そして、ジャスティンと「ほとんど首無しニック」に気がついた。止める間も無く、ピーブズは大きく息を吸うと叫んだ。
「襲われた! 襲われた! またまた襲われた!!
生きてても死んでても、皆危ないぞ! 命からがら逃げろ!! おーそーわーれーたー!」
 バタバタと、次々に教室の扉が開き、中から人がドッとあふれてきた。
 大混乱になった。ジャスティンは踏み潰されそうだったし、「ほとんど首無しニック」と重なった状態で立ち竦む生徒が何人もいた。ハリーとサラは生徒の波に押し流されぬよう、目立たぬよう、壁にピッタリと張り付いていた。
 駆けつけたマクゴナガルが杖を使って大きな音を鳴らし、その場を静めた。そして全員教室へ帰るように命令し、騒ぎが収まりかけたその時、顔面蒼白のアーニーが現れた。
「現行犯だ!」
「おやめなさい、マクミラン!」
 ピーブズは歌いだし、再びマクゴナガルが厳しく叱り付けた。
 ジャスティンが運ばれ、「ほとんど首無しニック」が扇いで連れて行かれ、廊下に残るのはマクゴナガル先生と、ハリーとサラのみになった。
「おいでなさい、ポッター、シャノン」
「先生、誓って言います。僕、やってません――」
「たまたま遭遇しただけなんです。先生もお分かりでしょう? そもそも、私達に出来る筈がありません――」
「私の手には負えない事です」





 ハリーとサラがつれて来られたのは、校長室だった。
 マクゴナガルは待っていなさいと、二人を部屋に残し、何処かへ行ってしまった。
 壁は曲線を描いていて、部屋が円形なのだと気づいた。広く美しい部屋で、テーブルには奇妙な銀の道具が立ち並び、クルクルと回りながら小さな煙を吐いている。壁には歴代の校長の写真が掛かっていたが、皆眠り込んでいる様子だった。
 サラは、戸棚が僅かに空いている事に気づき、そちらへ歩いていった。
 そこには、浅い石の水盆が置かれていた。水盆からは、銀色の光が発せられている。液体とも気体ともつかぬ銀色の物質が、水盆の中で絶え間なく動いていた。
 ハリーはサラの方に気づいていないのか、何も話しかけても来なかった。サラは好奇心に駆られ、銀色の物質を少し突いてみた。
 途端に、表面が急速に渦巻き始めた。
 サラは慌てて、辺りを見回す。ハリーが、別の戸棚の前で組分け帽子を被っていた。ダンブルドアもマクゴナガルも、まだ戻ってきていない。
 サラは再び水盆に目を戻した。そして、何かが映っている事に気がついた。
 水盆に顔を近づけてよく見ると、それは何処かの部屋だった。上から見ているような感じだ。部屋には二人の人物がいる。その内の一人が親しき人である気がして、サラは更に顔を水盆に近づけた。
 途端に、前のめりになり、サラは水盆に吸い込まれていった。

 サラは、氷のように冷たい中を舌へと落ちていった。辺りは黒く、渦巻いていた。落ちるというよりも、吸い込まれると言った方が合う気がした。
 次の瞬間、サラは椅子に腰掛けていた。ハリーが消えた。ダンブルドアがいつの間にか来て、椅子に腰掛けている。
 否、部屋が違う。校長室ではなかった。ダンブルドアも、今より少し若い。
 何が起こったのかと辺りを見回し、隣に自分が座っている事に気がついた。上級生の自分――否、彼女は金髪だ。
「おばあちゃん……?」
 サラは呟いたが、二人には聞こえていないようだった。どうやら、姿も見えていないらしい。
 祖母がいるとすれば、これは過去でしかなかった。あの水盆は、ダンブルドアの過去か何かを映す物だったのだろう。
 若き祖母は、目を伏せ、唇を噛んでいた。
「どうして、私は気づけなかったのでしょう……。いえ、分かってるんです。私は、見ようとしなかった……その力が私には備わっていると言うのに、私は見る事を恐れ、目を瞑ってしまったんです」
 ダンブルドアは何も言わず、目を伏せている。
「私はトムと、ずっと一緒にいたのに……先生は、分かっていたのですよね……? こうなってしまう事を……」
「分かっていたとは言えぬ。だが、彼の中の闇には気づいていた……」
「だったら、どうして!! 気づいていたのなら、何か手を打つ事は出来なかったのか!? トムの闇に気づいていたから、私にも目を光らせていたのだろう!? 何の証拠も無く疑っておきながら、結局、大切な所でしくじってるんじゃないか! ふざけるなっ!!」
「……否定出来ぬ。君を疑っていた事は、本当に済まなかった……」
 暫く、どちらも何も言わなかった。
 やがて、祖母がポツリと言った。
「こんなの、八つ当たりだ……すみません。
ただ……ミネルバはとうに卒業したし、ルビウスは濡れ衣を着せられて退学、マートルも死んで、ケンも来学期戻って来られるか分かりませんし、トムまで……。
でも、ルビウスの件に関しては、先生には感謝しています。先生のお陰で、ホグワーツを去ってはいない訳ですから」
「だが、退学を取りやめにする事は出来なかった……」
「仕方の無い事です。その件に関しては、先生は充分に動いて下さりました。
私に、力があれば……私が学生じゃなければ、何とかなったかも知れないのに……っ」
 祖母は俯き、拳を握る。
 そして、ハッと顔を上げた。
「そう言えば……それも、トムの所為だ!!
トムの奴が、私の周りの人々を消してしまった。あいつの所為で、私は独りになったんだ。
半分はトムの所為じゃないか! それで何が、一緒に来いだ! トムの奴、人を何だと思ってるんだ!?」
 祖母は椅子を蹴って立ち上がった。肩で大きく息をし、自分自身を落ち着かせている。
 祖母は暫く何か考え込んでいたが、決心したようにダンブルドアを正面から見つめた。
「私は、人の所為で大切な人を奪われてばかりだ。
もう、こんなのは嫌です。私も、自分の大切な人を取り返す為に戦いたい……。
まずはケンだ。グリンデルバルドの情報を教えて下さい。手を組ませて下さい。一緒に戦わせて下さい」
 ダンブルドアはじっと祖母を見ていたが、ふっと微笑んだ。
「……よかろう」

「そろそろ良いじゃろう」
 ダンブルドアの声が老けた。
 振り返れば、ダンブルドアがもう一人いる。サラの横で穏やかに微笑んでいるのは、元の時代のダンブルドアだ。
 ダンブルドアは、サラの肘を抱え上げた。体が宙を上昇する。辺りが真っ暗になったかと思うと、サラはもとの校長室に立っていた。
 ハリーはもういない。
 サラは、おどおどとダンブルドアを見上げた。
「すみません、先生。その……勝手に、あんなつもりでは……」
「分かっておる」
 ダンブルドアは、怒ってはいないようだった。
 サラはホッと胸を撫で下ろし、水盆に目をやる。
「これって……『憂いの篩』ですか?」
「おぉ。流石、よく知っとるの」
「本で読んだ事があるんです。でも、いまいちよく分かりません……これは、先生の『憂い』という事ですか? 記憶?」
「その通りじゃ」
 サラはいくつか聞いてみたい事があったが、どう聞いて良いのか分からなかった。
 言葉に出来ず、別の質問をした。
「ハリーは、何処でしょうか?」
「ハリーなら、もう寮に戻った。一つ、質問をしての。サラ、君にも質問しようと思う。
わしに何か言いたい事は無いかの?」
 『穢れた血』
 事前に見た、ぶら下がったミセス・ノリスやコリン・クリービーの夢。
 ポリジュース薬。
 見えない声。
 父母共に素性が分からず、グリフィンドールだと言われても信じられないという事。
 だから、サラはサラザール・スリザリンの子孫なのではないかという事。
 しかし、サラは首を振った。
「……いいえ。何も」





 談話室に帰った途端、ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人がサラの所へと押し寄せた。
「サラ! 如何いう事だよ? どうして昨日、言ってくれなかったんだい? ハリーから聞いたんだ。図書館で、サラが――」
 咄嗟に、ハーマイオニーがシッとロンを黙らせた。
「声が大きいわ、ロン。どうせ明日には学校中に広まってるんでしょうけど、何も私達が噂を広める手伝いをしなくったっていいじゃない」
「ああ……パーセルマウスの事ね」
 図書館での事が、とても昔の話のような気がした。それよりも今は、『憂いの篩』で見た事が一体何なのか、それを突き止めようと忙しく頭を回転させていた。
 ハリーがおずおずと尋ねた。
「……ねえ、本当に良かったの? 僕を庇った所為で、サラも疑われるんだよ?」
「良かったも何も、気づいたらやってしまってたんだもの。ただ、怒りに任せてやったってだけよ。私が満足してるんだから、それでいいの。
大体、周囲から疑われたり恐れられたりする事には慣れてるもの。それに、ハリー、ハーマイオニー、ロンは、私はスリザリンの継承者じゃないって信じてくれるでしょう?」
「当然よ!」
 ハーマイオニーが即答し、ハリーとロンも大きく頷いた。
 サラは微笑む。
「私には、それだけで十分なの。十分過ぎるぐらいよ。日本にいた頃は一人だったけど、ホグワーツでは信じてくれる親友がいるんだから」





 この事件は、ホグワーツ特急の予約をする生徒数に拍車を掛けた。皆が皆、クリスマス休暇にはホグワーツから逃れようとしていた。
 パンジー・パーキンソンも、どうやら帰宅組に含まれているようだった。ハーマイオニーからその話を聞き、サラは小さくガッツポーズした。今年は、パンジーに邪魔されずにクリスマス休暇を過ごせるのだ。

 生徒達がひそひそと噂話をする事については、サラは特に何とも思わなかった。その様子は既視感を覚えたが、日本よりも遥かにマシだったのだ。
 ホグワーツは個人の特定の机が無く、荷物はいつでも鞄で持ち歩いている。だから、荷物や机をボロボロにされる事は無かった。同室のラベンダーやパーバティは半信半疑と言った様子なので、そこまで酷い仕打ちをする事は無い。
 また、恐怖が半端でない為か、直接仕掛けようなどという輩は全くいなかった。そして、これはアリスにも良い影響をもたらした。アリスの背後には、サラやエリが付いている。今や、サラは恐怖の対象だった。サラの不満を買えば、自分が次の犠牲者になる。そう考え、アリスに敵意を向ける者もアリスに手を出せずにいた。
 そして何より、ホグワーツではハリーやロン、ハーマイオニーがいる。仲間がいるという事は、サラにとってとてつもなく重要で大きな事だった。

 フレッド、ジョージ、エリは、ハリーが通る度に、廊下を行進し、「したーに、下に……」と先触れした。
 三人とも、噂をまともに捉えてなどいないという印だった。
 だがやはりエリはサラを疑っていて、サラを見かける度に剣呑な目つきで監視するようにじろじろと見た。エリがそんな様子なものだから、サラがスリザリンの継承者だと信じる者は、徹底的にそう信じ込んでいた。

 クリスマス休暇は、元の安らかな日々の訪れだった。
 結局、残ったのはサラ達四人と、ウィーズリー兄弟、そしてドラコ達三人のみだった。
 クリスマス休暇初日の朝、サラは朝食の時にドラコに連れて行かれ、スリザリンのテーブルで食べた。サラは表に出さずとも、内心浮かれてドラコと一緒にいたが、流石に三日目ともなるとハーマイオニーに注意されてしまった。
「いい? 分かってるわよね? マルフォイは、スリザリンの継承者の可能性があるのよ。白か黒か、ハッキリするまではいちゃつくのも控えた方がいいと思うわ」
「い、いい、いちゃついてなんかないわよ!」
 サラは真っ赤になって否定した。
 ハーマイオニーは、目を伏せる。
「私、出来る事ならばサラの恋を応援したいと思うわ。でも……サラが傷つくのは嫌なのよ。若し、マルフォイが黒だったら……その可能性って、とっても高いでしょう? そしたら……サラは……」
「大丈夫よ」
 サラは明るい声で言った。
「ドラコは違う。私には分かるの。
それに、仮にドラコだったとしても、私は説得して止めさせるわ。全力を掛けて」
 そう言って、サラは笑った。





 クリスマスの朝、サラは普段より早く目が覚めた。
 マダム・ポンフリーから貰った薬のお陰で、クィディッチの試合以降は全く夢を見ていなかった。
 二度寝しようとしたが、どうもパッチリと目覚めてしまったらしい。仕方なく、サラは寒さにぶるっと震えながら布団を出た。
 ベッドの足元に、ドラコの家で置かれていたようにプレゼントが積まれていた。その山の一番上の物を、サラは何気なく手に取った。プレゼントにしては違和感があったのだ。
 それは、黒い表紙の日記だった。


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2007/08/31