――あった……これだわ。
ハーマイオニーはきょろきょろと、辺りの様子を伺った。
古い本が立ち並ぶ棚の間の狭い通路。もう直ぐクィディッチ戦の開始時間だ。殆どの生徒がそちらへ出払っている。
ハーマイオニーは辺りに人影が無いのを確認すると、本のページをちぎり取った。マダム・ピンスが知れば、般若の如く憤怒するだろう。だが、これを羊皮紙に写している時間など無い。
本を棚に戻し、足早にその場を立ち去りながら、ハーマイオニーは思考を廻らせていた。
図書館を出る一歩手前で何かに気がついたようにハッとし、立ち止まる。そして鞄から羽根ペンを取り出すと、ちぎられたページに何やら書き込んだ。
ペンをしまい、そして思い出したように手鏡を取り出す。そして、図書館を出て行く。
一つ目の角を曲がろうとした所で、ハーマイオニーは誰かとぶつかりそうになった。
レイブンクローの監督生だ。
二人は軽く言葉を交わし、彼女は去ろうとする。ハーマイオニーが振り返り、呼び止めた。ハーマイオニーはレイブンクロー生の所まで駆け寄り、何やら説明する。
そして手鏡を取り出した。
途端、二人は石のように硬直し、その場に倒れ落ちた。
No.54
サラは、ぱちりと目を覚ました。
アンジェリーナとケイティは、ホッと息を吐く。サラは更衣室の床に倒れていた。
「大丈夫? ビックリしたよ。突然倒れるんだもの――」
「ウッドに一言言っておいた方がいいわ。サラが途中で駄目になってしまっても、控えのアリシアに直ぐ交代出来るように……」
サラは心配する二人に構わず、女子更衣室を飛び出した。
男子の選手は既に着替えを終え、集まっていた。ウッドが叱咤する。
「遅いぞ! 一体、何をしてたんだ?」
「サラが倒れたんだよ、ウッド。知らせに行こうとした所で目を覚ましたけど……」
サラを追って出てきたアンジェリーナが、ウッドに言った。続いてケイティも出てくる。
サラは真っ直ぐ、ハリーの所へ駆け寄った。
「ハーマイオニーの所に行かなくちゃ! ハーマイオニーが危ないの! 私、見たのよ。ハーマイオニーが危険だわ……!!」
サラはただ、ハーマイオニーが危険だと繰り返す。当然、ハリーには何の事やらさっぱりだ。
「サラ、落ち着いて! 一体、どうしたの? ハーマイオニーは図書館だよ。何も、危ない事なんて無い」
「違うの! 危険なのよ。襲われたわ。ううん、襲われるのかも……分からないわ。でも、危険なの。私、見たのよ!」
「見たって? 何を?」
サラは先ほど目にした事柄を伝えようと口を開きかけたが、思いとどまった。
更衣室中の視線が、サラに注目していた。皆、ハリーと同じように困惑し唖然としている。
サラは思わず掴んでいたハリーの腕を放し、落ち着きを取り戻して言った。
「ごめんなさい……ちょっと、寝ぼけてたみたい。気にしないで」
そう言い置き、苦笑する。
「行きましょう。試合前に、アップをするんでしょう? それとも、フォーメーションの確認が先かしら」
作戦の確認は簡単なものだった。
観客の拍手に迎えられ、対戦する両チームが入場する。競技場に入るなり、ウッドが箒に跨って上昇する。フレッドとジョージがそれに続き、上空を飛び回る。
ハリーがサラの方へとやって来た。競技場へ来る前に聞こえた、姿無き声の事が、まだ脳裏から離れなかった。
「どうしたの、ハリー?」
傍へと来るハリーに気づき、サラは簡単な準備運動をしながら尋ねる。
「……さっき、サラは一体何を見たの? まさかそれって、さっき聞こえた声と何か関係があるの?」
「……」
サラは上体を捻る動作を止め、ハリーに向き直る。
ハリーは真剣な表情だった。サラは箒に寄りかかるようにし、視線を落とす。
「私にも、よく分からないのよ……。でも、危険が迫っている事は分かるわ。だって、今まで予知夢は寝ている時に見たわ。今回みたいに、その夢を見る為に気絶するなんて事、一度も無かった……」
「次の被害者は、ハーマイオニーだって事……!?」
ハリーは息を呑んだ。
確かに、ハーマイオニーはマグル出身だ。ドビーにだってそう言った。彼女も襲われる可能性があると。だが、それを現実のものとしては受け止めていなかった。根拠も無く、彼女は大丈夫だという気がしていたのだ。例え部屋が開かれても、自分に嫌疑が掛かっても、それは何処か他人事であった。
サラは無表情だ。サラは、少なくともハリーよりも真相に近いところにいる。何か分かっている。だが、サラの表情からは何も読み取れなかった。
「――兎に角、今は試合に集中!
まだこの夢は一度目だもの。いつも通りなら、まだ時間はあるわ……」
サラが言ったその時、マクゴナガルが巨大な紫色のメガフォンを片手に小走りでやってきた。
そして、そのメガフォンを口にあて、競技場全体に向かってアナウンスした。
「この試合は中止です」
途端に、競技場内が野次や怒号でいっぱいになった。
ウッドは真っ直ぐに地上へ降り、箒に跨ったままマクゴナガルに駆け寄った。
「先生、そんな!」
打ちのめされたような表情だ。
「是が非でも試合を……優勝杯が……グリフィンドールの……」
マクゴナガルは耳を貸そうともせず、猶も生徒達に呼びかける。
「全生徒はそれぞれの寮の談話室に戻りなさい。そこで寮監から詳しい話があります。皆さん、出来るだけ急いで!」
そしてメガフォンを下ろし、サラとハリーの方を見た。
「ポッター、シャノン、私と一緒にいらっしゃい……」
また襲われたのか。
だが、今回はサラもハリーもれっきとしたアリバイがある。自分達を疑う事は出来ない筈だ。
訝りながら、サラとハリーはマクゴナガルの後について競技場を出て行く。人混みの中からロンが出てきてついてきたが、マクゴナガルは反対しなかった。
「そう、ウィーズリー、貴方も一緒に来た方が良いでしょう」
サラ達三人は顔を見合わせ、マクゴナガルについて城へと戻っていった。
一体、今度は誰が襲われたのだろう? 先ほど見たハーマイオニーの夢まで、ここ数ヶ月、サラは夢を見ていない。もしもマダム・ポンフリーの薬を飲んでいなかったら、誰の夢を見ていただろう?
悪夢を見るのは決して快くは無かったが、誰かが襲撃に遭った今、何も知らない事が不安だった。
ハリー、ロン、サラの三人はマクゴナガルの後に続き、大理石の階段を上がる。だが、どうも誰かの部屋へ向かうという様子ではない。
マクゴナガルは、医務室の前で立ち止まった。
「少しショックを受けるかもしれませんが」
マクゴナガルは、三人に優しく声をかけた。
「また襲われました……また、二人一緒にです」
マクゴナガルはドアを開け、先頭に立って中へと入っていく。
マダム・ポンフリーが、長い巻き毛のレイブンクローの上級生の上に屈みこんでいた。クリスマスの日に道を尋ねたレイブンクロー生だと、ハリーは気がつく。
そして、隣のベッドを見て愕然とした。
「ハーマイオニー!」
ロンが悲痛な声を上げる。
ハーマイオニーは身動き一つ、瞬きさえしない。見開いた目はガラス玉のようで、これは人形なのではないか、性質の悪い冗談なのではないかと思いたくなる。
だが、それは確かにハーマイオニーだった。
「二人は図書館の近くで発見されました」
マクゴナガルが深刻な様子で言った。
「これが何だか説明出来ませんか? 二人の傍の床に落ちていたのですが……」
マクゴナガルは、小さな丸い手鏡を手にしていた。
今朝、ハーマイオニーが鞄から取り出した手鏡だ。
ハリーとロンは首を振り、それから自分たちの後ろを振り返った。今朝の会話。サラなら、その鏡について何か知っている筈だ。
しかし、サラは自分達の後について来ていなかった。
「サラ?」
サラは医務室の扉の所にいた。目を見開き、立ち竦んでいる。
――私が話したからだ。
サラは、ハーマイオニーに話してしまった。クリスマスの日、何があったのか。
サラが話したから、ハーマイオニーは知るべきでない事を知ってしまったから、だからリドルは彼女を襲ったのだ。
サラの所為だ。
サラが余計な事を話したからだ。
殺さなかったのは、これが見せしめだからだ。他の人に何か話せば、次は無いと言う。
「サラ……」
ハリーが、傍へ来ていた。サラを気遣うように声をかける。
「大丈夫?
……ねぇ、今朝、君達は何に気がついたんだい? あの手鏡……あれは、一体何なの?」
「……知らないわ」
サラの声は、何処までも冷たかった。
ギュッと拳を握り、ハリーを正面から見据える。
「私は何も知らないわ。一体、何の事を言っているの?
近寄らないで。もう、私に関わらないでちょうだい……!」
「如何いうつもりだ?」
空虚とさえ言えるほど、真っ白な空間。
黒髪の少年は、ただ愉快気に笑みを浮かべている。金髪の少女は、彼に詰め寄った。
「久しぶりだね。君の方から出向いてくれるなんて、嬉しいよ」
「一体、どうしてあの女の子を襲ったんだ? サラは、トムに不都合な事は一切他言していない。それなのに……。
サラも、一人にするつもりか? 私を追い詰めたのと同じように」
リドルは微笑みを浮かべる。
「心外だね。僕がいつ、君を追い詰めたって言うんだい?」
「追い詰めただろう。マートルを殺したのは、何処の誰だ? ルビウスに無実の罪を着せ、学校から追い出したのは何処の誰だ?」
「僕はただ、ハグリッドがまた何処からか仕入れた魔法生物を飼っている、って先生に知らせただけさ。殺したのも、運悪くその場にあの子が居合わせたからだ。
何も、君の周りにいるから消した訳じゃない。僕だって、君が悲しむところを見るのは心苦しいからね」
そして、リドルはクスクスと笑う。
「それにしても、サラ・シャノンは面白いよ。今まで日本で一人っきりだったからだろうね。その分、初めて出来たお友達への執着が人並み以上だ。
君に似ていると思っていたけど、彼女は君以上に短気で直ぐに反応を見せてくれるよ。両親のどちらかに似たんだろうね」
「……サラを、どうするつもりだ?」
「分かりきった事だろう?」
リドルは口の端をきゅっと上げて笑む。
「当然、君もだよ。君が四年生になる前の夏休み……覚えているだろう? あまり、思い出させたくない出来事だったけどね……でも、これだけは忘れてもらっちゃ困る。
あの時、君の血筋も明らかになった。君達は、こちら側へ来るべきなんだ」
「私は灰色だ。白だとは主張しないが、間違っても黒じゃない。トムとは違う」
少女は紫の瞳でリドルを睨み据えて言うと、踵を返しその場を立ち去った。
夕方の玄関ホール。大理石の階段の正面右側の扉がそっと開いた。
時刻は六時半。夕食も終わり、生徒達はとうにそれぞれの寮へ戻っている。
エリは、玄関ホールに誰もいない事を確認すると、一気に扉を押し開き、巨大な樫の扉へと走った。その手には、箒が握られている。
ハーマイオニーとレイブンクロー生のペネロピー・クリアウォーターが襲われた。それにより、様々な制限が出来た。午後六時以降の外出は禁止された。クィディッチは試合も練習も延期だ。夕方のクラブ活動は禁じられてしまった。
だが、エリはそんな規則、守る気などさらさら無かった。練習をしていなければ、体がなまってしまう。毎朝のランニングと筋トレだけでは不十分だ。
エリの箒は、結局祖父のお下がりのままだった。クリスマス休暇に箒を買うかと問われたが、エリはそれを断った。ダイアゴン横丁に行っている間には、一時間でも長く日本の友人と遊んでいたい。そういう気持ちもあったが、この古い箒に愛着が沸いた事も大きな理由だった。新しいばかりが良い訳では無い。
扉へ辿り着き、そっと押す。それと同時に、背後から声がかかった。
「そこで何をしているのかね?」
エリはびくりと飛びあがった。ゆっくりとぎこちない動作で振り返ると、スネイプがエリの真後ろに立っていた。
「……足音も気配も無かったんですけど」
「あれば、逃げていただろう。ハッフルパフ、十点減点」
「減点するのかよ!」
「当然だ。ハッフルパフでは、何も説明が無かったのか? 一体、何の為に夕方以降の外出が禁止になったと思っている」
「だって……」
「言った筈だ。君達の母親は、スクイブだった。そして、君達はマグルの中で育った。マグル出身と何ら変わりない。標的にされても不思議ではない。ミス・グレンジャーが襲われた事で、一連の事件を幾らか身近に感じているだろうと思っていたが」
「……ごめん」
エリはしゅんと項垂れる。
スネイプは軽く息を吐くと、くるりと背を向けた。
「ついて来い。職員室まで行く。我輩では、ハッフルパフ寮の場所が分からんからな」
「……やっぱ、ハーマイオニーが襲われたんだな」
スネイプは立ち止まり、エリを振り返った。
エリはスネイプに向かって苦笑する。
「俺、ちょっと幻想抱いてたんだ。ハーマイオニー・グレンジャーって聞いても、若しかしたら、同姓同名の別の人なんじゃないかって。でも、やっぱハーマイオニーだったんだな」
「……」
スネイプは返す言葉も思いつかず、ただ黙ってエリを見つめていた。
「それに……ハーマイオニーが襲われたって事は、スリザリンの継承者はサラじゃなかったんだな。サラはあんな奴だし、自分の敵は手段も選ばず反撃する。だけど、絶対にハーマイオニーを攻撃したりなんてしない……サラは、ハーマイオニー達を本当に友達だと思ってるんだ。だから、サラじゃなかったんだ。なのに俺、皆の前でサラが日本でやってた事、話しちまった……どうしよう、スネイプ。俺、最低だ……! サラは、犯人じゃなかったのに……!!」
エリは自己嫌悪に押しつぶされそうだった。
自分と関係の無い事で大勢責められる事が、どれほど辛い事か。エリは、それを痛いほど知っている。
あの時、エリは後先考えず怒りに任せてそのまま英語で言ってしまった。その所為で、その場にいた大勢の生徒にサラは吊るし上げられたのだ。
「去年と同じだよ。俺、表面しか見てなくて、それでサラを悪者だって決め付けて。サラの奴、本当に変わったんだよな……なのに俺は、昔のサラばかり見てる」
サラの本性を知った時のショックが、余程大きかったのだろうか。どんなにサラは変わったと思っていても、やはり事ある毎に昔のサラが思い出されてしまう。
クラスメイトを攻撃し、学校中の生徒を攻撃し、エリが苛められる原因だったサラ。感情の無い灰色の瞳で嘲る姿が、いつまでも目に焼きついて離れない。
「行くぞ」
スネイプはそっとエリの背中を押し、職員室へと歩いて行った。
フレッド、ジョージ、リーの三人が「秘密の部屋」について討論しながら寮へと戻っていき、談話室にはとうとうサラ以外誰もいなくなった。
サラは暖炉の傍の椅子に腰掛けている。足を椅子の上に乗せ、体育座りのようにぎゅっと抱え込み顔を突っ伏す。
今夜はここで眠るつもりだった。寝室へ戻り、空っぽのハーマイオニーのベッドを見たくない。
暖炉の火は、段々と弱くなっていく。それと共に、サラの意識も段々と眠りに落ちていった。
サラは目を覚ましていた。闇の中を、じっと睨み据える。
サラが再び眠りにつこうとしたその時、二人分の気配と共に声がした。
「気をつけて……階段だ」
「談話室には誰かいるかい?」
「いるわよ。そこにいるのは、ハリーとロン?」
サラの声に、一瞬、二人が息を呑むのが分かった。
サラは立ち上がる。サラが暖炉の火に照らされ、二人はホッと息を吐いた。
「なんだ……サラか。驚かせないでよ」
「こんな時間に、何処へ行くつもり?」
「僕、一年生の三頭犬を見つけたときの事がフラッシュバックしてる」
ロンが嫌そうに言う。ハリーが、サラの質問に答えた。
「ハグリッドの所へ行くんだ」
ハリーは透明マントの下から出てきて、サラの方へと階段を降りてくる。ロンも透明マントを脱ぎ、腕に抱えて後に続いた。
「ハーマイオニーが襲われた。僕だって、ハグリッドが犯人だなんて思わない。ハグリッドがハーマイオニーを襲うとは思わないもの。
だけど、前に怪物を解き放したのが彼なら、どうやって『秘密の部屋』に入るのかを知ってる筈だ」
「……私も行くわ」
ハリーとロンは、目をパチクリさせる。
「でも……昼間は、傍に寄るなって……一体、急にどういう心境の変化だい?」
「いいでしょう、別に」
サラは強気な態度で言う。
ハリーの邪魔をしてはいけない。それならば、せめて一緒にいたい。そうでなければ、不安で仕方が無い。二人も守るなんて、出来ないかもしれない。だけど、それでも一人ここで待っているよりは安心だ。
サラは再び、闇を睨み据えた。今はもう、その場には誰もいない。
絶対に、これ以上仲間を被害に遭わせるものか。
Back
Next
「
The Blood
第1部
希望求めし少女たちは
」
目次へ
2007/11/17