暗闇の中、二つの青白い光が、四人分の影を壁に映し出す。湿った床を踏みしめる音が、ぴしゃりぴしゃりとトンネル内に響いていた。
 突如、バリンという何かを割ったような音が大きく響いた。四人はドキリとしてその場で立ち止まる。
「骨だわ……。鼠の頭部みたいね……」
 サラがしゃがみ込み、杖をロンの足元に近づけて囁くように言った。
 ハリーも同様に杖を床へ近づけ、足元の闇に目を凝らす。
「二つとも下げないでくれ!」
 ロックハートが怯えた声で叫ぶように言う。
「光が小さくなるでしょう。周囲が見えないと――」
 サラが横目でじっと見ているのに気づき、ロックハートは黙り込む。それを確認すると、サラは再び足元に視線を戻した。
 ハリーは足元の捜索を止め、体を起こす。
「行こう。ここでグズグズしている訳にもいかない」
 サラも頷き、立ち上がる。
 床には、小動物の骨が至る所に散らばっていた。『バジリスクはすべての哺乳類、鳥類、ほとんどの爬虫類を食す』――書物で読んだ文章が、サラの脳裏を掠める。もしかしたら……エリは既に……。
 ぽん、と肩に手が置かれた。ロンが、サラの隣に下がって来ていた。
「……『エリはそんな簡単に殺られるような奴じゃない』って言ったのは、サラだよ。
僕はジニーがまだ無事だって信じる。完全に否定するような姿を目にしない限り、望みを捨てたりしない。
ジニーの事が一番分かるのは、僕なんだ。ジニーなら、きっとまだ大丈夫だ。エリの事が分かるのは、君だろう。君が望みを捨てちゃ駄目だ」
 サラはロンのにきび面を見上げる。そして、力強く頷いた。
 ロンは再び元の位置に戻り、一列になる。
 先頭の光が消えた。曲がり角だ。サラは、ロックハートの後に続いて、最後に角を曲がる。
 嫌な気配はますます強くなっていく。道を間違っていない証拠だ。ロックハートの所での罰則の夜に感じた、邪悪な気配。あれは、ここからのものだった。下へ降りてきて、それはますます強さを増している。
「ハリー、あそこに何かいる……」
 ロンの掠れた声がした。四人はその場に硬直する。
 行く手に、トンネルを塞ぐ大きな陰があった。かろうじて見える輪郭が、曲線を描いている。動き出す気配は無い。
「眠っているのかもしれない」
 ハリーが声を潜めて言った。そして、じりじりとその物体に近寄って行く。
 サラは杖先に灯りを灯したまま、真っ直ぐその物体へと向ける。物体がピクリとでも動けば、直ぐに攻撃できるように。
 ハリーの杖灯りに照らし出されたのは、蛇の抜け殻だった。バジリスクの物だろう、毒々しい緑色の巨大な皮だ。
「なんだぁ……」
 ロンがホッとしたように息を吐いた。
 目の前にいたロックハートは、その場に崩れ落ちた。腰を抜かしたらしい。
「立てよ」
 ロンが振り返り、ロックハートに杖を向ける。ロックハートは、ふらふらと立ち上がり、そして突然素早い蹴りがサラの右手を襲い、杖を吹っ飛ばした。続いて、ロンへと襲い掛かり、殴り倒す。
 サラが杖を拾い振り返った頃には、既にロックハートはロンの杖を握り、輝くような笑顔を浮かべていた。
「お遊びはここまでだよ、坊や達!
私はこの皮を少し学校に持って帰り、女の子を救うには遅すぎたと皆に言おう。君達三人はズタズタになった無残な死骸を見て、哀れにも気が狂ったと言おう。
さあ、記憶に別れを告げるがいい!」
 ロックハートは、ロンの杖を頭上にかざした。





No.60





 曲がりくねった真っ暗なトンネルを、先頭を行くジニーの杖灯りを頼りに、エリは歩を進めていた。エリの杖はリドルが握り、背後からエリの首筋に当てられている。
 どれほど歩き続けるのだろう。皆、心配しているだろうか。何とかして、ジニーと共に逃げ出す事は出来ないだろうか。
 ただ一つ安心できるのは、黒幕であるリドルがここにいるからには、校内にいる皆は無事だという事だ。これ以上、犠牲者が出るのは嫌だ。ここで決着をつければ、この先も皆は安全だ。
 やがて、正面に通路を塞ぐ壁が現れた。二匹の蛇が絡み合う彫刻が施されている。大きなエメラルドの嵌められた蛇の目は、妙に生き生きとしているように見えた。
「開け」
 リドルの口から、シューシューという低く幽かな音が出る。パーセルタングだ。
 エリは、壁が避けていくのをじっと睨み据えていた。ハリー、サラ、エリ、そしてリドル。数少ないと言われる、パーセルマウス。一体、自分達に何の共通点があるのだろう。
 ……若しかすると、父親の事が分かるかもしれない。スクイブだと言われる母の事が分かるかもしれない。リドルは、何か知っているかもしれない。
 エリはキッと面を上げ、ジニーの後に続いて敢然と部屋の中へ入って行く。
 三人が入った途端、岩のぶつかり合う低い音を響かせ、背後の壁は元通りに閉じた。エリはそれを振り返る事もせず、辺りを油断無く見渡す。三人は、部屋の奥へと進んで行った。
 部屋は、奥へと細長い造りになっていた。壁にあったのと同じく、蛇の絡み合う彫刻を施した柱が高くそびえ立つ。柱の先にあるであろう天井は、闇の向こうに消えていて確認する事が出来ない。部屋は、まるで燐光が漂うかのように緑がかっており、柱の陰が随所に闇を作り出していた。
「何……何なの……ここ……」
 震える声に、エリはハッとしてジニーを振り向いた。
 ジニーは驚愕に目を見開き、わなわなと震えている。正気に戻ったのだ。ジニーはゆっくりと部屋を見回し、そしてエリのいる方を向いた。
 エリの背後にいるリドルを見て、ジニーは「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。リドルが手にしている杖。平均的な物よりも太く長いそれは、エリの杖に他ならなかった。それが、リドルの手中にある。
 それが何を示すのか、ジニーが理解するのに数秒とかからなかった。ジニーは絶望に駆られ、その場に膝を就く。
「ジニー!?」
 エリは慌ててジニーに駆け寄った。ジニーの目からは、大粒の涙が後から後からと溢れ出す。
「ごめんなさい……ごめんなさい、エリ……! あ、あたしだったの……っ。ごめんなさい……あたしの所為で、こ、こんな所に……!」
「それじゃ……やっぱり、ジニーが……? ジャスティンも……ハーマイオニーも……アリスも……」
「ごめんなさい……! で、でもあたし、そ、そんなつもり無かった……っ」
「分かってるよ。……あいつに操られてたって所だろ?」
 エリは、余裕の笑みを浮かべ背後の柱にもたれかかっている少年に目をやる。
「さっきまで、まさにその現場を目撃させられてたからな」
 ジニーはただ、「ごめんなさい」と繰り返す。
 エリは、ぽんと優しくジニーの背中を叩く。
「ほら、もう泣くなって。謝る事もねーよ。悪いのはお前じゃ――」
 エリの言葉は途切れた。
 ジニーが、その場に倒れこんだのだ。そのまま、動く気配は無い。
 エリはジニーの傍らに膝を着き、激しくジニーの体を揺する。
「おい、ジニー! ジニー! 起きろよ!! まさか、そんな――」
「まだ死んではいない。もう、目を覚ます事は無いだろうけどね」
 リドルの無感情な声が、エリの背にかかる。エリは、リドルを振り返り睨めつけた。
「……ジニーに、一体何をした」
 エリの声が、部屋の中に響く。部屋の向こうにある石の壁が開く様子は無い。
 都合良く味方が現れる事など、決して無いのだ。それは、経験からもよく分かっている。己の力で、危機を脱さなくてはならないという事ぐらい。
 リドルは微笑を浮かべていた。
「僕から何かした訳じゃない。彼女は、僕に自分の力を注ぎ込みすぎたんだ」
「どういう事だ」
 輪郭のはっきりしない指が、床に崩れ落ちたジニーを指差した。ジニーの腕には、一冊の書物が大切そうに抱えられている。
「僕の日記だ」
 リドルはエリの杖をクルクルと指で回しながら、話し続ける。
「僕は、五十年前の記憶だ。そいつは何ヶ月もの間、僕の日記に心配事や悩み事を書き続けていた。自分が話しかけている相手が誰なのかも分からずに、何もかも洗いざらい打ち明けた。
ジニーが心を打ち明け、書き込むほど、彼女の魂は僕に注ぎ込まれる。それを糧に、僕は力を蓄えていった。やがて、僕はそいつとは比べるまでも無い程に強力になった。そして僕は、逆に僕の魂をジニーに注ぎ込み始めた……」
「そうやって、ジニーを操ったって事か。
お前、一体どういうつもりだ? マグル出身者を次々と手に掛けて……自分の代わりに手を汚させていたジニーをここへつれて来たって事は、それもこんなに弱りきってるって事は、今日、何らかの決着をつけるって事だろ?」
「へぇ……意外と賢いね」
「それはどうも」
 エリは目を逸らさずにリドルを見据え、口元に笑みを浮かべる。握り締めた拳が汗ばんでいた。
 リドルは涼しい顔で微笑むばかりだ。
「君とジニーは、人質さ。ハリー・ポッターとサラ・シャノンをここへ呼び寄せる為のね」
「俺は、たまたま通りがかっただけだろ」
「それは違うよ。昨夜、夕食の時間にジニーが君の所へ来なかったかい?」
 エリは目を見開く。夕食の時、確かにジニーは自分の所へ来た。話があると言っていたのだ。だが結局、時間の都合でその話を聞く事は出来なかった。
「は……っ。あの時に、盛られてたって事か……。通りで、その後眠かった訳だ……」
「効き目が切れる時間も想定した上でね」
 エリは、再びジニーに視線を戻す。
 ジニーの顔色は蒼く、目に見えて弱ってきていた。
「……おい、リドル」
 エリは、ジニーの腕からリドルの日記を外す。
「お前、今もジニーから力奪い続けてんのか?」
「当然だろう。言っただろう? そいつはもう、二度と目を覚ます事は無いって。僕は、ジニーの命が尽きるまで力を奪う」
「やめろ」
「何とでも喚くがいいさ。君には何も出来ない」
「――俺じゃ、駄目か?」
 リドルは僅かに眉を動かし、怪訝げにエリの背中を見つめる。
「ジニーの代わりに、俺から奪えばいい。ジニーが死ぬなんて嫌だ」
「無理だよ。君は、僕の日記に書き込んでいないだろう?」
「だったら、俺が書き込めばいいんだろ。ジニーから力を奪うのを、ただ黙って見てるなんて出来ない」
 リドルはエリの背中を見つめ、そして笑みを浮かべた。
――こいつで、少し遊んでやろう。
「それじゃあ、君の血で書き込んでもらおうか。その方が、効率がいいからね。普通に書き込むんだったら、ジニーからの方がここ何ヶ月も書き込んでいた分、力を奪いやすい。
それから、書く事だってただの作文じゃ駄目だ。さっき、僕は言っただろう? 書く者が心を打ち明けるほど、その者の魂は僕に注ぎ込まれるのだと。つまり、君は話したくないような悩みや、暗い秘密を書き連ねなければならない」
 エリは背を向けたままで、リドルの方から表情は見えない。だが、強張っているに決まっている。ジニーやサラと違い、エリはリドルの正体を知った。その上で書き込むなど、したいと思う筈がない。
 リドルはせせら笑う。
「君に、そんな事が出来るのかい? 考えてもみろ。そいつは、そんなに大切な奴かい? 深い仲でもない奴の為に自分を犠牲にするなんて、到底――」
「ごちゃごちゃうるせーなぁ……」
 エリは、ゆらりと立ち上がる。
 そして、エリは指先を口へと持っていった。歯で、指先の皮を食いちぎる。
 片手は日記を抱え、片手は指先から血を流しながら、エリは振り返ってリドルを見据えた。
「書いてやるよ。書けばいいんだろ。
俺のつまらない矜持なんかと、ジニーの命。どっちの方が大切かなんて、迷うまでもねぇんだよ」





 ロックハートの呪文と同時に、爆発が起こった。スペロテープで貼り付けられていたロンの杖が、逆噴射したのだ。
 サラは、反射的にロックハートやロンを通り過ぎ、蛇の抜け殻の方へと駆け出していた。天井から、岩の塊が轟音と共に崩れ落ちてくる。
「ノラードイグリタス!」
 蛇に躓いたハリーの頭上へと落下していた岩が、粉々に砕け散る。同時にサラはハリーに追いつき、腕を引き庇うようにして地面を強く蹴った。
 とぐろを巻く抜け殻の間へと身を隠し、振り返る。崩壊は収まり、そこには固い壁が立ちはだかっていた。
 ハリーは直ぐに立ち上がり、壁へと駆け寄る。サラも後に続いた。
「ローン! 大丈夫か!? ロン!!」
「ロン! 平気? 返事して!!」
「ここだよ!」
 壁の向こうから、幽かな声が聞こえた。この壁は、よほど厚いらしい。
「僕は大丈夫だ。でも、こっちの馬鹿は駄目だ――杖で吹っ飛ばされた」
 ドンという鈍い音と、ロックハートの声が聞こえた。ロンがロックハートの脛を蹴飛ばしたようだ。
「どうする?」
 ロンの声は切羽詰った調子だった。
「こっちからは行けないよ。何年もかかってしまう……」
 ハリーはトンネルの天井を見上げた。サラは、壁を拳で軽く叩く。そうした所で、何も分かりはしないのだが。
「ねぇ、サラ……あの割れ目を広げずに、この岩を砕く事って出来る?」
 ハリーに呼ばれ、サラは同じく天井を見上げた。
 巨大な割れ目が出来ている。放っておいても、いつこのトンネルが崩れるか分からない。
「ちょっと、厳しいわね……砕いた岩の周囲への拡散は、制御出来ないもの。手で慎重に崩していくしかないと思うわ」
 サラは背後の闇を振り返る。道は、この先に続いている。サラ達は、談話室で何時間も無駄にしてしまった。一刻の猶予も無い。
 隣に立つハリーを見上げれば、視線が合った。ハリーも、同じ事を考えていたようだ。
 ハリーとサラは互いに頷き、ハリーが壁の向こうへと呼びかけた。
「そこで待ってて。ロックハートと一緒に待っててくれ。僕とサラが先に進む。一時間経っても戻ってこなかったら……」
 ハリーの言葉が途切れ、闇の中、沈黙が流れる。
「……僕は、少しでもここの岩石を取り崩してみるよ」
 ロンは、賢明に落ち着こうとしているのが露だった。
「そうすれば君達が――帰りにここを通れる。だから、ハリー、サラ……」
「それじゃ、またあとでね」
「またね、ロン」
 ハリーとサラは岩壁に背を向けた。そして、巨大な蛇の皮を越え、暗闇へと踏み出した。





『お前、ハーマイオニーと大抵一緒にいたじゃんかよ! それが最近は一緒にいないみたいだから、おかしいと思ってたんだ! 如何いうつもりだよ!? またここでも、人を傷つけるつもりか!!?』

『今話してるのは、如何してお前がスネイプに罪をなすりつけたか、だ。その所為で、三人は真犯人に思い当たらなかったんだろ。お前が事実を隠したりしたから』

『ハーマイオニーとハリーとロンの三人には、お前は絶対の信頼を置いてる。そうだろ?』

 サラは、エリの言葉を胸の内で反芻する。
 ハーマイオニーを傷つけ、後悔していたとき。
 一人で問題を抱え込み解決しようとした結果、仲間を危険に遭わせる事になってしまったとき。
 再び一人で抱え込み、去年と同じく仲間を拒絶しようとしていたとき。
 いつも、サラに踏み出すきっかけを与えるのはエリの言葉だった。ハリー達との今の関係は、エリがいたからだと言っても過言では無い。

『エリ、言ってたものね。入学当初は、サラが変わるなんて絶対無理だと思ったけど、最近は変われてるみたいだ、良かった、って』

『ハリーが退学になるなんて、俺も嫌だからな。でも、俺は箒なんて持ってないし――何が出来るだろう?』

 普段は互いにいがみ合っている。だが、ホグワーツに入学し、お互い理解し合えるようになってきていた。
 そして、いざと言う時、直ぐに手を組めるのがエリだった。
 どんなに喧嘩ばかりでも、わだかまりは残ったままでも、それでもサラとエリは双子なのだ。半身である事に、変わりは無いのだ。
 サラは、首にかかったネックレスをぎゅっと握り締める。

 エリ……どうか、無事でいて。


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2007/12/30