「ほら、そんな気にする事ねぇって。ジニーは何も悪くないし、俺達皆無事だったんだしさ。
お前が退学になる事も、絶対に無いよ。マルフォイの親父とかがしゃしゃり出てきてジニーに濡れ衣を着せようものなら、俺がぶっ飛ばしてやるから。な?」
 暗闇に包まれたトンネルの中には、四人分の足音とジニーのすすり泣く声、そしてエリの大きな声が響き渡る。
 エリがどんなに慰めようと、ジニーが泣き止む様子は無い。エリが言葉を切る様子は無く、ハリーは口添えしようと話す事も出来ない。サラは、ちらちらとジニーの様子を伺ってはいるものの、掛ける言葉も思いつかず口を真一文字に結んでいた。
「……よし、それじゃ泣きたいだけ泣け!」
 どうにも泣き止まないジニーに困惑したようにエリは後ろ頭を掻き、ジニーを自分の方へと引き寄せた。
「俺の胸で泣くがいい! 無理する事は無い!」
 そう言って、ジニーの頭を抱え込む。
「馬鹿ね。そんなの、歩きにくいだけじゃない」
 いつもならば、サラのそんな言葉が掛けられるところだった。だが、サラはじっと正面の暗がりを見つめたままだった。
 俯き、唇を噛む。悔しかった。自分は、何も守る事が出来ていない。いつも、人に助けてもらってばかりだ。
 OWLレベルの魔法だって余裕で使えるし、魔法薬以外は学年トップ。散々な魔法薬の成績を補い、ハーマイオニーと並ぶ事が出来るほどだ。この襲撃事件にあたって、予知夢のような物も度々見ている。
 なのに、今回、自分は何の役に立っただろうか。何の役にも立っていない。ただ、心配を掛け、巻き込み、守られただけ。
 守りたい。そう思っている筈なのに、気がつけば自分の事で精一杯になってしまっている。
 ちらりと横目でエリを振り返る。エリは体力こそあれども、他に備わった物は何も無い。魔法や知能だって月並みだし、ガサツで単純で、後先考えずに行動する事もしばしば。
 だというのに、あの強さは何だろう。
 エリだって、サラ達が部屋に到着した時点でジニーと並ぶほどに体力を消耗していた筈だ。なのに、何故それでも人を庇う事が出来る? それも、サラを。他の誰でもない、過去に自分を苦しめたサラをだ。
 結局、リドルを倒したのもハリーだった。崩れる岩に押し潰される危険を冒してハリー側へと行きながら、サラは何の役にも立っていない。寧ろ、サラが行かなければエリが磔の呪いを掛けられる事も無かっただろう。
 サラはいつか、エリのように盾となり、誰かを守る事が出来るようになるのだろうか。ハリーのように重役を担い、皆を守る事が出来るようになるのだろうか。
「ロン!」
 岩のずれ動くような音に重なって、ハリーが声を張り上げた。
「ジニーとエリは無事だ! ここにいるよ!」





No.63





 マクゴナガルの部屋には、十二人の人影があった。ハリーとサラとで「秘密の部屋」での事を説明する間、皆一様に黙り込み、部屋は静まり返っていた。
 ハリーが日記を取り出し、ダンブルドアがリドルとヴォルデモートの関連をウィーズリー夫妻、そしてナミと圭太に説明する。
 ウィーズリー氏がジニーに叱り付ける中、サラはちらりとナミと圭太の様子を伺い見た。一瞬、圭太と視線が合った。しかし直ぐに逸らされてしまう。ナミに至っては、サラの方を見向きもしない。サラが部屋へ入って来た時から、まるで赤の他人であるかのように振る舞っていた。
「ミス・ウィーズリーは直ちに医務室へ行きなさい」
 ジニーの弁明を、ダンブルドアのきっぱりとした声が遮った。
「苛酷な試練じゃったろう。処罰は無し。もっと年上の、もっと賢い魔法使いでさえ、ヴォルデモート卿にたぶらかされてきたのじゃ」
 そして出口まで歩いていき、扉を開く。
「安静にして、それに、熱い湯気の出るようなココアをマグカップ一杯飲むが良い。わしは、いつもそれで元気が出る。
エリもじゃ。身を挺してまで他人を守るその勇気、賞賛に値する。じゃが、今はまず安静にせねばならん。
マダム・ポンフリーはまだ起きておる。マンドレイクのジュースを皆に飲ませたところでな。きっと、バジリスクの犠牲者達が、今にも目を覚ますじゃろう」
「それじゃ、ハーマイオニーは大丈夫なんだ!」
「アリスとジャスティンも!」
「回復不能の障害は何も無かった」
 サラは、横目で扉の方を伺い見てる。ウィーズリー親子に続き、ナミ、エリ、圭太が部屋を出て行く。
 そして、扉は閉じられた。
 サラは視線を正面に戻す。血や泥に塗れ部屋に入ってきた時から、部屋での出来事を話し彼らが出て行くまで、結局、一度も言葉を交わす事は無かった。
 無表情のまま、ただ拳だけを握り締めた。ハリーの腕に触れた時に付いた血は既に乾き、擦れ合えばぽろぽろと崩れ落ちた。
 自分は一体、何を期待していたのだろう。別に、今に始まった事ではないではないか。いつもの事だ。彼らがここへ来たのは、エリが秘密の部屋へとさらわれたから。他に理由は無い。そうだ。分かっている。別に、何も期待などしていない。
 ダンブルドアは、マクゴナガル先生に向き直る。
「のう、ミネルバ。これは一つ、盛大に祝宴を催す価値があると思うんじゃが。厨房にその事を知らせに行ってくれんかの?」
「了解しました」
 マクゴナガル先生は答えるなり、扉の方へと向かう。
「ポッターとウィーズリとシャノンの処置は、先生にお任せしてよろしいですね?」
「もちろんじゃ」
 処置を任せる。その言葉に三人は不安げな顔を見合わせたが、何の心配も要らなかった。九月に言い渡された「これ以上校則を破れば退学」という言葉は撤回され、三人には『ホグワーツ特別功労賞』が授与される事が伝えられた。更には、一人二百点づつ、グリフィンドールに加点だ。
 ダンブルドアは、忘却術の掛かったロックハートを医務室へ、ロンに連れて行かせた。部屋に残ったのは、ダンブルドアとハリーとサラの三人のみ。

 ダンブルドアに言われ、ハリーとサラは彼の正面の椅子に腰掛ける。ダンブルドアの瞳はキラキラと輝いていたが、サラは先ほどよりも深刻な顔つきだった。いくつか、ダンブルドアに尋ねたい事がある。だが、その答えを聞くのが恐ろしくもあった。
 ダンブルドアは、「秘密の部屋」の中でハリーがダンブルドアへの信頼を示した事について礼を言い、そして考え深げに言った。
「それで、君達はトム・リドルに会った訳だ。恐らく、君達に並々ならぬ関心を示した事じゃろうな……」
「ダンブルドア先生」
 ハリーが突然、口を開いた。
「僕がリドルに似ているって、彼が言ったんです。不思議に似通っているって、そう言ったんです……」
「ほぉ、そんな事を?」
「私、も……です……」
 サラは恐る恐る口を挟んだ。目を伏せ泳がせながら、一言一言言葉をつむぐ。
「クリスマスの朝……プレゼントの中に、リドルの日記が紛れ込んでいたんです。私、まんまと騙されて……それで、日記の中に入って……その時に言われたんです。秘密の部屋でも、言われました……。私とリドルは似ているって……。
私、あんな奴と同じだなんて思いたくありません。私はグリフィンドール生です。だけど……。
……『組分け帽子』は最初、私をスリザリンに入れたがっていたんです。私ほどスリザリン向きの生徒は、それまでに一人しかいなかったって……それって多分、リドル……ですか?
それに『みぞの鏡』の話。先生は、私と同じ事を言った生徒が以前にいたと仰ったじゃないですか。それは、リドルだったのでしょう? リドル本人が言っていました。動機も同じ……鏡に見えたそれを、認めたくないから。
私は……私は、リドルに、ヴォルデモートに自分が似ているなんて思いたくありません。でも……」
 サラは膝の上で、ローブをぎゅっと握り締める。
 何と言う返事が返ってくるだろう。帽子にまで、スリザリンを勧められた。ハリーは、一体どう思うだろう。
「……僕もです、先生」
 サラは目を見開き、ハリーの横顔を見上げる。
「僕も『組分け帽子』に言われたんです。僕が、スリザリンで上手くやって行けただろうにって。
皆は、暫くの間、僕達をスリザリンの継承者だと思っていました……僕達が蛇語を話せるから……」
「ハリー、サラ」
 ダンブルドアの声は、静かで優しいものだった。
「君達は確かに蛇語を話せる。何故なら、ヴォルデモート卿が――サラザール・スリザリンの子孫じゃが――蛇語を話せるからじゃ。
わしの考えが大体当たっているなら、ヴォルデモートがハリーにその傷を負わせたあの夜、自分の力の一部を君に移してしまった。もちろん、そうしようと思ってした事ではないが……」
「ヴォルデモートの一部が僕達に?
それじゃ、僕達はスリザリンに入るべきなんだ。『組分け帽子』が僕達の中にあるスリザリンの力を見抜いて、それで――」
「君達をグリフィンドールに入れたのじゃ」
 ダンブルドアは静かに話す。
「ハリー、サラ、よく聞きなさい。サラザール・スリザリンが自ら選び抜いた生徒は、スリザリンが誇りに思っていた様々な資質を備えていた。君達もたまたまそういう資質を持っておる。
スリザリン自身も持っていたまれに見る能力である蛇語……機知に富む才知……断固たる決意……やや規則を無視する傾向。
それでも、『組分け帽子』は君達をグリフィンドールに入れた。君達は二人共、その理由を知っておる。考えてご覧」
「帽子が僕をグリフィンドールに入れたのは、僕がスリザリンに入れないでって頼んだからに過ぎないんだ……」
「私もだわ……」
 二人は絶望的な声で言ったが、ダンブルドアはにっこりと笑っていた。
「その通り。それだからこそ、君達がトム・リドルと違う者だという証拠になるんじゃ。
ハリー、サラ、自分が本当に何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするかという事なんじゃよ」
 ハリーとサラは、呆然として椅子に座り固まっていた。
 ダンブルドアが、真のグリフィンドール生だという証拠だと言い、ハリーが帽子から取り出した例の剣を手渡す。そこに刻まれているのは、ゴドリック・グリフィンドールの名であった。
 部屋の中に沈黙が流れる。
 そして、ダンブルドアはマクゴナガルの机の引き出しから、羽ペンとインク壷を取り出した。
「ハリー、サラ、君達には食べ物と睡眠が必要じゃ。お祝いの宴に行くが良い。
わしはアズカバンに手紙を書く――森番を返してもらわねばのう。
それに、『日刊予言者新聞』に出す広告を書かねば。『闇の魔術に対する防衛術』の新しい先生が必要じゃ。なんとまあ、またしてもこの学科の先生がいなくなってしもうた。のう?」

 ハリーが立ち上がり扉へと向かったが、サラは座ったままだった。
「あの、先生。私、もう一つお聞きしたい事が」
 ダンブルドアは羽ペンを置き、サラを見つめる。
「……『秘密の部屋』の中で、バジリスクが私の命令を聞いたんです。あれは、スリザリンの怪物ですよね? スリザリンの継承者にしか従わないのでは? なのに、何故――」
 バーンと大きく扉を開く音に、サラの言葉は遮られた。
 戸口に立っているのは、ルシウス・マルフォイだった。足元には、包帯に巻かれたドビーを従えている。
 ダンブルドアの爽やかな挨拶にも構わず、マルフォイ氏は怒りを露にし、肩を怒らせて部屋の中へと入って来た。冷ややかな目で、ダンブルドアを見据える。
「そうすると、お帰りになった訳ですか。理事達が停職処分にしたのに、まだ自分がホグワーツ校に戻るのに相応しいとお考えのようで」
「はて、さて、ルシウスよ」
 ダンブルドアは穏やかな笑みを崩さない。
「今日、君以外の十一人の理事がわしに連絡をくれた。正直なところ、まるでふくろうの土砂降りに遭ったかのようじゃった。
アーサー・ウィーズリーの娘が殺されたと聞いて、理事達がわしに、直ぐ戻って欲しいと頼んできた。結局、この仕事に一番向いているのはこのわしだと思ったらしいのう。
奇妙な話を皆が聞かせてくれての。もともとわしを停職処分にはしたくなかったが、それに同意しなければ家族を呪ってやると貴方に脅された、と考えておる理事が何人かいるのじゃ」
 元々青白いマルフォイ氏の顔が、尚更青くなった。しかし、それでも怒りは消えない。
 マルフォイ氏は、嘲るように言った。
「すると、貴方はもう襲撃を止めさせたとでも? 犯人を捕まえたのかね?」
「捕まえた」
「それで? 誰なのかね?」
「前回と同じ人物じゃよ、ルシウス。しかし、今回のヴォルデモート卿は、他の者を使って行動した。この日記を利用してのう」
 ダンブルドアが、リドルの日記を机から取り上げた。今や、日記の中央には大きな穴が空いている。
「なるほど……」
 暫くの空白の後、マルフォイ氏は唸るように言った。
 ダンブルドアは淡々と話す。
「狡猾な計画じゃ。何故なら、もし、このハリーとサラが友人のロンと共に、この日記を見つけておらなかったら、ジニー・ウィーズリーが全ての責めを負う事になったかもしれん。ジニー・ウィーズリーが自分の意思で行動したのではないと、一体誰が証明できようか……。
そうなれば一体何が起こったか、考えてみるが良い……。ウィーズリー一家は、純血の家族の中でも最も著名な一族の一つじゃ。アーサー・ウィーズリーと、彼の手によって出来た『マグル保護法』にどんな影響があるか、考えてみるが良い。自分の娘がマグル出身の者を襲い、殺している事が明るみに出たらどうなったか。
幸いな事に日記は発見され、リドルの記憶は日記から消し去られた。さもなくば、一体どういう結果になっていたか想像もつかん……」
「それは幸運な」
 マルフォイ氏の口調はぎこちなかった。
「マルフォイさん」
 唐突に口を挟んだのは、ハリーだった。ハリーはマルフォイ氏を正面から見据える。
「ジニーがどうやって日記を手に入れたか、知りたいと思われませんか?」
「馬鹿な小娘がどうやって日記を手に入れたか、私が何故知らなきゃならんのだ?」
「貴方が日記をジニーに与えたからです」
 サラは目を見開いてハリーをまじまじと見つめる。
 そして、マルフォイ氏に視線を移す。マルフォイ氏の顔は、相変わらず蒼白だった。
「フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店で。ジニーの古い『変身術』の教科書を拾い上げて、その中に日記を滑り込ませた。そうでしょう?」
「何を証拠に」
「ああ、誰も証明はできんじゃろう」
 ダンブルドアが、ハリーに微笑みかけながら言った。
「リドルが日記から消え去ってしまった今となっては。
しかし、ルシウス、忠告しておこう。ヴォルデモート卿の昔の学用品をばら撒くのは、もう止めにする事じゃ。
もし、またその類の物が、罪も無い人の手に渡るような事があれば、誰よりもまずアーサー・ウィーズリーが、その入手先を貴方だと突き止めるじゃろう……」
 マルフォイ氏は右手を杖に伸ばしたくて仕方が無いというように震わせ、立ち竦んでいたが、思いとどまり踵を返した。
「ドビー、帰るぞ!」
 ドビーを蹴飛ばしながら、マルフォイ氏は退散していった。サラは唖然とその様子を眺めていた。
 不意に、ハリーが急き込んで言った。
「ダンブルドア先生。その日記を、マルフォイさんにお返ししてもよろしいでしょうか?」
 ダンブルドアは許可し、ハリーが黒い小さな日記を鷲掴みにして部屋を飛び出して行った。

「……ダンブルドア先生」
 閉じきった扉からダンブルドアの方へと、サラは向き直る。
「先ほどの、質問ですが……。何故、バジリスクは私の命令に従ったのでしょうか。
それから、先生はヴォルデモートが力の一部を移したと仰いました……その二人称は、単体ですか? 『君達』ではなく、『君』――つまり、ハリーの事のみでは?
ハリーが蛇語を話せる理由は理解しました。しかし、何故私も? 若しや……ずっと隠されている、私達の父親がスリザリンと何か関係が……?」
「君とエリの父親は、グリフィンドール生じゃった」
 ダンブルドアはきっぱりと言った。
「それ以上は、残念ながらまだ話す事は出来ん。
じゃが、サラ。もう一度、同じ事を言うようじゃが――」
「私はグリフィンドールに入った。それが私の選んだ道であり、リドルとは決定的に異なる点。分かっています」
 サラは静かに言うと、すっくと立ち上がった。そして深々と頭を下げる。
 穏やかな沈黙の中、サラは部屋を後にした。





 エリ達一行が医務室に姿を現した途端、ワッと場が沸いた。
 襲撃事件の被害者達は、既に蘇生されていた。アリスが、ベッドを飛び出さんばかりに身を乗り出す。
「エリ!? それじゃ、助かったのね!」
 マダム・ポンフリーがそそくさとアリスの横まで行き、ベッドの上に立ち上がりかけたアリスを静かに座らせる。それからジニーとエリを座らせ、モリーから簡単な事情を聞くとココアを淹れに行った。
 エリはマダム・ポンフリーが傍を離れた途端に立ち上がり、アリスの所へと駆け寄る。アリスの隣はハーマイオニー、向かい側ではジャスティンがニックとベッドを並べていた。
「私達、少し前に目が覚めたばかりなの」
 ハーマイオニーが、アリスの向こう側からエリに話しかける。
「それでさっき、貴女とジニーが秘密の部屋へ拉致されたって話を聞いて……学校が閉鎖になるかも知れないから、って事で……でも、まさかこんな直ぐに貴女達にまた会えるなんて」
「大丈夫なの? 何か呪いとか掛けられたりしてない?」
 下からエリの顔を覗きこむようにして、アリスが尋ねる。
 マダム・ポンフリーが二つのマグカップを手にやってきて、席を立っているエリを椅子に戻す。
 エリは大人しく椅子に腰掛け、ぽりぽりと頭を掻き、あっけらかんとした様子で言った。
「んー、多少。でも、今はこの通り元気だよ。そっちは? 俺、本当に心配したんだぜ。皆次々と襲われちまってよ。死者が出なくて、ほんと良かったよ」
「私はちゃんと鏡を用意していたもの。スリザリンの怪物の正体はね、バジリスクだったの。あの時破いたページが無くなってるから……若しかして、ハリー達が助けに行った?」
「ああ。ハリーとロンとサラがな。バジリスクって、あの部屋のでっかい蛇の事か? 鏡って?」
 ハーマイオニーは、バジリスクについて説明した。全てを焼き尽くすという視線の事も。
 話を聞き、アリスはなるほどと頷く。
「それじゃ、あたしが助かったのは、鍋を抱えていたからなのね。あたし、鍋に映る、黄色くて大きな丸いものを見たのよ……それが、そのバジリスクの目だったのね」
 エリはサァーっと顔を青くしていた。
「視線って……マジかよ……。それで、ハリーもサラも目を瞑ったり下向いたりしてたのか……」
「ま、まさかバジリスクが出てきたの? エリ、その事知らないで生き残ってきたの?」
 エリは顔面蒼白で、ゆっくりと頷く。
 思い返すだけでも恐ろしい。蛇がハリーのみに向かっていて、本当に助かった。早い内にフォークスが蛇の目を潰してくれて、本当に助かった。でなければ、何も恐れず蛇を直視していたエリは、真っ先に即死していた事だろう。
 ジャスティンが、うずうずしたように身を乗り出し口を挟んできた。
「それで、一体何があったんですか?
話の様子だと、スリザリンの継承者はハリーやサラではなかったんですよね……? すると、真犯人は誰だったんですか?」
 びくりとジニーの肩が震えた。
 だが皆のベッドとエリ達の椅子は離れていて、そのような小さい動きに皆が気づく事はない。気づいたのは、傍に立つ大人達ぐらいだった。
「トム何とかリドルって奴。慣れ親しまれている名前で言えば、ヴォルデモート」
 エリが名前を口にした途端、医務室中に戦慄が走った。
 ジャスティンは「ヒッ」と短い悲鳴を上げつつも、尚更話に食いつく。
「そ、それで……『あの人』は、どのようにして今回の事件を……? 僕は、ニックの向こう側に蛇を見たんです。あんな大きな蛇、どうやって――」
 そこまで言い、あっと声を上げる。
「『例のあの人』も、パーセルマウスだったって事ですか? でも……彼は、死滅したのでは……復活したという事ですか?」
 そう言うジャスティンの声は震えている。
「いや、奴が死んだかどうかは知らないけど、少なくとも今回の事件は、『例のあの人』なんて呼ばれてた奴じゃないよ」
「それは一体、どういう……?」
「ホグワーツに在学していた頃の奴が、今回の黒幕だったんだ」
「昔の『あの人』が!? どういう事です? 部屋で、一体何を見聞きしたのですか?」
 ジニーは蒼白な顔でカタカタと震えていた。
 溜まりかね、ナミがエリにそっと言う。
「ちょっと。エリ――」
「やだ。話したくない」
 エリは顔を顰め、とてつもなく嫌そうに吐き捨てた。
 ナミ達大人四人はホッと息を吐く。隣のジニーの様子に気づいたのだろうか。だが、先ほどと比べ突然態度が変わっている。一体、どう誤魔化すつもりか。
 案の定、ハーマイオニーがそれに気づいた。
「どうしたの、エリ? 突然口を閉ざすなんて……」
「嫌ったら、嫌なの!! あいつの話なんて、絶対にしたくない! 今後一切、その話持ち掛けんなよ! ジャスティン、お前、ハンナ達にそう言っとけよ! 思い出すだけでも腹が立つ!!
ハリーが消す前に、ボコボコにしときゃ良かった! あのサド野郎がッ!! 畜生、あいつ、人の事散々痛めつけて面白がりやがって……!! ホント腹立つ!! もう大人版の顔も絶対に見たくねぇ!」
 詳細は分からぬが、これは触れてはいけない事なのだとハーマイオニー達は理解した。
 エリは猶も、リドルへの悪口雑言を並べ立てる。ジニーの様子に気づき、庇っているのだろうか。それとも、やはり気づかずただ本当に憤っているのだろうか。真実は、誰にも分からない。
 途中、ロンがロックハートをつれて入室した。入るなり息巻いているエリの様子に、ロンはただきょとんとして立ち尽くすばかりだった。

「ハイハイ、悪口はもうその辺までにしてね。この場にいるのは、親しい仲の人だけじゃないんだから。
それで、そのサラとハリーは? 二人は、何も怪我してない?」
 アリスの言葉にエリはピタリと息巻くのを止め、温くなったココアに口をつけた。
「さあ? 俺達は、奴の所為で弱ってるから、って最初に医務室へ行かされたから」
 そして、問いかけるように戸口の所に立つロンを振り返る。
 ロックハートはマダム・ポンフリーに回収され、隣のベッドのコリンにヘラヘラと話しかけていた。コリンは困惑した様子で返答している。
「ハリーとサラなら、まだマクゴナガルの部屋だよ。ダンブルドアが、話があるんだって。まあ、実際部屋まで行ったのは、あの二人だからな」
 ロンはやっと戸口を離れ、奥のハーマイオニー達の方へと歩いていく。エリもココアを一気に飲み干し、後に続いた。
「……久しぶり、ハーマイオニー。尤も、僕達の方は昼前に君に会いに来たんだけど」
「ふぅん。心配してくれたの?」
 ハーマイオニーは笑みを浮かべ、からかうように言う。
 ロンはムッとした表情を見せた。僅かに間が空き、ロンはぶっきらぼうな口調で言った。
「……そうだよっ」
 ロンはムスッとした表情だが、やや顔が赤い。
 予想に反して直球の言葉が返ってきて、ハーマイオニーは反応に困り目を泳がせ俯く。
「あ、ありがと」
 二人の様子を、アリスは口元に手を当て、僅かに頬を染めて眺めていた。何やら、第三者が入りがたい雰囲気だ。
 ここは、そっとしておいた方が良いのだろうか。そう思い、エリに別の話題で話しかける。
「お母さんとお父さんも来たのね。ウィーズリーさん達もいるって事は、やっぱり、部屋にさらわれかけたから?」
 答えたのは、エリでなくナミだった。
「当然、アリスの事も心配していたよ。連絡の手紙が来たんだけどね、その名前がマクゴナガル先生なもんだから、驚いたよ。通常、こういった手紙は校長名義で来るじゃない?
校長がダンブルドア先生だから信頼しているけれど、他の人となればアリスの事も心配になるもの。でも別にマクゴナガル先生はあくまでも教頭としてであって、校長が変わった訳でもないようだし、それじゃ週末に訪ねようかって話になってたの。
そしたら、そこへエリが『秘密の部屋』にさらわれたって手紙が来て……それで、仕事も早退させてもらって飛んできたって訳」
 ウィーズリー夫妻は、ジニーに世話を妬くのに大忙しだった。ジニーも、大分顔色が良くなってきている。
 ジャスティンは、「ほとんど首なしニック」の首無し狩りに対する愚痴を聞かされている。コリンは相変わらずロックハートの相手をさせられていて、クリアウォーターは誰かからの手紙やノートらしき物に、一つ一つ目を通していた。ミセス・ノリスはフィルチが強引に引き取ったのか、それともケトルバーン先生辺りが面倒を見ているのか、医務室には見当たらない。
 ロンとハーマイオニーは他の者が入りがたい雰囲気を醸し出していたが、そんな事にお構い無しなのがエリだ。アリスのささやかな気遣いも空しく、エリは二人の間に割って入っていた。
「本当に久しぶりだよな。でも、今学期中に薬が完成して、本当に良かったよ。この薬、あれなんだってさ。九月に、二年生になって最初の薬草学の授業でやった奴。えーと、マンドレイク……で、合ってるのか?」
「ええ。合って――」
 ハーマイオニーの表情が、そこで凍りついた。
 ロンとエリは顔を見合わせ、目を瞬かせる。
「どうしたんだ? ハーマイオニー」
「ねぇ……今日って……何月何日……?」
 ロンとエリは咄嗟に、状況を把握した。テストまで後三日。否、日付が変わったのだから、後二日か。この事実を認識したハーマイオニーが、どうして発狂せずにいられるだろうか。
 ロンが、恐々と口を開く。
 ハーマイオニーの悲鳴が、医務室の扉を突き抜け、廊下中に木霊した。





「……いかがなさりましたか? ウィーズリーさん」
 ナミは不意に立ち止まり、背後を振り返った。
 生徒達はこの時間、皆寮にいる。恐らく、そろそろ宴会の連絡によって出てくるであろうが……。だが、まだこの辺りには人気は無い。
 宴会が行われる旨が伝えられ、マダム・ポンフリーの努力も空しく興奮しさざめき合う医務室を、ナミはそっと立ち去った。その時から、ずっとウィーズリー夫人の気配がついてきているのだ。
 廊下の角から、ウィーズリー夫人がその豊満な身体を現した。見るからに温かそうな母親である彼女。マクゴナガルの部屋や医務室での、彼女の子供達への接する様子が思い出される。……自分には決して縁が無いモノ。
「貴女とお話したい事があってね」
 何となく、予想はついている。自分の態度は、あからさまだ。十分に自覚している。傍から見ればそれがどのように見えるのか、それも十分に理解している。
 案の定、彼女の話はナミの予想と寸分も違わなかった。
「……差し出がましい事だとは思うけれど、でもモリイさん、サラへのあの態度は、あんまりじゃないかしら。貴女、サラと一言も言葉を交わさなければ、目も合わせようとしなかったわよね?
お宅が複雑な事情だという事は存じています。だけど、それでもサラは貴女の娘でしょう。例え養女で血の繋がりは無くとも、貴女はあの子の母親なのでしょう。娘が命の危険を冒して、人を救ったんですよ。それなのに、あんな……」
「誤解なさっていらっしゃるようですが、あの子は私の娘ではありません」
 ナミはきっぱりと言い放つ。
「そんな、娘じゃないなんて、そりゃあ血の繋がりはないのでしょうけど、それでも――」
「私には、あの子の親を名乗る気はありません。
あの子を引き取ったのは、夫の母であるシャノンです。あの子の親は、私ではなくシャノンなんです。
私と夫があの子の保護者である事ならば認めます。しかし、私達は親権を持ちません。ただ、あの子を家に置き、書類の保護者欄に名を書くのみ。それだけの関係です」
 張り詰めた空気が、二人の間に流れる。
 ウィーズリー夫人も、ナミも、両者全く視線を逸らさない。
「……サラは、母親を望んでいるわよ」
「あの子の望むのは、シャノンです。私ではありません」
「サラはきっと、貴女に母親を名乗って欲しいんじゃないかしら」
「そうでしょうか?」
 何処までも冷ややかで淡々とした返答に、ウィーズリー夫人は言葉を詰まらせる。
 サラは、幾度もナミや圭太に視線を送っていた。圭太も同様で、すれ違いつつも一度、二人の視線があった。直ぐに逸らされてしまいはしたが。
 だが、ナミは決してサラを見る事は無かった。一体何が、彼女をそこまで意固地にさせるのか。
 ナミは左腕を上げ、時計を見る。日本時間のままであるその時計は、十一時を表していた。
「……それでは、私達はそろそろ失礼します。出来る事ならば、午後からでも仕事に戻りたいので」
 ナミは、圭太を迎えに医務室へと戻っていく。
 一つに結ばれ、ナミの歩調に合わせて左右に揺れる金髪を、ウィーズリー夫人はじっと見つめていた。


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2008/01/19