内側から打ちつけられた窓。埃の上に出来た幾つもの足跡。叫びの屋敷へと食料を運んで来るのは、エリの日課になっていた。
 アリスは、もう二度と叫びの屋敷へ来ようとはしない。クリスマス休暇の間は校内に連れ込んでいたが、生徒が帰って来てからはそう頻繁に森へ近付く事は難しい。特にフレッドとジョージは、何度も森に忍び込もうとしている。彼ら自身にばれるのは構わないが、その結果監視が厳しくなっているのだから森は駄目だ。
 エリは、厨房からくすねてきた肉を皿の上にそのまま置く。黒犬はどうも、生よりも焼いている方を好むようだった。ハニーデュークスの菓子に喜ぶ事と言い、まるで人間のような奴だと思う。
「なあ、お前吸魂鬼って分かるか?」
 がつがつと肉にかぶりつく黒犬の前にしゃがみ込み、エリは尋ねる。
 黒犬はちらりとエリに目を向けたが、直ぐ肉へと視線を戻した。構わず、エリは続ける。
「シリウス・ブラックに吸魂鬼の接吻をやる事が決まったんだって。今朝、日刊預言者に書いてあったんだとよ」
 エリは膝を抱え、みるみると消えていく肉を見つめる。
「それしたら、何も判らない状態になるんだって。……俺やサラの事も、判らなくなるのかな」
 シリウス・ブラックが犯した罪は、決して許されない。エリだって、許す気は無い。
 けれども、そんな惨い仕打ちを受ける必要があるのだろうか。
 エリの父親は圭太だ。それは変わらないが、ブラックが父だと知って情が沸いてしまっているのかも知れなかった。
 ふと、部屋の片隅にある新聞紙が目に入った。エリは立ち上がり、そちらへ拾いに行く。
 新聞紙には、かじられたような後が付いていた。恐らく、黒犬がここへ持ち込んだのだろう。昨年の夏休みの物。ハリーとサラが、ロックハートに肩を掴まれている。ハリーは戸惑った表情、サラは明らかに苛々している。
 二枚目は、今年の夏の物だった。
「ロン達じゃねーか」
 黒犬がぴくりと反応した。
 振り返り、エリを見上げる。エリは軽く笑った。
「こいつら、俺の友達なんだよ。上二人とは会った事無いけど――ロンは、サラとも親しいんだ。同学年だし、グリフィンドールで同じだから」
 エリは記事に目を落とす。
 黒犬――彼の胸中など、知る由も無かった。





No.92





 クルックシャンクスは、何度もスキャバーズを食ってしまおうとしていた。それを知りながら、ハーマイオニーはクルックシャンクスを放置していた。
 そう言って、ロンは怒り狂った。談話室の皆が唖然として見つめているのにも、気付かない様子だ。
「ちょっと落ち着きなよ、ロン――」
「ハリーだって知ってるだろ! あの猫は、いつもスキャバーズを食おうと狙ってた――」
「あの……でも……ベッドの下とかは?」
 ロンに気圧されたように黙り込んでいたハーマイオニーが、恐々と口を挟んだ。
 ロンは眉をぴくりと動かす。
「スキャバーズってあんなに小さいんですもの。寮内を全て捜した訳じゃないんでしょ?」
「こんな事になってまで、あんなケダモノを庇うって言うのか!?」
 クルックシャンクスをケダモノ呼ばわりされて、かちんと来たらしい。ハーマイオニーはサラを押し退け、ロンの正面に立ち彼を見上げた。
「だって、クルックシャンクスがスキャバーズを食べたって言う確固たる証拠がある訳ではないでしょう。その毛だって、クリスマスの時からあるのかも知れないわ。
確かにあの子はスキャバーズを追いかけていたけれど、捕まえた事なんて一度でもあった? あの子はじゃれているだけなのよ!」
「『じゃれている』? 猫が鼠を追うのが!?」
 ロンは、これはたまげたと言う風に大げさに目を丸くして見せる。
「この際だから言わせて貰うけど、ロン、貴方クルックシャンクスに偏見を持ち過ぎなのよ。ペットショップで、貴方の頭に飛び降りたって言うだけで!」
 言って、ハーマイオニーは机の上に散らかった教科書や宿題を乱雑に掻き集める。
 全てを抱えると、踵を返した。

 寮への階段の下で、サラは彼女を呼び止めた。
「ハーマイオニー、幾ら何でもあんな言い方は無いわ」
「何よ? サラも、あの人の意見に賛成なの? クルックシャンクスが、スキャバーズを食べたって?」
 言われて、サラは言葉に詰まる。
 ちらりとロンの方を振り返る。状況証拠からすれば、間違いなくクルックシャンクスが犯人だ。しかし――
「ハーマイオニー!」
 ハリーがこちらへと駆け寄って来た。ロンは、今度はフレッドやジョージに当り散らしている。
 そちらを盗み見るようにしながら、ハリーは言った。
「謝った方がいいよ。意地になるのも解らなくはないけれど――」
 ハリーの言葉に、ハーマイオニーの目つきが更に険しくなる。
「そう、ハリーもあの人の言う通りだと思ってるのね」
「だって、ほら――冷静に考えれば、この状況じゃそうとしか……」
 気遣うように遠回しに言うハリーを、ハーマイオニーはキッと睨みつけた。
「いいわよ。ロンに味方しなさい。どうせそうすると思ってたわ!
最初はファイアボルト、今度はスキャバーズ。皆私が悪いって訳ね! ほっといて、ハリー。私、とっても忙しいんだから!」
 ハリーやサラが制止する暇も無く、ハーマイオニーは女子寮への階段を駆け上がって行ってしまった。
 サラとハリーは困ったように顔を見合わせる。
「でも……サラも、そうとしか思えないよね?」
「いいえ」
 サラの返答に、ハリーは目を丸くする。
 サラは確固たる自信を持っていた。去年と同じだ。スリザリンの継承者の疑いが、ドラコに掛かった時と。
「クルックシャンクスはスキャバーズを食べてなんかいないわ。――私には判るのよ」
「それじゃ、サラはどうしてスキャバーズがいなくなったって言うんだ?」
 ロンがこちらへと戻って来ていた。剣呑な視線をサラに向けている。
 サラは首を振った。
「それは判らない。でも、クルックシャンクスではないわよ」
「ハーマイオニーを庇いたいだけじゃないか? サラの『予知とやら』なんて、当てになるもんか」
 サラの顔から表情が消える。静かな声で、サラは問うた。
「……どう言う意味?」
「そのままの意味さ。相当な自信がおありのようですけど、サラがおばあさんの才能を受け継いだなんて思えないね」
「でも、去年は何度も夢を見たじゃないか」
 ハリーが口を挟んだ。サラは感情の無い瞳でロンを見つめている。
 ロンは肩を竦めた。
「そんなの、それこそただの『予感』さ。偶然だよ。だって、全てを当てた訳じゃないだろ? ニックとジャスティン・フィンチ-フレッチリーの夢は見たか? 医務室に来るのも、コリンじゃなくてアリスだと思ってたそうじゃないか。そのくせ、アリスの事は夢で見ていなかったみたいだし」
 サラは言葉を返せない。
 ロンの話は事実だった。全てが全て、予見できている訳ではない。今年になって更に、思い当たる点も増えた。そして、ロンはその不安を言い当てた。
「少なくとも、占い学でのサラを見る限り、サラにそんな能力があるなんて思えないよ。物の見方は、僕より酷いぐらいじゃないか」
「……方法が合わないだけよ。夢だって、見ようと思って見られる訳でも、見まいとして見ずに済む訳でもないもの。――まだ不安定なんだわ」
 サラはしどろもどろに言う。
 当然、ロンが納得する筈も無かった。
「都合の良い言い訳だ! そこまでして、ハーマイオニーとあの猫を庇いたいのか?」
「言い訳じゃないわ! 本当よ。実際、初めてあの教室に入った時に水晶玉にも――」
「もういいよ! 庇いたいなら、庇っていればいいじゃないか。どうせ君はそうだろうと思ってたさ!」
 吐き捨てるように言うと、ロンは再び離れて行ってしまった。ハリーはハーマイオニーの去った階段の先へちらりと目をやり、サラの肩をぽんと叩くとロンの方へと向かう。
 フレッドやジョージに愚痴を言っているロンの背中を、サラは固い表情で見つめていた。





 ハーマイオニーは表面上ではロンに腹を立てつつも、内心クルックシャンクスが食べたのではと疑っている様子だった。ただでさえ大量の宿題に追われている上に、スキャバーズの件はハーマイオニーを更に追い詰めていた。クルックシャンクスはスキャバーズを食べてなどいない。サラはそう主張したが、それは慰めているとしか思われず、ハーマイオニーはいっそう惨めな様子になるだけだった。
 クィディッチの練習は試合が近付くにつれ更に忙しくなったが、それでも箒に乗っている間は数少ない息抜きとなった。
 レイブンクロー戦を控えた最後の練習の日、ハリーはロンをつれて来た。ロンと一瞬目があったが、彼はふいとそっぽを向いてしまった。
 サラとハリーの見張りの為に、フーチが練習の監視に来ていた。彼女は生徒に負けず劣らずファイアボルトに感激して、ハリーの箒を手にとり、ファイアボルトがいかに素晴らしい箒か熱弁した。フーチの熱弁は延々と続き、痺れを切らしたウッドがおずおずと口を挟んで箒を取り返した。
 フーチとロンが観客席へと向かうと、ウッドは明日の試合の指示を話し始めた。
「ハリー、たった今、レイブンクローのシーカーが誰だか聞いた。チョウ・チャンだ。四年生で、これがかなり上手い……怪我をして問題があると言う事だったので、実は俺としては直っていなければいいと思っていたのだが……」
 サラは肩を竦め、ハリーを横目で見る。随分前に、サラは彼女がシーカーだと知っていた。ウッドにも伝えたつもりでいたが、伝え忘れていたようだ。
 ウッドは続ける。
「しかしだ、チョウ・チャンの箒はコメット260号。ファイアボルトと並べば、まるでおもちゃだ」
 そう言って、ウッドはファイアボルトに熱い視線を注いだ。
「よし、皆、行くぞ――」
 この練習が、ファイアボルトの第一陣だった。ハリーは絶好調で飛び回り、選手達の歓声を浴びた。ウッドがスニッチを放すと、ハリーは易々とブラッジャーを追い抜き、あっと言う間にスニッチを探し出して捕まえてしまった。サラ達は歓声を上げる。
 ファイアボルトの存在は、ハリーのみならず、チーム全体に良い影響を与えていた。ウッドの指示は直ぐに通り、皆それぞれ完璧な動きを見せた。練習が終わり地上に降り立った時、ウッドは一言も文句を言わなかった。これは前代未聞だった。
「明日は、向かう所敵無しだ! ――ただし、ハリー、吸魂鬼問題は解決済みだろうな?」
 意気揚々とウッドは言い、ハリーに尋ねた。
「うん」
 ハリーは頷いたが、やや不安げな様子だった。
 フレッドが自信たっぷりに言った。
「吸魂鬼はもう現れっこないよ、オリバー。ダンブルドアがカンカンになるからね」
「まあ、そう願いたいもんだ。
兎に角――上出来だ、諸君。塔に戻るぞ――早く寝よう……」
「僕、もう少し残るよ。ロンがファイアボルトを試したがってるから」
「――私もいいかしら」
 サラの名乗りでに、ハリーは一瞬驚いた顔をした。ちらりと観客席の方に目をやったが、直ぐに頷いた。
「それじゃあ、俺達は先に帰る。ハリー、サラ、あまり遅くなるなよ。今日は早く寝るんだ」
「解ってるよ、ウッド」
 他の選手達は更衣室へと帰って行き、サラとハリーは連れ立って観客席へと向かった。サラを見てロンは僅かに眉を動かしたが、それでもファイアボルトの魅力には我慢出来ず、スタンドの柵を飛び越えて来た。フーチは観客席に座り、眠り込んでいた。

 ファイアボルトの乗り心地は最高だった。地面を蹴り、薄暗い空へと舞い上がる。力を加えると言うほど力を入れずとも、柄を少し操るだけで箒は直ぐに向きを変えた。急降下と急上昇を繰り返し、フィールドを端から端まで一直線に突っ切る。どんなに大きな動きをしても、スピードが速く、短い時間でいくつもの動きを試せた。ファイアボルトに乗った後だと、自分の箒が酷く遅く感じられた。
 辺りが真っ暗になった頃、漸くフーチは目を覚ました。何故起こさなかったのかと三人を叱り、早く城に帰るようにきつく言いつけた。
 ハリーにファイアボルトを返し、三人は並んで競技場を出た。ファイアボルトに乗った事で、ロンも随分と寛大になったようだった。ファイアボルトの素晴らしく滑らかな動き、驚異的な加速、寸分の狂いも無い方向転換などを三人は口々に喋り合った。ロンはもう、サラに対して何の嫌悪も無いように思われた。
 しかし、城までの道を半分程歩いた所で、ハリーが今全ての元凶となっている存在を見つけてしまった。気付かない振りをしてくれれば良かったものを、ハリーは驚き立ち止まった。
 ハリーが指差す先にあるのは、暗闇に光る二つの目。ロンが杖を出して唱えた。
「ルーモス!」
 青白い光に照らし出されたのは、枝の上で丸くなっているクルックシャンクスだった。
「失せろ!!」
 ロンは屈み込み、芝生に落ちている石を掴んだ。
 しかしサラがロンを止める必要も無く、クルックシャンクスは長い尻尾を一振りしていなくなった。
「見たか!?」
 ロンは石を投げ捨て、肩を怒らせて城へと歩き出した。
「ハーマイオニーは今でもあいつを勝手にふらふらさせておくんだぜ――恐らく鳥を二、三羽食って、前に食っておいたスキャバーズをしっかり胃袋に流し込んだ、ってとこだ……」
「クルックシャンクスは食べてないって言ったじゃない」
「まだそんな事を言ってるのか!?」
 ロンはキッとサラを睨む。サラは慌てて宥めるように言った。
「貴方が悲しむ気持ちも解るわ――でも、本当なのよ。確かなの。『分かる』のよ――確かに、占い学では何の力も発揮出来てないわ。でも、最初の授業の時に、水晶玉の中に何かを見たわ。それが未来の事なのか、その時現在の事なのか、過去の事なのか、判断出来なかったけど――あのね、本で読んだの。おばあちゃんも、予見には水晶玉を使っていたんですって」
 しかし、筋道立てて話した筈のサラの言葉は、ロンには何の理解も得られなかった。
「だから何だ? 結局、あの猫を庇ってる事には変わりないじゃないか!
大体、予言自体が不確かな物なんだ。マクゴナガルだって言ってたじゃないか。――サラのおばあさんだって、本当に未来を当てていたのか怪しいものさ」
 サラの目がすっと細くなる。暗がりの中、瞳には紅い光が見え隠れしていた。
「だってそうだろ? 例のあの人から多くの人を守ったって言ったって、そんな証拠何処にある? 予言した人が殺されなかったなら、元々殺される予定なんて無かったのかも知れないじゃないか。
殺されても殺されてなくても当たっていた事にされるなら、そりゃあ百発百中って事になるだろうよ」
「おばあちゃんの才能は本物よ!」
 サラは声を荒げる。不穏な風が、さっと芝生を撫でて行った。
 鋭い瞳でロンを睨みつける。ロンはやや怯んだようだった。けれど、彼は猶も言った。
「悪いけど、本当の事だよ。サラはおばあさんを慕ってるみたいだけど、本当にそんなに尊敬に値する人物だったのか? アラゴグの話だって、どうだ! あの蜘蛛が追放されてから、サラのおばあさんは一度も会いに行かなかったって言ってたじゃないか」
「あら。あの時の話を貴方が覚えてるなんて、驚きね」
「話を逸らすなよ。
大体、サラのおばあさんも世話をしていたんだろ? なのにどうして、ハグリッドだけが退学処分なんてなったんだ? サラのおばあさんは、ハグリッドも見捨てたのか!?」
「そんな事ある筈無いわ! ハグリッド、おばあちゃんと親しかったって言っていたもの。漏れ鍋で初めて会った時に――ねえ、ハリー?」
 突然話を振られ、ハリーは目を瞬いた。
「えっと、ごめん――何?」
「……もういいわ」
 静かに言うと、サラは足早に城へと帰って行った。ハリーが呼び止める間も無かった。





 グリフィンドール対レイブンクロー戦の朝、ハリーが入って来た途端大広間は騒然とした。
 ハリーの周りは、同じ寮の生徒達が護衛のように取り巻いていた。大広間中の視線がハリーに注がれ、彼が通るのに応じて囁き声が波のように伝わって行く。普段は目立つ事を鼻に掛けたりしないハリーだが、今日ばかりは何処か得意気だ。
「……ファイアボルトだ」
 アリスの隣に座っているハーパーが、衝撃を受けたような顔をして呟いた。
「プロが使うような箒だよ。――でも、まさか……本物か?」
 見れば、ドラコも唖然としてハリーの箒を見つめていた。
 クラッブは皆が何に驚いているのか解らず、ベーコンを咥えたままきょとんとしていた。彼に説明する間も、ドラコの視線はグリフィンドールの席へと落ち着いた箒に釘付けだ。ゴイルは、周囲の様子にさえ気付かずパンやスクランブルエッグを食らっている。
 有名な箒なのか。傍で見てみたい気もするが、スリザリンのこの空気では行くに行けない。隣で満足げな表情をするハーパーに、腹が立った。
 ドラコは席を立ち、グリフィンドールの席へと歩いて行った。クラッブとゴイルも席を立ち、後に続く。何やら一心に説明していたハーパーも、黙り込み様子を見守る。
 二言、三言話し、ドラコは肩を怒らせゆっくりと戻って来た。表情からして、嫌味を言ったものの打ち返されてしまったようだ。
 ドラコが席に着くなり、選手達が一斉に額を寄せ合ってドラコに本物だったか尋ね出した。ザビニや、ちゃっかりとハーパーもその輪に加わっている。
 そしてアリスは、その中にパンジーがいる事に気がついた。隣に寄り添いこそしないものの、ドラコと話すのが楽しそうな様子だった。

 朝食の後、アリスはハーパーに捕まる前にと大広間を出た。ジニーでも待とうかと思っていると、パンジーが出て来た。どうやら、アリスを追って来たらしい。軽く笑いかけ、こちらへと来る。
「ねえ、アリス。貴女もクィディッチ戦観るでしょう? 一緒に行きましょう。――寮対抗は、同じ寮同士の方が楽しいわよ」
 ジニーと行こうとしているのを見抜いたのか、パンジーはそう付け加えた。
 アリスは口を噤む。パンジーを拒むつもりは毛頭無い。寧ろ、再び目を掛けてくれるなら一緒にいるに越した事は無い。しかし、パンジーといると言う事は、ドラコもだと言う事だ。
 アリスは、おずおずと尋ねた。
「……辛くは、ないの?」
「え?」
「ドラコ……サラと付き合い出しちゃったじゃない?」
 躊躇いがちに、アリスは言った。
 アリスは、サラとの間を取り持った事がある。パンジーへの裏切り行為だった。
 パンジーの顔から、笑顔が消える。真剣な表情で、彼女は言った。
「だって私、ドラコの事好きだもの」
 アリスは目を瞬く。
 だから、片想いで辛くはないのかと尋ねたのに。
「私は、私を好きになってくれるドラコを好きなんじゃないわ。ドラコ自身を好きなのよ。
私は友達としてでも、ドラコと一緒にいたいわ。だって、好きな人と一緒にいるのって、幸せな事でしょう?」
 アリスはぽかんとパンジーを見つめる。そして、ふっと笑った。
「――逞しいのね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
 そう言って、パンジーも笑う。
 二人は連れ立って、玄関ホールを横切って行く。まだ試合開始には早いが、パンジーは早めに行って良い席を取っておきたいのだろう。
「そう言えば――休暇前の話だけど、ありがとう。ずっと言えなかったから」
 アリスの言葉に、大扉を開けようとしたパンジーの手がふと止まる。
「パンジーが釘を刺してくれたのでしょう? 少し前に、あんな事を言っていた後だもの」
「勘違いしないで。貴女の為だけじゃないわ。――その時に、言ったでしょう? 私自身も迷惑になって来たからよ」
「主犯格が誰だったのか……若しかして、判ってるんじゃない?」
「貴女も知りたいの?」
「『貴女も』って……」
「サラ・シャノンもね、聞いてきたのよ。彼女、貴女達が塔から落下した事で、随分とスリザリン生に腹を立てていたみたいだったわ。――そうね。彼女から守る為もあったかも」
 そう言って、パンジーは肩を竦める。
「教えたの?」
「言う筈無いじゃない。私は、彼女の怒りを晴らす為に貴女を守ったんじゃないわ」
 パンジーは、樫の扉を押し開いた。
 外の芝生は朝露に濡れ、太陽に照らされ輝いていた。


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2010/03/04