クィディッチで優勝杯を勝ち取って一週間はその余韻に浸っていられたが、次第にそうもいかなくなって行った。外は晴れ渡り、暖かになって行く。
けれども夏が近づく事は、同時に試験が近づく事を意味していた。
ナミは何をしているのか、一人で寝室に引き篭もる事が多くなった。フレッドとジョージでさえ、勉強している姿を見かけるようになった。二人共OWL試験を控えているのだから、当然と言えば当然だ。パーシーはその更に上のレベルのNEWT試験を控えていて、日増しにピリピリしていった。談話室で騒ぐ者があれば、誰彼構わず厳罰を与えた。ハーマイオニーは、パーシーよりも更に気が立っていた。
ハーマイオニーがどのようにして大量な授業を受けているのか、サラ達は聞くのを諦めていた。けれども、ハーマイオニーの試験時間割を見て、我慢できなくなったロンが尋ねた。
「ハーマイオニー? あの――この時間表、写し間違いじゃないの?」
「何ですって?」
ハーマイオニーは予定表を引っ手繰るようにして取り上げ、確かめる。サラはそれを横から覗き込んだ。九時、数占い。その下にも、九時、変身術――呪文学と古代ルーン語も、一時で重なっている。選択教科を三つ取っている生徒は水曜の夕方に時間が作られていたが、ハーマイオニーはその時間に何も入っていない。同じ時間に二つ入る事で、一般的な時間枠で全て収めていた。
しかし、ハーマイオニーは大丈夫だと答える。
「どうやって同時に二つのテストを受けるのか、聞いてもしょうがない?」
「しょうがないわ。
貴方達、私の『数秘学と文法学』の本、見なかった?」
「ああ、見ましたとも。寝る前の軽い読書の為にお借りしましたよ」
ロンは茶化したが、小さな声だった。最近のハーマイオニーは、ちょっとした事でも直ぐに爆発してしまう。
ハーマイオニーを手伝って本を探していると、窓辺にヘドウィグが舞い降りて来た。ハリーが急いで、ヘドウィグの足に結び付けられたメモを外す。
「ハグリッドからだ。バックビークの控訴裁判――六日に決まった」
「試験が終わる日だわ」
三人が話すのを聞きながら、サラは黙って本を探していた。
裁判で委員会の現状を目の当たりにしたサラには、ただ空しいだけだった。
No.97
試験の日はあっと言う間にやって来た。
三年生の一番最初の試験は、変身術だった。昼食の時間、皆が燃え尽き灰になっている中、サラは次の呪文学の復習をしていた。いつもの通り、サラは何も問題無かった。悲惨になるであろう魔法薬学の分を補わなくてはいけないが、やれるだけの事はやった。今更終わった教科をどうこう言ってもどうにもならない。それよりも、いかに次の試験で高得点を得るかが重要だ。
呪文学も同様で、サラは試験結果よりも寧ろバックビークの控訴裁判の方が心配だった。
「僕の元気の出る呪文、あれ、元気出たか? 基準がどうなのか――」
「その辺にしとけよ、アーニー。あんまりどうこう言っても、終わったもんはどうしようも無いだろ」
エリはそう言ったが、内心はかなり不安だった。勉強すると、こんなにも結果が気になるものなのか。どれくらい成績を上げられただろう。セドリックやナミに手伝って貰ったのだから、多少の結果は出さなくては面目が立たない。
火曜日の午前中は、魔法生物飼育学だった。ハグリッドはバックビークの事ばかり気になっている様子で、心ここにあらずだった。テストはフロバーワームで、一時間後にまだフロバーワームが生きていれば合格だと言い渡した。これは非常に楽な課題だった。フロバーワームは放っておけば最高に調子が良い。この試験時間は、ハグリッドと話をする良いチャンスとなった。
午後の魔法薬学は、案の定の結果だった。サラの混乱薬は、どう見ても周りが作っている物と違った色、透明度、粘り気だった。材料も作り方も、全て暗記していると言うのに。一方、ナミは完璧な薬を仕上げていた。当然だ。ナミにとって、これは二度目の試験の筈なのだから。エリは試験中、一切スネイプの方を見なかった。
真夜中には天文学の試験だ。それから、水曜の朝には魔法史――エリは悲惨な結果だった。午後には薬草学。
この日は、サラはその後にももう一つ、古代ルーン語の試験があった。筆記科目の生徒達は一まとめの教室で、それぞれの科目の試験を受けた。殆どの生徒は二教科の選択らしく、実技科目の生徒達は他の場所で受けている事もあり、教室は半分も埋まっていなかった。
選択科目の無い二年生は、この日が最終日だった。アリスは相変わらず魔法が使えず、実技科目は散々な結果だった。皆の視線がアリスに集まり、ひそひそと自分の事を話しているような気がしてならなかった。何故、一人ずつでないのだろう。実技科目の教師達が恨めしかった。唯一、実技科目でも魔法薬学だけは完璧で、同寮生達にも感心され幾らか気分も持ち上がった。
魔法が使えないのはナミも同様だった。試験が近付き、寝室で一人で練習していたが、やはり駄目だった。しかしナミはアリスのように落ち込む事も無く、最早完全に開き直っていた。
闇の魔術に対する防衛術の試験は魔法生物を相手にした障害物競走のような物だったが、ナミは取っ組み合いと魔法薬で乗り切った。決して満点ではないが、零も逃れた筈だ。ただ、最後に設置されていたボガートはどうしようもなく、気絶する前に急いで立ち去るしか無かった。
エリはもう、ボガートに必要以上に怯える事も無かった。トム・リドルが自分達とどのような関係であろうとも、サラは大切な双子だ。過去の事も、遠い昔の事としか思わなかった。
サラはナミの対処法に呆れながらも、グリンデローのプールに足を踏み入れた。グリンデロー、レッドキャップ、ヒンキーパンクを、サラは授業で習った通りにかわして行く。
既に終わったハリー、ロン、ナミは、感心しながらそれを見ていた。最後はボガートだ。サラは授業の時、ボガートに当たっていない。一体何になるのだろう。
「ハーマイオニーだったら、零点になったテストとかだろうけど……。
そう言えば、ナミは何だった? 随分慌てて出て来たけど」
ロンがナミに尋ねる。
「吸魂鬼。ほら、私、吸魂鬼相手だと気絶しちゃうでしょ? リディクラスも使えないし」
「そう言えば、ナミが魔法使ってるのって見た事無いけど……」
「劣等生って奴よ。スクイブみたいなんだよね、私」
あまりにもあっさりと言うナミに、ハリーとロンは眼を瞬く。
ナミは肩を竦めて笑った。
「まあ、頑張るよ。劣等生は劣等生なりに。筆記で何とか巻き返したりね」
「そう言えば、グリンデローに素手で掴みかかってたね。何か飲ませてたけど――」
「混乱薬。ほら、昨日の試験で作ったでしょ?」
ハリーは何も尋ねず、ナミをじっと見つめていた。ずっと尋ねたかった事だ。だが、こんな場で聞いても良い物だろうか――
ナミが気がつき、振り返る。
「どうした? ハリー」
「え、いや……これ、聞いてもいいのかな……」
「言ってみな」
ハリーは迷っていたが、おずおずと口にした。
「ナミも吸魂鬼で気絶するって事は……ナミも、何か見てるのかなって思って……。ルーピン先生が言ったんだ。僕が気絶するのは、僕の最悪な記憶が酷い物だからだって……ヴォルデモートの――」
「その名前、言わないでよ。
私も似た感じだね。私もさ、父親を『例のあの人』に目の前で殺されたんだ。誕生日の日だった」
ハリーは目を瞬く。確か、サラも祖母が殺されたのが誕生日ではなかったか。いがみ合っている二人の、思わぬ共通点だった。
その時、トランクの中から悲鳴が聞こえて来た。
ルーピンが真っ先にトランクへと駆け寄る。ハリー達も急いでその後に続いた。ルーピンの後ろから中を覗き込み、ハリーは息を呑んだ。
そこには、一人の老婆の死体があった。何の外傷も無いが、瞳孔は開き切っていて、身動きも一切せず、死んでいる事は確かだった。団子にした金髪は中途半端に解け、ボサボサと床に広がっている。ラベンダー色の瞳が印象的だった。
そしてその死体の前に、彼女の瞳と同じ色のカチューシャを付けた少女が座り込んでいた。振り返ったサラの顔は、涙に濡れていた。そして彼女は、意味の解らない一言を発した。
「お、おばあちゃんが――おばあちゃんが死んじゃった……!」
その場の誰もがきょとんとした。――サラの祖母は、もう六年も前に亡くなっている。
しかしサラは、目の前の死体に縋り泣き喚く。
「おばあちゃん……おばあちゃん……! ねえ、答えてよ……!!」
「サラ、それはボガートだよ」
ルーピンが前に出て、サラを宥める。しかし、サラには聞こえていない様子だった。
「先生……! おばあちゃんを助けて……おばあちゃんが……!」
「リーマス、退いて」
ナミがルーピンを押し退け、サラの前に屈み込んだ。そして彼女は、辛辣な一言を言い放った。
「見っとも無い真似はやめなさい。――シャノンは、とうの昔に死んだの」
サラは驚いたように眼を見開く。
「あんたの母親は死んだ。崖から落ちたの。そこにあるのは、シャノンの死体じゃない」
サラはゆっくりと首を振る。
ナミは冷たく淡々と言い聞かせていた。
「馬鹿みたいな甘えは止めなさい。シャノンは死んだの。あんたは見たのでしょう。しっかりその眼で、落ちて行くのを見た筈だよ」
ハリーは、僅かにサラの表情が変わったのが判った。肩を震わせ、俯く。
ナミは追い討ちを掛けるように言う。
「……今、試験中。気付いたろうけど、それ、ボガートだからね」
言って、ナミは立ち上がった。ルーピンを外へと促し、ハリーとロンにも戻るように言う。
ロンが抗った。
「でも、サラは――」
「もう大丈夫だよ、あの子は」
ハリーはそっと背後を振り返る。サラの小さな背中が見えた。震える手で、杖を死体へと向けていた。
ボガートは、その人の最も恐れるものに姿を変える――サラの恐れるものは、祖母の死なのだ。それは、とうに事実になっていると言うのに。
最後の試験は、占い学だった。ハーマイオニーとエリは、マグル学だ。エリは、マグルの日常事項については当然だが完璧だった。しかし、魔法界側から見た内容はてんで駄目だ。これは寧ろ、魔法史と同じような難しさとつまらなさだった。
サラ、ハリー、ロンは、トレローニーの教室へ上る螺旋階段の前で腰掛けていた。試験は一人ずつ行われるそうだ。幸いな事に、試験は水晶玉だった。
しかしサラは、試験よりも裁判の方が気がかりでならなかった。ロンはしょっちゅう時計を気にしている。ハリーはそわそわと列の長さを気にし、順番を数えていた。
ようやくロンの番になり、やがて二十分ほどで彼は降りてきた。
「どうだった?」
ハリーが尋ねる。サラは名前を呼ばれ、ロンの返答を聞く事は出来なかった。
トレローニーの部屋は、夏だと言うのに相変わらず閉め切られ、暖炉が燃え盛っていた。サラは無表情でトレローニーの前の席まで進んで行った。
「こんにちは。この珠をじっと見てくださいまし……ゆっくりでいいのよ……あたくしは急かしませんからね……それから、中に何が見えたか、教えてくださいな……」
サラは水晶玉の靄を覗き込んだ。
急に不安がサラを襲った。確かに水晶玉は、他の占い学に比べ相性が良い。しかし、いつでも万全と言う訳ではない……。
しかし、心配は無用だった。水晶玉には、何処かの風景が映りこんでいた。サラはそれをまじまじと見つめる。夜だ……そして、この場所は――
「墓場が見えます」
「墓場? まあ……若しかしたら、親しい友人に関係する事かも知れませんわ……他に何か見えません事……」
ハリーの事を言っているのだと解ったが、サラは無視を決め込んだ。
「四つの影があります――人ですね。三人は子供みたいです。と言っても、上級生みたいですけど……。一人は寝そべっています。あと二人は、墓石を背にして座っています……。残る一人は――大鍋……ですかね……? そこに何か放り込みました。魔法薬学……?」
しかし、屋外だ。確かにスネイプは、夜も墓場も似合いそうではあるが……。
「他に? その四人が誰なのか、見えませんかしら……知っている人物かも……」
「もう一人現れました。鍋の所に人影が――」
そこまで言って、サラは絶句した。
水晶玉に、白い能面のような顔が映し出されていた。髪の無い頭、切れ込みのような鼻――真っ赤な瞳が、水晶玉の中からサラを見つめている。
「どうしましたの? 消えてしまいましたかしら……」
トレローニーが言った途端、赤目の白面は消え去った。続いて映し出されたのは、何処かの部屋――談話室だ。
ホッと息を吐き、サラは再び告げ始めた。
「談話室に変わりました――私が見えます」
続いて、ハリー、ロン、ハーマイオニーがいるのが判った。三人で集まり、談笑している。サラはそちらへと向かう。
……しかし、サラは三人の横を素通りして行った。ちらりと気まずそうにそちらを見たのが気になった。サラがそのまま向かったのは、寝室だった。今の寝室とは違う階だ。サラは一人、膝を抱えて座っていた。
どうしてハリー達と一緒にいないのか。非常に不愉快な光景だった。
「……一人になっているみたいです、私」
「あら……まあ……それはどう言う……? いつも貴女といる三人は、まさか――」
「三人は健在です。孤独と言う意味です」
サラは棘々と言った。
場面はまた変わっていた。映るのは、またしても紅い瞳の人物――恐らく、ヴォルデモート。その前に、一人の女が傅いていた。女は顔を上げ、前へ落ちてきた黒い髪を後ろに払った。その顔を見て、サラは愕然とする。
「――もう、何も見えません」
告げて、サラは席を立った。もう、これ以上見たくなかった。
「どう? 見えた?」
螺旋階段を降りて行くと、ハリーが尋ねて来た。
「んー……まあまあね……」
サラは曖昧な返事をする。何を見たのか詳しく聞かれる前に、ハリーの名前が呼ばれた。
「じゃあ、また。ロンは先に談話室に帰ったよ」
ハリーは小声で言って、トレローニーの部屋へと階段を上って行った。
談話室へと向かいながら、サラの頭の中では水晶玉で見た事がぐるぐると駆け巡っていた。あれは一体、どういう事なのだろう。墓場に現れるヴォルデモート、ハリー達を避ける自分、そして、ヴォルデモートの前に跪く――サラ自身。
サラが死喰人になる? 冗談ではない。祖母は死喰人に殺されたのだ。ヴォルデモートの手下になんて、絶対になるものか。ヴォルデモートが憎い。死喰人が憎い。それは決して変わらない。
ロンとハーマイオニーにも、見た物を尋ねられるだろうか。彼らも、サラが水晶玉に関しては幾らか能力がある事を知っている――
しかし、何と答えようかと言う思案は必要無かった。談話室へ戻ると、ロンとハーマイオニーが暗い顔をして隅の方に座り込んでいた。何があったのか、聞かなくても解った。
「サラ……」
ハーマイオニーは今にも泣きそうな瞳でサラを見上げ、手紙を差し出した。
ハグリッドからの手紙だった。涙に濡れてはいないが、激しく手が震えたらしく判読が難しかった。
サラはぺたんとその場に座り込む。
「バックビークの裁判……酷かったのよ……」
サラの声は、震えていた。
「本当に酷かったの……委員会はマルフォイさんの言いなりで……私、力になれたらと思って行ったのに……!」
ハーマイオニーは、ぎゅっとサラを抱き締めた。
「大丈夫よ……私より、ハグリッドの方がきっと辛いわ……」
ハーマイオニーの腕をそっと解き、サラは言う。暫く、三人は暗い顔で呆然と座り込んでいた。
やがて、ハリーが帰って来た。ハリーは手紙を見るなり、言った。
「行かなきゃ」
サラは顔を上げ、ハリーを見つめる。
「ハグリッドが一人で死刑執行人を待つなんて、そんな事させられないよ」
「でも、日没だ」
ロンが虚ろな目で窓の外を見つめながら言った。
「絶対許可して貰えないだろうし……ハリー、サラ、特に君達は……」
「『透明マント』さえあればなあ……」
「何処にあるの?」
ハリーの呟きに、ハーマイオニーが聞いた。
「四階に、隻眼の魔女像があるんだ。その魔女の背中のコブの中にある。ホグズミードへの抜け道だよ――この前ホグズミードに行った時、帰りに置いて来ちゃったんだ。スネイプに見つかりそうになって――スネイプがあの辺でまた僕を見かけたりしたら、僕、とっても困った事になるよ」
「それはそうだわ。スネイプが見かけるのがあなたならね……魔女の背中のコブは、どうやって開けばいいの?」
「それは……杖で叩いて、『ディセンディウム』って唱えるんだ。でも――」
ハーマイオニーはスタスタと歩いて行き、談話室を出て行った。
サラは、女子寮への階段の上に眼を留める。
「……あ」
サラの声に、ハリーとロンもそちらを振り返った。そして「しまった」と言う顔になる。
ナミは階段を降りて、こちらまでやって来た。
「……聞いてたの?」
サラが尋ねる。ナミは頷いた。
しかし、彼女の言葉は予想に反した物だった。
「ハグリッドの所でしょ。裁判負けたんだってね――私も、行くよ」
三人は目を瞬く。ナミは苦笑した。
「そんなに驚く事もないでしょ。
私はそうでもないけど、貴方達はハグリッドと親しいんだものね……行ってやりたいって言うのを、止めはしないよ」
十五分後に戻って来たハーマイオニーも、やはりサラ達の驚く行動を取っていた。
戻って来たハーマイオニーの手には、透明マントがあったのだ。
夕食で大広間へ行った際に、ナミはアリスに声を掛けた。劇薬を持っている事をナミに知られていると判ると、アリスは食べていたパンを詰まらせむせ返った。
慌てるアリスから役立ちそうな劇薬を貰い、グリフィンドールのテーブルへと戻る。
夕食後、サラ達五人はこっそりと城を抜け出した。しかし、透明マントには五人も入りきらない。ナミは、カメレオンのように身体が回りに溶け込む魔法薬を使用し、四人に並んで歩いて行った。夕暮れの中を小屋へと向かいながら、ナミが持って来た武器を確認する。サラは眼を丸くして尋ねた。
「それ――拳銃!?」
「本物な訳ないでしょ。ただのビービー弾だよ。殺傷能力は無いけど、何かあった時相手を怯ませる事は出来るからね。どうせ、本物持ってたって、杖には太刀打ち出来ないんだから。だったら、こっちの方が軽いからね」
太刀打ち出来るようなら、本物を持って来たのだろうか。確かに、陰山寺は火縄銃ぐらいならありそうな気がする。
ハグリッドの小屋に辿り着き、ハリーが戸を叩く。ハグリッドは、一分ほど経ってやっと出て来た。真っ青な顔で、誰が来たのかと辺りを見回す。
「僕達だよ。透明マントを着てるんだ。中に入れて。そしたら、マントを脱ぐから」
「来ちゃなんねえだろうが!」
ひそひそ声でいいながらも、ハグリッドは一歩下がった。五人は中に入り、急いで戸を閉める。四人はマントを脱ぎ、ナミも別の魔法薬で姿を現す。
ハグリッドは、以前サラ達が来た時のように泣いてはいなかった。あまりのショックに呆然とした様子だ。サラ達に茶を準備しようとする手は震えていて、容器から零してしまっていた。見るに見かねて、ハーマイオニーが代わった。ハグリッドは大人しく座り込み、袖で額を拭った。
「ハグリッド、誰でも、何でもいいから、出来る事は無いの? ダンブルドアは――」
「ダンブルドアは努力なさった。だけんど、委員会の決定を覆す力はお持ちじゃねえ……」
控訴裁判も、やはり一審と似たような状況だったらしい。バックビークの斬首の際に、ダンブルドアも来てくれるそうだ。サラ達も一緒にいると申し出たが、ハグリッドはそれを突っぱねた。
しんとした静寂が小屋を包む。ハーマイオニーがお茶の支度をするカチャカチャと言う音だけが、やけに大きく聞こえた。
ハーマイオニーの叫び声が、静寂を破った。
「ロン! し、信じられないわ――スキャバーズよ!」
ロンはぽかんと口を開けてハーマイオニーを見る。
「何を言ってるんだい?」
ハーマイオニーはミルク入れを持ってきて、引っくり返した。キーキーともがきながら、ぼとりと鼠が滑り落ちて来た。
「スキャバーズ! お前、こんな所で、一体何してるんだ?」
ロンは、ジタバタするスキャバーズを鷲掴みにする。スキャバーズはナミの姿を見ると、更に逃げ出そうと暴れた。
「相変わらず、私、嫌われてるみたいだね」
スキャバーズは最後に見た時よりずっと痩せこけていた。毛もばっさりと抜けて、あちこち禿げてしまっている。
やはり、サラの勘は当たっていたのだ。クルックシャンクスはスキャバーズを食べてなどいなかった。けれど今は、それをロンに思い出させる気にはならなかった。
必死に身を捩るスキャバーズを、ロンは宥めようと声を掛ける。
突然、ハグリッドが立ち上がった。血の気の失せた顔で、窓の外を凝視する。
「連中が来おった……」
五人はハグリッドの後について裏口から出て行った。裏庭に出ると、数メートル先の木に、バックビークが繋がれているのが見えた。サラは口を真一文字に結び、視線を外す。バックビークも自分の身に起ころうとしている事を悟っているのか、頭を猛々しく振り、前足で地面を掻いていた。
ハグリッドはバックビークを宥め、五人に言った。
「行け――もう行け」
「ハグリッド、そんな事出来ないよ――」
「僕達、本当は何があったのか、あの連中に話すよ――」
「私ももう一度、説得してみるわ――」
「バックビークを殺すなんて、駄目よ――」
「行け! お前さん達が面倒な事になったら、ますます困る。そんでなくても最悪なんだ!」
もうどうしようも無かった。四人はマントを被り、ナミは魔法薬を飲んだ。小屋の前から、人の話す声が聞こえて来ていた。
「急ぐんだ。聞くんじゃねえぞ……」
かすれた声で言うと、ハグリッドは大股で小屋へと戻って行った。五人は押し黙って、小屋を離れて行くしかなかった。小屋の反対側に出た所で、表の戸が閉まる音が聞こえた。
「お願い、急いで。耐えられないわ、私、とっても……」
ハーマイオニーが囁く。
足早に芝生を登って行ったが、途中でロンが立ち止まった。スキャバーズが暴れ回っているのだ。
背後で扉が開き、人の声がする。ハーマイオニーが急かすが、スキャバーズは一向に大人しくしない。ロンも歩き出す事が出来ない――
サラは不安気に背後を振り返る。サラ達のいる位置からでは、バックビークのいる所は小屋に隠れて見えなかった。それでも、その辺りにハグリッド、ダンブルドア、ファッジ、マクネアがいるのは分かる。声も聞こえている。
不意に、彼らの話す声が途切れた。
シュッと風を切るような音。続けて聞こえた、ドサッという物音。
ハーマイオニーがよろめき、サラは咄嗟に彼女を支えた。
「やってしまった! し、信じられないわ――あの人達、やってしまったんだわ!」
ハーマイオニーが嘆く横で、サラは呆然と立ち尽くしていた。身動き一つ出来ず、何も考える事が出来なかった。
不意に、荒々しく吼えるような声が聞こえて来た。咄嗟に引き返そうとするハリーの腕を、サラは掴む。他の三人も、ハリーを引き止めていた。
ロンが言い聞かせ、五人は再び城へと歩き出した。太陽は森の向こうへと消え、急速に闇が侵攻してきていた。
「スキャバーズ、じっとしてろ」
大して行かない内に、またロンが立ち止まった。
「一体どうしたんだ? このバカネズミめ。じっとしてろ――アイタッ! こいつ、噛みやがった!」
「ロン、静かにして! ファッジが今にもここにやって来るわ――」
「黙らせる? 大丈夫、害は与えないわ――」
「そんなの、余計に怯えるだけだ! こいつめ――なんでじっと――してないんだ――」
ナミが「あっ」と声を上げた。色が変わっているだけのナミは、近くで眼を凝らせば何となくそこにいるのが判る。前を見つめているようだった。視線の先と思われる辺りを見渡し、サラも息を呑んだ。
クルックシャンクスだ。這うようにして狙いを定め、忍び寄って来ている。ハーマイオニーが叱るが、お構い無しだ。
「スキャバーズ――駄目だ!」
スキャバーズは、ロンの手をすり抜けた。クルックシャンクスは飛びつき、後を追い駆ける。ロンはマントをかなぐり捨て、その後を追い駆けて行ってしまった。
慌ててハリー、ハーマイオニー、サラ、ナミも後を追う。マントに隠れている事も出来なかった。
すったもんだの中何とかロンはスキャバーズを捕らえ、サラ達も彼に追いついた。再びマントを被ろうとした時、また別の動物がこちらへ跳躍して来た。
黒い犬だ。サラが認識した時には、犬はハリーを突き倒していた。サラは懐に手を伸ばす。
パンと割れるような音が連続して響いた。犬はキャンと鳴いてハリーから離れる。杖を出し前へと踏み出したサラは、強い力で引き戻された。尻餅を着き、見上げる。暗がりの中、再び連射する音が聞こえた。
何が起こっているのか判らなかった。暗がりの中、犬の唸り声がする。大きな犬と取っ組み合いをしながら、皆はやや離れた所へ移動していた。ナミが叫ぶ。
「ハリー、逃げて!」
「ロン!」
ずるずると誰かが引きずられている――ロンだ。
ゴツっと鈍い音がした。ハーマイオニーが悲鳴を上げる。
サラは立ち上がり、皆の所へと駆けて行った。
「大丈夫!? 何が――」
言いかけたサラの後頭部を、何か強い衝撃が襲った。
「ルーモス!」
ハリーの杖に照らし出されたのは、暴れ柳だった。暴れ柳は三人を近づけまいと、次々と枝を叩き付けて来る。ナミは、離れた所に倒れていた。この枝をまともに食らってしまったようだ。
そしてその木の根元に、ロンの姿があった。黒犬が、根元の隙間に引きずり込もうとしている。ロンは抵抗しているが、黒犬の方が何倍も力があった。
「ロン!」
ハリーが駆け出したが、枝がそれを妨げる。
もうロンの片足しか見えていない。サラも駆け出した。襲い来る枝に杖を向ける。
「ディフィンド!」
枝の先端が裂けて落ちる。思ったほど甘くなかった。防御は出来ても、進む事が出来ない。
バシッと嫌な音が闇を劈いた。ロンの足が折れたのだ。次の瞬間には、ロンの足は穴の中へと消えてしまっていた。
Back
Next
「
The Blood
第1部
希望求めし少女たちは
」
目次へ
2010/03/27