夕食まで、まだ時間がある。エリとアリスは、厨房からくすねた食料を持って禁じられた森の縁へと来ていた。ホグズミードの週末以来、アリスは断固として叫びの屋敷に行こうとしなかった。そこで、黒犬の方からたまに校内へと来るようになったのだ。
「ブラック〜。飯だぞー」
 エリの声に、黒犬は尻尾を振りながら木陰から姿を現す。
 アリスは、呆れたように溜息を吐いた。
「エリ、よく未だにその名前で呼べるわねぇ……」
「呼べるよ。だって、関係無いだろ。
俺とサラの親父さ、ブラックだったんだよ」
 エリは、クリスマスのご馳走が入った鞄の臭いを嗅いでいる黒犬に話しかけた。途端に、黒犬は臭いを嗅ぐのを止め、エリを見上げる。
「この間、ホグズミードで偶然聞いちゃってさ。ちょっと驚いたなー……」
 エリはポケットから何かを取り出そうとした。しかし、目当ての物が見つからない。
「どうしたの?」
「いや、そう言う調べて判った事をメモしてるんだけど……メモ帳、無い」
「何やってるのよ。誰かが拾ったら――」
「それは多分、大丈夫。書いてるの日本語だから。
若しかしたら、さっき地下牢教室に置いてきたのかな……ちょっと俺、見てくる!」
 言って、エリは背を向け駆け出した。
 クリスマスの午後の出来事だった。





No.90





 リーマスの所へクリスマスをはしゃぎに行き、一度談話室へ戻った後、ナミは今度はセブルスの所へと来ていた。
 入って来たナミに紅茶を用意しながら、セブルスは呆れたように言う。
「ルーピンの所へ言っていたそうだな。行った所で、話す事も出来んだろうに――」
「関係無いよ。どんな姿だろうと、リーマスは私の友達だからね。薬作ってくれてて、本当ありがとね」
「……」
 セブルスは答えない。ただ、零れない程度に乱雑にカップを置いただけだった。
「それで、何の用だ」
「その質問、何回目?」
 ナミは苦笑しながら言った。
「――まあ、今日はちゃんと用があって来た訳だけどね。直ぐに知らせるべきだったのかも知れないけど――ちょっと、私も混乱しちゃって」
 ナミは一口紅茶を啜り、カップを置く。そして、静かに言った。
「――ハリーとサラ、シリウス・ブラックと自分達の関係を知っちゃったよ」
「……ポッターもだと? 何処かの愚か者達は、三本の箒で話していたと聞いたが」
「サラ達は許可証持ってるでしょ。ハリーも聞いても不思議じゃないよ」
「さて……どうかね。態々、そんな話を伝えるか――」
「ハリーには、私がいつもついてます。ホグズミードの日は尚更。――疑うの?」
 ナミはにっこりと笑って問う。セブルスは黙り込んだ。
 ナミは、机に両肘を突き溜息を吐く。
「二人共、どうするだろうね……。今は、ヒッポグリフの件を手伝うのに忙しいみたいだけど」
「一緒にいるなら、それとなく聞き出せないのか」
「んー……ハリーは兎も角、サラはちょっと聞きにくいじゃない? でも、ロンとハーマイオニーの様子からして……やっぱり二人共、ブラックを許せないみたい。ヒッポグリフの事で城に繋ぎとめてる感じだから」
 セブルスは、底意地の悪い笑みを浮かべた。
「城を出て行けば、厳罰と減点を与えるのみだ」
「あっはは。それは困るなあ。一応、グリフィンドール生の身としては」
 軽く笑って、ナミは再び紅茶に口をつける。
 セブルスが、ぽつりと言った。
「……その話をしている場に、エリもいたそうだ」
 ナミは思わず噴き出した。
 スネイプは顔を顰め、杖を振って机に散った紅茶を消し去る。ナミは立ち上がる。
「それじゃ、エリも知っちゃったの!?」
「アリスにも報告していたな」
「止めてよ!」
「止めた所で、我輩のいない所に行って話すだけだ」
「それは、そうかも知れないけど……。――エリは、どうだった?」
 ナミは、食事の席で見かけていたエリの姿を思い返す。エリはいつもと同じように見えた。どうしていつも、気付けないのだろう。これでは、母親なんて名ばかりではないか。
「やはり、衝撃ではあったようだな」
「……」
「だが、あの様子なら大丈夫だろう。彼女は、我々が思うよりも強い……」
 ナミは、ぽかんとしてセブルスを見つめていた。セブルスは、普段は見せないような穏やかな表情をしていたのだ。
 しかし直ぐに、いつも通りの表情に戻った。眉間に皺を寄せ、ナミをじろりと見る。
「何だ、その間抜け面は」
「えっ? 否、何でも……」
 気のせいだったのだろうか。内心首を捻りつつも、ナミは続けて言った。

「それと今朝、ハリーに差出人不明のプレゼントが届いたんだよね」
「差出人不明?」
 セブルスは、僅かに眉を動かす。ナミは真剣な面持ちで頷いた。
「それも、箒――ハリーやロン、サラの話じゃ、箒の中でも随分と高級な種類らしいよ。まあこれは、サラとハーマイオニーがマクゴナガル先生に報告済みなんだけど。マクゴナガル先生とフリットウィック先生とで、呪いが掛かったりしてないか調べてくれるみたい」
 ナミが談話室に戻ったのは、ちょうどマクゴナガルが箒を持って行った後だった。サラとハーマイオニーはそのまま図書館へ行ってしまい、ハリーとロンは寝室へとプレゼントを片付けに行ってしまった。互いに、意見を曲げる気は無さそうだ。
「そのまま乗ってしまえば良かったものを」
 セブルスは苦々しげに言った。ナミはニヤリと笑う。
「そんな事言って、本当は心配なくせに」
「馬鹿言うな。何故我輩が、あんな餓鬼の心配をせねばならん?」
「でも、何だかんだ言いながらも、守ってるでしょ?」
「ダンブルドアの命令に従っているだけだ。そうでなければ、あの男の息子など誰が庇うものか」
「でも、同時にリリーの息子だよ?」
「……」
 ナミは立ち上がってセブルスの所まで行き、からかうように彼の顔を覗き込む。
「――好きだったんでしょ? リリーの事」
「大切な存在だった事は否定しない。だが、恋愛感情は抱いていない」
「照れちゃって――随分と分かりやすい言動してたくせに。別に、誰にも言いやしないよ?」
「違うと言っているだろう。まだ、勘違いを続けているのか。――それに、好きな人は別にいた」
「他に?」
 ナミは目を丸くする。
 学生時代のセブルスと一緒にいた女の子と言えば、リリーぐらいだった。そして、セブルスのリリーへの態度は、想い人に対するそれとしか思えなかった。他の人物など、思い当たらない。
 セブルスは、じとっとした目でナミを見下ろす。そして、ゆっくりと話し出した。
「――太陽のように明るい奴だった……その癖、世話の焼ける……いつも傍にいてくれた……」
「それって、リリーの事じゃないの?」
「まだ分からんか」
 ドン、と両脇の壁に手を着かれ、身動きの出来ない状態になってしまった。
 ナミは目を瞬く。セブルスは真剣な瞳で、ナミを見つめていた。
「確かに彼女は大切な人だったが、それだけだ。我輩が好きだったのは――」
 ノックも無しに扉の開く音がし、ナミとセブルスは振り返った。
 エリが戸口の所に呆然と立っていた。一瞬、地下牢教室の時が止まる。
 次の瞬間、エリはこちらへと駆けて来た。
「何やってんだバカ――――ッ!!」
 叫びながら、エリはセブルスに飛び蹴りを食らわす。そして、開放されたナミの手を握り引っ張った。
「えっ、ちょっ……」
 去り際にナミが振り返ると、セブルスは身体を起こしている所だった。重傷には至らなかったようだ。
 エリはむっつりと黙り込んだまま、鼻息荒くナミを引っ張って行く。階段を昇り地下牢教室から離れると、漸く口を開いた。
「ったく、あのバカ! 変態! 子供姿の人妻連れ込んで、どーゆーつもりだ!?」
 エリは、只管罵倒を続ける。
「バカバカ! もう、スネイプなんて知るもんか――」
 ナミは、先を行くエリをまじまじと見つめる。この子は、若しかすると……。
「大丈夫。何も無かったから」
 エリは足を止め、振り返る。
「そもそも、今は彼、私の事好きだとかって訳じゃないみたいだし――」
 エリはみるみる紅くなっていく。ナミは微笑ましくそれを眺めていた。
「だっ、誰があいつの好きな人なんか気にしてるかよ! バーカ!!」
 怒鳴るなり、エリは踵を返し駆け去ってしまった。
 ナミは、ふっと息を吐いた。随分と難儀な二人になりそうだ。





 ファイアボルトの件でハリーとロンとは仲違いをしたまま、年が明け、他の生徒達も城へと戻って来た。サラとハーマイオニーは図書館に入り浸り、バックビークの裁判資料を捜す毎日を送っていた。そうこうしている内に生徒は全員戻って来て、休暇は終わり、再び授業が始まった。
 朝からの屋外授業は憂鬱だったが、ハグリッドの小屋の前まで来ると大きな焚き火が燃やされていた。
「サラマンダーだ。
今日は寒いからな。ちぃっとは温かくなるモンが、ええだろうと思ってな」
 これには皆、手を叩いて喜んだ。
 ハグリッドの指示で、枯れ木や枯葉を集めて火に焼べる。サ・ラマンダーは、薪が燃え崩れる中をちょろちょろと駆け回っていた。暖かさも相まって、サラ以外の生徒達にとってもサ・ラマンダーは大好評だった。
 ふと見ると、少し離れた所にドラコが立っていた。いつものように罵倒するのも忘れ、一心不乱に炎の中を見つめている。ドラコがやや視線を上げた。そして、ハッとした表情になる。ドラコの視線の先には、ニヤニヤ顔のハリーがいた。ハリーも、ドラコがいつもの罵倒をしない事に気付いたらしい。
「馬鹿馬鹿しいね。何が悲しくて、朝からこんなのの世話をしなきゃいけないんだか――」
 ドラコは思い出したように、慌てて文句を言い始める。ビンセントも我に返り、まだサ・ラマンダーを食い入るように見ているグレゴリーの頭を叩いた。
「サラ、何処を見てるの?」
 隣から声がして、サラはドキッとして振り返る。ハーマイオニーは、口元に笑みを浮かべていた。
「別にドラコなんて見てないわよ!」
「え……」
 慌てて口走ったサラの言葉に、ドラコが振り返る。
 みるみる自分の顔が火照って来るのが分かった。サラは咄嗟にハーマイオニーの腕を掴み、その背後に隠れる。
 ハーマイオニーは、クスクスと笑っていた。

 占い学の授業は、相変わらずだった。授業は手相へと入ったが、いまいちサラに才能があるとは思えなかった。生命線や頭脳線と言ったマグル界でも有名な物は分かるが、短く細かい物になってくるとどれが該当の線だか確信を持てない。
 サラは、壁沿いの棚に並んだ水晶玉に目をやる。三年生の内に、水晶玉の授業は来るのだろうか。初めてこの教室に来た時、水晶玉の中には情景が浮かんでいた。早く水晶玉を覗きたくて仕方が無かった。

 新学期初日最後の授業、闇の魔術に対する防衛術のクラスが終わると、サラとハーマイオニーは一目散に図書館へと向かった。休暇が明けても、図書館に入り浸る毎日は変わらない。昼休みも、授業後も、サラ達は図書館へと赴いていた。
 机の上に本を山積みにし、只管読み耽る。サラとハーマイオニーの二人が本を読みなれていると言っても、ハリーとロン、二人もいないのは相当な痛手だった。進捗状況は芳しくなく、例え刑を逃れた前例を見つけても、ただヒッポグリフが凶暴過ぎて手を付けられなかっただけと言った有様だった。
 サラはふと、図書館内の時計に目をやる。
「もう直ぐ夕食か……私、こっち片付けてくるわ」
「ええ、お願い。それじゃあ、こっちの山借りる手続きしてくるわね」
 サラとハーマイオニーはそれぞれに本の山を抱え、席を立つ。サラは本棚の立ち並ぶ方へ、ハーマイオニーはマダム・ピンスのいるカウンターへと向かった。
 禁じられた森の木々のように本棚が左右に迫る中を歩き回り、サラは目を通した本を片付けて行く。全ての本を片付け終えても、サラは本棚の間にいた。何か役に立ちそうな資料があったら、借りて帰ろう。法に関する書物が詰まった本棚の前で、サラは足を止める。中身をパラパラと見ながら、数冊手に取る。
 テンポ良く繰り返していたサラの手が、不意に止まった。
 サラが選び取っている、もう一つ下の段だった。そこには、処刑に関連したタイトルが並んでいた。
 サラは慎重に気配を探る。大丈夫。ハーマイオニーはまだ、辺りにはいない。あれだけ大量の本だ。手続きにも時間が掛かるだろう。
 サラは、その中から一冊を抜き出す。
 暫く読み耽っていると、突然肩を叩かれた。サラは慌てて、本を閉じる。
 振り返った先にいたのは、ドラコだった。
「久しぶりだな。まあ、授業では会ったけど――」
 魔法生物飼育学の授業での事が、サラの脳裏に蘇る。
「なっ、何の用よ?」
 照れ臭いのを隠すように、サラは言った。きつい語調になってしまったが、ドラコはもう慣れっこだ。
「父上や母上に聞いてみたよ。夏休み、来てもいいって」
「本当?」
 サラは声を弾ませる。
 ドラコは、サラの手元に視線を落とした。
「ああ。――何を調べているんだ?」
「バックビークの裁判に役立つ資料を……」
 そう答えたものの、サラの手元にあるのは人の処刑に関する本だ。気まずい沈黙が流れる。
「サラ。こっちは終わったわよ」
 ハーマイオニーがやって来て、サラは慌てて本を棚にしまった。しかし、遅かった。
 ハーマイオニーは、キッと厳しい顔つきになる。
「またなのね? 今は、バックビークの裁判の資料を集めないと。バックビークの命が関わってるのよ? 分かってるの?」
 それから、サラの隣に立つドラコに目を向ける。ハーマイオニーの眉がピクリと動いた。ドラコは、事の発端だ。
 二人が何か言い出す前に、サラはハーマイオニーの腕を引いてその場から離れて行った。新たに取った本を借り、図書館を後にする。
 夕食へと向かいながら、ハーマイオニーが懇願するように言った。
「お願いよ、サラ。危険な事はしないで……」
「解ってるわ」
「だったら、どうしてあんな本を手に取るの? この間だって――」
「解ってるわよ。危険な真似はしない」
「解ってないわ! 私達が反対するから、忘れたふりをしているだけでしょう。
いい? 貴女にはどうにも出来ない事だわ。ブラックをどうにかしたからって、貴女のおばあさんが戻って来る訳じゃないのよ」
「そんな事解ってるわよ!!」
 サラはハーマイオニーの正面に回りこみ、声を荒げる。
 ハーマイオニーは、今にも泣きそうな顔をしていた。
「……ごめん」
 サラは視線を逸らし、呟くように言った。
 再び歩き出した途端、ハーマイオニーの鞄が傍にあった鎧にぶつかった。その衝撃で、中に詰め込んだ教科書やら参考資料やらが溢れ出る。
 サラとハーマイオニーは鎧の足元に座り込み、散乱した本を掻き集める。
「バックビーク関連のは、私が持つわ。貴女の鞄、教科書だけでもパンパンじゃない」
「ありがとう。でも、こっちも何冊かは入るわよ」
 手分けして本を鞄に詰め直していると、背後で声がした。
「――ルーピンはまだ病気みたい。そう思わないかい? 一体何処が悪いのか、君、判る?」
 ハリーとロンが通りかかった所だった。
 ハーマイオニーが、大きく舌打ちする。通り過ぎていた二人が、立ち止まり振り返った。
「なんで僕達に舌打ちなんかするんだい?」
「何でもないわ」
 鞄を抱え直して立ち上がりながら、ハーマイオニーはすました声で言った。ロンは、更に突っかかる。
「いや、何でもあるよ。僕が、ルーピンは何処が悪いんだろうって言ったら、君は――」
「あら、そんな事、分かりきった事じゃない?」
「教えたくないなら、言うなよ」
「あら、そう。――行きましょう、サラ」
 サラは立ち上がり、スタスタと歩き去るハーマイオニーの背中を追って行った。
 背後で、ロンが苛々した調子でハリーに話しているのが聞こえていた。


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2010/02/11