やがてダフネ・グリーングラスがやって来て、ちらほらと観客達がクィディッチ競技場に集まり始めた。試合開始の三十分前には、アリス達は周囲をスリザリン生達に囲まれていた。見渡す限りどの席も埋まっている。アリスは、ひんやりとした風に身を震わせた。
「態々早くから来なくても、交友関係広いんだから入れてもらえたんじゃない?」
 きょろきょろと観客席を見回すパンジーに、アリスは尋ねる。パンジーは、アリスの方は振り向かずに答えた。
「まず入れてくれるような友達が、必ずしも良い席を取っているとは限らないじゃない」
「ドラコ?」
 ダフネが短く尋ねた。パンジーは、城の方から流れてくる生徒の群れを首を長くして見つめている。
「ええ。もう、あと十分で始まるのよ。なのに、まだ来ないなんて……何かあったのかしら……」
 アリスも、急ぎ足で競技場へと押し寄せる人ごみに目を凝らす。
 このグリフィンドール対レイブンクロー戦は、スリザリンにとっても重要な試合となる。胸を張ってフェアとは言い切れないプレーの為もあるが、スリザリン・チームは強い。クィディッチの寮杯は毎年、スリザリンが手にしている。しかし、ここ三年間、グリフィンドール・チームにだけは勝てずにいた。この試合で若しグリフィンドールが勝つような事があれば、彼らは二位へと浮上する。スリザリンとグリフィンドールの直接対決がそのまま、寮杯の行方を左右する事になるのだ。誰もが、今日の試合に注目していた。
 ドラコも例外ではない。あれ程にも、この試合の行方を気にしていたと言うのに。
 そしてドラコが現れぬまま、試合は始まってしまった。リー・ジョーダンによるファイアボルトの解説が流れ、マクゴナガルの叱責する声がする。
「横、いいかい?」
 ハーパーだ。ちらりと振り返り、アリスは素っ気無く頷いた。
「どうぞ」
 グリフィンドール・チームが先制点を入れた。紅い旗がはためく観客席で、激しい歓声が挙がる。
 クァッフルを抱えたレイブンクロー選手がゴールへと飛ぶが、パスをした際にグリフィンドール選手に奪われてしまった。クァッフルはサラに回される。レイブンクローの選手が追いつく間も無く、サラは前方へとクァッフルを投げた。チームの仲間がキャッチし、シュートする。グリフィンドール、得点。わっと歓声が挙がる。
 目まぐるしい試合を前に、パンジーはまだきょろきょろと観客席を見回していた。アリスは、ハーパーを振り返った。
「ねえ、ドラコは見た?」
「ああ」
 ハーパーは頷き、続けた。
「来る時に見たよ。城を出る時に――ローブを持って、四人で何かこそこそやってたな」
「四人? ブレーズでも一緒だったの?」
「フリントが一緒だったんだ」
 一体何をしていたのだろう。訝りながらも、アリスは聞いたそのままをパンジーに伝える。パンジーも、彼が何をしようとしているのか解らずきょとんとしていた。
 また、何か馬鹿な事でも企んでいるのだろうか。





No.93





「グリフィンドールのリード。八十対〇。
それに、あのファイアボルトの動きをご覧ください! ポッター選手、あらゆる動きを見せてくれています。どうです、あのターン――チャン選手のコメット号は到底敵いません。ファイアボルトの精巧なバランスが実に目立ちますね。この長い――」
「ジョーダン! いつからファイアボルトの宣伝係に雇われたのですか!? 真面目に実況を続けなさい!」
 これで何度目だろう。サラは苦笑しながら、アンジェリーナの下に回ってクァッフルを受けとる。試合が始まってからと言うもの、リー・ジョーダンは度々ファイアボルトについて語っては、マクゴナガルに叱られていた。
 レイブンクロー・チームのパスをカットし、ケイティにクァッフルを投げる。ゴールへと飛びながら、再びパスを受ける。正面に現れたレイブンクローの選手を避け、フェイントをかけつつケイティにクァッフルを戻す。ケイティは受け取るなり、前へパス。先にゴール前へと飛んでいたアンジェリーナが受け取った。飛んで来たブラッジャーは、フレッドによって打ち返される。アンジェリーナが腕を大きく振りかぶる。豪速のクァッフルが、リングの中を通り抜けて行った。観客席から歓声が上がる。
 大きく差をつけていたグリフィンドール・チームだが、試合が進むにつれなかなかシュートも入りにくくなっていった。レイブンクロー・チームも、こちらの動きに慣れてきたらしい。
 レイブンクローの応援席から、歓声が挙がった。レイブンクロー・チームが得点したのだ。
 サラは口を真一文字に結び、パスを受けに行く。アンジェリーナから受け取り、ケイティへ。同時に、ブラッジャーがケイティを襲った。
 取り落としたクァッフルは、レイブンクローの手に渡る。即座に方向転換し、クァッフルを追う。サラが追いつく直前に、クァッフルはまた別の選手へとパスされた。間にアンジェリーナが飛び込んだものの、タッチの差で届かない。クァッフルを抱えた選手は、ゴールへと一直線に飛んで行く。クァッフルを目で追いながら、ゴールへと向かうレイブンクローの選手を追う。ブラッジャーが襲いかかり、避けた隙にクァッフルがゴール前の選手へとパスされた。ウッドのナイスキープ。
 体制を直し、クァッフルを受け取る。ディフェンスをかわし、不意に下へクァッフルを落とす。アンジェリーナがキャッチし、ケイティへ。襲いかかったブラッジャーは、ジョージが打ち返す。
 再びサラへと回って来ようとしたクァッフルは、レイブンクローの選手に奪われた。急旋回し、クァッフルを追う。アンジェリーナがレイブンクロー選手の行く手を遮る。パスカットに向かおうとしたサラの肩を、強い衝撃が襲った。弾き飛ばされ、観客席間際で箒の柄を持ち上げる。レイブンクローが二点目を入れていた。九十対二十。
 その後、またレイブンクローが得点を入れ、点差を六十まで縮めて来た。
「押されるな! 勝負はまだ、こっちの優勢だ!」
 ウッドの怒号が飛ぶ。
 グリフィンドールが得点したものの、レイブンクローは更に二点入れ、点差は五十まで縮まってしまった。もしここでチョウ・チャンがスニッチを掴もうものなら、グリフィンドールは優勝杯争奪戦から脱落してしまう。レイブンクローに行きかけていた流れを、必死で食い止める。これ以上点差を広げる訳には行かなかった。
 クァッフルを受け取り、ディフェンスをかわす。フェイントをかけ、パスを回す。ブラッジャーは打ち返される。どちらのキーパーもクァッフルに食いつき、決して逃さない。

 激しい攻防戦の中、観客席がわっと沸いた。上空でハリーが加速していた。弾丸のようにグリフィンドールのゴールへと向かう。誰もがそちらに気を取られた。ハリーの行く手にチョウが現れる。しかし彼女はまだ加速出来ていない。大丈夫だ、あのスピードであの距離なら、ハリーの方が先に辿り着く――しかし、ハリーは大きくコースを逸れた。サラはぽかんとする。ウッドが叫んだ。
「ハリー、紳士面してる場合じゃないぞ! 相手を箒から叩き落せ。やるときゃやるんだ!」
 スニッチは既に姿を消していた。サラは、相手チームのチェイサーへと向き直る。他の選手達も我に返り、試合は再開した。ハリーとチョウは、再び試合より上空へと戻って行った。
 間も無く、再び観客席が沸き立った。リー・ジョーダンが興奮して実況する。
「ポッター選手、またも急降下です! スニッチを見つけたのか――?」
 ぴったりとハリーの後につくようにして、チョウも急降下している。しかしハリーは、直ぐに急転回し上昇した。突然の動きに対応出来ず、チョウはそのまま降下する。サラ達の辺りを少し通り越した所で、彼女は体制を立て直した。
 ハリーは再び加速していた。今度は確かだった。レイブンクロー側のフィールドの上空で、小さな金色が光っている。
 観客席がざわめいた。サラのマークしていたレイブンクローの選手が、ハッと息を呑む。
 彼らの視線を追って地上に目をやり、サラも息を呑んだ。三つの黒い影が競技場に入って来ていた。頭巾を被った、長身の影。それは吸魂鬼の特徴だ。しかし、直ぐに気がついた。この気配は――
 白銀色の影が、サラの背後からすり抜けて行った。サラは目を瞬く。振り返れば、ハリーが杖を握ったまま遠ざかって行く所だった。杖を持ったままの手を伸ばす。遥か下方では、三つの影がその場に倒れたのがわかった。
 ホイッスルの音がクィディッチ競技場に鳴り響いた。試合終了。ハリーがスニッチを取った――グリフィンドールの勝利だ。
 サラは真っ直ぐにハリーの方へと飛んで行っていた。ハリーを強く抱きしめる。他のチームメイト達も、ハリーを取り合いするかのように抱き締めていた。下方からは、グリフィンドール生達の大歓声が聞こえる。
 ハリーが箒から落ちそうになりながらも、グリフィンドール・チームの面々は地上へと降り立った。グリフィンドール生達がロンを戦闘に、柵を越えフィールドへと飛び込んでくる。
 サラは杖を出し、辺りを見回した。
「モビリアーブス」
 地面に転がっている三つの影に向かって、杖を振る。四人の身体はそっと地面から浮き上がり、フィールドの端へと移動した。たった今まで、彼らの身体があった箇所を大人数が駆け抜ける。
 普段ならば彼らに腹を立てていたところだが、今はそれよりも勝利への喜びの方が大きかった。それに、恐らくハリーは守護霊の呪文を使った。ドラコ達四人も、十分に懲りた事だろう。





 グリフィンドールは、まるでもう優勝杯を勝ち取ったかのようなお祭り騒ぎだった。試合終了からずっと、夜までパーティーは続いた。フレッドとジョージが持ってきたバタービールやハニーデュークスの菓子袋が、尚更皆を盛り上げた。彼らの事だ、学校を抜け出してホグズミードまで行って来たのだろう。シリウス・ブラックがこの辺りに潜伏しているかも知れないのに。サラは僅かに眉を動かしたが、何も言わなかった。
 ハーマイオニーは、彼らの行動に眉を顰める事もしなかった。それどころでは無かった。談話室の隅にある机に数々の本を広げ、宿題に追われていた。サラの持って来た菓子が、机の端に少しずつ積まれて行く。
 宿題ばかりは、どうしようもない。締切が延びる事は無いのだ。この高揚感を一緒に楽しみたいとも思ったが、サラは邪魔をせぬようにただ度々ハーマイオニーに菓子を持って行った。
 何度目かに菓子を持って行った時、丁度、ハーマイオニーは一つの教科を終えたところだった。サラの持ってきたかぼちゃフィズを飲み、マグル学と思われる分厚い本を取り出す。
 ハーマイオニーがそれを読み出す前に、サラは急いで口を挟んだ。
「ねえ、ハーマイオニー。あまり長時間続けても疲れるだけだと思うの。休憩も必要だわ」
「休憩なら教科の合間にとってるわ。お菓子、ありがとう。
下手に間に他の事を挟んじゃうよりも、はかどってる内に進めちゃいたいのよ」
 そう言って、ハーマイオニーは「イギリスにおけるマグルの家庭生活と社会的慣習」の表紙を開いた。サラは肩を竦め、再び菓子のタワーを積み上げる作業に戻るしか無かった。

 傾いて来た菓子タワーをサラが修正していると、ハリーが輪の中を抜けてこちらへとやって来た。宿題をしているハーマイオニーを見て、やや驚いたように尋ねる。
「試合にも来なかったのかい?」
「行きましたとも。それに、私達が勝ってとっても嬉しいし、貴方もサラもよくやったわ。
でも私、これを月曜までに読まないといけないの」
「いいから、ハーマイオニー、こっちへ来て何か食べるといいよ」
 ハリーはちらりと背後を振り返る。彼の視線の先が、ロンを捉えているのが分かった。ロンは他の生徒達と共にフレッドとジョージの曲芸を取り囲み、手を叩いて笑っている。
 ハーマイオニーは顔を上げようともしなかった。
「無理よ、ハリー。あと四二二ページも残ってるの!
どっちにしろ――」
 ハーマイオニーはちらりと視線を上げ、ロンのいる方を見た。
「あの人が私に来て欲しくないでしょ」
 まるでこの言葉が聞こえていたかのように、ロンが聞こえよがしに言った。
「スキャバーズが食われちゃっていなければなぁ。ハエ型ヌガーが貰えたのに。あいつ、これが好物だった……」
 ハーマイオニーはワッと泣き出した。本を栞も挟まずに閉じ、女子寮へと走って行ってしまった。
 サラはくるりとロンを振り返った。
「いい加減にしなさいよ!」
「何をだ? 僕はただ、思った事を言っただけさ。食われちまったペットを悼むぐらい、僕の勝手だろ」
「もう許してあげたら?」
 サラが更に言い返そうと口を開くのを遮り、ハリーが言った。
 しかし、ロンは断固とした態度だった。
「駄目だ。
あいつがごめんねって言う態度ならいいよ――でもあいつ、ハーマイオニーの事だもの、自分が悪いって絶対認めないだろうよ。あいつったら、スキャバーズが休暇でいなくなったみたいな、未だにそう言う態度なんだ」
「ハーマイオニーを責めるなんて、お門違いもいいところよ。クルックシャンクスはスキャバーズを食べてないって言うのに!」
「また擁護か? 君の『自称予知』なんて当てにならないって、何度言ったら解るんだ? そう言えば、君も同じだったな。自分が間違ってるって、絶対に認めたくないんだ!」
「あーら、間違ってるのはどっちかしら?」
 サラは高飛車な声色で問い返す。自分の能力は確かに心許無いが、祖母まで言われた事はまだ根に持っていた。
「僕は被害者なんだ! あいつを庇うなんて、どうかしてるよ」
「確かな証拠がある訳でも無いのに疑って責めるのは、どうかしてないって言うの?」
「君はただ、自分の間違いを認めたくないだけだろ! 今まで尊敬していたおばあさんの能力が、イカサマだって認めたくないから――」
「イカサマなんかじゃないわ! 勝手な事を言わないで!」
「それじゃあ、それこそちゃんとした証拠を出してみろよ! どうせ君が受け継いだとしたって、予知能力なんかじゃなくてイカサマの能力だろ」
「まだ言う気!?」
 懐に伸びた腕は、ハリーに押さえられた。
 サラの腕を押さえたまま、ハリーはロンを振り返る。
「言いすぎだよ、ロン。今、サラのおばあさんの事は関係無いだろ。
サラも、君の気持ちは解らなくもないけど、もっと言葉を考えないと。ロンは、スキャバーズを本当に大事に思ってたんだ……色々言ってたけど、ペットが可愛くない訳ないだろ。サラだって、エフィーが同じ事になったらどう思う?」
 サラは言葉を詰まらせる。
 ふいと背を向けると、女子寮へと戻って行った。

 寝室へと近付くと、すすり泣く声が聞こえて来た。
 ハーマイオニーは、ベッドの上で膝を抱え泣いていた。そっと戸口に姿を現したサラに、一瞬潤んだ瞳を向ける。しかし直ぐにまた突っ伏してしまった。
 サラは戸惑いつつも、ハーマイオニーの隣に腰掛ける。恐る恐るハーマイオニーの背中に手をやり、宥めるように撫ぜた。特に嫌がる様子は無い。サラは黙って、ハーマイオニーの背中を撫で続けた。
 幾らか落ち着いて来て、ハーマイオニーはしゃくり上げながら、ぽつりぽつりと話し出した。
「私も……本当は、そうなのかも知れないって思ってるのよ……」
「……うん」
「で、でも……どうしたらいいか解らないの。だって……何を言ったって、取り返しがつかないのよ……!」
 これには、頷くという種類の相槌は不味い。
「ロン、もう、きっと私の事許してくれないわ……! ロンとも仲直りしたいけど、クルックシャンクスだって大切な子なのよ……でもロンはきっと、そんなの許さない……」
 ――クルックシャンクスは、スキャバーズを食べてなどいない。
 けれどその言葉は、今のハーマイオニーにとって何の慰めにもならないのだ。
『サラだって、エフィーが同じ事になったらどう思う?』
 ふくろうも鼠を食べる。若し、男子寮にあったのがエフィーの羽根だったら。ハーマイオニーがどんなに理論立ててエフィーではない可能性を導き出してくれたとしても、それは何の意味も成さないだろう。サラが――今のハーマイオニーが気にかけているのは、そう言う問題ではない。
「……大丈夫よ、ハーマイオニー」
 サラは、そっと話しかける。
「ロンだって、こんな事で絶交なんてしたくない筈だわ。謝れば許すって、そう言っていたもの――彼の目には、あの日のまま意地を張ってるように見えてるみたい。それだけだから、大丈夫」
「……本当?」
 ハーマイオニーは、そっと顔を上げる。
 サラは微笑んだ。
「ええ。明日にも謝りましょう」
 サラも、彼に言い過ぎた。
 祖母を貶されたのは、腹立たしい。クルックシャンクスは食べていないと言う意見を曲げる気も無い。
 けれど、自分の思う真実の主張ばかりが正しいとも限らないのだ。





 パーティーは、日付の変わった夜中の一時まで続いた。サラとロンの口論で場の空気が剣呑になったものの、フレッドとジョージがおちゃらけて、直ぐにまた盛り上がらせた。まるでジェームズとシリウスのようだ、とナミは思う。彼らも、どんなに暗いニュースが飛び込んで来ようとも、直ぐに皆の顔に笑顔を戻した。
 マクゴナガルに解散させられ、寮に戻る間もラベンダーとパーバティは、クィディッチやパーティーでの双子の曲芸の話をしていた。それでも、散々はしゃいで疲れたのだろう。ベッドに入ると、直ぐに静かになった。騒ぎ疲れたのはナミも同様で、あっと言う間に眠りについた。

 平穏な眠りは、絶叫によって引き裂かれた。
 他の同室の子達も、カーテンから顔を突き出していた。やや寝ぼけ眼で、不安げにきょろきょろと見回す。
「ねえ、今、悲鳴が聞こえなかった?」
「やっぱり? 何処から――」
 談話室の方から、ざわめきが聞こえて来た。ナミは靴を履き、上着を羽織る。
「私、ちょっと見てくるよ」
 部屋を出て行くナミの背後で、ハーマイオニー達もごそごそとベッドを抜け出そうとしているようだった。
 廊下を駆けて行き、恐らく女子寮の先頭であろう子達に追いついた。談話室では、何人かの男子生徒達が問答をしていた。続々と男子寮から生徒達が出て来ている。女子の先頭に立つ監督生の子が、その場を一喝した。
「マクゴナガル先生が寝なさいって仰ったでしょう!」
「いいねえ。また続けるのかい?」
 暢気な事を言うのはフレッドだ。
「皆、寮に戻るんだ!」
「パース――シリウス・ブラックだ!」
 バッジを止めながら出てきたパーシーに、ロンが弱々しく訴えかけた。その名前に、ナミの顔が青ざめる。
「僕達の寝室に! ナイフを持って! 僕、起こされた!」
 沈黙が流れる。
 ナミは、暗い談話室に目を走らせた。――良かった、ハリーは無事だ。
「ナンセンス! ロン、食べ過ぎたんだろう――悪い夢でも――」
「本当なんだ――」
「おやめなさい! まったく、いい加減になさい!」
 マクゴナガルが肖像画の扉を勢い良く開け、入って来た。
「グリフィンドールが勝ったのは、私も嬉しいです。でもこれでは、はしゃぎ過ぎです。パーシー、貴方がもっとしっかりしなければ!」
 マクゴナガルは、確実にナミにも視線を向けていた。ナミが本来は大人である事を、当然彼女は知っている。
「先生、僕はこんな事、許可していません! 僕は皆に寮に戻るように言っていただけです。弟のロンが悪い夢に魘されて――」
「悪い夢なんかじゃない! 先生! 僕、目が覚めたら、シリウス・ブラックがナイフを持って、僕の上に立ってたんです」
「ウィーズリー、冗談はおよしなさい。肖像画の穴をどうやって通過出来たと言うんです?」
「あの人に聞いてください!」
 ロンはガドガン卿の肖像画を指差した。その手は震えている。
「あの人が見たかどうか聞いてください――」
 マクゴナガルはロンに疑るような視線を向け、外へと出て行った。
 談話室にいる全員が、息を殺して耳をそばだてていた。
「ガドガン卿、今し方、グリフィンドール塔に男を一人通しましたか?」
「通しましたぞ。ご婦人!」
 談話室の外にも、中にも、流れるのは沈黙だけだ。
「と――通した? あ、合言葉は!」
 マクゴナガルの声は震えていた。
 一方、ガドガン卿は誇らしげだ。
「持っておりましたぞ!
ご婦人、一週間分全部持っておりました。小さな紙切れを読み上げておりました!」
 再び談話室へと戻って来たマクゴナガルの顔は、蒼白だった。驚愕からか、怒りからか、彼女は震えていた。
「誰ですか――今週の合言葉を書き出してその辺に放っておいた、底抜けの愚か者は誰です?」
 ヒッと小さな悲鳴が沈黙を破った。
 震える手を挙げていたのは、ネビルだった。マクゴナガルは射抜くような視線をネビルに向ける。
 誰も声が挙げられないような空気の中、ハーマイオニーのひそひそ声がナミを呼んだ。驚きながらも、ナミは振り返る。ハーマイオニーは、マクゴナガルに負けず劣らず真っ青な顔をしていた。
「ねえ……サラは? ここには来てないの?」
 ネビルを怒鳴りつけようとしていたマクゴナガルも、その言葉に押し黙った。言い知れない衝撃が、その場にいる者達の間を駆け抜ける。
 ハリーが駆け出した。しかし、あっさりとマクゴナガルに受け止められる。
「放してください! サラはブラックを追ったんだ! サラは――サラが――」
「落ち着きなさい、ポッター! 直ちに私達が捜索します! 貴方達はここで――」
 グリフィンドール生達に向かって話すマクゴナガルの横を、金髪の少女がすり抜けて行った。誰にも引き止める間を与えず、彼女は肖像画の扉を弾くように開き、談話室を飛び出して行く。
「駄目です! 戻って来なさい――ナミ!!」
 マクゴナガルの呼ぶ声は、空しく廊下に響いた。


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2010/03/15