「――はい。ハグリッド先生は確かに教えてくださっていました。ヒッポグリフは自尊心が強い、貶してはいけない、お辞儀をしてから近づくように、と。私達も授業としてヒッポグリフに触れましたが、ドラコ・マルフォイ以外は誰も怪我なんてしていません。彼がバックビークに『醜いデカブツの野獣』と話しかけたのを、あの場にいた多くの生徒が聞いています。――明らかに、ミスター・マルフォイの過失です」
証言を終え、サラは口を閉じる。
「『ドラコ・マルフォイ以外は誰も』? 君自身、怪我をしたのでは?」
「ええ。でもそれは、彼が貶した際で――」
「良いですかな?」
ルシウス・マルフォイだ。
裁判官は頷き、彼は立ち上がった。
「つまり、誰かが気に食わないことを言えば、誰彼構わず周囲の人物を襲う――どうも、そう言う事のようですな」
「違います! 私は自ら間に入ったのであって――」
「発言中に、むやみに口を挟まないように!」
サラは口を噤む。
サラはあくまでも、状況説明の為の証人でしかなかった。尋ねられた事以外の説明は出来なかった。
ハグリッドの弁護の番となったが、それまでの流れに圧倒されてしまっていた。メモをぽろぽろと落とし、発言もままならない。
「――その記録は、一二九六年のマンティコアの話ですか? 確かにその時の被告は、放免となった――」
「え――あー――多分――」
ハグリッドはオロオロと返答する。
サラは、控えの席から身を乗り出した。
「違います! 一六二九年の――」
「部外者は口を挟まないように!」
ぴしゃりと言われ、サラは黙り込む。
ハグリッドが全てを説明出来ぬままに、マルフォイ氏が再び立ち上がった。
「どうやら彼でも、ヒッポグリフの弁護は困難らしい……。
機嫌を取っていれば大人しいが、ただの一言でも気分を害する事を言えば、暴れまわる。このような凶暴な獣を子供達の傍に置いておくのは、非常に危険極まりない――私はそう思いますな」
委員会の者達は、「尤もだ」と言うように相槌を打つ。
サラは目を見張った。全員が頷いていたのだ。
マルフォイ氏は続ける。
「――となれば、選択肢は一つしか無いでしょう。このような危険生物は、学校内に置いておけない。既に、子供達に怪我を負わせたとなれば――厳正なる処分が必要でしょう」
マルフォイ氏が席に着き、最終判決が下される。
バックビークの無罪を主張するのは、たった二人。サラとハグリッドだけだった。委員会の者達の対応、公平に見せかけてルシウス・マルフォイへの発言の優遇――委員会は既に、圧力をかけられていた。裁判を行う前から、この結果は決まっていたのだ。
ハグリッドはその場に泣き崩れる。委員会の者達が退席して行く中、サラは呆然と席に座ったままだった。
No.95
裁判の結果は、ハーマイオニーからハリーとロンにも伝わっていた。互いにスキャバーズの件は水に流し、元通り四人で一緒にいるようになった。
ブラックの侵入以来、警備体制は厳重になり、日が暮れてからハグリッドの所へ行く事は出来なかった。ハグリッドに会えるのは、魔法生物飼育学の授業中のみだった。
授業が終わり、城へと帰る間、生徒達を引率するハグリッドに四人は並んで歩いた。ハグリッドは、判決のショックで放心状態だった。
「皆俺が悪いんだ。舌がもつれっちまって。皆黒いローブを着込んで座ってて、そんでもって俺はメモをボロボロ落としっちまって、ハーマイオニーとサラがせっかく探してくれたいろんなもんの日付は忘れっちまうし。
そんで、その後ルシウス・マルフォイが立ち上がって、奴の言い分を喋って、そんで、委員会はあいつに『やれ』と言われた通りにやったんだ……」
「まだ控訴がある!
まだ諦めないで。僕達、準備してるんだから!」
ロンは熱を込めて話す。
しかし、ハグリッドは悲しそうに言った。城まで辿り着いたところだった。
「ロン、そいつぁ駄目だ。あの委員会は、ルシウス・マルフォイの言いなりだ。
俺はただ、ビーキーに残された時間を思いっきり幸せなもんにしてやるんだ。俺は、そうしてやらにゃ……」
ハグリッドは踵を返す。ハンカチに顔を埋めながら、急いで小屋へと戻って行った。
諦めてはいけない。そうは思うが、ハグリッドの言う事も尤もだった。ルシウス・マルフォイは委員会に圧力をかけている。控訴したところで、あの裁判で判決がひっくり返るとは到底思えなかった。
サラも証人として同行したのに。なのに、何の意味も無かった。何の力にもなれなかった。寧ろ、サラが足を引っ張っていたかも知れない。マルフォイ氏は、侮辱した訳ではないサラも怪我をしたという事実を、武器にした。怪我をした生徒が複数だと言う事も、挙げていた。怪我を負ったが、バックビークの所為ではないと証言する――庇うのに強力な立場だった筈が、逆手に取られてしまったのだ。
ドラコも、結局怪我をした事には変わりは無い。サラは無駄な事をしただけだったのか。
「見ろよ、あの泣き虫!」
サラは顔を上げる。玄関ホールに入った所に、ドラコ、ビンセント、グレゴリーの三人がいた。扉の裏に隠れて、聞き耳を立てていたようだ。
「あんなに情けないものを見た事があるかい。しかも、あいつが僕達の先生だって!」
サラは口を開いた。
しかし、それより先にふさふさの栗色の髪がサラの前へと出た。バシッと身の竦むような音が玄関ホールに響く。
よろめいたドラコの頬は、赤くなっていた。その場の誰もが唖然とし、怒りも何もかも忘れて立ち竦んでいた。
ハーマイオニーは更に手を振りかぶる。
「ハグリッドの事を情けないだなんて、よくもそんな事を! この汚らわしい――この悪党――」
「ハーマイオニー!」
ロンが混乱しつつも、ハーマイオニーの手を押さえた。
「放して! ロン!」
ハーマイオニーはもう片方の手で杖を取り出す。ドラコは後ずさりした。ビンセントとグレゴリーは、困惑したようにドラコを見つめる。
「行こう」
ドラコがそう呟き、三人は慌てて地下牢に続く階段へと去って行った。
「ハーマイオニー!」
再び呼びかけたロンの声には、驚きと賞賛が入り混じっていた。
ハーマイオニーはぐるんと振り返る。サラとハリーは思わず身を竦めた。
「ハリー、サラ、クィディッチの優勝戦で、何が何でもあいつをやっつけて! 絶対に、お願いよ。スリザリンが勝ったりしたら、私、とっても我慢出来ないもの!」
「もう『呪文学』の時間だ。早く行かないと」
ロンが促し、四人は呪文学の教室へと急いだ。階段や廊下にはもう、生徒の姿は無い。
「三人共、遅刻だよ!」
ハリーが扉を開け、フリットウィックが咎めるように言った。
サラはきょとんとする。――三人?
「早くお入り。杖を出して。
今日は『元気の出る呪文』の練習だよ。もう二人ずつペアになっているからね――」
サラは廊下を振り返る。人っ子一人いない。猫や、ゴーストさえも――肖像画達が散歩したりお茶会をしたりしているだけだ。
急いでハリーとロンの後に続きながら、ひそひそと尋ねた。
「ハーマイオニーは?」
「え?」
二人も振り返り、後ろの席へと行きながら教室を見回した。
鞄を置き、ハリーが行った。
「変だなあ。きっと、トイレとかに行ったんじゃないか?」
しかし、呪文学の授業中、ハーマイオニーが戻って来る事は無かった。
昼食の席でもハーマイオニーは見つからず、グリフィンドールの談話室へ行って漸くハーマイオニーを見つけた。ハーマイオニーは数占いの教科書の上に頭を乗せ、ぐっすりと眠り込んでいた。ハリーがそっと突いて起こすと、ハーマイオニーは驚いて辺りをきょろきょろと見回した。
「ど、どうしたの? もう、授業に行く時間? 今度は、な――何の授業だっけ?」
「占い学だ。でも、あと二十分あるよ。
ハーマイオニー、どうして呪文学に来なかったの?」
「えっ? あーっ! 呪文学に行くのを忘れちゃった!」
「だけど、忘れようが無いだろう? 教室の直ぐ前まで僕達と一緒だったのに!」
「直ぐ隣にいたわよね?」
「何て事を!」
ハーマイオニーは涙声だ。
「フリットウィック先生、怒ってらした? ああ、マルフォイの所為よ。あいつの事を考えてたら、ごちゃごちゃになっちゃったんだわ!」
ロンはハーマイオニーが授業を取り過ぎて混乱していると指摘したが、ハーマイオニーは「ちょっとミスをした」と主張するだけだった。嵐のように捲くし立て、ハーマイオニーはフリットウィックの所へ謝りに行ってしまった。
二十分後、占い学の授業にはハーマイオニーもきちんと現れた。「元気の出る呪文」は、試験に出ると言っていた事があった。その授業を受けられなかった事を、ハーマイオニーは非常に悔やんでいた。
占い学の教室は、相変わらず薄暗くむっとしている。しかしいつもと違い、テーブルの上には生徒の人数分の水晶玉が置かれていた。水晶玉の中には真珠色の靄が詰まっていて、少ない光源に当てられ怪しく光っていた。
「水晶玉は来学期にならないと始まらないと思ってたけどな」
テーブルの脚がぐらぐら揺れる席に着きながら、ロンがひそひそと言った。
「文句言うなよ。これで手相術が終わったって事なんだから。僕の手相を見る度に、先生がギクッと身を引くのには、もううんざりしてたんだ」
最初の授業以来、トレローニーはサラをターゲットから外していた。代わりに、サラの分もハリーが事ある毎に絡まれていた。
サラは、テーブルの上に載った水晶玉に視線を落とす。初めて見た時のような情景は見られないが、靄は蠢き、まるで何かを待っているかのようだった。
「皆様、こんにちは!」
幽かな声と共に、トレローニーがいつものように芝居がかった登場をした。パーバティとラベンダーが興奮して身震いする。
トレローニーは、暖炉の火を背にして座った。
「あたくし、計画しておりましたより少し早めに水晶玉をお教えする事にしましたの。
六月の試験は球に関する物だと、運命があたくしに知らせましたの。それで、あたくし、皆様に十分練習させて差し上げたくて」
ハーマイオニーがフンと鼻を鳴らして言った。
「あーら、まあ……『運命が知らせましたの』……何方様が試験をお出しになるの? あの人自身じゃない! なんて驚くべき予言でしょ!」
サラは目を瞬いて、隣に座るハーマイオニーを見た。ハーマイオニーは、声を低くしようともしていなかった。
トレローニーは聞こえなかったかのように続けた。
「水晶占いは、とても高度な技術ですのよ……。珠の無限の深奥を初めて覗き込んだとき、皆様が初めから何かを『見る』事は期待しておりませんわ。まず意識と、外なる眼とをリラックスさせる事から練習を始めましょう」
ロンは笑いが堪えきれず、拳を口に突っ込んでいる。
サラは心配になって来た。ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人は、占い学に批判的だ。サラもトレローニー自身に対しては同意だが、水晶玉は待ちに待っていた授業だ。果たして三人は、実際取り掛かる際には静かにしていてくれるだろうか。
「――そうすれば、『内なる眼』と超意識とが顕れましょう。幸運に恵まれれば、皆様の中の何人かは、この授業が終わるまでには『見える』かもしれませんわ」
漸くトレローニーの話が終わり、生徒達は一様に作業に取り掛かった。
サラは、じっと水晶玉を見つめる。ずっと待ち望んでいた授業だ。今回ばかりは、何か見なくてはいけない。祖母は、予言に水晶玉を使用していた。祖母の能力は本物なのだ。サラは予知のような夢を見てきた。きっと、力は受け継いでいる筈だ。
しかし、水晶玉の中には白い靄しか見えない。ロンは引っ切り無しにクスクス笑っていて、ハーマイオニーは舌打ちを繰り返す。遂には、ハリーが話しかけてきた。
「何か見えた?」
「ウン。このテーブル、焼け焦げがあるよ。誰か蝋燭を垂らしたんだろな」
「まったく時間の無駄よ。もっと役に立つ事を練習出来たのに。『元気の出る呪文』の遅れを取り戻す事だって――」
サラは苛々と脚を動かす。
水晶玉の中には、一向に何も現れる気配が無い。やはり、自分には才能が無いのだろうか。昨年見た夢は、単なる偶然だったのだろうか――
「珠の内なる、影のような予兆をどう解釈するか、あたくしに助けて欲しい方、いらっしゃる事?」
トレローニーが傍を通り過ぎて行く。
ロンがからかうように囁いた。
「僕、助けなんか要らないよ。見りゃ解るさ。今夜は霧が深いでしょう、ってとこだな」
これには、思わずサラも、ハリーやハーマイオニーと一緒に吹き出した。
「まあ、何事ですの!」
トレローニーの声に、生徒達が一斉に振り返る。
「あなた方は、未来を透視する神秘の震えを乱していますわ!」
トレローニーはサラ達のテーブルへと近寄り、水晶玉を覗き込んだ。
サラは溜息を吐く。集中するのは更に困難になるだろう……。
「ここに、何かありますわ!」
やはりトレローニーは言って、水晶玉の高さまで顔を下げた。巨大なメガネが水晶玉の向こうからはみ出していた。
「何かが動いている……でも、何かしら?」
サラは無視して、自分の水晶玉に視線を戻す。
彼女の相手は、他に任せれば良い。水晶玉の中には、やはり靄しか見えない。
「まあ、貴方……」
集中しようとするサラを、トレローニーの言葉が邪魔する。トレローニーは、ハリーにじっと視線を注いでいた。
「ここに、これまでよりはっきりと……ほら、こっそりと貴方の方に忍び寄り、だんだん大きく……死神犬のグ――」
「いい加減にしてよ!」
ハーマイオニーが大声で遮った。
「また、あの馬鹿馬鹿しいグリムじゃないでしょうね!?」
トレローニーは巨大な眼をハーマイオニーへと動かした。立ち上がり、言い放ったトレローニーの声色には、明らかに怒りが含まれていた。
「まあ、貴女。こんな事を申し上げるのは何ですけど、貴女がこの教室に最初に現れた時から、はっきり解っていた事でございますわ。貴女には『占い学』と言う高貴な技術に必要な物が備わっておりませんの。まったく、こんなに救いようの無い『俗』な心を持った生徒には、未だ嘗てお目にかかった事がありませんわ」
クラス中が沈黙していた。サラは無表情でトレローニーを見上げる。
誰も、一言も発しない。
「結構よ!」
唐突に、ハーマイオニーが言った。立ち上がり、教科書を鞄に詰め始める。
ナミがラベンダーの隣で立ち上がった。
「ちょ、ちょっと、ハーマイオニー……!?」
「結構ですとも! やめた! 私、出て行くわ!」
ハーマイオニーは乱暴に鞄を肩に掛けると、肩を怒らせて出口へと歩いて行く。撥ね上げ戸を蹴飛ばして開け、その向こうへと姿を消した。
数分間、クラス中が呆気に取られたままだった。
トレローニーはグリムの事などさっぱり忘れて、息を荒げながらサラ達のテーブルを離れて行った。突如、ラベンダーが叫び声を上げた。皆、何事かとそちらを振り返る。座ろうとしていたナミは、驚いてひっくり返った。
「トレローニー先生。私、今思い出しました! ハーマイオニーが立ち去るのを、ご覧になりましたね? そうでしょう、先生? 『イースターの頃、誰か一人が永久に去るでしょう』――先生は、随分前にそう仰いました!」
トレローニーは、ラベンダーに向かって儚げに微笑んだ。
「ええ、そうですわよ。ミス・グレンジャーがクラスを去る事は、あたくし、分かっていましたの。でも、『兆』を読み違えていれば良いのにと願う事もありますのよ……『内なる眼』が重荷になる事がありますわ……」
これまでに無い程の侮蔑の言葉を生徒に言ったのは、どの口か。サラはそう思ったが、何も口にしなかった。
ラベンダーとパーバティは、トレローニーが座れるよう場所を空けていた。ナミはぎょっとしている。
ロンが、呟くように言った。
「ハーマイオニーったら、今日は大変な一日だよ。な?」
サラもハリーも、短く頷いた。
ハーマイオニーは、真っ直ぐグリフィンドール塔へ向かったのだろうか。今は授業中。教師に見つかったりでもすれば、面倒な事になりそうだ。ブラック侵入によって、城内の警戒も強くなっているのだから。
一人で誰もいないであろう廊下をうろついて、何も無ければ良いのだが……。警戒が強まったのだから、もうブラックの侵入は無いだろうと信じたい。ただ、こちらから探しに行かねばならなくなってしまうが。それでもやはり、友人が危険な目に遭うのは嫌だ。
ふと靄が揺れた。
サラはまじまじと水晶玉を見つめる。靄の中に、黒い影が現れていた。一心不乱にその影を凝視する。朧げな影は、徐々に形を作って行く。頭と身体がわかるようになり、四つの足が見え――
「サラ――サラ!」
大声で呼ばれ、サラは我に返った。
他の生徒達は皆出払っていて、残っている生徒はサラとハリーとロンだけだった。サラは目を瞬く。
「何――」
「もう、授業は終わったよ。呼んでるのに、全然気付かないんだもの」
ロンが不服そうに言う。二人共、一刻も早くこの教室から出たいと顔に書かれていた。
サラは慌てて教科書を鞄にしまい、席を立った。
「ごめんなさい――」
教室を出て行く前に、トレローニーが食いついてきた。
「何か見ましたの? 仰って御覧なさいまし。その『兆』が何を意味するのか、助言して差し上げられるかも――」
「――助言? 侮辱の間違いではありませんか?」
サラは冷たく言い放つ。最初の授業での彼女の言葉は、決して忘れない。
どの道、何を見たかなど誰にも言うつもりは無かった。トレローニーが正しかったなんて、認めたくない。
梯子を降りて、ハリーとロンにも尋ねられたが、サラは肩を竦めて言った。
「別に、何も見てないわ。――ちょっと、ウトウトしちゃったのよ。それだけ」
水晶玉に映ったのは、黒い犬だった。ブラックが侵入した晩に見かけた、あの犬だ。
まさか、あれがグリムだったのだろうか。あれがハリーに近付いて来ているのだろうか。確かにあの日、ブラックは侵入を遂げた……。
水晶玉の中に「見る」事が出来ても、サラはどうにも喜ばしい気分とは言えなかった。
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2010/03/24