三本の箒に辿り着いたエリは、温度差にぶるっと身体を震わせた。
 まず、真っ直ぐにバーへと向かう。向かう途中で、ハンナ達の座っている席を見つけた。
「マダム! バタービール一つちょーだい!」
 振り返ったマダム・ロスメルタは、そのまま硬直した。
 エリは目を瞬く。それから、思い出したように髪に付けていた悪戯専門店のゴムを片方外し掛けて見せる。
「俺、俺。エリだよ」
「あら、エリ――ちょっと待ってね」
 ロスメルタは我に返り、泡立つバタービールをジョッキになみなみと注いだ。
 金と引き換えに受け取りながら、エリはニヤリと笑う。
「何だよ、まさか見惚れちまった〜? 男達が嫉妬しちまうぞー」
 冗談めかして、笑って言う。
 それから、暖炉の傍の席へと向かう。そこには既に、ハンナ、スーザン、アーニー、ジャスティンの四人が座っていた。
「お待たせーっ」
 髪の結び目から先が消えているエリの登場に、一同はぽかんとする。
 スーザンが落ち着いた声で言った。
「また、あのゴム付けてるのね」
「え……ああ! エリか!」
 アーニーが相槌を打つ。
「何だよ、お前らは何度かこれ付けてるの見てるだろー」
「だって何処の男の子かと思うわよ、それ。今日は私服だから余計に」
 ハンナは、そう言って肩を竦める。
「今日も叫びの屋敷に行って来たんですよね? どうでした、野良犬は」
「ん? 元気だよ。でも、菓子やろうとしたら、アリスに止められちまって……。
それと、名前。ブラックだっつってるだろ」
「そんな名前で呼べる訳無いじゃない。仮にもこんな時期に」
 エリ達は笑う。
 ツリーの飾りは、暖炉の炎に照らされ紅く輝いていた。





No.88





 ハニーデュークスは、異様なまでの混雑具合だった。マグルの店には決して無いような菓子が並ぶ棚に、大勢の生徒達が集まっている。サラは、人ごみと甘い臭いとに少々酔っていた。
 何とか酷い混雑からは離れたが、そこにあるのはあまり欲しいとは思えないような、どちらかと言うと挑戦者向けの菓子ばかりだった。
「ウー、駄目。ハリーはこんな物欲しがらないわ。これって、吸血鬼用だと思う」
 ハーマイオニーは、血の味がするペロペロ・キャンディの盆を見て言った。
 サラは棚の無い部分に寄りかかり、二人が選ぶのを眺める。サラが選ぶと、どうしても無難な物になってしまう。最初に駄目出しばかり食らったサラは、気分が優れないのもあり二人に任せる事にした。
「じゃ、これは?」
 ロンが続いて出したのは、ゴキブリ・ゴソゴソ豆板の瓶だった。
 サラが口を出す前に、背後から声がした。
「絶対嫌だよ」
 サラは驚いて振り返る。
 そこに立っているのは、ハリーだった。ナミも一緒だ。
 許可証を持っていない筈の二人の登場に、サラは目を見開く。ハーマイオニーが金切り声を上げた。
「ハリー! ナミ! どうしたの、こんな所で? ど、どうやってここに――?」
「君達、姿現しが出来るようになったんだ!」
「ホグワーツでは、姿現しは出来ないわよ」
 ロンの言葉に、サラは即座に答える。
 ハリーも首を振った。
「まさか。違うよ。フレッドとジョージが、素敵なクリスマス・プレゼントをくれてね――」
 ハリーは声を落として、『忍びの地図』の事を話した。
 ハリーが話し終えた時、三人はそれぞれに別の理由で憤慨していた。
「フレッドもジョージも、何でこれまで僕にくれなかったんだ! 弟じゃないか!」
「でも、ハリーはこのまま地図を持ってたりしないわ! マクゴナガル先生にお渡しするわよね、ハリー?」
 ハーマイオニーの言葉に、サラは大きく頷く。
 しかし、ハリーは断言した。
「僕、渡さない!」
「気は確かか?」
 そう言ったのは、ロンだった。信じられないと言う風に、サラとハーマイオニーを交互に見る。
「こんないい物が渡せるか?」
「僕がこれを渡したら、何処で手に入れたか言わないといけない! フレッドとジョージがちょろまかしたって事が、フィルチに知れてしまうじゃないか!」
「それじゃ、シリウス・ブラックの事はどうするの? この地図にある抜け道のどれかを使って、ブラックが城に入り込んでいるかも知れないのよ! 先生方はその事を知らないといけないわ!」
 ハーマイオニーがハリー、ロン相手に説教している間に、サラはナミを少し離れた所へと引っ張って行った。
 三人に聞こえぬよう声のトーンを落とし、サラは問い詰める。
「どういうつもり? 学校外に出るのは危険だって、解ってるでしょ? 貴女、何の為に来た訳?」
「今日ぐらい良いじゃない。サラだって、ハリー一人置いてけぼりは気が引けるでしょ?」
「それは……」
「大丈夫。外に出ている間は、私は必ずハリーと一緒だから。同じように許可証が無いから、一緒にこそこそやっていても不自然じゃないしね」
 ナミの言い分に、サラは口ごもる。
 確かにナミの言うとおり、今日だけならばナミがずっと一緒に行動している事も可能だろう。
「でも、地図は? あれは絶対、先生に提出させるわよね? シリウス・ブラックが抜け道を知っていたら――」
「あの地図に書いてある抜け道は、同じように知っている教員がいるから大丈夫」
「は?」
「私も校外に出るのは知ってるから、定期的に見回ってるしね。七つ中四つは、フィルチに知られちゃったみたい。一つはあれから崩れちゃって、使用不可。残るは、私達が通って来た所と暴れ柳の所。私達が通って来た所も暴れ柳も、私とルーピン先生は知ってる。暴れ柳の方は、スネイプ先生もね」
「シリウス・ブラックの対策は?」
 サラはきつい口調で問いかける。
「その残り二つの通路、あなた達の様子じゃ吸魂鬼を配置してないんでしょう? それじゃ、例え教師に知ってる人がいたって意味無いじゃない」
「それは――」
「おい、ナミも来いよ!」
 ロンに声を掛けられ、ナミはサラから逃げるようにそちらへ行ってしまった。
 サラは憤るように溜息を吐き、ハーマイオニーの所まで戻る。ロンは、ハリーとナミにハニーデュークスの菓子を紹介していた。
「ハリーは、地図どうするって?」
「ハリーもロンも、提出する気は全く無いわ。こんな所に現れる筈が無い、って。サラは、ナミを説得してたの?」
「ええ。でも、彼女も駄目。危険とかは理解しているけど、秘密を公にしたくないって感じね。まるで子供みたいだわ。一応、フィルチの知らない通路も、他の先生が知っているそうだけど……」
「そうなの? 誰?」
「ルーピン先生。暴れ柳は、スネイプもですって。彼らが死守してくれる事を祈るしかないわね」
 ハリーやロンと一緒になって商品棚を見て回るナミは、どう見ても子供にしか見えなかった。





 ハニーデュークスを出た五人は、メインストリートを歩きながらハリーとナミに郵便局やゾンコの店を説明をした。外は吹雪いていて、マントやマフラーで防寒していても凍えるような寒さだった。ハリーとナミはマントが無く、見ているだけで寒そうだ。
 ロンの提案で一行は吹雪を逃れ、『三本の箒』でバタービールを飲む事にした。
 三本の箒に入ると、サラとロンとでバタービールを買いに行った。ロンは終始マダム・ロスメルタに見惚れっぱなしで、危うく買ったバタービールを零してしまう所だった。ハリー達の待つ奥の小さなテーブルへと運び、サラ達も座った。傍の暖炉脇には、クリスマス・ツリーが立っている。
 飲み始めて直ぐ、三本の箒の扉が開いた。入って来たメンバーに、ハリーがむせ返る。ロンとサラはハリーを、ハーマイオニーはナミを、テーブルの下に押し込んだ。
 入って来たのは、マクゴナガル、フリットウィック、ハグリッド、ファッジの四人だったのだ。
 バタービールが零れたらしく、テーブルの下からナミの呻き声が聞こえた。サラが爪先で軽く突いて、黙らせる。ハーマイオニーは、ツリーに杖を向けていた。
「モビリアーブス」
 ツリーが浮遊し、サラ達のいる机の前に移動した。教員達はツリーを間に挟み、サラ達の直ぐ向こう側の机を囲んで座った。
 ロスメルタが注文された飲み物を運んで来た。五人の胸中には、同じ不安が募っていた。
 ――先生方は、どれくらいここにいるつもりだろうか。
 若しも、夜までだとしたら。若しそうだとすれば、ハリーとナミは何処かで隙を突いて抜け出さなくてはいけない。この距離で気付かれずに抜け出す事など、可能なのだろうか。一人や二人ならば、注文を取りに行くなりトイレに行くなりで隙も出来るだろう。だが四人となると、全員がそっぽを向いている可能性など無いに等しい。
 ファッジがホグズミードに来たのは、シリウス・ブラックの件との事だった。ハロウィーンの一件で、ファッジは彼がまだこの辺りにいると考えているらしい。ロスメルタは吸魂鬼による捜索に、腹を立てているようだった。それにはマクゴナガルやフリットウィックも同意していて、ファッジは孤立無援の状態だった。
「でも、私にはまだ信じられませんわ。どんな人が闇の側に荷担しようと、シリウス・ブラックだけはそうならないと、私は思ってました……あの人がまだホグワーツの学生だった時の事を覚えてますわ。若しあの頃に誰かがブラックがこんな風になるなんて言ってたら、私きっと、『あなた蜂蜜酒の飲みすぎよ』って言ったと思いますわ」
「君は話の半分しか知らないんだよ、ロスメルタ。ブラックの最悪の仕業は、あまり知られていない」
「最悪の? あんなに沢山の可哀想な人達を殺した、それより悪い事だって仰るんですか?」
「まさにその通り」
「信じられませんわ。あれより悪い事って、何でしょう?」
「ブラックのホグワーツ時代を覚えていると言いましたね、ロスメルタ」
 口を挟んだのはマクゴナガルだった。
「あの人の一番の親友が誰だったか、覚えていますか?」
「ええ、ええ」
 ロスメルタは少し笑みを漏らした。
「いつでも一緒、影と形のようだったでしょ? ここにはしょっちゅう来てましたわ――ああ、あの二人にはよく笑わされました。まるで漫才だったわ、シリウス・ブラックとジェームズ・ポッター!」
 机の下から、大ジョッキを落とした大きな音が聞こえた。ロンがハリーを蹴った。
 覗き込むと、ハリーは放心状態でツリーの枝の隙間から教員達の席を見つめていた。ナミは壁際でうずくまり、拳を握り締めている。
 教員達は、シリウス・ブラックとジェームズ・ポッターの学生時代の話で盛り上がっていた。まさに一心同体、ハリーの父親はブラックを誰よりも信用していた、ハリーの後見人に指名した、と。
 やがてポッター夫妻はヴォルデモートに狙われ、身を隠した。――シリウス・ブラックを、「秘密の守人」にして。
「ブラックが二人を裏切った?」
「まさにそうだ。――それに、彼が裏切ったのは二人だけではない」
「他にもまだ?」
「ポッター夫妻が襲撃に遭った時、一緒にいて逃げ延びた者達がいるだろう」
「シャノンと彼女の養女ですか? でも、彼女達がブラックと、何の関係が――?」
「彼女たちが血の繋がった祖母と孫である事は、知っているだろう? 当然、間にはサラの親に当たる人物が入る。母親が不明な為、噂としてしか知られていないが――サラの父親は、シリウス・ブラックだと言われている」
 再び、机の下からジョッキの落ちる音が響いた。
 サラは、蹴らなかった。
「その噂は、聞いた事がありますわ。でも、子を産んで直ぐ亡くなったと言うシャノンの子が、息子だった可能性はありませんの? そうだとすれば、ブラックは何の関係もありませんわ」
「シャノンは一度、ホグワーツで教鞭を執った事がある。その時彼女は、一人の女の子を捜しているようだった――シャノンには娘がいて、今も何処かで生きている。一部は、その説を信じているよ。その辺りは、ミネルバやハグリッドは知っていそうだが――」
「えっ、いや、それは……」
「今は、シリウス・ブラックが父親である事についての話では?」
 マクゴナガルがぴしゃりと言った。
 ファッジは諦め、話を戻した。
「――それに、ゴドリックの谷で、シャノンはサラをなるべくブラックと一緒にいさせるようにしていた。これは間違い無い事実だ。
当然、サラもこの事は知らない。ハリーの件と同じでね。自分の父親が凶悪犯だなんて知ったら、どんなに辛い事か……。サラは実の父親に裏切られ、ヴォルデモートに売られたと言う事になるのだから。
ブラックは二重スパイの役目に疲れて、『例のあの人』への支持を公に宣言しようとしていた。ポッター夫妻やシャノン養母子の死に合わせて宣言する計画だったらしい。ところが、知っての通り、『例のあの人』は幼いハリーの為に凋落した。力も失せ、酷く弱体化し、逃げ去った。自分が裏切り者だと旗幟鮮明にした途端、自分の旗頭が倒れてしまったんだ。逃げるほか無かった――」
「くそったれのあほんだらの裏切り者め!!」
 ハグリッドの怒声、憐れなピーター・ペティグリューの話、彼らの話の続きを聞きながらも、サラの脳裏では同じ言葉が反芻されていた。
『サラの父親は、シリウス・ブラック』
 祖母の子供は、ナミだった。娘だ。噂は真実を囁いている。それをサラは知っている。
 実母はナミ、そして実父は――シリウス・ブラックだったのだ。だから、皆隠そうとしていた。

 話は、現在のシリウス・ブラックへと移っていた。アズカバンで吸魂鬼に囲まれながらも、彼は正常であったと言う。
 ファッジが、必ず魔法省が彼を捕まえると断言し、彼らの話は終わった。一人、また一人と立ち上がり、ロスメルタは空になったグラスを持ってバーの裏へと下がった。扉が開き、冷たい風と入れ替わりに教員達は三本の箒を出て行った。
 途端に、サラはすっくと立ち上がった。無言のまま、パブを出て行く。誰も止める者はいなかった。
 吹雪の中を、サラは足早に城へと向かう。
 凍りつく目尻が痛かった。メインストリートは人が多く、サラは俯き顔を隠して歩く。速度は次第に上がり、ついには走り出していた。
 こんな事なら、知らないままの方が良かった。
 何も知らずに、ただ信じて、ぬくぬくとした図書館でドラコ達と一緒に調べ続けていれば良かった。
 真実を知ってしまった今、信じていた事が尚更嫌悪感を掻き立てる。
「おーい、サラ!」
 前方に、三人組がいた。一人がサラに手を振り、彼の両脇にいる二人は両手いっぱいにハニーデュークスの袋を抱えている。
 サラは彼らの横をそのまま駆け抜けようとしたが、異変に気付いた彼に腕を掴まれ引き止められた。
「サラ……泣いてるのか……?」
 泣き顔を正面から見られるのが嫌で、サラはそっぽを向いた。しかし、それで涙が隠せる訳でもない。
 先ほど聞いた会話が、エンドレステープのように繰り返し頭の中で響く。
「ドラコは知っていたんでしょう……?」
 ドラコは、サラが父親の事を調べようとする事に反対していた。手伝うのを渋っていた。
 ドラコは知っていたのだ。サラの父親が誰であるのかも。父親がサラを殺そうとした事も。
「ドラコは知っていたんでしょう!? どうして教えてくれなかったのよ!! ねえ、どうして!?」
 サラはドラコの襟元を掴み、ガクガクと揺さぶる。
 最初から教えられていれば、期待する事など無かったのに。これほどまでショックを受ける事も無かったのに。
「私……父親はきっと、私の事愛してくれていただろうって思ってたのに……! おばあちゃんみたいに、愛してくれてただろうって……!!」
 パンジーが、噂がどうのと言っていた事があった。あれは、この話だったのか。ドラコは知っていた。噂は、真実。サラの父親は、シリウス・ブラックだと――サラを愛していた肉親など、いなかったのだと。


Back  Next
「 The Blood  第1部 希望求めし少女たちは 」 目次へ

2010/01/26