ドラコは、グリフィンドールのテーブルの端から端まで目を走らせた。
 何度見ようとも、サラの姿は見当たらない。ハリー、ロン、ハーマイオニーも大広間をキョロキョロと見回し、心配そうに顔を見合わせていた。
「ドラコ……サラ、いないね」
「五月蝿い。静かにしてろ」
 ドラコはハリー達の会話内容が聞けないものかと、耳を澄ます。
 しかし他に人がいないとは言え、広間は広い。どんなに耳を澄まそうと、ボソボソと何か話しているという事が分かるだけだった。
 不安が胸をよぎる。昨年のクリスマス休暇も、サラは行方をくらました。クリスマスの贈物に、家族からの何か酷い手紙が混ざっていたのだろうか。だが、ホグワーツを出て、サラは何処へ行くというのだろう。
「どうしていないのか、ポッター達に聞いた方が早いんじゃないか?」
 ビンセントが不安げな様子でドラコに提案した。
 ドラコはハリー達から視線を外し、苛立った様子で席に着いた。
「……そんな事出来るもんか」
 ドラコはハリーを睨み、呟いた。





No.49





 数時間前。サラは着替えを済ませ、ベッドに座り、黒い日記と睨めっこしていた。
 表紙には、消えかけた文字で日付が書かれていた。かろうじて読み取る事が出来るそれは、日記が五十年前の物である事を示している。裏返してみたが、裏表紙はただ真っ黒なだけだった。何の模様も無い。
 サラは恐る恐る、慎重に表紙を開いた。一ページ目に、同じくかろうじて読み取れるような、インクの滲んだ文字で名前が書かれていた。

――T・M・リドル

 サラは何ともなしに、ページを捲った。白紙だった。次のページも、その次のページも白紙だ。パラパラと捲っていったが、全て白紙だった。「明日こそ二行以上」と言った内容さえ、無い。
 全て白紙だと分かっても、サラはどうも日記が気になって仕方が無かった。何処にも何も書かれていないのに、ページをパラパラと捲っていく。
 暫くそうしていると、窓をコツコツと叩く音がした。見れば、エフィーが足に手紙を括りつけ、窓を嘴で突いている。
 サラは日記をベッドの上に置き、窓を開けに行った。冷たい朝の空気と共に、エフィーが部屋へすぃーっと入ってくる。
 エフィーはベッドの上に降り立ち、小さな体をぶるっと振るわせた。途中で雪の降り積もった気にでも止まったのだろう、雫が辺りに飛び散った。サラは餌を用意し、再びベッドに腰掛けた。
 エフィーは長旅に疲れているのも構わず、餌に目の色を変えて寄ってきた。
「あっ。ちょっと待って!」
 サラは慌てて止めたが、既に時遅し。エフィーは濡れた足で、開かれた日記の白いページの上を歩き、サラの直ぐ横まで来た。
 エフィーの歩いた筈のページを見て、サラは目を瞬く。手にしていた餌をエフィーの嘴に預け、エフィーの片足を持ち上げる。エフィーは苦しい体勢ながらも、餌を落とす事無く啄ばんでいた。
 確かに、エフィーの足は濡れている。サラはそっと日記の上にエフィーの足を下ろし、スタンプのように直ぐ上げた。足跡は一瞬明るく光り、直ぐに吸い込まれるようにして消えていった。
 サラは目を大きく見開いた。
 かと思うと、日記の上を陣取るエフィーを脇に避け、日記を持って窓際へ駆け寄る。そして、窓から日記を突き出した。
 「禁じられた森」が朝日に照らされ、輝いていた。窓の上に僅かにある屋根には氷柱が垂れている。
 サラは暫く、その体勢のまま固まっていた。
 やがて、餌を食べ終わったエフィーがサラの下へと飛んできた。エフィーはサラの様子を不思議そうに見て、肩に止まった。

 氷柱の先に雫が出来ていた。朝日によって溶けた雫が、ポタリと日記の上に落ちる。
 雫は先ほどの足跡と同じように一瞬光り、そして吸い込まれるようにして消えていった。
 サラはムズムズと何かが這い上がってくるのを感じた。くるりと踵を返すと、日記を再びベッドの上に投げやり、インクと羽ペンを用意する。ペン先をインクに浸し、ドキドキしながら書き込んだ。
『おはようございます、ミスター・リドル』
 文字は一瞬、紙の上で輝き、消えていった。
 そして、みるみる内に紙に別の筆跡の、別の文字が現れた。
『おはようございます。僕はトム・リドルです。貴方は誰ですか?』
 サラは慌てて書き込んだ。
『サラ・シャノンです。この日記は、どうして私へのプレゼントに紛れ込んでいたのでしょう?』
 書き込み、ごくりと唾を飲み込んだ。
 またしても、返事が返ってきた。
『初めまして、サラ・シャノン。何故君へのプレゼントにこの日記が紛れ込んでいたのか、それは僕には分かりません。
でも、嬉しいです。僕はずっと、君と話したいと思っていました』
 サラは首を捻った。
 当然、サラはトム・リドルと言う名前の人物を知らない。「漏れ鍋」で囲んできたような、サラやハリーを英雄と称える人々の一人だろうか。
 サラが返事をしないでいると、再び文字が浮き出てきた。
『君の名前は、当然知っています。でも、僕は君が有名人だから話したい訳ではありません。君も、この日記がいつの物だか、見たでしょう』
 サラは再び、表紙を見た。
 日記は、五十年前の物。
 白紙のページに戻れば、また文字が浮かんできた。たった一行の文章。
『貴方の祖母の年齢は、今年生きていればいくつですか?』
『六十三歳です』
 サラは即答した。
 そして、ハッと気がついた。恐る恐る、書き込んだ。緊張で手が震える。
『貴方は、祖母の学生時代を知っているのですか……?』
 しんとその場が静まり返る。エフィーはどうやったのか手紙を自力で外し、何処かへいなくなっていた。

 白紙に、Y、E、Sの三文字が浮かんだ。

 サラはぱぁっと顔を輝かせる。
『祖母の学生時代の話、是非聞かせてください。貴方は、祖母と親しかったのですか?』
『僕は、彼女よりも年上です。けれど、彼女とは親しい仲でした。僕は彼女と幼馴染だったのです。同じ孤児院の出身なのです』
 サラはどきりとした。
 サラは生まれて間も無く、ナミに捨てられた。――孤児院に預けられた、とダンブルドアは言っていた。
『……祖母の両親は』
『分かりません。彼女は、孤児院を盥回しにされていたそうです。
彼女は魔女です。当然、周囲では妙な事が起こる。それをどの孤児院の先生も、気味悪がったのです』
 似ている、と思った。
 サラと祖母の生い立ちは、不思議な程に酷似している。
『幾つもの孤児院を盥回しにされ、そうして辿り着いたのが、僕のいた孤児院でした。その孤児院もやはり魔力による奇怪な出来事を疎みましたが、今思うと、盥回しをしない所はマシだったのかもしれません』
『祖母は……入学前に魔法を杖無しで使えるようにはなりましたか?』
『なりました』
 サラは息を呑んだ。
 深く息を吸い、そして躊躇いがちに文字を綴った。
『……妙な出来事が疎まれていたという事は……敵視する者が多かった、という事ですよね……? それは……つまり……イジメとかも……?』
『ありました。あれは、本当に我慢ならなかった』
『それじゃ、魔法が使えたなら、祖母も仕返しを?』
 直ぐに文字は浮かんでこなかった。
 不安がサラを取り巻く。
 不味かっただろうか。流石に、祖母はそういった事は無かったのか。やられっぱなしだったのか。
 暫くして、リドルの文字が紙面に現れた。
『彼女は何もしませんでした。
君は、自分に危害を加える者達に仕返しをしていたのですか?』
 サラはその文章に責めるような雰囲気を覚え、手を止めた。しかし、日記は閉じなかった。
 サラが返事をしないでいると、慌てたような文字が浮き出てきた。
『僕は何も、君を責めるつもりはありません。君は、養親の許で暮らしていると聞きました。味方をしてくれる者はいなかったのでしょう。味方がいなければ、自分で自分の身を守るしかない。当然の考え方です』
 サラは消えるまでその文章を見つめ、勢い込んで書き込んだ。
『いいえ。貴方になら、話しても大丈夫でしょう。私が今住んでいる所の母――ナミは、私の実母なのです。
エリは、あの家に養女として引き取られた訳ではありません。エリがあの家にいるのは、ナミの実の子だからなのです。私とエリは、血の繋がった双子です。
母は私を嫌っているのです。私だけを、孤児院に捨てたのです』
『それは辛かったでしょう。実の親なのに、味方になってくれないだなんて。血の繋がりがあるのに。僕も、似たような絶望を味わった事があります。尤も、僕の場合は親ではありませんでしたが……』
 サラは、熱い物が込み上げてくるのを感じた。
 しかし堪え、代わりに羽ペンを滑らした。
『直接会って話す事が、出来たらいいのに。この場に現れる事は出来ないのですか?』
『外へ現れるには、力が足りず出来ません。ですが、君を僕の日記の中へ招待する事は可能です。
直接会いますか?』
『――はい』
 途端に、空白だった日付の枠が、小型テレビの画面の様な物に変わった。
 サラは日記を持ち上げると、憂いの篩の時のように、画面に額を押し付けた。途端に体が前のめりになり、大きくなった画面へと真っ逆さまに投げ込まれるようにして入っていった。

 色と陰の渦巻く中を通り、サラはそっと立ち上がった。
 辺りは、真っ白な空間だった。空虚とさえ言えるほど何も無い白い空間に、一人の男子生徒が佇んでいる。背の高い、黒髪の少年だった。サラは、彼の顔に見覚えがあった。
 ハグリッドからのクリスマスプレゼントに紛れていた写真に写っていた内の一人だ。
 リドルは、くすりと笑った。
「話に聞いていた通り、小さな女の子だね」
「私だって、好きで小さい訳じゃありません」
 ムッとして言うサラに、リドルはクスクスと笑った。
「ごめん、ごめん。別に嫌味や皮肉を言う訳じゃないんだ。
それから、サラって呼ばせてもらってもいいかな? 僕の事も、リドルでいいから」
「確か、トムって名前よね? そっちじゃないの?」
「その名前、あまり気に入ってないんだ」
 リドルはそう言い、肩を竦めた。
 サラはくすりと笑い、リドルの方へと駆け寄った。リドルは整った顔に薄い笑みを浮かべている。
「ふくろうに踏みつけられるのは、あまりいい気がしないな。その上、その後のは何の水だい? 冷たくて仕方が無かったよ」
 サラはクスクスと笑った。
「氷柱の先端が溶けた水よ。ごめんなさい。咄嗟に思いつく水分がそれだったものだから。
――私、貴方を見た事があるわ」
 サラは出し抜けにそう言った。
「ハグリッドの写真で見たの……マグルの白黒写真よ。おじいちゃんやハグリッドとも仲が良かったの?」
「特に親しい訳ではなかったけどね。君のおばあさんとは幼馴染だったと言っただろう? 彼女の関係でね、よく一緒に引っ張って行かれたよ」
「へぇ……」
 会話が途切れる。
 何を話そうか。聞きたい事は沢山ある筈なのに、具体的な内容が思いつかない。

 話題を考え込んでいるサラを見て、リドルはふっと笑った。
「本当に、サラはおばあさんによく似ているね」
「え?」
「言われないかい? それこそ、ハグリッド辺りに」
 サラは肩を竦め、嬉しそうに笑った。
「言われたわよ。初めて会った時、そっくりだから直ぐに分かった、って。
私、嬉しいの。おばあちゃんの事、大好きだから。私、物心ついたときからあの家の両親に嫌われてたのよね。そんな中、味方してくれたのはおばあちゃんだけだったのよ。
おばあちゃんは、私の唯一の理解者だった……」
「死喰人の残党に、殺されたんだってね」
 サラは表情を強張らせ、ゆっくりと頷いた。
 リドルはサラの顔を覗き込む。
「辛かったろうね……悲しみは尋常じゃ無かっただろう。
殺した死喰人が、憎いだろう?」
 サラは俯いたまま、再び頷いた。
「憎いわよ……私は絶対に、犯人を許さない……私が仇を取るわ……」
「仇を取るって、どうするつもりだい? 殺したりでもするつもりかい?」
 サラは顔を上げた。
 リドルは唖然とした。サラの目は、冷たい憎しみに燃えていた。
「……ええ。出来る事なら殺してやりたいとさえ思うわ」
 殺気の篭った低いトーンで言い、それからコロッと表情が戻った。
「――なんてね。冗談よ。驚いた? だって私、まだ子供なのよ? 殺人なんて出来る訳ないじゃない」
 そう言ってサラは屈託無く笑う。
「子供だから、なのか……」
「え?」
 リドルが呟いた言葉に、サラは聞き返した。リドルは、「別に」と微笑む。
 喜ばしい事だった。
 彼女が帰ってきたのだ。サラは、彼女に生き写しだった。髪の色と目の色さえなければ、彼女そのものだ。
 彼女は闇を受け入れなかった。断固拒否した。
 だが、サラならきっと受け入れる。サラは自分と似た面がある。

 サラはキョロキョロと白い空間を見回した。
 リドルは首を傾げる。
「どうしたんだい?」
「ここ、時計無いのね。そろそろ、朝食の時間だと思うの。いつもよりかなり早く起きたとは言え、朝食まで何時間もあった訳じゃ無いし……。皆が心配するわ。私、そろそろ帰らなきゃ」
「そんな! 待ってよ」
 リドルは叫ぶように言い、サラの腕を掴んだ。
「僕、ずっと君と話したいと思っていたんだよ。今までずっと、ここで一人っきりだった……君と会えて、どんなに嬉しかった事か。ねえ、もう少し駄目かな……?」
 リドルの必死な様子に、サラは困惑顔になる。
 一人っきり……何れは慣れてしまう事だ。だが、ふと寂しくなる事がある。その気持ちは、サラも小学生の頃に嫌と言うほど経験していた。だから、リドルの気持ちは痛いほどに分かる。
 サラはフッと軽く溜め息を吐いた。
「仕方ないわね……朝食だけなら、きっと大丈夫だと思うわ。ただし、昼食には帰るわよ? それでいい?」
「ありがとう」
 リドルはにっこりと笑った。





 日本時間、午後三時。エリは、俊哉の家にいた。
 エリ、俊哉、留美、その他元クラスメイトで合計八人。彼らは、机の上にある白い紙を順番に取る。紙は四つ折りになっていて、内側にはそれぞれ一から八までの数字が書かれている。
 各々が手に取り、エリは机を囲む面々を見回した。
「それじゃ、『せーの』で一緒に開くぞ。
せーのっ」
 カサカサと音を立て、エリも紙を開いた。書かれた番号は、二番。
「私、五番ー」
「あれ? 一番って、何処にある?」
「こっちにあるよ。小さくて、そっちからじゃ隠れちゃってたみたい」
「うわ。六番、無駄にでけぇな」
 口々に言いながら、対応する番号の貼られたプレゼントを机の上から取る。
 二番のクリスマスプレゼントは箱型で、正面の面がA4サイズほどだった。
「俺のも結構でかくね? 森の次じゃねーか?」
 エリはそう言って、箱を開けた。
 中に入っているのは、新品の熊の人形だ。一緒に入っている紙に書かれた名前は、成瀬俊哉。
 可愛らしいぬいぐるみだった。
 箱から出てきたそれを見た周囲は、当然黙っていなかった。
「それ、エリには可愛すぎるんじゃねーの〜?」
「俊哉君のプレゼント、可愛い〜」
「成瀬君が買ったの?」
 一人の女子が言った言葉に、俊哉はかぁーっと顔を紅くした。
「違うに決まってんだろ! こんな恥ずかしいもん、買えるかよ。
俺、生まれるまで女の子だとばっかり思われててさ。それで、親戚とかが女の子用のおもちゃを買ったりしてたんだ。だけど結局、俺は男だし、うちには姉も妹もいないし……だから、ずっとしまいこんでたんだよ。ホントは先月のバザーに出す予定だったんだけど、持って行きそびれて」
「それで、俊哉は何になった?」
 留美は言って、横から俊哉のプレゼントを覗き込んだ。
 デパートのプレゼント用の袋に入っているのは、お菓子詰めの長靴だった。
「あ。これ、エリでしょ?」
 ニヤリと笑い、留美はエリの方を見た。エリも笑みを返す。
「長靴入りの菓子袋ならな。でも、よく分かったな」
「そりゃ、分かるって。こんなの選ぶの、エリぐらいでしょ」
「懐かしいだろ〜?」
 俊哉は渋々と、袋の中身を取り出した。一緒に入っているカードは、当然エリの名前だ。
「こんなの、何処に保管しろってんだよ……。家族に見られたら、半端無く恥ずかしいぜ」
「量が多いから、今日中に食べるのも不可能だしなー」
「何の罠だよ、一体」
 げっそりとした様子の俊哉に、エリも留美も笑っていた。

 それに、他の皆も気がついた。俊哉の当てたプレゼントが誰からの物なのかを知り、一斉にはやし立てる。
「何だ、何だ? 随分な偶然じゃねーか」
「仕組んでたんじゃないの〜?」
「ほんと、気が合うんだねー」
「うっさいな!
留美は? お前は何だった?」
 エリが話を振ると、留美は目を泳がせた。
 そろそろと包みを開き、名前を書いた、クリスマス柄のメッセージカードを取り出す。
 書かれた名前は、崎田留美。
「私……自分の当てちゃったみたい……」
「あ……」
 その場の空気が固まった。
 「どうする?」と尋ね合うかのように、互いに視線を交わす。
 気まずい雰囲気の中、エリがプレゼントの箱を留美に突きつけた。
「俺のと交換しようぜ。留美だけ自分の奴じゃ、つまんないもんな」
「でも……」
「別にいいだろ? 俊哉。元々、誰に当たるかなんて分からなかったんだし。
ほら、遠慮なんかすんなって。何にせよ、俺にはそんな可愛らしいプレゼント、似合わねーし」
「だって、折角俊哉からのが当たったんだよ?」
「んな事、別にいいよ。物なんか無くったって、俊哉は俺の最高の――」
 エリの言葉は、そこで止まった。先が出てこなかった。

 俊哉は、俺の最高の、何なんだ……?

 彼氏だ。
 彼氏……の筈だ。だが、その言葉を続ける事は出来なかった。
「……エリ?」
 エリはハッと我に返った。留美は、きょとんとした表情でエリの様子を伺っている。
 エリは頭を掻き、ハハハと笑った。
「あれ? 俺、何言おうとしたっけ。腹減っちまってよー」
「も〜。しっかりしなよ」
 留美はクスクスと笑い、立ち上がる。
「私、ケーキ作ってきたの。もう三時だし、ちょうどいいかな。皆で食べよう。
取ってくるね。冷蔵庫に入れさせてもらってるから」
「あ。じゃあ、俺、皿とか準備――」
「いいよ。エリ達は座ってて。他の子を台所に入れると、怒られるからさ」
 俊哉がエリの言葉を遮り、立ち上がった。
「行こう、留美」
 二人は連れ立って、台所へと入って行った。

 エリはすとんと腰を下ろす。
 女子の一人が、二人の消えていった方を面白そうに見やった。
「なあに? 彼女差し置いて、仲良いじゃないー」
「別に、そんなんじゃないでしょ。確か、二人って幼馴染じゃなかった? だから、留美なら親の了解も得てるんじゃない?」
「三角関係勃発! 恋敵は無二の親友! ってか?」
「何勝手な事言ってんだよ」
 エリは苦笑する。
 他の男子も悪乗りして言った。
「こりゃあ、エリ、不利だぞ。
方や、親同士もよく知る仲の、家庭的で明るい女の子。方や、ガサツで乱暴な、一応女の子」
「一応って何だよ、一応って」
「崎田がその気になったら、成瀬もなびいちまうかもな……」
「『私、俊哉君の事が好き! でも、彼は親友の彼氏なの。嗚呼、私の許されない想いはどうすればいいの……!』」
「お前も、そんなふざけたプレゼントじゃなくって、お菓子とか手作りすれば良かったのによ」
「クッキーだったら、俺でも作れるぜ」
「エリはちょっと、気配りが足りないんだよな」
「飯田。それは言いすぎだよ」
「いいって、由香。別にそんぐらい、気にしねぇし」
 エリは笑ってそう言った。
「でもホント、お前、もうちょっと俊哉との時間、大切にしろよ? 遠距離でなかなか会えないってのに、帰ってきてもあまり時間作ってないんだって?」
「おちおちしてると、マジで取られるぜ〜」
「親も、エリより留美の方がよく知ってるだろうしな」
「エリの親って、授業参観も懇談会も、保護者説明会とかだって参加した事無いんだろ?」
「あー、それはキツイな。普通なら別に親の仲なんて関係無いけど、崎田は成瀬と幼馴染だからな」
「それに、姉の事もあるし」
 それまで笑顔だったエリの表情が、ピシッと固まった。
 流石に不味かったと気づき、男子達も口を噤む。空気を読めずに続けようとした男子の口を、別の仲間が塞いだぐらいだった。
 エリは俯き加減で、机の一点を見つめてぼそりと言った。
「あいつは、サラが俺の姉だって事なんか、気にしねぇよ……」
 エリはそのまま、留美からのクリスマスプレゼントを引き寄せた。
 これで良かったのだ。あんな可愛らしい物は、自分には似合わないのだから。
 そこへ、留美と俊哉が帰ってきた。留美はケーキを机に置き、切り分けながらエリに笑いかけた。
「メンバーが男女いるから、あまり不用意には選べなくってさ。でも、使えるでしょ? 授業で必ず必要になる物だもの」
「ああ……うん。ありがとう。大切にするよ」
 エリは満面の笑みで答えた。
 包みの中は、シャーペンやカラーボールペンセット、そして大学ノートだった。





 仲間達と笑い合い、喋り合い、帰宅したのは日が沈む頃だった。
 家の中に入れば、エリの背丈より少し低い、プラスチックのクリスマス・ツリーが飾り付けられ、点灯している。今日はナミの仕事は休みだ。台所の方から、おいしそうな匂いが漂っている。
 エリが居間へ入ると、アリスが食事の準備を手伝い、食器を並べていた。
「おかえり、エリ。今日はクリスマス・パーティーしてきたのよね? どうだった?」
「楽しかったよ。皆、相変わらずでさー。四ヶ月も会ってなかったのに、まるで昨日別れたばかりみたいな感じ」
 エリは笑顔で楽しげに今日の出来事を話す。
 アリスは微笑みながら、エリの話を聞いていた。
 エリの話を聞くのは、大抵アリスの役割だった。ナミは仕事があるから、帰ってくるのも七時頃だ。帰ってきてから寝るまでの間に、家事も行わねばならない。その短い時間を、エリは妹であるアリスに譲るのだ。自然、エリが話をする相手はナミよりもアリスの方が多くなる。
 それに、低学年の頃は、エリは学校での出来事を話そうとしなかった。家では学校の事ぐらい忘れたい。そう思っていたのだ。
 姉妹が三人もいれば、主にどの子が夕食時などに話をするか、決まってしまう。この家では、エリではなくアリスだった。

 暫く今日の事を話し、不意にエリは真剣な顔つきになった。
 アリスは目を瞬かせ、首を傾げる。
「アリス……頼みたい事があるんだ」





「――なんだか、リドルって、初めて会ったような気がしないわ」
 サラはその場に座り込み、膝を抱えてリドルを目だけで見上げながら言った。
 リドルは穏やかな笑みを浮かべる。
「それだけ気が合うって事かな? 嬉しいよ」
「そうかしら? リドルって凄く親しみやすいし話しやすいけれど、私、リドルの事、何も分からないもの」
「それはそうだよ。今日始めて会ったばかりなんだから」
 サラは首を左右にゆっくりと振った。
「違うの。そういう事じゃない。
何て言うのかしら――リドルって、自分の意思は話さないわよね」
「意思?」
「そう。リドルは私の考えも過去も否定しない。優しい笑みを浮かべて、おばあちゃんの話をしてくれる。
でも私、リドルが何を考えているのかさっぱり分からないの。おばあちゃんの話だって、リドル、不思議なぐらいに自分の主観を入れずに話すんだもの」
「そうかい?」
 リドルは横を向いていたが、やはり微笑みを浮かべている。
「だけど、君と僕には確実な共通点があるんだよ。――君も僕も、時が止まっているんだ」
 リドルの言葉に、サラは目をパチクリさせた。
「貴方の時が止まってるのは分かるわ。だって貴方、記憶だって言ってたものね。
でも、私は別に貴方みたいな『記憶』じゃないわよ?」
 リドルは、もう笑ってはいなかった。
 その横顔は寧ろ、寂しげにも見えた。
「僕が、君の祖母の年齢を聞いた時……君は、計算する間も無く、即答しただろう?」
 サラは頷く。
 確かに、サラは即答した。六十三だと。
 リドルは、寂しげな目をこちらへ向けた。

「君のおばあさんは、亡くなったんだよ……。
亡くなった者の誕生日を祝い、年齢を数えるなんて、虚しいだけだよ」

 サラはドキリとし、目を逸らした。
 サラは確かに、未だに祖母の年齢を数えていた。だから、即答する事が出来たのだ。
「亡くなった人が今生きていたらいくつかなんて、数えるものじゃない。彼女はもういないんだ。今生きていたら、なんてありえないんだ」
 リドルの言葉は、心成しか自分自身に言い聞かせているかのように聞こえた。
「君の祖母は、死んでしまった……だけどきっと、君の中で生きているよ。綺麗事なんかじゃない。だって君は、こんなにも彼女にそっくりじゃないか」
「リドル……」
 サラは顔を隠すように俯き、そして笑顔で顔を上げた。
「ありがとう、リドル。貴方に会えて、本当に良かった。
でも私、もう行かなきゃ。お昼の時間を大幅に過ぎちゃったわ。きっと、皆、心配してる」
「……『皆』って、誰だい?」
「え?」
 サラは、一歩後ずさった。
 リドルの様子が、さっきまでとは明らかに違う。
「『皆』なんて要らないんだ。君には必要無い。このままいくと、何れ君は一人になるのだから。
僕だけがいれば十分なんだ」
「リドル……? 何を言ってるの……?
私……帰るからっ!」
 サラは立ち上がり、リドルに背を向けた。
 しかし、リドルは目の前に立っていた。
「ここは異空間なんだ。僕の日記の中。僕の思い通りに出来て当然だろう?」
「……何が、目的」
「別に、何らかの取引をしようとしている訳じゃない」
 リドルはサラの黒髪をすくい、そっと口付けた。
「ただ、君が帰る事は許さない」


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2007/09/19