ブラインドの隙間から差し込む日差しが、病院の一室を赤く染める。ベッドの上で上体を起こした少女は、ぼんやりと夕日を眺めていた。火傷の痛みも大分引き、家族は先ほど帰ったばかりだ。
 散々な目に遭った。けれど病室から見える夕日は綺麗で、そう悪い事ばかりではないと思う。
 少女は窓の方から視線を外す。そして、表情を強張らせた。
「こんにちは。具合は如何かしら?」
 肩まで届きそうなストレートの髪。ラベンダー色のカチューシャ。灰色の瞳には、夕日の所為かちらちらと赤い光が見え隠れしている。
 少女は咄嗟にナースコールへと手を伸ばした。しかし火花が走り、反射的に手を引っ込める。
「そんな怖い顔しないでよ。せっかく、お見舞いに来てあげたんだから」
「嘘だ! 止めを刺しに来たんでしょ。私を殺すつもり!?」
「殺さないわよ」
 途端、室内に炎が燃え盛る。自分達を取り巻く炎に少女は悲鳴を上げようとしたが、声が出てこない。
 炎に照らされたサラの顔には、凶悪な笑みがあった。
「殺さないわよ……だって、こっちの方が面白いじゃない?」
 叫びたくても、声が出ない。昼休みの事件がフラッシュバックする。ストーブの上。突如、赤い炎に包まれたあの瞬間。サラは炎の中へと消えていった。赤い部屋に、少女は一人。
 数分後、同室の患者が帰って来て、直ぐに看護婦が呼ばれた。
 夕日に赤く染まった部屋で、少女はベッドの上に座り込んでいた。恐怖に青ざめた顔で、「火が、火が」と繰り返し呟きながら。





No.83





 翌日も、エリが登校すると教室にはサラの噂が満ちていた。昨日の夕方、サラのクラスメイトが公園のブランコで首を吊り掛けたのだと言う。
「公園って、何処の?」
「二号。ほら、この前工事が終わったばかりの……」
「ああ、病院の前の」
「近くでシャノンを見たって人もいるんだろ?」
「誰?」
「三組の人」
 エリは、ランドセルの紐をぎゅっと握り締めると、真っ直ぐに彼らの方へと歩いて行った。
 自分の席を通り過ぎ傍まで来たエリに、彼らは顔を顰める。
「何だよ、気持ち悪ぃ。来るなよ」
「まーた化け物の味方か?」
「サラは化け物なんかじゃない。そんなの、ただの事故でしょ。サラがそんな事する筈無いもん」
 彼らは、「また始まった」とでも言いたげな表情だ。
「今回は見てた人もいるんだよ。それはどう説明するつもり?」
 近くで様子を伺っていた女子が口を挟む。
 エリは尤もな話に怯みながらも、しどろもどろに言った。
「見間違いって可能性とか……その話って、本当なの?」
「何だよ、やっぱり庇いたいだけじゃんか」
「だって、サラがそんな事する筈無いもん! 首吊るなんて、下手したら死んじゃうんだよ?」
「シャノンなら、いつか人殺したって不思議じゃないよ」
「そんな言い方……!」
 ぽふ、と顔に柔らかい物が当たった。同時に舞う粉に、エリは目を擦る。足元を見れば、黒板消しが転がっていた。顔が白く汚れたのだろう、クラスメイトの間から笑い声が起こる。
 黒板の前に立つ生徒は、笑ってなどいなかった。憎悪に満ちた瞳でエリを睨み付けている。
「いい加減にしてよ! あんたが言う通り、死んだかも知れないんだよ!? なのにどうして、あの化け物を庇えるの!? 化け物を可哀相とか思うぐらいなら、まず被害者の気持ちになるのが当たり前でしょ!?」
「サラは犯人じゃないもん! 事故に遭った子達だってもちろん可哀相だけど、それを皆がサラの所為にするから悪いんだ!」
 次は、椅子が飛んできた。エリは咄嗟に腕で顔を庇い、そのまま床に倒れる。
「ふざけないでよ! それじゃあんたは、私達が悪いって言うの!?」
 椅子の脚が当たった腕には、痛みが残る。
 起き上がろうとしたエリの顔に、白い粉が降って来た。黒板消しを投げたのとは別の生徒が、空になった黒板に付いた小さな引き出しを持って立っていた。エリは目を擦り、むせ返る。
 結んだ髪の片方を引っ張られ、再び床に叩きつけられる。続いて、誰かの蹴りが腹に入った。エリは呻き声を上げ、腹を抱えてうずくまる。
「いい加減にしろよ! これだけ事件が続いて、おかしいと思わねーのかよ!?」
「化け物の使いめ!!」
「あんた達なんて、いなければ良かったんだ!」
「お前、あいつと姉妹だろ? あいつの事、どうにかしろよ!!」
 髪を引っ張り、今度は立たされる。
「痛いっ!」
「ほら、言う事あるでしょ?」
 エリは、憎悪に取り囲まれていた。暴行に加わらず輪の外で見物している者も、真っ直ぐにエリを睨みつけている。エリを睨んでいない生徒と言えば、徹底的に我関せずと言った態度を取ろうと読書している極少数だけだ。
「サラは化け物です。奴の味方についてごめんなさい。そう言えよ」
 エリは、自分を睨むクラスメイト達を見回す。
 そしてゆっくりと口を開いた。
「……サラは、化け物なんかじゃない」
 大きな音を立て、エリは傍の机へと叩きつけられた。
 生徒達の間から怒号が飛ぶ。
 エリは呻き声を上げる。
 ぽたり。床に雫が落ちる。そこには、鮮やかな赤色が混ざっていた。叩き付けた子がぎょっと息を呑むのが分かった。対して、直接手を下した訳ではない者達が笑い声を上げる。
「鼻血出してやんの!」
「うわ、だっせー」
「やだぁ〜。エリちゃん、何想像しちゃったの?」
 咄嗟に鼻を摘み、手を重ねる。エリの両手は直ぐに赤く染まり、押さえ切れない血が指の間から漏れて腕を伝い落ちる。
「やべえよ、これ」
「どうする?」
 焦り出し、互いに顔を見合わせる者。鼻血を流しているエリを指差し、げらげらと笑う者。今にも先生が来やしないかと、ちらちらと廊下に目を走らせる者。
 一人が、教室の後ろに置いてあるトイレットペーパーを適量に破り、エリに差し出した。非難する生徒の言葉を遮り、彼女は言った。
「馬鹿。血なんて垂れてたら、不味いでしょ。先生が来る前に、何とかしないと」
 彼女の一言で、クラスメイト達は動き出した。机を戻し、床に垂れた血とチョークの粉を拭き取る。
「とりあえず、トイレ行こう」
 数人の女子生徒が、エリをトイレへと連れて行ってくれた。廊下に血が垂れてしまわないよう、様子を見てティッシュが差し出される。
 エリは戸惑いつつも、少し嬉しかった。皆、完全な悪者などではない。ただ怖がってしまっているだけなのだ。いざとなれば、こうして面倒を見てくれるような優しい一面もある。
 頑張れば、サラの無実を信じてもらう事も出切るかも知れない。
「大丈夫?」
 掛けられた言葉に、エリはこくんと頷く。
 女子トイレへと入る。洗面台の前で立ち止まろうとすると、個室の方へ進むよう促された。
「そっちの方が良いよ。流せるし、ティッシュも近いし」
 エリは頷き、従う。個室の前まで来た所で、中へと突き飛ばされた。咄嗟に壁に手をつき、便器へと倒れ込むのを防ぐ。
 振り返ると、扉が閉まっていた。
 慌てて扉に飛びつく。押しても引いても、扉は開かない。何かに引っかかっている。ドンドン、と拳で扉を叩く。
「え、何!? 開けて! 開かない!」
「行こ行こっ」
「あんた、頭良いね〜」
「開けてよ! ねえ!!」
 エリを個室に閉じ込めたまま、女子生徒達は教室へと戻って行った。
 教室に入るなり、一人がクラスメイト達に呼びかける。
「化け物の使いは、封印して来ましたーっ」
 歓声が上がる。よくやった。そう言って、女子生徒達は褒め称えられる。
 エリはティッシュペーパーで鼻を押さえながら、トイレの扉に寄り掛かり泣いていた。





 エリが漸くトイレから出してもらえたのは、給食の時間になってからだった。机を動かしたり配膳の準備をしたりしている中、エリは教室へと帰って行った。
「くっせー」
 通りすがりの男子が大げさに鼻を摘み、エリを避けていく。
 エリは俯き、足早に配膳の列へと向かう。最後尾に着いた途端、そっと名を呼ばれた。担任だ。
「エリちゃん、ちょっと良い?」
 担任に連れて行かれたのは、同じ階の国語準備室だった。エリを中へと通し、担任は扉を閉める。
「そこ、座って」
 言われるままに、部屋の中央に置かれた椅子に座る。担任も、その正面に置かれた椅子に座った。
 また、怒られるのだろうか。暗い瞳で机の一点を見つめながら、エリはぼんやりと考える。
 担任の手が動いた。エリは身を竦める。
 しかし彼女は殴るのではなく、エリの髪をそっと撫でた。
「……これ、チョークの粉だよね。どうしたの?」
「……」
「エリちゃん、今日ちゃんと学校来てたよね? 来た所、見たって先生がいるよ」
 エリは答えず、俯いたままだ。
 担任は身を乗り出し、エリの暗い瞳を覗き込んだ。
「……鼻血出したのって、エリちゃん?」
 エリは目を見開く。
 クラスメイト達は一致団結して後の処理を行った。証拠など、何処にも残っていないだろうに。
 担任にしてみれば、エリの表情が答えだった。驚くエリに、短く言う。
「ゴミ箱に、鼻血の付いたティッシュが捨てられてたから。――エリちゃん、貴女、苛めにあってるんじゃない?」
 エリは直ぐに首を振った。
 担任は優しく言う。
「言っていいんだよ。一人で抱え込む事なんかないの。ごめんね、気付くのが遅くなって」
「違う。大丈夫です」
 エリの声に抑揚は無い。
「大丈夫。言っても、怖い事なんて無いから。先生が、守ってあげるから」
 エリは答えない。
 熱い物が込み上げてくるのを、必死に堪えていた。
「ね、話して。大丈夫だから」
 堪え切れなかった。
 堰を切ったように涙が溢れ出す。同時に、言葉も溢れ出ていた。
「サラが……皆、サラを『化け物だ』って言って……っ」

 五時間目は、緊急の学活となった。教室にエリの姿は無い。
 エリは、別室で他の先生と話をしていた。エリの隣には、学校からの呼び出しを受けたナミがいた。
 これで、全てが終わる。
 そう、思っていた。





 放課後になると、エリはランドセルを背負って直ぐに教室を出て行った。ランドセルは教員に取ってきてもらって、このままナミと一緒に帰るかとも言われたが、エリはそれを断った。そこまで甘える必要など無い。
 靴を突っ掛ける程度に履き替え、校舎を出る。校門へ行くには右。けれどエリは、左へ曲がった。晴れ間が続くと乾いてしまうほど、小さな池。その横に、飼育小屋が見えてくる。どうやら今日はまだ、サラは来ていないらしい。
 エリは兎小屋を覗き込む。餌や水を見るが、終わった所と言う訳では無いようだ。隣の教室は先に終わっていた。餌を取りにでも行っている所なのだろうか。
 ふと、肩に手が掛かった。サラだろうか。それにしては気配が無かったのを訝りながらも、振り返る。振り返りきる前に、横っ面を拳で殴られた。小さな池の隣に、エリは倒れ込む。倒れた拍子に、突っ掛けただけだった靴が脱げた。
 クラスメイト達だった。五、六人の女子生徒。友達が被害に遭ったと言っていた子達だ。
「この卑怯者! 先生にチクったりして!! あんたが化け物の肩を持つから悪いんでしょ!?」
「サラは化け物じゃない!」
「化け物だよ! これまでに起こった報復、化け物じゃなきゃどうやってやるって言うの!?」
「偶然な訳無い! シャノンに都合の良い標的ばかり!」
 ばしゃっと音がした。エリの靴が、池の中へと落とされたのだ。
「もうやめてよ! また先生に言うよ!」
 その言葉に、彼女達は怯む。
 だが一人が、ぽつりと言った。
「……それじゃやっぱり、二年にいる妹も吊るし上げないと効かないみたいだね」
 エリの目が驚愕に見開かれる。
「駄目! アリスには何もしないで!!」
「それが頼む態度ー?」
 女子生徒達は笑う。
 エリは手を着き、深く深く頭を下げた。
「ごめんなさい……お願いです……アリスは、どうか……」
 きゃらきゃらと笑い声が起こる。
「えー、どうしよー?」
「どうする〜?」
「本当に反省してるのかどうかねぇ……」
「反省してる! もう先生に言ったりなんてしない! ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
 只管「ごめんなさい」と繰り返す。どんなに罵られようと、言い返さなかった。殴られ、蹴られ、痛みが積み重なって行く。
 ――誰か来て……。
 エリが呼ばずとも、先生が来てくれれば。サラはまだだろうか。
 どんなに願おうとも、都合良く助けが現れる事など無かった。一通りエリを痛めつけると、女子生徒達はエリのランドセルをも池に放り込み、立ち去って行った。エリは立ち上がる気力も無く、沈んで行くランドセルを見つめていた。
 もう、何処か遠くへ行ってしまいたい。全て終わってしまえば良いのに。
 投げやりな気持ちになりながら、瞳を閉じる。このまま眠って、そして安息のまま起きる事が無ければどんなに良いだろう。

 自分の名を呼ぶ声に、エリは現実へと引き戻された。
「エリ! エリ!!」
 エリは薄っすらと目を開ける。サラの心配そうな顔が、エリを覗き込んでいた。
「良かった……」
 今にも泣き出しそうな顔で、サラはホッと息を吐く。
 途端に、先程まで逃げ出そうとしていた事に罪悪感が沸いて来た。エリは逃げてはいけない。エリがいなくなってしまったら、サラはどうなる? 周囲からは「化け物」と罵られ、味方もいなく、一人孤独な闇に置き去りにされてしまうのだ。そして、エリと言う安易な標的を失った生徒達の憎しみは、アリスへと向けられる事だろう。エリは逃げてはいけない。
「ごめん、サラ」
「え?」
 エリは、サラを抱きしめる。
「え? え? あ、あの、エリ!?」
 サラは困惑し、戸惑う。
 エリはサラを放すと、その灰色の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「あたし、一瞬でも『逃げたい』って思っちゃった……。でも、逃げないよ。あたしは、サラの唯一の味方だもん」
「エリ……ありがとう……」
 照れくさそうに、サラは微笑む。
 それから、隣に置いた物を差し出した。ランドセルと靴――エリの物だ。何事も無かったかのように、完全に乾いている。
「これ、池の中にあったのよ……。ねえ、何があったの?」
「……クラスメイトに、殴られた」
 サラは目を見開く。
「靴とランドセルも、その子達にやられたの。……今日、先生に話したんだ。そしたら、もっと怒っちゃって……」
 サラはパッと立ち上がる。そして、エリの手を引いた。
「もう一度先生に言いましょう! 私が来る時、貴女のクラスの人達とすれ違ったわ……あの六人ね?」
「駄目! 先生や母さんには言わないで!」
「どうして」
「言ったら、アリスも巻き込んじゃう……」
 エリの言葉にサラは顔を顰めた。頭を抑え、歯噛みする。
「人質って訳ね……!」
「だから、言わないで。あたしさえ我慢すれば、皆大丈夫なの。あたしは大丈夫だから」
 そう言って無理に笑うエリを、サラは居た堪れない気持ちで見つめていた。





 翌日の朝は、口論になる事も殴られる事も無かった。机や持ち物に悪戯される事も無い。
 口論なんてなる筈が無かった。皆、エリを避けるのだから。ぽっかりと穴が空いているかのように、エリの周囲には人がいない。チャイムが鳴り、自分の席に戻って来た隣の男子も、机を離してから座った。前の子も椅子を引き、後ろの子は机を下げる。
「あの化け物、入院した子達に止め刺しに来たらしいよ」
「こっわー……」
「放課後でしょ? なんで、家で見張ってないんだか……」
「サラは違うもん」
「パニック起こしてたらしいよ。部屋が燃えてるって」
「それじゃ、一昨日の火事の子達なんだ」
 エリの声など聞こえていないかのように、クラスメイト達は振舞う。エリは唇を噛み、俯くしか無かった。

 一時間目は、理科の実験だった。先生の説明が終わり、各々自分の席に戻って行く。
 実験は机毎で行われる。エリは積極的に加わる事も無く、同じグループの子達がアルコールランプに火を点けるのをぼんやりと眺めていた。順々にマッチに火を点け、教わった手順の通りにアルコールランプに点火し、蓋をして消す。
 突然、背後で悲鳴が上がった。
 中央の机だった。一人の女子生徒の手に、赤い炎が灯っていた。机の上のアルコールランプは倒れ、漏れたアルコールを伝って火が灯っている。
 教室中が騒然となる。担任は慌てて駆けつけ、火を消し手を冷やさせる。
 今度は、壁際の席から悲鳴が上がった。戸棚が開き、彼女の足元には中身の零れた瓶が転がっている。中に入った液体を被った女子生徒達は、痛い痛いと泣き叫ぶ。担任はそちらへと駆けつける。戸棚には、鍵が掛かっている筈なのに。
 続け様に、隣の机で火柱が立った。振り返ったエリは、マッチの燃えカスを入れた缶を覗いていた女子生徒の顔が一瞬炎に包まれたのを見た。火柱は一瞬で消え、女子生徒は座り込み泣き出す。
 理科室の扉の方で悲鳴が上がる。部屋を出ようとした女子生徒が、外れた扉の下敷きになっていた。
 立て続けに起こる事故。悲鳴と泣き叫ぶ声。恐ろしい光景に、エリは背を向ける。と、窓の外に人影を見た。
 エリは目を見開く。
 ――嘘だ。なんで。どうして、こんな所に。
 エリは駆け出す。机を回り込み、窓を開けると外へと飛び出した。理科室の惨状を背後に、彼女を追って駆けて行く。
 飼育小屋の前まで来て、少女は立ち止まった。エリもペースを落とし、立ち止まる。
 小さな背に、エリは恐る恐る話しかけた。
「今……授業中だよ……。なんで、こんな所にいるの……? あんな所で、何してたの……? ――サラ……」
 彼女は振り返る。真っ直ぐな黒髪が軽く揺れた。
 灰色の瞳に、危険な赤い光が過ぎる。エリは後ずさる事無くサラを正面から見据えていた。
 彼女の小さな唇が動く。
「大丈夫。これで、きっとあの人達も懲りたでしょう」
「サラ……? 何言って――」
「何って……だって、あの人達は貴女に酷い仕打ちをしたのよ」
 全く悪びれる様子も無く、さらりと言ってのける。
「サラがやったの? 報復って、本当の話だったの?」
「当然の報いよ。私はただ、自分の身は自分で守る。――ただそれだけ」
 そして、彼女はエリに微笑む。
「エリの事も、私が守ってあげるわ。だってエリは、唯一の私の味方だもの」
 ぞっと鳥肌が立つのを感じた。サラは、悪い事をしていると思っていないのだ。これを、当然の事だと思っている。
 理解出来なかった。否、理解したくない。
「嘘……嘘だよ……。だって……あんなの、どうやって……」
「私にはそれを行使する力がある」
 エリは身動き一つ出来ず、目の前の少女が淡々と話すのを眺めていた。
「貴女も見たでしょう? エリだけだわ。『凄い』って言ってくれた……。皆、私のこの力を気味が悪いって言うの。私の事を、化け物だって言うの。
エリだけが、私を認めてくれた。私の味方になるって言ってくれた。血なんて繋がって無くても、エリは私の大切な妹よ。だから、私がこの力でエリを守ってあげる。
皆、馬鹿よね。私の事を化け物と言って、排除しようとする。私に味方した人を、傷つけようとする。そんな事したら、どうなるか分かっているでしょうに……」
 そう言って、彼女はクスクスと笑う。
「駄目だよ……」
 エリの呟く声に、彼女は笑うのをやめた。怪訝気な表情で、エリを見つめる。
「駄目だよ、こんなの。こんな事、しちゃ駄目だよ」
「先に手を出したのは向こうよ。そんな甘い事を言っているから、馬鹿にされるのよ。こうでもしないと、懲りないんだわ」
「それでも駄目だよ。やり過ぎだよ。だって、死んじゃったらどうするの?」
「大丈夫よ。殺すつもりなんて無いもの」
「それでも、もしもって事も――」
「殺さないわ」
 サラは目を伏せる。
「殺しなんてするもんですか……死がどんなに痛ましい物か、私はこの目で見たもの。死ほど残酷な物は無いって、私は分かってる」
 サラは真っ直ぐにエリを見つめる。
「それにこれは、エリの望んでいた事でもある筈よ」
「え……?」
 彼女が何を言い出したのか、エリには分からなかった。
 エリが望んでいた? 何を? ――あの子達が、報復に遭う事を?
「だって、そうでしょう? だから私に話したのでしょう?」
「サラ……? 何を言って……」
「分かっていた筈よ。貴女は『報復』の噂を知っていた。貴女の力では敵わないから、私に話して、仕返しして貰おうと思った」
「違う……だって、あたしはサラの事を信じて……」
「違わないわ。私の味方をすると言いながらも、心の何処かでは私なら何とか出来ると思っていたのよ。だから話したんでしょう? 私が、あの子達に報復するように。貴女はいつも、弱みを人に見せない。けれど、昨日だけは私に話した。つまり、そういう事でしょう?」
「違う……! 違う……!!」
 サラは、一歩一歩とエリに近寄ってくる。
「逃げる気? エリ、貴女も私と同じなのよ。認めてしまいなさい。
私は貴女を責めている訳じゃないのよ。貴女が私の味方をしてくれるように、私も貴女の味方だもの。貴女の敵は、私の敵。ねえ、手を取り合いましょう」
 サラは立ち止まり、エリに手を差し伸べた。
 エリは恐怖に引きつった表情で、その手を見つめる。……そして、払い除けた。
「一緒にするな! あたしはお前とは違う!! ――この『化け物』!!」
 吐き捨てるように言うと、エリは背を向け逃げるように駆け去って行った。

 教室に戻れば案の定、クラスメイト達からの非難の声が待っていた。
 エリは何も言い返せない。今朝までのように、サラを庇う事など出来ない。エリが間違っていたのだ。報復の噂は本当だった。サラは、本当に化け物だった。エリはそれを、知ってしまった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
「ごめんで済むもんか!!」
「化け物の妹であるあんたがこのクラスにいる所為で、私達まで危険な目に遭うの!」
「ごめんなさい……ごめんなさい……だって、知らなかったんだもん……! 信じてたのに……っ」
 突き飛ばされ、机にぶつかり床に転げる。
「この化け物!!」
「あいつらはシャノンには何もして無いだろ!? お前も、シャノンと同じって訳か!?」
「違う……! あたしはあんな奴とは違う……!! ごめんなさい……っ。謝るから……だから、許して……!!」
「化け物め!!」
「謝れよ!!」
「どう責任取るつもり!?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ。あたしは化け物じゃない……あいつと一緒にしないで……!!」
『私はただ、自分の身は自分で守る。――ただそれだけ』
 皮肉にも、思い出した言葉はサラのものだった。甘いから、馬鹿にされる。いつまでも変わらない。
 エリが、変わらないから。
 腹に蹴りが入る。その脚を、エリは掴んだ。
「……ったいなぁ!!」
 脚を掴んだまま、立ち上がる。エリに蹴りを入れた生徒は、体勢を崩し倒れて後頭部を打った。
「てめぇ……!」
「抵抗する気かよ!?」
 男子生徒が掴みかかってくる。エリは我武者羅に腕や脚を振りまわし、抵抗する。髪を引っ張られる。頬を殴られる。蹴り飛ばされる。それでも何度も立ち上がり、殴り返した。蹴り返した。
 教員が駆け、乱闘騒ぎは収束した。取り囲み睨みつけるクラスメイトを、エリは睨み返していた。
 しかし、取り押さえる教員の手からエリは滑り落ちた。崩れるようにその場に倒れ込み、動かなくなる。身体の節々が痛かった。意識も朦朧としていた。
 エリの力では、男子複数には敵わないのだ。――もっと、「力」があれば。
 薄れ行く意識の中、エリは悔しさを噛み締めていた。





 夕日の中、一人の少女が佇んでいた。ラベンダー色のカチューシャを付けた、灰色の瞳の少女。少女の細い腕には、飼育小屋の兎が抱えられている。白い兎の身体は、夕日に照らされ紅く染まっていた。
 サラは、兎を抱く腕に力を込める。
 結局、エリもサラの元を離れていってしまった。少しでも期待した自分が馬鹿みたいだ。分かりきっていた筈なのに。サラの味方など、誰もいない。祖母が死んだ日、サラは永遠に一人になったのだ。
 サラには祖母しかいない。サラは、化け物だから。化け物が人に理解される事など無い。
「おばあちゃん……っ」
 少女の頬を、一筋の雫が伝い落ちた。


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2009/12/17