黄色を基調とした部屋。部屋の奥には、火の気の無い暖炉。ふかふかのソファや肘掛け椅子が並び、床には絨毯が敷かれている。
ハッフルパフ寮の談話室だ。
そこへ、扉が開き一人の少女が入ってきた。白黒のジャージに身を包んだ彼女は、ソファまで歩いて行くとどさりとそこに倒れこむ。
こうしてしんとした場でじっとしていると、思い返してしまう。
秘密の部屋の中での、リドルの言葉。
彼は、自分達の祖母シャノンと付き合っていたと言った。そこから導き出される可能性。
圭太はエリの実父ではなかった。ナミはサラの実母だった。全ては闇の中だった。ナミの父母もそうでなかった確証が、何処にある?
――母さんの実父は、トム・リドルかもしれない。ヴォルデモート卿は、俺達の祖父なのかもしれない。
顔の横に置いた手で、ぎゅっとソファを握り締める。
嫌だ。
そんな事、認めるものか。
あんな奴と血縁関係にあるだなんて。
どんなに否定しようとしても、次いで思い出されるのはやはり、あの部屋での事。朦朧とした意識の中、ぼんやりとした視界に移ったバジリスク。
……バジリスクは、サラの命令を聞き入れていた。
あの蛇は、サラザール・スリザリンのものだ。当然、スリザリンの継承者しか命令する事は出来ない筈。現に、リドルはハリーにそう言った。蛇語を話しても無駄だと。
サラもエリも、パーセルマウスだ。ハリーも同様だが、だけど彼の場合は親類関係が明確だ。エリ達の場合とは違う。
「んな事、あって堪るかよ……っ」
どん、という鈍い音が響く。エリが拳でソファを叩いた音だった。
そのまま腕を折り曲げ、両腕に顔を埋めるようにしてソファにうつ伏せる。
「……エリ?」
どれ程そうしていただろうか。不意に声を掛けられ、エリは顔を上げた。しかし視界に人影は無く、上体を起こし声がした方を振りかえる。
アーニー・マクミランが、男子寮への階段の上に立っていた。困惑したような表情でエリを見つめている。
「あー……おはよう。えっと、どうしたんだ? 泣いてたのか?」
「アホか。なんで泣かなきゃなんねーんだよ」
エリはじとっとした視線を送り、ソファに座りなおす。
「ロードワークから帰ってきて、疲れたし眠いからちょっと寝そべってたの。
今、何時? もう皆起きてくるような時間か」
窓が無いこの部屋では、陽の高さで時間を推し量る事は出来ない。厨房は近いし、冬は他のどの教室よりも暖かいが、窓が無いのは不便な点だ。
アーニーは階段を降りながら肩を竦める。
「いや。今日はちょっと早く目が覚めて……。少なくとも、朝食まではまだまだだよ。
それにしてもエリ、こんな時間でももう起きてるんだね。一体、何時に起きてるんだ? そんなに毎朝早起きして運動して、プロのクィディッチ選手でも目指してるのかい?」
「プロ選手か。それもいいかもな」
エリは笑いながら髪をほどき、丁寧に二つに分けて結び直す。眠った事で、やや乱れてしまったのだ。
二つに均等に分けていると、髪に他人の手が触れた。アーニーが直ぐ後ろまで来ていた。
「エリって、随分と髪長いよな。伸ばしてるのかい? エリの性格だと、邪魔だとでも言ってばっさり切りそうなのに」
「失礼だな。確かにそりゃ、クィディッチの時とかは邪魔だけど。それに伸ばしてるつもりもないけど……。
でも、元々長い状態を保ってたから、ショートカットにするのはそれなりの勇気が要るんだよ。俺だって、これでも女の子なんだから」
「へぇ、意外。でも、女の子らしくしたいなら、まずその乱暴な口調をどうにかするべきなんじゃ……?」
「うるせ。別に、女の子らしくしたい訳じゃねぇよ。それに――」
「おはよう。エリ、アーニー。二人共、早いね。今日もエリに越されたかぁ」
セドリック・ディゴリーが、箒を片手に出てきた所だった。エリはニヤリと笑う。
「おはよ。新リーダーになったんだってな。おめでとう」
「へぇっ、そうなんだ。おめでとう、セドリック」
口々に言う二人に、照れたような笑いを浮かべながらセドリックは談話室を出て行った。
話題は、クィディッチの事へと移り変わった。今年こそ、グリフィンドールとの戦いは出来るのか。エリとサラ、どちらが勝つのか。
エリが言いかけ口ごもった言葉は、結局再度聞き返される事はなかった。
エリが乱暴な口調で話し、毎朝ロードワークを欠かさぬ理由。
小学生の頃のように、馬鹿にされては敵わないから。
No.71
朝食の時間の事だった。
生徒達が次々と集まってくる大広間。そこでは、火花が散っていた。
「サラも無視して」
ハーマイオニーの強い声が制する。
「言ったでしょう、相手にするだけ――」
「あら、パンジー。よく大衆の面前で、そんな馬鹿みたいに甲高く叫べるわね。感心するわ」
ハーマイオニーの制止も構わず、サラは冷たく嘲るような笑みを浮かべて言葉を返す。
今、サラの機嫌は最悪だった。今朝、サラはナミが何の選択教科を取るのかを知った。その教科が、悉くサラと同じだったのだ。ナミはハリーを守るべく、ホグワーツへとやってきた。だからハリーと同じ教科を選択し、結果的にサラとも同一になったのだ。頭では理解し、仕方が無いと分かっていても、やはり気分が悪い。
そのような状態で朝食をとりに大広間へ行くと、お馴染みのスリザリン生によるからかい。昨日、ハリーが汽車で倒れた事についてだ。
筆頭のドラコは、サラがいる事に気づいたからか、更に機嫌が悪い事に気づいたからか、兎に角サラを目にした途端黙り込んだ。
だが、その後に続いてパンジー・パーキンソンの言葉。今のサラは、無視など出来る状態ではなかった。
パンジーはやけに猫撫で声で話す。
「あら、貴女には話しかけてないわよ、サラ・シャノン。
それとも若しかして、あなたも気を失ったのかしら。怖ーい怖ーい吸魂鬼に」
「まさか。貴女こそどうなのよ? 今の叫び声、自分が実際に上げたものなんじゃない?」
「馬鹿言わないで。私は、誰かさんみたいに吸魂鬼如きでびびったりしないわ」
「随分な言いようね」
「サラ。行くわよ」
腕を引くハーマイオニーを振り払い、サラはパンジーを睨めつける。
と、そこへ観音開きの扉が開き、女子生徒が二人入ってきた。どちらも、髪の長さは肩ほどまで。片や、日系の顔でありながらも地毛の金髪。片や、髪を部分的に高い位置で結び、淡い緑のリボンを付けている。ナミとアリスだ。
サラとパンジーの険悪な様子を見て取り、ナミは眉を顰める。
サラはふいとそっぽを向くと、押し黙ったままグリフィンドールのテーブルへと立ち去った。
途端に、ドラコは元の調子を取り戻し、ハリー達を苦々しげに眺める。
「君達も、一体いつまでここにいる気だ? それとも、汽車で倒れた事についての言い訳でも言いたいのか?」
返答は無かった。ドラコが皆まで言わぬ内に、ハーマイオニーがハリーとロンをせかし、サラに続いてグリフィンドールのテーブルの方へと行ってしまったからだ。
入れ違いに、アリスがスリザリンのテーブルへとやって来る。
ナミは、ハーマイオニー達の後を追った。
「ねぇ、どうしたの? まさか喧嘩?」
「いつもの事よ。マルフォイとパーキンソンが、昨日の事でハリーを馬鹿にしてたから。普段なら、サラもそれぐらい無視できるんだけど。今朝の事で、まだ機嫌が悪いみたいで……」
「あー……」
ナミはただ苦笑する。サラが機嫌を損ねた理由はナミにあった。当然、それを知っている。
ハーマイオニーはサラの隣に座った。その隣にロンが着席する。
ジョージを間に挟み、ハリーはその向こうに腰を下ろした。それからフレッド。
ナミはサラから最も離れ、フレッドの隣に腰掛ける。
「三年生の新学期の時間割だ」
そう言って、ジョージは四人分の時間割表を配る。
殺気立っているサラを盗み見て、次にハリーやロンも憤慨しているのを見て取って、恐る恐る尋ねた。
「……何かあったのか?」
「マルフォイの奴」
答えたのはロンだった。ハリーとサラがいるのを見て取ってか正面にやってきたコリン・クリービーの肩越しに、スリザリンのテーブルを睨み付ける。
サラは黙々と食事を進めていた。見るのも不快だ。本当ならば話もしたくないが、横で話されれば聞かざるを得ない。
男達が口々に話す前で、ハーマイオニーは新しい時間割をじっくりと眺めていた。
「わあ、嬉しい。今日から新しい学科が始まるわ」
その声につられてロンはハーマイオニーの時間割を覗き込み、それから顔を顰めた。
「君の時間割、滅茶苦茶じゃないか。ほら……一日に十科目もあるぜ。そんなに時間がある訳無いよ」
「なんとかなるわ。マクゴナガル先生と一緒にちゃんと決めたんだから」
「でも、ほら」
ロンは笑いながら言う。
「この日の午前中、分かるか?
九時、『占い学』。そして、その下。九時、『マグル学』。それから――」
サラも視線を隣へと移し、ハーマイオニーの手にある時間割を見る。
確かにロンの言う通り、そこには同じ時間に何教科も組まれた時間割があった。更に下にもう一科目、数占い学も九時だ。
ロンがそれを指摘するが、ハーマイオニーはするりとかわし、はぐらかす。
「言ったでしょ。私、マクゴナガル先生と一緒に決めたの」
ハーマイオニーはサラがまだ時間割を見つめているのに気づき、紙を鞄の中に仕舞い込んだ。
サラは顔を上げ、ハーマイオニーをまじまじと見つめる。
「確かに、貴女の時間割がどうなっていても私達には問題無いけど……。
でも、本当にどうするの? 週ごとに入れ替わり? でもそれじゃ、授業に全部出る事は出来ないわよね――」
ハーマイオニーは答えずに済んだ。厚手木綿のオーバーを着込み、スカンクの死骸をぶら下げたハグリッドが、何とも嬉しそうな様子で大広間に入ってきたからだ。
ハグリッドは教職員テーブルへ向かう途中、サラ達のいる所で立ち止まった。
足は止めても、スカンクを振り回す腕は止まる様子が無い。
「元気か?
お前さん達が俺のイッチ番最初の授業だ! 昼食の直ぐ後だぞ!
五時起きして、あれこれ準備してたんだ……上手くいきゃいいが……俺が、先生……いやはや……」
ハグリッドは満面の笑みで、教職員テーブルへと去っていった。
「……何の準備をしてたんだろ?」
ロンが情けの無い不安そうな声で呟いた。
朝食を終え、ガドガン卿に教えられ北塔へ辿り着いた頃には、サラの機嫌も大分元通りになっていた。
ナミが学生時代に取っていた選択科目は、マグル学と古代ルーン語だった。占い学も、魔法生物飼育学も、全くの初めてである。
生徒達は、小さな踊り場でたむろしていた。天井に丸い撥ね扉がある。真鍮製の表札に「シビル・トレローニー 『占い学』教授」と書かれているが、どうすればそこまで辿り着けるかが分からない。
それをハリーが声に出して言った途端、それが聞こえたかのように撥ね扉が開いた。銀色の梯子が、するすると静かに下りてくる。皆押し黙り、その様子を眺めている。それはハリーの足元に着地した。
ロンに促され、ハリーが先頭に立って上りだした。次々と生徒が後に続く。男子生徒を先に行かせ、サラ達は最後の方に梯子に足を掛けた。
辿り着いた所は、まるで屋根裏部屋のような小部屋だった。小さな丸テーブルが並び、テーブルの周りには繻子張りの肘掛け椅子や柔らかそうな丸椅子が置かれている。
部屋は深紅のほの暗い明かりに満たされ、窓は全て暗幕で閉め切られていた。やけに暑苦しい。見れば、大きな銅のやかんが火にかけられていた。熱気と共に充満する濃厚な香りは、どうやらこのやかんから漂っているらしい。
壁は曲線を描き、棚で覆われていた。サラは、その一つに近づいていく。
紅い光を反射し光るのは、たくさんの銀色の水晶玉だった。ふと、一番手前の水晶玉に映る影が揺れた気がした。サラは、その一つをまじまじと覗き込む。
水晶玉に、サラの顔は映っていなかった。ぼんやりとした部屋が映っている。ちらちらと動くのは、人影だろうか。影は五つ。二つは部屋の端に、残り三つは中央にあった。中央の影二つは重なっている。一つが、その傍らにある。影は、段々とはっきりしてくる。もう少しで見えそうだ。もう少し――
「ようこそ」
突然声がして、サラは思わず飛び上がりそうになった。
気がつくと、暗がりの方に人の気配があった。か細い女性の声が続き、そして彼女は姿を現した。
「この現世で、とうとう皆様にお目にかかれて嬉しゅうございますわ」
シビル・トレローニーはひょろりと痩せた女性だった。半端無く大きな眼鏡をかけていて、目が異様なまでに大きく見える。スパンコールで飾ったショールをまとい、鎖やビーズ玉、腕輪や指輪を大量に身に付け、キラキラと目に痛い風体だ。
「お掛けなさい。あたくしの子供達よ。さあ」
サラは棚の傍らを離れ、ハリー、ロン、ハーマイオニーと同じテーブルの周りに座った。
ナミは少し離れた所で、ラベンダーやパーバティと一緒に腰掛けている。
トレローニーは暖炉の前に置かれた、他よりも大きな肘掛椅子に座り、ゆっくりした調子で話し始める。
「『占い学』にようこそ。あたくしが、トレローニー教授です。
恐らく、あたくしの姿を見た事はないでしょうね。学校の俗世の騒がしさの中にしばしば降りて参りますと、あたくしの『心眼』が曇ってしまいますもの」
ナミは欠伸を噛み殺す。
この授業は毎回、眠気との戦いになるだろう。「心眼」が無くても、はっきりと予言できる。
「皆様がお選びになったのは、『占い学』。魔法の学問の中でも一番難しいものですわ。
初めにお断りしておきましょう。『眼力』の備わっていない方には、あたくしがお教え出来る事は殆どありませんのよ。この学問では、書物はある所までしか教えてくれませんの……」
ハーマイオニーがショックを受けたような表情をした。ハリーとロンはニヤリと笑う。
サラは脇目も振らず、話に聞き入っていた。
去年、立て続けに見た悪夢。あれらは全て、その後実際に起こった。予知夢だったのだ。サラには「眼力」が備わっているという事だろうか。祖母のように、予見者になる可能性を秘めているのだろうか。力があるなら、伸ばしたい。祖母の後を追いたい。
「世の多くの魔法使いや魔女は、耳障りな音を立てたり、嫌な匂いを出したり、突然消え失せたりする事には長けていても、神秘のベールに覆われた未来を見透かす事は出来ません。限られた者だけに与えられる、『天分』とも言えましょう。
貴方、そこの男の子」
突然話を振られ、ネビルは長椅子から落ちかけた。
「貴方のおばあさまはお元気?」
「……元気だと思います」
「あたくしが貴方の立場だったら、そんなに自身ありげな言い方は出来ません事よ」
ネビルはギョッとし、ごくりと唾を飲み込む。
トレローニーは何事も無かったかのように、穏やかな口調で続けた。
「一年間、占いの基本的な方法をお勉強致しましょう。今学期はお茶の葉を読む事に専念致します。来学期は手相学に進みましょう。
ところで、貴女」
次はパーバティだった。
「赤毛の男子にお気をつけあそばせ」
反射的に振りかえったパーバティの目は、丸く見開かれていた。彼女は、ロンから少しでも離れようとするかのように椅子を引いた。
サラはきょとんとして、その様子を眺めていた。
「夏の学期には、水晶玉に進みましょう……。ただし、炎の呪いを乗り切れたらでございますよ。
つまり、不幸な事に、二月にこのクラスは達の悪い流感で中断される事になり、あたくし自身も声が出なくなりますの。イースターの頃、クラスの誰かと永久にお別れする事になりますわ」
教室中に、張り詰めた沈黙が流れる。
ちらほらと、生徒の視線がサラとハリーに注がれていた。何か事件が起これば、必ずと言って良いほどこの二人が関わる。それは、ホグワーツ内の常識と化していた。
トレローニーは気にかける様子も無く、次の標的に声をかける。
「一番大きなティーポットを取っていただけません事?」
ラベンダーは、ほっとしたように立ち上がる。棚から巨大なポットを取ってきて、トレローニーのテーブルに置いた。
しかし、やはりラベンダーも宣告を受ける一人だった。礼を述べた後、トレローニーはスラスラと続けた。
「ところで、貴女の恐れている事ですけれど、十月十六日の金曜日に起こりますよ」
ラベンダーはびくりと肩を震わせる。
この頃になると、サラのシビル・トレローニーへの熱はすっかり冷め切っていた。どうにも胡散臭くてならない。
シビル・トレローニーと言えば、著名なる予見者カッサンドラ・トレローニーを直系の血族に持つ。その為、彼以来初めての「第二の眼」を持つ人物だと言われていた。
その為、サラも期待していたのだが……。本物の予言が、こうもスラスラと出るものだろうか。それに、曖昧過ぎる。これらが事実ならば、確かにそれは凄い能力だ。
一先ずサラは、トレローニーへの見解は保留しておく事にした。
その後トレローニーはネビルがカップを割る事を予言したが、これしき誰でも予想のつく事だ。特にネビルの場合、言われれば緊張して尚更その通りになってしまうだろう。最初にネビルを指名した際の反応を見れば、初対面の者でもそれぐらいは分かるだろう。
トレローニーにお茶を注がれ、サラはそっとカップに口をつける。
「――ァツッ」
舌を火傷しそうな程の熱さに、サラは一度身を引いた。フーフーと念入りに覚まし、再び恐る恐る口をつける。飲み干したのは、クラスで最後の方だった。
急いでカップを回し、水気を切り、ハーマイオニーの前に置く。サラの前には既に、ハーマイオニーのカップが置かれていた。
最後にネビルが準備を終えたのを確認し、トレローニーは声を張り上げる。
「子供達よ、心を広げるのです。そして自分の目で俗世を見透かすのです!」
ハリーとロンは既に教科書とカップを見比べていた。サラは教科書を開き、ハーマイオニーのカップをまじまじと見つめる。
滓以外の何物にも見えない。僅かに渦を巻いているようにも見える。特に何か物体の形に近い物は無く、渦と、後は丸い固まりがいくつかあるだけだった。
ハーマイオニーはテキパキと見比べ、意見を述べている。
「そうね……。これ、植物みたいに見えるわ……蔓が柱に巻きついているみたい。
この、上の辺りが花かしら。いえ、寧ろ実みたいだわ……フウセンカズラかしら。葉っぱにも見えるわね。ツタかもしれない……。
柱は『相容れないもの』又は『全ての中心』……ツタは『結婚』。サラ、貴女、敵対する人と結婚するみたいよ」
ハーマイオニーは眉根を寄せ、真剣な顔つきでカップを回す。
「こっちから見ると、三日月みたいにも見えるわ。これは、えっと……『訪れる幸せ』。
変ね。矛盾してるわ。嫌いな人と結婚するのに、それが幸せだなんて」
ハリーとロンの方も、同じような状況らしい。二人共度々トレローニーに睨まれ、笑いを噛み殺している。
サラは再び、ハーマイオニーのカップに視線を落とす。ハリーの言葉で、ふと思い当たった。この丸は、太陽と見て良いかもしれない。
サラは教科書とカップを交互に見ながら、慎重に話す。
「こっちのカップには、丸と渦ぐらいしか見当たらないわ。丸は、太陽かもしれない。『大いなる幸福』ね。
渦は……無いわね。やっぱり何か物の形じゃなきゃ駄目なのかしら……。渦みたいな形の物って、何がある?」
「渦、ねぇ……。竜巻とかは?」
「竜巻ね。そしたら……『反発』『激しい戦い』。すると、太陽はむしろ晴れた空かしら。『普通の事』『常識』。
――何か、一般常識に反発し戦う事になるみたいよ」
ロンは次々といくつかの形を見出していた。ハリーが魔法省で働く事になると言ったかと思うと、今度はどんぐりを発見する。
「未来の霧を晴らす」を指で辿りながら探し、ロンは読み上げた。
「たなぼた、予期せぬ大金。
すげえ。少し貸してくれ。
それから、こっちにも何かあるぞ」
「ロン、よくそんなに色々な形が発見出来るわね。案外、才能あるんじゃない?
私なんて、丸と渦なんて言ってたのよ。夢は見ても、こういうのは駄目みたい……」
ロンは気分を良くし、カップを回して言う。
「何か動物みたい。ウン、これが頭なら……カバかな……いや、羊かも……」
ハリーが思わず噴出した。
流石に、トレローニーもこれ以上黙ってはいなかった。
「あたくしが見てみましょうね」
咎めるように言うと、静かに歩み寄ってきて、引っ手繰るようにしてロンの持ったカップを取り上げた。
教室中が静まり返る。
トレローニーはカップを反時計回りに回しながら、じっと中を見つめる。
「隼……まあ、貴方は恐ろしい敵をお持ちね」
「でも、そんな事、誰でも知ってるわ」
ハーマイオニーが聞こえよがしに言った。
当然、聞こえない筈も無く、トレローニーはハーマイオニーをキッと睨む。ハーマイオニーは平然としていた。
「だって、そうでしょう。ハリーと『例のあの人』の事は、皆が知ってるわ」
ハリー、ロン、サラの三人は、唖然としていた。ハーマイオニーが教師に対してこのような態度に出るのは、初めての事だ。スネイプ相手でさえ、これ程にも敵意を向けた事は無い。
トレローニーは答えず、寧ろ無視するかのようにして、ハリーのカップを再び回し始める。
「棍棒……攻撃。まあ、これは幸せなカップではありませんわね……」
「僕、それは山高帽だと思ったけど」
ロンの言葉は、当然聞こえていないふりをする。
「髑髏……行く手に危険が。まあ、貴方……」
皆、しんとしてトレローニーの言葉に聞き入っている。
トレローニーはもう一度カップを回し、そして息を呑んで悲鳴を上げた。
カチャンという音が重なった。ネビルの足元に、二個目のカップの残骸があった。
トレローニーは傍の空席に座り込み、手を胸に当て、眼を閉じていた。
「おお――可哀相な子……。いいえ……言わない方がよろしいわ……ええ……お聞きにならないでちょうだい……」
「先生、どういう事ですか?」
ディーン・トーマスがオウム返しに尋ねる。
皆立ち上がり、サラ達のテーブルの周りに集まってきた。恐る恐る、ハリーのカップを覗き込んでいる。
サラも覗き込んで見たものの、棍棒や髑髏に見えなければ、山高帽やどんぐりにも見えなかった。やはり、ぐにゃりと曲がった丸や、欠けた四角形。
「まあ、貴方」
トレローニーは言葉を紡ぐと同時に、巨大な眼をカッと見開いた。
「貴方にはグリムが取り憑いています」
「何がですって?」
グリム――死神犬。サラも、書物で絵を眼にした事がある。だが、それはあまりに突拍子も無い話だった。ダンブルドアのいるホグワーツで、ハリーが死ぬだなんて。現実味に欠けすぎて、冗談かとさえ思ってしまう。
トレローニーは必死な様子で、これ以上恐ろしい事は無いとでも言う風に、グリムの事を説明する。ハリーはショックを受けた様子だった。
と、不意にハーマイオニーが立ち上がった。トレローニーの椅子の後ろに回り込み、ハリーのカップを覗き込む。
「グリムには見えないと思うわ」
ハーマイオニーはぴしゃりと言った。
トレローニーは眉根を寄せて、ハーマイオニーをじろりと見る。
「こんな事を言ってごめんあそばせ。
貴女には殆どオーラが感じられませんのよ。未来の響きへの感受性というものが、殆どございませんわ」
シェーマスが首を左右に傾けて、ハリーのカップを覗き込む。眼は殆ど閉じられている。
「こうやって見ると、グリムらしく見えるよ。
――でも、こっちから見ると寧ろロバに見えるな」
今度は首を左に傾けていた。
「グリムじゃなくて、ただの犬なんじゃない? だってグリムって、犬と何ら変わりない姿でしょう?」
ナミもシェーマスの横からカップを覗き込む。
「――どちらにせよ、犬の形には見えないけど」
「こっちから見ると、馬みたいにも見えるよ」
ディーンが口を挟んで言った。ラベンダーも恐々と覗き込む。
「だって、そっちだと角度が違うじゃない。
グリムが犬の形だって言うなら、こういう場合、犬の形が見えたらそれはグリムなんじゃない? だって、ほら。教科書にもただの犬なんて載ってないわ……」
「僕が死ぬか死なないか、さっさと決めたらいいだろう!!」
怒鳴り声は、ハリーの物だった。
痛いほどの沈黙が流れる。誰も、ハリーを真っ直ぐ見ようとはしなかった。
やがて、トレローニーが口を開いた。
「今日の授業はここまでに致しましょう。
そう……どうぞお片付けなさってね……」
しんとした中、生徒達は各々のカップをトレローニーに返した。
サラも、ハーマイオニーの席の前に置いていた自分のカップを返却し、教科書を鞄に仕舞う。渡したカップを、トレローニーが皆のとは別にしてテーブルの上に置いたのが気になった。
嫌な予感は的中した。
ハリー、ロン、ハーマイオニーと共に梯子を降りて行こうとすると、サラが呼び止められた。サラと共に、三人も立ち止まる。
「どうぞ、あなた方はお先にお行きあそばせ。あたくしは、彼女にのみ、お話がありますの……」
トレローニーの手には、藤色のカップがあった。サラのカップだ。
三人を先に行かせるのは、ハリーがまた怒り出しては敵わないから、ハーマイオニーに話の腰を折られたくないからだろう。ハーマイオニーは眉を顰める。
「サラにも、『死のお告げ』ですか?」
「貴女達はお先にお行きあそばせ」
トレローニーは頑として、三人を先に行かせようとする。
ハーマイオニーはくるりと背を向けた。通り過ぎる際に、サラにそっと囁く。
「彼女は、貴女のおばあさんみたいに本当の予見者だとは思えないわ。何を言われても、真に受ける事はないわよ」
三人が教室を出て行ったのを確認し、トレローニーはまじまじとサラのカップを見つめる。
「貴女があたくしにカップを返したとき、本当に驚きましたわ……危うく、見落としてしまう所でした……」
どうせ、死の予言か何かだろう。グリムでなければ、何が来るだろうか。痛々しい死に方の宣告でも、するつもりだろうか。
サラは、冷めた面持ちでトレローニーの言葉を待つ。出来れば、早く済ませて欲しい。次の教科は「変身術」だ。どんな理由であっても、マクゴナガルは遅刻を許さないだろう。
しんと静まり返った教室。
ラベンダーが、恐々と尋ねる。
「何が……見えたんですか……?」
「これもあまり幸福なカップではありません……。死神の鎌……突然の死を意味します……」
ハーマイオニーが三日月だと言っていた形だろう。予想通りの答えだ。馬鹿馬鹿しい事この上ない。
トレローニーは、サラがあまりショックを受けていない事に、衝撃を受けたようだった。
「それだけではありません。いえ、寧ろこちらの方が気になったのです……。
柱の模様……絡み合っている……これは……二匹の蛇……」
サラの表情が強張った。
生徒達の間に、さざ波のようなざわめきが広がる。
「蛇が何の象徴か、皆様もお分かりでしょう……そして、貴女は確か、パーセル――」
「それが何だって言うのかしら……」
押し殺された低い声だった。
サラは一歩一歩と、ふらつきながらも、真っ直ぐとトレローニーの正面へ歩いていく。
「先生、何が言いたいんですか……? 私には分かりません。
今年も、私はスリザリンの曾々々々孫だとか何とか、奇妙な噂を立てられるんですか? 先生は、そう言いたいのですか?」
トレローニーの真正面まで来ると、サラは俯いていた顔を上げた。
部屋の明かりの為だろうか。眼にはチラチラと赤い光が見え隠れしているように見える。
「とてつもない侮辱ですよ」
「あたくしは――そういうつもりでは――」
「では、どういうつもりでしょうか?」
暫く、沈黙がその場を支配した。
サラはふと、トレローニーから身を引き踵を返す。そのまま、沈黙の中を静かに撥ね扉へと歩いて行った。
――死の予言ならば、まだ余裕を持って聞いていられた。
恐ろしいのは、ハーマイオニーが見た物とさして変わらぬという事だ。ハーマイオニーが見たのは、本当は蛇で、ただそれを蔓と間違ったのかもしれない。
そして、絡み合う蛇の彫刻が施された柱に、サラは見覚えがあった。忘れる筈も無い。先学期の終わり、秘密の部屋の柱だ。トレローニーが知る筈も無いのに。
ハリーがパーセルマウスなのは、額の傷と共に、ヴォルデモートの力が移ったからだ。ダンブルドアはそう言っていた。
しかし、サラとエリがパーセルマウスである理由は明かされていない。
それから、秘密の部屋のバジリスクがサラの命令に従った理由も。
まさか、本当にサラ達はサラザール・スリザリンの血縁者なのだろうか。明かされていない父親。父方の血筋が、スリザリンの直系なのだろうか。
――私は、本当に『スリザリンの継承者』なの……?
Back
Next
「
The Blood
第1部
希望求めし少女たちは
」
目次へ
2008/05/10