『ハリー達は、私が守る。もう、貴方の好きにはさせない』
――私は、リドルに抗った。
まるで人形のように動かず、医務室のベッドの上に横たわったアリス。見開かれた目は、ガラス玉のようだった。
所詮、サラの力はこの程度。
リドルの魔法一つ弾けたとは言え、周囲の人達まで守りきる事は不可能だったのだ。守る為には、リドルの言う事を聞いているしか無かったのだ。
サラはリドルに抗った。リドルに対抗の意を示し、森へ向かった。
そして、リドルはアリスを攻撃した。
どう考えても、それは制裁に他ならない。サラが抗ったからだ。だから、リドルはアリスを攻撃したのだ。
鳥の鳴く声が聞こえる。闇に包まれた談話室に薄明かりが差し込む。空が白々と明け始めているのだ。
夜が明ける。
しかし、サラには朝が到来する事は無かった。
No.58
ハリー、ロン、サラの三人は、静まり返って朝食をとっていた。先ほどサラから聞いた話が、今もハリーの頭の中で繰り返される。
『アリスが、襲われた……』
談話室で肘掛け椅子に座り、抜け殻のようにぼんやりとしていたサラ。ハリーとロンが「おはよう」と挨拶しても、何の返事も返ってこなかった。
何かあったのか、何があったのかと尋ね、ようやくサラが口にしたのはその一言だった。
ただ、黙々と食事を進める。大広間は、此処彼処で囁き声がしていた。また襲われた。誰が。何処で。ダンブルドアがいなくなったけれど、石で済んだのか。
「ねぇ、サラ」
ラベンダー・ブラウンとパーバティ・パチルだった。
パーバティは傍の空いている席に腰掛けた。ラベンダーは広間全体を一瞥し、サラに視線を戻す。
「私、噂で聞いたんだけど……本当なの? アリスが――」
「ラベンダー!」
パーバティが咎めるような声を上げる。そのまま引っ張って行き、自分の隣に座らせた。
サラは何の反応も見せなかった。ただ無表情でパンを手に取る。
そこへ、本日十一人目の生徒がサラの方へと向かってくるのが見えた。ハリーは「またか」と隣で眉を顰める。
しかし、やって来たのはドラコ・マルフォイだった。
ドラコはサラの座る斜め後ろに立ち、放心状態の横顔に話しかけた。
「……おはよう、サラ」
それまで話しかけてきていた生徒達に対してとは違い、サラは僅かに反応を見せた。
顔は俯きがちに正面を向いたまま、サラの口が動いた。蚊の鳴くような小さな声だった。
「おはよう……昨日は、ごめんなさい……気が動転して……」
一瞬、ドラコはきょとんとする。それから、直ぐに魔法薬の授業での事だと気がついた。アリスの事ばかりで、そちらの事はすっかり忘れてしまっていた。
「いや、大丈夫だよ。女の子の張り手ぐらいで、この僕がダメージを受けると思うか?」
実際のところ、「女の子の張り手」どころではない音がした。
実際のところ、身体的にも精神的にもかなりのダメージを受けた。
だが、それを正直に言うのは憚れた。ドラコにだって、男としてのプライドというものがある。それに、その事については、サラばかりを責める事は出来ない。
「僕の方も、悪――」
ドラコの言葉は途切れた。ハリー、ロン、ネビル、ラベンダー、パーバティ、フレッド、ジョージ。近くの席の面々が食事の手を止めていた。
青白い顔に、赤みが入る。ドラコはサラの腕を掴み、立ち上がらせる。
「ついて来い。グリフィンドールの連中は、盗み聞きというご立派な趣味を持った輩が多いみたいだからな」
「へぇ〜。僕達に聞かれちゃ不味い話をするんだー」
ロンが机に肘を突き、ニヤニヤと笑みを浮かべて言う。ラベンダーとパーバティは、何やらひそひそクスクスと話し合っていた。
「黙れ、ウィーズリー。お前のような首を突っ込んでくる奴がいるから、場所を変えるだけだ」
ドラコは噛み付くように言うと、ロンが何か言葉を返す前にと背を向ける。
サラの腕を強引に引っ張って行こうとするドラコを呼び止める声があった。ハリーだ。ドラコは苛立ちながらも振り返る。
「何だ? そんなに、サラの事が気になるっていうのかい、ポッター?」
ハリーは答えない。一時の間が空く。
沈黙の後、ハリーは真剣な眼差しで一言呟くように言った。
「……サラを、一人にするなよ」
ネビル、ラベンダー、パーバティ、フレッド、ジョージ、五人の誰もが唖然としていた。いつものいがみ合う二人の関係からは考える事も出来ない言葉だった。
ロンも、ハリーに同意するように、無言でドラコを見つめている。
ドラコはフンと鼻で笑った。
「お前に言われるまでも無い」
窓から差し込む陽光の為か、この空き部屋は冷たい廊下よりも幾分か暖かく思われた。大広間とは玄関ホールを挟んで反対側、職員室やフィルチの部屋と同じ並びにある小さな空き部屋だ。
部屋に入るなり、扉を閉める事もせず、ドラコはサラに深々と頭を下げた。
「ごめん……! どんなに謝っても、謝りきれない。
恐らく、昨日最後にアリスと話したのは僕だ。アリスが一人で出かけようとするのを、僕は止められなかったんだ……。地下牢教室に行くって言っていた。ついて行く、って言ったんだけど拒否されて。でも、無理矢理にでも一緒に行けば良かった。こんな事になるぐらいなら……」
サラは当然、ドラコを責めるだろう。
昨日は、ドラコは大変な失言をした。サラはその理由は分からぬが、ハーマイオニー・グレンジャーが襲われた事に自責の念を抱いている。そこへきて、ドラコの発言。ドラコは、死ぬのが彼女ならば良かったのにと言った。例え普段から口にしているような言葉にしても、今のサラの前で言うべきではなかった。
サラは何も言わない。
ドラコは、そろそろと面を上げた。サラは未だ、放心状態で俯いている。
灰色の瞳は陰鬱に伏せられ、一筋の涙がサラの頬を濡らしていた。
朝食を終えると、エリはいつもの仲間達と共に真っ直ぐに医務室へと向かった。一時限目まで、まだいくらか時間はある。
医務室の扉が見えてくる。ハンナ、スーザン、アーニーの三人は、怖々とエリの様子を伺う。アリスの第一発見者は、エリだという噂だ。エリはその噂を否定しないのだから、恐らく事実なのだろう。
三人の視線に気づき、エリは振り返った。笑顔だ。
「おいおい〜。何、辛気臭い顔してんだよ。
そりゃ、アリスが襲われたってのはいい事なんかじゃないけどさ。それにしたって、そんな葬式みたいな顔するこたぁねーだろ」
ハンナとスーザンは互いに顔を見合わせる。
今朝、エリはハンナ達と朝食を共にしていない。いつもは談話室で待ち合っているというのに、今日はいなかった。大広間へと階段を上がっていったところ、玄関ホールで壁に寄りかかっていたのだ。朝食は、一人で大分早くに終えたらしい。
普段と違う行動。エリは、明らかに一人でいたいようだった。だから、一人で食事を終えたのだろう。だから、ハンナ達が朝食をとる間、ずっと大広間の横の物置で待っていたのだろう。
アリスが襲撃に遭ったという事に、幾分か衝撃を受けているのかと思ったのだが。
アーニーが、目をパチクリさせながら口を開いた。
「エリ……君、アリスが襲われた事、あまりショックじゃないのかい?」
「ショックなんて、発見した時に比べりゃ無いも同然だっての。
だーかーらー、そんな辛気臭い顔はやめろって!
何だ? それともお前ら、俺を心配してんのか? 俺がそんな、ガラスのハートを持った繊細な乙女だとでも思ってんのか?」
三人は困惑したように目配せする。
エリは、傍にいるアーニーの背中を強く叩いた。
「心配してくれてありがとな。だけど、大丈夫だって!
だってさ、別に死んだ訳じゃないんだぜ? 直ぐに直せるんだしさ」
「頭が可哀想だと、こんなにも不謹慎極まりない子になってしまうのね。貴女がそこまで薄情な人だとは思わなかったわ」
突然割って入った声は、サラの物だった。
サラの灰色の瞳は、エリに咎めるような冷たい視線を送っている。ハリーとロンは、サラの後ろでサラとエリの様子を伺っている。
エリは鬱陶しげにサラを横目で見た。
「お前に薄情だとか言われる筋合いはねぇよ。どうせお前の事だから、ハーマイオニーが襲われるまで、襲撃事件について何とも思ってなかったんだろ。ドビーの事だとか、自分が疑われているって事ばかり、気にしてたんじゃねーの」
サラは言葉に詰まる。図星だった。確かに、サラはハーマイオニーが襲われるまで、襲撃に対して衝撃を受ける事は無かった。石化したミセス・ノリスを見た時のショックも、それは悪夢が現実の物となったからに過ぎない。
何も、言い訳の言葉は無い。
「……そうね。一々親しくも無い、それどころか邪魔者だった被害者にまで心を痛めていたら、キリが無いわ」
「てめぇ……!」
「貴女が言ったんじゃない。分かっていたのでしょう?
大体、例え親しくなかった者が襲われた事にショックは受けなくても、快くない事は確かだわ。
ましてや、今回の被害者は自分の妹よ? 私には貴女みたいに笑っているなんて出来ない。
……貴女、第一発見者なんですって? それなのに、よくそんな風にヘラヘラしていられるわね。それが薄情でなくて何だと言うの?
アリスが襲われたのよ……。私よりも貴女の方が、アリスと仲が良かったじゃない……どうして笑っていられるの? そんな平気でいられるの!? その神経が理解出来ないわ!!」
サラは叫ぶように言い、懐から杖を取り出す。
サラの動作に注意していたハリーとロンが、咄嗟にサラの腕を押さえた。
エリは再び、笑みを見せる。今度は声を出して笑った。
「ここに、いたよ! 『ガラスのハートを持った繊細な乙女』がさ!
大げさな奴! まるでアリスが死んだかのようにさ。そんな大げさに嘆かれる方が、アリスの方も迷惑だっての!」
サラはハリーとロンを振り払おうと暴れるが、力ずくで二人も払うような腕力は持たない。
「放して!! この薄情者が……っ! 冷酷! 不謹慎者!
何が大げさなものよ! 死ななかったのは、運が良かっただけじゃない! それが分からないの!? いい加減、笑うのをやめなさい!!
所詮、貴女はその程度だったのね。自分が無事なら、それでいいんだわ! アリスが、自分の妹が襲われようと、貴女の知った事じゃないのね。最低よ!! 少しは、周りの事も考えるようになったらどうなの!?」
エリは声を出して笑うのを止め、くるりと背を向けた。
「エリ……」
スーザンが恐る恐る声をかける。
エリは、無言のまま駆け出す。廊下の角を曲がり、見えなくなった。
エリが去り、サラも口を閉ざし暴れるのをやめる。重い沈黙が、その場を支配する。
それも一瞬の事、ハンナが一歩踏み出す。きょとんとしている一同の前で、ハンナはサラの方へと歩み寄る。
パァンと威勢の良い音がその場に響いた。
「エリの分よ」
ハンナは毅然と言い放つ。
「私が殴るなんて、お門違いかも知れない。納得いかなければ、私を殴り返すなり、私に呪いをかけるなりすればいいわ。
エリが他人の事を考えないなんて、二度と口にしないで。アリスが襲撃に遭った事、彼女はショックどころか責任さえ感じているわ。貴方の養父であり、アリスの父親がマグルだって事は有名だわ。そして、母親の方はスクイブなんですってね。エリはそれを知っていた。なのに、何も出来なかったから……。
エリが笑っていた? 貴女、血の繋がりは無いにせよ、家族でしょう。ずっと一緒に暮らしてきたのでしょう。エリの何を見てるのよ。
空元気だって事が、どうして分からないの? 皆に心配をかけたくないから、皆の前では涙を流す事は無いのよ。それがどうして分からないの?」
ハンナは、サラを叩いた手を下ろし、目を伏せる。
「……きっとエリ、一時限目の魔法薬学はサボるわ。
ジャスティンが襲われた時も、ハーマイオニー・グレンジャーが襲われた時も、そうだった。授業後だったけれどね」
サラは視線を逸らす。
小学生の頃、エリは授業中に度々行方不明になっていた。
サラは帰りの会が終わるなり真っ先に帰宅していた。家にいた時間は、一家の中で最も多い。だが、エリが家で泣いているのを見た事は無い。
「……」
ハンナは顔を上げ、スーザンとアーニーの手を引く。
「行きましょう。授業に遅れちゃいけないわ」
「え……アリスは? いいの?」
「いいのよ」
ハンナはきっぱりと言った。
「私達がアリスに会うなら、エリも一緒じゃなきゃ」
そして、再びサラの前へと来る。
「……叩いてしまって、ごめんなさい。許せなかったの。だけど、私がエリを理由に叩くのは間違いだって分かってる。
貴女に怒った言葉は、訂正する気は無いわ。だけど、叩いた事に対しては償いたい。それで許してとは言わないけれど。どうすればいい?」
サラはゆっくりと正面に顔を向ける。ハンナは、敢然とした表情でサラを見つめていた。
視線を落とし、サラは呟くように言った。
「……それじゃ、一つだけ、言う事を聞いてくれる?」
「な……っ。どうして、ハンナが――」
反対するアーニーの言葉を、ハンナは無言で遮る。
スーザンは顔を顰める。ハリーとロンでさえ、僅かに眉を顰めていた。ハンナの言葉は正論だ。それに対して、本当に仕返しをするだなんて。
果たして、サラは言った。
「エリに、伝えてちょうだい。『ごめんなさい』って……」
何を言われるかと構えていたハンナは、思わず目をパチクリさせた。
それから、フッと笑みを零す。
「ええ。確かに、伝えとくわ」
貴女の姉は、確実にホグワーツ入学前や昨年とは変わっている、と。
何も、見えない。
全ては黒だった。闇に覆われた世界。彼の姿を探す事はおろか、外の世界の様子を伺う事も出来ない。
閉ざされたのである。このような事をする者――否、出来る者は、彼以外にいない。
トム・マールヴォロ・リドル。
またしても、ホグワーツの生徒を手にかけた。それが、最後に入ってきた情報だった。襲われた生徒の名は、アリス・モリイ。サラを預かる家の、実子である。
要は、サラの義妹。
また、あの子を追い詰める気か……。
少女は静かな怒りを漲らせる。
自分の時も、今回も、リドルは追い詰めているつもりは無いと言う。だが、その実、行っている事は自分達を追い詰める。追い詰め、対抗の手段を奪う。
救いの手を差し伸べようにも、少女の日記はリドルの手によって封じられてしまった。少女はそれを破る術を持たない。
この日記を封じたリドルが力を失わない限り、少女はこの闇から出る事が出来ない。果たして、サラ達はあのリドルを自分達の力だけで倒す事が出来るだろうか。
焦燥に駆られながらも、どうする事も出来なかった。
放課後の図書館。テストも近付いているからか、生徒達で溢れかえっている。もっとも、この状況でテストがあるかは疑わしいのだが。
だが、放課後に行く事を許されている場は数少ない。こうして行き場の無い生徒達が集中する事も不思議ではなかった。
ハリー、ロン、サラの三人も、ここ図書館で数冊もの参考書を広げ、日々量を増す宿題を片付けていた。
ハリーはだらりと机に伏せた体勢で机の真ん中に置いた資料を次々と読み、必要な内容を探している。ロンの前に置かれた羊皮紙は丸まってしまっていて、うつらうつらと船を漕いでいるロンは一向に気づかない。
サラは教科書と羊皮紙を出したが、一分ほどの睨めっこの後、直ぐにまた鞄に戻した。
「やっぱりやめた。魔法薬学の授業、明日は無いもの。この宿題は、明日にするわ……」
『駄目よ。後回しは命取りよ。今日やらなければ、明日後悔する事になるに違いないわ』
ハーマイオニーがいれば、そんな叱咤が飛んだ事だろう。だが、今、宿題を後回しにしても誰も咎める者はいない。
サラは自分の隣の空席をじっと見つめる。ハーマイオニーはいつも、この位置にいた。
『何やってるの? 魔法薬? へぇっ。二年生のって、一年生の内容より興味深いわね。ねぇ、ハーマイオニー。『忘れ薬』って、やっぱりテストに出るかしら……。
ああ、そうだ、サラ。今度のハッフルパフ戦も、頑張ってね! ハリーも!』
『それ、どうせエリにだって言ってるんでしょう』
『当然よ。二人の勇姿、楽しみにしてるわよ〜』
あの明るい声は、聞こえてこない。こうして図書館で勉強をしていると、アリスに会う事がしばしばあった。
ハーマイオニーも、アリスも、今は医務室に横たわっている。この場に現れる事は無い。
サラは不意に、席を立った。ハリーが上体を起こし、サラを見上げる。
「どうしたの、サラ?」
「……私、今日の所はここまでにしておくわ。先に寮へ戻ってるわね」
「駄目だよ、一人じゃ。待って。今、僕達も――」
そう言って、隣で小さくいびきを掻くロンを叩き起こそうとする。
サラは図書館の扉の方をちらりと見て、構わないという風に手を振った。
「大丈夫よ……。だってほら、ネビルが帰ろうにも一人で行動する訳にもいかなくて、困惑しているもの。彼と一緒に帰るわ」
「そっか。分かった」
ハリーは大人しく椅子に腰を下ろし、先ほどの参考書を手に取る。
サラは荷物を纏めると、席を離れた。
「リドル。出てきなさい」
答える声は無い。
サラは大きな音を立てて寝室の扉を閉め、鞄を自分のベッドの上に投げ出す。そして、杖を取り出した。
「出てきなさいって言ってるのよ! 今、私は一人よ。私が一人になったら、いつも姿を現してたじゃない。私を監視しているのでしょう? 傍にいるんでしょう? 出てきなさい!!」
サラが話すのをやめれば、部屋はしんと静まり返るばかり。
「出てきなさいよ! 貴方でしょう!? 貴方が、アリスを襲ったんでしょう!? 私が、貴方の意思に逆らったから……!!
姿を見せなさい。それとも何? コソコソと怯えて隠れているつもり? 情け無いったら無いわね。出てきなさい。私は貴方を許さない……っ」
やはり、リドルは姿を現さない。
サラがどんなに喚こうと、リドルがサラの前に姿を見せる事は無かった。
ダンブルドアがいないと言うのに、テストは行われる。襲撃事件の犯人は一向に捕まらぬまま、ダンブルドアもハグリッドも帰ってこぬまま、テストは三日後に近付き、誰もが憂鬱な表情をしていた。
しかしこの日、その憂鬱を取り払う知らせが生徒達の下に届いた。
「良い知らせです」
マクゴナガルの言葉が朝の大広間に響き渡る。
大広間は静まり返る訳ではなく、それどころか大騒ぎとなった。
「ダンブルドアが戻ってくるんだ!」
「スリザリンの継承者を捕まえたんですね!」
「クィディッチの試合が再開されるんだ!」
それぞれが、思い思いに叫んでは歓声を上げる。
生徒達の興奮が冷め、大広間が静まるのを待ち、マクゴナガルは口を開いた。
「スプラウト先生のお話では、とうとうマンドレイクが収穫出来るとの事です。今夜にも、石にされた人達を蘇生させる事が出来るでしょう。
言うまでもありませんが、その内の誰か一人が、誰に、又は何に襲われたのか話してくれるかもしれません。私は、この恐ろしい一年が、犯人逮捕で終わりを迎える事が出来るのではないかと、期待しています」
発表前の歓声など比では無かった。まるで爆音のようだ。サラも、喜びに手を叩いて立ち上がっていた。
ハーマイオニーが戻ってくる。
アリスが戻ってくる。
そして、きっとバジリスクに襲われたと話す筈だ。サラがその事を話す訳にはいかない。いくら何でもそこまで抗えば、リドルは何をしでかすか分からない。下手すると、ホグワーツ城にいる者全てを殺しにかかるかもしれない。
そこまで考え、サラはふと気がついた。
あのリドルが、このまま大人しくしているだろうか。
このままでは、被害者達が目を覚ます。そして、襲ったモノの正体を話す。リドルが言う、実行犯を知る者もいるかもしれない。そこから辿れば、リドルが裏にいる事も明るみに出るかもしれない。
リドルが、それを大人しく受け入れるとは到底思えない。何か、手を打つ筈だ。
これ以上無いというぐらい嬉しそうな顔をしたロンの横で、サラは深刻な顔で物思いに耽る。
今夜、被害者達は蘇生される。今日一日が勝負だ。夜までに、リドルは何か動きを示す筈だ。今日一日、周りの人々を守り抜かねばならない。
クリスマスの夜、日記に残された文章。彼はサラの大切な者達を人質とし、脅迫した。
ハリー、ロン、ハーマイオニー、ドラコ。
ハーマイオニーは既に襲われた。この知らせにより、スリザリンの継承者が何らかの動きを見せるかもしれないという事ぐらい、教師陣もお見通しだろう。今日は、いつも以上に被害者達の護衛が強化される筈だ。
サラは素早く席を立つ。ハリーがどうしたのかと尋ねるのも構わず、足早にスリザリンのテーブルへと歩いていった。
スリザリン生の面々は、他の寮ほどこの報告を喜んではいなかった。ホッとしている者もいる事はいるようだが、不満げな顔の方が圧倒的に多い。その為か、あからさまに歓喜する者はいなかった。
ドラコも、不満げな様子の一人だった。サラが来た事に気づき、振り返る。見せた笑顔は、確実に無理をしていた。
「良かったな、サラ。これで、アリスもグレンジャーも元に戻って、帰ってくる」
「別に、無理して合わせなくてもいいわよ。同じ寮のアリスは兎も角、ハーマイオニーが蘇生される事はドラコにとって喜ばしい事ではないでしょう。寧ろ、不愉快だったりするんじゃない?」
からかうような口調で、口元に笑みを浮かべて言ってみる。
しかし、ドラコの返答はサラの予想と違っていた。
「まあ、正直に言えば、確かにグレンジャーが戻ってきたって僕は嬉しくも何とも無いけれど……でも、全く嬉しくない訳じゃないよ。彼女が戻ってくれば、サラがその事で思い悩む事はなくなるだろう?」
一気に顔が熱くなるのを感じた。
そこへ、何処からとも無くパグそっくりの顔の女子生徒が目の前に現れた。彼女はドラコとサラの間に仁王立ちする。
「態々スリザリンのテーブルに何の用? グリフィンドールの、サラ・シャノン。
グリフィンドールでは、寮のカラーに顔を染める事でも流行ってるの? デレデレとトマトみたいな顔を――」
パンジーの言葉は途中で途切れた。サラはパンジーの首に腕を回し、口を塞ぐ。
ドラコから顔を背けながら言った。
「私、貴女に用があったのよ、パンジー! さ、あっちへ行きましょう」
大広間の隅へとズルズルと引きずっていき、ようやくサラはパンジーを解放した。ずっと呼吸の手段を奪われていたパンジーは、ゼイゼイと喘いでいる。
それから、怪訝げな視線をサラに向けた。
「貴女が私に用なんて、一体何なの? アリスが戻ってくるから? 言ったわよね。私、彼女を甘やかすつもりは無いわよ」
「そんな話じゃないわ」
サラがきっぱりと言い放つと、パンジーはますます疑るような目をサラに向けた。
「最近、貴女おかしいわ……。ドラコそっちのけで、私とばかり二人で話そうとするなんて……まさか貴女……」
「何よ」
サラは強気な声で尋ね、首を傾げる。
パンジーは、サッと後ずさった。
「言っておくけど、私はドラコ一筋よ! そっちの趣味なんて、微塵も無いんだから!!」
「私だって無いわよ!! おぞましい事を言わないでちょうだい!」
サラは間髪入れずに返す。
「大体、今回は貴女になんて用は無かったわよ! ドラコに話すつもりだったの! 貴女が邪魔をした上に余計な事を言おうとするから、仕方なく貴女を引っ張ってきたんじゃない!!」
「何よ。別にドラコじゃなくても構わない用件だったみたいな言い方ね」
「ええ。用件としては、ドラコじゃなく、その周りの人達でも問題無いわ」
「それじゃ、どうして態々ドラコに近付いたりするのよ」
「愚問ね。好きな人と会話をしたいと思うなんて、恋する乙女の可愛らしい幸せじゃない」
「貴女、キャラ変わったわね」
パンジーは呆れたような驚いたような口調で言う。
サラは、肩に掛かった黒髪を片手で払い、毅然とした態度で言った。
「今日一日、ドラコを決して一人にしないで」
パンジーは、サラの意図するところを図りかね、目を瞬く。
サラは腕組みをし、そのまま背後の壁にもたれる。
「マクゴナガル先生の仰るとおり、被害者の証言によって、スリザリンの継承者が明かされるかもしれないわ。だけれど、そんな事、継承者自身も分かっている筈でしょう?」
「……つまり、夜までにスリザリンの継承者が、何らかの動きを見せる可能性が高いって事?」
サラは口元を綻ばせる。
「へぇ。貴女、思ってたよりも賢いのね」
「それはそれは、随分と見下されてたみたいね。
だけど、ドラコの家はれっきとした純血の家系よ。そんな彼の身を案じるなんて、私達のような名家の者からすれば、侮辱にも値するわ」
サラはすっと視線を逸らす。
「そういう問題じゃないのよ……」
パンジーは眉根を寄せる。
彼女は、何か知っている。スリザリンの継承者について、秘密の部屋について、何か知っているのだ。だから、彼女や彼女の身の回りに危険が及ぶのだろう。
瞬時にそれを理解した。昨年も、サラはグリフィンドールの仲間達と共に何やら派手な活躍をしたらしい。生き残った女の子。パーセルマウス。そんなサラの事だから、彼女が何かに巻き込まれているという事も想像に難くなかった。
「……そう。分かったわ」
すんなりと返事をしたパンジーに、今度はサラが目を瞬く。
「聞かないの? 如何いう事なのか、って」
「言ったでしょう。私にはそんな趣味は無いし、ドラコ一筋なの。貴女の事になんて、興味無いわ」
サラはきょとんとした表情をしていたが、徐々にその顔に笑みが漏れた。
パンジーは眉を顰める。
「何なのよ、気持ち悪いわね」
「別に何も。
戻りましょう。私も、まだ朝食を終えていないのよ」
二人は壁際を離れ、四つのテーブルが並ぶ方へと向かう。
歩きながら、パンジーが独り言のように呟いた。
「例え一人にしなくても、私の力でドラコをスリザリンの継承者から守りきるなんて、出来るとは限らないわよ。そもそも、私よりもドラコの方が魔法のレベルは上だもの……」
「一緒にいるだけで十分よ。例え危険に直面しても、守らなければならない者が背後にいれば決して倒れる訳にはいかなくなるもの」
「いいのかしら? そんなお姫様役を私に譲ってしまって」
「今日限りよ。夜が過ぎれば、直ぐにドラコの隣は返してもらうわ」
「返すも何も、元々貴女の物じゃないけれどね。私、絶対に空け渡す気にはならないわよ」
「重要なのは、貴女の意思じゃなくてドラコの意思よ」
レイブンクローのテーブルの傍まで近づいてきた。
サラとパンジーは、どちらからともなく、互いを向いて立ち止まる。
「幸運を」
互いに言い、拳を付き合わせると、サラはグリフィンドールのテーブルへ、パンジーはスリザリンのテーブルへと戻っていった。
サラが席へ戻ったのは、ジニーと入れ替わりだった。ロンは、ジニーを追い払ったパーシーに憤慨している。ハリーは、挙動不審なパーシーを不思議そうに眺めていた。
ハーマイオニーは教師に任せる。ドラコはパンジーに頼んだ。
ハリーとロンは、サラが直接この手で護る。
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The Blood
第1部
希望求めし少女たちは
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2007/12/15